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2011年2月4日 金曜日

映画評

Eastern Promises (2007) directed by David Cronenberg
デイヴィッド・クロネンバーグ監督作品 『イースタン・プロミス』

参考 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 (2007年2月8日)

(今回はいちおうネタバレはなしで行きますのでご安心を)

 春休み(っていうかまだ採点残ってるんだけど)映画リビュー第1弾は、とりあえず、私の本命デイヴィッド・クロネンバーグの最新作から。っていうか、4年前の映画なのに、このあとずっと撮ってないのか。
 主演が前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と同じヴィゴ・モーテンセンだということと、ロシア・マフィアの話だということだけしか知らないで見た。と言っても、このところの傾向から、重くシリアスな問題作だということは容易に想像が付いたけど。
 それとロシア・マフィア――いちおう英語の専門家としては、どーしても「ロシアン・マフィア」とは書けないので勘弁。「ロシアン」じゃねー! 「ラシャン」だ!と、日ごろ学生を叱ってる立場としてはね。同様にサッカーの記事では「アジアン・カップ」(が正式名称なんだが)とも書けないので、「アジア・カップ」としたが。(正しくは「エイジャン(もしくはエイシャン)カップ」) ならロシアやアジアはなんでいいのかというと、すでに定着した日本語だから、って言い訳が長い!
 あー、のっけから話がそれたが、それとロシア・マフィアというところから、あれみたいな映画だろうと思っていた。だからほら、えーと、あれよ、エドワード・ノートンが主演のロシア・マフィアの映画。と書いてから、検索かけて調べたら、『アメリカン・ヒストリーX』はネオナチの話で、ロシア・マフィアとは関係なかった。あれれ? なんで勘違いしたんだろ? 私の言ってたのは『リトル・オデッサ』で、主演はティム・ロスじゃないか。いよいよ痴呆症かよ。
 言い訳すると、「ヒストリー」ってところが、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』とかぶっちゃったのと、どっちもエドワード・ファーロング(死ぬほど好きでした。デブる前は)が弟役で出てたのと、エドワード・ノートンもティム・ロスもヴィゴも、みんな似たタイプ(私が好きになる人だから、似てるのも当然なのだが)の繊細で神経質そうな性格俳優。ちなみに全員、被害者面をしているところまで似ているので、混乱したのも当然だ。
 で、確かに『リトル・オデッサ』と似た感じの、昔のスコセッシみたいな、重くて暗いけど切ない映画。って、いきなり結論出ちゃったじゃないか。

ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)とアンナ(ネイオミ・ワッツ)

 じゃあ、やっぱり役者の話からするか。毎回書いてるが、なぜかクロネンバーグと私は役者の好みがぴたりと一致していて、そのクロネンバーグが同じ俳優を二度主役に使ったのは、ヴィゴのほかはジェレミー・アイアンズだけ。本当に好きなんだなというのがよくわかるし、私も大好き。ただねえ、もうちょい若かった頃ならば‥‥と嘆息せずにはいられない。
 なぜかイギリス人役者は年取ってからのほうがステキでセクシーになる人が多いんだが、この人はさすがにそれはなかったな。58年生まれだからこの頃50才ぐらいか。年にしては若々しいと言ってもいいんだが、初めて彼を知った頃の30代初めの姿が私の目にはくっきり焼き付いているので。それにこの人は少年のような繊細さと青さが魅力だったのでねえ。
 とにかく私はあのグリースで固めた髪型を見ただけで気絶しそうになった。あれはないよ、あれはー。ヴィゴは前髪垂らした顔が少年みたいでかわいいのに。同じ意味で、LOTRのアラゴルンの長髪もつらかった。せめて戦ってあの髪が乱れれば‥‥と期待してたんだが、がっちり固めやがって(笑)。

