2007年3月の日記

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2007年3月5日 月曜日

The Reckoning (2003) Directed by Paul McGuigan 『仮面の真実』

 というわけで、ポール・ベタニーが気になりだしたので、この映画も借りてみた。いや、顔は上に書いたように嫌いなのだが、かなり演技ができる人であることは確かなので、その力量を見極めてやろうと思って。それでも、わざわざ日本未公開の、こんな地味な映画を借りてくるところがいかにもだね。理由は共演が大好きなウィレム・デフォーだったのと、中世が舞台だったから(あいかわらず『氷と炎の歌』にハマりっぱなしなので)。
 これはイギリス・スペインの合作映画で、まあ、典型的な地味な「ヨーロッパ映画」。原作は“Morality Play”という小説。お話は破戒僧が連続幼児殺人事件の謎を解く、って、これじゃまんま『薔薇の名前』じゃないか!と思うところだが、実際のところ、犯人はすぐわかっちゃうので、ミステリ要素は薄い。要するに、主人公の僧侶ニコラス(Paul Bettany)の贖罪の物語。これは日本じゃだめでしょうなあ。宗教と中世というのは、日本人にはまったく受けないから。(『薔薇の名前』がなんで受けたのかは謎だ)

 で、それにからむのが旅役者一座の座長マーティン(Willem Dafoe)。あー、ちがーう! あの人は騎士の顔でしょうが! それもヘッジ・ナイト(決まった主君を持たない遍歴の騎士)がいいなあ。お侍で言えば素浪人みたいなものか。かっこいい! 旅芸人の座長なら、それこそボブ・ホスキンズあたりの役柄なのに。
 おっと、つい話がそれたが、とにかくウィレム・デフォーが好き! 岩のようないかめしい異形の持ち主というだけでもいいが、見方によって非常に残忍そうにも、この上なく優しそうにも見えるところがいい。惜しいなあ。これで背が高ければ、サンダー・クレゲイン(『氷と炎の歌』の登場人物です)の役ができるのに。
 そんなわけで個性的な脇役としては重宝されているようだが、そのわりには主演作が少ないのは、私としてはまったく納得できない。クロネンバーグあたりが使ってくれないかなあ。あ、そういえば、『イグジステンズ』にはやはり強烈な個性の脇役として出てたけど。
 ところで、ウィレム・デフォーがチビというのは、これまで感じたことがなかったけど、ポール・ベタニーと並ぶと、頭ひとつ小さいのに驚いた。確かにポールは背高いと思ってたけど。

 ところで、ストーリーとはなんの関係もなく、ウィレム・デフォーの「セクシー・ショット」がはさまるのに、ちょっとびっくりした。実は彼は長年ヨガをやっていて、その実技を披露してくれるのだが、半裸で肉体を誇示するところがなんとも‥‥(笑)。まあ、旅役者の特技なのかもしれないが、舞台で演じるわけではなく、ひとりで練習してるだけなので、やっぱり話に関係ないなあ。ここだけ見たらデレク・ジャーマンの映画だと思ってしまう。(デレク・ジャーマンはゲイなので、ダンサーなどの裸の男性が肉体を見せびらかすシーンが多いのだ。もちろんそこが好きなんだけど)
 とりあえず、もう50過ぎなのに見事な体をしていることと、信じられないほど体が柔らかく、筋力もあることがよーくわかりました。もったいないな。せっかくこれだけの体をしているんだから、もっとそれを見せる映画が見てみたい。ヨガ映画でもいいよ(笑)。

 などとどうでもいいようなことばかり書いているように、映画はそれほどおもしろくはない。でも良心的にていねいに作られている。という意味でも典型的なヨーロッパ映画。
 そこで目当てのポール・ベタニーだが、こういう時代劇をやらせると、やっぱりイギリス人役者だなあと思わせる。時代がかったセリフ回しとか大仰な演技とかね。やっぱりうまいわ。できたらこういう人にはアメリカ人役はやってほしくない。(ナチの将校ならいい。というか、顔がそのものだし)
 ウィレムのイギリス訛りはかなり苦しいが、領主役の人(Vincent Cassel)のフランス語訛りはすごいうまいと感心していたら、本物のフランス人だった(笑)。いや、前にも書いたようにこの時代のイギリスはノルマン人に支配されていたから、お殿様はフランス人なのよ。
 でもって、ペドファイルのカエル野郎をやっつけ、民衆を救うために、ニコラスとマーティンががんばるという話。でも、ニコラスは姦淫と殺人の罪を犯していたから、報いとして死ぬというのはお約束。

 話はむちゃくちゃ地味だが、役者やセットや美術は本物というのは、ヨーロッパ映画のいいところ。ここでも丘の上にそびえる領主の城と、それを取り囲む村の大がかりなセットは目を奪うし、本物っぽい。うんうん、参考になるなあ。というのも、『氷と炎の歌』を読んでいても、実際の登場人物の服装や、町や村や室内の様子が目に浮かんだほうが絶対に楽しめるので、最近中世ものを気を付けて見ているのだ。シムピープルにも中世スキンやオブジェクトを作っている人はたくさんいるので、今度は中世テーマにも挑戦したいな。

アヴァロン (2000) directed by 押井守

 アニメは弟の専門なので、私はなるべく避けているんだけど、スコットとしゃべっていると押井守の名前がよく出るので、つい借りてしまった。それでもって後悔した。『イノセンス』もそうだったけど、なんかこの人最近、すごい勘違いしてない?
 『イノセンス』とこれの共通点は、「いかにも意味ありげだけど、実際は何も語っていない」ということに尽きる。『イノセンス』では、いかにも「お勉強しました」という感じの付け焼き刃の哲学談義がうっとうしかったが、ここでもアーサー王伝説が同じ扱い。参考書を朗読しているみたいな「解説」。それもただ紹介しただけで、何がテーマなんだかわからない。「戦士の休息の地」ってところ? だから、ゲームに疲れた人が行くわけ? 意味ねー!

 オール・ポーランド・ロケで、ポーランド人俳優にポーランド語で演じさせるのも、まるで意味不明。日本語アニメじゃなんでだめなんだ? でなきゃせめてアヴァロンなんだからイギリスで撮りゃいいのに。
 「絵がきれい」というのはほとんどの人が言っているが、それは『イノセンス』には言えたものの、この映画のきれいさは絵葉書がきれいというのと同じ。少なくともアニメなら、絵はオリジナルだからね。
 IMDbに、ポーランド人で、この映画に出てきた場所はみんな知っているという人が書いていたが、確かにそういう人が見れば白けるだろう。"postcard sky"ってまんまだと思ったな。ほら、ヒロインのアパートの建物を撮ったショットがあるでしょう。確かにきれいだけど、ああいう暗いトーンのセピア調の写真って、ヨーロッパの絵葉書によくあるんですよ。私が初めてイギリスに行ったとき、ロンドンから友達に送った絵葉書がちょうどあれにそっくりだった。

 気が狂いそうにのろいテンポや繰り返しは、もちろん意識したものだからしょうがないが、私は4倍速で見てもまだ遅すぎてイライラした。タルコフスキーみたいだな。タルコフスキーはSFを撮っているから悪口は言いたくないんだが、それでも劇場で見るのは(早送りができないので)地獄だったぞ。
 そういやタルコフスキーと言えば、『ソラリス』。あの映画は傑作だったが、「未来都市」のシーンで東京の首都高が映ったときは、日本人(というか東京人)は全員、いきなり現実に引き戻されてどっと白けた。だって、「赤坂方面渋滞1.5km」みたいなのが、そのまんま映るんだもん。ロシアの未来は東京だったのか!って(笑) この映画のポーランドもそれとまったく同じで、『ソラリス』は一瞬だったが、それが最初から最後まで続くんだから、ポーランド人は白けるはずだ。それとも、ポーランドから絵はがきもらって、こういうのを撮りたいと思ったんだろうか?(笑)
 レトロ未来というのはありですけどね。でも最近の映画はどれもこれも、未来と言えば判で押したようにレトロと決まっているので、たまにはピカピカのハイテク未来が見たいとか思っちゃう。

