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2011年5月18日 水曜日

身辺雑記

ダイエット日記――サイクリング編

 というわけで(肥満の話参照)、運動するはめになってしまった私であった。

 ちなみに、「食べないで痩せる」案は却下されました。あれを読んだお友達の石神さんから、「そんなの絶対だめ! 病気になります!」と叱られてしまった。うーん、私はあれがいちばん楽なんだけど。やっぱりだめ? まあ、そうだよね。ちょっと大人げなかったな。まあ、断食は臨界量を超えそうになったときの最終兵器としてとっておこう。

 となると、あとは運動するしかないわけ。だけど私は運動とか、修行とか、勉強とか、努力と名の付くものが死ぬほど嫌いっていうか、不倶戴天の天敵なのだ。(学生には「勉強しろ」と言うが) 今日はその私が運動するに至った経過について。

スポーツクラブがだめなわけ

 しかし、あのあとさすがに気になってウェブとかでダイエットについて調べていると、「誰でも家で簡単にできるダイエット体操」のたぐいがけっこう見つかったので、やってみようとしたところ、なんかできねー! おなかを床に付けての腕立て伏せぐらいなら‥‥と思ったら、伏せどころか腕立てもできずにぺしゃっとつぶれてしまう。って、前にもどこかで同じことを書いたような気がするな、ううう‥‥バランスボールも買ったけど、少し遊んだだけで飽きて放ってあるし。
 そういえば何年か前、四十肩っていうのか、腕が肩より上に上がらなくなったことがあって、そのときは痛いのを我慢してバンザイ運動を何度もしていたら治ったことがある。どうも意図的に運動をしないと、たちまち寝たきり老人並みに体力が衰えてしまう年になったようで。それでもこうやってモソモソと運動みたいなことしてると、痛いことは痛いが、普段使わない筋肉を使うので、けっこう気持ちのいい部分もあったりして。

 などと言うと、たいていの人に勧められるのがスポーツクラブに通うこと。「あんたみたいなものぐさは、強制されないと絶対運動なんかしないんだから」というわけ。私はむしろ、「お金払っちゃえば、悔しくて元を取りたくてがんばるんではないか」という気がするが。
 石神さんにはピラティスを勧められた。んー、そういえばかなり以前に新聞でピラティスについて読んで、「これは良さそう」とか思った記憶があるな。当時はどこで習えるのかもわからなかったが、いま調べてみたら、西葛西の駅前にもピラティス・スタジオがある。ふむふむ‥‥と、クラブの紹介や説明を読んでいるだけで、どうしてもいやになってしまった(笑)。

 第一の原因はやっぱり経済的要因かな。一時的な出費ならまだなんとかなるが、毎月確実に出て行く料金というのは、貧乏人にはすごく痛い。月謝が月に1000円ならなんとか払える。月に5000円だとかなり痛い。これが月に1万円を超えちゃうとほぼ無理。もう代金払えないから新聞さえ止めようと思っていたところなんだから。禁煙でタバコ代が浮いたおかげで、新聞はかろうじて続けられたが。

 理由その二は、基本的にこういう学校みたいなものが嫌いなこと。私の言うこと矛盾してますか? 私は他人に偉そうな顔してあれこれ指図されるのが大嫌いなうえ、自分が偉そうな顔してあれこれ指図する立場になったのに、今さら十把一絡げでみんなと同じことする生徒になんか戻りたくない。
 そう言えば、短大に勤めていた頃は学生サービスも兼ねて、そういう健康教室みたいなのをよくやっていて、教師も駆り出されて学生といっしょにレッスンを受けたのだが、それこそメタボ腹の同僚がヒイヒイ言って運動している横で、当時は十分スマートだった私は、鼻でせせら笑ってやってるふりだけしていた。そういう奴の末期の姿がこれです、というのは自分でもわかっているのだが、昔からそういう努力をすべて鼻でせせら笑ってきた手前、今さらまじめにやる気おきないや。

