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2008年3月の日記

2008年3月3日 月曜日

Seabiscuit (2003) Directed by Gary Ross (『シービスケット』)

 これは馬の映画だから見なくちゃと思いながら、長いことほったらかしてあった映画。まあ、見なくてもだいたい中身は想像がついたから、いつでもいいやって感じで。

 というわけで、以下の感想は、馬や競馬を知らない人や馬や競馬に思い入れを持っていない人のものとは、だいぶ違ってるはずだし、バイアスかかってるのはご了承ください。ちなみに、私と馬との関わりは2007年3月14日の『ヒダルゴ』のリビューを参照のこと。あと、めんどくさいので競馬用語にいちいち注を付けるのはやめました。知りたい人はググッてみて。

 それでシービスケットである。私はアメリカ競馬にはそんなに詳しくないが、この映画でシービスケットのライバルとなる、ウォーアドミラルのことならよく知っている。でもシービスケットはウォーアドミラルとマッチレースをした馬ということしか知らないや。
 それで戦績を調べたのだが、うーん、たしかに強い馬ではあっただろうが、ありがちな晩成型のハンディキャップ・ホースだなあ。
 若いころはクレイミング・レースに出ていたような馬が、出世してウォーアドミラルみたいなチャンピオンを負かしたというのは確かにドラマだが、それはそれでよくある話だし。日本馬でもいっぱいいるぞ。競馬から離れてだいぶ年月がたつから、すぐには名前を思い出せないけど。

 というわけで、それほど傑出した名馬というわけでもないシービスケットが、なんでアメリカではこれほど人気があるのか、それはよくわかるのだ。この底辺からの成り上がりってところが、まさにアメリカン・ドリームそのもの。ローカル・ヒーローが全国区のヒーローを倒したあたり、アメリカ人の反中央気質にもぴったりマッチするし、「決してあきらめるな」というこの映画のお題目もアメリカ人にはぐっとくるはず。
 おまけに、その馬に、子供のころに生活苦からサーカス(じゃないけど、『ヒダルゴ』でヴィゴが出ていたみたいな大西部ショー)に売られた落ちこぼれの騎手と、馬から車への時代の変化に付いていけない昔気質の調教師と、子供を亡くした傷心の大富豪の馬主がからむという、あまりにもありがちな構図。ありがちたって、実話なんだからしょうがないけど。

 でも今回は、そういう浪花節的なところは責めない。というか、競馬の感動物語はなぜかみんな浪花節になりがちで、それはそれで美しいし気持ちがいいから。寺山修司の競馬ものなんか愛読してましたからね。
 でも、「絶対ありえねー!」というホラ話の『ヒダルゴ』に大感激し、興奮した私も、この映画にはさっぱり乗れなかった。理由はいっぱいある。

 競馬はドラマである。なんてことは今さら言うまでもない。わずか1分半のレースの中にだって、数限りないドラマがある。日本の競馬だけ見ていても、泣かされたシーンや胸が熱くなったエピソードはいっぱいある。なのに、この映画は140分もかけて見せながら、ドラマ性に乏しいのだ。早い話が泣けない。(ちなみに私は映画見てすぐ泣く人である)
 それを補おうというつもりか、映画は人間たちのドラマに多くの時間を割いている。メイキングでも監督は「これは馬についての映画じゃなく人間についての映画だ」と言い切ってるし。でもあいにく私は、人間にはあまり興味がないもんで(笑)。それだけでも、馬が主役だった『ヒダルゴ』とは差が付く。
 特に主役の3人は、時間をかけたわりには人物の内面の掘り下げが浅く、馬主のハワーズ(Jeff Bridges)はただひたすら前向きでやさしく、調教師のトム(Chris Cooper)はただひたすらいい人でやさしく、、騎手のレッド(Tobey Maguire)はただひたすら元気で負けず嫌いという、クソおもしろくもない3人組になっている(笑)。

 あと、レッドの両親が気になる。けっこうかわいがって育ててたみたいなのに、大恐慌で破産するとかわいい息子を売り飛ばして、その後なんの連絡もしないって、どういう親なんだ。いくらあの時代とはいえひどすぎる。レッドもそれがトラウマになってるはずで、この話をもっと引っ張るかと思ってたら(有名になったレッドが両親と再会するとか)それっきり。

 その2。馬に魅力がない。これは『ヒダルゴ』でも文句言ってたな。まあ、ヒダルゴ同様、本物のシービスケットも見栄えのしない小さな馬だったらしいが、それでも走る馬は見るからに違う。本当の名馬というのは、見ただけで鳥肌が立つようなカリスマ性があるものだ。だったら、なんで馬券は当たらないのかって? ここで言うのは本物の名馬中の名馬。そういう馬は買ってもどうせ配当付かない。
 私が現役で見た(と言ってもテレビでだが)中では、セクレタリアトなんかすごかったね。普通に立ってるときはそれほどでもないのだが、走ると全身筋肉の塊で、重戦車のような迫力があった。(セクレタリアトは巨漢馬だったが) こんな化け物といっしょに走る他の馬がかわいそうと思ったぐらい。
 でもこの映画のシービスケットを見ても何も感じない。それもそのはず。名馬どころか、これは単に撮影用に買われた馬(それも十頭ぐらいの別の馬)だからだ。人間の役者ならそれを演技でカバーできるのに、馬だからねえ(笑)。
 私だって、映画は嘘だってことはわかってるし、トビー・マグワイアが名騎手だとは夢にも思いませんよ。でも映画ではお芝居することで、そう思わせることができるけど、馬にそんな高度な演技求めるのは無理。ならば撮る方がそう見せなきゃいけないのに工夫が足りない。馬の美しさを見せるとかさあ、躍動感を見せるとかさあ、いくらも方法はあるでしょうに。

 その3。それでも生きた馬ならまだいい。はりぼてのニセ馬に乗った役者なんか見ても楽しくない。当然、レースシーンは吹き替えなわけで、アップの場面はニセ馬にまたがったトビー・マグワイアに切り替わる。これが本物の馬でもないし、実際に乗ってるわけではないということは一目瞭然で、そのたんびにどっと白けるので、レースにも集中できない。これも自分で乗りこなしたヴィゴとの違い。
 いや、私だって『ハリー・ポッター』見て、「ほんとは飛んでないのは明らかで見るたび白ける」とは言いませんよ。でも人が空飛ぶのは不可能だけど、馬乗るだけならそうじゃないじゃん。こんなの特訓すれば誰だってできることじゃん。
 スタントマンが乗るのはべつにかまわない。それこそ、普通人ではとうていできない妙技を見せてくれるから。でも、競馬でそれやるのはちょっと無理で、だから競馬映画はおもしろくないのかも。

 その4。レースシーンに迫力がない。どうせ映画なんだから、せめてカメラワークとかもっと工夫すればいいのに、スローモーションすら使ってない。これならテレビで競馬中継見ているほうがよっぽど楽しい。と書いたら、「レースシーンが迫力あって楽しい」と言っている人が多いので驚いた。あー、これが迫力あると思うんなら、一度競馬場へ行ってみなさい。こんなエキストラ馬のうそっこレースより、よっぽど迫力と臨場感のあるレースが見られるから。(映画じゃ貧乏人専用席になっている内馬場がおすすめ)
 「騎手目線のカメラがいい」と書いてる人もいて、私は一瞬、「???」。騎手目線って普通じゃん。と思うのは、私がやっぱり乗り手の気持ちになって見ているせいか。それなら、自分で馬乗ってみなさい。何もレースじゃなくても、そこらの駄馬でも、すごい迫力あるから。
 その他、いちいち挙げるのがめんどくさくなったからやめるが、そんなわけで私は最後まで乗れないままだった。

 ただ映画としてはていねいに作られた良心的な映画だということは言っておこう。ジェフ・ブリッジズ、クリス・クーパーという重みのある役者を配して、当時の風俗なんかもうまく取り入れ、きれいに仕上がった映画である。ただ、馬を愛する気持ちが足りなかったね。

 私がいちばん感動、じゃなくて、ショックを受けたのは、レッドの落馬シーン。転倒した馬の下敷きになり、鐙に足を取られて、暴走する馬にさんざん引き回され、最後は厩のドアにたたき付けられて、どうしてこいつは生きてるんだ! 死ぬよ、普通(笑)。ここは確かにめちゃくちゃ迫力があった。この痛みを知っている者にとっては特に。

 あと、これは競馬おたく以外にはどうでもいいことでしょうけど。ウォーアドミラルは名前からわかるようにマンノウォーの代表産駒だが、シービスケットもマンノウォーの孫である。ただ、この父系はどっちも途絶えちゃったんだよね。貴重なアウトブリードだったのになあ。

2008年3月9日 日曜日

Cache (2005) directed by Michael Haneke (邦題 『隠された記憶』)

◆ なんか、じゅんこ本体が「映画評はもう飽きた!」とか言い出したので、あとは我々四重人格がお送りします。今回のお相手は▲ちゃんです。
▲ 特にこの映画は、やっぱり書いておかなきゃと言ったら、「絶対いや!」だって。
◆ しょうがねえなあ。じゃ、まあ、なんでこんなの借りてきたのかってとこから。
▲ タイトルからして、また記憶喪失ものかと思って。なんか最近やたら多いけど、『マシニスト』とか、『セッション9』とかおもしろかったからね。
◆ 見事に外しましたな。
▲ フランス映画らしいってところでちょっと引いたんだけど、アメリカ映画とはまた違った味があるかと思って。
◆ 監督はドイツ人だけどね。映画はフランス語だった。
▲ で、じゅんこが言うには、「大っきらい! 胸がむかつくような映画とだけ書いておいて」、だって。
◆ むかつくの意味がちょっと違うんだな。最近見た中でいちばん胸がむかむかして、いやーな気分になったのは『ドッグヴィル』だけど。
▲、だって、話自体がむかつくような話なんだもん。でも、あれは観客をいやーな気分にさせることを目的として作ってるから、その意味では、よくできた映画ではあった。
◆ でもこれはそういう意味じゃないの。単につまんなすぎてむかつくだけ。
▲ つまんないだけの映画ならいっぱい見てるじゃないさ。それだけじゃないよ、やっぱりこれだけ嫌うってことは。

▲ とりあえず、見てない人にどういう映画か説明しなくちゃ。
◆ テレビのトークショーの人気ホストジョルジュの元へ、差出人不明のビデオテープが届く。映っていたのは、彼の家の玄関をえんえん隠し撮りした映像で、おまけに子供の落書きみたいな死体の絵が同封されていた。気味悪くなったジョルジュは警察に届けるのだが、実害がないので取り合ってもらえない。その後もビデオは次々届き、内容もだんだん彼らの私生活に踏み込んだものになってくる。
▲ で、そのビデオ映像が延々延々と流れるのよね。この冒頭部分でもうめげた。当然早送りしたけど、それが映画全体の5分の1ぐらい占めるね。ほとんどなんの動きもない風景だけのビデオが。
◆ で、そのビデオの中に、見慣れないアパルトマンが映っていたので、そこへ行ってみると、住んでいたのは彼が幼いころ、同居していた使用人の子供マジッド(アフリカ系)。もちろん今は同年配のおっさんになっている。それで、ジョルジュはこいつが犯人に違いないと思うのだが、マジッドは自分はやっていないと言う。
▲ それでもジョルジュは追求の手をゆるめないんだけど、そしたらマジッドはいきなり当てつけみたいに彼の目の前で自殺してしまう。
◆ それで誰が犯人なのか明らかにしないまま、おしまい。

▲ 「宙ぶらりん型エンディング」としゃれ込んだつもりなんだろうけど、犯人は明らかじゃん。マジッドの息子でしょ。ジョルジュに相当恨みを持ってたみたいだし、ジョルジュの妻と幼い息子以外、登場人物って彼とマジッドしかいないし。
◆ で、その恨みってのが、ジョルジュの子供時代、マジッドのことで嘘の告げ口をしたっていうだけなのことなのよね。別に隠されてもいない。
▲ 根っこには人種差別感情があって、それが元でマジッドの両親は職場を追われたというわけなんだけど、しょせんは子供のケンカじゃん! それを一生恨み続けるか? ましてマジッドの息子はそのころ生まれてもいないわけで、親子そろって異常者としか。
◆ 異常者なんでしょ?
▲ でもそれじゃ、レイシズム反対を訴えることができなくなっちゃうじゃない!
◆ べつにそんなこと訴えたくないんでしょ?
▲ じゃあ、何が言いたいのよ?
◆ いかにも意味ありげでいて、何も言ってない、というのがこの映画の最大の欠点かな。とにかく何もかもが空虚で薄っぺらでむなしいの。
▲ そういう「アンニュイ」を売りにした映画なら、フランス映画にはよくあったけど、これはべつにそういう感じでもなかったぞ。なんかサスペンス映画作ろうとして失敗したみたいな。
◆ よく言えば、小劇場みたいな。アマチュアが賞狙いに作ったみたいな。

◆ というわけで、箸にも棒にもかからない失敗作というだけなら、これほど怒らなかったんだよね。問題は、これがカンヌで監督賞で、他にもいくつも賞とってるということなんだ。
▲ あー、でもカンヌなんてそんなものよ。見るに耐えないほど退屈なことが芸術の証明だと思ってる審査員が選んだんでしょ。
◆ まったくなあ。私は日頃よくハリウッドをバカにしたような言い方をするけれど、カンヌよりはアカデミー賞のほうが百万倍まし! 特にカンヌでグランプリ取るような映画は、見ない方が身のためだと思ってる。
▲ (歴代グランプリのリストを見ながら)みごとに私の大嫌いな監督ばかりだなあ(笑)。ヴィム・ヴェンダース、スティーブン・ソダーバーグ、クエンティン・タランティーノ、マイク・リー、ラース・フォン・トリアー、ケン・ローチ、おまけにマイケル・ムーア(爆笑)。好きなのはエミール・クストリッツァとデヴィッド・リンチぐらいか。でも『ワイルド・アット・ハート』みたいなサイテー映画。
◆ あーっ! マイク・リー! この映画のいやな感じって、『ネイキッド』みたいだと思ってたが、あれもカンヌだったか。とにかくカンヌの受賞作と知ってれば見なかったのに!

◆ とにかくすべて嫌い。役者も嫌いだし、セットの内装ひとつ、色使いひとつ取っても、安っぽくて、ちゃちで、見て不愉快になる。
▲ あと、音楽をまったく使ってないでしょ。これは意図してやったらしいけど、音楽のつかない映画がこんなに苦痛だったとは。
◆ とにかくイヤミで、観客を退屈させて、いやな気分にさせることが芸術だと思ってるんじゃないか? この辺の監督ってみんなそうだけど。
▲ だけど、それがいいと思う人がいるんだからね。
◆ (冷笑)それはわからないでもないけどね。私も若いころは、背伸びしたつもりでそんなふうに思ったこともあったけど。
▲ でも人生はつまらん映画なんかで浪費するにはあまりにも短すぎると気づいたときにやめました。
◆ 私の人生の2時間を返せ! ってやつだね。実際はほとんど早送りしたから1時間ぐらいだけど。
▲ 早送りするぐらいなら見なきゃいいのに。
◆ だって見なきゃ批判もできないじゃない。

▲ それで思い出したけど、まだ映画館で映画みていたころ、嫌いな映画やつまらない映画に対してできる唯一の復讐は途中で席を立つことだった。
◆ 映画館で寝るなんて作品に対して無礼よね。嫌いなら途中退席に限る。そうすると、他の観客が何かと思っていっせいに見るじゃない。それでこっちも見返して、「こんなくだらん映画よく我慢して見ているな」と、ちょっと優越感にひたれた。
▲ ロビーの職員にも「こんなつまんねー映画で高い金とりやがって」とガンを飛ばすことができたし。
◆ でもレンタルDVDじゃ、途中で見るの止めても、誰も見てないし、つまんないのよ!
▲ そういうわけでしたか(笑)。

Vidocq (2001) directed by Pitof (邦題 『ヴィドック』)

(いちおうミステリなので、ネタバレは避けましたのでご安心を)

◆ というわけで、「もうフランス映画なんか一生見ない!」となりそうなところだが、それでもこれは見ないわけにはいかなかった。なにしろジュネ&キャロの映画(『デリカテッセン』、『ロスト・チルドレン』、『エイリアン4』など)で、ビジュアル・イフェクツを担当していたピトフの監督作品なんで。
★ フランス人なんだから、「ジュネetキャロ」と言うべきでは?
◆ 細かいことを気にするな。とにかくジュネ&キャロは大好きなんだよー! それでDVDのカバーを見たら、やっぱりそれっぽかったので、迷わず手に取った。どんな話かもぜんぜん知らないで。
★ タイトル聞いても中身の想像つかないですよね。実はヴィドックというのは主人公の探偵の名前で、フランスじゃ有名な人だそうです。
◆ 実在の人物なんだよね。元犯罪者で、脱獄の名人で、それが警察のためにスパイとして働くようになり、華々しい手柄をいくつも立てて、しまいにはパリ警視庁長官の地位にまで上り詰めた人。科学的犯罪捜査の生みの親であり、ポーやコナン・ドイルにも影響を与えたと言うから、いわば実在のシャーロック・ホームズ。この人がいなかったら、そもそも探偵小説も存在しなかったというえらい人なのだ。
★ ほとんど嘘っぽいほどのドラマチックな経歴ですね。シャーロック・ホームズというより、アメコミ・ヒーローかと思った。
◆ もちろん、昔の人(1775-1857)だし、いろんな形で物語化されてるから、その過程でずいぶんフィクションがまざってるはずだけどね。この映画もストーリーはほとんど創作だろうと思う。映画は、そのヴィドックが警察をやめて世界初の私立探偵となってから出会った、ある事件を解決するまでを描いている。

