2007年4月の日記

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2007年4月4日 水曜日

 桜はとっくに散ったのになぜか寒いし、大学の授業開始が近いし、鬱を通り越して意味もなくパニック状態だが、書いてない映画リビューがたまってしまってるので、とりあえずそれを片づける。

A Knight's Tale (2001) Directed by Brian Helgeland (邦題 『ROCK YOU!』)

 なぜか私がポール・ベタニーづいているのを見て、ベタニー・ファンの読者が勧めてくれた映画。『ROCK YOU!』という邦題からして、バンドものだとばかり思っていたが、レンタル屋で手に取ってみると、なぜかケースには騎士の写真が。あーん? これはどういうこっちゃ? 中身入れ間違えてるんじゃないの?

 この疑問は映画が始まってすぐに解ける。なにしろ中世のトーナメント(武芸大会。っていうか、トーナメントという言葉の語源がそもそもこれ)の場面で、Queenの“We Will Rock You”が流れ、観客が曲に合わせて踊り、いっしょに歌い、手拍子を打ち、ウェーブするのだ。あははー、そういうわけでしたか。
 というわけで、実はこれ、中世騎士もの。しかも、原題はチョーサーの『カンタベリー・テイルズ』にひっかけて『騎士の物語』。例によって邦題は詐欺だ! これが『騎士の物語』という邦題だったら、あいかわらず『氷と炎の歌』にハマっていて、中世とか騎士が出てくれば意味もなく興奮するし、英文学が専門の私は、とっくの昔に見ていたのに!
 べつに『氷と炎の歌』がなくても、騎士は特別だ。だって馬に乗ってるからね。馬に乗ってさえいれば、カウボーイでも騎兵隊でもインディアンでもいい私としては、これもマル。前にも書いたように、ブリキ缶着てるみたいな鎧兜だけはかっこわるいと思うが、それ以外はすべてかっこいいし。

 で、中世なのに、音楽がロックなわけ。これまた、ロックも専門である私は二重に興奮すると思うでしょ? だいたい中世音楽って、ピーヒャラいってバカみたいでかっこわるいしね。
 オープニングのQueenは確かに大興奮した。あの「ズンズン、チャッ! ズンズン、チャッ!」という原初のリズムがわけもなく興奮させるし、妙に画面に合ってるし。(リリース当時は「変な曲」と思ったけどね) それで、「すげえ! すげえ!」と騒いで、このノリが最後まで持続したらすごいと思ったのだが、結論を先に言っちゃうと、ここだけでしたな。
 というのも、音楽はすべて70年代ロックなんだよ。たぶん、監督の年のせいだと思うんだけど。私の考えでは70年代ロックというと、ほとんどダサいものの代名詞。それもイギリスはまだいい。60年代はアメリカもイギリスも区別せずに聞いていた私は、70年代のアメリカン・ロックのダサさと野暮ったさにほとほと嫌気がさしたからこそ、ここまでアメリカ音楽嫌いになったと言っても過言じゃないぐらい。私は音楽で商売していて、もしかしてこれを読んでるお客さんにファンがいたら困るから、あえて実名はあげられませんが、「うー、これだけは勘弁してー!」というバンド多数。
 キャストは(主演のヒース・レジャーとヒロインを除いて)ほとんどすべてイギリス人なので、なんとなくイギリス映画を見ているような気がしたが、(舞台になるのはほとんどがフランスだが、以前書いたように、この時代のイギリスとフランスは同じ国みたいなものだったので)、こういうところでお里がバレるね。よって、音楽が流れるたびに苦虫を噛みつぶしていたのだが、それでも映画は楽しんだ。それじゃ、いいところを書こう。

 お話はというと、騎士になりたいという大望を抱いた平民の若者ウィリアム(Heath Ledger)が、仲間たちの助けを借りて、トーナメントで名を上げ、念願かなって騎士に叙せられ、ついでにお姫様のハートを射止める話。とりあえず、ストーリーはチョーサーの『騎士の物語』とはなんの関係もない。まあ、舞台が中世で、騎士っていうことを除けば、ストーリー自体はよくあるサクセス・ストーリーがらみのラブコメで、べつに中世である必要はないようだが、そうでなかったら私はそもそも見る気も起きないので、あえてそれを中世でやったところがまずうまい。
 サクセス・ストーリーも、ガチガチの身分制度に縛られていた封建時代を舞台にしたほうが、よけいドラマチックだし。
 それにトーナメント、の中でも花形競技であるjousting(馬上槍試合)のチャンピオンともなれば、現代で言えば、スポーツのスター選手とか、ロックスターに匹敵するアイドルだから、これも不自然ではない。(これは『氷と炎の歌』の中でもちゃんと描かれていた)

 あと、アナクロニズム(演劇用語で、時代劇に、その時代には存在するはずのないものが出てくることを言う)が基本的に好き。いつもは時代考証に文句を言っている私だが、意図してやるのはいいのだ。セリフや役柄はそのままで、舞台を現代に持ってきたバス・ラーマンの『ロミオとジュリエット』とか、やはりエリザベス朝の演劇なのに、登場人物が全員現代の服装をして、タイプライターをたたいていたりするデレク・ジャーマンの『エドワードII』とか大好きだった。
 ただ、“We Will Rock You”は最高だったのに、全編この調子で行くのかと思ったら、あとは案外まとも。明らかなアナクロニズムは、音楽と、登場人物のしゃべり方と、舞踏会がBowieの“Golden Years”でディスコ大会になっちゃうところと、ヒロインの髪型とドレスぐらいか。勢いで見せてしまうオープニング・シーンと違って、舞踏会はいささかわざとらしさが目立つし、ヒロインのあれはなんとかしてほしいと思ったけど。だって、他のキャラクターはいちおう中世っぽい服装をしているのに、この人だけファッション・ショーから抜け出てきたみたいで、キチガイにしか見えないんだもの(笑)。

 でもけっこう笑った。特にこれもオープニング、主人の騎士が試合を前に頓死して、あわてる3人の従者を描いたあたりは、モンティ・パイソンみたいで大笑いした。この手の調子っぱずれでブラックなユーモアが持続するのを期待したのだが、これもやっぱりちょっと当てはずれで、あとはまともなギャグが多かった。

 それと役者がいい。アメリカ映画でイギリス人役者に出番がまわってくるのは時代物ぐらいだが、こういう映画だとふだんあまり目にしないイギリス人役者がたくさん見られるのがうれしい。文句なくいいのはウィリアムの友人ローランド(Mark Addy)とワット(Alan Tudyk)。特にワットはピントのずれた感じがめちゃくちゃおかしくて、立ってるだけで笑える。
 ヒース・レジャーは私の目には決してハンサムには見えないし、ボンクラっぽいのだが、役柄には合ってる。悪役のアダマー伯爵を演じたルーファス・シーウェルは時代劇出演が多いようだが、確かに時代劇顔で、それなりに風格があってよい。黒太子エドワードを演じたジェイムズ・ピュアフォイもなかなか。
 わりと気に入らなかったのはヒロインのシャニン・ソサモンぐらいで、いかにも高慢で意地悪そうなところがちょっと。だいたいこの人誰なの? 王女かと思ったらそうでもないようだし、なんか偉そうな顔しているわりには身分も定かでないところがあやしい。

 というところで、お目当てのポール・ベタニーだが、彼はなんとチョーサー本人を演じる。チョーサーがこんな軽いやつだったかどうかは知らないが、(少なくともブロンドでも長身でもなかったのは確か)、でもいいのだ。というのも、やたら全裸で歩きまわるシーンが多いから(笑)。
 うそうそ。全裸は置いといて、とりあえず、監督とポールは仲良しみたいで、ポールを念頭に脚本を書いたと言うだけあって、文字通り彼のためにあつらえたようなキャラクターだ。何度も言うように、私は彼の顔は決して好きじゃないのだが、本当にハンサムだし、うまい役者だし、何より個性的なのがいい。
 なんでこの人がそんなに気になるのか見ながら考えていたのだが、彼って顔はまったく似てないが、キャラクター的には昔のマルコム・マクダウェル(『時計じかけのオレンジ』ほか)を思い出させるんだよね。あの目つきが悪くて、ふてぶてしくて、図々しくて、自信過剰で、人をバカにした態度が。それでマルコムの大ファンだった私は、彼を見ているとなんだかドキドキしてうれしくなるのだ。
 これだけハンサムで、スタイル良くて、おまけに性格俳優というのは貴重。かすれた声もセクシー。とにかくポール・ベタニーには今後も期待だ。

