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2013年8月25日 日曜日

イベント

おさかなの夏 Part2

その5.サンシャイン水族館と深堀隆介「アートと生き物の金魚展」  

金魚展の部屋のひとつ。小さくてわからないけど、唐傘の中にも小金が泳いでるんだが、これは作り物の金魚。プールの中にいるのは本物。

 子供の頃の夏の思い出というと、青々とした田畑や山のある田舎の景色を思い浮かべる人が多いが、郷里も東京の都会っ子だった私にとっては、やっぱり海水浴と、花火と、お祭りの夜店だ。そして金魚というものも夏の風物詩として深く印象に刻み込まれている。天秤棒をかついだ金魚売りの、「きんぎょエ〜、きんぎょ〜」という呼び売りの声だって覚えている。晩のおかずじゃあるまいし、果たしてあんなので金魚を買う人がいるんだろうか?というのは、当時から疑問だったけど。
 さらに今住んでる江戸川区は今では東京で唯一の金魚産地だそうで、金魚まつりなんてもやってるし、なぜか金魚に縁がある。江戸川区自体が水と魚の町って感じだし。
 というわけで、昔から金魚が好きだったので、深堀隆介をYouTubeで知ったときは、速攻で彼の画集を注文してしまった。その制作過程や作品はここで見られます。すごくかっこいいので必見。

"Goldfish Salvation" Riusuke Fukahori 深堀隆介
(別窓でYouTubeが開きます。なんでか最近YouTubeの埋め込みができないのですみません)

 代表的なのは、透明な樹脂の上に金魚を描いて、さらにその上に樹脂を流し込んだ作品。本当に生きているみたいに立体的に見えるのだが、実は描いては重ねを繰り返して立体感を出しているのだ。これはもう買えたら買いたいぐらい好き。こないだチャリティーでヤフオクに出してたのは60万だか70万だかしてたので、たぶん私には買えないけど。
 本は買ったが、やっぱりこういう立体作品は現物を見たいので、展覧会をやっていたら見ようと、前々から思ってはいたんだけど、つい見逃していた。しかし今回、水族館情報をあさっていて、偶然サンシャインでやっているのを見つけたので、さっそく行ってみることにした。
 入場料300円というのは安いが、水族館・展望台・プラネタリウム・ナンジャタウンその他もろもろのどれかの入場券を持っていないと入場できないっていうのはなんだ? まあ、サンシャイン水族館はできてから一度も行ったことがないから、一度ぐらい入ってみてもいいか。というので、金曜日の午後に行ってきました。

 しかし1978年開館っていうから、もう35年も歴史があるのか。開館したときのこともよく覚えてるけど。なのにこれだけ水族館好きの私がなぜ行かなかったかというと、「池袋の水族館? うえー!」というのに尽きる。なんといっても水族館の醍醐味というのは海の近くにあることで、海が好きな私はそれだけで祝祭気分になれるのだが、ごみごみした東京の中でもいちばんごみごみして汚い池袋のビルの上にある水族館なんて。まあ、なんかのついでがあればとは前から思ってはいたのでちょうどいいかも。
 いちばんいやなのは夏休みだし混んでるんじゃないかということだが、私は楽観してた。だって、ここ入場料1800円もするんだよ! いや、むしろ葛西臨海の700円という方が破格なんで、葛西は都営だからあの料金でできても、民間施設じゃ無理でしょうってのはわかるんだけど。くどいようだが、水族館の経営はお金かかるから。とにかく池袋なんて娯楽はいくらもあるのに、平日に1800円も払って魚見ようという人は少なかろうという読み。深堀隆介にしたって、そりゃネットではちょっと有名になったけど、「金魚展? おお、行こうぜ!」って人はそうはいないかと(笑)。