 あと私が白けたのは、ヒロインが図書館でアーサー王伝説に関した書籍を借りるところ。これがぜんぶ日本語の本で(笑)、しかもどこでも売ってる通俗書ばっかり! (今は絶版かもしれないが、少なくとも古書店や図書館ではよく見る) あのなー、せめて専門書にしてよ。というかなんで日本語? この世界では共通語は日本語だと言うなら、それはそれでおもしろい。だけど、みんなポーランド語しゃべってるし、店の看板やポスターはポーランド語だし、ゲームの表示は英語で、わけわかんない。
 結局スタッフが「お勉強」するのに読んだ本をそのまま見せただけなんじゃ‥‥という疑惑が浮かぶ。どうせならせめて見栄でもいいから英語の本にしてほしかったなあ。

 ヒロインが自宅で料理をするのをえんえん見せるとか、仲間の男が飯を食う口元だけをえんえん見せるとかいうのも、意図してねらったものだ。確かに芸術映画ではよくある手だが、それをあまりにも意味がないと思わせるか、おもしろいと思わせるかは、監督の力量の問題。

 とどめに、SFとしても凡庸の極み。ヴァーチャル・リアリティ・ゲームって、もうどれだけ小説や映画やマンガに描かれてきたかわからないぐらいなのに、なんの新味もないばかりか、古すぎ! どうも元になってるのは『ウィザードリィ』らしいし(笑)。ビショップは成長が遅いとか、シーフは単独プレイはむずかしい、なんていうのは、『ウィザードリィ』プレイヤーの常識である。それをさも重要なことみたいに解説されると、また白ける。せっかく未来のゲームの映画を撮るなら、せめてゲーム内容ぐらい考えなさいよって感じで。
 結局、この映画の売りって、ポーランド軍全面協力で本物の平気が見れるっていうだけじゃん。でも「仮想現実」の映画で本物であることを売り物にするのって、本末転倒なんじゃない?
 特に最近、『ゴールデン・エイジ』という、究極のヴァーチャル・リアリティ小説を読んでしまったので、よけいチープさにがっくりくる。(これはガチガチのSFなので、誰にでもはおすすめできないっす)
 結論としては、お芸術映画っぽさにだまされてはいけないってこと。あくまで「ぽい」だけで、タルコフスキーみたいな本物と違うからね。

2007年3月12日 月曜日

 なんかこの日記、最近映画評ばっかりで、さっぱり音楽の話もコレクター話も出てきませんね。でもたぶんがっかりしている人は少ないでしょうけど。本人はいいかげん映画には飽きて、音楽に戻りたいんだけどね。なんか商売(あいかわらず不景気なわりには、手間暇かかる仕事ばっかりで忙しい)だけで疲れてしまって。それでまあ、いちばん安上がりで疲れない娯楽として、つい映画に手がのびてしまうのよね。
 でも最近うちのほうではDVDのレンタル料が高くなって。というか、100円セールをやる店が減ってしまった。それでも私はすべて半額で借りてるけど。あー、疲れてるとつまらないことしか書けない。
 ところで、Desperate Iconsやシムじまんはぜんぜん更新していないにもかかわらず、いまだに熱心なファンからメールをもらうのに、ひとりごと日記の反響はゼロなのはなんで? 映画評なんて気軽に書き流しているように見えるでしょうが、これでも1つに3日も4日もかけてるんですよ。読んでる人、もしいたら、一度はあいさつぐらいしなさい、じゃなかった、してくださいませ。「読んでます」というお便りだけでも私はすごくうれしいので。じゅんこへの励ましや感想のお便りはこちらから、または(ときどきメールフォームがうまく働かないことがあるので)、junko#flourella.net(#を@に変えてください)へどうぞ。
 というところで今日も映画評。でも本命はまだ時間がかかるので、比較的どうでもいいやつばかりだけど。

The Da Vinci Code (2006) Directed by Ron Howard 『ダ・ヴィンチ・コード』

 最近は映画情報もろくにチェックしていないので、行き当たりばったりにビデオ屋の棚から抜き出してくるだけ。それも、監督や役者の名前だけ見て借りてくることが多い。だいたいにおいて、嫌いな役者が出ていなければそれでいいみたいな(笑)。だから、トム・ハンクスとかトム・クルーズが出てるような映画はまず見ないのだが、なぜかこれがカゴの中に入っていた。ま、いちおう話題作ですからね。でも、キリスト教国で問題作として話題になるのはわかるが、日本人が見てもぜんぜんピンと来ないんじゃないかな。
 原作はミステリだが、私は読んでいない。映画だけ見たぶんにはそれほどおもしろい話とも思えないな。要するに、ホーリー・グレイルは実はマグダラのマリアのことで、彼女とイエスの子供の子孫が今でも生きているという、ワン・アイディアだけの話に思えるけど。(いきなりネタバレ!)
  あ、そうですか、という感じで、特におもしろくもなければ、それほどつまらなくもないという、ハリウッド映画の典型。もっとも、お金がかかっているところは確かにハリウッド大作だなと思うけど。登場人物の話の中に出てくる、歴史の「再現シーン」をちゃんと作って見せるのだが、これがものすごくお金がかかってそうなわりには、いかにも地味であっけなくてもったいない。こんなの、絵でも見せるか、話だけでもたいして変わりなかったのに。

 トム・ハンクスがなんで嫌いかというと、見るからにデクノボーで不細工だから(笑)。だいたい学者にも見えないし。スター・システムのいやなところは、いつも同じ人ばかりが主役ということと、主役がぜんぜんそれらしく見えないことだ。
 そういえば、またポール・ベタニーが出ている! しかもまたもプリースト役なので私は頭が混乱する。まあ、これだけ露出しているってことは旬の役者ということなんだろうけど。
 もっとも、善人役だった『仮面の真実』よりも、残忍な暗殺者役のこっちのほうが、はるかにはまり役だけどね。しかも苦行僧で半裸のマゾ・シーンも見られるので、普通なら喜びそうなところだが、やっぱりルックスが好きでない役者には興奮できない。
 ヒロインもまるで魅力なかったし、イアン・マッケラン、アルフレッド・モリーナ、ジャン・レノと、くせ者を揃えた助演陣も印象薄かったな。

The Omen (2006) Directed by John Moore 『オーメン666』

 これにはだまされた。ビデオ・タイトルが『オーメン666』となっていたから、てっきり『オーメン』のもう何作目だかわからない続編だと思って借りてきたら、1976年版のリメイクだった。いや、映画はどうせつまらないだろうと思ったのだが、デイヴィッド・シューリスとピート・ポスルスウェイトというお気に入りの役者が出ていたので、彼らだけ見ればいいやと思って。
 30年も前の映画だから、リメイクが作られるのはわからないでもないのだが、ここまでオリジナリティを放棄したリメイクって初めて見た! とにかく(私の貧しい記憶によれば)何から何までオリジナル版そのまんま! かろうじて新しいと言えるのは、9.11やスマトラ沖地震の津波を黙示録の予言にこじつけたところだけ。ほとんど見る意味なかったな。
 まあ、期待した役者はオリジナルよりいいかもしれない。主役のリーヴ・シュレイバーはグレゴリー・ペックには太刀打ちできないかもしれないが、デイヴィッド・シューリスは投げやりでだるそうなところがいつもながらすてきだし、ピート・ポスルスウェイトはいかにも怪しい狂信者っぽくていいし、デミアンはオリジナルの子より憎々しいところが悪魔の子らしくていい。お母さんはブス。
 ミア・ファローをここに持ってきたのは何かのシャレだろうか。悪魔の子の扱いは慣れてるから?(笑) でもすっかりおばあさんになってますます気持ち悪くなってきたミアは、不気味なベイロック夫人役にぴったり。
 元の出来が良くて、そのまんまだから、オリジナルを見てない人にはいいかもしれない。でも両方見る意味はまるっきりないですな。