 脇ではルーファス・シーウェルのヘラルド(紋章官)を演じたスコット・ハンディがめちゃくちゃ気になった。なんかオカマみたいな顔した人なのだが、ちょっと目が離せない感じの変な顔。こういう個性的な顔した役者は貴重だよ。この人の出ている映画がもっと見たい。
 あと、名前もわからないのだが、“We Will Rock You”のシーンの領主様がすごい好き。
 それに、エキストラもみんないい顔していると思ったが、DVDについてるメイキングを見ていたら、エキストラはみんなロケ地のチェコの人たちで、ホームレスも多かったんだそうだ。うーん、チェコのホームレスは中世顔‥‥なんかわかるような気がする。

 というところで、私の最大の関心事である馬上槍試合だ。馬を使ったスポーツはなんでも好きな私だが、中でもこれは迫力といい、スリルといい、最高でしょう。かんたんに言っちゃうと、試合用の木槍を持った騎士が互いに向かって突進して、相手を馬から突き落とす競技。現代では行われていないのも当然で、なにしろめちゃくちゃ危険で野蛮な、いかにも中世らしいスポーツだからだが、よって、試合シーンは特撮だろうと思っていた。走ってくるところは実写でも、ぶつかり合うところは合成かなんかだろうと。
 ところが映画じゃ本当にやってる! というだけでも、すべてのアラには目をつぶろうという気になった。中でもいちばん迫力があるのは、やはりオープニングで出てくる落馬シーンで、実はこれは撮影中に起きた事故をそのまま使ってしまったと知って、なるほどと思った。槍がモロに当たって、落馬したスタントマンは気絶しちゃったんだって。
 そうじゃなくても、馬を使った撮影はすべて危険だ。撮影中の事故で死んだ役者やスタントマンが多いのを見てもわかる。(ちなみに学校スポーツでいちばん死亡率が高いのも馬術部) 転倒した馬の下敷きになったら、あっという間に内臓破裂だからね。もちろん、スタントマンは上手に落馬する方法に熟練しているし、槍も撮影用に軽いバルサ材で作った特製の槍だが、それでも普通の合戦シーンの撮影よりはるかに危険だったはず。これは役者よりスタントマンに脱帽。ちなみに馬にしてみれば、でっかい槍を持った人間が突進してくるのはものすごくこわいはずなので、馬もえらい。
 撮影方法もいろいろ工夫してあって、よく撮れている。
 ただやっぱりひとこと難癖を付けたくなる。ぶつかった瞬間、槍の先端が折れたように見せるため、先端がすぐにばらけるような仕掛けがしてあって、木っ端に見せかけたパスタが飛び散る仕組みになっているのだが、確かにこれはアイディアだ。でも1回だけならともかく、すべての試合でそれを使うのはやりすぎ。もちろん実際の中世の試合で使った槍がそんなにモロいはずがなく、何度も見せられると、いかにも「撮影用にヤワな槍を使ってます」と宣伝しているようなもので興を殺ぐ。

 あと、馬についてもちょっと不満。いや、馬はすばらしい。悪役のアダマー伯爵が乗る巨大な黒馬も、最後のほうでウィリアムが乗ってる粕毛の馬も、実に力強くて見事なのだが、馬の扱いが軽すぎないか? 馬は騎士にとって命の次に大切なものでしょう? 特にこういう競技では、馬のよしあしが勝敗を決すると言っても過言ではない。なのに、馬についてなんにも触れないのは納得いかない。
 ウィリアムは最初は死んだ主人の鹿毛の馬に乗っていたのだが、新しい馬をどこでどうやって手に入れたのかわからず、いきなり別の馬に乗ってるし、馬には名前すら付いてない。馬に対する愛が感じられないのが、こないだの『ヒダルゴ』との違いだな。

 あと、良かったのはセット。特に試合場のセットは本格的なもので、そういう背景がリアルなだけに、リアルでない部分との落差が変でいい。

 とりあえず、こういう映画なんで、歴史的な間違いに突っ込みを入れるのは野暮というもの。辛辣なIMDbのコメンテイターも、みんな「そこを突っ込んだらダメ」と言ってるので、私もやめておこうと思ったが、悪い癖なので3つだけ言わせてください。
 その1。スクワイア(騎士の従者)というのは騎士見習いの貴族の子弟のことなので、ウィリアムがスクワイアなら平民のはずがない。
 その2。ウィリアムは平民のくせに身分を偽ったとして投獄され、さらし者の刑に処せられるが、トーナメントで連戦連勝のチャンピオンならば、とっくにどこかの王様が騎士にしてくれたはず。
 その3。本当に平民の生まれならば、チャンピオンになんかなれるわけがない。平民はふつう馬にも乗らないし剣も持たない。それに引きかえ、貴族は幼児のころからお抱えの指南役に剣術と乗馬を徹底的に仕込まれるのである。平民が馬上槍試合みたいな過酷な試合に、1か月稽古しただけで出られるばかりか、勝つなんてありえない。
 というのは、『氷と炎の歌』を読んでいて何度も出てきた話なので、つい気になってしまうのよね。そういうディテールがあの小説は本当にリアルだ。あれなんか、完全なフィクションであるばかりか、舞台となっている世界もこの地球じゃないのに(笑)。

 とまあ、不満もないではないが、娯楽映画としては良くできた、誰でも気楽に楽しめる映画でした。

2007年4月5日 木曜日

(この辺はかなり前に見た映画なので、いい加減な記憶で書いてます)

Monster (2003) Directed by Patty Jenkins 『モンスター』

 一時期、「殺人本」がブームになったことがあった。たぶん、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』に便乗したんじゃないかと思うけど、FBIのプロファイリングものとか、殺人犯の実録ものとか、あれだけ大量に出版されて、書店に山積みされていたところを見ると、売れたんだろう。「週刊殺人百科」なんてのも発行されて、「こんなもの誰が読むんだ?」という書評を見かけたが、私も買ってました(笑)。こういう実録犯罪読み物って、イギリスなんかじゃすごく人気があって、もちろん雑誌も出ているし、書店には専用の棚があるぐらい。それで私は「日本にはなんでこういう本がないんだろう?」と不満に思っていたぐらいだったので。
 ここでひとこと弁明が必要かなあ。べつに私は殺人なんて好きじゃないです。あたりまえか(笑)。テレビのワイドショーも見ないし。ただ、その理由はいかにも私らしくねじけたもので、つまんない殺人ばかりだから。殺人犯なんて興味ないけど、ごくごく一部の殺人犯にだけは、惹かれる、と言うとあまりに語弊があるが、その人生について知りたい、伝記を読みたい、もしくは映画で見たいと思わせるものがあるのだ。
 嫌いなのは、金銭目的とか恨みとかの殺人。そういう我々でも理解可能な理由の殺人は不愉快なだけだ。それにくらべて、いわゆるシリアル・キラー(連続殺人犯)の中には興味深いものが多い。それもなるべく常軌を逸した、異常きわまる殺人ほどいい。当然犯人も異常者で、私の考えではこういう人たちは完全に病気なので、憎悪よりも同情、処罰よりも治療を受ける権利があると思うのだが、実際は報復心理が働くせいか、みな有罪判決を受けてますけどね。
 特に私のお気に入り(?)はアメリカのジェフリー・ダーマーとイギリスのデニス・ニルセン。奇妙なことに、この2人にははっきりした共通点があり、2人ともゲイで、2人とも大勢の若い男性を殺した。それも「愛のための殺人」というところまで共通している。愛と言っても、2人とも死体しか愛せなかったのだが。
 ニルセンはなかなかの詩人で、まぎれもない文才があり、獄中でたくさんの手記を書いているが、それがなんとも美しくて泣かせる文章なのだ。もっとも、美しくて泣かせるというのはニルセンの頭の中だけの話で、現実に彼が犯した罪はひどいものだし、彼の妄想の中で勝手に美化され、いかに切なく愛を歌い上げられても、被害者の遺族にしてみれば二重の屈辱だろうが。
 ダーマーのほうはニルセンよりもっといかれていて、ほとんど自分でも何がなんだかわかってない狂人という感じだが、狂気の部分と物静かで礼儀正しい正気の部分の落差の激しさが興味深いし、ブロンドのハンサム・ガイというところも(キチガイで殺人犯でさえなければ)そそる部分。(ニルセンも「メガネくん」好きにはけっこうそそるルックス) むしろ彼の場合はお父さんが書いた手記が泣かせる。
 で、何が言いたいかというと、こういう話は私には文学なのだ。ドストエフスキーよりよっぽどおもしろいよ。とにかくかわいそうで(犯人も被害者も)泣かせるし、現実ならではの重みや迫真性もあるし、何より、我々常人にはまったく理解不能というだけあって、いろいろ考えさせてくれるのがいい。
 参考までにこのジャンルでベストのライターはブライアン・マスターズというイギリスのライターで、私はどっちも英語で読んだが、たしかその後、両方とも翻訳が出ているので、興味のある方は捜してみてください。(ただし、殺人自体の話はめちゃくちゃグロいです)