 クロネンバーグが好きな理由のひとつは、彼が「役者いじめ」ができる監督だからである。ここでのヴィゴもいじめられてる。今回はサウナでの全裸フリチン格闘シーン(笑)。これがかなり長くて、組んずほぐれつ上になったり下になったりだし、最近はモザイクなんかかからないし、モロ見え。うーん、この人はきれいな体してるから、ヌードを見るのは楽しみだったのだが、はたして自分がこれを見たかったのかどうかよくわからない(笑)。じっとしてるならまだしも、フリチンでこれだけ激しいアクションをこなすというのは、やっぱりかなりマヌケな構図だと思わずにはいられないなー。
 あと、役柄に合わせて相当肉体改造してきたのも、食指をそそられない理由のひとつ。こういうわざとらしい筋肉いや。特に年取った男が無理に筋肉付けると、たるんできている部分と、ムキムキ部分との差が不自然すぎて
 もちろん、これだけ筋肉付けるのにどれだけ苦労したか思えば、役者の鑑といっていいんだが。あー、そういえば、この人、年取ったらロバート・デ・ニーロに似てきたかも。いや、年取ってからのデ・ニーロじゃなく、まだとんがってた頃のデ・ニーロに。デ・ニーロも大好きだったんだ。デブる前は。

 どうも乗ってこないので、ここらでストーリー。舞台はロンドン。話は臨月の女が病院に担ぎ込まれたところから始まる。彼女はお産で死ぬが、赤ん坊は助かる。赤ん坊の世話をする助産婦のアンナ(Naomi Watts)は、死んだ娘の残した日記を家に持ち帰る。それはロシア語で書かれていて彼女は読めないのだが、ロシア系の彼女の叔父はロシア語が読めるのだ。
 それでわかってくるのは死んだ娘タチアナはまだ14才で、豊かな暮らしと都会にあこがれてロンドンへ出てきたものの、マフィアにだまされて、ヘロイン漬けにされたうえで強姦され、妊娠していたのだ。
 アンナはせめて赤ん坊を親族のもとに帰そうとタチアナの足跡をたどるのだが、日記を持ち込んだ先のロシア料理店主のセミオン(Armin Mueller-Stahl)こそ、ロシア・マフィアのドンで、タチアナを強姦した犯人だった。それを知らないアンナと、日記を読んでしまった叔父のステパン(Jerzy Skolimowski)、そして罪もない赤ん坊の身に危険が迫る。
 一方、セミオンの一人息子キリル(Vincent Cassel)は、父親に隠れて仲間を殺してしまい、運転手兼ボディガードのニコライ(Viggo Mortensen)の手を借りて死体を始末したのだが、身内に密告されてセミオンにバレてしまう。しかも死んだ男の兄がキリルを殺そうと追ってきている。
 その間に、アンナとニコライの間に不思議な共感のようなものが生まれる。はたしてこの男は冷酷な殺し屋なのか、人間的な優しさを持っているのか? そしてアンナと赤ん坊の運命は?

 というところで今回は止めておこうね。それほどあっと驚くどんでん返しがあるわけでもないけど。
 とりあえず、ニコライは序盤、血も涙もない不気味で冷酷な男として描かれていて、それならヴィゴはミスキャストじゃないの?なんて思っていたが、ああ、やっぱりというあれだった。それでも、これまで彼が演じてきたキャラクターの中では飛びきりハードボイルドな役柄だけどね。
 とりあえず、素顔はいい人過ぎるぐらいいい人なのはよく知ってるが、見かけがやっぱり普通じゃない(笑)ヴィゴだけに、こういうミステリアスな役は合っている。ただ、ハードボイルド・ヒーローを演じるには、いくら筋肉付けてもやっぱり繊細すぎると思うんだが。