◆ で、ズバリ言うと、とにかく息をのむばかりの、この世のものとは思えないほど美しい映像。
★ つまり、ジュネ&キャロと同じと。
◆ 雰囲気は確かに同じだけど、さすがビジュアル専門家が監督だけあって、映像は凝りに凝ってて、こっちのほうが見応えがあるぐらい。
★ フランス映画で絵がきれいというと、エンキ・ビラルの“Immortel”(『ゴッド・ディーバ』)と比較すべき映画かもね。(リビューは2007年4月20日。写真も加えておきましたよ)
◆ うーん、でもアーティストが違うとだいぶ違うなあ。絵や色のタッチもぜんぜん違うし、あっちは未来だけど、こっちは過去だし、あっちはほとんどCGだけど、こっちはほとんど実写だし。
★ 『ゴッド・ディーバ』を「レトロ・フューチャー」と呼んだけど、これはさしずめ、「レトロ・インダストリアル」でしょうかね。時代が19世紀だから、イギリスならサイバーパンクになるんだけど。
◆ ただ、ビラルは元がマンガだからか、やっぱり淡泊で平坦な感じがするのよ。それにくらべて、こちらは重厚で、ディープで、陰影が濃くて、妖艶なまでの色気を感じる。ビラルがイラストなら、ピトフは油絵という感じで。私はやっぱりこの方が好みかなあ。
★ キレイだよねー。ひたすら「絵」を鑑賞するだけでも飽きない。阿片窟のシーンなんて、まさに欧州名画を見ているみたいだった。
◆ とにかくこの色! まさに色が画面から匂い立つようだ。これ、うちの貧弱なモニターなんかじゃなくて、劇場で見たかったなあ。

◆ それで、これを見ながら、なんかくやしい気分になってきちゃったよ。『ロード・オブ・ザ・リングス』とか、『ハリー・ポッター』とか、この人に撮らせたら、どんなに神秘的で神話的な映画になったかと思うと。
★ えー、でもー、ピーター・ジャクソンの名誉のために言っておくと、『ロード・オブ・ザ・リングス』の美術はすばらしいと思いましたよ。
◆ ウェタはいい仕事をしたことは認める。その元絵となった、ジョン・ハウとアラン・リーのイラストもすばらしい。だけど、それをまとめ上げた最終映像を見ると、やっぱりこういう本格派には負けるのよ。こういうの見ちゃうと、『LOTR』とかはしょせんは映画っていう気がするじゃない。だけどこれは1コマ1コマがアートなんだよ!
★ そこまで言いますかね。
◆ 『LOTR』のメイキングを見ていて、今は色のタッチなんかコンピュータで自由に変えられるのがよくわかったけど、でもこんな色を出せる人は他にいないじゃない。最後にものを言うのはやはり予算や技術じゃない、作り手のセンスなんだよな。やっぱりこの辺はヨーロッパ映画の強みかな。

★ さんざんフランスを罵倒したあとで、そう来ますか。
◆ 実は私は基本的にフランスものはすべて嫌いなんだけどね。でも、アートに関する目と腕と天性の才能は認めないわけにはいかないじゃない。たとえば、上のスチルね。この空なんか明らかにマット・ペインティングを合成したものだろうというのはわかるんだけど、
★ 空はいつでもこういうふうに真っ黒な分厚い雲の後ろから、神々しい光が差してるんだよね。
◆ でもイギリスの冬の空って本当にいつでもこうなんだよ。少なくとも雲の切れ目に太陽が見えるときは。陰気だ陰気だと言われるイギリスの冬だけど、私はあの空を見上げて何時間見ていても飽きなくて、こんなに美しいものは見たことがないと思ったよ。あと、やっぱり暗い景色の中で、ドキッとするほど色鮮やかな緑や、花の色が印象的だったじゃない。私はフランスには行ったことないけれど、イギリスの緑や花ってやっぱり本当にそう見えるんだよ。だからこれはやっぱりヨーロッパ特有のものかと。
★ でもイギリス映画の「絵」ってこれとはやっぱり違う。イギリス映画が好きなのもやっぱり映像が美しいからだけど、向こうはもっとくすんだマットな色調で、こんなにあでやかじゃない。
◆ それはそうだけど、風景見ただけでも違いは明瞭じゃない。ヨーロッパの町や田園って、どこも絵に描いたように美しいでしょ。日本やアメリカはそうじゃない。やっぱりこれは持って生まれた土壌の違いじゃないかな。あと、室内シーンでも、インテリアとか建物がすごいきれいだったじゃない。監督のコメンタリーを聞いたら、「ここはなんとか城、これはなんとか城」と言って、ほとんどどこかのお城でロケしてるの。そういうすごい建物がそこら中にあるというのも、ヨーロッパの強み。
★ それはイギリスもそうだよね。
◆ ハリウッドがいくらお金かけて豪華なセットを建てても、しょせんはプレファブの張りぼてで、本物とは比較にならない。美術に関しては、逆立ちしてもヨーロッパには勝てないよ。そういう美しいものに囲まれて、美しいものだけ見て育っている人たちには。

◆ で、絵の美しさだけでももう十分なのだが、それに加えて、息をのんだのはカメラのすばらしさ。
★ ジュネもカメラが凝ってるからそれも想像はできたのですが。
◆ 想像以上だった! たとえば、カメラがあり得ないような動きをするのよ。てっきりCGかと思って、コメンタリーを聞くと、ステディカムで撮ったと言うじゃない。ハリウッドでもステディカムを使うことはよくあるけど、こんなトリッキーな撮影は見たことがないよ!
★ そう言えば、上で『シービスケット』のレースシーンのカメラがつまらないとぼやいてたけど、この映画では馬車を走らせるシーンがすごいと思った。走る馬の首を、斜め下から見上げるアングルで撮ってるんだけど、どうやって撮ったのかわからない。でも、監督が「この撮影はすごく苦労した」って言ってるから、これもCGじゃないんだ。
◆ あれも美しかったねえ。あれ見てて思い出したのは、ヨーロッパの町って至る所に騎馬像があるじゃない。あのアングルは、騎馬像を見上げるときの目線なんだけど、馬というのはあの角度で見上げたときがいちばんかっこよく見えるんだよね。クソうまいなと思ったよ。
★ 私は技術的なことなんか何もわからないけど、その素人が見てもすげえと思わせるカメラワークが多かったよね。

◆ さらにすごいのが照明。画面は全体に暗いんだけど、そこにくっきりと浮かび上がる光と影の交錯。これまた、こういうのを見ちゃうと、ただ明るいライトで煌々と照らすハリウッド映画はバカみたいに見えてきちゃう。
★ とにかく映像はあらゆる点でパーフェクトでしたね。
◆ これは見てすぐに限定の2枚組注文しちゃったよ。とにかくどうやって撮ったのか、メイキングが見たくて。
★ あと、言い忘れたけど、この映画、オールデジタルで撮ってるんだよね。最近ではめずらしくもないけど。だから、人工的な映像を想像していたら‥‥
◆ 確かにすべてのシーンが人工的ではある。いかにもデザインされたって感じの。だけど、CGは思ったよりわずかしか使ってないし、やっぱりこれは職人芸の手作り映画って感じがする。理論的にはCG使えばなんでもできるはずだけど、やっぱり道具は使う人の腕とセンス次第だということを実感させられました。とりあえず、カメラはジャン=ピエール・ソーヴェールとジャン=クロード・ティボーね。
★ 昔は「映像の魔術師」とか言われるカメラマンがよくいたものですけどねえ。そう言えば、最近これだけ凝った映像見てないね。

★ なんか映像の話しかしてないけど、かんじんのお話は?
◆ 話は、えー、ふつう。
★ 何それ!(笑)
◆ オカルト・ミステリなんだけど、いかにもあの時代っぽいというか、それこそシャーロック・ホームズや、エドガー・アラン・ポーの世界。ストーリーもレトロ・タッチで、これはこれでなつかしくてすてき。
★ いきなり主人公のヴィドックが死んじゃったと思わせる出だしとか、活劇調のところとかがおもしろかった。
◆ あっと驚くどんでん返しもあるしね。でもあれ、ちゃんと伏線しいてあったんだよ。その意味、ミステリとしてもちゃんとできてる。
★ ただ、ちょっと残念に思ったのは、犯人のガラスの仮面、じゃなかった鏡の仮面ね。被害者が最後に見るものは自分自身の顔で、仮面をのぞき込んでそれを見たものは決して生き長らえることはできないという設定、すごいすてきだと思ったんで、鏡のメタファーでずっと引っ張るかと思ったんだけど、あんまり意味がなかったような。
◆ だから鏡に魂奪われるんでしょ? わかりやすいじゃん。
★ 私はもうちょっと哲学的なもの期待してたんで。

◆ 画面があまりにも重厚で、アートしているんで、これが娯楽映画だってこと、つい忘れちゃうんだよね。アクション・シーンを見ながら、「なんか『マトリックス』みたいだなー」と思っていたら、やっぱり例のショットガン撮影だった。しっかり『マトリックス』なんかも研究してるんだ!
★ 『マトリックス』と言えば、「カンフーきらい」とか、「ワイア・アクションきらい」とか言って、さんざんバカにしてたんじゃなかったっけ?
◆ わかってないなー。それだけ嫌いなのに、あの映画はすばらしいと思うってことは、あれがいかに偉大な映画かの証明じゃないか。『マトリックス』はアクション映画の最高峰だよ。
★ ほんとにー?
◆ ほんと。この休みにまたDVDボックス見てたんだけど、見れば見るほどいいなーと。アクションが美しいのがいい。「トリニティ・キック」なんか、何度見ても飽きないし。カー・アクションも嫌いだけど、カーチェイス撮るだけのために高速道路まで作っちゃった映画、ほかにないじゃん!
★ この映画、意外とアクション・シーンが多いんだよね。ジェラール・ドパルデューもよくやるな、あの体で。

★ そう言えば、役者の話してない。
◆ この映画にアラがあるとすれば、それだけなんですもん。
★ つまり主役のヴィドックを演じたジェラール・ドパルデューが嫌いということ?
◆ デブきらい!
★ でも、フランス映画界最大の人気俳優なんだし、人気者ヴィドックを演じるにはこの人しかいなかったのではと。
◆ ただのデブならまだしも、この人、おそろしく醜いんだもん。どうせなら、彼が犯人で、仮面で顔かくしてほしかった。
★ 言いたい放題だな。
◆ しかも、そのドパルデューの穴を埋めるはずの若いギョーム・カネは、いやったらしいウラナリ坊やだし。やっぱりフランス男はだめだ。
★ 脇を締めるおじいさんたちは味がある顔してるんですけどねえ。
◆ でもフランスじじいってみんな極悪顔で悪役に見えない? じじいもやっぱりイギリスがいいわ、私は。
★ ヒロインのイネス・サストーレは良かったじゃない。
◆ こちらは一目でわかるスペイン女ね。顔はそれほど好きじゃないけど、体はきれいだった。細身で引き締まってて。あやしげな東洋風ダンスも色っぽかったし。
★ 西洋人が(一目でバレる)東洋人に化けるってのも、レトロでいいねえ。

★ そういや、この映画けっこうエロチックだった。
◆ だって、その道に関してはフランス人の右に出る者はいないもの。
★ でもエンキ・ビラルにはまったく感じなかったよ。
◆ そうか。やっぱり監督の好みの差か。イネスがヴィドックを誘惑するシーンとか、無意味にエロいよね。
★ あの娼館とかね。あれもいかにもだよね。
◆ 成人指定を避けるためか、セックスはおろか、裸すらほとんど出ないんだけど、雰囲気がエロっぽいんだよね。
★ というわけで、あれこれてんこ盛りの映画なのだ。
◆ 小道具とかも良かったなあ。あの不気味なあやつり人形とか。あれもれっきとしたアーティストの作品だそうだが。
★ ディテールも目が離せないよね。

◆ あと、被害者のいるあそこはけっこうこわかった。
★ ここはカメラがめちゃくちゃ凝ってて、はっきり見えないんだけど、そのぶんかえってこわい。でもセットはすごいきれいだった。
◆ でも不気味。あのセットに入るだけで変な気分になって、被害者役の女の子たち本気でおびえてたっていうけど、わかるような気がする。
★ ホラー要素もありと。ほんと欲張りな映画。
◆ というわけで隅から隅まで楽しめる映画だった。惜しむらくは役者がなあ。
★ そこまで求めるのはぜいたくでは?

2008年3月10日 月曜日

Angela's Ashes (1999) directed by Alan Parker (邦題 『アンジェラの灰』)

● というわけで、最後はやっぱり、男の子が魅力的なイギリス映画で締めよう。
▲ 男の子って、子供じゃん!
● 悪い? 私は子役映画って大好き。青田刈りの楽しみがあるし。
▲ なんかなあ(笑)。とりあえず、監督のアラン・パーカーについては、2005年9月17日の『The Life of David Gale』の評に書いたのでそちらを参照して下さい。これはピュリッツァー賞を取った、フランク・マコートの自伝小説の映画化。アイルランド移民の著者が、貧乏のどん底であえいでいた不幸な少年時代を描いたもの。
● それだけ聞くと、なんかすごーい暗くてみじめったらしい映画みたいに聞こえるよね。
▲ 確かに暗くてみじめな話なんだけど、そこはパーカーだから安心して見ていられたね。どんな題材でも、見て楽しい映画にできる人だから。おまけに、彼としては『ザ・コミットメンツ』以来のアイルランドもの。(パーカーはイギリス人)
● なんでも『ザ・コミットメンツ』を撮って、すごくアイルランドが好きになっちゃったんだって。これは期待! 絶対期待! なにしろ、最近、私はアイルランドこそ世界最大の美少年の産地と信じているからして。
▲ 『ザ・コミットメンツ』が美少年?(笑)
● なんであれ、18才以下のアイルランド人の男の子なら買いよ!
▲ まるで人身売買の話してるみたいだな。

● で、やっぱりかわいー!
▲ いきなりその話に行くのかよ。
● いわゆる美少年はひとりも出てこないけど、どの子もみんなかわいくて、やっぱりアイルランドってレベル高い。しかもそれがうじゃうじゃ出てくる。小さい子はすぐ死んじゃうし、カトリックだから子供ポコポコ産むんで。
▲ それを喜ぶなよ! 主役のフランクは、成長に合わせて、3人の子役が順に演じるんだよね。幼年時代、ローティーン、ハイティーンと。
● 一粒で三度おいしい! しかもこの3人がちゃんとみんな似た顔だちだから芸が細かいね。特にいちばん小さい子(Joe Breen)がかわいい。この子はいつも自分の境遇に怒ってるんだけど、そのふくれっ面がかわいくてかわいくて。真ん中の子(Ciaran Owens)はいちばん美少年で、大きい子(Michael Legge)がいちばんかわいくないんだけど、いかにもウブな感じがたまらないし、あと、弟の赤毛の子の小さいときがすごいかわいいし、フワフワの金髪の双子は本当にケルビム(智天使)みたいだし。
▲ ひとりでしゃべるなよ。
● あー、まずいまずい。なんかこの子たち人間に見えなくて、猫の子かなんかみたいに見えてきた。一腹の兄弟なのに、毛色が違うところとか。
▲ 一腹って、猫じゃないのに(笑)。
● だってこの子たちがいつもくっつきあってゴロゴロしてるところが、本当に子猫みたいなんだもん。それにお兄さんのフランクが小さい子供たちの世話をするところが、すごいけなげなの。
▲ そう言えばパーカーって、子役好きだな。『ダウンタウン物語』は子供だけのミュージカルだし、『小さな恋のメロディ』の脚本も書いてるし。
● 子役を使うのが好きなんだって言ってた。やっぱり子供は天使よねー。
▲ あんたの言うのは、不純な動機が入ってるから。まあ、いつも言うように子供と動物は無敵だから。

▲ とりあえず、男の子の話は置いて、目玉の貧乏について。
● 貧乏が目玉ってのも(笑)。
▲ 「ヨーロッパの第三世界」アイルランドの話ですからね。これは私のセリフじゃなくて、誰かアイルランドのミュージシャンが言ってたんだけど。
● それも見て納得よね。なにしろ中途半端な貧乏じゃないの。着るものがないから裸、靴がないから裸足の世界ですから。
▲ これ見ながら、そう言えば、前に「この貧乏は半端じゃない!」と思った映画あったなーと思ったんだけど、考えてみれば、それはパーカーの『ザ・コミットメンツ』だった。
● 貧乏も好きなんだね。
▲ 好きなわけじゃないと思うが。それが現実なだけで。