 第三の理由は、こういうクラブとかの雰囲気が嫌いなこと。実はスポーツジムに通ってみようと思ったのは、今回が初めてじゃありません。何度か見学もしたことある。うちの近所には、徒歩5分で行ける範囲に、エグザス、コナミ、Tipnessと大手スポーツクラブがひしめいていて、通うには恵まれた環境だし。だけど、行ってみると必ずいやになって帰ってきてしまうのよね。
 だってー、こういうところに通ってるやつって見るからに健康マニアみたいなのが多くて気色悪いじゃない。ハイハイ、またも自分で地雷踏んだのはわかってますって。これじゃ石神さんも他の友達もみんな気色悪いと言ってるようなものだし。でもそういう人ばっかり集まっているところに、「努力なんて不倶戴天の天敵」なんてうそぶいている私が混じると、鶏小屋に忍び込んだキツネというか、いや、キツネ小屋に忍び込んだ鶏でもいいんだが、要するにあまりにも場違いすぎ、異質すぎで浮きまくり、いたたまれなくなってしまうのです。

 第四には(しつこいな)、そもそも運動が嫌い。ってこれは最初に書いたか。スポーツはどんなスポーツでもやればおもしろいことは知っている。だからスポーツやらされるのはそんなにいやじゃないのだが、こういう運動のための運動というのか、トレーニングとか、エクササイズとか、フィットネスとかいうものが、なんかすごいむなしくて、賽の河原みたいな気がして嫌いなのだ。

 第五にして(すごいしつこい!)、最大の理由は、これはずっと前から主張していることだが、

私はアウトドアスポーツ以外、スポーツとは認めない

ということ。偉そうでしょう?
 スポーツじゃなくて運動だという論点はすでにうやむやにされているが、要するに私は、狭くて埃っぽいところで大勢の人がドッタンバッタンやってるのを見ると気分が悪くなるので。これは広々として人間なんかどこにもいない美しい自然の中で運動していると気持ちがいいのと正反対。これに異論を唱えるやつはいるまい。
 私は学校でバレーもバスケも卓球もやらされたし、やってるときはけっこう楽しくて熱中したが、どうもああいう競技はオリンピックや世界選手権をテレビでやっていても見る気が起きない。それにくらべ、スキー競技や登山やハングライディングは怖いし死ねるし自分では死んでもやりたくないが、テレビで見ているぶんにはとても楽しい。
 テニスや野球はむしろ嫌いなスポーツだが、外を歩いていて練習や試合をやっているのを見ても、べつにいやな気分にはならないばかりか、すがすがしい感じがするのに、スポーツジムでドッタンバッタンやってるのが見えると、それだけでいやーな気分になる。

 それで結局、クラブに入るのはやめて自転車に乗ることにしました。って、まるで目新しくもない話でもすみません。これまでもサイクリングの楽しみについてはいろいろ書いてるしね。でもいい機会だからまとめておこうと思って。

サイクリングがいいわけ (&またしても町自慢)

 以前から、友達を家に呼んでサイクリングに誘うと、「これを毎日やればすごくいい運動になるのに」と言われていたのだが、「でもけっこう疲れるしー」などとほざいていた私が、今は毎日最低2時間は自転車でトレーニングしている。これにはきっかけがあった。

脳内麻薬物質あふれるし

 あれは東日本大震災後、初めて(さすがに地震直後は海を見るのがつらかったので)海まで走りに行ったときだった。桜がまだ残る4月の晴れた日だったが、海のそばを走っている最中に、突然脳内にエンドルフィンが満ちあふれ「あーっ! 世界ってなんて美しいの! 生きてるってなんて素晴らしいの! こんな美しいところに住めて私ってなんて幸せなの!」状態になってしまったのだ。
 はい、これはそれほど珍しいことではありません。「ランナーズハイ」なんて言葉もあるが、あれもエンドルフィンの分泌によるものだから。だけど、あれってかなり肉体を酷使して追い詰めないと出ないとばかり思っていた。だいたいこの道は、それまでもしょっちゅう走っている道だったのに。
 たまたま、光の加減とか、肌に当たる空気の感触とか、気温とか湿度とか、そういうのが合わさって発症したとしか思えない。あと、大震災後、「ジョワ・ド・ヴィーヴル」(「生きている喜び」を表すフランス語の成句)に敏感になって、深く考えるようになったせいもあるかも。

