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2011年3月25日 金曜日

時事・身辺雑記

それでも私たちは海辺に住む

あるいは

今だからこそ思うふるさとのこと

(今日は自分が被災したらということについて考えてみました)

 東京の金町浄水場の水から放射性ヨウ素が検出され、乳児の摂取制限が出たのをきっかけに、また買い占めパニックが戻ってきたようだ。
 数日前には水以外はほとんど常態に戻りかけていたのに、今朝(24日)はまたもスーパーの棚に空きが目立った。ただ、本当の品不足ではないことがわかるのは、何軒かスーパーをまわると、品揃えに極端な差があるからだ。ある店では牛乳が売り切れなのに、他の店では余っているというふうに。
 個人的に、なくて不便を感じているのは、ティッシュペーパー、100%ジュース、それと納豆。
 時期が時期だけにやっぱりくしゃみ鼻水が止まらず、ティッシュの備蓄はガンガン減っていくのに、地震以来一度もティッシュを買っていない。実は今も買おうと思えば買える。地震前の倍の価格なら。だけど、すべてにおいて切り詰めなければやっていけない私は、地震前は5箱178円で買えたティッシュに380円も出せないよ! これは便乗値上げというより、これまでのティッシュ価格のほうが異常で、むしろ今の価格が正常なんだとは思うけど、うちに備蓄があるうちは買わないことにしている。
 それにくらべると、むしろミネラル・ウォーターは価格優等生かも。確かに手に入りづらいが、1家族1本の制限がついたせいか、今日は2リットル入りのが100円で売ってるのを見た。私は平気で水道水飲んでますけどね。
 でも水道水を嫌って、(確かに金町浄水場の水はまずいけど)、普段からボトル入りの水しか飲まなかった人は気が狂っちゃうかも。けっこうそういう人も多いんだよね。ジャスコにそういう人向けの水の販売機があって、今はどうしてるんだろう?と覗きに行ったら、都の命令でこのボトルには水道水を詰めて売っていますという張り紙がしてあって笑った。水道水を売りつけるな! もちろん買う人は誰もいない。
 ジュースが消えたのは、水の売り切れのとばっちりだろう。せめて子供には水道水の代わりにジュースを飲ませようという親心か。飲み物で残ってるのは、コーヒーなど砂糖入りの飲料ばかり。ドリンク・ヨーグルトのたぐいもない。私は起き抜けにフルーツジュースを1杯飲むのが習慣なので、これはちょっと困る。そこで今は生のオレンジを絞って飲んでいる。もちろんこの方が高くはつくが、はるかにおいしいので、かえって贅沢しているようで良心が痛む(苦笑)。
 納豆がないのはやはり水戸が被害を受けたからか。これはマジで地震以来一度も売ってるのを見たことがない。べつに納豆がなくても死なないが、私は大豆製品が大好きなので、豆腐だけしか売ってない現状は寂しい。でも今日は湯葉とがんもを見つけたので、煮て食った。久々なのでおいしかった。

 ダイエットのために、食べるのを切り詰めようと思っていたが、地震発生以来、なぜかちゃんと料理をするようになったせいでまた太ってしまった。
 いつもの私は食べ物なんか本当にあり合わせで、めんどくさいから食べないなんてこともよくあるのに、今は休み中なのに遊びにも行けないし、かといってゲームとかする気分にもなれず、暇すぎて仕方なしに家事でもするしかないからだ。必需品を求めて毎日スーパーに行くようになったし、そこで見つけたありあわせの材料で料理を作るのがやけに楽しくなってしまったせいもある。
 この近所でも停電や断水で苦しんでいる地区もあるのに、本当に申し訳ない。

液状化現象により浮き上がったマンホール。千葉県浦安市。

 つい東北の被災地の惨状に目を奪われがちだったが、被災マップを見ていたら、東京で被災したのは天井の一部が落ちて2人が亡くなった九段会館の他は、隣の江東区と、私の住んでる江戸川区の3箇所だけだってことに気づいて、ちょっとあせる。えっ、私って被災地の住民だったのか!
 それで実際、どういう被害があったのかと調べたら、「西葛西では大きな影響はありません」となっていて一安心。でも、東西線の海側の清新町や臨海町では小規模な液状化現象や、道路の陥没などがあったらしい。
 このあたりは最近、運動不足解消のためによく自転車で走りまわっている美しい町なので、けっこうショック。それを言ったら九段会館だって、よく知ってる場所だからショックだが。

