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2010年5月10日 月曜日

動物

犬猫のはなし (主に猫)

話の内容に合わせて、かわいい猫ちゃんの画像でも貼ろうかと思ったんだけど、それじゃありきたりなので、代わりに私のお気に入りのicanhascheezburger.comから拾ってきた写真のキャプションを、勝手に翻訳してみたものを置いてみました。よって話の内容と、画像およびキャプションとは、まったくなんの関係もありません。

 大学の友達(50代男性)が犬を飼い始めた。それで当然のように犬の話ばかり聞かされているのだが、おかげで犬が嫌いになりそうだ。いや、犬に罪はない。もちろん人間が悪いんだけどね。

 彼はもともとペットなんかたいして興味はなかったんだそうだ。ところが、犬を飼い始めたとたん、典型的な「犬ばか」に。(「親ばか」の同義) 動物好きとして、ペットの話を聞かされるのは、たとえのろけでも嫌いじゃない。少なくとも子供の自慢を聞かされるよりはずっとましだ。それを言ったら、「僕も子供の自慢話するやつ大っ嫌い。でも犬は僕が産んだわけじゃないからいいの」だって。
 とにかく、いやになってきたのは、彼から最近のペット事情を聞かされたからだ。《この話、書き始めたのが2008年3月なので、トピックとしてはかなり古いかも》
 何がきっかけか知らないが、犬を飼うのがブームなんだそうだ。そういうブームって過去にも何度もあったな。私が幼いころはスピッツが人気だったが、もうスピッツなんてどこでも見ない。
 ついこないだはハスキー犬がブームになって、私はすごく苦い思いをしていた。ハスキーは狼の血を濃く伝える労働犬で、ペットにするような犬じゃないし、ましてや、ブームに乗っただけの動物のことを何も知らないような人間が飼ったら悲劇だと思って。そしたら実際、飼いきれずに保健所に持ち込まれたり、山野に捨てられるハスキーが続出した。
 最近はやっぱり小型犬。もともと小型じゃない犬までミニチュア品種がたくさんある。彼が買ったのもヨークシャーテリアだ。

 私は基本的に大きい動物が好きなので、小型犬は昔から嫌い。特に、キャンキャン鳴く室内犬なんて、私のイメージでは、おばあさんとか、ざあます言葉のマダム(そんな人本当にいるのか?)が飼うような犬で、大の男が飼う犬じゃないと思っていたが。昔はバカにされて笑われる犬の代表格だったプードルもまた流行ってるようだし。
 しかし日本の住宅事情から言って、室内犬がブームになるのはしかたがないんだろうな。以前は、犬を飼いたいけど飼えない人の言い訳は、「うちには犬飼えるような庭がないから」というものだった。うちのような貧乏人の家でも、犬の居場所は庭と決まっていて、家に上げてもらえるのは台風の時ぐらいだった。だけど今では外で犬を飼うなんて、よほどのお金持ちか田舎の人にしか許されないぜいたくになってしまった。

 でも、犬だから散歩はさせないわけにはいかない。それで散歩のマナーだが、最近はスコップと紙袋なんてもんじゃすまないんですね。(私が犬を飼っていたころは、そんなの何も持たずに野原でさせてたが)
 なんと、ウンチ用にはトイレシートを持っていき、そこでさせるんだって。おしっこは水をかけた上で消臭剤をまく。かわいそうに。せっかく匂い付けしても、消されちゃうのね。
 私が犬に洋服を着せるような連中の悪口を言うと、それもしかたないことなのだと言う。室内だけで飼っていると、体温調節ができなくなり、裸で外へ出ると風邪ひいちゃうんだって!
 そんなの犬じゃない! 動くぬいぐるみじゃないの!

