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2014年1月10日 金曜日

映画評

Gravity (2013)

Directed by Alfonso Cuaron

(邦題『ゼロ・グラビティ』)

映画の話が始まるまで、例によってご託が長いので、映画評を読みたい方は下にスクロールしてください。
例によってのネタバレ&重大な穴の指摘を含みますので、まだ見てない人は絶対に見ないでください。

映画館のこと

 今日は休みだったので、天気もいいし、また自転車に乗りに行こうと思っていた。最近水族館にも行ってないし。(運動のため)年末年始に何度も臨海公園まで行ったのに、水族館に入ろうとするといつも休みだったり、入場時間を過ぎてたりして、ずっと行けなかったのだ。(私は年間パスポートを買って、サイクリングの休憩所代わりに利用している)
 今日こそは開いてることを確認してから行こうとネットをブラウズしていたら、偶然『ゼロ・グラビティ』という映画の紹介を見つけた。「なにこれ、見たい!」と、タイトルとポスターだけ見て思ったもんね。いちおう念のためトレイラーも見たが、内容はやっぱり予想通りだった。
 私は若い頃は年間400本ぐらい映画を見ていた(それもすべて劇場で。ビデオなんてない時代だったので)ほどの映画好きであるにも関わらず、なんか年々意欲が失せて(年のせいですかねえ)、ここ数年は貸しビデオも映画館に行くのも年に1回ぐらいになってしまった。もっとも、家にある映画のコレクションを見るだけでも1年はかかるという事情もある。だいたい好きな映画やビデオは全部持ってるし。そんなわけで最近は新作をチェックする暇もない。(これは音楽に関しても同じだ。あまりに完璧な環境を作りすぎてしまうと、新しいものを開拓する意欲が薄れる)
 映画館行くのなんて『アバター』以来かも。(これは嘘でクロネンバーグの『危険なメソッド』を見てたわ。でもがっかりしたのでリビューも書いてない) 調べると、一番近い上映館は木場の109シネマズで、しかもIMAXじゃないか! やったー!
 はい、私は科博の球形360度スクリーンの3Dシアターを見てから、360度でなくてもいいからもっと長いのを見たいと思ってIMAXに興味を持っていたのだが、なんとなくチャンスを逸していたのだ。これはチャンスじゃない。しかも評判を見るとこの映画こそ3Dで見なくちゃダメみたいなこと書いてあるし。うんうん、宇宙空間でグリングリン回転しながら漂流するのを一人称視点で見れたら最高かも。平日の朝ならすいてるだろうし。

深川イトーヨーカドー、じゃなかったギャザリア

 そこで行って参りました。ここは初めてだがなにしろ近くていいわ。うちから木場なんて10分もかからない。風呂に入って朝ごはん食べてからでも余裕で初回に間に合った。この深川ギャザリアというのは初めて来たが、新しい感じできれいでいいね。入り口部分しか見てないが、店の他にもオフィスビルやなんかが入った複合スペースらしい。
 シネコンがあるのはイトーヨーカドーの中ってのがしょぼいが(笑)、とにかく人が少なくていい。下町に住む利点のひとつに、都会的な施設はなんでもあるのに、山の手とくらべると確実に人出が少ないというのがある。私は東京で生まれ育ったくせに人混みが嫌いで、(私に言わせれば東京人だからこそなんだが)、映画館もいかに空いてる場所や時間を探すかに苦心してきたが、ここはいいわ。とにかく理想は他人が目に入らない、全館貸し切り状態の映画館。いや、それじゃ確実につぶれるからまずいか。
 まあ、映画館は今はどこも苦しくて閑古鳥らしいが。でもやっぱり映画ファンとしてそれは悲しいね。一頃変なブームみたいになって増えたシネコンも閉鎖されるところが増えているらしいし。やっぱりネットとビデオとテレビに押されてるのか。でもその点、IMAXなんて、個人の家では絶対に見られないという点で、まさにこれからの映画のあり方を表していると思うのだが。
 あと、小さなことだが結構重要なのは、近所なので普段着で行けるということ。これが新宿や渋谷や銀座の映画館だと、私でもやっぱりそれなりの準備をして出かけるので、出かける30分前ぐらいから支度する。でも深川なんて庶民の町だし、家で着てる普段着でサンダル突っかけて平気で行けちゃう。実はこの辺はれっきとしたオフィス街なので、もしかしたら恥ずかしいことしてるのかもしれないが、でもいいの。近所のおばさんのふりするから。