▲ いちおうストーリーを記すと、一度はニューヨークに移民したものの、そこで食い詰めてアイルランドに逃げ帰ったマコート一家の物語。
● この人たちがなんでこんなに貧乏かというと、親父のマラキ(Robert Carlyle)がいつも失業状態だからなのだ。たまに職に就いても、給料はすべて飲んじゃって、酔っては仕事を首になるの繰り返し。
▲ 本当にどうしようもないダメ親父なんだけど、パーカーはこの父親を悪役にはしたくなかったのだそうだ。フランクが父を心から愛してたから。
● それは大丈夫。ロバート・カーライルがお父さん役だから。あの顔では、何をやってもいい人にしか見えない(笑)。
▲ 実際、そんなに悪い人じゃないんだよね。別にアル中ってわけでもないし。酔っても家族に暴力ふるうとかいうんじゃなくて、歌なんか歌って明るい酔っぱらいだし。
● 家では子供が飢えていて、バタバタ死んでいくのに、全部飲んじゃうのがいい人?
▲ 単に意志が弱い人なんだよ。妻や子供のことは愛してるみたいだし。それなりに教養があって話もおもしろいし。
● それで彼はアメリカに出稼ぎに行くと言って家を出るんだけど、一文も仕送りをしないばかりか、音信不通になってとうとう帰ってこない。
▲ ひでえな。
● 残されたお母さん(Emily Watson)は、慈善にすがって、ほとんど乞食同然の扱いを受けたり、住む家を追い出されて、いとこの家に転がり込むんだけど、そのいとこのベッドの相手を務めて置いてもらっているしまつ。
▲ このお母さんの名前がタイトルのアンジェラなんだけど、灰って言うから、てっきり彼女が死ぬ話だと思ったんだよね。でも死なない。結局タイトルの意味は最後まで見てもわからなかった。
● 私はそういう悲惨な環境で、子供を守るために、強いお母さんであるアンジェラが孤軍奮闘する話かと思った。
▲ 確かに彼女はできるだけのことはしているんだけど、そういう話でもなかったね。あくまで主役は子供。
● それで、主人公のフランクは、単に貧乏なだけじゃなく、貧しいからと言っていじめられ、アメリカ帰りだからと言っていじめられ、父親が北アイルランド人だからと言っていじめられ、食べていくためにお決まりの児童労働で石炭運びをやって病気になり、親類縁者には奴隷のようにこき使われ、とうとうそんな環境に嫌気がさして、死んだ高利貸しから盗んだ金でひとりアメリカに渡るところでthe end。
▲ 確かにストーリーだけ追ったら、まるで救いのない悲惨な話だなあ。「ディケンズ風の」って言われるけど、ほんとだね。しかも20世紀のヨーロッパの話なんだから。
● 確かにディケンズと言えば子供いじめ(笑)。この不幸さはオリヴァー・ツイスト並み!
▲ でもめげない、どころか、敢然と戦うもんね。まさに雑草のようなたくましさ。
● えらいなあ、アイルランド人。

● でも楽しいんだよね。
▲ 子供の視点から描いてるからね。子供はどんな悲惨な環境でも楽しいことを見つける天才だし。
● たとえば、彼らの住んでる家は雨が降ると床上浸水するようなボロ家で(しかも、ほとんど1年中雨が降ってる)、雨の時は2階で暮らしてるんだけど、なんかそれがすごく楽しそう。
▲ 笑えるシーンもいっぱいあった。
● いちばん笑ったのはあれかな。フランクは聖体拝領のあと、めったに食べられないごちそうをむさぼり食ったせいで、食べたものを吐いちゃうんだけど、それを見たお祖母ちゃんが、「この子、神様を吐いちゃったわ!」と(笑)。
▲ それ以前に、神様を食う宗教の方がどうかしてると思うが(苦笑)。
● かんじんの聖体拝領のときも、なにしろつねに飢えてるもんだから、口に入るものはなんでもむしゃむしゃむさぼり食って、神父にいやな顔をされる。あれも笑った。
▲ アイルランドと言えばカトリックというわけで、神様関係で笑わせるところはたくさんあったね。小さいころのフランクは、お祈りでホーリー・ゴースト(聖霊)って言えなくて、「父と子とホーリー・トーストの御名において」と唱えるの。
▲ とにかく食べることしか頭にないから(笑)。彼にとってはトーストはホーリーなんだよ。
● 救いのない環境だから、ちょっとした優しさが胸にしみるしね。アンジェラ一家につらく当たってばかりいたお姉さんが、フランクが就職したときは、借金までして服をプレゼントしてくれたり。
▲ ていうか、いいエピソードってそれぐらいじゃない?
● 肺病で余命いくばくもない少女との恋とかも、嘘みたいだけど泣かせるじゃない。

▲ でもねー、ほめてばっかりでもなんだからちょっと言わせてもらうけど、このストーリーが明るい、とは言えないまでも、前向きなものになっているのは、やっぱり子供時代の思い出だからだと思うな。大人ならトラウマになるような体験でも、子供なら乗り越えられるし、昔のことはある程度美化されて、なんでもいい思い出になっちゃうし。
● でも、それが子供時代というものだから、これでいいんじゃない?
▲ さっき言った、「子供はどんな悲惨な環境でも楽しいことを見つける」というのは、実はJ・G・バラードの言葉なんだよね。それで、子供時代の悲惨な体験を自伝的小説に著したという意味では、バラードの『太陽の帝国』がまさにそうなんだけど、バラードが結局あの体験を今の今まで引きずって、というのは言葉が悪いとしたら、「なぜだ?」というのを未だに問い続けているのに対して、この人はそれにすっかりけりをつけて、いい思い出に昇華しちゃったんだなと。
● それは作家の性格の違いもあるし、バラードの体験は貧乏なんかとは比較にならないもので、昇華できるようなものじゃないし‥‥
▲ それはそうだけど、文学としての価値もくらべものにならないでしょ。
● まあ、私も原作はたいした本とは思わないけど、映画としてはよくできてたよ。

▲ ここらで役者の話も。かわいいっていうのは置いといて。
● お父さんのロバート・カーライルもかわいいよー! いつでもかわいいけど、特にこういうふうに真ん中分けで前髪をたらすと本当にかわいい。酔っぱらい演技もかわいいし。
▲ 他に言うことないの!
● だって、ロバート・カーライルはいつでもロバート・カーライルだもん。
▲ お母さんのエミリー・ワトスンは? 彼女はこの演技で、英国アカデミー賞の主演女優賞とってるけど。
● 私はあんまり好きじゃないなー。演技派ではあるけど、顔がきらい。
▲ 彼女は私の嫌いなラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』で、女優賞総なめしてるんだよね。
● 聞いただけで見たくない感じ。まあ、主役が子供たちで、夫のマラキも子供みたいなもので、彼女ひとりが大人の役をこなさなくちゃならなくて大変だったろうなあとは思うけど。
▲ でもロバート・カーライルもエミリー・ワトスンも、すごく抑えた控えめな演技だったよね。特にお母さんなんか、泣きわめいてもいいような状況で、黙ってじっと耐えていた。
● そこがアイルランドっぽくていいじゃない。ただひたすら耐えに耐えて生きてきた人たちなんだから。

▲ それで子役だけど‥‥
● さっき言ったように、決して美少年というタイプじゃないんだけど、あの異常に大きい目! 異常に濃い長いまつげ!
▲ その話はもういい!
● 子役がいいなと思ったのは、ハリウッド映画の子役みたいにスレてない感じね。
▲ アメリカ映画の子役って憎たらしいほどうまいけど、いかにも芸能界ずれしたのが多いからね。その点、こういう第三世界の子は、いかにも素人っぽいところがいい。
● なまりもかわいいし。あ、でもこれは『柔らかい殻』のリビューに書いたんだけど、アメリカ人も小さい子はかわいいよ。あの巻き舌のアクセントが舌足らずな感じで。その意味、いちばんかわいくないしゃべり方をするのはイギリス人(笑)。

▲ えーと、なんか他に言うことあったっけ?
● 『ヴィドック』の映像をあれだけほめたんなら、この映像の美しさについても一言いってほしいね。
▲ うん、アラン・パーカーの絵の美しさは前から言ってることだけど、これもきれいよね。
● 映るのは『ヴィドック』の豪華な宮殿とは正反対のあばらやだけなんだけどね。
▲ パーカーも言ってた。貧乏が美しく見えるのが不思議だって。
● それにしちゃ、うちはちっとも美しくないのはなんでだろ?(笑)
▲ 私なんかぜんぜん貧乏とは言えないわよ。こういう人たちにくらべれば。貧乏だって本物でなくちゃだめなのよ。
● そうかあ?
▲ というわけで、やっぱりいい映画でした。えらいなあ、パーカー。
● もっともっとアイルランド人役者がスクリーンで見られるようになるといいね。

Sunshine (2007) Directed by Danny Boyle (邦題 『サンシャイン2057』)

● そういえば、これも見たのに忘れてたから書いておこ。この映画は例によってなんにも知らず、ただ、キリアン・マーフィくんが出てるというだけで借りてみた映画。
▲ でも、アイルランド人なんて脇役だと思ってたのよね。ところが見てたら主役っぽいので、「やたっ!」と思ったのはいいんだけど‥‥
● とりあえず、お話はと言うと、いきなり太陽が死にかけてて、人類は滅亡の危機に瀕している。
▲ なんでよ?
● 知らないよ。何の説明もないんだもん。
▲ 太陽が死にかけていて、主人公がそれを救うってのはジーン・ウルフの「新しい太陽の書」だけど。
● 関係ないって。
▲ 太陽が赤色巨星化?
● そんな先の話じゃないよ。50年後っていうんだもん。
▲ いくらなんでもそれはないでしょ。そんな大風呂敷広げるなら、こじつけでもなんでも説明があってしかるべきじゃない。
● それがないんだな。まあ、SF映画なんてたいていがそんなものだけど。それで、どうやら活を入れてやれば生き返るらしくて、太陽の核に核爆弾を打ち込むために宇宙船イカロス2号が旅立つ。その前に挑戦した1号は失敗して消息を絶ってしまったので、これが人類最後のチャンスなのだというところから始まる。
▲ てっきりB級SFパニック映画だと思ったよ。『アルマゲドン』みたいな。
● 彗星が宇宙空間で火を吹いて飛んでるみたいな?(笑) 私は見てないから知らないけど。

▲ ところが、見てると意外といけるのよね。少なくとも雰囲気は本格派。
● これはほめすぎだけど、太陽に着くまでの話はちょっと『2001』みたいだと思ったよ。
▲ 宇宙服なしで真空を渡るシーンはまんま『2001』だったね。あと、空気が足りなくなって、任務遂行のためには8人のうち3人が死ななきゃならない、というのは『冷たい方程式』でしょ。
● なぜか乗組員が1人多くて、いないはずの人間がいるってのもすごいおもしろいと思った。
▲ それでこれは意外な本格SFで、大当たり!と思ったのはいいんだけど‥‥
● 太陽に着いたあたりからすべてがグジャグジャになってしまう。

▲ その理由は最後まで見てわかりました。監督ダニー・ボイル。おまけに脚本も『28日後』と同じアレックス・ガーランド。最初になんのクレジットも出なかったんで、知らなかったんだよね。おまけに主演も同じキリアンということで、知ってたら予想が付いたのに!
● おんなじだー! 『28日後』と同じ! (リビューは2006年1月27日) あれもゾンビ映画としては途中まではすごくシリアスでよくできてたのに、最後はめちゃくちゃ。
▲ 何を考えてるんだろうねえ? せっかくいい映画になりそうなものを、自分で破壊して喜ぶってのは?
● もともとボイルなんて、たいした監督とは思ってないけどね。でもいいものも持ってる、というか、これなら途中まででやめとけよ!って感じ。

▲ 何を怒っているかと言いますと、上に書いたように、途中まではすごくシリアスで、緊迫感があって、おもしろいのだ。ところが、いるはずのないもうひとりが登場したところから、話のトーンがぜんぜん別物になってしまう。
● 実はそのひとりというのは、なぜか生き残っていたイカロス1号の船長で、彼は気が変になっていて、乗組員を追い回してひとりひとり殺していくんだよね。
▲ もう完全にフレディ(『エルム街の悪夢』の)のノリよね。顔は焼けただれてケロイドになってるし。
● というわけで、後半はチープな殺人鬼もの。なんでこうなるの? どうせならエイリアンかなんかのほうがまだましだ。
▲ おまけにフレディが出てくるシーンは、無意味にカメラが凝っていて、何が起こっているのかもよくわからないまま、なしくずしにキリアンが核爆弾発射して、ヒーローになっておしまい。
● がっくし。

▲ というわけで、ストーリーはしょうもなかった。キリアンは?
● そりゃ彼はいつ見てもきれいだけど、核物理学者には見えないな(笑)。
▲ ちょっと驚いたのは2号の船長が日本人(真田広之)だったこと。クルーも半数が東洋人だし。
● そりゃ、地球の命運がかかってるから、乗組員も人種混交なんでしょ。真田広之は最初に死んじゃうけど、いさぎよく殉死する役だから、悪い気はしなかったね。
▲ この手の映画で半数が東洋人というのは、アジア映画でないかぎりまずなかったよ。そういう意味でも好感もってたのに。
● お話かけないんじゃどうしようもない。
▲ 少なくともこの脚本家使うのはもうやめろよなー。
● 『28週後』はどうなってるの?
▲ 監督・脚本は別の人だけど、ダニー・ボイルとアレックス・ガーランドは制作にまわってるな。
● あー、やっぱりだめだー。
▲ でも主役はロバート・カーライルだよ。
● 役者の趣味だけはいいんだよね。というわけでまた見ちゃいそうだけど、期待は一切してない。

2008年3月17日 月曜日

 日記の間があいたのは、すげー映画(私的には)見つけちゃったので、そのリビューにかかりきりになっていたから。でも超大作になっちゃって、1週間たってもまだ完成しないから、その間にどうでもいいことを書く。

アメリカ帝国の没落

 どうでもいいとか言っちゃって、タイトルだけ大仰だが、やっぱりどうでもよくない! 私にとっては切実なことだよ。このドル安は! なにしろうちは輸出企業なんで(笑)。

 説明すると、大学を辞めたときのなけなしの退職金や貯金は、ほとんどすべてお店につぎ込んでしまった(その半分ぐらいは自分のCDやDVD買ってるような気もするが)私は、店の支払いはドルでもらっているわけで、結果として、貯金はほとんどすべてドルで持っているのだ。
 このお金は、いずれ店がつぶれたときの(遠い将来の話じゃないような気がする)当面の生活資金と、老後の資金で、私にとってはすごーく大事なお金。でも店を始めたときの為替レートは1ドル=130円ぐらいだったので、そのときからすでに3割ぐらい目減りしていることになる。言ってみれば、全財産をドル貯金してしまったのに、ドルの暴落で損をした人と同じ。
 これだけドルが下がり続けても、あえて円に両替しなかったのは、「まさかドルがそんなに下がるはずがない。またいつか上がるはず」という思いこみのせいだ。

 なにしろ私は1ドル=360円の固定レートの時代を長く生きてきたので、ドルが、ひいてはアメリカがこんなに弱くなるということが、まだ信じられない。アメリカの悪口はさんざん言ってるが、それでも心のどこかでは、「強いアメリカ」、「豊かなアメリカ」に対する固定観念があったのね。
 また昔話で恐縮だが、私が子供時代に見ていたテレビドラマはほとんどがアメリカ製のものだった。それで見て感じたのはめまいがするほどのリッチさと日本との格差。戦後すぐの話じゃありませんよ。昭和40年代になっても、「テレビの中のアメリカ」と自分の暮らしとの差は目がくらむほどだった。(うちがよそより貧乏だったせいもあるが)
 たとえば、『奥様は魔女』(Bewitched)という人気番組がありましたよね。あれのオープニングのナレーションは、「2人はごく普通の恋をして、ごく普通の結婚をしました」というものだったが、私にはぜんぜん普通のカップルには見えなかったよ! というのも、奥様が魔女だったからじゃなくて、信じられないほどのリッチな暮らしのせい。
 今でこそあれが当時のアメリカ中流階級の普通の暮らしだってことはわかってるが、それだけ日本とは差があったということ。もちろん、今の私は(日本の最貧困層に属するということは別にしても)、アメリカのドラマや映画を見て、(みんなうちよりはるかにいい家に住んでいることを除けば)それほどの違いは感じない。「テレビの中のアメリカ」自体はそんなに変わっていない。それはつまり日本の高度成長のおかげということだが、はたして、リッチなアメリカがいつまでリッチでいられるのか、だんだん不安になってきた。
 まあ、「このままじゃアメリカはダメになる」というのは、私が60年代から言い続けてきたことですけどね。それでもソ連が崩壊して冷戦が終わったときは、「これでライバルがいなくなり、軍事費に無駄な金を使うこともなくなるから、アメリカがひとり勝ちになるだろうな」と思ったのは、完全なはずれだった。中国やインドのような新超大国の勃興もさることながら、その後のアメリカのダメっぷりはご存じの通り。
 アメリカがこうもだめでは、対ドルで円安になるためには、日本が昔のような三等国に落ちぶれることしかないが、これもありえないことではないような気がする。

 それで差し当たってどうするかだが、このまま商売を続けていたんでは、私は売れば売るだけ損をすることになってしまう。いよいよ店の値段を円建てに変えるしかないな。本当はもっと前にするべきだったんだが、円に不慣れな外国人の客が逃げることを恐れたのと、膨大なカタログの書き換え作業を嫌っていたせい。でもそんなことは言ってられなくなってきたので、これはやるしかない。
 ただ、今後、ドル以外に対して円が値下がりするのも確実なので、それまたいやだなあ。かといって、日本の店がポンドやユーロ建てというのも、いかにも変だしめんどくさいし。いっそユーロが新しい世界通貨になってくれるといいのにね。
 それと貯金だが、今後ドルが値上がりする気配はまったく見えないし、両替するなら早いほうがいいという気もするが、それでもいじましく希望が捨てきれない。それよりは、このドルでアメリカから買い物して、日本で売った方がいいな。うん、そうしよう。


 なんとなく書き足りない感じがするので、あとは今日の新聞を見て時事問題について思ったことを断片的に。

アメリカ大統領選

 もうどっちが勝ってもいいから、ドル安なんとかしてくれる人にしてよ!というのが私の本音。個人的にはヒラリー以外なら誰でもいいけど(笑)。しかし、以前、「アメリカで信用できるのは女と黒人だけ」と書いたが、ほんとにそうなったので驚いている。とりあえず、これまでのアメリカの大統領候補というのは、「こいつ以外なら誰でもいい」と思うようなのばかりだったのに、オバマはちょっとおもしろい。