 私も西葛西に引っ越したときには、みんなに「大丈夫なの?」と冷やかされたんですよ。地震の心配よりも、ここはゼロメートル地帯なので、むしろ洪水などの水害についてだけど。確かに駅前に洪水の時の水の高さを表す柱があったりして、最初はビビったけど、江戸時代から何度も何度も水害にあってる土地だけに、治水対策はしっかりしているはず、あと、うちはマンションの5階だから、たとえボートで出入りするようになっても、少なくとも家が水に浸かることはないと思って、腹をくくるしかなかった。
 で、内緒だけど例によって不謹慎な私は、そういうの(自衛隊にゴムボートで助け出されるとか)をちょっと期待していたのは確か。だけど、ここに移り住んで15年の間に一度も水害なんてなかったし、逆に内陸の中野とか高田馬場とかのほうが、ちょっと大雨が降るとしょっちゅう水が出たりしてたので、「なーんだ」と思っていた。
 だから洪水はOKとしても、やっぱり地震だとそうはいかない。これも心配になって買うときにセールスマンに聞いたら、この地区は基礎のコンクリートだか鉄骨だかを、他のどこよりも深く打たなきゃいけないことになってるから、むしろ他より安全、みたいなことを言われた。もちろんセールストークは入ってるだろうが、目に見えない土台なんて信じるほかないし。マンションの場合、揺れるのは設計の範囲内で、揺れないとかえって危険なんだとも言われた。

 ただ、この当時は液状化現象なんて聞いたこともなかったし、ひどい液状化が起こった場合、地面がグズグズになれば、上に乗ってるマンションなんて倒れてしまうんじゃないかとも思う。
 川ひとつ隔てただけの浦安で、液状化現象のためひどい被害が起きているのはあとから知った。同じ湾岸でも、どうしてこんなに被害の程度が違うのかと話題になっているようだが、新浦安のあたりは、ほんの数十年前にできた埋め立て地だからねえ。やっぱり地盤がゆるいんだと思う。
 その点、西葛西は江戸時代からあるからまだましか。確か江戸時代にはこのあたりが海岸だったはず。なんとかもってくれと祈るしかない。
 それに倒れるなら縦に細長いのっぽの建物から倒れるんじゃないかと。うちのマンションはいちばん高いところで11階で、このあたりでは低い方だし、私はその中でも低い5階棟に住んでいるので。
 余談だが、浦安が高級住宅地として人気だなんて、このニュース聞くまで知らなかったよ。だって、浦安と言えば『青ぺか物語』で、日本とは思えない辺境の地だとばかり思っていたもので(笑)。確かにディスニーランドの開業以来、にぎやかになって、西葛西よりよっぽど都会になったとは思ってたけど。

 津波は、あー、これは玄人でも予想がつかなかったんだから、私に予想ができるわけがない。ただ、海のそばに住むからには、それもいつも考えてましたけどね。ただ漠然と思ってたのは、この規模の建物が津波で流されることはないし、いくらなんでも5階の高さまでは波はこないだろうと。東北ではいちばん高いところでは4階の屋上まで波が来たみたいだから、楽観はできないけどね。そしたら廊下伝いに11階棟に逃げるけど。
 それに東京湾のいちばん奥まった部分だから、ここまでは津波も来ないだろうと思っていたが、リアス式海岸ではむしろ奥まったところで波が盛り上がって被害が大きくなったようだから、これもどうなるかわからない。
 もし東北を襲ったのと同規模の津波が葛西の海岸に到達したら、間違いなくうちのあたりまでは来るだろう。高台に逃げようにも、ここは完全な平地のゼロメートル地帯だから、やっぱりマンションの上のほうに非難するしかない。
 (日照の関係で)薄くてひらべったいマンションより、オフィスビルの方が頑丈そうだから、時間の余裕があれば近くのオフィスビルに登るかな。

 ただ、これに関して東京では、山の手の連中からは、「危険を冒して海辺に住むなんてバカ」みたいな声が上がっているが、、私はそれぐらいの危険を冒してでも住む価値は大いにあると思ってるけどね。(私は下町(神田淡路町)の出身なので、山の手はいちおう敵である)
 だいたい、海がこわいのと同じぐらい山だってこわい。日本人が土砂崩れや地滑りで死ぬ確率は、トータルすれば確実に津波で死ぬ確率より大きいし。
 それに海の近くに住むことはメリットが多すぎる。これは前にも書いたかもしれないけど、念のため。