 入ってみたら、ここがスーパーの中とは思えないほど広い。それに空いていて、「他人が目に入らない」のは無理でも「ほぼ無視できる」レベルの席に座れた。しかし、こういう空いた映画館で指定席って、いつも思うが無意味だよねえ。もちろん私は勝手なところに座るからいいけど。そのわりに高い特別席は埋まってるのが不思議。これだけ空いてんのに特別席だけ埋まるというのも変だし、もしかしてこいつら特別料金払わずに座ってる? 私は指定は無視するが、料金が違う席に座ったりは絶対にしないぞ。

109シネマズのIMAXシアター

3Dのこと

 3D映画については『アバター』のリビューで書いた通り。3Dなんて名ばかりで、あんな書き割りの上でペラペラの紙人形が動くだけの疑似3Dなんかいらん!というので、途中からは3Dメガネ外して見てた。今日も予告編の『スパイダーマン』がやっぱりあの3Dだったのでやや興ざめしたが、IMAXはあれとは違うはず。だって通常より高い料金(2200円)取ってるのに同じだったら許さない。その違いは、本編が始まってIMAXのロゴを見ただけでわかりましたけどね。
 あれだ! あのなんていうのか知らないが、なめらかな球面が浮き出して見える3Dだ。これが90分見られるのか! すげー!
 ただ、先に結論を言ってしまうと、最初こそすごいすごいと思って見ていたが、すぐに慣れて、むしろ3Dなのが当たり前に思えてきてしまう。というか、これが3D映画だったことを忘れてしまう。確かに現実世界では毎日3D見てるんだから、それほど目新しいものでもないよね。それだけ現実と変わりないリアルさというだけでもえらいけど。
 とにかく私が予告編見ただけでいちばん期待していたのは、もちろんデブリ(宇宙ゴミ)の襲来シーン。思わず避けるぐらいのリアルさを期待してたのだが、うーん‥‥1回ぐらいはぎょっとして避けそうになったかなという程度だった。
 やっぱり科博の3Dシアターみたいな「うおー!」という感じ、自分が映像の中にすっぽり入ってしまった感じにはならない。というよりあれを90分やられたら、たいていの人は確実に途中で気持ちが悪くなる。もしかしたら酔わないように、映画はわざと表現をやわらげてるのかもしれないが、これが今の映画の限界なのかなあ。一人称視点もほんの短時間だった。マジで吐くかもしれないけど、それでも私はこれを球形スクリーンで見たいなあ。足元がない、無重力空間で宙ぶらりんの感覚はこういう映画でこそ生きるのに。

 メガネも『アバター』のときのようなトラブルはなく、やっぱり私のメガネが大きすぎて収まりは悪いが、なんとかかけたままでいられた。ていうか、最初は気になってたのだが、すぐに映画に熱中してしまって忘れた。だいたいこの映画は3Dメガネなしでは二重に見えるタイプなので、なんとか使えて良かった。
 あと音響も良かった。が、うるさい! 私は宇宙映画だから静寂が支配するかと思っていたが、なんかすごいうるさい。音楽じゃなくて、背景雑音みたいなのが常に鳴っていて、なんか知らんが不思議なムードだった。

主演のブロックとクルーニー

宇宙映画について

 で、やっとここから本題に入る。なんで私がポスター見て、おおざっぱな紹介見ただけで見たいと思ったかというと、やっぱり宇宙ものというところに郷愁をそそられたからだ。それもこの手の「宇宙のサバイバル」テーマは絶対おもしろいと思ったので。
 なんでそう思ったのかな?(笑) というのも、宇宙映画で成功したのって、極端な話、『2001年宇宙の旅』と『エイリアン』(1作目)しかなくて、あとはほぼすべておちゃらけの駄作なのに(笑)。『スター・ウォーズ』みたいなお子様映画は宇宙映画のうちに数えもしません。あと、宇宙ものはコケるって決まってるから、映画会社もあまり作りたがらないって聞いた。