 同様に、昨年、一昨年のヨーロッパ旅行以来、あの「魔法の時間」(詳しくは、スコットランド旅行記のオーバンの項に書いてあります)、つまり、オーバンの丘や、ロンドンのケンジントン公園や、アンドレの家の裏庭で味わったような悦楽と至福の瞬間が、どうして東京では味わえないのか、ずっと考えていた。
 理由はもちろん、あそこにも書いたように、異国の異邦人だからというのが大きいだろうが、それだけじゃないと思うんだよね。景色がきれいと言うが、公園なんてどこの国でも似たようなものだし、葛西臨海公園は広さでも美しさでもケンジントン公園にもまったくひけを取らないし、そもそも東京は(古い東京の、そのまた一部の話だが)海外のどの都市にもひけを取らない美しい町だと思う。ましてや、アンドレの家なんて、家が多少かわいいことを除けば、東京のゴミゴミした住宅地と何も変わらない。だから要は気持ちの持ちようだと思うのだ。
 それで東京でもあの快感を味わうべく、チャンスを狙っていたのだが、「来たー!」と感じでしたね。残念ながら、その後はあれほど強烈に来たことはないのだが、それでも気持ちいいものは気持ちいいし、あの快感をまた味わえるのではという中毒者ならではの心理で、何度でも行ってしまう。

サイクリングロードきれいだし

 これについては何度も書いてるので、一部重複もあるかもしれないが、ちゃんとまとめたことはないので。ここに写真が入れられればいいんだけどねえ。デジカメも携帯カメラもあるんだけど、いかにも我が家らしいややこしい理由で両方とも使えないので。だったらまたGoogleのストリートビューでいいやと思ったんだが、サイクリングロードには車が入れないのでストリートビューもないんだった(笑)。ちぇっ、できたら早くカメラを手に入れて写真撮りたいっす。

 西葛西駅の南口の、通りを渡ったところから、葛西臨海公園まで、たかだか3キロか4キロの道のりなのだが、サイクリング(兼ジョギング)専用道が続いている。ここらへんは団地地帯なので、団地の中を通っていくような感じなのだが、周囲はこんもりと木に覆われて外はあまり見えず、まるで森のトンネルの中を走っているような気分にさせられる。
 これは個人的にはかなりポイント高い。河原の自転車道とかいうのはよくあるが、こういうのは珍しいと思うんだよね。個人的に、サイクリングは「日常から逃れる」ために行くものなので、走っていて民家やコンビニなんかが見える、どころか沿道にあるだけでも幻滅だから。
 この植栽はすべて人工のもので、年中業者が入って手入れをしている。桜はもちろん、花もたくさん植えられていて、花の季節には色とりどりの花が咲き乱れる。
 この道は車道とは完全に隔離され、JR京葉線や高速道路を横切るときも、そのはるか上空を通る陸橋になっているので、もちろん車は入れないし、信号も一切ない。
 景色も変化にあふれている。森のようなところを走っていたかと思うと、突然高所に登ってパノラマが広がるし。運河のマリーナの上を通るところもあるし、もちろん海に近づけば海も見えるし、走ってるだけで遊園地のライドに乗ってるみたいだ。ただし、そのせいでアップダウンはかなり激しく、その意味いい運動にはなる。降りるときはジェットコースターみたいで楽しいし。
 このサイクリング道には遊歩道も併設されている。これは「親水公園」と呼ばれる遊歩道で、道の真ん中を人工の小川が流れている。江戸川区は「水の街」という触れ込みなので、こういう水の流れる遊歩道が区全域に張り巡らされているのだ。あいにく節水のためかここの小川は水が枯れているが、他の場所ではまだ流れてるし、途中で池になったり滝があったりして楽しい。
 ただ、遊歩道は砕石舗装がされていて、見た目はいいのだが、凹凸が老人には歩きにくいらしく、みんな平坦なサイクリング道のほうを歩くのがちょっとね。