Nothing (2003) Directed by Vincenzo Natali 『ナッシング』

 『CUBE』の監督、ヴィンチェンゾ・ナタリの作品。『CUBE』自体はあくまでワン・アイディアの低予算映画としか思えなくて、私はそれほど評価しなかったんだけどね。で、これは世界が消失してしまう話と聞いたから、またホラーかと思ったが、見たらコメディだった。それもおバカ系の。こういうのも撮れる人だとは知らなかった。もっともワン・アイディアの低予算映画というところは同じ。
 バカでいじめられっ子のコンビ、デイヴとアンドルーは、似たもの同士で助け合い、世間の荒波を避けて、小さな家に暮らしていたのだが、そこはやはりバカでいじめられっ子だけあって、2人揃ってドツボにはまり、デイヴは会社の金の使い込み、アンドルーはペドファイルの濡れ衣を着せられたうえ、彼らの唯一のよりどころである家は取り壊しの対象に。そこで2人が何もかも消えてしまえばいいと願うと、2人と家を残して全世界が消滅してしまう。
 すごい! 低予算映画の鑑! スタジオの床に線を描いただけの『ドッグヴィル』よりもっとお金がかかってない!と思ったが、いちおう家のセットはあるし、こっちのほうが小道具は多いな。
 で、普通の映画なら、こうなった理由の探求とか、サバイバルをかけた冒険に乗り出すところだが、バカだけあって、あまり気にせず楽しくやっている。
 いちおう説明としては、彼らは嫌いだと思ったものはなんでも消してしまえる能力を身に付けたらしい。食料がなくなれば空腹を消してしまえばそれで解決。いやな記憶も消してしまう。でも、お互い同士がいやになったり、自分がいやになったらどうするの?と思うが、実際そうなって、しまいには互いに消し合って、2人とも首だけになってしまう。でも、そこはバカなので、「こういうのもけっこう楽しいな」と言って、何もない空間に首だけがボヨンボヨンと跳ねていくところでおしまい。

 うーん。たしかにそれなりに笑える、かわいい映画になっていることは事実。私は特にオープニングの紹介場面が好き。切り絵アニメで、音楽ビデオによくあるパターンね。主人公の2人はオツムは完全に幼児で、幼児ギャグを連発するのだが、くだらないジョークもここまで徹底してやられると脱力の笑いを誘う。ただ、元がワン・アイディアだけに、これで90分引っ張るのはちょっと無理があったような。
 でも、ペットの亀とその使い方がすごくいい。亀だけのためにほかのアラは許そうという気になるぐらい。亀だから何も演技をするわけじゃなく、じっとしてるか、のそのそ歩いてるだけなのだが、爬虫類の無愛想さと無気力さをここまで愛らしく描いた映画はない。この亀には「最優秀亀賞」をあげたい。

The Office (2001〜2003) (BBC TV) Directed by Ricky Gervais & Stephen Merchant

 このBBCのコメディ・ドラマについては以前にも書いた(2004年7月18日)。でももう消しちゃったので、読んでない人はこちらを参照してください。というわけで、かつて愛した「美少年」、ショナ・ダンシングのリッキー・ジャーヴェスがチビデブ・オヤジになってしまったことには、私なりにケリを付けたつもりだったけど、さすがにビデオを借りて見る勇気を奮い起こすにはずいぶん時間がかかりました。
 ちなみに、ショナはあくまで音楽に惚れたのであって、この手の顔の男の子はそれほど好きではなかったんだけど、もちろん、むくつけき野郎よりは美少年のほうがいいに決まっている。MP3がなくなっているのは残念。とにかく、シングル2枚で解散してしまったバンドを、この飽きっぽく忘れっぽい私が20年以上愛し続けているんだから、本当に本当にすてきだったのよ!
 でもやっぱりそのなれの果てを見届けたいという願望と、見た人みんな(イギリス人のみ)がおもしろいと絶賛するのに惹かれて借りてきてしまった。
 でもって、見たらどんなにショックを受けるだろうと恐れていたが、その心配はぜんぜんなかったね。だって、かつての面影はまったくなくて、絶対に同一人物とは信じられないんだもん。その意味では安心だったのだが、ショックだったのは声! 声だけはぜんぜん変わってないんだよー!(これは何度も経験がある。どういうわけか、声というのは年をとってもあまり変わらないのだ)
 実はショナ・ダンシングの2人の男の子のうち、どっちがリード・ボーカルかも知らなかったのだが、これを見てよくわかった。リッキーが歌っていたのだ。とにかくあの美しくセクシーな声はほとんど変わっていないので、それと見た目との落差の激しさは超ショック!!!

 (ショックから立ち直って) え? かんじんのドラマですか? とにかくイギリスでは大ヒット。国民みんなが毎週見ていたドラマには違いないんですけどね。IMDbのコメントを見ても、「天才!」だの、「信じられないほどの傑作」だのといった絶賛が並んでいる。賞もいくつも取っている。
 だけど‥‥私にはどこがおもしろいのか、さっぱりわかんないんですけど‥‥

 イギリスのコメディといえば、私にとってはくどいようだがモンティ・パイソンで、スケールは小さいがリーグ・オブ・ジェントルメンもそうだったように、とんでもない奇人変人が繰り広げる、テレビコード破りのブラック・ユーモアという固定観念があった私は、あまりに普通の人たちの普通の話なので完全に拍子抜けした。
 タイトル通りの会社(それも製紙会社のスラウ支社という、設定からしておもしろみのない会社)が舞台。(製紙会社にお勤めの方がいたらごめんなさい) リッキーの役柄はその会社の支店長で、このセコい会社の彼と部下たちのセコい日常が淡々と描かれる。

 特に気になったのは、まったく音がないこと。シットコムにつきものの録音された笑い声も、音楽も一切入らないので、シーンとしている。会社の中だけで話が進むから、アクションもなし、スラップスティックもなし。ただしゃべるだけ。しゃべると言っても、アメリカのコメディのような、騒々しいマシンガン・トークを連想してはいけない。いかにもイギリス人で、みんな寡黙でおとなしいのだ。おしゃべりという設定のリッキーですらそうだ。あまりに静かなのでいたたまれなくなるぐらい。
 さらにこれはイギリスらしいと言えるのだが、完全なデッドパン・ユーモア。誰かが何かおかしなことを言ったりしたりしても、みんな白けた冷たい目で見るだけだし、本人もシラっとしている。
 このため、ドラマ全体がおそろしくスタティックで、静かで、控えめで、淡々として、寒い。おそらくこれはねらったもので、「シラっとしているけどおかしい」ところがいいのだろうが、私にはかんじんのギャグがちっともおかしいと思えなかったんだよねえ。リッキーは寒いオヤジギャグ(たいてい下ネタ)を連発して部下の気を惹こうとする、うっとうしい上司というだけだし、部下で多少個性というものがあるのは、軍隊マニアのナードだけだし。
 1話の中で1回か2回クスッと笑える程度で、とても大笑いとはいかない。泣かせるペーソスもあると聞いたのだが、私の見たかぎりではなかったな。