 というわけで、昔から実在の殺人鬼を描いた映画はけっこう気にして見ていた。そこで、さっそく『マーダー・ケースブック』(上に書いた週刊殺人百科。こういうときのデータベースとして重宝してます)を調べたが、この映画の主人公のアイリーン・ウォーノスの週は買ってないな。もちろん、こんなものすべて集めたってしょうがないので、自分が興味のある事件や、歴史的・社会的に意味のある事件に限って買っていたのだ。
 そうか、金目当てに客を殺した売春婦なんて、あまりにもありふれていて、私の趣味に合わないのでパスしちゃったんだな。同じ理由で映画にもあまり期待はできないが、実はこれまで見た殺人鬼ものの映画、(『サイコ』に始まって、数え切れないほどある)、期待しないで見たものも結果としてはどれも感動したので、もしかしてこれも、と思って借りてきた。

 この映画は話よりも、ウォーノスを演じたシャーリーズ・セロンがブス・メイクと13キロの増量で挑んだということで話題を呼んだが、私はそれを聞いたときからかなりうさんくさく思っていた。なんで最初からブスでデブの女優に演じさせちゃいけないの?(笑) たぶんそれじゃ客が呼べないだろうから、わざわざ「美人女優」に演じさせるというところに、いかにも話題作りのための宣伝臭を感じたので。
 この手の増量の走りといえば、(私の知っている限りでは)『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロだが、あれはビフォーとアフターの両方を演じ分ける必然性があったからだが、これはその必要もないし。(『マシニスト』のクリスチャン・ベールは‥‥まあ、あのグロい体を見るだけでも価値がある)
 と、意地悪な目で見始めたのだが、スクリーンに登場したシャーリーズ・セロンを見て、「本当にモデルにそっくり!」というのでびっくり。これは確かに役者根性としてほめてあげよう。
 でも良くも悪くもそれ以外に見るもののない映画だった。くどいようだが、殺人鬼ものといえば、かなりのB級映画でも、まるきり同情の余地のない化け物みたいなやつの話でも、それなりに感動し、心を動かされた私としては意外と言うほかない。ましてゲイ殺人鬼には特に思い入れ持ってたはずなのに、この映画のウォーノスと、その恋人は、どっちもいやな女というだけで、まったくなんの共感も抱けなかったし、同情もできなかった。
 そもそも、「みんなビンボが悪いのよ」という感じで、殺人を社会のせいや、生いたちのせいにするやつって嫌い。(べつにウォーノスがそう言ってるわけではなく、作り手のスタンスがそうだというだけだが) 殺人というのはあくまで個人的なものであってほしい私としては。
 とにかく、私としては、陰気くさくて、不快で、気が滅入るだけの映画だった。好みの違いですかね。

2007年4月6日 金曜日

Identity (2003) Directed by James Mangold 『アイデンティティー』

これはなかなか良くできたサイコ・スリラーなので、ネタバレを書くのは気が引けるのだが、これに触れなくては何も書けない。でも、先にネタを知っちゃうとおもしろさは半滅なので、もしまだ見てなくて、見てみたいと思う人は、この先は絶対に読まないこと。ついでに、すでに見た人を対象に書かれているので、見てないとわかんない部分が多いと思います。

◆ というわけで、多重人格の映画であるからには、こちらも多重人格で攻めます。
★ いきなりネタバレ! しかし、主人公が多重人格で、これまで見てきたお話はぜんぶ主人公の頭の中だけの妄想、何ひとつ現実じゃなかったと知って、怒る人も多いだろうな。
◆ 確かに、これまで多重人格を題材にしたミステリや映画を見るたび、私はいつも「いくらなんでもそれはないよー!」と思うんだけど、にもかかわらず、多重人格ものはおもしろいんだよね。『ビリー・ミリガン』ですらおもしろい。
★ 『ビリー・ミリガン』もそうだけど、多重人格という精神病の眉唾さについては、前に『セッション9』のリビュー(2006年4月24日)で書いたので、そちらを参照してね。
◆ だってこれは完全なフィクションなんだからいいじゃん。

★ どうせネタバレついでだから、ここでストーリーの紹介。お話はと言うと、ある嵐の夜、足止めを食った11人の人間が、さびれたモーテルに集まってくる。休暇旅行中の一家、お父さん、お母さん、幼い息子。そのお母さんを偶然はねてしまった車に乗っていた女優とその運転手。護送中の刑事と殺人犯。若い夫婦。それに売春婦がひとりと、モーテルの支配人。ひいふうみいと、これで11人。
◆ これがいいんだ。スリラーやホラーは密室に限るよ。
★ モーテルが密室?
◆ 道が冠水してどこにも行けない、電話も通じないという点ではそうだよ。
★ そこで次々に殺人事件が起こり、犯人はこの中にいる‥‥というのはもうお約束ですね。

◆ とにかくカイル・クーパーのタイトルバックだけ見ていてもワクワクしたね。
★ 私はあの人の作品見ると、みんな『セブン』に見えてしまうんだけど。
◆ 『セブン』もおもしろかったじゃないか。監督もできる人だとすぐにわかった。いきなりバタン!とドアが開いて、血まみれの女を抱いた男が入ってくるあたり、思わずぎょっとさせるし。
★ それからフラッシュバックで事故の経緯を見せるのね。編集は確かに凝ってるし、効果を上げている。
◆ あのお母さんが車にはねられるところもこわかったー。
★ うん。スタントマンがわざとらしく跳ね上げられるところなんか見せないの。ニコニコ笑って子供とふざけていたお母さんが、ドンと音がするといきなり視界から消えているだけなんだけど、このそっけなさとスピードがショックなの。
◆ スピードと言えば、犯人と思われていた殺人犯が見つかってから、お父さんがはねられるまでのスピード感がすさまじい。
★ あれよあれよという間の急展開で、文字通り息もできない。
◆ こういう撮り方もあったんだなーって感じ。本当にうまいよ、この監督だか編集は。