 とりあえず、この映画のモチーフである「宇宙でひとりぼっち」というのはまったく目新しいテーマではない。早い話が上の、『2001年』も『エイリアン』もそうだし。
 中でも、「船外作業中に命綱が切れて宇宙を漂流する」という出だしで始まるSF短編なら20本は読んだ。その結末も様々で、たいていは主人公が機転を利かせて、思いもかけないクレバーなやり方で窮地を脱するのだが、アンハッピーエンディングも多くて、理由はなんだか忘れたが、死ぬこともできずに永遠に宇宙を飛び続けるなんていう絶望的なのもあったし、あるいは深宇宙で人智を超えた存在(神?)と出会ってというのも多い。あ、『2001年』がまさにそれか。それでこの映画はどうなるのか、そこは予想が付かなかったのでとても楽しみにしていた。

 なんていうか、「宇宙でひとりぼっち」というのが無性に好きなんだよね。ひとつには私が孤独を愛するからで、これ以上の孤独はないから。と同時にその絶望的な感じもよくわかる。この映画に感情移入をする必要さえないんだよ、私は。同じ状況に陥った主人公の小説を山ほど読んで、いつもその心境について考えていたから。
 ただちょっと残念なのは、舞台が地球の軌道上、ってことは上の写真のようにつねに地球がでっかく見えてるのね。これじゃあんまり寂しくないじゃん。ポスターの印象から、私はてっきり深宇宙が舞台と思っていたよ。そのほうが孤独感は増すが、さすがにこのシンプルなストーリーで終始黒バックじゃ、絵的にはつらいだろうし、やっぱり地球が見えた方がいいかも。きれいだし、すぐそこに見えてて、声も聞こえるのに帰れないというつらさもあるしね。

本作『Gravity』について

 ここからがやっと本題だが、ええい! 勝手に題名を変えるな! 確かにこれは『ゼロ・グラビティ』についての映画ではあるが、それをあえて“Gravity”というタイトルにしたところがミソなのに。映画名を邦題で書くことは妥協したが、これは我慢ならないので原題のまま書く。

 監督はメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロン。とかわかったようなことを書いてるが、とにかく最近映画を見てないのでこの人も初見。フィルモグラフィーを見たが、あんまり食指をそそるような作品はなくて、これじゃ今まで縁がなかったのはしょうがないか。それでもいくつか気になる作品もあるので、今度借りてみよう。メキシコ人っていうとアレハンドロ・ホドロフスキーがそうか? いや、彼はペルーだかチリだかの出身で、メキシコで映画撮ってただけだったか。
 主演というか、2人しか出ない映画なので、その2人がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニー。サンドラ・ブロックは『スピード』で気に入って以来、わりと好きな女優。ジョージ・クルーニーはERの頃から見てるが、私はべつになんとも思ってなかった。まあハンサムだから許すって感じ。ジジイだけど。(女はおばさんが好きだが、男はやっぱり若い方がいい) ああ、もうさっさと映画の話に行こう。

宇宙ステーションぶっ壊しシーン

おはなし (いちおう結末はぼかしてあるが)

 これが初のスペースシャトル・ミッションとなるバイオメディカル・エンジニアのライアン・ストーン(Sandra Bullock)は、これが最後の飛行になるベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(George Clooney)らとともに、ハッブル宇宙望遠鏡(地上約600km上空の軌道上を周回する宇宙望遠鏡)を修理するため船外活動をしていた。ところがそこへヒューストンからすぐに待避するようにという司令が来る。ロシアが廃棄予定のスパイ衛星を爆破し、そのデブリが彼らの方へ飛んでくるというのだ。
 すぐにデブリが飛来し、ライアンはシャトルと自分をつないでいるテザー(命綱)が切れて、ひとり宇宙へ放り出されてしまう。パニックを起こすストーンを、ジェットパックを背負ったコワルスキーが助けに来てシャトルへ連れ戻してくれた。しかし同僚たちは全員がデブリに直撃されて死亡、シャトルもひどく破壊されて飛行不能になっていた。
 2人はジェットパックを使って、近くにある国際宇宙ステーション(ISS)を目指すことにする。しかし酸素は残り少なく、また90分後にはデブリが襲ってくることがわかっている。ISSへの道すがら、落ち込むストーンを励まそうと、コワルスキーは家族について訊ねるが、ストーンは娘がいたが死んだと答える。
 ISSが見えてきたが、ここも損傷がひどく、乗組員は全員脱出した後で、地球へ帰還するために使える宇宙船は1台も残っていない。しかもジェットパックの燃料が切れて、うまくコントロールができず、2人はISSを飛び越えてまた宇宙に飛び出しそうになるが、かろうじてストーンの足がパラシュートの紐に引っかかる。コワルスキーに命を救われた恩義を感じている彼女は、夢中でコワルスキーのテザーをつかみ、助かったかと思ったとき、コワルスキーは「君は生きて地球に帰れ」と言い残して、テザーを外してしまう。
 ISSの中に入ったストーンは一息つく暇もなく、今度は火災が襲う。彼女は1台だけ残った着陸船ソユーズに逃げ込み、ステーションから離脱するが、そこへ再びデブリが襲い、ステーションをバラバラに破壊する。唯一生き延びる方法は中国の宇宙ステーションまでたどり着くことだが、ソユーズにはもはや十分な燃料がなくエンジンが点火しない。藁にもすがる思いで、AM周波数で地球に救援を求めると、アニンガという男につながったが、彼は英語がわからず意思の疎通が成り立たない。死を覚悟したストーンは酸素供給を止めて目をつぶるが、そこで窓を叩く音が‥‥