 マナーといえば、将棋の加藤一二三元名人が野良猫に餌付けをして近隣住民に訴えられ、敗訴した件。ANNのニュース動画を見たが、そのテンションの高さに笑った。まったく反省してないし、「信念」揺らいでないし。猫好きとしてはあっぱれと言いたいところだが、東京の集合住宅の庭でっていうのはなあ。そんなに猫好きなら、全部引き連れて人里離れた田舎へ引っ越せばいいじゃない。お金あるんだろうし、猫もそのほうがよっぽど幸せかと。
 だいたい、こういう人たちと議論したって永遠に平行線でかみ合わないんだよね。私が馬をやってたことはご存じだと思うけど、当時のクラブの馬場は横浜の綱島にあった。もちろん今よりは田舎だったけど、それでもいちおう市街地なので、(主として臭いに関する)近隣住民からの苦情には気を遣っていた。それを聞いて、仲間のひとりが一言。「えー、でもいい匂いじゃない?」
 これにはさすがの私も絶句した。牧場に住んだことのある人ならわかると思うけど、馬と言ったら人間の十倍の体重あるんだから、排泄物の量も半端なく、臭いも大変なことになるわけです。でも動物好きってそういうものなんだよね。お母さんが赤ちゃんのウンチを汚いと思わないようなもん? とにかく感じ方が違う以上、悪臭か芳香かで争っても永遠に決着つかない。
 ちなみに、生産したての馬のボロ(ウンチ)は本当に微かにいい匂いがします。草食動物だから。臭うのはそれが発酵したりしたときなんだよね。だけど水洗トイレでさせるわけにいかないので、回収に来てもらうまでは積み上げておくわけで、それが臭うだけなの。

 とにかくそういう話(加藤元名人じゃなくて、私の友達の)を聞いてつくづく思ったのは、私が動物好きなのは野生にあこがれるからなんだってこと。人間が失ってしまった野生を持ってるから動物はすばらしいのに、犬はもともと人工的すぎる気がして、猫や馬ほどは好きになれなかったが、それがますますひどくなっているようだ。彼は自慢するのだが、決して吠えないというのもなんだか気味が悪いし、そのうち、匂い付け本能も消された犬が出てくるような気がする。
 とりあえず、その友達には犬自慢を聞かされるために家まで招かれ、散歩にもいっしょにつき合ってきました(笑)。感想? そりゃ動物はなんでもかわいいですよ。だけどやっぱりぬいぐるみのかわいさだなあ。

 じゃあ、私の理想の犬はというと、もちろん大きいこと。後足で立ったら私より背が高いぐらいの犬がいい。子供のころ、近所にそういう犬を飼っている家があり、飛びつかれて地面に押し倒されてベロベロなめられたりするのがすごい楽しかった。(子供のころから動物がこわいという観念がまるでなかった)
 それと私は犬というのは「働く動物」だという信念を持っているので、ちゃんと働けるやつがいい。牧羊犬とか猟犬とかが働いているのは見ているだけでわくわくするじゃないですか。でも東京じゃ、せいぜい番犬かなあ。だったら、夜中に曲者が私のマンションに侵入したら、食い殺してくれるぐらいの犬がいい。室内犬じゃ蹴飛ばされて終わりじゃない。
 犬種で言ったら、うーん‥‥やっぱりシェパードかなあ。(ちなみにうちで飼ってたのは、コリーの雑種とビーグルの雑種。偶然だけど牧羊犬と猟犬ですね) やっぱり子供のころに見た『名犬リンチンチン』とかに影響されてるかも。『名犬ラッシー』も見てたけど、ラッシーはやさしすぎる感じでリンチンチンのほうがかっこよかった。シェパードなら戦闘能力も十分だし、頭も良いし。


 というわけで、動物なんでも好き(猿の仲間と足が6本以上あるやつを除く)の私としては、犬も猫もわけへだてなく好きだったのだが、年を取るにつれて猫派に傾いてきた。というより、ほとんど猫原理主義者になりつつある。好みの幅が極端に狭くなるというのも年を取った証拠である。(それとも私だけか?) そこで今日は猫礼賛を書こうと思う。

 犬好きと猫好きはきっぱり分かれているように思う。分け方はいろいろあるが、最近思いついたのは、家来をほしがるか、パートナーをほしがるかの違い。男性に犬好きが多いのも、家来を持ちたがる男の本能かも。私は逆に犬は卑屈過ぎて苦手。犬にとっては、人間は絶対的にボスなので、ひたすら人を慕い、喜ばせようとする。私にはこれがけっこう息苦しい。
 もっとも猫と人間も、対等なパートナーとはとてもじゃないけど言えないけどね。猫は王様で、人間なんて缶詰開け係、兼トイレ掃除係、兼猫なで係の奴隷だとしか思ってないから(笑)。猫好きは奴隷根性なのかもしれない(笑)。
 だいたい動物学をかじってしまうと、犬猫の人間に対する「愛情」の実態が見えてしまう。犬は群れのボスに服従し、へつらう本能に従っているだけだし、猫が人の足に頭をすりつける愛らしい仕草は、単なる匂い付け行動(幸いにしてこの匂い物質は人間の鼻には嗅ぎとれない)で、「こいつは俺の所有物」と言ってるだけだし。まあ、それを知ってもありのままに愛するのが動物好きなわけですが。