 そこでなんで笑えないのか必死で考えた。これはもしかして、私に会社勤めの経験がないからかも。経験のある人なら、「あるある! ああいうこと!」とか、「こういうやついるよなー」とか言って笑えるのかもしれない。ただ、私の考えでは、ただでさえいやな会社みたいなところの現実を、そのままドラマにしたものなんか見たくもないって感じなんだけど。
 もうひとつ、可能性があるのは、私が見たのは最初の3話だけなので、このあとおもしろくなるのかもということだが、あんまり期待できそうにないなあ。うーむ‥‥

 私も日ごろから、人様との好みの違いに愕然とすることが多いが、こんなに極端なのは初めてだ。ショナ・ダンシングには私はあれだけ熱狂したのに、世間的にはまったく受けず、シングル2枚で解散。なのに、“The Office”のリッキーは、永遠に英国コメディ史上に名を刻んだんだから。
 彼は主演であるのみならず、監督・脚本にも名をつらね、才人ぶりを見せている。ロック・ミュージシャンの末路としては、きわめてまれな成功で、何はともあれ、良かったねと言っておこう。たくわえた贅肉もむだにはならなかったし、自分の本当の才能を見つけられてよかったね。私はそうは思わないけど。
 なんかさみしい‥‥と思う私の背中に、まだ寒い3月の空っ風がひゅーひゅーと吹き付けるのであった。

2007年3月14日 水曜日

Hidalgo (2004) Directed by Joe Johnston 『オーシャン・オブ・ファイヤー』

 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のリビュー(2007年2月8日)で、「ヴィゴ(モーテンセン)にはカウボーイが似合うので西部劇に出てほしい」なんて書いていたが、単に私が知らなかっただけで、彼はすでにちゃんとカウボーイ役をやっていたのである。これがその映画。こんなの撮っていたのも、日本で公開されたのも知らなかった。
 このDVDは借りたのではなく買った。たまたま中古ビデオ屋の棚を見ていて、ヴィゴ・モーテンセンという背文字が目に入ったので、裏の解説を見て、すぐ買った。だって、500円だったんだもん(笑)。これならレンタル代とたいして変わりない。
 とはいえ、緊縮財政の私としては、最近は映画DVDは本当に死ぬほど好きなものしか買わないことにしている。でもこれならいいの。私の目的は馬だから。「1000年の歴史を持つベドウィンの、純血アラブ馬だけが参加できる、アラビア半島を縦断する3000マイル(4800キロ)の耐久レースに、史上初めて参加したアメリカ人カウボーイの話」と聞いただけで、絶対買いじゃない。アラブ! ベドウィン!と聞いただけで、私は血が沸き立ちますね。
 私がアラブやイスラムに好意的なのも、政治とはまったく関係なく、世界最高の馬を育てた人々だからである。ちなみにイギリス人好きなのもそのせいかも。もっとも、イギリスのサラブレッドは、かっぱらってきたアラブ馬を改良したものだけど。
 よって、『アラビアのロレンス』も大好きなのだが、それというのも美しい砂漠と美しいアラブ馬がいっぱい見られるから。あの映画で何にいちばん興奮したかというと(いい加減な記憶で書いてます)、アンソニー・クイン(だったか?)扮する族長がロレンスに「わしの妻たちを紹介しよう」と言って、ロレンスがハーレムを見せられると思っていやな顔をするんだが(彼はゲイだからね)、さっと天幕が開くと、どんな美女より美しい純血アラブが現れるところだった。
 この映画もストーリーから言って当然ながら、美しい砂漠を疾走する、美しいアラブがたくさん見られると思って。もっとも、動物映画を見ていつも私が不満に思うのは、動物よりも人間のドラマが多いことだが、人間もヴィゴならいいや(笑)って感じで。

 ちなみに19世紀の話だから西部劇と言ってもいいのだが(お話の舞台はほとんどがアラビアですけどね)、ヴィゴが扮するフランク・ホプキンズは正確にはカウボーイじゃなくて、ポニー・エクスプレス(馬に乗った速達便の配達人)。そのかたわら長距離レースに出ていて、大西部ショーとかにも出てるらしい。バッファロー・ビルとも友達。しかもこれが実話だと言うのだ。おおー!
 ところで私が西部劇好きというのは知ってた? 好きというより、私は西部劇で育ったもので。私のご幼少時、日本のテレビはまだ黎明期で、国産の番組は少なく、ドラマとかアニメとかはほとんどがアメリカから買い付けたものだった。とか言うと、150才ぐらいだと思われそうだな(笑)。若い人には想像つかないでしょうが、日本に(西洋式の)大衆文化が根付いたのなんかごく最近なのよ。
 それでそういうアメリカ製ドラマの中でも日本の庶民に人気だったのは西部劇で、やっぱり勧善懲悪のヒーローものでわかりやすかったからかな。子供の私も大人といっしょにそういう番組を見ていたのだが、なにしろ物心つくかつかないかぐらいのチビだったので、話の内容はよくわからないことが多かった。でも生まれたときから動物好きだった私はとにかく馬が出ているのを見るだけで満足で、西部劇が始まるとテレビの前に釘付けになっていたものだ。
 そもそも、私が馬好きになった原因も西部劇だと思う。「馬好きは血だ」と言った人がいて、私も先祖はモンゴルの遊牧民族かなんかだと信じたいが、やっぱり西部劇の影響が大きい。東京で生きた馬が見られるのは競馬場ぐらいで、他に原因は考えられないし。大人になって馬に乗りたいと思うようになったのも、小さいころ見た西部劇で、馬がどんなに美しくて賢くてすばらしい動物かがしっかり刷り込まれていたせいだろう。
 そんなわけで、小さいころから、「うま、うま、うま」と馬に異常に執着する子供だった。(ちなみに恐竜好きになったのは東宝の怪獣映画のせいである。とてもわかりやすいね。というか、小さいころから物事にハマりやすい性格だったんだな) 青山学院高等部なんていう身の程知らずの高校に入ったのも、東京で馬術部のある高校はほかにあんまりなかったからだ。残念ながら私みたいな貧乏人では、高校のクラブぐらいしか馬に乗るチャンスはなかったからね。
 これだけくどくど書けば、私がいかに馬好きかわかってもらえるでしょう。でも馬は憑くんだよね。「憑」という文字にもちゃんと馬の字が入ってるじゃない。

 “LOTR”のメイキングを見て、あらためてヴィゴに惚れ直したのも、彼が本当の馬好きだとわかったから。特にこの主人公のホプキンズという人は、馬を商売にしているにも関わらず(だからこそと言うべきか)、馬第一の主義の人だったそうで、これは絶対ヴィゴ以外の役者にはやらせたくない。
 2週間かそこらの特訓で、かろうじて鞍の上に乗っかってるだけの役者とか、もっと悪いのはニセ馬(LOTRのスタッフはphony ponyと呼んでいた)の上でジタバタしてるのなんか見たくない。
 その点、ヴィゴはLOTRのDVDを見て、馬に乗れる、ばかりかかなり乗り慣れているうえに、本当に馬が好きな人だとわかったので。どうせ役者は芝居をしてるんだから、なんだっていいだろうって? ダメなの! 「馬は人を見る」と言うが、私もケダモノなので、本当に動物が好きな人かどうかは見ただけでわかるのだ。
 でも彼のルックスでは中世ものやファンタジーは似合わない。でもカウボーイならぴったり!