 アンナを演じたネイオミ・ワッツ(ナオミさんじゃないからね。日本人じゃないんだから)は昔から好きだった。イギリス美人が好きなので。ここでも清楚で飾らなくて、まっすぐで、芯が強そうなところがすてき。 「でもクロネンバーグのことだから、どうせこいつも変態なんだぜ」と思っていたら、本当に清純なままだったのでびっくりした。
 本当ならなんの共通点もなく、住んでいる世界がまったく違う2人の道が、ふとしたことから交差するところもおもしろいし、この2人の間に流れる、微妙な緊張と不思議なケミストリーがとってもセクシーでドキドキする、はずだったんだ。ヴィゴがあんなにひどいヘアスタイルでなければ。
 さらに、これがハリウッド映画なら当然のように恋愛関係に発展しそうなところを、そうはならずに渋く切ない終わり方にしたあたりもさすが。お互い好きなんだけど、住んでる世界が違いすぎて、いっしょにはなれないことは2人とも承知しているんだよね。大人だなあ。

左から、幹部の一人、キリル、ニコライ

 でも、私がいちばん興味を引かれたのはマフィアのバカ息子のキリル。彼はいつも酔っぱらって失態を演じてばかりで、最初のうちは甘やかされたバカ息子としか見えないのだが、見ているうちに、それは内側に何か耐え難い悩みを抱えているからなのだということがわかってくる。まあ、『ゴッドファーザー』を見るまでもなく、マフィアのドンの息子というだけでも十分な重荷ですけどね。(母親もすでに亡く、彼はひとりっ子)
 確かにいつでも強権的な父親に脅えているんだけど、彼の場合それだけじゃなさそうだ。どうもキリルはゲイらしいのだ。もちろんそんなことを父親に知られたら殺される。
 キリルがなんで友人を殺したのか説明がなくてわからないんだけど、たぶんゲイだということを知られたからに違いない。だから父親に助けを求めるわけにもいかなかったわけ。そう思うと、キリルとニコライの関係がいかにも怪しい。それを端的に表しているのが売春宿のシーン。キリルはニコライに「ホモじゃない証拠に、この売春婦たちのひとりと、俺の目の前でファックしてみろ」と言い、ニコライは言われた通りにするんだが、そのセックスを見つめるキリルの目が‥‥!
 表面上は、キリルは父親にビクビクする一方でニコライに威張り散らして溜飲を下げ、ニコライはそれにじっと耐えながら下克上を狙っている、と見えるのだが、その表面の下ではキリルはニコライにべったり依存してるばかりか、ほとんど父親か母親に対するみたいに甘えているし、ニコライは不思議と優しい目でキリルを見ている。この複雑で、言うに言われぬ関係がなんともいい。
 しかし、クロネンバーグ映画がホモっぽいのは毎回指摘しているが、今回も例外じゃなかったな。はっきりいって、この2人だとかなり気持ち悪いんだが(笑)。
 あと、なぜか露骨なセックスシーンを入れないと気が済まないのもいつものこと。今回はヒロインとは清い関係なので、代わりにこの売春婦のシーンがあるみたい。必要ないといつも思うんだけどねえ。これもうがった見方だが、なんかわざわざヘテロセックスを入れることで、全体のホモっぽさを隠そうとしているみたいで、それこそキリルがやってることとダブるんだが‥‥まあ、いまどき、ゲイであることを隠す必要なんてみじんもないので、これは考えすぎだが、変な奴だ。

 でもキリルを演じたフランス人、ヴァンサン・カッセルは役者としてはすばらしい。私はフランス人の顔は誰も好きになれないのだが、個性的なのは事実で、尊大な自堕落さと、情けない頼りなさが共存しているところがとてもいい。
 その父親を演じたアーミン・ミューラー=スタール(こちらはドイツ人)も、一見、いかにも人当たりが良くやさしそうなところが、かえってマフィアのドンらしくていい。(親分と言われるほどの人は、見た目はすごい柔和なんだって。私は会ったことがないが、そう聞いた。そうすると、ザッケローニってやっぱりマフィアのドンっぽいかも!)