 猫がいいのはやっぱり犬よりも野生に近いこと。犬は野山に捨てたら飢え死にするしかないが、猫はそこらのドラ猫でも立派に適応して繁殖できる。トラやライオンを見ていると「やっぱり猫だなあ」と思うが、チワワやマルチーズを見て狼を連想するのはむずかしい。誰も教えなくても、どんな猫でもちゃんと狩りをして獲物取ってくるし。(飼い主にはえらい迷惑だが)

 大きい動物が好きと言ったら、「猫は小さいじゃないか」と反論されるかもしれない。確かに猫も大きい方が好きだ。トラとかチータを飼えたらどんなにいいかとは思う。トラじゃなくてもサバンナキャット(イエネコとヤマネコの混血種)でも萌え死ぬ。ただ、飼い主の生命の危険を考えたら、猫はあのサイズが限界。それ以上だと殺傷力が強すぎて、ちょいとじゃれられただけで大怪我するか、こっちの命が危ない。小さいくせに殺傷能力が高いというのも、猫が好きな理由のひとつ。
 ちなみに馬サイズになると殺傷能力も半端じゃないです。殺された人いっぱい知ってるし。うちのひいおじいさん(日露戦争で騎兵だった)の話では、当時の騎兵は馬のことなんか何も知らない一般人が徴兵されて、訓練中に馬に蹴られたり踏みつぶされて死ぬ人のほうが戦死者より多かったとか。

 猫の良さその2は美しいこと。残念ながら犬科の動物は、愛嬌やかわいらしさはともかく、それほど美的な外見はしていない。特に犬はトモが貧弱(お尻が小さい)なところがどうもね。それにくらべ猫族は(あくまで人間の美的基準だが)あらゆる動物の中で最も美しい種族のひとつだろう。どんな駄猫でも持って生まれた優美さと品格は、我々猿にはまねができない。ライオンとオオカミなら互角かもしれないが(前にも書いたようにライオンはあまり好きでない)、トラとキツネ、ヒョウとハイエナなら、どっちが素晴らしいか言うまでもない。
 そして審美主義者の私はもちろん猫が好き。とりあえず何にもしないでも、生きた置物としての価値があるし。

 猫の良さその3は独居動物であること。私は自分が独居動物なので、そこに親近感を感じる。
 私が猫のことを考えるとき、いつも思い出すのはイギリスの作家、ラドヤード・キプリングの『ひとりで歩いていった猫』(The Cat That Walked by Himself)。日本じゃ大原まり子のSFのほうが有名だが、彼女のタイトルはたぶんこれのまんまのパクリ。(そういうのが多すぎるね、日本の小説は)
 あらゆる動物が自由にひとりで歩いていた「野生の森」で、「野生の男」(笑)や、犬や、馬や、牛が、いかにして人間の女に飼い慣らされていったかを描く民話風の短編である。で、ほかの動物がまんまと女の手管にはまって奴隷化されていく中で、猫だけは二言目には、「僕はひとりで歩く猫。どこへ行ってもそれは同じ」と言って、その誘いに乗らない。もちろん結局は猫も女と取引をして、仕事(ネズミ取りとか)をする代わりに養ってもらうことになるのだが、全面的隷属でないところがミソ。(ちなみに、そのとき猫は男や犬とは契約を結ばなかったので、犬は猫を見ると追いかけるし、男はものを投げつけるというあたりがいかにも民話風)
 とりあえず、この短編の結びの文を見ると、いつでも胸が熱くなる。

 でも、一日の仕事が終わり、月が昇って夜が来ると、彼はひとりで歩く猫、どこへ行ってもそれは同じでした。そこで猫は濡れた野生の森へ出かけたり、濡れた野生の木に登ったり、濡れた野生の屋根に上がったりして、野生のしっぽをふりふり、野生の孤高をもって歩いて行くのです。(私訳。原典はこちらに)