 しかし、今回の主役はヴィゴではない。馬である。原題の『ヒダルゴ』も主人公の馬の名前。で、その馬が画面に現れたとき、内心、「しまった!」と思った。
 とにかく私はアラブ馬――宝石よりも価値があり、王宮のような厩に住んで、王侯貴族のように大事にされているアラビアの純血アラブ――を見ることで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかったが、考えてみたらカウボーイが純血アラブに乗ってるわけないね。マスタング(テキサスあたりの半野生馬)で、しかもピントー(西部劇でよくインディアンが乗っているまだら馬)じゃないか。いや、マスタングにはマスタングの良さがあるのはわかっているが、やっぱり馬も美形のほうが好きな私としては、ちょっと‥‥。メガネでもかけたようなマヌケな模様で、ポニーみたいに小さいんだもん。ピントーは主役の乗る馬じゃないんだけどな。
 もちろん、そこがこの映画のねらいだってことはわかる。高価で気位の高い純血馬を、見栄えのしないちっぽけな雑種馬が負かすってところがドラマなんだけどねえ。私はやっぱりアラブのほうが好きだな。
 ここで蘊蓄。競馬の世界じゃアラブはバカにされているけど、日本で走っているのはサラブレッドとの混血。本物の純血アラブ、それもアラビアの王族が飼っているようなやつは、すばらしく気品があって美しく、門外不出の家宝なのだ。映画の中でお姫様の命より種馬が大切とされているのも、よくわかる。

 気を取り直して映画の話。見始めて、ディズニー映画だってことを知ったときは、これも「しまった!」と思った。こないだの『南極物語』で懲りたからね。でも長々と前置きを書いているのでおわかりの通り、実はこれが意外な拾い物だったのだ。

 良かった理由その1は、お金がかかってること。どうせ金払って見るからには、コスト・パフォーマンスの高い映画のほうがいいじゃない。〈500円なのに?〉
 馬の出てくる映画は人間なんかよりよっぽどお金がかかるのである。これもLOTRで言っていたのだが、映画に使う馬は買い取らなきゃならないんだって。(なんでだかわからないが。拘束時間が長いからかな?) それで、スタント馬も含めて1頭につき3〜4頭は必要で、しかも馬というのはものすごく高価なのである。
 さらに、時代劇はお金がかかる。セットから衣装から、現代劇とは比較にならない費用がかかるからね。
 さらに、海外ロケの映画はお金がかかる。アメリカにだって砂漠はいくらでもあるんだから、これなんかアメリカで撮ってもよさそうなものだが、ちゃんとモロッコの砂漠で撮っている。しかも砂漠のような過酷な環境では、よけいお金がかかる。
 こんなわりと地味な映画にこれだけお金をかけているのは驚きだった。しかもセットにしろ、衣装にしろ、すばらしくよくできていて、安っぽさをみじんも感じさせない。アラブ服はいつ見てもすてきだし、豪華な天幕にもうっとり。砂漠の中の町のセットも、張りぼてではなく、ちゃんと現地式に泥のレンガを組み上げて作っている。

 ストーリーはヒダルゴとホプキンズがレースに参加して勝つ話、と要約しちゃうと実に単純だが、それにふくらみを持たせてあるところに感心した。
 そもそもホプキンズがわざわざアラビアまで出かけていったのには理由が2つある。マスタングの群れが「駆除」されることを知った彼は、馬たちを買い取ろうとするのだが、その金がないので、多額の賞金が目当てということがひとつ。
 さらにこれにネイティブ・アメリカンの問題をからませてある。ホプキンズはインディアンと白人の混血児という設定なのだが、彼は「ウーンデッド・ニーの虐殺」(騎兵隊がなんの罪もないスー族を無差別に虐殺した歴史上の事件。しかし、話のほんのマクラに過ぎないのに、これをちゃんと映像化したのもえらい)を目撃し、また西部ショーで、インディアンが悪者として扱われているのを見て心を痛めている。マスタングはインディアンの象徴でもあり、ヒダルゴは「雑種」と呼ばれてバカにされる。つまり、彼の挑戦は金だけではなく、インディアンとしての誇りと名誉をかけての戦いでもあるのだ。
 北欧系のヴィゴがインディアンの混血を演じるのは文句言わないのかって? まあ、彼は頬骨が高いから、メイキャップすればけっこうそう見えない? 目が青いのが変だけどね。(青い目は劣性遺伝なので、両親ともに青い目の遺伝子を持っていないと現れない)

 でも、レース自体は砂まみれの人と馬がひたすら走る映画かと思ったら、それも違った。だいたい走らない(笑)。いや、もちろん全力疾走のシーンもいっぱいあるのだが、何しろ4800キロですからね。それを走り通したら、いくら馬でも死んでしまう。むしろ歩く方が多いし、馬から下りて引いて歩くところも多い。
 それではますます地味な映画になりそうなものだが、ちゃんと「悪いライバル」が出てきて邪魔をするのはお約束。ここでは、自分の持ち馬を勝たせたいイギリス人女性レディ・ダヴェンポート(Louise Lombard)と、チャンピオン・ホースを盗もうとたくらむ悪い王子(Said Taghmaoui)がそれに当たる。
 悪役がいいことはいい映画の条件だが、この2人がなかなかいい。特にレディ・ダヴェンポートを演じたルイーズ・ロンバードは、見るからにイギリス貴族らしい気品と風格のある女優さんで、品があってなおかつ色っぽい悪女を見事に演じた。しかし、チャンピオン・ホースの種付け権を手に入れるだけのために人も殺すって、ありえないように思えるだろうが、大いにあり得るのだ。
 おまけに主催者の族長(Omar Sharif)の娘で、王子の婚約者であるジャジーラ(Zuleikha Robinson)はホプキンズに気がある様子で、あらぬ疑いをかけられたホプキンズは、去勢されそうになっちゃうし、さらわれたお姫様を奪還しに行くという、派手なアクション・シーンもある。ジャジーラは伝統にとらわれない「進んだ女性」で、このあたりちゃっかりイスラム批判も。
 もちろん、砂漠と言えば、砂嵐や流砂やイナゴの襲撃といった自然の脅威もお約束。これはどうせCGだとわかっているが、それでもけっこうな迫力でした。
 ホプキンズの皮肉屋の従者ユーセフと、小生意気な黒人奴隷の少年はコミック・リリーフとして登場するが、どっちもかわいくておかしい。
 最初はホプキンズを異教徒として敵視しているが、彼に命を助けられて友達になる(でもって彼を救うために命を落とす)、誇り高いアラブ人とかもお約束だが泣かせる。
 とにかくこの人たちが入り乱れてのレースだから波瀾万丈。いくらなんでも盛り込みすぎじゃないかと思えるぐらいサービス精神にあふれている。よっておもしろい。タッチストーン・ピクチャーズの映画というと、前にも書いたように、「ほどほどの予算で、ほどほど見られる作品に仕上げました」というのばっかりだと思っていた私としては、うれしい驚きだった。これだけ正統派エンターテインメントした映画は久々に見たと思うぐらい。