◆ で、話は前後するけど、この人たちがひとりずつ殺されていくわけ。最初に死ぬのは女優(Rebecca De Mornay)だっけ?
★ 高慢で自己中心的な女で、いかにも殺され役に出てきましたって感じなんだけど。
◆ いちおう主人公は運転手のエド(John Cusack)。彼は元警官で、パニックになりそうなみんなを落ち着かせて犯人を捜すのだが、彼には何か秘密の過去がありそう。
★ 全員がなんらかの秘密や悩みを持ってるんだよ。だから誰が犯人でもおかしくないという。
◆ でもいちばんあやしいのは姿を消した殺人犯(Jake Busey)。
★ だからこそ、ミステリの常識から言って、彼が犯人のはずはないと予想が付くんだけど。支配人もめっちゃくちゃあやしいよね。殺された女優の金を盗んでるし、冷凍庫に死体を隠してるし。
◆ この辺は正統派ミステリのタッチで話が進むんだよね。アガサ・クリスティー風の。刑事(Ray Liotta)の着ているシャツの背中にはなぜ血がべっとりついているのかとか。死体のそばに残されているルームキーの番号は何を意味しているのかとか、謎もてんこ盛りだし。ところであなたは誰が犯人だと思った?
★ だって、推理も何も、掟破りの多重人格なのに。
◆ だからそれがわかる前さ。私はエドか刑事だと思ったけどな。
★ でもね、多重人格とわかってからは、あのガキ、ティミー(Bret Loehr)に間違いないと思ったよ。この子は実の父親(「お父さん」は義理の父親)に虐待されていたことになっていたし、本体のマルコムも虐待された子供だったと言うし、そもそも彼が多重人格になったのはそれがきっかけ。ということはつまり、ティミーが最初の人格で、全員のボスなのだ。見かけが子供だからだまされるけど、どうせ妄想なんだから見かけの年齢は関係ないというところまでは、なかなか頭が回らない。うまいと思ったね。
◆ 刑事も悪いやつなんだけどね。彼のシャツに血が付いているのは、彼もやはり囚人で、護送中の刑事を刺して逃走したからなのだ。その刑事になりすましていたわけ。支配人(John Hawkes)は実は偽物で、本当の支配人が死んでいるのを見つけて、彼になりすましていたのだ。
★ でも全部妄想なんだよね(笑)。たかがキチガイの妄想に、なんでこういう手の込んだ引っかけやトリックが入っているのか?
◆ だからー、どうせ作り事なんだからいいじゃん。むしろこのサービス精神に感心してほしいね。

◆ じゃあ、妄想だってことに気づいたのはいつ?
★ やっぱりあれじゃない? 逃走した殺人犯が、遠くに廃屋を見つけて逃げ込むんだけど、窓から外を見るとそこはまだモーテルの中だったという。
◆ 好きだー! 例の現実感覚の崩壊ってやつ。
★ でも意外と早くネタをばらしちゃったね。もっと引っ張るかと思った。
◆ 最後の最後に実は‥‥っていうんじゃ、観客が納得しないでしょう。むしろタイトルバックから、手がかりはいっぱいばらまいてあるんだよね。

◆ というわけで、この妄想のモーテルの出来事と並行して、現実世界では大量殺人犯マルコム・リヴァーズ(Pruitt Taylor Vince)が審問にかけられている。彼はその殺人のために死刑になろうとしているのだが、精神科医のドクター・マリック(Alfred Molina)は、殺人を犯したのは多重人格のひとりであり、彼を治療してその人格を葬り去ることで、彼を救おうとしている。
★ モーテルの話がなくても、これだけでもかなりスリリングな設定だよね。
◆ それでマリックに呼び出されたエドは、モーテルでの出来事はすべて妄想だったばかりか、自分が実は存在しないことを知らされるわけ。
★ うーん。想像するのがむずかしいが、悩ましい状況だねえ。でも、ここでエドや観客が真相を知っちゃうと、このあとのサスペンスが薄れるという恐れはなかったのかしら?
◆ 私もそう思った。でもうまい!とうならされたのは、その後のエドの心理なのだ。彼は殺人犯にとどめをさすために、モーテルへ戻っていくんだけど、その時点で自分は死ぬ覚悟を決めているんだよね。キーのナンバーは実はカウントダウンだった。それで番号は10から始まっているということは10人が死ななくてはならない。生き残れるのはひとりだけ。そこで彼は売春婦パリス(Amanda Peet)を生かすことに決める。というのも、11人の中で夢と希望を持っているのは彼女だけだから。彼女は売春から足を洗って、カリフォルニアでオレンジ農場を経営することになっているのだ。
★ でもー、それって単なる妄想でしょ? それに本当に治療が成功したら、残るのはマルコムで、他の11人はみんな消える運命にあるんじゃ?
◆ どうせ嘘なんだから細かいことは気にするな。

◆ で、実際にパリスだけが生き残り、彼女は(妄想の)カリフォルニアで幸せそうに暮らしている。
★ パリスになってしまったマルコムも幸せそうだ。
◆ ところがそこへいなくなったはずのティミーが戻ってきて、彼女を殺そうとする。
★ これが蛇足だなあ。こんなB級ホラーみたいな結末付け加える必要あったの?
◆ それは私もちょっと思った。せっかく格調高くきたんだから、最後の「わっ!」はいらないと思ったけど。とにかく、現実のマルコムはマリックにつかみかかり、彼らの車が停止したところで、the end。
★ なんか後味悪いなあ。これじゃマルコムはやっぱり死刑だし、エドの犠牲もむだだったわけじゃない。
◆ わからないよ。その後どうなったかは何も示唆されてないんだから、もしかしたらパリスがティミーに勝って、マルコムは正気に戻るかもしれない。
★ パリスが生きているんじゃ正気じゃないじゃん。
◆ だからそれは置いといて!

◆ とにかくよくできた映画だった。
★ 編集がうまいってことはすでにほめたと、あと、役者が良かったのは意外な収穫。
◆ うん。主演のジョン・キューザックは童顔で人畜無害な感じがきらいだったけど、年取ったら少しは見られるようになったかな。
★ むしろ脇がよかったよね。
◆ あのお父さん(John C. McGinley)がたまらなく好き! 不器用であまり頼りにはならないんだけど、優しさにあふれていて。いそうじゃん、こういう人。
★ あの人も単なる殺され役ですがね。存在感はあったね。私は支配人のジョン・ホークスがめちゃくちゃうまいと思ったな。特に彼が自分の秘密を打ち明ける場面。
◆ 悪人のレイ・リオッタ、ジェイク・ビジー、それにプルイット・テイラー・ヴィンスは絵に描いたような殺人犯顔だし。
★ 実際の殺人犯は、上に書いたダーマーにしろ、ニルセンにしろ、ぜんぜんそうは見えないんですが。
◆ だからお話なんだからいいじゃん! 精神科医のアルフレッド・モリーナも雰囲気あったし。とにかくこの監督は撮れる人だ。ジェイムズ・マンゴールドって、ぜんぜん聞いたことのない名前だけど。
★ 次作はなんだ? ジョニー・キャッシュ(カントリー歌手)の伝記映画?
◆ なんでスリラーをもっと撮らない! この人なら第二のヒッチコックになれるのに!

2007年4月7日 土曜日

シムじまんを1年ぶりに更新しました。よかったら見てください。

掃除機狂想曲

 なんか、まったく同じようなことを3年置きに書いているが、実はきっちり3年ごとに掃除機が壊れるからである。いや、壊すというのが正しい(笑)。それで掃除機というのは私の生活の中できわめて重要な位置を占めるので、我慢して読んでください。
 なんで重要かというと、うちは異常に埃が多いのだ。たぶん、本や衣類や紙類が大量に積まれているせいだと思うけど。それで私は埃にアレルギー体質なうえ、CDや本などのコレクションや商売ものに埃が付くのもいや。だから掃除機にはこだわるわけ。なのに、貧乏だから高くて高性能なものは買えない。そこで買い換えのたびにコスト・パフォーマンスの問題で悩むわけ。
 壊した理由はですねえ、うっかりボトルのキャップを吸い込んでしまったわけ。それもホースじゃなく、本体内部にしっかりはまってしまって。そこで分解して取り出そうと、あれこれいじって、どうにか取り出したのはいいんだけど、うまく行ったのに鼻高々で、元に戻そうとして乱暴に部品をねじ込んでいたら、何かがブチッと切れる音が。見たら内部の配線が切れてしまっている。それもつなぐこともできないような奥のところで。ガーン!というわけで、買い換えなきゃならなくなったのだ。もちろん修理に出すという選択肢はないです。8000円の掃除機なんで、おそらく修理代のほうが価格より高いから。