猫の魅力をこれほど的確にとらえた文章はないといつも思う。

 猫の良さその4はセクシーなこと。ある意味、動物というのはすべてセクシーなのだが、猫ほどもろにそれを感じさせる動物は少ない。セクシーな女性(ときには男性)がよく猫に例えられるのを見てもわかる通りだ。セクシーな女性見て、犬みたいとは絶対言わないでしょう。(英語ではキツネもありのようだが、こちらはよくわからない。確かにキツネは犬よりは猫的だが)
 特に発情期のメス猫の媚態などは、見ていて恥ずかしくなるくらい。なんで猫ポルノってないんだろう? 男性には受けると思うけど(笑)
 ちなみに私が初めてセックスを意識した動物は馬である。ナニがでかいとかそういう話じゃないよ。存在そのものが性的なの。それで馬の何がこうまで性的なんだろうと考えて、これは馬の中の野生がかき立てるんだという結論に達した。(馬をただの家畜と思ったら大間違い。やつらはペットと違い、れっきとした野生動物です。詳しくは長くなるのでここには書かないけど) 猫も同じく。

 猫の良さその5は表情豊かなこと。同じ子猫でも天使のような顔つきもできれば、悪魔のような形相にもなる。それがおもしろい。
 ただし、科学的に言えば、ここで言う表情豊かというのは、類人猿が表情豊かというのとは違う。猫の表情は必ずしも猫の感情とは一致しないし、あくまで人間が見た印象ね。おそらく肉食動物としては口吻が犬ほど長くない猫は、獲物にかぶりつくために大きく顔を歪めなければならないので、顔の作りが柔軟にできているからだと思うが。とにかく猫を見ていると、犬はあまり表情が変わらなくてつまらないような気がする。
 だいたいあきれかえった顔とか、人を見下した顔ができる動物は猫だけじゃないか?(笑) あれを見るたび、あくまで人間的解釈とは思いつつも笑ってしまう。

 猫の良さその6はしっぽ。猫は顔じゃなくてしっぽと耳で会話する。特に、それ自体が独立した生き物のようによく動くしっぽは、それだけ見ててもかわいい。太さもちょうどいいし、感触もいいし、柔らかさも堅さもちょうどいい。

 猫の良さその7はpaw。これに当たる日本語がないんだよ。要するに猫の手のことだが、猫に手はないし。前足の先っぽのことね。とりあえず、ここでは「手」と呼んでおくが。
 日本じゃなぜか肉球が大人気だが、私に言わせれば違う! その裏側、手の甲がいいんだってば! 肉球なんてザラザラしてるじゃん。(と思うのは、私の猫たちがみんな自由に外へ行っていたからかも。室内飼いだと柔らかいのか?)
 あのふにゃーとして頼りない感触がなんとも気持ちいいし、短い指もかわいいし、そこに生えてる毛の感触がまたたまらない。(だんだん話がフェティッシュの方向へ) あれとくらべると犬の手って堅くて爪むき出しでゴツゴツしてて気持ちよくない。
 でも、だからといっていじくり回していると「ジャキーン!」攻撃が出ますけどね。一見頼りない愛らしい手に凶悪な武器を隠し持っているところがまたいい。
 猫は手をいじられるのを極端にいやがりますので、いくら好きでも自重しましょう。というのも、猫の手は神経が集中している敏感な部分だから。猫が見知らぬものを目にすると、匂いをかいだあと、手でちょんちょんと触ってみるのもそのせい。そういうところが(やはり指先に神経が集中している)人間と妙に似ていておもしろい。

 猫の良さその8はゴロゴロ。あのゴロゴロを聞いて安らがない人間は人間じゃない。

 猫の良さその9は‥‥あー、この調子でやってるときりがないし、そろそろ読者もあきれていると思うのでやめよう。

 とまあ、これほどまでに猫好きの私ですが、今の私の家には猫がいない。これはもう胸をかきむしって苦しむほどの苦行である。理由はいろいろあったんですけどね。それは前にも書いたから重複するんでやめておこう。現在だと、人間が食うや食わずなのに、猫の餌代まで稼げないという切実な事情もある。でもホームレスでも犬や猫飼ってる人もいるし、その気持ちも痛いほどわかる。