 それもただ単におもしろそうな要素を盛り込んだだけなら、それこそ子供だましのマンガになってしまうが、それぞれのエピソードやキャラクターが、手を抜かずにきっちり描かれているので安っぽくない。
 たとえば、族長の従者の黒人の宦官。この人なんかほんのちょい役なのだが、後ろに立ってるだけですごい存在感があり、ジャジーラ救出のときには剣を振るっての大立ち回りを見せて、やたらめったらかっこいいんだわ。彼はその最中に殺されるのだが、ジャジーラがあとから彼を思って涙を流すところで、主従の絆の強さが強調されて感動させる。
 そのジャジーラを演じたズレイカ・ロビンソンもいい。名前から言ってアフリカ系か? 決して美人というタイプではないが、初々しい可憐さと、芯の強さを感じさせて、いかにもベドウィンのお姫様らしかった。
 役者はアメリカ人、イギリス人、フランス人、アフリカ人、インド人などが入り乱れ、国籍はめちゃくちゃなのだが、アラブ人同士はちゃんとアラビア語で会話する(よって英語版でも字幕が入る部分がかなり多い)のも、アメリカ映画としてはえらいと思った。
 そうそう、オマー・シャリフってまだ生きてたんですね! アラビアものというと必ず出てくる人だが、私の感覚じゃ大昔のスターのような気がしていたが。まあ、『アラビアのロレンス』で共演したピーター・オトゥールも現役なんだから、それほど驚くことないか。しかしピーターがよぼよぼのおじいさんになっちゃってるのに、やけに若々しく精力的なシークだ。

 役者と言えば、かんじんのヴィゴだが、彼はもう期待通り。この人、本当に西部男が似合う。というのも、西部劇で覚えた西部の男といえば、寡黙で不器用だが、勇気と思いやりにあふれた正義漢というもので、ヴィゴそのものじゃない? いや、役作りだけの話じゃなく、素顔もまさにそういう感じの人なんだってば。
 「アクションは下手」とも書いたが、馬にまたがるとまさに水を得た魚のように生き生きしている。
 ただ、西部に置いておくぶんには実にかっこいいのだが、カウボーイ・スタイルでベドウィンの騎手の中にまじると‥‥。やっぱりどっちがかっこいいかと言えば、私はアラブの味方だなあ。
 あと、馬以外の動物もすてき。「いいライバル」はタカを連れていたり、悪い王子は犬じゃなくて2頭のヒョウを使っているあたり、「ありえない」とは思うが、やっぱりかっこいい。イナゴもすてき。砂漠は他に食料がないからと言って、人と馬とでバリバリ食べちゃうあたり(笑)。(もちろん作り物ですが)

 というわけで、役者は思ってもみなかったほどよかったのだが、問題は主役の馬だ。
 まあ、ヒダルゴも見ているうちにかわいく見えてくる。たしかにお利口だし。これを見ていて、また昔の西部劇を思い出した。よく出てきたんですよね、こういう馬。主人の言葉を理解して、一芝居打ったり、自分でつながれた縄を解いたり。まあ、縄ぐらい賢い馬なら教えられなくても自分で解くけどね。かんぬきだって器用に唇で開けて逃げてしまう。自分の利益に関するところは猿並みに利口なのだ。ただ、現実の馬は絶対にそれほど主人に忠実じゃないけれど(笑)。犬じゃないからね。だからそういう部分はいかにも作り事のお話。
 ただ、三白眼なのがなあ。すぐに白目をむくのだが、馬が白目をむくのは、不機嫌ないらだっているときで、気が悪い証拠なのだ。
 それに対して、私のお目当てのアラブ馬はというと、たしかにたくさん出てくるし、確かに美しいんだが、アップになるのはヒダルゴばっかりで、あんまりよく見えない! 特に、ヒダルゴの最大のライバル、チャンピオンのアル・ハタル(名前からしてかっこいいね)はもっとよく見せてよ!

 それで話が進んで、だんだんゴールが近づいてくると、どうなるんだろう?と心配になってきた。もちろんヒダルゴが勝たなくてはすべてが水の泡になってしまう。でも常識から言って勝てるわけがないんだよね。絶対に無理。スピードの絶対値がアラブとマスタングとでは違いすぎるというのは別としても、アラブ馬は砂漠で生まれ砂漠に適応するように改良されてきた馬である。馬は非常にデリケートな動物なので、外国遠征というだけでもすごい負担なのに、ましてこんな過酷な条件下でまともに勝負ができるはずがない。おまけに、19世紀の話だから、何か月もかけて船で渡ったわけでしょう? たとえヒダルゴがどんなに傑出した名馬であっても優勝は無理だ。
 と思っていたのだが、優勝しちゃうところがディズニーですね。しかし、これって実話のはずだったのでは? 本当に勝ったのか?と不審に思って、ウェブで調べたところ‥‥
 フランク・ホプキンズは確かに実在の人物で、この脚本は彼の話を忠実になぞっているのだが、あくまでホプキンズがそう言ったというだけ。それにどうもこの男はかなりのほら吹きだったらしく、そもそもこんなレースが存在したということもあやしいのだそうだ!
 がくっ。それなら何も実話としないでもよかったのに。お話としては十分おもしろいんだから。ところがウェブでは、この話の真贋をめぐっての議論が沸騰し、しまいには(時節柄)「アメリカvsアラブ世界」の政治論争にまで発展してしまっているのだ。ああー、何も映画にそんな目くじらたてなくても。嘘に決まってるんだから。嘘は嘘として楽しめばいいじゃん。

 というのも、私はこのラストに不覚にも感動してしまったのだ。だから、「ゴールはダマスカスのはずなのに、ゴールしたヒダルゴとホプキンズはそのまま海に駆け込んでいく」(ダマスカスは内陸の都市である)とかいうイチャモンは言わない。それより、それまでさんざんホプキンズをバカにしていたアジズが大喜びで旗(他の騎手は金きらの立派な旗なのに、これはアジズが作ったボロ切れにぞんざいにインディアンのシンボルを書いたもの)を振り回すところに素直に感動した。
 それに続く、マスタングの解放シーンもすばらしい。CGで増殖したニセ馬じゃない、本物の野生馬の大群(本当は野生馬じゃなくて、有志のボランティアが飼っている馬を撮影用に提供したのだが。550頭いたそうだが、私の目には何千頭もいるように見えた)が草原を駆け抜けるシーン。ここでホプキンズはヒダルゴも解放してやるのだが、この別れのシーンも感動的だし。

 あー、おもしろかった。と、久々に見て幸せになれる映画だった。昔のディズニー映画ってのは、本来こういうものだったんだけどなあ。

P.S. と、言ったそばからイチャモンを付けてしまうのが悪い癖。ゴールを前にして、ホプキンズはヒダルゴから鞍を外す。最後の全力疾走に賭けて、重量を少しでも減らすためだと思うが、前にも書いたように裸馬に乗る人を尊敬している私は「やったー!」と思った。でも見ていると、チラチラと鞍が現れたり消えたりする。ああー! これは『ナルニア』と同じで、あとからデジタルで鞍だけ消してるな。どうせ消すんならちゃんと消せ! ていうか、ちゃんと鞍なしで乗りなさい。高校生のヘボ騎手の私だってできたんだから、あなたならできるでしょ!