 それで暑い中、ヒイヒイ言いながらサンシャインに着いてみると、水族館入り口と書いたところに行列ができてる! ひい−! マジでー? 自慢じゃないが、私は短気が年と共にますますひどくなっているので、待たされるのなんか1分でも我慢できない。それにじっと立ってるのは、階段を降りるのの次に膝にはきついのだ。だから普通はなんであれ、行列を見たらクルッと踵を返して立ち去るのだが、ここまで来て帰るのもなあ。まあたいして長い列でもないから、15分だけ待ってやると思って並んだ。そしたらぎりぎり15分ぐらいで着いた。
 と思ったら、なんとそれは水族館のある階に上がるためのエレベーター待ちの行列だった。エレベーター乗るだけで行列なら中はいったい!?と思ったが、入ったら空いてるじゃん。こないだの葛西臨海よりよっぽど空いてる。なんなんだ、これは。だったらもったいつけて待たせるな!
 窓口で1800円+金魚展の入場料300円を払う。2100円とは高いなあ。葛西なら年間パスポートが2800円で買えるのに。ここも年間パスポートが4000円で買えて、2回来れば元が取れるのだが、15分待たされただけで「二度と来るか!」と思っている私は買う気になれない。でも現金の持ち合わせが心細くて、「カード使えますか?」と聞いたら、UCカードだと300円割引になるんだって! そんなのどこにも書いてないじゃん。やった〜! 金魚の分ただになった。 

 中に入ると、水族館の入り口のすぐそばに金魚展の入り口があったので、こちらを先に見ることにした。入ってびっくりしたが狭い! 300円という料金から推して知るべしだが、小さい部屋をさらに4つに仕切って、そこに樹脂の金魚と生きた金魚の水槽の両方が展示してある。見せ方とかは凝ってるんだが、なにしろ狭いので、作品点数も少なく、20点かそこらしか見られなかったのがすごく残念。ポスターとかは派手にやってたので、もっと大規模な展覧会かと思ったじゃないか!(というのはまんまと宣伝に乗せられたんだが)
 あと、作品が小さいのに混んでいて、あまりじっくり見られなかったのもくやしい。いやー、金魚だから、混んでるにしても、来てるのはアクアおたくとジジババだけだろうと思ってたんだが、場所柄か客は若いカップルと子連ればっか! こいつらがうるさくて集中できない。

 
まるで生きてるみたいな升の中の金魚

 とりあえず、作品集ではじっくり見ていたが、現物を見て知ったこと。ほんとにきれいだが、思ったより小さい。樹脂作品は実物大なんだからあたりまえだけど、つまり細工がものすごく細かくて、制作風景を見ても思ったけど、職人芸だなあと。
 ただ、写真やビデオでは本物そっくりの立体に見えたのだが、実はこれ、真上から見ると立体的だが、ちょっと横から見ると、平面を重ねてあるのがわかってしまう。ちょうどアニメのレイヤーみたいな感じ。そりゃ元々平面に描いてるんだから当然だけどね。それに金魚というものはもともと真上から見るように作られたものだそうだから、これが本来の姿なのかもしれないけど。
 そんなわけで、酒升に入った小さい作品はサイドが見えないのですごいリアルなのだが、大きな桶などに入った金魚は斜めから見ると切り抜きか断面図が泳いでるみたいに見えてしまう。YouTubeのコメント欄では、死んだ金魚を樹脂で固めてると思ってるアホ(ちゃんと描いてる過程を見せてるのに)がわいていたぐらいで、それだけリアルってことだが、横から見れば本物じゃないってことはすぐにわかるのにね。ただ、水草はどの角度から見ても立体に見えて、細いしこまかいし、神業だなと思った。
 樹脂作品が徹底したリアリズム(フンやゴミまで浮いてるのもある)なのに対して、壁画みたいに描かれた平面画は生き生きとデフォルメされていて、墨絵みたいなタッチがいい感じ。とにかくもっとたくさん見たかったし、ゆっくり見たかったが、今日のところはこんなものかとあきらめた。早くもっとメジャーになって、ちゃんとした美術館で個展やってくれないかなあ。
 ところで本日の目的は作品を見るだけじゃなく、あわよくばグッズを買うこと。彼の描いた金魚絵のついた、食器とかのれんとかあったら、多少高くても買う気でいたのだ。手ぬぐいとか便箋でもいいよ。ところが部屋を出ても何にもない。えー、がっかり。
 ところがあとで写真を探すため(撮影禁止だったが、もとより私はカメラを忘れていた)ネットを見ていたら、水族館のほうのショップにグッズがあったらしい。キー! もちろんショップは見たが、子供がそこら中駆け回っていたし、たいしたものがないと思って、さっさと出てしまったのだ。グッズだけ買いにまた行こうかとも思ったが、残り会期はあと2日の土日だけ。また1800円払う気はどうしてもしないのであきらめた。イベントごとにときどきグッズは作ってるみたいだが、それこそオフィシャルサイトで売ってくれればいいのに。