 だから妄想だけする。私が飼うとして、理想の猫はどんなのか。
 ちなみに、犬に発した奇形ブームは猫にも及んでいるようで、最近日本で人気のあるスコティッシュ・フォールド、マンチカン、日本じゃあんまり見ないがマンクスといった猫は、私に言わせれば邪道もいいとこ。
 ピンと立った大きな耳も猫の魅力のひとつなのに、スコティッシュ・フォールドはそれが垂れ耳、だいたいスコティッシュは目がイッちゃっててこわいし。マンチカンは猫のダックスフントだし、マンクスに至ってはしっぽがない!(その意味で日本のボブテイルも嫌い) 確かにどれもそれなりにかわいいのは認めるが、こんなのは猫じゃない! 犬と同じであまりにも作られた人工っぽさが鼻につくし。
 もっともおかげさまで、ペットショップの前を通っても誘惑されずにすんでますけどね。それ以前に猫に十何万も払えるか!ってのもあるけど。雑種の猫が3千円ぐらいで売ってたらフラフラッとなっちゃうかも。

 私は猫にはそう多くは求めない。最低限、しっぽが長くて、毛色はなんでもいいけど、口のまわりと胸とお腹が白くて、白いソックスはいてる猫がいいな。毛並みは長毛と短毛の中間ぐらいのふわっとしたのがいい。あと足の大きい猫が好き。そういうのが外で「ニー」とか寄ってきたら、矢も楯もたまらずさらって帰ってしまうだろう。
 そうそう、これも幸か不幸か、うちの周辺には野良猫が一匹もいない。(野鳥が多いのはそのせいもあるか) やっぱりマンション地帯で、ペット禁止のマンションが多いせいだろうか。

 しめくくりに、私が最も至福を感じるのは次のような瞬間である。
 夜、ベッドに入ってうとうとしていると、のそっとベッドの端に体重が乗るのを感じる。その体重が(人の体を踏んづけつつ)しばらくその辺を移動して点検したのち、暖かい毛皮が鼻をくすぐり、おもむろにするりと布団の中に入ってくる。(猫によってはこのとき、「失礼しますよ」というあいさつに、鼻に鼻を押しつける) 布団の中でも何度も位置確認をしたあげく、いちばん寝心地のいいところに落ち着く。(たいていは私の胸にぴったり背中をくっつけて、腕を枕にして) それからしばらくすると、低いゴロゴロという声が聞こえてくる。この満足の響きを聞くことぐらい、生きてる喜びを感じることはない。こんないいものがあるのに、男なんかいらないよね?

シロの思い出

(しめくくったつもりが、ついまた思い出してしまって蛇足をくっつける。これは2004年12月の日記に書いたものだが、今読み返してみたら、いろいろ付け加えたくなって。こういうのは忘れないための記録でもあるので、あらためて増補改訂版として書いてみた)

 私の実家には犬がいて、他にも小鳥とか、カエルとか、カメとか、金魚とか、物心ついて以来、うちには動物がいないことはなかったのだが、猫だけはいなかった。というのも、母が大の猫嫌いで、「猫だけは絶対何があってもだめ!」と言い張っていたからだ。なんかトラウマでもあるのか、単なる頑固(母はそういうところ、絶対に譲らない人だった)なのか知らないが、「猫は気味が悪い」、「性格が悪い」からだそうだ。そんなわけで、私も猫だけは我慢するしかなかった。

 ところが私が17才のある冬のこと、2階にある私の部屋の窓ガラスに、猫が貼りついていた。猫も好きだった私は窓を開けて中に入れ、なでてやりたかったのだが、飼ってはいけないのはわかっていたので、我慢していた。ところが同じ猫が毎日やってくる。窓枠は猫がかろうじて立てる幅しかないので、座ることもできず、横向きに窓にべったりくっついているのだ。窓は磨りガラスだったので、猫の白いシルエットだけが浮かんでいるのはシュールな光景だった。
 でも鳴くわけでもなく、餌を要求するわけでもなく、ただ、開けてもらえるまで何時間でもずっとそうしている。母は「放っておけばそのうち行ってしまうから、かまっちゃだめ」と言ったが、冷たい雨が降っても、雪が降っても、猫は窓のシルエットのままじっと動かない。
 それが1週間ぐらい続き、母もとうとう根負けして、しぶしぶ中へ入れて餌をやってもいいと言ってくれた。でもうちで飼うのはだめ。かわいそうに思うなら、誰かもらい手を捜しなさいと言われた。

