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観光庁のPRサイトは日本の恥

2009年12月21日(月)11時57分
Newsweek日本版
レジス・アルノー
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2009/12/post-101.php
【参考】 Live Japan!のホームページのスクリーンショット(サイトはすでに消滅。元記事にあったものではない)
色もそうだが、残念すぎる英語にも注意。

 最近、観光庁が日本のPRのために作ったウェブサイト「Live Japan!」を見ただろうか。
 
 見ないほうがいい。
 
 私は初めて見たとき、このサイトは中国政府にハッキングされたのだと思った。日本の魅力を台無しにして、旅行者を横取りしようという魂胆だろうと。
 
 観光庁の狙いは、外国人にこのサイトの「特派員」として日本の魅力を書き込んでもらうことで、彼らの家族や友人を日本に呼び寄せようというもの。サイトをデザインした人にとっては、日本の色とは赤と黒らしい。成田空港を汚染している「Yokoso Japan!」というポスターと同じ色だ。
 
 私は思わずパソコンの画面から目を離し、わが家の(ささやかな)庭に目をやった。そこあった光景こそ、真の日本の姿だ。

 窓の外には、日本の秋の色が見事なシンフォニーを奏でていた。東京の空は澄みきった青さで、まるで太平洋のよう。木々は紅葉し、黄色く染まったイチョウの葉は私の実家の食卓を飾っていたマスカットを思い出させる。もみじも冬に向けてさまざまな色を見せてくれるし、皇居の周りには深い緑が広がっている。東京をちょっと見回すだけでも、こんなにも色彩豊かな景色が目に飛び込んでくるのだ。
 
 それなのに、日本を世界に紹介するために観光庁が選んだ色は、赤と黒。

■日本が世界に誇る財産は人情

 彼らには、自分の国が見えていないのだろうか。世界中のデザイナーが日本文化に夢中だというのに。デザイナーだけじゃない。クリスマス前のニュー ヨークは、新発売の黒澤明監督作品DVDボックスの話題でもちきりだ。私の友人は、漫画や寿司、武道を通して身近になった日本文化を実際に体験しようと、 日本を訪れる日を夢見ている。ところが、彼らが期待に胸をふくらませて航空券を買い、宿泊先を予約しようとすると......「赤と黒」にずっこけること になるのだ。

 さらにがっかりなのは、外国人を使って日本をPRするという観光庁の発想が、実は的を得ているということ。外国人はいつでも、日本にとって最高の広告塔。彼らは日本を褒めてもけなしても、失うものもなければ得るものもない。別に彼らの生活やキャリアが、日本の魅力にかかっているわけじゃない。

 日本に降り立つ外国人は、フランスの思想家レジス・ドブレが言うところの「純真な目」をもっている。彼らは日本の都市や田舎の摩訶不思議をまっさ らな目で見る。この嘘のない第一印象は、貴重な宝だ。実際、観光庁のサイトが立ち上がってすぐの投稿には、新鮮で好意的なものが多い。赤と黒のサイトには もったいないくらいだ。

 実を言うと、私は観光庁に同情してもいる。私が思うに、日本の財産のほとんどは形のないものだからだ。日本の価値を決めるのは、その95%が醜い高層ビルなど形あるものではない。その周りに存在する人間だと思う。

 外国人が日常的に体験する数えきれないほどの親切や気遣いの心。そして静寂。私を訪ねてくる外国人は皆、東京の静かさに驚く。さらに、スピードや 効率化が最優先される現代で失われがちな、人と人とのつながりを大切にする姿勢。日本を訪れる人がそれまでの急速な時間の流れから解放される瞬間は、まる で壁に刺したメモ書きのように、心の中に留められることになる。私の心もこうしたメモでいっぱいだ。

■成田でセレブに語らせろ

 例えば、レストランで見知らぬ日本人が私の分まで支払って何も言わずに去っていったこともある。また、父を連れて京都にある「1日4人様限定」の レストランを訪れたとき、父はこう言った。「4人のためだけのレストラン----私が人生ですべきだったのは、まさにこれだな」。

 寺の僧侶が、仏陀について日本語で20分も説明してくれたこともあった。頼んだわけでもなく、私は彼の言葉を何ひとつ理解できなかったのにもかかわらずだ。(このような思い出を語りだすときりがない。実は草稿段階であまりに詰め込みすぎたために、編集者から次回以降のコラム用にと大幅にカットされ たほどだ)
 
 日本の魅力を伝えたいなら、外国人がタダでやってくれるだろう。帰国する外国人を成田空港でとっ捕まえて、カメラの前で旅行の思い出話を語ってもらい、その映像を売り出すのだ。

 よほどのことがない限り、日本に失望した、という外国人に出会うことはないだろう。成田なら有名人に出くわすこともあるかもしれない。例えば、俳優のロバート・デ・ニーロ。ニューヨークの和食レストラン「ノブ・ニューヨーク」を共同経営するデ・ニーロは日本の大ファン。昨年は自分の誕生日を祝うた め、家族を連れてニューヨークから東京に飛んできた。

フランス料理のシェフ、ジョエル・ロブションもいいだろう。彼に聞けば、(オープン・キッチンやコース料理など)フレンチやイタリアンレストランで見られ るものの多くは、実は日本から取り入れたのだと教えてくれるかもしれない。日本のブランド「サマンサタバサ」とモデル契約している歌手のビヨンセも狙いど ころだ。みんな、ここ日本と利害関係にあるセレブたちだ。