チベットの暴動

 もちろん私は、エリオット・パティスンのミステリ(おっと、書評はもう消しちゃったね。でもすごくいいのでおすすめ。翻訳はハヤカワ文庫)を読んでから、チベットにはことのほか肩入れしているので、全面的に応援している。こうなりゃ北京オリンピック・ボイコットだ!とひとりで気勢を上げているのだが、中国に色目を使うアメリカは本当に情けない。他国への内政干渉なんてアメリカの得意技だし、モスクワのときは勇んでボイコットしたくせに。だいたいオリンピックなんてもうやめちゃえよ。というのが本音。

裁判員制度にもの申す

 最初に言っておくと、私は断固反対! 日本に陪審制導入するなんてどこのバカがいつ決めたんだよ! 現に陪審制を取っているイギリスやアメリカの誰に聞いても、いい制度だなんて思ってる人いないじゃん。特に私は敬愛するリチャード・ドーキンス(生物学者)がボロカスに書いてたせいもあり、めちゃくちゃうさんくさく思っているのだ。
 こう言っちゃなんだが、私は一般市民(自分も含めて)の判断力や客観性や知性なんてものはまったく信用していない。それでも少なくとも、自分の意見をはっきり言うことや、論理的に物事を考えることや、ディベートに慣れていて、小さいころからそれを奨励されている欧米人ならまだいいよ。でも、はっきりものを言うことが悪徳とされていて、論理より感情、なるべく自分をおさえて周囲の人に意見を合わせることが美徳である日本人に同じ制度を適用しようとするなんて、正気の沙汰とは思えない。
 嘘だと思うなら日本の大学で教えてみるといい。私もかつては野心に燃えて、学生にディベートをやらせてみようとしたこともあるが(日本語でだよ)、とにかく誰もなんにも言わないか、他人の意見に同調するだけ。たとえ言っても、なぜそう思うのかを論理的に説明できるやつはひとりもいない。これが日本で最高レベルの法学部での話。まして「一般人」だったらどうなるか。そんな奴らに裁かれるのなんか死んでもいやだ! というのは確かに犯罪抑止力にはなるが(笑)。
 まだ試験的な模擬裁判の段階でも、問題は山積みじゃない。特に今日の新聞で指摘されていたのは、裁判員の判断のほうが、従来の司法の判断より量刑が重くなるという傾向。これがどんなに恐ろしいことかわかる?
 今でさえ、日本の刑事裁判の有罪率は異常に高い。重罪犯のほとんどすべてが有罪になる。こんなのは他国ではあり得ない、というか、そんなのは恐怖政治を敷いている独裁国家だけなんだそうだ。一般人の目から見れば容疑者=犯罪者だから、この傾向がますます強まることは間違いない。
 くわばらくわばら。何があっても犯罪だけは犯さないようにしよう(苦笑)。

浦和レッズ(サッカー)オジェック監督解任

 たった2戦で解任とは、厳しい世界だねえ。それでなくちゃ強くはなれないんだろうけど。浦和には高原が入ったので気にしていたのだが、ぜんぜん不調でくやしい思いをしていただけに、これで立ち直ってほしい。
 そういや日本代表戦はほとんど見てない。ワールドカップの第1次予選はかろうじて見たけど。興味がないわけじゃなく、夕方のプライムタイムになんて帰ってこれないんですよ。サッカーだけは録画で見る気はどうしても起きないし。
 しかしわずかばかり見た試合や、報道記事を読んだ限りでは、岡田新監督にはかなり不満。というか、オシム監督の最後の試合が、やっとオシム流のサッカーができるようになってきたと喜んだ直後だっただけに、それをご破算にするようなやり方に抵抗を感じた。岡田ジャパンがどうなるかはまだわからないが、少なくともオシムのときは夢があった。それにくらべて岡田監督は就任したときから新味がないなあと思っていたのだが。オシムけっこう元気になったようなんだけど、戻るのは無理なのかなあ。オシムを惜しむなんちゃって。

南極の石盗難事件

 南極の山に登った登山家が、記念に持ち帰った石を盗まれたのだが、それに対して、そもそも石を持ち帰ったことが非難を浴びている。これに対して、「環境問題に取り組んでいる登山家」の野口健という人が、「自分も持ち帰ったが、機会があれば戻しに行きたい」とコメントしている。
 私は大のアンチ・エコロジストで、エコロジストと呼ばれる人たちのバカさ加減には日頃からほとほとあきれているが、これにもあいた口がふさがらなかった。おいおい、山から石ころがひとつかふたつなくなるのと、あんたが日本から南極まで行って、山頂に登るのと、どっちが環境に大きな影響与えると思ってるんだよ。
 本気で南極の環境を守りたいと思うなら、調査研究以外の遊びの登山なんかすべて禁止するべきだ。あ、もちろんBBCの撮影班はOKよ。コウテイペンギン見たいから(笑)。

京大霊長類研究所のチンパンジー研究にケチをつける

 前からあそこの研究はうさんくさいと思ってたんですけどね。そこの所長の松沢哲郎が、朝日新聞の夕刊に、「子供の学びをチンパンジーの世界から考える」という趣旨のコラムを連載している。これがまた突っ込みどころ満載ですごい。
 たとえば3月15日のコラムでは、こんな話が紹介されている。野生のチンパンジーは物を積み上げる行動はしない。しかし、積み木を積むとほうびを与えるという訓練をしたら、上手に積み木ができるようになった。そこで、「ほめることで潜在的な能力が引き出されたのです」。
 だから人間の子供もほめることが大切、という結論自体は間違ってないが、それって単に「芸を仕込む」と言うんじゃないか、普通? レトリックでごまかしてるから気づかないかもしれないけど、「子供はサルに芸を仕込む要領で育てましょう」という結論だったら、読者から抗議が殺到すると思う。人間の子供をエサで釣って芸を仕込むことも可能だろうが、いやしくも人間がそれだけじゃたまらないよ。
 同様に、「チンパンジーのアイちゃんが言葉を覚えた」とかいうニュースもテレビや新聞でさんざん報道されたが、その実験方法を見ている限り、どう見ても単にほうび目当てに芸をしているだけにしか見えない。これならパブロフの犬とか、学者馬ハンスと同じ。ただ、チンパンジーは犬や馬より賢いから、ずっと高度な芸ができるし、まるでわかっているように見えるだけ。
 そうではなくて、本当に言語という概念を理解しているということを証明するには、なんらかの反証実験をしなければならないはずだが、そんな実験をやっているという話は聞いてない。積み木の例で言えば、そのチンパンジーは単にエサがほしくて人間の期待に応えているだけではないということを証明してもらわなくちゃ。とにかく私の印象ではチンパンジーかわいさのあまり、完全に動物を擬人化して見ているとしか思えないのだが。
 だけど一般大衆には、「うそー、かわいい! おりこー!」という感じで、こういう話は受けるから、報道が多いのはわかるが、誰かまともな動物学者で文句付ける人はいないのかねー。


 ああ、やっぱりなんかいやな話ばかりになってしまった。だから私は極力ニュースとかは見ないようにしているのだが。というところで映画評に戻ります。こちらは乞うご期待。

2008年3月21日 金曜日

 お待たせしました! って誰も待ってないかもしれませんが、『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』のリビュー公開です。あと、こんなものでも、更新がないか、毎日来てくださっている読者のために、更新をお知らせするメーリングリストを作りました。このページの上をご覧下さい。

(これは重要な映画なので、リビューも超大作だよ)

Brothers of the Head (2005) Directed by Keith Fulton & Louis Pepe
(邦題 『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』)

● (のたうちまわって)苦しい苦しい苦しいよー!
▲ 何を苦しんでるのかは、長い話になるので置いといて、『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』のリビューを書こうと思う。
● 無理だよ。私にはこの映画の批評なんてできない! だって、途中から映画じゃなくなっちゃったんだもん。
▲ それって製作者にしてみれば、最大のほめ言葉かも。
● 見終わって、この人たちのこともっともっと知りたいと思って、インターネットで検索しようとして、ハッと気がついたんだよね。そう言えばこれってフィクションだったんだ。この人たちは実在しないんだって。
▲ ‥‥
● でも頭ではわかってるのに、どうして実在しないのか納得できなくて頭を抱えてしまった。
▲ よく、「現実感覚が崩壊して、頭がクラクラするような映画が好き」って言ってるけど、本当に現実感覚が崩壊してしまった。
● 夢ではよくそういうことあるけどね。目が覚めて、夢だとわかってるのに、しばらくそれが信じられなくて、頭がクラクラすることって。
▲ 確かに目を開けたまま、白昼夢を見ているみたいだった。

▲ とりあえず、本体が「これはお気楽な四重人格になんか任せられない。これは私が書く!」と言い張るのを、なんとか説き伏せて対談でやることにしたんだから。 (注。私の四重人格についてご存じない方は、こちらのページ下の人物紹介をご覧下さい) テーマから言って、これは私たちが書くべきでしょ? 仲良くやろうぜ、兄弟?
● 誰が兄弟だ。
▲ じゃあ、いつものようになれそめから。
● なれそめも何も、パッケージ見ただけで、ビデオ屋の棚から百万ボルトの電光を放ってましたからね。なにしろ、

☆☆美貌の☆☆
☆☆シャム双生児の☆☆
☆☆ロック・ミュージシャン☆☆

の話だっていうんだから。これは手に取らないわけにはいかないじゃない。
▲ 「美貌」ってところと、「ロック・ミュージシャン」というところは、この日記の読者には説明の必要もないだろうけど、なんでシャム双生児なのかは説明しないと。
● そういう、自分にとっては自明のことをいちいち説明しなくちゃならないのが、公開日記のめんどくさいところだなー。
▲ 文句を言わない!
● 私はシャム双生児、に限らず、双子すべて、に限らず、そもそも兄弟というものにオブセッション持ってるのよ。
▲ だからどうして?
● どっから説明していいかわかんないよ。兄弟ってセクシーじゃない。
▲ だからなんで!
● だからー、兄弟というのは「もうひとりの自分」なんだってば。
▲ それじゃますますわからん。
● 親子だって、遺伝子は50%しか共有していない。まして恋人や夫婦は赤の他人。だけど、兄弟はそれが100%なんだよね。
▲ それなら少しはわかる。
● すべての兄弟は切り離されたシャム双生児なんだ。この結びつきの強さって、ある種の妖しさがあって惹かれるじゃない。
▲ 人それぞれだと思うけどねえ。
● べつに姉妹でも、姉弟でも、兄妹でも、いいんだけどね。やっぱり異性で、自分には体験できない世界だからいちばん兄弟に惹かれるな。私がロックバンドにこだわるのも、バンドっていわば疑似兄弟だから。中でも本物の兄弟バンドにはずいぶん入れ込んできた。ちなみに本命はThe Jesus And Mary ChainのReid兄弟だけど、OasisのGhallagher兄弟だって許しちゃうぐらい。
▲ 美貌の双子の兄弟バンドと言えば、Gene Loves Jezebelでしょ?
● そういや、前に本人からメールもらったよね。確かにあの人たちもきれいだったけど。
▲ 話がそれてる!
● 自分がそらしたんじゃないさ。で、なんの話だったっけ?
▲ だからなんでシャム双生児なのかってこと。
● その兄弟の絆ってのは目に見えないものだけど、シャム双生児は目に見えるという意味で、究極の兄弟じゃない。まさに切っても切れない間柄。

『ZOO』 ピーター・グリーナウェイ監督 あらすじ

 動物園に勤務する動物学者のオリヴァーとオズワルドの兄弟は、それぞれの妻を交通事故で失う。妻たちが乗っていた車に白鳥が衝突したのだ。
 事故以来、2人は「進化」と「腐敗」という概念にとり憑かれる。それは彼らの妻たちが、「進化の頂点まで歩んで来て、最後にはなぜ白鳥と衝突して死ななければならなかったのか?」という問いに対する答えを与えてくれるはずだった。
 オリヴァーは動物園の檻を開けて動物を逃がすことに熱中し、オズワルドは生物の死体が腐って行く過程を、低速度撮影フィルムにおさめる作業に熱中する。その対象となる生物は、進化の梯子を一段ずつ上って行く。リンゴ、エビ、魚、ワニ、白鳥、犬、ゼブラ、ゴリラ‥‥そして人間‥‥
 この間、彼らが実は双子であること、しかも切り離されたシャム双生児であることが明らかになる。しかもだんだん髪型も髪の色も着ている服も同じになっていき、最後にはあたかも2人の体がまだつながっているかのように振る舞うようになる。
 そしてラスト、2人はカタツムリが這い回る森に低速度撮影装置を組み立て、毒を注射してカメラの前に横たわる。


グリーナウェイの映画は動く画集、動く詩集である。そのためストーリーはわかりにくいが、どのショットもどのセリフの一行も珠玉の名品である。

▲ 一般の日本人には、シャム双生児と言えば、思い浮かぶのはベトちゃん、ドクちゃん(米軍の枯れ葉剤が原因で産まれたベトナムのシャム双生児)ぐらいだと思うけど。
● 私がいちばんに頭に浮かぶのは、ピーター・グリーナウェイの『ZOO』(A Zed & Two Noughts)ですね。あれはすごかった。私のオールタイム・ベスト・フィルムと言ってもいいよ。映像といい、音楽といい、どこをとってもすばらしいけど、特に脚本が。セリフのひとつひとつが詩だ! ドラマだ! 脚本だけ何度読み返しても、じーんときて考えさせられる。
▲ なるほどね。それと生来のフリーク好きがあいまって、シャム双生児に幻想抱くようになったのか。とにかく、美貌のシャム双生児のロック・ミュージシャンの話と聞いたとき、てっきりイギリス映画にときどきある狂った映画かと思ったよ。

▲ それで見始めたら、やっぱりそんな感じ。異常な風景に異常な人物が登場して、好きだなあと思って見てたんだけど‥‥
● ところがそこで「カット!」という声がして、これはケン・ラッセルが撮っている映画だったことがわかる。
▲ ケン・ラッセルと言えば、その狂ったイギリス映画の大御所じゃないですか。これ、ラッセルの映画だったのか!と変に納得したんだけど。
● すると、いきなりラッセル本人が画面に出てきて、自作の解説を始める。「なんだなんだ?」とこっちはすっかり煙に巻かれてしまう。
▲ 種明かしをすると、最初のシーンはこの映画の主人公であるトムとバリーのハウ兄弟を主人公に、ケン・ラッセルが撮った映画“Two-Way Romeo”の撮影風景だったのだ。
● でもそんな映画撮ってないんだよね。
▲ あたりまえだ。ハウ兄弟が実在しないんだから。
● でも、あのオープニング、ケン・ラッセル映画そのものじゃない! ラッセルの言い分もすごくもっともらしいし。
▲ だから、わざと似せて作ってるんだってば。劇中劇なのね。
● でもあれ、台本読んでるようには見えなかったよ! ラッセルは役者じゃないし、こんなに芝居がうまいはずない。
▲ 知らないよ、そんなの。
● とにかくいきなりこれだし、それが途中でもいきなり入るから、こっちはますます混乱する。双子の肩に人面疽が生えてきたりして、うそー!と思ったら、
▲ それもラッセルの演出だった。実はちゃんと「現実」のメタファーになってるんだけどね。
● あれはクロネンバーグでもおかしくないな。そういや、シャム双生児テーマって、クロネンバーグのテーマでもある!
▲ その話はまたあとで。とりあえず、このメタフィクション性はすばらしいと思った。

● さらに輪をかけて混乱させられるのは、冒頭、ケン・ラッセルに続いて、原作者のブライアン・オールディスが登場して自作を語ること。これも嘘なの?
▲ いや、オールディスが原作ってのは嘘じゃないらしい。
● うそ! オールディスにこんな話あった?
▲ 私は知らなかったがあるらしい。河出文庫から翻訳も出ている。
● えー! 私、もうほんとに何が現実で何がフィクションやらわからなくなってきた。
▲ オールディスについても解説しなきゃだめかな? イギリスのSF作家で、『地球の長い午後』の、というより、今の人には『A.I.』の原作者と言った方がわかるか。彼については『A.I.』のリビュー(2005年9月16日)に書いてます。ただ、あそこにも書いてるように、原作と映画はまったく別物なので誤解しないように。
● でも言われてみれば、この切なくほろ苦い情感はオールディスと言っても不思議はないかも。
▲ だから、ほんとにオールディスなんだってば!
● でもねー、もっと不思議なのは、DVDにおまけとしてついていた未公開シーン。そこでやっぱりオールディスが自作について語るんだけど、インタビューの中で、「主人公のモデルはいないんですか?」と聞かれて、「もちろんこれは私の創作で、モデルになった人物などいない」と答えるの。そうするとインタビュアーが双子のLPを取り出して、「それならこれは?」と。オールディスはそれでもこの話はフィクションだと言い張り、しまいには怒り出してしまう。
▲ さらにメタフィクション構造を強めようという意図だったんだろうが、さすがにやりすぎというのでカットされたんだろうな。
● しかも、このオールディス、4人いるんだよ(笑)。4人のじいさんが交互に出てきて、全部「ブライアン・オールディス」という字幕が付く。それで原作者紹介では4つ子ということになっている!
▲ だから、これはちょっと悪のりで‥‥
● やっぱりオールディス原作ってのも嘘なんでしょ? 本もオールディスが書いたことになってるけど、ほんとはただのノベライゼーションなんでしょ?
▲ 知るかよ。これはやっぱり原作買ってみないと。
● あー、もう私、何がなんだか、頭が‥‥!