 サンシャイン水族館のメイン水槽。こうやって見ると大きそうに見えるが。

 それから水族館のほうを見たのだが、う〜ん、やっぱり葛西臨海を見慣れた目で見ると、「え、これだけ?」という感じ。そう悪くもないが、特に見るものもないって感じ。これが1800円なら、葛西は5000円ぐらいの価値があるなあ(実際は700円。もちろん公営だからできる料金だけど)。なにしろ商業ビルの中にある水族館なので、小さいのは覚悟していたが、テレビやネットで見たときはもっときれいな感じがしたんだけど、なんかそれなりくたびれてるし。施設そのものも葛西のほうがはるかに豪華だしきれい。
 ネオンテトラとかエンゼルフィッシュ(どちらも単体で)のような、そこらのペットショップに普通に売ってるような(私も飼ってた)熱帯魚の水槽があるのも、「?」だし。
 ちょっと気に入ったのはイワシ水槽。なぜだか知らないが、イワシの群れがつねにガラス面に沿って泳いでるので、間近ではっきり見えるのがおもしろかった。
 メイン水槽の前を通りかかったら、これから「水中パフォーマンス」をやるというので、座って待った。何かと思ったら、ダイバーのお姉さんが水槽に入って、魚にエサをやりながら解説をするだけだった。エサやりショーとも違って、エサは単に魚を集めるためみたい。それはべつにいいんだけど、穴に隠れているウツボを力づくで無理やり引っ張り出して見せるのを見て、一気に冷めたのでそれ以上は見ずに立ち去った。ウツボは気にしないのかもしれないけど、なんか動物を物として扱ってる感が気分悪すぎて。
 ところで、ここでは他の水槽でもダイバーが水槽中に入って掃除とかしていたが、思ったのは「人間ってでけえ!」ということ。なぜか、人間は自然界ではか弱く小さいものと思い込んでる人が多いが、実は陸上でも海中でも、人間は十分大型動物の部類なんだよね。

 ここは海獣を置いてるのも売り物なんだが、この狭さで大型哺乳類を飼うのもちょっと。バイカルアザラシ(世界で唯一の淡水に住むアザラシ。目が異常にでかくてかわいいというか不気味というか)が見れたのは良かったんだけど、プール狭すぎ! しかもコンクリの閉鎖空間だから、閉所恐怖症気味の私は息が詰まりそう! オタリアやペンギンなら、うちから歩いて5分の江戸川自然動物園でも見れるし、江戸川はほんとに小さなミニミニ動物園なんだけど、あっちの方がずっと広いプールがあるし。
 この辺が民間水族館の限界なんだろうけど、このスペースで海棲哺乳類を飼うのって、いかにも客寄せのためという気がする。噂では最近できたすみだ水族館(スカイツリーの中にある水族館。こちらも民営)もぱっとしない(しかも料金は2000円!)そうだし、品川水族館もショー以外は見るものないそうだし、やっぱりビルの中の水族館なんて金儲け臭がプンプンする。
 ていうか、やっぱり民営はダメだ。恐竜展が博物館でやるやつは見応えあるのに、民営だとみすぼらしくなるのと同じだな。なんか最近ちょっとした水族館ブームで、むやみにあっちこっちに新しい水族館ができるのもいやな感じだ。「都会の憩い」がほしかったら、それこそ金魚やネオンテトラだけ置いて、きれいなレイアウトだけで見せればいいよ。どうせこういうところに集まるカップルとか子供なんて、魚のことなんか何も知らないし、違いは何もわからないんだから。

おまけ1 かわいいって何?