キャラクターの魅力について 

 先に結論を言ってしまうと、これは本当によくできたいい映画である。と、先をあせるのは『アバター』の時の論調と同じで、あとで悪口を言うつもりなのが見え見えだが、それでもこれはすばらしい映画だ。
 まず、登場人物を2人だけに絞り、視点も彼らに固定したストイックな演出がすばらしい。こういう映画だと、たいてい地球側の司令室や、帰りを待つ家族の愁嘆場が描かれるが、そういう地球との絆をきっぱり断ち切ったところがいい。ストーンは幼い娘を亡くしてトラウマになっていることがわかるが、それでも娘の顔のフラッシュバックなんか入れないで、ストーンも固く口をつぐんでいるところもいい。ただそのせいで、前半のストーンの自暴自棄な暗さがいまいちわかりにくいきらいはあったかも。
 『エイリアン』のリプリーも、自分自身と地球人類を救うために死にものぐるいの活躍をするが、彼女の私生活は何一つ明らかにされていない。4作目まで作られた人気者で、すべて出ずっぱりなのに、彼女には家族がいるのか? どこの出身で何が好きで何が嫌いで趣味は何なのか?などといったプライベートなことは、何一つわからない。『エイリアンズ』で娘がいたことがわかるが(しかもその娘はとっくに老衰で死んでいる)、これはキャメロンの蛇足で、何も知らないままのほうが良かった。まさに彼女にはエイリアンしかいないし、エイリアンだけが彼女のレゾンデートルで、(4によれば)エイリアンだけが家族なのだ。これ以上ストイックなヒロインは映画史上いなかった。だからこそ、エレン・リプリーは永遠に私のナンバーワン・アイドルなんだが。
 ただ、ヒロインの私生活や考えが何もわからないことで「キャラクターに深みがない」と思っちゃう人もいるんだよね。そういう人は私小説でも読んでりゃいいと思うんだが。

これがその下着シーン

 なんの共通点もない映画なのに、『エイリアン』のことばかり引き合いに出してすみませんね。なんでかあのポスターを見ただけで、私の頭の中では“In space, no one can hear you scream.”という『エイリアン』の宣伝文句がジングルみたいにずっと鳴り響いていて止まらないのだ。それぐらいあの映画が衝撃的だったということだが。でも、このタグラインはこの映画にも共通すると思っていたが、少し違ったかも。
 『エイリアン』の話が出たからついでに言っちゃうが、この映画にもちゃっかり『エイリアン』へのオマージュが入ってるね。戦うヒロインというだけでも十分なんだが、ステーションに入って宇宙服を脱いだサンドラ・ブロックが、薄いタンクトップとショーツで歩き回る(無重力だから飛び回るんだけど)シークエンスはモロに『エイリアン』を意識していると思った。
 そう、誰だってリアルタイムで『エイリアン』を見た人は、シガニーの下着姿(と、無防備な姿の彼女に迫るエイリアンの、メタファーと言うにはあまりにあからさまなエロっぽさ)にしびれたはずだ。ここでのサンドラもなかなかエロい。
 あいにくこの人は背が低いんで、私のお気に入りには今ひとつだったんだけど、見てたらけっこうムラムラしてきた。なんでかと思ったら、彼女、年をとってきて、だんだん私の理想とするおばさんに近付いているのだ。美人じゃないが、それを言ったらシガニーだって美人じゃなかったし。しっかり鍛えた筋肉質の体もいいし。そういや、サンドラって長い髪が売り物で、髪切ったのを見たのは初めてなんだが、こっちのほうがぜんぜんいい。(『エイリアン』のシガニーはあのおばさんパーマだけが汚点だった)
 ついでに彼女が胎児のように体を丸めて漂うシーンを、『2001年』へのオマージュだと見るむきもあるようだが、それはどうかな?