P.P.S. LOTRのときも撮影終了後に自分の乗っていた馬を買い取ったヴィゴだが、このときもヒダルゴ役の馬を買ったのだそうだ。引退したら牧場でもやるつもりだろうか? いいなー。

2007年3月16日 金曜日

 あああ、いかんいかん。これではこの日記は映画日記になってしまう。もっともその方が読者の受けはいいのは知ってますが。あ、上に、感想送れなんて書いたら、さっそくメールしてくれた皆さま、どうもありがとうございました。感想が知りたければブログにすればいいんですけどね。どうも、顔の見えない不特定多数の人間が、自分の書いたものに勝手なことを言うのって抵抗があって。(自分も勝手なことしか言ってませんが) 中には当然、変な人もいるし、アダルト業者の荒らしもいやだしね。少なくともメールなら1対1でちゃんと向き合ってる感じがするし、いやなメールは捨てちゃえばいいだけだから。

 とりあえず、映画ばっかりになってるのは、映画なんてのんびり見てられるのは休み中だけだから、この時期に集中して借りてくるせい。店は年中無休だから私に休みはないんだけど、少なくとも大学が休みの間はいくらか暇があるので。
 しかしその間もちゃんと生活はしているわけで、なんか他にもいろいろ書くことがあったような‥‥。でもほとんど忘れた(笑)。
 ああ、そういえば、Paul Draperがいよいよ始動しましたね。年内には確実にソロ・アルバムが出るでしょう。Desperate Iconsのほうに新しい音源(アルバムとは無関係のようだけど、現在のPaulの歌が聴けます)のリンクも付けておきました。普通ならここで上へ下への大騒ぎをするところだけど、これだけ待たされちゃうと、あんまり気合いが入らなくて、「あっそ」とまではいかないが、かーなり冷めた気分なのも確か。でもPaulの歌はぜんぜん変わってないようなので、アルバムには期待。
 これに関係して、MansuniteのSuziからメールがあった。Paulのソロの日本でのプロモーションに協力してほしいという依頼。うれしくなって、「なんでもするする! 何をすればいいの?」と訊ねると、サイトやなんかで宣伝してほしいという。それだけ? そんなの頼まれないでもしています、無報酬で。
 そういえばManicsも始動。そしてさっそくオフィシャル・サイトの通販のみで出た限定1000枚の7インチを買い逃す。これもバカ高い金出して買うはめになりそう。あーあ。もうすぐBrett Andersonのソロも出るし、私の「恋人」たちの復活はうれしい知らせだ。
 と書いてから、Brettのオフィシャル・サイトを見たら、フォト・ギャラリーにいっぱい写真がある。それも普通は見られないプライベート・フォトばかりで、ご幼少時から、少年時代やアマチュア時代や、ファンにはヨダレものの写真ばかりだ。これで見ると、子供のころは完全な金髪だったんだな。白人は年を取るにつれて髪の色が濃くなるのは知ってたが、15才ぐらいのときでもまだ金髪だったのに、これだけ真っ黒な髪になる人もめずらしい。ブロンドも似合うじゃん。
 この人は裏切られないので好きだ。何がってルックスが(笑)。出てくるたびにどうなってるか心配しないですむもんね。あいかわらずスリムだし、ヘアカットも着ているものもすてきだし、何よりいまだに美しい。(Paulのことはほとんどあきらめてるな)
 音は地味なバラード主体のようだが、彼はこれが真骨頂なので良いとする。ああ、私にもちょっと春が来たみたい。

 一方、私生活ではカナダのスコットからまたプレゼントが届く。実はクリスマス・プレゼントだったのだが、どういうわけか私には届かずに返送され、それをまた送ってくれたもの。ものは彼が大ファンだというSin Cityのコミック。私が『アキラ・クラブ』を贈ったお返しらしい。気持ちは本当にうれしいんだが、私はこのコミック自体も、Frank Millerの絵もそれほど好きってわけじゃないんだけど‥‥
 しかも彼が送ってくれたのはサイン入りの限定ハードカバー。彼自身のコレクションだったもの。高かっただろうに。大事なものでしょうに。(しかも重い本なので、2回分の送料だけでも大変なものだ) ここまで気前がいいと困ってしまう。
 というのも、CDやレコードのレアものなら、私はあまり好きじゃなくてもレアと言うだけで持っててけっこううれしいのだが、本にはそんな贅沢は言ってられない。うちではスペースが何より貴重なので、でっかいハードカバーはもう厳選したものしか置いておく場所もないのだ。
 でも、そこまでしてくれる人に、気に入らないなんて言えず、かといって売っちゃうわけにもいかず、ましてや「そんなのより私はお金がほしい」なんて口が裂けても言えず、笑顔でお礼を言わなくちゃならないのがけっこうつらい(苦笑)。

 ここでいきなり時事問題。と言っても例によって時期遅れだけど。でも、これは誰も言ってないようなので、つい言いたくなってしまった。

柳沢伯夫厚生労働相の「女は産む機械」発言について 【注意。これは皮肉です。文字通りに取らないように。】

 みんな怒ってるようだが、このニュースを聞いても、私はなんとも思いませんでしたね。だって、最新の生物学理論では、男も女も産む機械そのもの、どころか、遺伝子の乗り物に過ぎないことになっちゃってるんだし。
 そして卵子のほうが精子より圧倒的に「高価」なゆえに、同じ産む機械でも女のほうがはるかに上等なことがわかっているので、単なる精子生産機に何言われたって屁とも思わない。
 それが証拠に、自然界ではオスなしの単性生殖で繁栄している生物はたくさんいる。もっと「高等」な動物だって、交尾後はメスの栄養源でしかないカマキリのオスや、メスに寄生するアンコウのオスみたいなのがいる。アンコウはBBCのドキュメントで見たのだが、メスのお腹にくっついたちっぽけなオスは、しまいにはヒラヒラのミイラみたいになっちゃって、栄養分もメスの血液から取って完全な寄生体になるのだが、その状態で、一生精子を提供し続けるのだ。中には、オスはメスの子宮の中に寄生して精子を作るだけという生物もいる。
 メスだって、女王アリや女王バチは卵を産むだけの機械じゃないかと思うかもしれないが、それを言ったらアリやハチは全員が機械のようなもので、その中でも圧倒的に大切にされている機械は女王である。
 今読んでいる『アダムの呪い』という本(著者はオックスフォード大学の遺伝学教授だが、中身はけっこうトンデモ本だった)なんか、人間のオスはやがて人類滅亡を招くか、男そのものが絶滅すると結論している。なんかかわいそうだねえ(笑)。

2007年3月24日 土曜日

スポーツの話

 日記の間があいてますが、忙しいわけじゃありません。例年の春鬱症で、何もやる気が起きないだけです。そんなわけでダラダラしながら、今日は、フットボールのキリン・カップ日本対ペルー戦、世界フィギュアの女子フリー決勝、世界水泳シンクロナイズド・スイミングのチームフリー決勝をザッピングで見る。このあとはスキークロスの決勝を見る予定。ああ、忙しい(笑)。
 いや私はべつにスポーツなんてそれほど好きじゃないんですけどね。最近はテレビで見るのはもうスポーツ中継だけだ。よって、ファンでもないので、勘違いもあるだろうし、勝手な悪口を言ってますが、ファンの方ご容赦を。

 フットボールは高原と中村俊輔という絶好調(らしい)海外組が初参加というので期待して見た。オシム流のフットボールではむしろこういう「スター」は邪魔者かと思ったが、結果は高原が1ゴール、中村が2アシストで、彼らの独壇場でしたな。でも、国内組やU-22の若手もそれぞれに見せ場を作り、見応えのある試合だった。勝ったのはまあ、ペルーがあまりにふがいないせいもあったけどね。
 特に高原は、いまだにワールドカップ・ドイツ大会の直前、ドイツ戦で見せた鮮やかな2ゴールがまだ目に焼き付いている。「もしかしてあれが今大会のハイライトだったんじゃないか」という予想は当たってしまって、かんじんの本番ではさっぱりいいところがなかったけど。でも、その後のドイツでの活躍を見ると、やっぱり本物だったんだと思って、ぜひこの目で確かめたかったのだ。
 あいにく、あのときみたいに強引にドリブルで攻め込むのではなく、セットプレイからのゴールだったが、やっぱりうまいわ。確か、高原はワールドカップまでドイツではいいところがなく、あの試合を見た現地ファンからは「なんで自分のチームでもこれをやらない?」なんてなじられてたが、ある程度水に慣れたところで、本来の良さが出てきたんだろうな。
 なんか昔の日本馬の海外遠征を思い出す。昔の日本の馬って、海外へ行くとまったく良さが出せなくて、でもあきらめずに海外で小さなレースを戦っているうちに、徐々に調子を上げてくることもあったのだ。まして、馬と違って言葉の壁があり、食べるものから何から違う人間はもっと大変だろう。でもやはり世界の一線級にまじって戦っている人の力は違うというのが今日の印象で、日本の選手は若いうちからもっともっと海外へ出て行くといいのに。と言うと、Jリーグファンには怒られるだろうが。
 高原は日本人にはめずらしく、重戦車(ってほどでもないか)のような迫力があるから好きだ。