私は子供時代のデパートの屋上を思い出させるサンシャイン水族館の屋上
と言っても、昭和のデパートはもっと貧相で貧乏臭かったですが

 こういう海獣類はほとんどが屋上にいるんだけど、これを一目見て私は強烈なノスタルジアに駆られてしまった。なんか私が子供だった頃のデパートの屋上に似ている! というのは主としてカワウソがいたからだけど。
 えー、昔々、私が中野に住んでいた頃、母に連れられてよく新宿の伊勢丹に買い物に行ったんだけど、私の最大の楽しみは大食堂で食べるお子様ランチとクリームソーダ。それと屋上のカワウソにエサをやることだった。
 今、詳細かあるいは写真がないかと検索したのだが、伊勢丹のカワウソでヒットしたのはブログが2つとツイッターが1つだけ。それもブログの人は「もう伊勢丹の屋上にカワウソがいたことを覚えている人っていないのでしょうか?」なんて書いてる。そうかあ、子供の私にはメイン・イベントだったのになあ。

 あの頃のデパートの屋上はミニ遊園地という感じで、食べ物の屋台や、10円入れると動く遊具、ゲーム機(のものすごいプリミティブなやつ)なんかが並んでいたのだが、その中にカワウソの檻があったのだ。檻の前には牛乳瓶が並んだ台があって、ここで10円入れてエサを買って、カワウソにやることができる。エサは生きたドジョウで、それが牛乳瓶の空き瓶に数匹ずつ入ってニョロニョロと上がったり降りたりしているのだ。(牛乳パックなんてまだない時代で、牛乳はすべて瓶に入って売られてた)
 檻の横に雨樋みたいなものが突き出ていて、そこからまるで流しそうめんみたいにドジョウを流し入れる仕組み。でも、カワウソたちはちゃんと仕組みをわかっていて、こちらがお金を入れただけで、樋の終点で待ち構えている。ドジョウがまっすぐカワウソの喉の中に消えていくまでほんの一瞬の出来事で、何がおもしろいのかと思われるだろうが、私はこれが死ぬほど好きで、母に「またなの」とあきれられながらも「10円ちょうだい、10円!」とせがんでは毎回ドジョウを食べさせていた。
 今なら考えられないよね。あの調子で客に勝手にエサやらせて平気だったのか?というのもそうだが、(エサの量については、あくまで檻の前に置くドジョウの数を制限することでコントロールできたな)、あのカワウソってもしかして絶滅したニホンカワウソ? 実はそれを調べたくて探したのだがわからなかった。でも絶滅動物の常で、カワウソだって絶滅するまではありふれた動物だったから大いにあり得る。少なくともサンシャインにいたコツメカワウソよりずっと大きい種類だった。
 
 というぐらい、カワウソ好きだった私だが、思い起こしてみればカワウソがかわいいとは少しも思っていなかった。私はカワウソがかわいいからエサをやりたいと思ったわけでもなければ、おなかを空かしていてかわいそうだと思ったからエサをやりたかったわけでもない。
 それどころかショッキングなことに、小さいころからこれだけ動物好きで、いろいろな動物を飼ってきた私なのに、子供の頃は動物をかわいいなんて思ったことは一度もない。えー! 子供ってかわいいものが好きなはずじゃないの? だから親は子供にかわいいものを与えたり着せたりするんじゃないの?
 いちばん簡単な答は私が子供の頃から変わり者だったということだが、まあそう言わずと聞いてほしい。

 人間が何かを「かわいい」と思うのは、本来我が子に向けられるべき母性愛(父性愛)が、間違って転嫁された結果だという説を聞いたことがある。
 私が大の子供嫌いで、母性愛になんらかの欠陥のある人間であることを思うと(自分の子供にはそうじゃないことを祈るが、どっちにしろもう遅い)、この説は大いに正しいように思う。それに子供の頃、つまり自分がかわいがられる立場だった頃は動物をかわいいと思えず、大人になってから思うようになってきたというつじつまも合う。
 いや、ホント。たとえば犬はいちばん誰でも感情移入がしやすいし、また全身全霊で愛情を返してくれる動物だから、動物好きが犬を飼っててかわいいと思えないのはあり得ないような気がするが、子供時代の私はそうだった。それなりに犬と遊んだり世話をしたりしていたにもかかわらずである。近所の犬ともよく遊んだが、それはただの遊び友達で、かわいいとは思ってなかった。
 そのくせ、動物を飼いたがり、動物園へ行きたがり、テレビの動物番組や(べつに動物番組でなくても、馬が出てくるというだけで西部劇を好んだ)、家にある動物図鑑を毎日むさぼるように見てたんだから、矛盾してるように見えるだろうか?