 『エイリアン』との比較を続けると、鉄の女リプリーと違って、ストーンはあくまで等身大の生身の女として描かれているのがいい。どんな場合も冷静で、歯を食いしばって耐えるリプリーと違って、ストーンは怖ければ泣き叫ぶし(で、リプリーと違って、その叫びを聞いてくれる人もいるし)、パニックを起こすし、放心状態にもなるし、宇宙の迷子になったあとはコワルスキーと離れるのをこわがるし、しまいには絶望のあまり自殺も考える。そこが人間くさいし、かわいそうで泣ける。
 サンドラ・ブロックはこの演技でアカデミー賞候補の声が高いが、それも納得。いちばん演技賞もののシーンはもちろん無線でアニンガと話すところだ。人の声が聞こえた喜びが、意思の疎通ができない悲しみに変わり、やがてアニンガの犬や赤ん坊の声を聞いて、思わぬ喜びを感じるとともに、強烈なホームシックで泣き笑いしながら死を決意するところは本当に切なくてかわいそうで、サンドラ・ブロック一世一代の名演技と言っていい。

 YouTubeにはこの映画のスピンオフとして、“Aningaaq ”と題されたビデオが上がってるが、これは同じシーンをアニンガの視点から描いたもの。もちろん映画は最後まで地球のシーンを一切見せないのが良かったんだが、同じ場面を地球視点で見ると、またあれを思い出して泣けてしまう。アニンガの無垢さとストーンの絶望を何ひとつわかってない無知さが痛くて。
 ところで中国訛りに聞こえたので、私は勝手に中国人だと思っていたが、ビデオを見ると彼はグリーンランドの先住民だったのね。真っ白な氷の世界と、真っ黒な宇宙という対比がまた鮮やかで、これが入るならDVD買っちゃおうかな。
 映画ではわからなかったアニンガの側のドラマがわかったのもいい。ストーンはのんきに犬の鳴き真似なんかしていたが、アニンガは病気の犬のことで悩んでたのね。そして最後に銃声がするのは、犬を安楽死させることを選んだのだろう。ちょうど同時期にストーンは自殺を考えていたことを思うと、もちろんこれも偶然の一致じゃない。まるで犬がストーンの身代わりになってくれたかのようで。地球と宇宙にいる、なんのつながりもない2人が、不思議な絆で結ばれているというのも実に詩的だ。

 キャラクターの話になったので、クルーニーのほうに目を転じると、これがまあ、あきれかえるほどの「いい人」なんで笑ってしまう。のべつ幕なしくだらないことをしゃべりまくる脳天気野郎で、自分の死さえもにっこり笑って受け入れるって、これがアメリカ人の理想の男だってことは知ってるが、それにしても男前すぎるだろ! 冗談でいろいろ言ってはいるが、彼とストーンの関係は年の差や経験の差もあって、むしろ父と娘のようだ。慈愛にみちた父親のように、いつもニコニコと見守ってくれて、困ったときは必ず助けてくれて、絶望すれば励ましてくれて、そのくせ何ひとつ見返りは求めないって、まさに女の理想の男性じゃない。惚れてしまうやろ!
 というわけで、マザコンの気味はあるが、まったくファザコンではない私でさえもほろっとさせられるほどのいい男、というずるいぐらいおいしい役回り。出てきてすぐに死んじゃうから、出番は少ないんだけどね。
 だから、彼が生きてた!と思わされたときは、ヒロイン同様ぬか喜びしたんだけどね。あれはあれでいいけど、しかしあの登場シーンはよく考えたらホラーじゃないか? 詳細は忘れたけど、「誰もいるはずのない宇宙で誰かが戸を叩く」って、確かホラー小説のテンプレートになってたよね。考えたらすごく怖いんだが。でも、ストーンの気持ちになってみると、あそこでああいう幻覚を見るのは大いにありそうに思えるので無理はない。