川の道もいいし

 実はこれとは別に、中川(こっちの標識は中川になっているが、地図で見ると中川と荒川の名前が並べて書いてあるし、荒川と呼んでる人も多い。ここで2つの川が合流するってことか?)に沿って走るサイクリングロードもあるのは知っていたのだが、どこから入ったらいいのか入口が見つからなかった(笑)。なにしろ川と車道で生活圏からは完全に切り離されているように見えたのでね。実は目立たないだけで、入口は駅の近くにちゃんとあった。いつも同じところばかり走ってるから知らなかったよ。
 この道は川の土手をずっと海まで続いているのだが、ところどころに細い急階段(自転車は通れない)が付いているほかは、途中はまったく出入り口がないし、近くには川の保守管理用の建物ぐらいしかない。ということはつまり、通勤のサラリーマンや、通学の子供らや、買い物の奥さん連中は利用できないということで、完全にスポーツ用。
 実際、走っている人は上下ともトレーニングウェアに身を固めたランナーか、自転車も専用ギアを着込んでヘルメットをかぶったサイクリストだけで、スーパーの袋を積んで(だって、どうせなら買い物も一緒にすませたいと思って)、思い切り普段着でママチャリに乗って疾走しているのは私ぐらいしかいない(笑)。

 これはいい。というのも、「森の道」(勝手に名付けた)は生活道路になっているので、昼間は子供や年寄りの飛び出しがあって、あまりスピードが出せないのだ。その点、ここは心ゆくまでスピードが出せる。(私の脚力じゃ、必死にこいでも追い抜かれるばかりですがね)
 スピードが出せる要因はそれだけじゃない。曲がりくねった「森の道」とは対照的に、この「川の道」は定規で引いたように真っ直ぐ。しかも周囲には一切建物がないので、どこまでも見渡せて、視界がめちゃくちゃいい。だから飛び出しなんてないし、あっても遠くから見える。
 さらにアップダウンが激しい「森の道」に対して、こっちは完全に平坦。鉄道線路も高速道路も、こっちは下をくぐっていく。つまり、足や心臓に負担をかけずに運動ができるということで、我々中高年にとっては願ったり叶ったり。実際、大学の仕事のある日なんかは疲れているので、「森の道」はちょっと負担が大きすぎるが、こっちなら十分行ける。行きと帰りで違う道を通ることで、変化を付けられるのもいいね。
 「川の道」は舗装も走りやすい弾力のある舗装だし、(自転車だとなんかブンワブンワ弾む)、何から何まで運動しやすく作ってある。走ってる人たちも走り慣れてるから、マナーが良くて左側通行がちゃんと守られてるし。(街のガキどもやママチャリはこれを一切守らないので私はしょっちゅう怒っているし、怖い思いもしている)

 これはいいもの見つけた!(って、昔からあるんだが) 私は子供もいないし福祉の世話にもなってないし、税金払ってて良かったと思うことはめったにないんだが、こういうのを作るためならいくら税金使ってくれてもかまわないよ。というか、江戸川区を気に入って住み着いたのも、こういう目に見えるところ(電信柱をなくした街の景観とか公園の多さとか)に税金使ってるからなんだが。
 葛西臨海公園は都立だから、都税も(ほとんどすべては無駄だと思ってるが)すべてが無駄なわけじゃなかったか。

 景色も「森の道」とは違う意味でいい。対岸の江東区の工業地帯を見ながら走ることになるわけだが、私は工場萌えでもあるので、これはこれで楽しい。スカイツリーも見えるしね。
 そう言えば、うちからスカイツリーが見えるのも、つい最近まで気づかなかった。たまたま景色を眺めていたら、「なんか細長いものがあるなー」と思ったら、それがスカイツリーだったという感じで。隣の区だから見えて当然なんだけど。
 という口調でおわかりのように、わりとどうでもいいんですけどね。さすがに東京タワーができたころ(私は幼児だったが)はそれなりの感慨もあったが、それでも私は一度も東京タワーに登ったことがないってぐらい東京人にとってはどうでもいいものだし、それがスカイツリーだとよけい。だいたい東京タワーには一種の美しさもあるが(あれはエッフェル塔のまねだが)、スカイツリーってかっこ悪くない?