1.気候が良い

 内陸部より格段に冬暖かく夏涼しい。この場合、内陸部と言っているのは私が10年住んだ中野周辺の話。たとえば中野では寒さに弱い(暑さにも弱い)私は靴下はかないと足が冷たくて寝られなかった。もちろん上もしっかり着込んで寝る。それが今はいちばん冷える時期の数日を除けば、Tシャツ1枚で寝る。っていうか、それ以上着ると暑くて目がさめてしまう。
 石油ストーブにひっついていないと生きた心地がしなかった中野にくらべ、ここではそもそも暖房を付けるのはいちばん寒い時期の3週間ぐらい、それも夜中の数時間だけである。
 もっともこれは一戸建てとマンションの違いも大きいだろうけどね。実際、親の家は東京より暖かいはずの千葉にあるが、一戸建てなのでやはり冬は寒くていてもたってもいられない。それでも、中野から引っ越した当時は、冬暖かいので驚いたのである。千葉の気候に慣れたころ、たまたま中野の知人の家に行ったのだが、あの骨に染み込むような底冷えを久々に体験して震えた。なのに今はその千葉の寒さを耐えられなくなってしまった。
 (一戸建てとマンションの違いは湿度も関係している。たとえば陽当たりの悪かった中野の家は、家の中も布団もじめじめして、余計寒かったが、カラカラに乾いている我が家は、布団なんか半年干さなくてもフワフワで暖かい)

 夏も同じ。うちは構造のせいか、狭くて物が多すぎるせいか、夏は暑いけど、外気は涼しい。一日早稲田で働いて帰ってきたとき、電車のドアが開いたとたんに、涼しい!と感じるぐらい。電車は冷房きいてるのに! 気温は海や川のそばに近づけば近づくほど下がり、橋の上とか海岸では、真夏でも肌寒いぐらいだ。
 町全体にクーラーが入ってるみたいというのは、千葉の銚子に行ったとき感じたが(海に突き出した銚子は関東地方でいちばん季候がいい)、それほどじゃないにしてもそれに近い感じで、これこそ海のせいだろう。
 中野や新宿でこうだから、これが多摩地区まで行くと、もっと変化が大きいし、埼玉なんてもう論外。冬に埼玉の友達の家に遊びに行ったときなんて、駅から10分ほど歩く途中で遭難して凍死しそうになり、本気で途中で引き返そうと思った。夏はあっちの人が「今日は涼しい」と言って窓開けはなっている気温は、私の感覚だとクーラー全開にしないと耐えられないぐらい。
 どうも年を取るとだんだん気温の変化に対してこらえ性がなくなるようで、その意味でも私はもう内陸には住めない。

2.空が広い

 これはもちろん場所によりけりだと思うし、江戸川は貧乏な場末もいいところで、お世辞にも景色のいい場所じゃないですけどね、それでも他には代え難いものがある。
 私は大学に入って千葉に引っ越すまで、ずっと東京に住んでいたので、空を見たことがほとんどなかった。子供時代の私の記憶にある空というのは、狭い道路の両脇の建物によって区切られた細長い空間で、しかも無数の電線によってギシャギシャに分断されているものだった。
 智恵子じゃないけど、「東京には空がない」というのは本当である。私の子供時代の中野なんて、本当にほんとのド田舎だったにもかかわらずだ。神田は当時から大都会だったからもう当然。
 私が初めて今いる葛西地区に足を踏み入れたのは、親戚の葬式でだった。そのとき思ったのが、「うわー! なんだこれは!? 空が青いし広いしめっちゃくちゃ明るいじゃないの!」ということ。当時は千葉(ここは本当の田舎)に住んでたにもかかわらずである。まあ、理由としては、新興住宅地(元は工場や倉庫地帯)なので道路が広くてまっすぐなのと、マンション地区なので広場や公園が多く、建物の周囲の空間が広いせいだけど。しかも西葛西の駅周辺は電柱や電線がない(地中に埋め込み)ので、よけい空がきれいに見える。東京にこんな場所があるなんて知らなかった。

遊びに来た友達いわく、「貧乏人のウエストコースト」西葛西。正面に見えるのがうち。
(Google Street View)