▲ また映画が始まってもいないのにここで発狂しないでよ。それで、映画そのものはというと、主人公の双子についてのドキュメンタリーの形式になっている。エディーというカメラマンが双子に密着取材して撮ったドキュメンタリーに、当時の関係者のインタビュー、ライブ映像などを合わせたもので、これは完全にミュージシャンのレトロスペクティブと同じ作り。
● これがもう、イジョーにリアルなんですよ。本当のドキュメンタリーとしか思えない。私が混乱してわけがわからなくなったのも、それが最大の原因。
▲ どこがどうリアルかは、これから追って話していくつもりだけど、とりあえず、思い切った手法だね。
● それの失敗作はいっぱい見てきたけど。『24アワー・パーティー・ピープル』もそんな感じだった。
▲ つまり、ドキュメンタリーの枠組みの中で撮ってるから、映像が残っていないはずの決定的瞬間とか、プライベートな部分とか、登場人物の心の動きとかは見せられないんだよね。観客は限られた断片的映像と、人々の話から憶測するしかない。
● これはうまい!と思った。ドラマを完全否定、何が起こったのかも、証言者によって話が違って藪の中だし、あれこれ推理するのがおもしろい。
▲ まあ、観客にはある程度の知性と想像力を要求するので、リスキーな手法でもあるけど。

● ところで本物の監督は誰なんですか?
▲ キース・フルトンとルイス・ペペという人。
● 誰それ?
▲ テリー・ギリアムの未完の映画『ドン・キホーテを殺した男』のメイキング『ロスト・イン・ラマンチャ』を撮った人たち。この映画については、2007年4月21日の『ローズ・イン・タイドランド』のリビューにちらっと書いたけど。その前には同じコンビで『12モンキーズ』のメイキングも撮ってるし、とりあえず、ギリアムがらみでドキュメンタリー専門の監督ね。
● それでその手法で虚構のドキュメンタリーを作っちゃったと。でもこの2人アメリカ人なんだよね。
▲ 信じられない! だってこれ、骨の髄までイギリス映画だよ。特にあの時代の英国のロックシーンを知ってる人じゃなきゃ、これは絶対に撮れない!
● 監督も偽物?(笑) 実はアラン・パーカーの偽名だったりして。
▲ まさか! とにかく驚いた。同じ時代のイギリスを舞台にしたロック映画としては、『ベルベット・ゴールドマイン』があって、あれはさんざんけなしたのに。(これは90年代の映画なんで、あいにくリビューはありません)
● ジョナサン・リース・メイヤーズとの記念すべき出会いだったんですがね。映画は期待はずれもいいとこだったね。
▲ あれは監督がアメリカ人だからだと思ったんだけどなあ。
● アメリカ人だって、あの時代の英国ロックに思い入れ持ってる人はたくさんいるでしょ? かく言う私だって外国人だし。だいたいテリー・ギリアムだってアメリカ人だけど、スピリットは完全に英国じゃない。
▲ もしそうでなかったら、天才なのかもしれない。

▲ ここらでストーリー。と言っても、あくまで「ドキュメンタリー」だから、ストーリーらしいストーリーはほとんどないんだけど。
● シャム双生児の兄弟、トム(Harry Treadaway)とバリー(Luke Treadaway)は、イギリス東岸のレストレンジ岬(L'Estrange Head)というところに誕生する。
▲ タイトルのHeadというのはこの岬のこと。もちろんもうひとつの意味も含ませてあるけど。
● でもこれ架空の地名だよね? インターネットで検索してみたけど見つからなかった。
▲ どうしてもフィクションかノンフィクションかにこだわるのな。
● だって、名前からして異常じゃない? estrangeって、人の仲を引き裂くとかいう意味でしょ。
▲ その意味ではこの映画のテーマそのものを象徴しているわけだ。
● それにこの風景も。どこまでもどこまでも一面に続くムーア(荒地)の真ん中にぽつんと立っている、崩れ落ちそうなコテージ(田舎屋)なんだけど、渡し船でしか行けないところをみると、陸の孤島のような場所らしい。
▲ これも象徴的だよねえ。でも私、ムーアの風景を見ると心が痛む。荒涼としてわびしいんだけど、なんか胸を締め付けられるようななつかしさがあって。
● 現実的に見れば、奇形の子供を世間の目から隠すためにはうってつけの辺鄙な土地ですけどね。実際、そのためわざわざここに移り住んだらしい。
▲ そこで父親は子供たちを学校にも行かせず、世間と隔絶した状態で育てる。家族は父親と姉のロビー(Elizabeth Rider)。母は兄弟を産んだときに死亡している。
● でも子供時代の2人は幸せそうだよね。
▲ うん。家族だけなら自分たちが人と違ってることも意識しないですむしね。ある意味、これも一種の子宮内で。

● そこへ現れたのが、音楽業界の大物興行師ザック(Howard Attfield)の代理人。ザックはシャム双生児のロックバンドを作って一山当てようと目論む。
▲ 父親は、子供たちが自立するチャンスと考えて、トムとバリーをザックに売り渡す。
● 人身売買みたい。
▲ 現代流のね。実際契約内容を見ると、そんな感じだし。
● でもこのお父さんひどくない? かわいい息子を見せ物として売り渡す契約にサインするなんて。
▲ そう言うけど、親はいつか死ぬし、一生家に閉じこめておくわけにもいかない。それならば、自分で身を立てるチャンスを与えてやる方がいいと思ったんでしょ。実際、近代のシャム双生児の多くがショービジネスに入っているのも同じ理由だと思う。
● ロック・ビジネスは現代のサイドショー(見世物小屋)であると、そういう風刺も入ってる感じ。

▲ そしてザックは2人をオックスフォードシャーにあるマナーハウスに住まわせ、歌やギターを仕込むためにミュージシャンのポール(Bryan Dick)や、マネージャーのニック(Sean Harris)を送り込む。
● ショーン・ハリスは『24アワー・パーティー・ピープル』でイアン・カーティスの役をやった人。
▲ そうだっけ? 印象薄かった映画なんで、覚えてもいないや。そこにやはりザックに送り込まれたアメリカ人カメラマンのエディー(Tom Bower)や、ジャーナリストのローラ(Tania Emery)がいっしょに住むようになって、奇妙な家族を形成する。
● でも本当の家族とは違いすぎる。
▲ そう。ニックなんか差別感情むき出しで、露骨に2人を嫌って、練習いやがると、殴ったり、罰として部屋に閉じこめたりするし。
● ロック版タコ部屋かよ!
▲ トムとバリーが外の世界に出たのはこれが初めてだったんだけど、飛び込んだところは外界でも最も奇形的な音楽業界だったのが彼らの不幸の始まりかも。

● と、ここまでは「ありえねー!」と言いながら、笑って見てたの。身障者を買ってきて、芸を仕込んで売り出そうなんてね。ところが、2人が音楽の練習始めるあたりから、異様にリアルになってくる。
▲ たとえば?
● カメラを向けられたときの態度とか。生まれて初めて脚光を浴びた田舎出身のミュージシャンが、慣れないインタビューに引っ張り出されたときの様子。あれにそっくりなんだよ。突っ張ってるくせにおどおどして、しどろもどろで。
▲ それはトムとバリーを演じたトレッダウェイ兄弟が芸達者なのか、それとも本当にダイコンなのか(笑)。
● そういうあらたまった場面でなくても、ただソファでゴロゴロしているところとか、どうでもいいような話しているところとかまで、現実のバンドのドキュメンタリーそのもので、本当に十代の新人バンドがやりそうなことなんだよ。

▲ そう言えば、こういう話なら真っ先に出るはずの男の子の話が出ませんね。トレッダウェイ兄弟、どう思った?
● 本物の双子ってところがいいね。『ZOO』の主人公は兄弟役者ではあるけれど、双子ではなくてぜんぜん似てないのが気になったし、クロネンバーグの『戦慄の絆』(Dead Ringers)は、ジェレミー・アイアンズが1人2役を演じたのが大いに不満だった。ジェレミーは好きだけど、やっぱり不自然じゃない。2人がからむシーンでは、1人が必ず顔をそむけてるしさ。
▲ いちおう双子の性格の違いを出そうと、ジェレミーは熱演だったんですけどね。
● でもやっぱり不自然! せっかくの双子の神秘性が薄れる! もっともこの双子も一卵性じゃないのか、顔だちはすぐに見分けがつくほど違うのがちょっとなー。トムを演じたハリー(写真左側)のほうが整ったハンサムなのよ。身長もトムの方が高いし。
▲ で、「美貌の兄弟」ってところはどうだったのよ。
● かわいいよ、2人とも。こういうワイルドな顔立ちの男の子好きだし。でもフツー。ジョナサンみたいに、一目見たら忘れられない美貌とは違う。ほんとにどこにでもいそうなイギリス人の男の子で、実際問題としてミュージシャンにはそういう人が多いから、そこもかえってリアル。
▲ わりと淡泊な反応だわね。せっかく期待のシャム双生児なのに。
● だから、役者としてはその程度。でも役柄に関しては大いに感じるものがありましたけどね。

『戦慄の絆』 デイヴィッド・クロネンバーグ監督 あらすじ

 成功を収めた一卵生双生児の婦人科医、エリオットとベヴァリーは固い絆で結ばれていた。
 しかしベヴァリーは恋人の女優クレアに捨てられたと思いこんだことをきっかけに、麻薬に溺れ、次第に正気を失っていく。エリオットは弟をアパートに閉じこめ、彼を救おうとするのだが、ベヴァリーは逃げ出してクレアの元に行ってしまう。
 兄の元に帰ったベヴァリーが見たのは、荒れ果てた部屋と、すっかり正気を失ったエリオットだった。もはや自分たちが相手なしでは生きて行けないことに気づいた2人は、このまま共に堕ちて行くしかないことをさとる。
 すっかり幼児期に退行し、部屋から一歩も出ず、ドラッグと菓子とジャンク・フードだけを糧に、腐敗と混沌が日に日に進行する部屋の中で、次第に狂っていく2人。
 それと同時に彼らは自分たちをシャム双生児と考えるようになり、ベヴァリーは兄の呪縛から逃れるため、泣きながらエリオットの体に「切断手術」を施す。自分で考案した奇怪な手術用具で、兄を生きたまま解剖してしまうのだ。
 エリオットが死んだこともわからないベヴァリーは、兄の死体にすがったまま餓死する。


 ニューヨークで実際に起こった事件を元にしたノンフィクションを原作としているが、実際の兄弟は近親相姦の関係にあったことを、映画ではカットしてしまったために、結果としてまったく別の話になっている。
 これはこれでクロネンバーグ美学の傑作だが、2人が狂う原因が原作とくらべるといかにも弱いのが難点。バリ・ウッド&ジャック・ギースランドの原作(ハヤカワ文庫 絶版)は映画以上に感動的なのでおすすめ。

▲ というところでシャム双生児としてのハウ兄弟の話もしよう。べつにグロではないんだけど、いちおう、そういうのが苦手な読者に配慮して、裸の写真は載せませんでしたから安心してね。
● 二重体児と言ってもいろいろあって、中にはひとりの体の一部にもうひとりが寄生しているようにしか見えないもの(人面疽だな。顔だけじゃなく、手や足が体内から飛び出していることもある)や、完全にもうひとりの体内に埋没しているもの(『ブラックジャック』のピノコだな)もいるけれど、この人たちはほぼ五体満足。手も足もちゃんと2本ずつあるし。だけど、お腹のところで、太い帯状の組織でつながっている。
▲ これ、まんまクロネンバーグじゃない!
● 確かにクロネンバーグが好きそうな‥‥
▲ 好きそうじゃなくて、撮ってるってば! 『戦慄の絆』はシャム双生児じゃないんだけど、双子の幻想の中で、彼らは太い筋肉組織でつながってるの。
● つながってる場所もぴったり同じだしね。
▲ これは元祖シャム双生児チャン&エンがそうだったからじゃない? チャン&エンの話は『戦慄の絆』でも言及されてるし。
● これ写真見つけたので並べて見せたいんだけどダメ?
▲ だめ。やっぱり嫌いな人もいるだろうから、そういうのは話だけにしておこう。
● でも隠すとかえって想像力かき立てられて気持ち悪いもの想像しちゃうかもよ。かえって不健全よ。
▲ どうしても見せたいらしいな。
● 別リンクならいいでしょ?
▲ しょうがないな。まあ、隠さないのがこの映画の趣旨だからいいか。
● じゃ、写真はこっちにアップしておいたからね。そういうのだめな人は見ないでね。
▲ しかしクロネンバーグとは明らかな違いもあって、こっちは結合部もきれいな皮膚で覆われて、本体と変わりないのに、クロネンバーグのは内臓みたいな毒々しい赤黒い色でヌラヌラしてる。
▲ いかにも(笑)。あと、『イグジステンズ』でもそういうシーンあったじゃない。
● 『ブルード』の体外子宮もだ。あのひもってへその緒の一種だし、体外胎児が育ったようなものじゃない。
▲ やっぱりこれはケン・ラッセルの映画じゃないよ! 映画内映画はクロネンバーグに撮らせるべきだった!
● 確かにシャム双生児にはなんらかのオブセッション持ってるみたいね。
▲ 「第三の頭」もクロネンバーグならもっとグログロヌチャヌチャなものになっただろうな。

● 話を戻すと、これも元々は向き合った形でもっとぴったりくっついていたんだけど、「ストレッチして」いくらか離れられるようになったし、前を向くことができるようになったというあたりがまた異常にリアルね。
▲ それ、チャン&エンがそうだったんだよ。血液は両方の体を循環しているし、腎臓は共有しているというところも同じ。
● というわけで、簡単には切り離せないみたいね。
▲ でも今の医学ならできるはず。それで何度も切断手術の話が持ち上がるんだけど、最初は父親が、あとは本人たちが拒否して実現しない。
● その一方で、ひとりになりたいという欲望も持ってるんだけどね。
▲ その辺の感情は実に微妙だね。切り離されることを切望する一方で恐れてもいるから。どっちかが死ぬ危険性も間違いなくあるし。
● 私はそれより、医者が言っていた「体は切り離せても、心はそう簡単に切り離せない」というセリフが印象的だったな。
▲ そこがなんとも微妙なところで、シャム双生児もののおもしろさだよね。2人で1人なのか、それとも別々の人格なのか。
● これだけはっきり独立してれば別人格だと思うけど。
▲ いや、それもちょうど2人と1人の中間なんだよ。だから切り離すには大きな痛みが伴うわけ。それに切り離されたら心は死んでしまわないのかということも。

● でもねえ、そのものズバリの結合部分は見せないか、見せてもちらっとだけだと思ったよ。さすがに観客が引いちゃうだろうから。
▲ 私も最初、それはあまり見たくないなーと思ってたの。ところが大っぴらに見せちゃうんだよね。やたら裸になるし。
● いちばん感動したのは、初めてのギグの場面ね。バンドは初ステージでガチガチに緊張してるし、観客はパブの烏合の衆で、バンドをやじるばかり。
▲ あー、それもよくある話だ! Mary Chainの初ギグの話を思い出す。
● ところがこの人たちはそこでシャツを脱ぎ捨て、観客はやじることも忘れて目が釘付け。
▲ これはすごいよ! 「よくやった!」と叫びたくなったぐらい。ジム・モリスンがステージでマスターベーションしたなんて目じゃないわ。これが本当だったら、ロックの歴史的瞬間と言っていい。
● でも何度も見せられていると、だんだんそれが普通に見えてきちゃうのよね。
▲ そう。ただ「つながってるね」と思うだけで、グロテスクでもなんでもない、ごく普通の人間なんだって。少なくとも『五体不満足』の乙武くん(生まれつき両手両足のない青年。本を出版して有名になった。早稲田大学の学生だった)より違和感がない。
● またそういうヤバい発言を。
▲ 私、早稲田で見かけたんだよね。普通、大学に有名人がいても私なんかまず気が付かないんだけど、さすがにあれだけ目立つ人はすぐにわかった。

▲ で、どうなの? シャム双生児はやっぱりセクシーだった?
● もうたまらんす。ロックバンドの最もセクシーな瞬間は、曲のクライマックスで、ボーカリストがギタリストの肩を抱き、顔を寄せ合って歌うところだと思うんだけど、実際、意識的にそれをやるバンドは多いけど、この人たちは好むと好まざるとに関わらず、いつもその体勢だからね。
▲ それが理由?(笑) 確かにライブシーンはめちゃくちゃセクシーだと思ったが。
● どうせなら例の「疑似フェラチオ」もやってほしかったな。『ベルベット・ゴールドマイン』ではやったのに。ボーカリストがギタリストの前にひざまずいて‥‥
▲ BowieとMick Ronsonのあれね。
● Mansunもやってたよー!
▲ でもグラムじゃない。パンクなのに。
● Mansunだってパンクだったよー。
▲ とにかくライブシーンのかっこよさは『ベルベット・ゴールドマイン』なんかメじゃなかった。
● それに体の構造からして、いつでもお互いの体に腕をまわして抱き合う形なんだけど、この距離感って、恋人同士でなきゃありえないものだよね。でも恋人だって始終そうしているわけじゃない。なのに、この人たちは寝るときもこのまんま、お風呂にはいるときもこのまんま。
▲ あんたはそうやって喜んでるけどさ、本人たちにしてみれば、こんなしんどいことはないと思うよ。
● そんなのわかってるって。それにもちろん、それが彼らの破滅の原因でもある。だけど、そうやっていつでも抱き合った姿が、セクシーっていうより、小さい子供みたいですごくかわいいの。ベッドに寝ころがってて、バリーがトムに意味もなくちょっかい出すのを、トムがうるさがっていやがるところなんか、子猫がじゃれ合ってるみたいでかわいかったし。