夜のツーリング最高だし

 以前から私は、夏の日中の暑さを避けたり、昼間の混雑を避けるために、夜走ることが多かったんだけどね。でも夜中に自転車乗るのは問題点もあった。

 まず、私ぐらい目が悪いと、夜間は路面の穴や段差も、影も水たまりもまったく同じに真っ黒に見えて、見分けが付かない。だから、よく知らない道を走るときなんか、穴や段差にはまって転んで大怪我、という恐れがあってけっこう怖い。
 それに「森の道」は街灯はあるのだが、それ以外は真っ暗になってしまい、景色は何も見えないし、通る人はめったにいないし、それこそ物陰に何かが潜んでいそうでちょっと怖い。だから走るのを楽しむというより、先を急ぐ感じになってしまう。それでもその真っ暗な森の中で、女子高生がひとりで道ばたに腰を下ろして携帯いじってたりするから、つくづく日本って治安がいい国だとは思うけど。

 それにくらべ、「川の道」はなにしろまっすぐで隠れる場所がどこにもないから、不審者なんかが潜む場所もない。道はきれいに整備されてるし、生活道路じゃないから何かが落ちてたりする心配もない。
 もっとも最近じゃ、自転車で自転車を後ろから襲う引ったくりも出没しているそうだから、そんなのに狙われたら私の脚じゃ追いつけないかもしれない。でもそれなら大声で叫べばいい。というのも、真夜中でも健康マニアというのは必ず一人二人は走っているもので、それもいかにもそういうのが得意そうな力自慢足自慢の連中ばっか。そういう人がきっと代わりに追いかけてくれると思うのよ。そしたら他に逃げる場所がないので、きっと捕まるし、そもそも逃げ隠れするところがない場所で犯行に及ぶというのは、犯罪者としてもかなり勇気がいるんではないか。
 要するに、こっちだと夜でもぜんぜんこわくない。これだけでもけっこうポイント高いのだが‥‥

 夜は景色が一変する。昼間は、都会の大きい川はどこもいっしょだが、そんなにきれいなものでもない。
 だけど私は都会の夜景が大好き!というのも、久しく忘れていた。それも、夜景は水のある場所、それも大きい川面に映るのを見るのがいちばん美しい。対岸の江東区は、はっきり言って少しもきれいなところじゃない。だけど、夜には醜いものはすべて見えなくなり、繊細なビルの灯りが赤と金色のクリスマスツリーのようにまたたいてとてもきれい。今は原発事故による節電で、東京の灯りは半分に減っているから、これが地震の前ならもっともっときれいだったはず。
 道沿いには街灯が並んでいるのだが、今はこれも節電のためだろう、すべて消えている。これはかえって好都合。近くは暗い方が街の灯りや空の星がきれいに見えるから。光は街だけではない。上空を飛ぶ飛行機のライト、遠くの大型船の灯りもあって、さながら光のページェント。ディズニーランドよりこっちのほうがよっぽどきれい!

 さらに、こういう風景をリボンのようにうねる高速道路が縦横に切り裂く、という景色がまるでSF映画のよう(『ソラリス』的な意味で)ですごい好きだったのだが、ここの景色がまさにそうなのよ。
 ああー‥‥こういう景色って東京に住んでいても、首都高に乗ってるときや、たまたま夜にバスで大きな橋の上に差しかかかったときぐらいしか見られなかったのに、うちからほんの数分走るだけで見られるなんて、これこそ無上のしあわせ!と、またエンドルフィンが流れ出す。
 これは地震の話で書いたが、夜の海がまた好きだしね。もちろんあそこに書いたような外海の荒々しさと神秘性はないけど、それでもやっぱり海は素晴らしい。