 全身真っ白で、すらっと長い体に長い足、長いしっぽをした美猫(メス)だった。目は白猫によくある、片方が青く、片方が黄色いオッドアイ。長毛というほどではないが、ふんわりと長めの毛だったから、雑種だけど、明らかに洋猫の血がまじっていた。体型も日本猫離れしていて、体も普通の猫より大きかったし。
 人見知りをまったくしないことからして、野良猫ではなく、飼い猫だったのは間違いない。さらに一度も子を産むことはなかったので、どうやら避妊手術も受 けていたらしい。そういうところから見て、かわいがられていたことは確かなのに、どうして野良になったのかわからない。家出したのか、捨てられたのか。

 いちばん不思議なのは、なんで私の窓にやってきたかということだった。餌をやったから居着いたというのならわかるが、餌もやらない窓も開けないのに、ひたすらそこで待ち続けていたのだ。
 そして窓を開けて入れてやると、もうずっとここに住んでいたかのように落ち着き払っていた。
 この家で唯一の猫好きの人間がここにいることが、どうしてわかったのか?というのは家族の間でも話題になった。なんか猫ってそういう不思議な感覚があるのは本当だという気がするし、この猫とはなんらかの縁で結ばれていた気がする。

 たまたま当時の私のボーイフレンドが猫好きで、この猫を一目見て飼いたいと言ってくれたので、猫は彼の所へ行くことになった。彼は猫に「ニャンタ」という名前を付けた。なんの想像力もない我が家では単に「シロ」と呼ばれていたので、あまり人のことは言えないが、それにしても女の子(しかも美人)なのにニャンタはひどい。でもこれはあくまで彼の付けた名前なので、私はここではシロと呼ぶことにする。
 その後、私は彼と同棲を始め、同時にシロとも同棲することになった。皮肉なことに、私が後に出戻ると、実家は猫屋敷と化していた。これは弟のしわざで、彼が野良猫を片っ端から拾ってきてしまい、母もとうとういやとは言えなくなったらしい。だったらシロを飼ってやればよかったのに!と何度思ったかしれないし、母自身もそう言っていた。
 というのも、うちには実にいろんな猫がいたが、シロほど性格のいい、頭のいい猫はいなかったから。そもそもみんな野良出身なので、ほとんど人になつかないか、逆に甘ったれで人に依存したがる猫ばかり。それにくらべて、シロは人に愛情は持っているが、毅然とした独立心とプライドがあった。人の言う ことをよく理解し、いたずらをして困らせることもなかった。

 この猫は猫の皮をかぶった人間だ、と私たちはよく言っていた。おとぎ話に出てくる魔法をかけられた王女に違いないと。そうでなければ説明がつかないほど、彼女は気品があり、賢かった。
 本当に頭のいい猫だった。何も教えないのにいろんな芸をしたし、ドア(取っ手を押し下げて開けるタイプの)も後足で立って開けるし、冷蔵庫のドア もひとりで開けるし。ただ、猫はドアを閉めるということをしないので冷蔵庫はちょっと困った(笑)。
 だいたい猫を1匹飼ってれば、カーテンやソファや障子は惨憺たるありさまになるものだが、シロはそういう悪さやいたずらは一度もしたことがなかった。

 この猫は人の言葉を理解してるんじゃないかと思うことが何度もあった。私たちがときどきケンカをしていると、取り乱した様子でまわりをニャーニャー鳴きながら歩きまわる。あげくの果ては人の胸に手をついて、立ち上がってじっと目を見つめる。こんなにされてはケンカを続けることもできない。