▲ カメラが覗き見みたいに、お風呂に入ってるところや寝ているところを映す場面があるでしょ。
● お風呂なんて鍵穴からだよ! 実に古典的。寝てるところは寝室に忍び込んで懐中電灯で撮ってるし。
▲ あれ、隠し撮りめいた撮り方のせいもあって、すごいエロティックなんだけど、見てるとなんか悪いことしているような気になっちゃうのよね。こんなところまで映されてかわいそうに、って。普通、映画の入浴シーン見て、罪悪感かんじたりしないじゃない。この人たちはお金もらってカメラの前で裸になってるだけだと思うから。
● その言い方もあんまりだと思うが(笑)。それだけ「ドキュメンタリー」としてリアルにできてるということじゃん。
▲ そのリアルさがときどきこわいほどなんだ。
● いいなあ、寝顔。美少年の寝顔ほど見ていて楽しいものはない。くしゃくしゃの髪をして、頭をくっつけ合って無心に眠っている様子が、また小さい子供か仔犬みたいでかわいいの。大人の兄弟なら普通ありえない光景だから。
▲ 罪悪感なんかなんも感じてないな、こいつは。だいたい、美少年? 普通じゃなかったの?
● えー、やっぱりきれいよー。特にハリーは。あー、アイルランド人もいいけど、この辺のイングランド人(エクセター生まれ)はやっぱり捨てがたいなー。
▲ 私はバリーを演じたルークの方が個性的でロック・ミュージシャンっぽくていいと思ったけどね。
● ルークもかわいいよ。だけど、後半、ソリ入れた髪型があんまりで‥‥
▲ バリカンでこめかみをジョリジョリ剃っちゃうんだよね。あの当時(70年代半ば)にはありがちな髪型だが。
● でも、出てきたときは2人とも、上の写真みたいにいかにも田舎の子供たちって感じだったのが、だんだんロック・ミュージシャンの顔になっていくからおもしろいね。
▲ それは髪型とメイクでなんとでもなるから。ルックスで音楽の種類がわかった、わかりやすい時代だったから。
● あと、ボーカルのバリーはいかにもボーカル顔で、ギターのトムはギタリスト顔なのもおもしろい。
▲ あれ、ほんと不思議よね。現実のどのバンドでも逆ってことはまずない。写真見ただけでパートがわかる。
● マネージャーのニックは最初2人にギターを持たせようとしたんだけど、バリーは練習をめんどくさがって、「なら、おまえ歌えよ」となった。
▲ これまた現実のバンドでも、そんなもんだしな。

▲ というところで、そろそろ音楽の話もしようか。なんといっても「ロック映画」なんだから。
● 私はとにかく美貌の双子を見るだけが目的で、実は音楽にはなーんにも期待してなかったの。
▲ このところ見た、イギリスのロック映画がハズレ続きだったせいもあるな。
● ところが、オープニングに流れる曲(Doola & Dawla)を聴いて、「あ、これあとで、誰のなんという曲かチェックしなきゃ」と。
▲ なんかどっかで聴いたことがあるような気がしたから、てっきり私の知ってるバンドの曲だと思ったんだよね。歌詞もいいし。
● ところが、これがトムとバリーのバンド「The Bang Bang」の曲だったのだ。
▲ うそー、いいじゃん!
● ただ、バンド名がね(笑)。
▲ それぐらい大目に見てやれよ。あれは双子じゃなくて、プロモーターのオヤジの付けた名前だから。
● 私はこの曲がいちばん好きだけど、それ以外の曲もみんなそれなりにいいんだよ。こういう映画で、架空のバンドの持ち歌がいいなんて、思ってもみなかったから驚いた。
▲ それで誰が書いて誰が演奏してるのか知りたくて、エンド・クレジットを見たんだよ。そしたら音楽監督はクライブ・ランガー、曲も1曲を除き、彼が書いてる。
● 誰それ?
▲ 元Deaf Schoolのギタリストで、レコード・プロデューサー。Madnessの“One Step Beyond”とか、Costelloの“Punch the Clock”とかをプロデュースした大物だよ。
● へー。
▲ 最近じゃ、The Hollowaysをプロデュースしているというから、どんなのか聴いてみたくなって聴いたら、The Bang Bangのほうがぜんぜんいいじゃん(笑)。
● 架空のバンドに負けるなよ(笑)。
▲ 曲もデビュー曲の“Two-Way Romeo”はグラムなんだよね。要するにアイドルとして売り出そうという魂胆で、曲はザックの指令でポールが書いたものだし、バンド名がリフレインに入ったりする典型的なポップソング。
● それでもかっこいいと思ったけどね。
▲ ところが、双子がミュージシャンとしての自意識に目覚めて自分で曲を書くようになると、いきなりパンクになる。
● 70年代の時代の流れを忠実になぞっている。ここら辺も、どうしてもこれがフィクションとは信じられない理由のひとつ。
▲ というよりむしろ、彼らの置かれた立場を考えたら、パンク以外にはなりえなかったんじゃないか? しかし、最近パンクもどきの新人バンドは多いけど、どれもこれほどかっこよくないじゃん!
● クライブ・ランガーなんてもう相当な年でしょ? おっさん、負けてないなー。
▲ あと、ハリーも1曲だけ作曲してるんだよ。
● えー、かわいくて芝居ができるうえに、曲も書けるの? えらい!
▲ クライブの曲には及ばないけど、がんばったね。それで作曲者がわかったら、誰が演奏しているのか気になるところだけど、驚いたことに、役者陣(トレッダウェイ兄弟とベーシスト役のブライアン・ディック)が本当に演奏しているのだ。
● えらい! それじゃあの「練習」は演技じゃなかったのか! ほんとに監督に殴られながら仕込まれたのか?
▲ それはないと思うが(笑)。
● でも、そしたら少なくともThe Bang Bangは架空のバンドじゃなかったんじゃない。本気で活動すればいいのに。私、買うよ! ていうか、マジでギグが見たい!
▲ つながってなくても?(笑)
● とりあえず、これだけ美少年だったら中身はなんでも買うけど、これ、本気でいいし。おっと、曲はタイトルのリンクの、Enter→Musicのページの左上のリンクをクリックで聴けます。断片的な短いクリップだけど、かっこいいライブシーンも見れるよ。
▲ あと、私が気になったのは、DVDエクストラに入ってた未公開映像で、Pete Shelley(Buzzcocks。うっかり「元」と書きそうになったが、再結成して現役なんだそうだ。ただし、引退したHaward Devotoは抜き)や、Suggs(元Madness)がスタジオで録音するシーンがあるんだけど。
● これはクライブ・ランガーの人脈でしょ。さすがに素人さんだけでは無理があるので、録音には彼らも参加したんじゃない?
▲ へー、老兵は死なず、だな。
● BuzzcocksはMansunとのご縁もあるし、Peteも参加してるなんていいなあー。美少年とオヤジって、意外といける組み合わせかも。
▲ ルーク(バリー)の歌は確かに荒削りだけどね、でも、新人バンドでなきゃ出せない破れかぶれの一生懸命さがよく出ていて、それも好感を持った。
● だいたい、イギリスの新人バンドなんてみんな素人だし、この人たちとそうは変わらないよ。
▲ とにかく久々にパンク魂をかき立てられたな。パンクにこれだけ感動したのは、The Libertines以来かも。

▲ でもこの人たちが成功したのはわかるような気がする。いつも「歌うべきものを持っているかどうか」がかんじんだと言ってるけど、バリーには歌わずにはいられないものがあるもの。
● だって、それはお芝居でしょ?
▲ あ、そうか。
● あなたも現実と虚構がわからなくなってる!
▲ とにかくこの流れは自然すぎるほど自然で、これもバンドを知り尽くした人が書いた脚本としか思えない。

●『 あと、うまいなあと思ったのは、いわゆる「スタジオ・レコーディング」は出てこないんだよね。家(既述のマナーハウス)でのセッションや、デモ・レコーディング、それとライブだけで。
▲ つまり、バンドの素顔がいちばん出る部分だよね。
● スタジオ録音よりライブの方がいいっていうのは当たり前だけど、デモのほうがいいと思わせることもよくあるからね。
▲ なんの飾り気もない、音質も悪いデモで、いいと思わせるってことは、曲そのもの、演奏そのものにすごい力がある証拠なんだけど、まさかこれがねー。
● ライブもまるでテレコで録ったみたいな荒れた音だけど、これが死ぬほどかっこいいんだわ。
▲ しかも音だけじゃないんだよ。ステディカムが駆け回るビジュアル部分も含めて、本当のライブを見ているみたい。いや、自分があのギグ会場にいるみたいだった。カメラも秀逸。
● うん。映画の中のライブはいっぱい見てきたし、いつも役者の物まねがうまいのに感心してるけど、これはもう芝居を超えてたね。
▲ だって本当にこの人たちが演奏していたわけだし、やってる方も本当のギグの本当のミュージシャンとまったく同じように感じてたはずだと思う。そうでなくちゃこんなに迫力があって、こんなに臨場感のあるライブ画面が撮れるはずがない。極端な話、私は好きなバンドのライブビデオを見るより感激したよ。これが演技だとしたら、それこそ神が降りたような名演技だ。
● この監督に、本物のライブ映画撮ってもらいたいな。

● というわけで、兄弟の美しさと音楽のすばらしさにはうっとりしながら見ていたんだけど、その一方で、やがて来るべき結末を思ってドキドキしていたのだ。
▲ というのも、双子がすでに死んでいることは、「インタビュー」部分の言葉の端々から察しがついたから。悲劇になることは間違いなかった。
● それでも私は、「これは泣けるぞー」と、むしろ楽しみにしていたのに‥‥
▲ ところが、その謎は最後まで明らかにされないままに終わる。
● 想像はつくけどね。ここでいきなりラスト行っちゃいます?
▲ いや、その前に彼らが抱えていた問題について検討しなくちゃ。

● 問題ったらシャム双生児であることに決まってるじゃない。
▲ まあ、待て。この2人は体はひとつでも性格は正反対で‥‥
● その言い方は生物学的に間違ってるよ。
▲ なんで?
● 兄弟で性格が違うのは生物学的必然なのだ。動物の子供というのは、ありとあらゆる危険にさらされているわけじゃない。それで、場合によっては臆病で慎重な子のほうが生きのびる確率が高いケースもあれば、勇敢で大胆な子のほうが生きのびられる場合もある。だから兄弟全員同じ性格にするよりは、なるべくバラエティがあったほうが、遺伝子を残す確率が高くなるわけ。これは人間にも当てはまると思う。うちもそうだけど、兄弟姉妹で性格もそっくりなんてのは見たことがないもん。
▲ なるほどね。それはわかったけど、とりあえず、トムは素直で優しい良い子、バリーはかんしゃく持ちで気まぐれで反抗的な悪い子、と見えるんだけど‥‥
● 実際は性格的に弱いのはバリーの方なのだ。彼が攻撃的になるのは自己防衛のためなんだね。彼は心臓に欠陥を抱えていて体も弱いし。
▲ したがって、見かけとは逆にストレス抱えているのはトムの方なのだ。バリーはかんしゃくを起こしたり、暴れたり、ギグで吠えまくったりして発散できるけど‥‥
● それができないバリーはストレスがたまる一方。
▲ しかも2人の関係において、トムはいつも我慢する側なのだ。
● 普通の人と違って、右へ行くか左へ行くかというだけでも、2人の合意が必要なわけだからね。
▲ ケンカも絶えなかったみたいだし。
● これも悲惨だよねえ。普通どんなに大げんかしても、しばらく離れていれば怒りも冷めるし、いやなら二度と会わないことだってできるけど、この人たちは相手に縛り付けられていて逃げ場もないんだから。
▲ だから「トムは歩く爆弾のようなものだ」という言い方もされていたけど‥‥

● ここで登場するのが、ジャーナリストのローラ。バンド解散や悲劇の影には女ありというのは、いつも言われることだけど。
▲ ジョンとヨーコ、カート・コベインとコートニー・ラブ、みたいにね。The Clash解散のときも、ミックのアメリカ人の彼女が原因のひとつだみたいに言われてた。
● とにかくローラはトムと恋に落ちてしまう。
▲ ところで誰もが気になるシャム双生児のセックス・ライフ。ここでもやっぱり訊かれてる。ローラは言葉を濁してはっきりとは語らなかったけど。
● でも想像するのは容易だよ。3Pにならざるを得ないでしょ。健常者でも好きでやってる人がいるんだから、それほど異常なことじゃない。
▲ でもそれが耐えられない人もいるってわけで。

● セックスと言えば、これも双子というと付きもののような気がする同性愛。でも、ゲイ関係を暗示するような部分はなかったな。ふざけてキスしたりはするけど。
▲ 双子に付きもの? ほんとに?
● だって、『戦慄の絆』は兄弟ホモの話だったじゃない。映画ではなぜかその部分はすべてカットされていたけど。
▲ それだけじゃん! よっぽどあの映画(とその原作)が印象的だったんだな。
● いや、双子は同性愛的だよ。兄弟愛というのは、突き詰めれば自己愛だからして。
▲ ハウ兄弟の場合、それはないね。
● 断言するね。
▲ アンチ・ゲイに決まっている。偏屈な田舎者だから。
● なんか差別発言でない?
▲ そういうもんなんだって。だからそういう憶測をされると、2人とも烈火のごとく怒るの。
● 図星だから怒ったという可能性は?
▲ ないない。どうしてもホモにしたいのな。
● いや、私は愛さえあればなんでもいいんだけど。かわいそうに。ホモならいつもいっしょにいても、そんなにつらくなかったのにね。
▲ そんなことないと思うよ。

▲ とにかくそんなある日、ローラの元へ医者からの手紙が届く。それはシャム双生児の切り離し手術の相談への解答だった。
● でもローラはそんな手紙は書いていない、自分ははめられたんだと言うんだよね。
▲ これは本当に藪の中で真相はわからないんだけど、ローラは医者に手紙を書いたのはバリーで、自分を追い出すための策略だと主張する。
● 私はやっぱりバリーだと思うな。彼はトムに選ばせたかったんだよ。手術を拒否して自分を取るか、手術に同意してローラを取るかの。
▲ つまりローラに嫉妬してたということ?
● だって、ずっと2人だけの世界で生きてきた双子の間に割り込んできた異物だもん。『戦慄の絆』でも、双子の破滅のきっかけは女だった。
▲ でも素直に考えて、トムと2人だけになりたいローラが書いたとも考えられるじゃない。
● それはないね。もちろん彼女にできなかったとは言わない。恋する女ならなんだってできるけど、彼女は頭もいいし(双子よりも年上で教養もある)、やるとしたらもっと巧妙やるでしょう。こんな不器用で見え透いたやり方はしない。
▲ とにかくその手紙のことを知ったトムは非常に動揺して、結果としてローラは去っていく。
● なんで出て行ったのかについては、「トムが弁護もしてくれなかったし、止めてもくれなかったから」と言ってる。
▲ その一方で、「トムは手紙を書いたのは誰かを知っていた」という発言もあったよ。
● それはつまりバリーだと感づいていたということでしょう。以下は私の勝手な推測だけど、ここで彼は重大なジレンマに直面する。バリーがそんなことまでするということは、彼が相当追いつめられているということでしょう。手術がうまく行って、ローラと一緒になれば、トムは幸せになれるけど、バリーは破滅する。それを思ってトムはローラをあきらめたんだと思うな。ローラは彼なしでも生きていけるから。
▲ 美しい兄弟愛‥‥
● でもこれでまたトムは大きなフラストレーションを、バリーは新たな負い目を抱え込むことになる。

▲ それでついにそれが爆発するときが来る。と言っても、ここでもまた何が起こったのかはわからないんだけど。
● お偉方を招いての、バンドのショーケース・ギグでのことなんだよね。曲のクライマックスで、双子は観客席に飛び込むんだけど、その混乱の中で何かが起こる。
▲ いちおうビデオを見る限りでは、トムがバリーをギターで殴ったみたいに見えたけどな。でもそんなのいつものケンカの延長じゃない? 現実のバンドでもよくあることだし(笑)。
● とにかくなんだかわからないけど、これを契機に双子はすっかり精神に混乱をきたしてしまって、結局は実家に送り返される。
▲ でも、バリーはまったく無反応なゾンビみたいになってしまうし、トムは泣いたりわめいたりして錯乱状態。
● そしてある日、荒野の真ん中で双子の死体が発見される。
▲ 見ている方はフラストレーションが増すことに、ここでもまたなんで死んだのかは明らかにされてないんだよ。
● いちおう証言としてあるのは、「バリーが先に死んだ。トムはバリーから自分を切り離そうとした」というだけなんだけど。
▲ 普通に考えれば自殺だよね。
● どっちが?
▲ バリーが自殺して、そのあとトムは生きのびようとして彼を切り離そうとしたんじゃない?
● 私はトムがバリーを殺したんだと思うな。でも結局、彼とは離れられなくて、いっしょに死んでしまったんじゃないかと。
▲ わからん!
● 私はここで大泣きすると思ったんだよね。でも涙は出なかった。その代わり、胸が締め付けられるように痛くて苦しくて。かわいそうなんてもんじゃなく、本当に愛した人が死んだと聞かされたときのようだった。
▲ 見た翌日になってもまだ胸が痛かったね。
● 感動したというのとも違うの。普通に映画に感動する感じとはまったく違って、もっと生なだけに耐え難いほどのつらさ。私も長年映画見ているけど、こんな体験初めて。だから映画とは思えないわけで。
▲ でも、いちばんかんじんな部分をぼかしたままにしたのはどうしてなんだろうなあ。ちゃんと撮れば、それこそ胸を引き裂かれるようなシーンになっただろうに。
● だって、ドキュメンタリーなんだから。そんなところに都合良くカメラが居合わせるはずないでしょ。
▲ だったらせめてセリフで説明してよ!