夜の公園がまたすごいし

 うわー、きれー!と言いながらずんずん走っていくと、道は海に突き当たったところで海岸沿いに進み、そのまま葛西臨海公園の中へ入っていく。これは公園の中心を突っ切る大きな道なのだが、公園に入ったとたん景色が一変する。
 海と川の開けた景色は消え失せ、両側は高い木がうっそうと茂る(これは本物の)森になっている。それでも昼間はその木々越しに、遠くのビルが見えたり、遊んでいる人々の姿が見えたりするのだが、夜は一切何も見えなくなる。ここまで来るとランナーもサイクリストも人っ子ひとり見えない。
 街灯もなく、代わりに、なんと呼ぶのか知らないが、点滅する小さなライトが道の両端に沿ってずっと埋まっていて、飛行場の滑走路のようだ。
 真っ暗な森の中をチラチラと点滅する小さな光(そのため錯視で光の列が前方へ向かって移動しているように見える)だけが、どこまでもどこまでも真っすぐに続いていて、なんか今にも上空からシャンデリアが降りてきそうというか(映画『未知との遭遇』を思い浮かべている)、まるでどこか知らない異世界に迷い込んでしまったような感じだ。ここは日頃からいつも走っている道なのに。
 それで私が何が好きと言って、「見慣れた日常が別世界に変わる瞬間」ほど好きなものはないので、またもエンドルフィンがダラダラと鼻からあふれてくる。
 そういう瞬間って、東京じゃ雪が降った日ぐらいしか見られないと思っていたが、公園って昼と夜でこんなにも雰囲気が変わるなんて。この公園は目立つ人工物が水族館と観覧車ぐらいしかなく、手つかずの自然(もちろん埋め立て地なので、実際はすべてが作りものだが)の雰囲気を残しているので、夜はよりいっそう荒々しく、近寄りがたい雰囲気になる。

 ここでふと気が付いたが、こういう公園って夜は閉めるものと思ってたけど、ここは24時間いつでも入れるんだね。というか、広すぎて閉めようがないようにも思えるが。
 でもこんなところで夜ひとりっきりで怖くないの?と思われるかもしれない。ここまで来ると私はエンドルフィンで恐怖を感じる神経がマヒしちゃってるからなんともないが、常識で考えたらけっこう怖いかも。それこそ森の中から何が出てきてもわからないし、警備員も監視員もいないし。
 実際、走っていると、「夜間アベックに対する集団暴行が発生しています。ご注意ください」という看板が目に入る。何だ、そりゃー!
 気になったので調べてみたら、何年か前にそういう事件が実際にあったらしい。ただ、詳細は何もわからないし、それが頻発してる様子はない。そんな大事件ならもっとニュースになって私の耳にも入ってるはずだしなあ。
 というか、これだけ広大でひと気のない公園内で、一組のアベックを捜すには、それこそよほどの狩猟本能と、熟練したハンターの目と耳と鼻が必要になると思うのだが(笑)。訓練の行き届いた猟犬100頭ぐらい使わなきゃ無理というか。それでも暴漢に見つかってしまった不運なカップルがいたのか。
 同じ意味で、身の危険を感じたら、どこかの茂みにでも潜り込んでしまえば、まず見つからないと思う。だからあんまり怖くない。

 これは私の推理だが、この看板はむしろアベックを脅すためのものじゃないかと思う。思うに、ここは広くて隠れ場所が多くて監視の目もないので、かつては公園をラブホテル代わりに使う不届きなカップルがけっこういたのではないか。でも、あの看板を見たら夜にここに来ようなんて気は失せるから、それで人がいなくなったのでは?
 そもそも本当にそういう事件が頻発していたら、看板なんか立てるより、監視カメラ置くか、管理人置くか、公園を夜間閉鎖すると思う。それを思うと、あの投げやりな注意――「ご注意下さい」って何にどう注意するんだ? 夜は武装して来いとでも?――もわかるというものである。

 話を続けると、ほぼ完全な闇の中を走っていると、視覚以外の五感が研ぎ澄まされてくるのがわかる。特に嗅覚が異常に鋭くなるのだ。(私は前にも書いたように嗅覚が発達しているほうなので、だからなのかもしれない。耳のいい人なら耳が鋭くなるのかも)
 驚いたのはけっこうなスピードで走っているのに、通り過ぎる木々の一本一本の匂いが嗅ぎ分けられるのだ。いや、私は木の名前もろくに知らない無知なのだが、松の木だけは特有の松ヤニの匂いがするのでわかる。それで走りながら、目には何も見えないにもかかわらず、「あ、今のは松。これは違う。あ、これも松」という感じにわかるのだ。
 海の匂いもはっきりと嗅ぎ取れる。昼間はほとんど感じない匂いなのに。なんだか犬になった気分で楽しい。

 このまま公園を一周しても良かったのだが、さすがに鳥類園のほうは、昼間でもひと気がなく、一切見通しがきかなくて怖い感じなので入るのがためらわれて、後ろ髪を引かれながらもUターンして帰った。
 犯罪者や暴漢が怖いというより自分自身が怖い。怖いことに興奮して、エンドルフィンの代わりにアドレナリンが出てワクワクしてきちゃうし、こういう特殊な情況下では私は野生が目覚めて来ちゃって、二度と人里というか、人間社会に戻れなくなるんではないかと思うと怖い。
 せめて連れがいればいいかも。誰かうちに泊まって夜の公園の探検につき合ってくれませんか?