 あとスクリーンには登場しないが、ヒューストンの管制官役でエド・ハリスが声の出演。もちろん『アポロ13』と『ライトスタッフ』に対するオマージュでしょう。この二つは「宇宙映画」じゃなくて「宇宙飛行士映画」なので、上では触れなかったが、どっちも傑作。

アクションと特撮について

 とにかく一言一言が泣かせる映画だが、もちろんただのお涙頂戴でもない。あらすじにも書いた通り、一難去ってまた一難のジェットコースター・アクションも楽しい。リアルな話だけに、楽しいといっていいのかどうかわからないが。デブリ来襲や宇宙船火災はもちろんそれだけでも怖いんだが、宇宙のいちばんやりきれないところは、自分では動くこともできないことだってのがよくわかった。
 この無重力ってやつ、もう宇宙が無重力なのはわかりきってるからか、あるいは単に制作費を節約するためか、SF映画では都合良く「人工重力」がどこにでも行き渡っていて、めったに無重力の描写はない。しかしこの映画はSFじゃなくリアルな現代の話なので、そこが実にもどかしく恐ろしいのだ。とにかく何があってもフワフワと漂ってるしかない。あるいは動き出したら慣性で止まれないってのは情けない。
 あと、無重力の火災ってすごくこわい。初めて見たし、これがどこまで科学的に正しいのかはしらないが、普通の火災なら火はあくまで壁や物を伝って広がるのに、無重力だとシャボン玉みたいにバラバラに浮いた炎がそこらじゅうをフワフワ飛び回ってるんだよ。こっちの方が逃げ場がなくてよっぽどこわい。

 この無重力シーン、パンフによるとVomit Commet(米軍の無重力体験機。垂直落下で無重力状態を作り出す。「ゲロ彗星」という身も蓋もない名前はみんな気持ちが悪くなるから)を使うという話もあったのだが、さすがにそれはやめて、ワイヤとCGでごまかしたらしい。(なんでVomit Commetに詳しいかというとBBCの番組で見たからである) 確かにいちいちあんなのに乗ってたんじゃ、役者は命がいくつあっても足りないからねえ。
 というところで、特撮は可もなく不可もなし。無重力シーンはよくできていたが、1968年の『2001年』でさえあれだけ見事にできていたからねえ。さすがに無重力の船内長回しはすごいと思ったが。
 人がちっちゃく見える宇宙のシーンはCGかミニチュアだろうが、あれがちょっとちゃちで、「宇宙に比べてうんざりするほどちっぽけな人間」の感じがあまりうまく出ていなかった。それを言ったらデブリに引き裂かれるステーションやシャトルも、なんか重量感がなくてペナペナな感じがしたのが残念。やっぱりこれがCGの限界。
 しかしサンドラ・ブロックは、ずっと吊られたままで肉体的にもめちゃくちゃハードだったはずだし、なおかつアップのシーンはほとんど椅子に座ったままという、役者としてはいちばんやりにくそうな役をよくこなしたと思う。

ストーリーと演出

 この映画については95%の人が「生きるということについて考えさせられた」とか、「涙が止まらなかった」みたいなことを言って感動しているのに、残りの人は「何も起こらない映画で退屈で眠ってしまった」とか、「飽きたので早く終わらないかと思っていた」と言っているのを読んで、あまりの両極端に分かれているのをおもしろいと思った。
 私の考えではどっちも言えてる。ほめる方に関しては私なんかが言うまでもないので置いといて、これだけテンポのいいジェットコースター・ムービーで退屈ってどういうこと?という人のために補足。まあ実際、死にそうになるということ以外は、それほどたいしたことは起こらないのだ。何より連鎖反応的に被害が広がっていく中で、ヒロインはどうしようもなく無力という設定なので。ほとんどのシーンで何もない宇宙空間をただ流されていくだけだしね。
 タイプが違いすぎるので比較するのは無理だが、『2001年』や『エイリアン』が、1本の映画にどれだけ多くのサブプロットを織り込んでいたかを考えただけでも、この映画は単純そのものだ。私はそれがSFとリアルの違いだと思ってる。これなんてあまりのひねりのなさに、実話なんじゃないかと思ってしまうぐらい。