 で、掃除機を買うとなると、いつも迷うのはサイクロン式か紙パック式かってこと。6年前は当時定価5万円もした(買値は3万4千円)シャープのサイクロンを買って、これはすごく気に入っていたのだが、やっぱり3年でこわした。それでやっぱりサイクロンは高いし、吸引力弱いし、フィルター掃除が面倒だと思って、この紙パック式を買ったわけ。
 でも使っていて実感したのだが、排気はサイクロンのほうが絶対にクリーンだ。今の掃除機はスイッチを入れると、たちまちプーンと埃臭さが漂うが、サイクロンはそんなことなかったもん。それにフィルター掃除が面倒だと言っても、要するにこのフィルターにたまる分の埃を、紙パック式は空気中に再放出しているだけの話。それならめんどくさくてもちゃんと埃が取れる方がいい。
 そこでやっぱりサイクロンに決めて、ウェブでじっくり調べる。すると、いつのまにか1万円以下の安いサイクロンが大量に出回っているではないか。もちろんどれも中国製。レビューを読むと、使いにくいとか、すぐ壊れたとか、性能悪いというマイナス評価が並んでいるが、こないだ買った中国製DVDプレイヤーに満足している私は、中国製もまんざら捨てたもんじゃないんじゃないかと思った。だいたい、書いてる人はほとんどサイクロンを使うのが初めてのユーザーで、音が大きいとかメンテナンスが面倒というのはどんな機種でも言えることだ。
 そこで、中国製のサイクロン掃除機でもなるべく評価のいいやつを捜したところ、2ウェイ方式というのに出くわした。つまり普通に床置きでも、ハンディ・クリーナーとしても使えるというの。そういえばこのスティック型ってのもずいぶん安いが、使いにくそうだと思って敬遠してたんだよね。
 しかし考えてみれば、掃除機を転がすほどの床がない私は、ほとんど本体を手に持って掃除をしている。つい掃除をなまけてしまうのも、掃除機の移動が大変だからだ。これなら場所も取らないし、どこへでも持っていけるし、高いところや棚の上も掃除が楽そうでいいかも。とにかく安いし(3790円)、ダメ元で何事も実験だと思って注文した。

 それが今日届いた。宅配屋さんから箱を受け取って、まず軽いのにびっくり! 箱をあけてまた小さいのにびっくり。これはいい!と思って、さっそく組み立てて使用してみたところ‥‥あかん。しっかり埃臭いじゃんかー! というか、埃が舞っているのが目に見える。これじゃサイクロンにした意味ないよー! おまけにシャープのサイクロンは、一見きれいに見える床にかけても、みるみる綿埃がたまるのが見えたが、これは(掃除機が壊れてから3日掃除をしていないので汚れているはずの)床にかけても、ちっとも埃がたまらない。もしかして単に埃を巻き上げているだけなんじゃ‥‥。
 それで実験として、何度も繰り返し掃除機をかけたあとのじゅうたんに、コロペタ(と、私は勝手に呼んでいるが、本当はなんて言うんでしょう? ほら、あの粘着式のクリーナー)をかけてみたところ、びっしり埃が取れる。だめだー!
 結論から言うと、やっぱりハンディ・クリーナー以上のものじゃないです。昔のハンディ・クリーナーにくらべると格段に吸引力は強く、髪の毛とかパンくずのようなゴミはよく取れるが、いちばん私を悩ます、目に見えないほど細かい埃はだめ。結局これは机の上とか棚の上の掃除用にして、まともな掃除機買うしかないな。

 結論は、えー、安物買いの銭失い、あるいはやっぱり日本製の家電は優秀ってことですか。そうとばかりも言えないんだけどね。中国製のDVDプレイヤーは、確かに見た目は安っぽくてチャチだし、ボディの成形も狂っていて、ぴったり閉まらなかったりするので、すぐ壊れるかと思ったら、毎日酷使しているのに非常に調子がいいし、輸入盤も含めてこれまで再生できなかったDVDはない。もっとも、考えてみたらDVDみたいに一箇所に置いたままで動かさない機械はいいのだ。でもうちの掃除機は高いところから落とされたり、踏んづけられたり、普通考えられないような過酷な扱いをされるから、きっとこれは3年も保たないな(笑)。

 しかし、貧乏していると、買い物のとき本当にコスト・パフォーマンスというものについて考えさせられますよ。今はほかにもどうしても自転車がほしいのだが、これも迷う。これまではとにかくいちばん安いのを買っていたが、ブレーキは堅くてよく利かないし、タイヤもなんか薄っぺらで、今度はもう少しいいのがほしくなった。でも10万円の自転車が、1万円のにくらべて10倍乗り心地がいいということは、常識で考えて絶対にありえない。そういう高価な自転車を買う人は、デザインとか見栄とか、性能以外のものにお金を払うわけね。ただ、1万円以上と以下とではかなり違いがありそうな気もする。

 この冬、安物とそうでないものの違いを痛感したのはダウン・ジャケット。ほら、1万円(バーゲン価格)もするのを買ったって話したでしょ? でも普段近所で着るのに1万円はもったいないと思って、古着で500円の(定価は推定3000円)を買ったのよ。「綿入れなんか買えるか」とか言ってたけど、実は暖かさはダウンだろうが、綿だろうがほとんど変わりない。見た目もそんなに変わりない。でも違いは明白。
 たとえば、襟の毛皮は、1万円のはふわふわで長くて柔らかいのに、500円のほうはごわごわで色も変で、恥ずかしいので襟は外して着ていた。布地も1万円のはツルツルすべすべなのに、500円のは手触りが悪くてすぐ汚れが付く。おまけに買ったときからファスナーが堅かったのだが、とうとうファスナーが開かなくなって、結局これは一冬で廃棄するはめに。500円だからいいですけどね(笑)。でも結論は、安物は着ていると、自分も安っぽくみじめな気持ちになるということで、これはかなり重要な違い。電気製品みたいに使えればいいというものと、服とではやっぱり違うという当たり前の結論ですが。

追記

 例の掃除機だが本当に3日で壊れた。というか、壊した(笑)。何かにぶつけたら、本体の裏側の収納用のハンドルがポキッと折れてしまった。使う分には支障ないんだけどねえ。本当にボロいね。やっぱり5万円の掃除機と3000円台のではえらい違いがあるということを実感。
 うちで何かにぶつからずに歩くなんて不可能。よって、掃除機となぜか時計は並以上の強靱さを要求されるのだ。掃除機はしょっちゅうぶつけたり、蹴飛ばしたり、落としたりするから。目覚まし時計は寝ぼけて止めようとしてサイドテーブルから叩き落とすから(笑)。腕時計は腕やバッグ(肌が痛くなるので、普段はバッグに付けている)を何かにぶつけて文字盤を叩き割ってしまうから(笑)。すげー破壊力。怪獣みたいな女だ(苦笑)。だから目覚ましはしょっちゅう買い換え。腕時計はGショック・タイプしか使えない。壁掛け時計は怪獣の手の届かないところにあるので安全。

2007年4月20日 金曜日

 ヴァージニア工科大学の大量殺人は、日ごろ○チガイ学生の相手もしなきゃならない私としては、人ごとではなく恐ろしいが、それとはなんの関係もなく、また映画の話。

Immortel (ad vitam) (2004) directed by Enki Bilal (邦題 『ゴッド・ディーバ』)

 

日本の(芸術志向の)マンガやアニメに多大な影響を与えたエンキ・ビラルの監督作品。と言っても、私は彼のコミックスも映画も見たことがない。あんまり好みの絵柄じゃないと思っていたので。やっぱり日本のマンガの繊細な絵を見慣れた目には、西洋ものって、特に人物の顔になじめなくて、なんか雑に見えてしまうのよね。
 だから彼の映画にもまったく期待していなかった。アーティストが監督したSF映画ってことでは、ロバート・ロンゴの『JM』とか、フランス映画ってことと、なんとなくストーリーも似ている『フィフス・エレメント』とか、どっちも惨憺たる失敗作だったしね。コミックのCG化としては『シン・シティ』か。あれは絵的にはよくできていたが、話も雰囲気もあんまり好みじゃなかったし。とにかくたぶんああいう感じになるんだろうと思うと、ぜんぜん期待できなかった。
 でも他に見たい映画もないし、まあ絵だけ見れればいいやという感じで借りてきた映画なのだが‥‥