たぶん健康にもいいし

 それで減量効果はどうなってるのよ?となると、まああまり目立った変化はないですな。というか、前にも書いたけど数週間で変化が見える方が怖いんだけど。

 今は筋力アップより、とりあえず錆びついた関節をどうにかするほうが先決なので、ギアを軽くして足をできるだけ早くクルクル回すのと、少し筋肉に負荷をかけるためギアを重くしてこぐのと、疲れを取るため景色を見ながらゆっくり流すのの3種類の運動を、ローテーションでやっている。
 途中では一切休まない。というか、いったん自転車を降りると足がひどいことになってるので。ダテに運動不足じゃないわけで、走ってる間はいいのだが、降りると足がガクガクで、歩くのも容易じゃない。ちょっとやりすぎかな?とは思うのだが、おかげで足はかなり引き締まってきた感じだし、ちょっと前までは歩くだけでも激痛だったのが、けっこう早足で歩けるようになってきたし。
 ただ、やっぱり疲れるので夜10時ぐらいになると眠くて眠くて起きてられないのがちょっと困る。それで5時起きって、普通の人には健康的なんだろうが、やっぱり私には不自然で。

 ただ本音を言うと、本当に鍛えなきゃまずいし、肉も落とさないと困るのは、足よりも上半身なんですけどね。自転車だと上半身はほとんど使わないからなー。

 あと、お尻が痛くなるのがいや。これだけ厚いクッションを尻にくっつけてるようなものだから平気かと思ったが、それとは関係なくやっぱり尻が痛い。乗馬でもお尻が痛くなるが、馬なら対処法は知ってるんだけどなあ。
 乗馬でお尻が痛むのは、馬が動いているのに乗ってる人間が腰を下ろしてじっとしているからである。だから馬といっしょに動いて反撞(反動と書いてる人をよく見るが間違い)を抜けばいい。だけど自転車はどうすればいいのか?
 しょうがないからサドルの上でなるべくお尻の位置を変えるようにしているが、それでも痛い。

 ちゃんとしたスポーツ車ならお尻痛くならないのかな? そういえば、これだけいっぱい乗ってると、やっぱりまともなロードバイクが欲しくなるね。実際、ママチャリで走ってるのなんか私だけだし、それもものすごいボロ車だし。かっこいいいし、走りやすそうだし、うらやましいなあ。
 これはマジで買ってもいいと思ってる。前傾姿勢で走る方が楽なのはわかってるし、ママチャリだとそれすらできないし。
 問題はただひとつ、置き場所だ。マンションには大きな駐輪場があるのだが、私はここに置いた自転車、二度も盗まれている。鍵もかけてなかった私も悪いが、人通りの多い市街地で、外から丸見えだし、誰でも入ってこられる場所だからいけないんだと思うね。ボロ自転車ですら盗まれるのに、高価で目立つロードバイクなんか置いといたら一発で盗られそうだ。
 そこでここらの住民は、大事な自転車は部屋に持ち込んでベランダに置いてる。ところが、うちの廊下の狭さは家具を運び込む話で書いた通り。あそこを毎日自転車かついで通るなんて不可能! やっぱりいい自転車は家が片づくまで待つしかなさそうだ。