▲ というわけで、あわてて原作買ってきました。ネットでは100円で売ってるけど、そんなの待っていられないので、近所の本屋で。
● どうだった?
▲ 違う! 映画とぜんぜん話が違う! 映画は切ないけどあんなに感動的な話だったのに、これはあまりオールディスらしくない、いやーな感じの話になってるんだよ。
● えー?
▲ だいたいが、ケン・ラッセルの映画に出てきた三番目の兄弟ね。
● バリーの肩から赤ん坊の頭のようなものが生えてるやつ?
▲ 原作じゃあれが実在するんだよ。つまりケン・ラッセル版のほうが原作に忠実なわけ。
● えー!
▲ 原作じゃ最後どうなってるかというと、バリーは心臓発作で死んじゃうの。でも彼が死ぬとトムも死んでしまうので、人工心臓を入れて、植物人間として生かされている。
● それだけ聞いてもいやな話だ。
▲ ところが、バリーが死ぬと、意識はなく、一生そのままだろうと思われていた3番目の頭が目を覚ますんだよ。しかもそいつはトムとバリーを恨んでいて、トムを殺そうとするの。
● それじゃB級ホラーじゃん!
▲ そう。それでトムはそいつに体を乗っ取られて殺されてしまうの。
● ひどい!

▲ しかしこれ、原作通りに映画化しないでよかったよ。これじゃ誰が撮ってもグロ・ホラーにしかならない。映画の株がまた上がったな。原作よりよくできた映画なんて久しぶりに見た。
● あー、でもそう言えば‥‥映画の医者の話の中で、バリーの脳に腫瘍のようなものがある、それは未発達の胎児かもしれないという話があったじゃない。バリーが暴力的なのも、気味の悪い夢を見るのもその腫瘍のせいじゃないかとほのめかされていた。
▲ なるほど、人面疽ではあんまりなので、そういうふうに翻案したんだな。そこが原作のあるつらさだね。まるまるカットしたら、原作者の同意が得られないだろうし、腫瘍の話と、ケン・ラッセルの映画を見せることで、それとなく暗示するだけにとどめた。これは見識だよ。
● てことは、脳内の分身にそそのかされたバリーがトムを殺したのか?
▲ だって、それじゃバリーが先に死んだというのと矛盾している。原作のことは忘れた方がいいよ。結果としてまったく別物なんだから。ラストをはっきりさせないで、観客の想像力に任せたのもそのせいでしょうね。
● あー、こんなの読まなきゃよかった。せっかくのトムとバリーの思い出が汚される!

▲ 原作でかなりの紙数を割いている夢の話は?
● 映画でも出てくるんだけどね。なんだかよくわからないよね。
▲ 原作の夢はすべて3人目の脅威を示しているんだけど、映画ではそれがないからね。

▲ でも、映画もある意味、ひどい話じゃない?
● なぜ?
▲ だって、結局、兄弟間の憎悪で終わるわけでしょ? 『戦慄の絆』も、『ZOO』も、「切り離されたシャム双生児」の話だったけど、
● 『戦慄の絆』は象徴的な意味で、『ZOO』はそのものズバリのね。
▲ その2人がなんとかまたいっしょになろうとして、結局は2人とも死んでしまうという話だった。
● それだけじゃないけどね。
▲ でも少なくとも兄弟の間には愛があった。それこそお互いを滅ぼさずにはいられないほどの愛。だからどっちもグロテスクな悲劇ではあるけど、すなおに感動できたのに。
● 残ったのは憎悪だけ、なのかな? 原作は確かにそうだけど、映画はそこをあえてぼかしてあったような気がする。
▲ 少なくとも、ラストシーンの2人は幸せそうなので良かった。
● 「生前」の2人の姿なんだけど、カメラがすーっと動いて、トムの横顔とバリーの正面顔がぴたりと重なってひとつの顔になったところ(↑上の写真)でフリーズするの。2人は1つってところで終わるんだよね。
▲ これも『戦慄の絆』のプロモフォトにそっくり!

▲ それに原作にはない、優しさや愛情表現もあって、それがすごく印象的だった。
● どういう状況かわからないんだけど、トムが優しくバリーの髪をなでたり、頬に手を当てたりしてるんだよね。それで最後はしっかり抱き合って、「見るなよ!」という感じにカメラの前でバタンとドアを閉めてしまう。
▲ トムがバリーを慰めてるように見えたな。もちろんそれはいつでもトムの役割なんだけど。
● そういうシーンがあったから、後味があまり悪くない。

▲ あと、言い残したことはと。
● 兄弟以外の役者の話してない。
▲ そうそう。さすがイギリス映画。脇役陣が渋いよね。
● 特に双子のお姉さんを演じたエリザベス・ライダーがすばらしいのよ。ごく普通の田舎の女性が、たまたま弟たちがアレで、スターになんかなっちゃった人の困惑と苦悩を見事に演じている。
▲ たまらないよねー。彼女にしてみれば、弟たちはいまだにかわいいベイビー・ブラザーズなのに、連れ去られてあんな廃人同様になって送り返されてきて。そのときの彼女の心痛を思うと、胸が痛む。
● おまけに死んじゃうし。
▲ The Bang Bangのレコード(“Doola & Dawla”の静かな部分)を聞かされて、涙ぐむところの演技が最高! どうしてこういう人に助演女優賞をあげない?
● あまりに地味な役だし、出番も少ないからしょうがないよ。でもあの演技は印象深かった。
▲ 抑えた演技がいいよねー。あんな悲しい思いをしたのに、泣きわめくでもなく、誰を恨むでもなく。
● ひたすら耐えるタイプの女性ですから。
▲ 結婚もしてないし、妻に死なれたあとは世捨て人のようになってしまった父親と、身障者の弟たちの世話をするために、一生を捧げたんだなー。
● でも原作はもっとひどいよ。弟たちの身に起こったことのせいで、彼女は親類からもつまはじき、村八分にされてしまうの。
▲ ひどすぎる! なんかこの小説、悪意こもってない?

▲ 一方、原作を読んでわかったのはお父さんの職業。映画でも海辺に群れるアジサシの群れが映っていたけど、彼は岬の野鳥の保護官をしているのだ。
● 世捨て人にはふさわしい職業ね。私もなりたい。
▲ そう?
● 理想の暮らしじゃない。人里離れた荒野で、誰ともつき合わず、動物だけを相手にして、家では美貌の双子を飼うの。
▲ それが無理だっつーの!
● このお父さんも、何か深い業を抱えてそうなんだけど。
▲ その業の名前はトムとバリーに決まってるじゃない。妻を死に至らしめたという点で息子を責める一方で、息子たちがあんな体に産まれてきたことで自分を責めるという。

▲ とにかく、イギリス映画の常として、じいさんとおばさんがみんな涙が出るほどいいな。
● おまけに美少年付きのキャスティングもパーフェクトだったわね。
▲ 双子をめぐる関係者は、老若2人ずつキャスティングされている(70年代のシーンに出る若い人と、現代のインタビューに答える年取った人と)ので、ダブルで楽しめるし。
● 絶対、年取ったほうがいいよ。しかもその2人がよく似ていて、交互に出てきても違和感がないのよね。
▲ じゃあ、まずは若いローラから。タニア・エメリーどうだった?
● 初めて見る顔だけど、かわいいんじゃない? 知的な感じもいいし。
▲ これも原作読んで知ったんだけど、双子はまだ10代、それに対してローラは30代半ばの成熟した女性だったのね。
● ステキ! 愛に年は関係ないわ。
▲ トムにしてみれば、姉以外では初めて見る女性だから、他に選択肢なかったような気もするけど。
● そんなことないでしょ? その前にガールフレンドもいたみたいだし、ニックがあてがったグルーピーもいたみたいだし。
▲ ふむ。それでも年上の女性を選んだということは、やはり姉代わりを求めていたのでは?
● いいわー。自分が姉なので、よけい興奮する。
▲ 年取ったローラ(ダイアナ・ケント)は?
● 元がかわいいから、年取ってもかわいいね。
▲ 別人だってのに! 

▲ それじゃ、マネージャーのニック。
● ショーン・ハリスは見るからにずるそうで、こすっからい顔つきがいやだけど、実際そういう役柄だからこれでいい。
▲ 彼は現代編でもメイクだけで演じているけど、これもいかにも年食った業界人という感じで笑えた。
● 原作によると、フットボーラー崩れの業界の寄生虫なのね。
▲ ひどい言い方。
● だってひどい奴じゃん。映画でも反抗するバリーを殴ることが示唆されていたけど、原作じゃもっとひどいよ。バリーが手に負えなくなると、スタンガンで気絶させちゃうの。
▲ ひでー! それじゃ身障者虐待じゃないか。猛獣じゃないんだから!
● アメとムチでしつけたんだよね。言うこと聞かなければスタンガン、おとなしくすれば女とドラッグ。
▲ 完全に動物扱いな。
● だってニックは最初から、兄弟のことはフリークとしか見てなくて、フリークの世話を押しつけられたことをいやがってたもん。双子がどうしてもっとこいつを憎まないのか不思議なぐらい。
▲ でも彼も双子を憎んでるわけじゃないよ。自分でもあくまで下働きと言ってるけど、ザックに命じられた仕事をこなしてるだけで。だからほんとに悪いのはザック(ハワード・アトフィールド)なわけで。

● こいつはなかなか愛嬌のあるジジイで、なんか憎めない。普通なら極悪人の役柄なのに。
▲ それは原作にも、あくまで商売人なだけで、悪人ではないと書いてあった。
● むしろ双子は彼に敬意を表してるよね。
▲ ザックはヒルトン姉妹(20世紀初頭のシャム双生児のエンターテイナー)のファンらしく、彼女らの持ち歌の楽譜を双子にプレゼントする。
● 普通なら「ふざけんな!」と怒ると思うけどね。というのも、バカみたいに甘ったるいラブソングだから。
▲ ところが、最初は「これをどうしろって言うんだ?」とか言ってたのに、ザックが見に来たギグで、The Bang Bangはその曲を演奏する。ただしパンク・バージョンで(笑)。
● シド・ヴィシャスの『マイ・ウェイ』へのオマージュだね。
▲ それを聴いて喜んでるザックは憎めない奴だと思ったね。

● ところで、「大人が何もわからないガキを食い物にしている」という、ロック業界の搾取構造批判どう思った?
▲ これまであんまり考えたことなかったよね。確かにロックはイギリスじゃビッグ・ビジネスになってて、金が動くところには当然そういう奴らが集まってくるとは思うけど。
● でもインディーには当てはまらないんじゃない? あれは経営側も素人のガキのことが多いから。
▲ それはほんとに初期インディーの場合でしょ? 今はメジャーと変わらんような気がする。
● マネジメントが原因で、バンドがつぶれることもよくあるし。
▲ マルコム・マクラレン? なんか悪徳マネージャーというと、すぐあの人の顔が目に浮かぶ(笑)。
● あの人も顔が小悪党面だってだけで、そんなに悪い人じゃないんだけど。少なくともClashのマネージャーよりはましだった。
▲ 悪かったね! とにかく、食い物にされても、そういうガキどもにとっては、「ドラッグたんまりもらえて、テレビに出れて、外国にも行ける」というだけで天国だから。
● 最近はイギリスでも大学出のバンドが増えたから、それも過去の話じゃないのー。

▲ ポール(ブライアン・ディック)は?
● いわゆる、特に自己主張のない職人タイプのミュージシャン。当然ベーシストだけど、顔もベーシスト顔。要するに気が弱そうで目立たない。
▲ この人はいい人だよね。双子のことも好きだったみたいだし。

● 他に誰がいたっけ? 低予算映画(チャネル4が出資している)にしては、キャストがすごく多くて豪華な感じだったけど。
▲ ジョナサン・プライスをあんなチョイ役(ザックの弁護士)で使うのも贅沢だ。
● あと、医者2人がすごくいいよねー。男性のほう(Jeffrey Wickham)はいかにもプロフェッショナルな専門医という感じで威厳があるし、 女医さん(Barbara Ewing)はすごく優しいの。
▲ 双子のことも単なる患者としてじゃなく、本気で心配してたみたいだしね。
● あんなお医者さんにかかりたーい! 声聞いただけで良くなるような気がする。
▲ この人たちなんて、ほんのちょっと医学的コメントを述べるだけなのに、忘れがたい雰囲気があるからねー。

● やっぱりこの映画に取り憑かれたのは私だけじゃないな。トレッダウェイ兄弟のファンサイト発見! 写真もあるけど、インタビューや雑誌記事が豊富にあるので助かった。
▲ こういう映画こそ、メイキングが見たいし裏話が聞きたいのに、DVDにはそういうの何も付いてなかったんだよね。
● で、わかったのは、この監督2人ってゲイで、長年に渡るカップルなんだって!
▲ やっぱりー? ずっと2人で仕事してるし、そうじゃないかとは思ってたけど。双子をあからさまな近親相姦にしなかったのも、かえってそのせいかもしれない。
● でも、ホモエロティックな雰囲気は隠しようがないでしょう。道理で!
▲ どうもバリーはゲイだと思われてるみたいね。
● そういえば、トムが女の子とキスしているのを見て、あてつけがましく男とキスするシーンがあった。
▲ 監督はあいまいなままにしておきたいらしく、わざと答えをぼかしているけど。「きれいなハタチの若者をくっつければ、ある種の言外の意味が生まれて当然さ」だって。
● やっぱりバリーはゲイよ。それでトムに道ならぬ思いを抱いてるのよ。それならば、バリーがなんであれほど嫉妬して荒れるのかもわかるし、なんでトムがあそこまで追いつめられたのかも理屈が通るじゃない。そうかあ、やっぱりそうだったのか!
▲ 私はゲイとは限らないと思うね。
● なぜ?
▲ だって、私は現実に知ってるもん。バンドやってるやつって、完全なストレートでも平気でキスしたり抱き合ったりするもん。若いころ、彼氏がバンドやってて、みんなで共同生活みたいなことしてたんだけど、とにかく近親相姦的なベタベタした関係なのにあきれたわ。日本人がだよ。人前でキスしたり抱き合ったりなんて、日本人は夫婦や恋人だってやらないじゃない。ひとつのベッドでいっしょに寝るのも平気だったし。
● (ちょっと遠い目)昔の私って幸せだったかもしれない。今考えたら天国だったかも。家中に若い男の子がゴロゴロしてたんだもん。
▲ そうでもないよ。当時は「男同士でイチャイチャして、うっとおしい奴らだ」ぐらいにしか思わなかった(笑)。だから、あの中に入ってきたローラの気持ちもよくわかるのよね。「男の世界なのよ」って言ってたでしょ? 私も男の中で女ひとりだったから、なんとなく疎外されたような、あの感じよくわかる。
● でもなんでなんだろ?
▲ 友達以上、恋人以下ってやつね。最初の話に戻るけど、つまりバンドってのは疑似兄弟なのよ。仲のいい兄弟ならそういう遠慮ないでしょ。その中で私はメンバーでもないし女だから他人だったわけ。
● なるほどねー。でもバリーはやっぱりゲイだと思うよ、私は。
▲ こだわるわね。
● そこで本人の証言。「兄弟とフレンチキスするのはどんな感じだった?」という質問に、ルークは「すごくエロティックだった。すてきだったよ。ハリーはキスがうまいしね。またやりたいね」だって!
▲ 冗談に決まってるじゃん!
● でも、「相手がハリーじゃなくても同じように演じられたと思う?」という質問には、ちょっとためらって、「プロとしてはできると思いたいけど、慣れるまでは時間がかかっただろうね」。あの自然さはやっぱり本当の兄弟ならではね。

▲ そう言えば、映画に出てくるトムとバリーのやりとりの多くは、トレッダウェイ兄弟が自発的に演じたものなんだって。監督や脚本家には思いもつかなかったことをやったりしゃべったりするので、それをそのまま使ってしまったらしい。
● 彼らがいかにも現実にいそうなティーネイジャーに見えたのは、地のままやってるからだったのか。
▲ その意味でやっぱり半分は本当のドキュメンタリーと言ってもいいかもしれない。
● あと気になってたのは、トレッダウェイ兄弟が主役に抜擢された理由ね。当然、大勢の若い役者をオーディションしたんだけど、彼らはその中で唯一の双子だったんだって。ルークとハリーには最初のころに会ったんだけど、「シャム双生児の役だからと言って双子にやらせるのは安易すぎる」というよくわからない考えで、普通の役者の中から似た男の子を選ぶつもりだったらしい。
▲ ある意味、「似ていない」ことがわりと肝要だったからね。
● 映画見て私は「似てない」と書いたけど、やっぱり一卵性双生児だったし、実際はうり二つなんだってよ。スタッフも最初はぜんぜん見分けがつかなかったんだけど、バリーが髪剃ってからは間違えなくなったって。
▲ でもいくらオーディションを続けても、結局はトレッダウェイ兄弟に戻ってしまって、やはり彼らしかいないと。
● だって、これは監督も言ってるけど、「思った通りの年齢で、思った通りのルックスで、芝居ができて音楽もできる双子」に巡り会えるチャンスなんてそうはないよ。

● ところでこの兄弟、11才のときからバンド組んでたんだって。
▲ なんだ、素人じゃなかったのか。まあ、あの国ではめずらしくもないし、素人にいきなりあれは無理だと思うけど。
● いろんなバンドをやったけど、Lizardsunというバンドではアルバムも出してるし、ツアーもやったんだって。
▲ へー。それがなんで演劇の道に?
● わからないけど、やっぱり音楽じゃ食えなかったんじゃないの? 2人ともLAMDA (The London Academy of Music and Dramatic Art  名門だね)の学生で、映画に出たのもまだ在学中のとき。
▲ この人たちいくつなの?
● 撮影中にはたちの誕生日を迎えたっていうから。ちなみにルークのほうが20分お兄さん。
▲ じゃあほんとに若いんだ。見かけは子供っぽいけど、実は20代後半とかいうんじゃないかと思ってた。
● なんでよ!
▲ いろんな意味でうますぎるような気がしたから。
● やっぱり才能あるのよ! ああ、結局惚れてしまいそう!
▲ とっくに取り憑かれてるじゃないか。

● でもこのバンド本当にあったら、絶対受けると思う。70年代じゃなくても、今デビューしても十分行ける。少なくともイギリスでは。
▲ だから本当に演奏してるんだって。
● そうじゃなくて、つながったほうの。
▲ シャム双生児バンド?! それは無理があるような‥‥そもそも、シャム双生児の数が少ないし、そいつらの中で、音楽的才能があって、美形でなんて。
● 惜しいなあ。でもそれこそフィクションだからできることで、映画の醍醐味かも。
▲ そういうもんかねー?