 一時はマンションの10階に住んでいたのだが、「猫が外へ出られないのはかわいそう」というので、よく散歩に連れ出した。もちろん犬じゃないからリードなんか付けない。だから勝手にそこらの生け垣の間とかに入り込んでしまうのだが、かまわずどんどん先へ行って、名前を呼ぶと、犬のように走って追いかけてきた。「犬みたい」というのは良く思った。
 毎日の散歩がだんだんめんどくさくなった私たちは、外へ連れ出すだけで、あとは放って帰ってしまい、2時間ぐらいしてからまた降りていって呼ぶと、やっぱりどこからか走って帰ってきた。
 さらにそれすら面倒になったので(似たもの同士のカップルでした)、しまいにはひとりでエレベーターに乗せた。もちろん猫にボタンは押せないので、猫を入れて、1階のボタンを押してやるだけ。帰ってくると下で大声で呼ぶので、またエレベーターまで行って、1階のボタンを押す。それから上りのボタンを押せば、猫がひとりで乗って上がってくるわけ。だったら外階段を使えばいいじゃないかと思うが、猫も10階まで上がるのはしんどいらしいので(笑)。
 ただ、さすがに階の区別はつかないみたいで、途中階で降りる人がいた場合、下の階の廊下で困って鳴いている声が聞こえることもあった。猫がひとりで乗ってくるのを見た同乗者はびっくりしたと思うが(笑)。

 誰にでも媚びを売る猫ではないが、人には興味があったらしい。玄関のベルが鳴ると、いちばん先に走って迎えに行く。来訪者はドアを開けると、猫だけが落ち着き払ってちょこんと座って出迎えているのを見て困惑するわけ。

 シロは一度、大病で死にかけたことがある。獣医にも見放され、私ももうだめだと思った。死にかけた動物は目でわかる。目にまったく生気がなく、ただ死を待つだけという状態になってしまうのだ。でも彼はあきらめず、毎晩寝ないで看病をした。(私はぐーぐー寝ていた) 看病と言っても、もうできるのは抱いてなでてやり、(水も飲めなくなっていたので)スポイトで水を喉に流し込んでやるだけなのだが。ところが、そういう寝ずの番が3日ぐらい続いたあとで、シロは奇跡的に回復した。
 それまでは私にも彼にも同じぐらいなついていたのだが、このあとは彼にだけは特別な愛情を見せるようになった。犬のようにどこへ行くときも彼についていき、寝るときは彼の肩枕で寝る。(猫は昼間は寝てばかりいて、夜騒ぐものなのに、シロは人間とまったく同じペースで生活し、人間がベッドへ行くといっしょに行ってベッドに入り、夜はトイレにも行かずに朝まで眠っているのも変わっていた) まるで彼のおかげで命を救われたのがわかっているようだった。

 その後、私は彼と別れて実家に戻ったのだが、そんなわけでシロは置いてくるしかなかった。もともと私の猫だから、権利を主張してもよかったのだが、私もそこまで鬼にはなれない。
 その後シロが死んだという噂を聞いた。もう10才ぐらいにはなっていたから寿命だろう。事情があってそれから一度だけ彼のうちに行ったのだが、なんとここも猫が8匹ぐらいいて、猫屋敷と化していた。実家にもやはり猫が8匹ぐらいいたし、シロのいない穴埋めには8匹の猫が必要ということらしい。(私のいない穴埋めでなかったのは確かだ)
 彼とはその後会っていないのでどうしているかは知らないが、弟の猫狂いはおさまらない。野良猫ばかりだから体も弱かったり、来たときから病気だったりで、たくさんいても死ぬ猫が多いのだが、またどこからか新しい猫がやってくる。外猫、通い猫も多数。うちの台所には猫缶が常時100個ぐらい積んである(笑)。

 ここまで書いて気づいたのだが、どうも私にはいっしょに住んでる人間を猫狂いにさせてしまう魔力があるようだ。私自身はこの語調でもわかる通り、動物好きではあるが、決して動物を猫かわいがりするタイプではない。なのに、なぜか私と関わった人は猫の奴隷になってしまうんだよね(笑)。
 いちばんいい例が私の母である。あの年まで自他共に許す大の猫嫌いで通してきた母だが、晩年はというと、猫だけを愛し、猫にすべてを捧げていた。彼女は「おいしいものを食べさせる」ことでしか愛情を表現できない人だったので、献立を見ればわかる。子供たちがどんなにお腹を減らしていても、食事はつねに猫優先。(「おまえたちより猫のほうがはるかに上等だから」という理由) 人間がサンマとか食べてるときも、猫にはマグロのトロだの甘エビだのを食べさせていた。
 弟はというと、50にもなって猫だけが恋人というありさま。昔のボーイフレンドがどうしているのかは知らないが、似たような情況なんじゃないかと心配だ。彼のことはもう思い出すこともないが、シロは恋しい。会えるものならもう一度シロに会いたい。

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