ロンドン動物園のカワウソ

 正確に言うと、私が伊勢丹のカワウソにエサをやりたかったのは、カワウソの反応がおもしろかったからである。樋にドジョウを入れる前から、一連の決まった行動を取るのがおもしろく、ときどきドジョウをキャッチするのに失敗して逃がしてしまい、大騒ぎで奪い合うのもおもしろかった。
 あの当時の私のカワウソに対する気持ちを一言でいえば、「興味深い」というのがぴったりだ。言ってみれば、私はまるで小さな動物行動学者のようにカワウソを観察して、ただ観察することに満足していたのだ。
 虫なんかもそう。今からすると信じられないが、私は虫を捕ったり飼ったり虫で遊んだりするのも好きで、やっぱり純粋に観察を楽しんでいたと思う。飼い犬も私には観察対象に過ぎず、愛玩するものではなかったのだ。ほんと、私は道を誤った。英文学者なんかにならず、動物学か獣医学でも専攻していればどんなに良かったかと今になって思います。
 実を言うと、大学進学の際、獣医学部は選択肢に入っていた。だけど、医学部を断念したのと同じ理由、「解剖ができない」という理由であきらめるほかなかった。あの頃から少しは動物学や生物学の本を読んでいればなあ。他の道もあることがわかっただろうに。

 そういえば、私は動物をかわいいとは思ってなかったが、動物に残酷なことができないというあたりが、他の子供たちと違っていた。特に男の子は残虐性むき出しで、平気で虫の足をもいだり、ザリガニを踏みつぶしたりしていたが、私はそういうのを見ると卒倒しそうになった。理科の時間の解剖が何より苦手で、小学校の理科の解剖(フナかなんかだった)の時、私が狂ったように泣くので、授業後も先生がずっと付き添って、かわいそうなことは何もないというのをこんこんと言い聞かせてくれた。(私はもちろん信じなかった) 今も最初から死んで肉になってればまだいいのだが、生きたやつは無理。今でもアサリの味噌汁作るだけで、胸が痛む。

 初めて動物をかわいいと思ったのは、前にも書いた猫のシロを飼い始めてからだから、高校生の時か。高校生の時は馬術部の馬たちにも恋していたが、馬はかわいいなんて見下すものじゃなく、完全に自分より格上であこがれるものだったから、やっぱりシロが最初だ。
 そう、「かわいい」という感情には、どこか相手を下に見る気持ちが含まれているものなのだ。子供のうちはこっちも虫けら、というとひどいが、少なくとも動物みたいなもので、ほとんど動物と対等だから、かわいいと感じる余裕がないというのが私の自説。だからかわいいとは思わない代わりに、殺したりいじめたりすると自分がいじめられたような気がしたんだと思う。

 そんな感じだから、日本で炸裂した「かわいい文化」には完全に後れを取ってしまった。みんなが有り難がるディズニーのネズミやサンリオの猫なんか、キモいとしか思えないし、ましてそういうキャラクターを金払ってまで見たり手元に置きたいとは思わない。どこから拾ってきたんだかわからない、品がなくてブッサイクなアイドルなんて、男も女もどこがかわいいのかさっぱり。(見下す相手をかわいいと思うという私の説に当てはめれば、思い切り見下して愚弄するにはぴったりだと思うが) だから、かっこよくて強くて美しい女にはなりたいと思ったが、「かわいい女」になるのだけはごめんだったので、未だに独身だし(笑)。(これについてはいろいろ言いたいことがあるのだが、長くなるのでパス)
 そもそもこれだけの動物好きなのに、世間がかわいいという動物をかわいいと思ったことはあまりない。前にも書いた小型愛玩犬やスコティッシュ・フォールドやマンチカンなどの奇形猫は、かわいそうでキモいと思うだけだし、これも人気のあるハムスターのたぐいは「齧歯類をペットにするなんて正気?」と思うし、ウサギは「ウンコ食う動物なんて絶対いや!」。(ウサギは草食動物であるにも関わらず、馬のような長い腸もないし、牛や鹿のように反芻もできないので、出したウンコを食べて食物を体内に二度通すことで草を消化する)
 だいたい私がかわいいと思う動物って、馬と猫と、鳥と魚と爬虫類全般と、両生類の一部と、あとは水棲哺乳類ぐらい。ただしクジラは醜いし、イルカは逆にあざとすぎるのでいまいち。だけどその中間の兄弟にあたるシャチは死ぬほど好き。
 まあ、私はたぶん母性愛がぶっ壊れてるからこうなるんでしょうな。あー、シャチかわいいよ、シャチ。