 フィギュアは私の予想通り、安藤美姫が優勝。でも、4回転も見られなかったし、大きなミスがなかっただけで、あんまりおもしろくなかった。少なくとも荒川静香には美しさがあったし。でもガキじゃなくて大人が勝ったのでよかった。結果としてアジア人が上位3位を独占したわけだが、やっぱり小さくて細くて軽いほうが有利というのは一目瞭然。中国がフィギュアに力を入れるようになれば、きっと全部中国にさらわれるだろう。シンクロも素人目には中国がいちばんおもしろかった。

 でもシンクロって嫌い。私にはまったく美しさが見出せないから。だって、鼻に洗濯バサミ付けて、化け物みたいな厚化粧に不気味な笑いを浮かべた、女子プロレスラーみたいな筋肉女が、水から足突き出してるのを見るのは、私の審美眼にはどうも‥‥(笑)。もちろん私にあれをやれって言われたって、逆立ちしてもできませんが。逆立ちすらできないし(笑)。
 だいたい、ジャンプするにも、下から押し上げてもらってやっとだからな。どうせなら、水上に5メートルぐらいジャンプして輪くぐりとかしてほしい。ってイルカじゃないんだから(笑)。でもやっぱり私は優雅さでも力強さでもイルカを見てるほうが楽しいや。
 こういうのを見ていると、やっぱり動物ってえらいと思う。運動している動物はすべて美しいし、なんの苦もなくやるもんな。その点、私の目にはフットボールがいちばん美しく見える。あいつらは動物か?(笑) いや、泳いだり、滑ったりするより、蹴る方が人間の自然な動きだからかもしれない。

 美しいといえば、CMのベッカムを見ていて思ったのだが、あいつにしゃべらせるな! 黙ってさえいればあんなに美しくかっこいいのに、口を開いたとたんにすべてがぶちこわし。あのひどいキンキン声に、まぬけなアクセントだからなあ。あれだけのハンサムだから、引退後は映画俳優にとも思ったが、あのアクセントじゃ絶対無理。やはり天は二物を与えずか。
 そういや、ベッカムのDVD買ったんですよ。2枚も。もう叩き売られていて、こういうのは今のうちに買っておかないと見られないと思ったので。でも当然ながら、インタビューとかが含まれていてしゃべるんだよな(笑)。それを見ていたら、かなり興ざめしてしまった。

2007年3月26日 月曜日

確定申告の話

 今日は心も浮き浮きと税金の確定申告に行く。税務署なんか行くのになんで浮き浮きしてるのかって? そりゃもう、税務署というのはお金をくれるところですから(笑)。嘘うそ。もちろん不当にも払いすぎてるから取り戻しに行くだけなのだが、それでも一度はなくしたと思ったお金が返ってくるのはうれしい。申告期間はとっくに過ぎてるが、最近の税務署はちゃんと払ってさえいれば、申告なんぞ何か月遅れようが、平身低頭で迎えてくれる。
 だいたい申告書も最近はインターネットで作れて、郵送でもいいのだが、郵送料(120円)が惜しいと同時に、高い税金払ってやってるんだから、せめて書類作りぐらい税務署員にやらせて頭下げてもらわなくちゃ気が済まない(笑)。
 さらに、今日はうらうらとのどかな、絵に描いたような春の日なので、ふだんはバス(200円)で行く税務署まで歩いていくことにした。歩くと30分ぐらいかかるのだが、自転車は盗まれたきり、まだ新しいのが買えずにいるし。
 でも、駅から税務署までは、前にも書いた遊歩道をずっと歩いていける。私はこの道が本当に好きで、ここならいくら歩いても苦にならない。広い道なのに車はまったく入れず、木に囲まれた森の中みたいな道で、植えられている植物の種類の多さもすばらしい。よって一年中何かしら花が咲いているし、桜はまだでも実に春らしくてきれい。私はふだんはせかせか歩くのだが、こういうところを歩いていると、自然と歩みもゆったりとしてきますな。

 それで税務署に着いたのだが、今年は原稿料収入29万円も申告しなくてはならない。それで、書類を差し出したところ、「必要経費は?」。あちゃー! 給与と違って、原稿料は必要経費を差し引くことができるのを忘れてた! と言っても、実際は私が頭で考えて書いただけのものだから、必要経費はゼロ。あえて言うなら、パソコンの電気代ぐらいだ。それをゼロ申告とは、私ってなんて正直者なんだろう。
 ところが、相手をしてくれた税務署員は、「適当でいいですから」と言う。「でもー、領収書も何も取ってありませんし」と言うと、「いいです、いいです。いくらでもおっしゃる通りに書きますから」と、まるでセールスマンのような熱心な口調で言う。
 うーむ‥‥と、私は悩んでしまった。税務署がここまでサービス良くていいのか? だいたい、それじゃこれまでシコシコとレシート集めたりした手間はどうなるんだ? いくらでもと言ったって、いったいいくらと言えばいいのか?
 頭の片隅で、「30万円と言え!」という悪魔の声がする。以下、私の中の天使と悪魔の会話。

悪魔 「30万にしておけば、このぶんの税金(2万9千円)戻ってくるんだから」
天使 「でもー、あんないい加減な原稿さらさらっと書くのに30万も使うはずないじゃん」
悪魔 「税務署がいくらでもって言ってるんだから、言われた通りにすりゃーいいの」
天使 「30万なんて、海外取材でもしないかぎり使わないよ!」
悪魔 「証拠も何もいらないだから、関係ないじゃん」
天使 「そんな見え透いた嘘ついて、脱税で逮捕されたらどうするのよ?」
悪魔 「30万ぽっち(私には大金だが)どうでもいいと思ってるからああいうふうに言うんでしょ。せっかく親切に言ってくれてるんだから、ご厚意に甘えなくちゃ。私みたいな低所得者には、これだって大きいよ。だいたい、この収入も今年の住民税に跳ね返ってくるんだぜ。ほら、早く!」
じゅんこ 「あのー、えと、5万円」
悪魔・天使 「バカ!」

 あーあ、金持ちなら何十億と税金ごまかしてるのに、たったの30万で腰が引ける、これこそ貧乏人のあかしっていうか、こうだからいつまでたっても貧乏から抜け出せないのかも。
 実際、千円単位なら私はかなり鋭い駆け引きができるのだが、万を超えると、お金の実感がつかめなくて、いきなり何がなんだかわからなくなってしまうという欠点がある(笑)。うちの店の商品も、だいたいすべて1万円以下だから、その範囲ならちゃんと計算ができるんだけどね。でも、1万を超えるとわけがわからなくなって、自分の大事なコレクションでも「1万円出す」と言われると、急にあせって「売ります売ります!」なんちゃって。それであとから考えたら、店やオークションに出せば、確実に1万円以上で売れたはずなのにとか気づく。
 だから、アンドレ(前にも書いたベルギーのピクチャーディスク・コレクター)みたいな本当の金持ちとつき合うのは神経すり減ります。今夜、彼のためにオークションで落札する予定のディスクは予算20万、それを超えたら無制限っていうんだけど、たかがレコードにそれだけ出すと思っただけで手が震えてしまって(笑)。

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