 冒頭のピラミッドのシーンだけ見て、「これはDVDを買おう」と思いましたね。とにかく絵がきれい! 考えてみれば、やたらたくさんある「エンキ・ビラルもどき」の映画と、本人の自作とは違って当然なのだった。
 ほとんどCGなのだが、これならビラル本人の原画よりきれいだ(笑)というところもいい。いや、こんなふうに言うとビラル・ファンに怒られちゃうかもな。普通、コミックがアニメになると不満なのは、原作のディテールが(手書きだと)省略されて絵が下手になるし、原画のタッチも失われてしまうからだが、CGだと細かいところまで緻密に書き込まれているし、別に原画に思い入れのない私には、こっちのほうがきれいに思えるのよ。トレードマークの「暗いレトロ・フューチャー」はやっぱりすてきだし、メカもかっこいいし、モンスターもかっこいいし。
 それにハヤブサ頭のホルスと、ジャッカル頭のアヌビスと、ネコ頭のバステトが揃って登場したのにワクワク‥‥。というのも、最近の私は『氷と炎の歌』にハマってるのと同じくらい、ダン・シモンズの『イリアム』2部作にどっぷりハマっているので、騎士が出てくるだけで興奮するのと同様、神話の神々が出てくるだけで興奮してしまうのだ。エジプト神話もギリシア神話と同じぐらい好きだし。やっぱり神話は多神教がいいよねえ。
 さらに、『氷と炎の歌』のおかげで「リアルな中世」にこだわってるのと同様、『イリアム』のおかげで、「神様らしい神様」にもこだわっている。いやしくも神であるからには、映画でも神様らしい威厳や強さやかっこよさを見せてほしい。と同時に、思い切り人間離れした異質さや違和感みたいなものを感じさせてほしいのだ。その点、映画に描かれてきた神様って、なんかちっとも神様らしくない、というのも、『イリアム』に興奮した原因のひとつ。でもこの神々はなかなか。ホルスはけっこうアレなところもあるが、少なくともルックスは最高。

 役者もいい。主役級の3人以外はほとんどがCGキャラクターなのだが、主役のニコポル(Thomas Kretschmann)はタフガイだけど、ひょうひょうとしたユーモアとそれとなく悲しさを感じさせるところが、いかにもこの手の話のヒーローらしいし、ヒロインのジル(Linda Hardy)はこれまたこの手のストーリーのお約束として、無表情なプラスチック美少女だが、美人だしナイスバディだし、女医のエルマ(Charlotte Rampling )は昔からシャーロット・ランプリングの大ファンなので、うっとり。この年でまだこんなに妖艶で美しいなんてすてき。
 で、この3人が訛り英語をしゃべりまくるわけだが(笑)、(トマス・クレッチマンはドイツ人、リンダ・アルディはフランス人、おっとシャーロットはもちろんちゃんとした英語を話すが、彼女はフランス語のバイリンガル)、なんで英語にしたんかなあ? 舞台がニューヨークだからいいんだけど、フランス語のほうがもっといい雰囲気だったような気がする。ところで、神々はちゃんと古代エジプト語(のようなもの)で話すのはえらい。
 とにかく、ヨーロッパ映画だと見飽きたハリウッド・スターが出てこないだけでもいい。あえて言うならエルマってなんのために出てきたのかよくわからないキャラで、刑事や上院議員のほうがずっと重要な役柄なので、なぜあっちを人間にしなかったんだろう?という疑問は残るが。

 ここらでストーリー。2095年のニューヨーク。そこではなぜか人間(と言っても生身のままの人は少なく、みんな身体改造をしている)やミュータントや異星人が入り交じって暮らしているのだが、そこに突然、宙に浮いたピラミッドが出現する。おまけにセントラル・パークには異次元へのゲートが開き、なんかえらいことになってるようだが、みんな平然として日常生活を続けているのが変。
 ピラミッドに乗ってるのは上記の三神、反逆による死刑を宣告されたホルス神は7日間の猶予をもらって下界に降り、偶然行き会った反政府運動の指導者ニコポルの体に乗り移って、青い髪の女ジルを捜す。不死者(これが原題)のホルスが不死性を奪われないためには、どうしても彼女が必要らしい。
 一方、刑事(名前を忘れた)は、連続殺人犯を追っている。実は犯人はホルスで、彼が人工臓器を使った人間に憑依するとその人間は爆発してしまうのだが、30年の刑に服していたニコポルは自前の体なので大丈夫らしい。また、ニコポルの政敵である上院議員は、ニコポルが自由の身になったことを知って、刺客として次々化け物を差し向けてくる。さて、ニコポルとジルとホルスの運命は?

 うん、話もなかなかおもしろいじゃない。見ていると、今さらながら押井守(や多くの日本人マンガ家やアニメ作者)はまんまビラルのパクりだなと思うが、日本の作品にありがちなつまらない哲学談義や無意味な暴力がないのもいい。

 というわけで、最後まで楽しんで見て、例によって、オールシネマ・オンラインを参照すると‥‥、ボロカスやん!

 「押井守みたい」じゃなくて、押井守がビラルのパクりなんだってば! CGキャラクターの顔が正視に耐えないたって、これはビラルのキャラクターを模倣したものでしょう。これが人間そっくりのリアルな顔だったらビラルじゃないじゃん。CGと人間のからみに無理があるって言うけど、私は最初こそ「あれっ?」と思ったけど、すぐに慣れてぜんぜん気にならなかったけどなあ。でもだいたいの人に共通しているのは、「話がわけわからなくて眠くなる」ということらしい。
 わかりやすいじゃん! (以下ネタバレ) ジルはセントラル・パークの穴から現れた異次元人で、彼女は異なる宇宙をつなぐ特異点みたいなもので、ホルスが生きのびるには人間の体を借りて彼女を妊娠させ、その子供として再生するしかないってことは、話の途中ですぐわかるし。(むやみやたらと人間の女を妊娠させるギリシアの神々と違って、普通の女では妊娠させられないらしい) むしろ私は「ちょっと話が単純すぎるところが難点かなあ」なんて思っていたのに。
 はあ〜。日本でSFがまったく受けない理由、(『スター・ウォーズ』みたいなのと違う本当の)SF映画が受けない理由がわかりましたね。確かに、「なんで古代エジプトの神々が未来のニューヨークに現れるのか?」とか、「いったいジルってなんなのよ?」とか、突っ込まれたら苦しいが、それはそういうものとして見てあげるべきだろう。だいたい神様なんだからどこにいつ現れようと勝手だし(笑)。まあ、これが小説なら必ずなんらかの説明はあったはずで、そこがマンガだけどね。でも異世界を異世界として楽しむというゆとりが欠けてるような気がする。私は現実的な話こそ眠くなるが、こういう話で眠くなるなんてことありえないけどな。

 というわけで、またも世間の皆さまと意見を異にすることになったが、私はこの映画好きです。書き忘れたがディテールもすごく好き。特に、壁の中からピョコッと現れる、カエルみたいな「しもべ」がすごくかわいい。声がかわいいし、ジルのバスルームに怪物が現れると、ピストル持って出てきてご主人様を守ろうとするあたり。
 ラスト、ホルスが転生したジルの赤ん坊は、父親同様、鳥に変身できるのだが(色は母親似で青い)、再会したニコポルを突っついたり、ハトを殺して食ったり、早くも悪ガキぶりを見せているのもかわいい。ホルスなんて、人間は虫けらみたいに殺すし、ジルは強姦するし(「合意のうえだ」と妙に人間的な言い訳をしながら)、ひどいやつなんだけどなんか憎めないんだよね。『イリアム』の神々がまさにそうなんで、それで点が甘くなったところもあるかもしれない。

2007年4月21日 土曜日

Tideland (2005) directed by Terry Gilliam (邦題 『ローズ・イン・タイドランド』)