 というふうに、こういうまじめなお芸術映画らしく、役者はみんないいし脚本もいい。上に書いたあらすじだけ読んでも、とにかく緻密に練り上げられた脚本だってことがわかるだろう。もちろんクロネンバーグの演出も手堅い。逆に昔のクロネンバーグにあった難解さというか、わけのわからなさはまったくなくて、実にリアルな映画になっている。

 が、やっぱりあまりおもしろくはないね(笑)。そこがこういう題材でもエンターテインメントにしてしまうスコセッシとの違いかも。だいたいクロネンバーグが芸術映画を撮るのはよくわかるが、彼が社会派にまで手を出すとは思わなかったよ。
 何が悪いかというと、結局、すべてが交わる焦点のはずのタチアナの死があまり利いてないのだ。タチアナは冒頭すぐに死んでしまうが、彼女の日記が何度も(生前のタチアナが語っているという形の)ナレーションで流れ、無垢な田舎娘が悪人の手にかかって墜ちていく哀れさを強調するのだが、これがなんかわざとらしくてクサすぎるのだ。無教養な田舎娘が書いたものだから、もちろん文学性なんてないしね。(映画のナレーションというものは詩でなくてはならないと私は信じている) せめてナレーションじゃなく回想シーンでできればよかったのだが、それにはおそらく予算が足りなかったんだろう。
 (いちおう)ハッピーエンドなのも、暗い話だからほっとはするが、あんまりクロネンバーグらしくないなー。やっぱり私は、好きこのんで破滅への道をまっしぐらな、昔のクロネンバーグ・ヒーローのほうが好きだ。

 かろうじてクロネンバーグらしいと思わせるのは、セックスシーンのえげつなさのほかは、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』でもそうだったけど、暴力シーンの残酷さ。これがいいと思う理由も『ヒストリー』で書いた通り。バンバン拳銃撃って、人がバタバタ倒れるだけのギャング映画はハリウッドだけの世界。現実には、下っ端のザコだって、ナイフで切ればお肉がベローンと裂けて、血がダバダバ流れるんだということを見せつけるのは、かえって人の命の重みを訴えることになるから、これでいいのだ。

 しかしなあ、映画としてはいい映画なんだが、もう私のクロネンバーグは戻ってこないんだろうか? 彼の何が好きって、役者の好みやえげつないエログロも好きだったけど、それ以上に、この人の奔放な想像力と幻想性が好きだったんだが。そういうのって1999年の『イグジステンズ』以来撮ってないし、その『イグジステンズ』がそもそもいまいちだったし。

 まあ、もうあんまり期待はしてないんだけど、でも次の映画もきっと主演男優見たさに見ちゃうんだと思う。次は誰かなーと考えただけでドキドキするし。

P.S. なにこれこわい

 これを書く前、いつものように参考資料として見るため、IMDbで「Eastern Promises」を検索したのだが、ヒットするのはなぜか「Isutan puromisu」という変なタイトルだけ。(このページは文字設定を日本語にしているために出ないが、頭の I の上に 長音を表す^ が付いてる)
 え、これ、日本語だよね? (ローマ字が万国共通と勘違いしている日本人が多いが、あれが通じるのは日本だけ) しかもごていねいに、「(original title) Eastern Promises」と併記してある。英語サイトなのに、しかもカナダ人監督の英国資本の映画なのに、なんでタイトルだけ日本語? もしかして日本人が出資したのかと調べたがそんなことないし。
 えー! もしかしてこれってサイトの方で勝手に日本語がヒットするようにしている? 英語サイト見てても日本語の広告が出てきたり、Googleで検索かけても日本のサイトが先に出たり、最近そういうの多いよね。おかげで英語サイトを利用することのほうが多い私は大いに迷惑している。日本にだって外国人はいっぱいいるのに、そういう人たち困らないんだろうか?
 とりあえず、これは気持ち悪い。いやだなーと思って、念のため他の映画も検索してみたら普通に出るじゃない。なんでこの映画だけ!というミステリーでした。

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