おまけ2 東京がどんどんだめになる

 で、なんでいきなりそんな古い話を思い出したかというと、単にカワウソを見ただけでなく、全体に漂う、わくわくするんだけど、どこか安っぽくてもの悲しくわびしい商業主義の感じ(子供なりに、当時からデパート行くたび「ボロいなあ」と思っていた。デパートが下手に高級店を気取りだしたのは、まだずっと後の話で、あの頃はまだまだ庶民のものだった)が、妙にあのデパート屋上と似てたから。もちろんサンシャインの方がはるかにきれいなんだが、発想が似たようなものだからでしょうかねえ。そういや、昔の後楽園ゆうえんちとかも同じようなうらぶれた空気が漂ってたな。だいたい、私の子供の頃、日曜日に伊勢丹とか行くのって、今なら田舎の人がちょっと車出して家族でイオンへ行くみたいな乗りだったし。

 というわけで、今時こういう昭和の雰囲気を思い出させる施設はめずらしいので、一見の価値はあったかも。つーか、池袋自体がそういう町だけどね。新宿や渋谷が、今でも汚くてごちゃごちゃはしているが、それなりに整備されてランクアップしたのに、池袋はちっとも変わってない感じ。それも今回行ってつくづく感じた。
 いや、明らかに劣化してるな。外国人が「東京の町はきれいだ」と言うのも、ゴミが落ちてないという意味ではわかるのだが、それにしても町そのものは耐えがたいほど汚いと思う。特に人の多い新宿・渋谷・池袋はひどい。臭いもひどいよね。駅から出たとたん、「臭っ!」と思うもん。長年東京に住んでる私ですらそうなんだから、旅行者はよけい感じないのかな?
 それはともかく、高度成長期の東京には確かにごちゃごちゃで醜いけど、金だけはかかってるし、とにかく何でもあって便利って所があったのに、バブル崩壊後、長引く不況のおかげか、どんどんビンボくさくなる一方のような気がする。特に池袋を歩くのは久しぶり(2年ぐらい来てなかったかも)なので、よけい以前との落差が目立つ。
 たとえば、以前HMVが入ってたビルは、できたときはかなりおしゃれで高級な感じじゃなかった? それが今はHMVが撤退した後にBoofOffが入ったのは(やっぱりビンボくさいけど私的にはありがたいので)まだいいとしても、他はカラオケにネカフェにパチンコって、何このビンボくささ?
 よく衰退する地方の駅前ビルから、どんどんまともなテナントが出て行って、残るのはパチンコとゲーセンとカラオケ屋だけだったりするけど、あれにそっくりじゃない。あのビルだけじゃなく、もう町全体がそういう感じ。おしゃれなカフェとかレストランがあったところに、松屋とかドトールが進出してるし。サンシャインシティだって、なんかチェーン店ばかりになってるし。
 いや池袋だけじゃないな。東京(私が東京と言うときは23区だけを指します。他は単に知らない)全体がそうなってる。今住んでる西葛西だって、越してきた当初はおしゃれな町っぽくて気に入ってたのだが、いつの間にかどんどんチェーン店が増えてきて、しまむらやダイソーや餃子の王将の町になってきている。その一方で、私がよく利用していた書泉や無印良品は撤退していったし。
 こういうこと言うとバブル脳と言われるかもしれないけど、私はバブルの恩恵なんかみじんも受けてないし、今も昔も貧乏だけど、貧乏人だからこそ貧乏くさいのはイヤだ。

 ただ、こういううんざりするような薄汚れた町の中で(ついでにうんざりするような蒸し暑さの中で)、私は今にも死にそうな顔して足を引きずりながら歩いてるんだが、幸せいっぱいという感じで目をキラキラさせながらスキップして歩いている人たちもいて、それはたいてい観光客なのだ。私が海外行って歩いてるときもああいう風に見えてるんだろうなあと、つい苦笑。

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