● あとねえあとねえ、映画見た人の反応もおかしいのよ。兄弟が本当のシャム双生児だと思ってしまった人もいれば、単にメイクで似せた赤の他人だと思ってる人もいれば、CGだと思ってる人もいたんだって!
▲ 自分も混乱したくせに。あれ見るとみんな頭が混乱するんだな。
● すごいおかしい話があるんだけど、なんかの映画祭に招かれたとき、ルークは仕事があって、ハリーがひとりで行ったんだけど、そこでひとりの女性が彼を見てすごく驚いて、「まあ、なんてこと! あなた、大丈夫?」って聞くから、ハリーが「映画出演で稼いだお金で手術したんです」と答えたら、「それで、もうひとりは?」って言うから、黙って首を振って見せたら、相手の人はほとんど泣き出しそうになっちゃったんだって。
▲ 悪い子だね! 大人をからかうなよ。しかし、あれ見て、本当のシャム双生児だと思うかあ?
● なんでも信じちゃう素直な人っているからね。でもひとりで歩いてるの見れば、なんかおかしいと思うはずだと思うけど(笑)。
▲ もっとも、私もあれ見た直後、本人に会ったら取り乱したかも。

● あと、トレッダウェイ兄弟の両親がこれ見てどう思うかも気になってたんだけど、プレミアを見たお母さんは後半30分は涙が止まらなくなったし、お父さんは動揺しちゃって2週間も仕事にも行けないほどだったんだって。
▲ へー、なんで?
● そんなの想像すればわかるじゃない。一卵性双生児というのは、言ってみれば体内で引き裂かれたシャム双生児。この子たちがああいう体に産まれてくる可能性も大だったことを思えば、親ならば「もしうちの子もそうだったら‥‥」と考えちゃうじゃない。
▲ 親の代弁までする人(笑)。
● それに初めて彼らを見た赤の他人の私だって、あれだけ取り乱したんだんだから、それよりはるかに感情移入が強い親はもっと動揺して当然よ。

▲ ところで、シャム双生児にはノスタルジアが付き物だって気が付いた?
● どうして?
▲ 『ZOO』も『戦慄の絆』も幼児期に退行していくじゃない。
● これは違うよ。
▲ でも、私は強烈なノスタルジア感じて、それも胸が痛くなった原因。70年代なんて、ほとんど忘れかけていた過去だったのに、いきなりタイムマシンに乗せられてあの時代に連れ戻された感じ。
● 『ベルベット・ゴールドマイン』はそこがぜんぜんだったんだよね。いかにもそれらしい「記号」だけ並べてるんだけど、それが上っ面だけで、いかにも作り物めいてて。「あの時代の匂いがしない」なんてリビューにも書いてた。
▲ それにくらべ、この映画はほとんど閉ざされた室内だけで進行するから、70年代風俗みたいなものはひとつも出さすに、当時の流行歌もひとつも使わずに、それでもちゃんと時代を表現しているのがえらい。
● それはやっぱり音楽のせいでしょう。
▲ そうかなあ。でもこれ見てて、私はほんとにパンクを愛してたんだって実感したよ。最近のパンクは聴きもしないので忘れてたけど。
● じゃあ、『シド&ナンシー』との比較もなりたつかな。上のポスターのロゴなんて、もろPistolsからの頂きだし。
▲ あれもよかったし泣かされたよねー。「死に至る愛憎劇」という意味で、ストーリー的にもつながるものあるし。でも、リアルさから言えば、この2人のほうがもっとリアルで、シドとナンシーは実在の人物なのに、トムとバリーのほうが本当に生きてた人間っていう気がする。

● ノスタルジアと言えば、私はなぜか子供時代を思い出したよ。
▲ それはまたなんで?
● 私はこの通りの記憶なし人間だから、幼児期のころなんて何も覚えていないんだけど、なぜか子供のころの記憶というと、夕暮れの広い道(と見えたのは自分が小さかったからだろうが)を、まだ小さかった弟の手を引いてトコトコ歩いてるところなんだ。
▲ いつも弟と手をつないで歩いていたので、近所では「面倒見のいい優しいお姉ちゃん」と評判だったのよ(笑)。
● 実の弟にはべつになんら執着持ってませんからね。それにかわいいなんて夢にも思ったことなかった。ただ、邪魔でめんどくさくていやな奴!としか思ってなかったんだけど。泣いたりすると絞め殺したくなったし(笑)。でも、誰に言われたわけでもないのに、なぜか姉の義務としてそうしなきゃならないと思ってたんだよね。
▲ ‥‥
● だから、おつかい行くにも、遊びに行くにもいつも弟を連れて行った。それも必ず、連行するみたいにしっかり手を握って。そのとき、何があっても離すまいという感じで、精一杯の力でぎゅっと私の手を握り返してくる小さな手の感触、あれをふと思い出した。
▲ それって映画となんの関係があるんですか?
● わからないかなー。それが血の絆ってものなんだよ。
▲ それなら親子でも同じでしょ?
● 違うんだなー。親は我が子を本当にかわいいと思って愛してるし、責任感も義務感もあるじゃない。(そうじゃない親も少なからずいるが) でも、こっちもわがままいっぱいの幼児で、弟なんて好きでもなんでもなかったのに、何か目に見えないものでこいつと一生つながれてるという、宿命みたいな感じがしたんだよ。双子なら、ましてやシャム双生児なら、この感覚はもっともっと強いんじゃないかな。
▲ ふーん?
● 最近はひとりっ子が多いけど、あの感じを知らないと思うとちょっとかわいそうな気もする。
▲ 「妹萌え」とかもそれが原因かね?
● 知らねーよ、そんなの!

▲ もうとんでもなく長くなってしまったから、そろそろ締めないと。結論としては?
● あまりに身近すぎ、感情移入できすぎる題材だけに、どう考えていいのかわからない。好きなのかどうかさえわからない。でもこれは私の映画だと思った。
▲ 客観的に考えても、この監督はすごいできる。次作にも期待。あと、私がいかに音楽を愛しているかもあらためて実感した。音楽映画じゃなかったらここまで萌えない。
● もちろん、トレッダウェイ兄弟の今後にも超期待!
▲ どうだろうねえ。こういう色物でデビューしちゃうと、あとがむずかしいような気もするが。
● どれどれ、と言って、IMDbで検索かけてみたら、なーんと! この映画のあとのハリーの出演作は『コントロール』じゃないか!
▲ えー! アントン・コービンが撮った、あのJoy Divisionの伝記映画!?
● 最近、レコード屋に行くと、いつも“Love Will Tear Us Apart”がかかってるので、気にはしていたんだけど、まさか!
▲ だって、この映画のショーン・ハリスは、『24アワー・パーティー・ピープル』でイアン・カーティスの役やってるし! また頭が混乱する! ハリーがイアン役なの? (『24アワー・パーティー・ピープル』のリビューは2005年8月12日
● ううん、スティーヴン・モリスの役(笑)。
▲ ちょっと美化しすぎじゃないかい?(笑)
● ハリーなら絶対バーナードにしてほしかった。あのころのバーナードかわいかったし。
▲ イアンは誰よ?
● サム・ライリーという人。『24アワー・パーティー・ピープル』でマーク・E・スミスの役やってたって書いてあるんだけど。
▲ うそ! マークは本人でしょ?
● マークが出てたのは確かなんだけど、今調べたら、彼はパンターというキャラクターを演じてる。どの人だかも覚えてないけど。
▲ どういうこと? マーク・E・スミスが出てる映画で、他の俳優がマーク・E・スミス役をやってたの?
● そういうことみたい。
▲ それが今度はイアン‥‥ああ、まただ! また何が現実で何が芝居なんだかわからなくなってきた!
● また錯乱しないでくださいよ。
▲ だって、あのマークそっくりだったじゃない!
● 確かに。その意味、イアンにはあまり似てないが、そこは見てのお楽しみだね。
▲ バーナードは? これも『24アワー』のキャスティングがひどすぎたから。
● ジェイムズ・アンソニー・ピアソンという人。でも写真見たらかわいくねー! なんかドイツ人みたいな顔つきで。
▲ むしろイアンがドイツ顔だったから、イアン役にすればよかったのに。でもって、またトニー・ウィルソンが出るんでしょ? 『24アワー』ともろにかぶってるじゃない。
● まあ、あれよりひどい映画にはなりようがないし、『24アワー』のイアンの扱いはあんまりだったから、少しでも埋め合わせをしてくれればと。最低限、ハリーを見る楽しみがあるしね。
▲ でもなんかなー。新しすぎるバンドを主人公にするってのはどうもなあ。
● と言ってもデビューからかれこれ30年近くたつんだから。
▲ でもイアンを除けばバリバリの現役じゃない。だいたいあんな奴ら、映画にしてもらうほどの身分かよ!
● アハハ! (実はJoy Division=New Orderは気が狂うほど好きなんですからね) やっぱり「イアン・カーティス物語」になってるんじゃない?
▲ 死ねば誰でも伝説かよ。
● これはリッチー・エドワーズの映画ができるのも時間の問題ですね。
▲ それだけは何があっても勘弁してほしい。
● ほんとに? リッチーを演じるのがジョナサン・リース・マイヤーズでも?
▲ リッチーは役者になんか演じてほしくないし、彼の悲劇を娯楽なんかにしてほしくない。
● これは『アバウト・ア・サン』(カート・コベインの伝記映画)も見なくちゃね。
▲ 見たくない。カートなんて生きてたころから好きでもなかったし(ある種の音楽的才能は認めるけど)、見て楽しい映画のわけないから。

● また話がそれたが、ハリーはその後も出演作が目白押しで、成功の気配なのがうれしい。
▲ ルークは?
● 彼も“Dogging: A Love Story”という映画が待機中。コメディだし、ラブストーリーという副題が付くのがちょっとなんだが、彼が主役だよ。
▲ でもハリーの方が俳優としては売れてるのがわかるね。
● 惜しいなあ。ルークもかわいいのに。というか、双子はセットで使ってほしいのに。
▲ そうそう双子映画ばかりあるかい。
● だってかわいそう。
▲ 何が?
● この2人、わざと同じ服着て、いつもくっついてるようなタイプの双子じゃないと言いながら、結局はハタチ過ぎまで、いっしょにバンドやって、同じ演劇学校に通ってたわけじゃない。それが大人になったとたん離ればなれでかわいそう。
▲ かわいそうかどうかなんてわからないよ、そんなの!
● いっそ、オール双子キャストで映画撮ってほしい。
▲ なんかそういうの、映画の一場面であったような(笑)。
● すごいシュールな映画になって良さそうな気がするけどなあ。だいたい映画なんて必ずダブルを使うんだから。もちろんドッペルゲンガー・テーマでね。
▲ というところで、話は終わりそうにないが、ここで強引におしまい!

2008年3月29日 土曜日

貧乏人のコレクター話

 ドル安貧乏真っ最中のじゅんこです。というか、そもそもこのレートじゃ下ろすに下ろせないので、いくら商品が売れても一文も入ってこないという悪循環。おかげでなけなしの円貯金が見る見る減っていく。
 それで、貧するとかえって散在したくなるといういつもの悪い癖が。「どうせドルなんざ紙切れじゃん!」と見栄を切って、1枚のレコードに2万5千円使ってしまいました(汗)。ああ〜。

 ものはいつものUNKLEです。Time Has Comeのピクチャー盤。UNKLEの限定はみんなレアだけど、特にこれは初期シングルということもあり、まずめったに市場に出ないブツ。当然私も持ってない。でもFuturaのイラストを使ったディスクがすごいきれいで、前からほしいと思っていたのだ。
 それを売りたいと言ってきたイギリス人がいる。なんでもネットでUNKLEを検索したら私のサイトばかりが引っかかるんで、こいつならばと目星を付けたらしい。あー、それは光栄ですけど、UNKLEコレクターの中でも私がいちばん貧乏なんすけど(笑)。でもおそるおそる値段を聞いたら、120ポンドと言うから、これはもう買うしかないと。eBayでは250ポンドまで行ったというけど、嘘じゃないと思う。

 でも、「それならなんでeBayで売らないのか?」という素朴な疑問も浮かぶわけで、なにしろ初めて取引する、素性も何もわからない外国人だから、こちらも慎重なうえにも慎重を期して、あれこれ質問攻めにしたり、海外発送慣れてないというから、あれやこれや指図したり、これで面倒くさがっていい加減な返事をよこすようならお断り、と思ったのだが、親切に返事をくれて、言葉遣いもていねいなので、これはいっちょ賭けてみようと思ったわけです。届くまではドキドキだけどね。

 もちろん、UNKLEならいざとなればこれより高く売れるという目算があるから、これだけ出す気になったんだけど。まあ、私がUNKLEコレクションを売るのは、本当に最後の手段だけど。(その最後がなるべく早くやってこないことを祈る)
 しかし、バンドのコレクター人気というのは、消長が激しく、eBayで数万で取引されていたものが、数年後には数ドルということもあるのに、(だから若いバンドのものにはなかなか手が出せない)、UNKLE人気は衰えないのがすごい。それも世界的スーパースターというわけでもなく、ごく一部の知る人ぞ知るバンドなのに。まあ、これも経験から言って、そういうバンドの方がコレクター度は高いんだけどね。

 あまりにうれしかったから、ピクチャーディスクだし、アンドレに教えようと思ったが、やめた。(私がアンドレと知り合ったのは、UNKLEのピクチャーディスクを売ったのがきっかけ) だって、「持ってる」と言われたらくやしいもん(笑)。仮に持ってないとしたら、「10万円で買う」と言ってくるのも確実で、そうなったら私は抵抗できるかどうか自信がないし(笑)。
 だいたい、私は2万5千でビビってるが、アンドレにとっては日常茶飯事で、あらためて貧富の差というものをしみじみ実感。でも、レコードにこんな大金払えるということは私も本当の貧乏人とは言い難く、上には上が下には下があるってことですね。


The Jesus And Mary Chainのこと

 お話変わって、レコード屋でふとサマソニのチラシを手にとって、おおおー!

 復活The Verveはかなり見たいが、復活Sex Pistolsはわりとどうでもいいが、The Jesus And Mary Chainというのはなんだ? 再結成したのか? 兄弟仲直りしたのか?

 参考までに、『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』のリビューでも「私がいちばん愛した兄弟バンド」と書いたように、Mary Chainは80年代の私の最大のアイドル。はい、アイドルなんです。私の「恋人」だった人たちなんですよー。ちょうど90年代にMansunに狂ったように、音楽以外の部分で(もちろん音楽もすばらしかったけど)、どうにも抵抗できないナニを持ったバンドだったんで。(離せば長い話なので今は省略。ほんとに見れるとなったら、書くと思うけど)
 ところが、兄弟げんかが元で解散したときは泣きました。この兄弟も近親相姦的なベタベタした間柄だったんで、そのぶんけんかも絶えなかったし、泥沼になりがちなのはわかってたんだけどねえ。
 あー、それが今になって、変わり果てた姿(と、勝手に決めてる。ほぼ確実だけど)になったご兄弟と再会するのか。ん? 待てよ? Mary Chainを名乗っているからと言って、兄弟そろってるとは限らない。どっちか片方だけが勝手にMary Chainを名乗ってるんだったらどうしよう? Williamが脱退したあと、最後のコンサートはJimだけでやったんだけど、やっぱり本物のMary Chainじゃなかったし。

 そこであわてて調べたら、2007年の再結成ギグを見た人のブログが見つかった。写真を見ると確かに兄弟そろってる。わーい!と喜んだのもつかの間、「いまいち」、「しょぼーん」ですか。うう‥‥。
 信じられない。というのも、Mary Chainが好きな理由はたくさんあるが、ライブが最高なのが彼らの魅力だったのに。とにかく私は(見逃した初回来日以外)来日公演はすべて見てる。なかなか来日しなかったときはロンドンまで見に行ってしまったぐらい。コンサート見るだけのためにイギリスまで行ったのは、あとにも先にもMary Chainだけなんだよ!
 でも、ここでこの人が書いてる、「自分達自身の中にかつてのような初期衝動を掻き立てることに苦労しているようだった」というのはすごーくわかるんだな。初期衝動だけでやってるようなバンドだったから。「若気のナルシシズムに単純に同化できない正直さ/再結成につきもののノスタルジアに対する居心地の悪さ」というのも、ありありと目に見えるようだ。
 そうなるのはわかりきってるのに、なんで今頃再結成?と思うが、どうやら金のためらしい。だけど、「その割に「お仕事再結成」に徹していない=割り切れていない」というのも、すごーくわかる。この人たちはほんとの音楽バカで、そんな器用なことができる人たちじゃないんだよ。

 うーむ。期待が一気に後退していくが、それでも私は義務としてこれは見なくてはならない。というわけで、今年もサマソニは行くことになりそうです。あー、チケット代がきつい。

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