 とりわけ、この手の話でいちばんの肝はどうやって生命の危機を脱するかということだ。どんな小説でもそこにいちばん工夫を凝らして、読者をあっと言わせる方法を考えるのに、ここでの解決法(ソユーズを発進させる方法)って、わりと自明のことで、パニックになっていたから気付かなかったけど、冷静になったらわかったということだよね。そこはなんとも弱いと思うが、現実もそんなもんじゃない? (『アポロ13』を見ると、むしろ現実の方がすごいんだが)
 メインテーマである生と死の問題もあまりに正攻法で、要するに「生きてるってすばらしい」、「重力や酸素や水がある地球ってすばらしい」ってことだよね。でもここまでストレートに攻められるというか、あまりにも自明のことを堂々と言われると、かえって新鮮というか、私のようなひねくれ者は逆にジーンとなってしまった。こういうシンプルで正攻法の映画っていいよね。めったにないだけにかえって感激する。

 ストーリーはちょっとあれだが、演出はすばらしい。過不足なくテンポが良く、ほんとにアラが見つからないほど。特にこの後、似た話だから見た『レッド・プラネット』がひどすぎたので、よけいキュアロンのうまさが際立つ。
 たとえば、序盤でジョージ・クルーニーを殺してしまうのはうまい手だと思った。あれには誰もが「えっ?!」となったはずだが、最初に重要人物でしかもすばらしい善人(というか、そもそも2人しかいないんだが)をあっさり死なせてしまうと、残ったサンドラもいつ殺されるかとハラハラするから。『氷と炎の歌』がまさにそうだったんで、以降何も信じられなくなって、手に汗握るスリルと物語の先が読めないというおもしろさをたっぷり味わったからね(笑)。まあ、こちらはハリウッド・ムービーだから、それでもサンドラは生き延びるだろうとは思ったけど。あのタイミングでアニンガを出すうまさは言うまでもない。
 とにかくこの監督には今後も注意だ。

で、あら探しだが‥‥

 というわけで本当にいい映画だったのでこれは言いたくなかった。書かずにおこうかとも思ったのだが、この映画を見て日本の将来を担うお子様たちが間違った科学知識を身に付けてしまっても困るのでやっぱり書かずにはいられない。それぐらい明白なミスだし、致命的なミスだから。

 この手のSFっぽい映画だと、さっそくアラ探しをする輩は多いんだけどね。SFファンとか科学マニアって性格悪いから(笑)。でも私は、たとえば宇宙服を脱いだサンドラが下に「おむつ」を付けてない(宇宙飛行士はトイレに行けないので宇宙服を着るときは必ずおむつを付ける)とか、こうも都合良く宇宙ステーションが並んでるわけない(実際はかなり離れている上、同じ軌道面にもない)とかいうアラには目をつぶる。そりゃリアルではそうかもしれないが、あくまで映画的演出の内だということで。(『エイリアン』は遠い未来の話だから、リプリーがおむつしてなくても問題ない。まあそれでもちょっと物理的に無理だと思うけど)
 でもこれだけはどうしても言わせてください。実を言うと、私自身見ながら???と悩んだことでもあるので。

 はい、コワルスキーが死ぬ前半のクライマックスです。状況はというと上のあらすじにも書いた通りで、もう少しでISSを飛び越えてしまう(慣性があるので、ジェットパックの燃料がなくては止まれないし、姿勢制御もできない)という土壇場で、ストーンの足首にパラシュートの紐が絡まって引き留められる。ストーンはコワルスキーのテザーを手でつかんで、ちょうど2人がステーションから1本の紐で一直線につながれたみたいな形で静止するの。それがポスターにもなっている下の写真。
 あー、助かった!とほっとしていると、ここでコワルスキーは何を思ったか、必死で「やめて」とつぶやくストーンの懇願も虚しく、テザーの留め金を自分で外して宇宙へ漂っていくのだ。えええええ????