 それなのに、彼らに日本への愛を語ってくれと頼まないのはどうしたわけか。こうした人々がいつか、世界の観光業界でわけもなく大切にしまわれてきたトップシークレットを明かしてくれるはずだ----「日本は最高だ」と。

Regis Arnaud レジス・アルノー

1971年、フランス生まれ。仏フィガロ紙記者、在日フランス商工会議所機関誌フランス・ジャポン・エコー編集長を務めるかたわら、演劇の企画なども行う。

嵐の日本PRを外国人がメッタ切り

2011年08月19日(金)10時30分
Newsweek日本版
編集部・小暮聡子
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/08/post-231.php

「日本がここまで世界の笑いものになる例がほかにあるだろうか」――今週発売の本誌8月24日号掲載のコラム「嵐がニャーと鳴く国に外国人は来たがらない」は、こんな強烈な一文で始まる。

 この「Tokyo Eye」というコラムページには毎週、東京在住の外国人コラムニストが交替で寄稿している。今週のコラムを書いたのは東京在住の仏フィガロ紙記者、レジ ス・アルノー氏。コラムの内容は、観光庁が外国人観光客を誘致するために制作したPR映像を批判するものだ。

 このPR映像では、人気グループ「嵐」のメンバーがそれぞれ日本の観光地を訪れ、招き猫のまねをして「ニャー」と鳴く。PR映像の詳しい突っ込み どころについてはコラムをお読みいただければありがたいが、アルノー氏が問題視しているのは、この映像で外国人を魅了しようという観光庁の「勘違いぶり」 だ。いわく、「日本はなぜ『最高の顔』で自分を売り込もうとしないのか。洗練された職人や建築家、知識人、画家、料理人ではなく、国内限定のスターを宣伝 に使うなんて」。

 アルノー氏は以前も、「観光庁のPRサイトは日本の恥」と いうコラムで観光庁による外国人向けPRを批判したことがある。だが、アルノー氏の観光庁批判は日本に対する愛情の裏返しだ。彼にとって一連の批判は、日 本人が「素晴らしい国を自らばかにする」のをなんとか阻止しようという孤独な抗議デモ。冒頭で紹介した今週号のコラムを編集していた際、私が「今回のコラ ムはあなたのcynic(皮肉っぷり)が炸裂してる!」とメールを送ると、「僕はcynicじゃなくてromantic(ロマンティスト)だ。自分のこと を、『日本の最後のウヨク』だと思っている」というメールが返ってきた。

 アルノー氏は、問題のPR映像が世界133カ国・地域の国際空港や飛行機などで流れることを憂いてコラムを書いた。だが幸いなことに、私が先週、 東欧を訪れた際に使ったパリ、プラハ、ブダペストの空港では「ニャーと鳴く嵐」にお目にかかることはなかった(個人的には、観光庁に「ニャー」とさせられ た嵐のみなさんに同情している)。その代わりにパリのシャルル・ド・ゴール国際空港で真っ先に目に飛び込んできたのは、 イギリス銀行大手HSBCの巨大な看板広告だ。看板1枚につき各国のイメージを1つずつ描いたその広告で、日本のイメージとして描かれていたのは「漫画を 読む相撲取」だった。なるほど、日本人が考える「日本」と外国人が描く「日本」には、いまだに大きな差があるようだ。

 とはいえ、アルノー氏自身は以前のコラム「観光庁のPRサイトは日本の恥」で、「日本の価値を決めるのは、その95%が醜い高層ビルなど形あるも のではない。その周りに存在する人間だ」と書いている。それは、例えば「外国人が日常的に体験する数えきれないほどの親切や気遣いの心」だと。
 
「外国の印象を決めるのはその国で出会った人間」――これは、先日の東欧訪問でも身に染みて感じたことだ。数カ国語でメニューが記載されているようなレス トランで実際の2倍の値段をぼったくられ、鉄道駅でスリに鞄を開けられるという体験をしたプラハよりも、出会った人すべてが親切だったウィーンのほうがど うしても印象がいい。プラハの街並みは美しく、親切な人にも会ったと思うのだが、残念なことに嫌な経験というのは1つでも強烈に記憶に残るもの。反対に外 国で思いがけない親切や気遣いに出くわすと、それだけでその国の印象が数割増しで美化されることもあり得る(私が単純なだけかもしれないが)。
 
 こうした傾向は、外国人にも通じるようだ。例えば、ブダペストで訪れたハンガリー産ワインの店では「日本がとても好き」という店員に出会った。理由を聞 くと、「この店に来る日本人客はワインにまつわる様々なことに通じていて、彼らにはワインを尊ぶ文化がある。それに比べて、欧米人は何十種類も試飲したあ げく、酔っ払って床の上でつぶれてしまう」と肩をすくめた。ブダペストのタクシードライバーは、こちらが日本人だと分かると「偉大なマエストロ、小林研一 郎!」とクラシック談義を始めた(小林はハンガリー国立フィルの桂冠指揮者)。

 スシやサケ、マンガやスモウもいいが、日本と言って「日本人」が出てくるとなんだか嬉しい。観光庁がPR映像など作らなくても、外国人にとっては 日本人1人1人が広告塔になり得るということだ。もちろんそれは、いい意味でも悪い意味でも。ましてや、外国人に向けて「ニャー」などと鳴かなくても。

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