 運動はなんと職場でもやってる。今年の日大は、なんと2時間半の空き時間があるという変な時間割を組まれてしまって、これだけの時間、パソコンもなしにどうやってつぶそうかと思ってたんだよね。しかもその間にキャンパスの移動があるので、「貸し自転車とかないの?」と聞いたら、大学の自転車を貸してもらえるという。ラッキー! それなら移動を兼ねてそこら辺を走り回ってれば運動にもなって一石二鳥。
 そこでさっそく新学期から実践しているが、こっちはあんまり気持ちよくない。なにしろ道が悪いし景色が悪い。
 東京にはこんなに広い自転車専用道がいくつもあるのに、千葉の田舎はそんなものないばかりか、歩道すらほとんどない。あっても人がすれ違うのがやっとの広さで、自転車の通れるような歩道じゃない。おまけに車道も狭くて、そこをでっかいダンプがブンブン走っている。と、走ってるだけで命が縮むような道路ばっか! 田舎の人がたいした距離でもないのに自転車に乗らずに車に乗る理由がわかりましたよ。
 それに景色も汚い。いや、千葉だって南房総のほうに行けば、いくらも美しいところがあるのは知ってますよ。だけどこういう半端な田舎(習志野だけど)がいちばんダメね。日本人なら説明しなくてもわかると思うけど、畑の中にでっかい看板が立ってたり、空き地に廃車や廃材が乱雑に積み上げてあるみたいな所ばっか。いや、もちろんそんな所ばかりじゃなくて、このあたりは普通の住宅地がほとんどなのだが、イメージとしてそういうのしか浮かばない。
 木や花でさえ東京よりも少ないし、川や湖や海みたいな水がないだけでも私にはものすごく殺風景な風景に見える。スコットランドへ行ったとき、「どこへ行っても水が見える」と感動していたが、箱庭サイズだし人工的だけど江戸川区もそうだった。それで、水と緑がないと、町全体が煤けて埃っぽく色褪せて見えるということに気づいた。なんか乾燥して潤いがないのだ! 水と緑ってすごい大切なものだったんだなー。
 実は田舎の人の景観意識の低さについては、他にもいろいろ文句を言いたいことはあるんだけど、これ以上言っても都会人の傲慢と思われそうだからやめておく。

 なんか元々の目的の減量はどこかへ行っちゃってるけど、それでも楽しい方がいいに決まってるのであまり気にしない。

 ただ、区の広報を見ていたら、「膝痛・腰痛持ちの人のための健康教室」というのがあったので、衝動的に申し込んでしまった。理学療法士が膝や腰にいい運動や、日常生活のコツを指導してくれるんだそうだ。もちろん無料。
 こういう教室って嫌いじゃなかったのかって? いや、これならリハビリみたいなもので、病院行くのと同じだからいいんだ。むしろ私は膝痛で外科行っても、なんでリハビリまでやってくれないのか不満に思っていたので。それに指導してくれるのはちゃんと資格を持ったプロだし。
 そうそう、スポーツクラブの何がいやって、町の英会話教室がいやなのと同じね。要するにバイトの兄ちゃん姉ちゃんの適当な指導受けるのがいやなの。インストラクターだってなんらかの資格がいるはずだが、なんか誰でも取れそうだし、そういうのに自分の健康を任せるのは大いに不安だから。
 ちょっとためらったのは場所がうちから遠く離れた瑞江だってこと。江戸川区はただでさえ大きい上に、南北の交通が非常に不便なのだ。これは自転車で通うか? それをやってたらいやでも健康になっちゃうような気がするが。健康よりも今は痩せたいんですがね。

後日談

 あれから1週間後、また夜の公園にサイクリングに出かけたのだが、なんと! 公園内の道路沿いの街灯がついている! (サイクリングロードは消えたまま)
 おまけにアベックがそこらをうろうろ歩いてるし、「暴行事件うんぬんにお気を付け下さい」なんていう場内アナウンスは流れてるし、夜の10過ぎだってのに、これじゃそこらへんの繁華街と変わらない。そのため、真の闇の中を駆け抜ける爽快感も、夜の公園の神秘性もゼロに。がっくし‥‥
 やっぱり暖かくなるとああいうのがわいてくるんでしょうかねえ(害虫扱い)。それでしょうがないから、事件事故を防ぐために街灯をつけるのか?
 逆に言うと、こないだのあの闇はなんだったんだろう?という疑問もわいてくる。冬場は電気消してるのかな? だったら、夏はもう行かない。

 あと、松の木の匂いが‥‥と書いてたが、明るいところで見たら、道の片側がすべて松並木で、片側がほかの木だった。これなら交互に匂ってきて当然というか、私の鼻もあまりあてにならんな。

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