 久々にテリー・ギリアムらしい映画だった。『ブラザーズ・グリム』(2006年4月16日参照)のリビューで、「予告編で見たこの映画に期待」なんて書いていたのに、例によってタイトルを忘れて今まで見つけられなかったのでこんなに遅くなったけど。『ブラザーズ・グリム』にはうんざりさせられたけど、その撮影の合間にちょこちょこっと撮ったこっちのほうがはるかにいいなんて、いかにも彼らしい。
 とは言え、ギリアムはもうほとんど見放してるんだけどね。元モンティ・パイソンのギリアムに私が思い入れを抱くのは当然としても、この人、映画監督としてはいささか過大評価されてるんじゃないか? モンティ・パイソン以後、彼が撮った映画で、私的に(モンティ・パイソンのレベルに照らして)及第点なのは『ブラジル』と『タイム・バンディッツ』だけ。『12モンキーズ』みたいに大いに外してくれた映画も撮ってるしな。

 その気持ちが強まったのは、未完成に終わった『ドン・キホーテを殺した男』のメイキング、『ロスト・イン・ラマンチャ』を見たからだ。実はこれはずっと見たくて捜してたのだが、最近になってやっと見つけた。
 で、見ても、ぜんぜんギリアムに同情する気になれなかったのよね。私がこれまで見た映画の本格的なメイキング・フィルムはコッポラの『地獄の黙示録』のメイキングと、『ロード・オブ・ザ・リングス』のDVDに付いてたやつだが、それとくらべるとよけい同情できなかった。
 『ブラジル』のメイキング本を読んだときも思ったけど、要するにこの男、すべてが自分の思い通りにならないと勝手にブチ切れるだけの子供。こういう人はあんまり監督には向いていない。災難続きの撮影に加えて、主演の俳優が病に倒れたところで、勝手に切れて「もう降りる!」となったらしいが、撮影開始後の主役交代なんて、この世界じゃめずらしくもないじゃない。
 豪雨で撮影ができなくなったのを、メイキングではさも一大事みたいに描いているが、『ロード・オブ・ザ・リングス』じゃ、撮影開始直後に地域一帯が大洪水に見舞われる。そこで屋外撮影はすべて後回しにして、スタジオ撮影に切り替えたのだが、ギリアムは、「スケジュールは細かく決められているんだから、天候で変更なんてできない」と言い張る。スタジオに着いて、「音響効果が悪くて、こんなところで映画なんか撮れない」と怒り狂う場面があったが、LOTRじゃ、スタジオどころか、ホテルのスカッシュ・コートなんかにセットを組んでたぞ。環境はどうあれ、やりさえすればあれだけすばらしい映画が撮れるという証明だし、だいたいギリアムは低予算をぼやいてばかりいるが、それを言ったら、LOTRは低予算なんてものじゃないのに、あれだけ豪華な映像を見せてくれた。
 ましてや、主演のマーティン・シーン(彼も途中で抜擢された)が心臓発作で倒れ、一時は生命も危ぶまれていたのに、電話に向かって、「たとえ彼が死んでも俺は撮る!」と叫んだコッポラとくらべ、いかにも監督魂のないやっちゃなと思った。(もっとも、コッポラはこの映画にすべてを注ぎ込んで、あとは廃人同様になってしまったが)

 というわけで、あまり期待せずに見た映画だったが、これはけっこうよくできていた。ただ、どうも気になることがあるんですが。これは単なる偶然かもしれないし、原作があるのでどっちがどっちをパクったとかは言えないのだが、どうもフィリップ・リドリーの『柔らかい殻』(The Reflecting Skin)に似すぎてるのが気になったのだ。(私が大好きな映画で、この映画については、以前ヴィゴ・モーテンセンがらみで書いたはず)
 不幸な家庭環境にもかかわらず、子供ならではの適応力と柔軟性でたくましく生きてる子供(『柔らかい殻』は男の子)が主人公というのがひとつ。その子供が独自の幻想の世界に生きていて、幻想と現実の違いがよくわかってないらしいのがひとつ。子供の目から見た大人の世界の不条理と残酷さが描かれているのがひとつ。子供だから、なんでもないこと(垣間見てしまったセックスとか)に異常におびえる一方で、本当に恐れるべきことのこわさがわかってなくて、ハラハラさせられるというのがひとつ。いかにもアメリカの原風景という感じの、金色の麦畑が広がる田舎を舞台にしているというのがひとつ。細かいことを言うと、変なものを友達にして、しょっちゅう話しかけているところ(ここでは人形の首、『柔らかい殻』では赤ん坊のミイラ)、近所に住む怪しげな黒衣の女を吸血鬼だと思いこむところまでそっくり! (首だけの人形を大事にしているというのは、『エイリアン2』の少女ニュートを思い出す) そうそう、黒衣の女デルは、ハチに刺されて片方の目が見えないのだが、『柔らかい殻』に出てきた保安官は、片目・片手・片足をいずれも動物にやられて失っている。

 もちろんストーリーも、雰囲気もまるっきり違うんだけどね。それにしても似すぎているのでついくらべてしまう。でもって、結論から言うと、『柔らかい殻』のほうがはるかに出来がいいのだ。
 ひとつは主役の子供。この女の子(Jodelle Ferland)は確かに芸達者で、この映画はこの子で持っていると言ってもいいのだが、うますぎる子役というのは考え物だ。特にこういう、子供のイノセンスをテーマにした映画では、かえって逆効果。むしろいかにも「芝居をしている」感じが目立ってしまう。よって、「これだけ世慣れた賢い子なら、父親が死んでることぐらいわからないはずはないだろう?」とか、いちゃもんを付けたくなってしまう。(確かにあれはいかにも不自然だったので、わかってはいるけど信じたくないという自己防衛だったのかもしれない)
 その点、『柔らかい殻』の男の子は、この子よりずっと幼かった(まだ舌足らずの赤ちゃん言葉が残っている)ので、かえって自然だったし、幻想と現実の区別が付かないのもうなずけた。
 詩情や映像の美しさももちろんリドリーのほうが上だし、とどめはやっぱり見終わったときの感じ。『柔らかい殻』のほうがはるかに残酷で恐ろしい話なのに――なにしろ同じ爆弾でも、あっちはダイナマイトどころか原水爆だし、あの子は結局、罪もない女性ひとりを死なせてしまい、愛する兄の心を引き裂いてしまうわけだし――見終わったあと、不思議なカタルシスがあるのだ。それにくらべて、これはあんまり後味がよくない。

 しかしまあ、このブラックなところがいかにもギリアムである。これ、日本じゃ、『不思議の国のアリス』だとか、少女のファンタジーだとか宣伝してたって本当ですか?(笑) R指定なのに? うっかり子供を連れて行った親とかいないことを祈ろう。
 しかし、ジェフ・ブリッジズによくもあれだけひどい役をやらせるなあ。元バイカーという感じのいぎたないジャンキーで、出てきたと思ったら死んじゃうし、その後は腐乱死体だし、その後は剥製だし(笑)。おまけにその腐乱死体の腹を割くところを子供に見せるし。拾いものはてんかんで知恵遅れで、ロボトミー手術までされた男を演じたブレンダン・フレッチャー。迫真の演技だけど、これも迫真過ぎて、見てるとけっこういたたまれない気持ちにさせられた。

2007年4月26日 木曜日

雑記 (というか、単にもやもやとたまったものを吐き出してるだけ)

 ああー、疲れた! いつもながら新学期が始まるとめっちゃくちゃ疲れる。疲れは私の場合、目に来て、涙がぽろぽろこぼれ、目が痛くて痛くて開けていられなくなる。専任時代の終わりのほうは、「通勤路(駅から20分ぐらい)を目をつぶったまま歩く」なんていう芸当まで身に付けたぐらいで。
 おまけに天気も変だしー。寒いのは私は大歓迎だが、雨と湿度で腐った。今日は久々に青空が広がったので、あわてて布団と洗濯物を干して、気持ちよくふわふわになったと思ったら、いきなりザーッと降ってきてびしょ濡れになるしー!

米ヴァージニア工科大銃乱射事件

 まあ、国民同士が殺し合う権利を憲法で保障しているような国だから、私なんかが口出すことじゃありませんが、もし日本で銃が解禁されたら、(少なくとも生活や勉強のことでは)なーんのストレスもない学生より、ストレス漬けの教師が銃を乱射する事件が多発するのは間違いない。
 私も、台風の後の麦畑みたいな(みんななぎ倒されたように寝ている)学生の目を覚まさせるためなら、空砲ぐらいぶっ放してやりたいとはよく思う。つーか、あいつら、銃でも突き付けて脅さないと勉強しないし!