 
 これがその問題のシーン
自ら留め金を外すコワルスキー

 上の写真をよく見てくださいね。これこそ、ハリウッド映画にはつきもののクリフハング・シーンですね。どうも私は最近、これを見るといつも、地獄のミサワのギャグ、

「このままじゃおまえも死ぬぞ。俺はいいから手を離せ!」
「よし、わかった」
「え? ちょっと待って」

というのを思い出してしまって、笑っちゃってだめなんだけど(笑)、とりあえず地獄のミサワがいなければ、文句なく泣かせるシチュエーションだ。特に下の人間が自ら死を選んで上の奴を生かすっていう自己犠牲ほど美しいものはない。よって、ハリウッド映画では、この手のシーンをクライマックスに持ってくるのが定番だし(『長ぐつをはいたネコ』ですらそうだった)、私もそういうのがわりと好き。

でもここ宇宙なんですけど‥‥

 思い出してほしいんだけど、そもそもクリフハンガーが成立するのは重力があるからこそである。重力が下の人を引っ張るから、上の人がその重みに耐えかねて落ちるか手を離しちゃうわけでしょうが。だけど、宇宙に重力はないでしょうが、っていうかそれがこの映画のテーマでしょうが!
 2人が助かるにはコワルスキーの自己犠牲なんてまったく必要ないんである。ていうか、犠牲になりたくてもできないはずなんである。いったん(相対的に)静止したら外から力が加わらない限り、宇宙じゃ永遠にそこにとどまっているしかないので、手を離そうが命綱切ろうが、この2人は好きなだけその場に浮いていられるのだ。
 だから、コワルスキーが留め金を外して宇宙空間に漂って行った瞬間、私はストーン博士同様にパニクって、「えええーっ? なんでなんでそうなるの!」と叫んでいた。だってそうじゃん? 物理学の初歩の初歩がわかってれば、中学生でもわかるじゃん!

 それでもバカ正直な私は、意味がわからないから、てっきり自分が何か重要なセリフを聞き逃したんだろう(字幕は見てない)と思って、必死で頭をしぼった。それで自分なりに、「きっとコワルスキーは自分の体を重りにして、自分を宇宙に放り出すことで、反動でストーンがISSにたどり着けるようにしたのかも」という、いささか無理のある理論を引き出したんだが、なんか科学的に間違ってるような気がするし、その後見ている間もずーっとそれが頭に引っかかって居心地が悪かった。だって、仮にそういう設定だったとしても、何も自分を捨てなくてもなんかしら捨てるものはあるでしょう。役に立たなくなったジェットパックとかさ。
 実際は、もちろんそんな必要さえないんだよね。ISSに戻りたければ、ストーンは足にからまった紐をたぐれば、2人ともつながったまますーっとステーションに引き寄せられるはずだから。もちろん重力がないから、女ひとりで2人を引っ張ることだってかんたん。やろうと思えば、小指でコワルスキーを運べたのだ。(いや、待て。重力なくても質量はあるからどうのこうので‥‥物理なんかもう忘れたわ)

 とにかくあまりにおかしいから、なんか意味があるに違いないと思って、帰ってすぐに検索して調べた。それでわかったのは、これが結局見たまんまのクリフハンガーだったってこと。要するに明らかな間違いだってことだ。脚本家も制作者も、いくらなんでもこれが間違いだってわからないはずないから、わかっててもあえて目をつぶったんだろうな。いつも言うようにハリウッドは映画なんか見るやつは白痴だけと思ってるから、こういうことができるんだろうか? それとも作り手が白痴なのか?
 だって、ここでコワルスキーを殺したければ、こんなアホなことさせる必要もないんだよ。飛んできたデブリが当たってテザーが切れたことにすれば、なんの問題もないのに。あるいは、どうしても自己犠牲にしたければ、方法なんか百もある。どれを選んだって、いきなり宇宙に重力が生まれるよりはましだよー!
 これはよくある、宇宙で彗星がメラメラ燃える以上の致命的な小学生並みのミス。まともに取れば、これひとつでもうバカバカしくて見てられなくなるタイプのミスなのに、例によって日本でこれ言ってる人ほとんどいないのはなんで?

このシーンの意味するところは次のうちのどれかだ

1.いきなり宇宙のここだけ重力が生じた。
2.脚本家および制作者が小学生並みの知能だった。
3.脚本家および制作者が観客は小学生並みの知能だと思っていた。
4.コワルスキーが小学生並みの知能だった。
5.コワルスキーは自殺したかった。

 あーもう! せっかくこれだけ格調高く美しく、良くできた映画だったのに、これだけですべてが台無し。他が完璧だっただけにあまりにも惜しい。とにかくこれがあるために、この映画が世紀の名作であるとは口が裂けても言えないが、そこだけ目をつぶればおもしろい映画ではあった。 

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