掃除機ふたたび

 結局、3790円の中国製には見切りを付け、新しく掃除機を買う。やっぱり安物はダメだ。とにかく使うたびにもうもうと埃が舞い上がるのがいやで、だから掃除をしないという悪循環に陥ってしまった。
 そこであらためてウェブで調査。もちろん今度もサイクロンにするつもり。それでサイクロンと言えばダイソンだが、残念ながらダイソンは最初から論外。高価というのもそうだが、あんな大きくて重いもの、うちのどこに置けるというのだ。うちには掃除機を転がす床なんかない。うちで掃除をするにはまず掃除機一式を胸に抱えて(ぶら下げて持ったら通れないところが多いので)部屋を移動し、それから本体を置く場所を作って、そこに設置し、初めてスイッチを入れられるんだから。でも友達に意見を聞くと、みんなダイソンを使ってる! 金持ちめ!
 ウェブ・サーフィンをしていたら、「サイクロンで使えるのはダイソンとシャープだけ」という記述に出くわした。なるほど、私が最初に買ったサイクロンはシャープだったが、あれはすごく使い心地がよかった。しかもあれはまだ国産サイクロンの最初期の製品だったから、あれから改良が進んでずっとよくなってるはず。やっぱりまたシャープにしよう。
 そこでシャープのカタログを検討する。いちばん高いやつはダイソン方式で、形もよく似ている。でも同じ理由でこれも失格。結局、2番目に高いやつに決める。きれいな空気のためならお金は惜しめないから。もちろん、価格.comでいちばん安い店を捜して注文した。

 それが今日届いたのだが、やっぱりいいわー。部品がちゃんとカチッと音をたててはまるし(笑)。それはともかく、掃除機をかけ始めてもまったく、本当にまったく埃の臭いがしない。これだ、これなんだよ! 私は鼻が利くんだから、嘘じゃないっす。安い掃除機や紙パック式はモーターが回り始めたとたん、息が詰まりそうに埃臭くなるんだから。綿ぼこりもうれしいほどいっぱいたまる。
 あ、でも昔使ってたやつは、手元にダストカップがあったので、本当にゴミがたまっていくところが目に見えたが、今は本体に付いているので見えないのがつまらない。この、ゴミが見る見るたまるってのがサイクロンの楽しさなのに。それで、つい、掃除機かけるたびに中を開けて見てしまったりする。

困ったお客

 店のほうは閑古鳥なのだが、それでも忙しいのは、ものすごくうるさい客につかまってしまったから。初めて注文をくれた香港の人で、なにしろ一度にCDを50枚近くも買ってくれるというから、誠心誠意相手をしていたのだが、とにかく質問が多い! ほとんどすべてのCDについて、付属物を含めた状態はもちろん、すべての写真を送れと言い、IFPIナンバー(CDの真ん中の透明な部分に刻印されているナンバー。そんなのあることも今まで知らなかった)まで教えろと言ってくる。正直言って、売れても数百円の儲けの中古盤にそんな手間をかけてはいられない(それでもやってるが、普通の人は多くても10枚以下だから)のだが、もしかしたら上客になるかもしれない人だから、相手をしていたけど、だんだん気力が失せてきた。
 なにしろ、そういうややこしい質問や依頼を、1つのメールならまだしも、1日に3〜4通のメールに分けて送ってくるし、私の返事を聞いては、翌日に「じゃあ、これをやめてこっちを追加」と、毎日更新された注文リストが届く。これが1週間以上続いて、もうだんだん何がなんだかわからなくなってきた。
 普通、ここまでうるさい客はクレーマーか冷やかしの可能性があるので、どこかで打ち切るのだが、本当に神経質なだけのコレクターという可能性も捨てきれないしねえ。でもこれで買わないなんて言ったらぶっ殺す、と内心思っている。

UNKLEの新譜

 店といえば、さっきUNKLEの新譜情報を得意先に送ったところ。かつて、Mowaxがトイズ・ファクトリーから出ていたころは、おいしい日本限定盤をたくさん出してくれたので、私はこれで生活していると言っても過言ではないぐらいだったのだ。ところが、Mowaxがトイズ・ファクトリーを離れたとたん、私はドル箱を失ってしまった。
 しかし、今回新しいレコード会社に権利が移って、6月に出る新譜War Storiesは日本だけの豪華限定盤が出るらしい。しかも例によって日本の発売日のほうがずっと早い。そこでお知らせを出したところ、さっそく注文が殺到している。これはMansunのベスト限定盤の2匹目のドジョウになるか?
 Mansunは一度に大量に注文が来たので大変だったけど、考えてみると、新譜を売るのは考えられないほど楽だ。だって、足を棒にして探し回らなくちゃならない(最近は空振りも多し)中古と違って、メール1本で何枚でも注文できるし。私がするのは注文を受けて発送するだけ。
 なのに、私が原則として新譜を扱わないのは、それならHMVやAmazonみたいな大手に対抗できるはずがないと思っているからだ。HMVやAmazonは楽な商売してるんだなあ。くそー。でもMansunみたいな隙間アーティスト(笑)は私でも商売になったわけ。UNKLEもまさに隙間な感じだし、どっちも私自身がファンでコレクターとしてある程度名が通ってるから、みんな信頼して買ってくれる。
 しかし、Mansunはいまだに売れてるが、UNKLEは前回、大量に仕入れて売れ残り、痛い目にあったからあくまで注文数しか仕入れないつもり。

そういやコレクターはどうなってるの?

 いや、文無しでコレクターというのは、どうやっても両立しないです。よって最近はほとんど指をくわえてあきらめ状態。それでももうすぐ新譜が出るManicsとUNKLEはいちおうがんばってみるつもりだけど。Brett Andersonは限定も出ないようなので、いつでも買えるからとあとまわし。それでもSuede末期のシングルは、とんでもない高値になっているので、用心のためシングルだけは買いそろえたけど。(Manicsのシングルといっしょに注文したのでまだ来ない)

 UNKLEで大ショックだったのは、eBayで買ったプロモ・カード・ポスター・セットが届かなかったこと。例によってけっこう高かったんだけど、それでもがんばって落札したのに! 初期Mowaxのものも含む貴重なコレクションで、お金より、もう二度とまとめて入手するチャンスはないと思うと泣ける。
 お金のほうはちゃんとPayPalが弁償してくれた。eBayはこれがあるから安心。セラーは誠実に応対してくれて、たぶん郵便事故だと思うんだけど、それでもせめてお金ぐらいは取り戻したいからね。

アレルギーの話

 私はほとんどなんにでもアレルギーの難儀な体質だが、幸い、食物アレルギーだけはないと思っていた。胃も丈夫なので、胃痛とも無縁だった。なのに、ここ数年、外食したあとで、七転八倒するほど胃痛と胸焼けに苦しむことがある。それもいつもオムライスかカツ丼を食べたあと。
 脂っこい料理だからかなあと思っていたが、私は油ものが大好きで、家でも脂っこいものばかり食べているのに変だ。それが先日、(やっぱりオムライスだったが)原因に思い当たった。犯人は半熟卵! 考えてみれば、オムライスもカツ丼も、店のはトロトロの半熟なのに、生卵が嫌いな私は、自分で作るときはよく焼いて食べていたのだ。卵でもよく火を通せば大丈夫みたい。
 しかし、この年になって新しいアレルギーが出てくるとは思わなかった。まあ、生卵はもともと嫌いだからいいが、オムライスは好きなのに、最近は見ただけであの気持ち悪さを思い出して、おえっ!となってしまう。卵かけご飯なんてとんでもない!って感じ。
 変なの。日本人は遺伝的に牛乳アレルギーの人がかなり多いそうだが、私はミルクなんか水代わりにガブガブ飲んでるのに。でもミルクも卵もアレルギーっていう子供はかわいそうだね。ケーキなんか食べられないんだから。

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