 とにかく「空が広い」というこの一点だけで、「いつか絶対ここに住む」と心に決めた私は、初めてアパートを借りて独立したときも真っ先に江戸川区(船堀)を選んだし、その後都合で荻窪に移ったが、自分でマンションを買うときは、(住んでる場所に近かったので当然最初に案内された)中央線沿線のマンションをしらみつぶしに見て歩いたあげく、無理に「江戸川区のマンション見せて下さい」と主張して、(営業マンには「山の手に20年も住んでた方にはおすすめできないですよ」なんて脅されたにも関わらず)、結局強引に営業マンを振り切ってここに決めちゃったぐらい、この環境が気に入っている。
 店の多さや通勤の便利さでは中央線のほうがはるかに上だったんだけどね。中野や荻窪に住んでいたときずっと感じていた、あの暗さと息苦しさに我慢がならなくて。その他の場所も合わせれば、私は山の手にのべ20年ぐらい住んだけど、とにかくいつも狭苦しくて圧迫感しか感じなかった。それがここへ来たら、ほーーっと解放されたような気分になれたわけ。

 にもかかわらず、うちから海に向かって自転車で走っていって、目の前に東京湾が広がって見えてきたときの、「うっわー! 広ーい!」という感じはまた格別で、これが海のすごいところ。
 山の美しさは私にもわかるし、去年と一昨年のヨーロッパ旅行で、あらためて「日本人にとっての山への郷愁」を再認識したわけだけど、やっぱり私は山より海派っていうのは変わらない。周囲を見回して山が見える土地って、そこで育った人にとってはなんとも言えず心なごむ、落ち着く風景だというのはわかるんだけど、私はやっぱりそれにも息苦しさを感じてしまうのよね。なんか上からのしかかられているようで。そのくせ、アメリカやオーストラリアみたいな何にもない平原にはイライラするって言うんだから、ほんとに贅沢っていうのか、好き嫌いが激しすぎるだけだが。

 地震の話をするつもりだったんだが、なんかだんだんただの「オラの町自慢」になってきてしまったな(笑)。まあ、いいか。ついでだからもうひとつ付け加えると、「人情」かな。
 東北の人が過酷な情況下でもがんばれる理由のひとつに、「隣近所や集落の結束の固さや助け合いの精神」があると、テレビでもさんざん言ってたし、私もその通りだと思う。だけど、それって田舎だけのことじゃない。むしろ古くからの東京の下町の特徴なんですけど。

 「東京は情がない」とか、「東京人は冷たい」とか言う人は、間違いなく地方出身者だし、地方出身者の話をしている。

 地方出身の友達が、「うちの田舎じゃ、真っ昼間、家に鍵かけるなんてことしなかった」と言っていたが、私の子供時代の東京がまさにそうでした。ていうか、近所の人が勝手に戸を開けて入ってきて、台所の鍋の蓋あけて、「吹いてるわよ」とか言うレベル(笑)。
 昼、家人がいるのに玄関に鍵をかける習慣を、私が生まれて初めて目にしたのは、成城に住んでた彼氏の家に行ったときで、あきれると同時に、「金持ちって違うんだなー」と変に感心したのをよく覚えている。もしかして山の手では昔からそうだったのかもしれないが、うちらの感覚じゃそんなことしたら単なる「変な人」だった。
 とまあ、それぐらい近所づきあいが濃くて、人を信用していたという話。もちろんうっとうしい面もあるけどね。

 西葛西に引っ越してきたときも、ちょっぴりそれを期待していた。だけど、マンションなせいか、地方の人が多いせいか、はたまた西葛西が下町と言うにはあまりに場末だからか、期待していたほどではなかった。
 ただ、やっぱりちょっとそういう雰囲気はあって、廊下や階段で人とすれ違うと、お年寄りから子供まで、面識がまったくない人でも、必ずあいさつするあたり(それも会釈だけじゃなく、「こんばんは、寒いですねえ」という感じで)はさすがだと思った。(ちなみに多摩のマンションではそういうことはまったくなかった)
 自治会やマンションの管理組合の寄り合いなんかに顔を出すと、よけいそう思うね。もういなくなってしまったかと思っていた世話焼きじいさんとか世話焼きおばさんが牛耳ってるし(笑)。こういう会も、東京ではもう機能しなかったり、引き受け手がなくて、ひどいことになってるマンションも多いんですよ。その点、うちの管理組合は(私も含めてみんないやいややってるにも関わらず)実にしっかりしていて安心できる。
 そういう土地柄だから、仮にここらが被災したら、まずマンション単位で団結して、炊き出しやったり、体の不自由な人の世話したりという光景が容易に目に浮かぶ。私みたいに地域にまったく縁も知り合いもなくて孤立している人間でも、いざとなれば仲間がいるというのはすごく心強い。

 ただ、ここでも最近よそからの新住民が増えてきて、寄り合いに出て来なかったり、あいさつしても知らんぷりの人も増えてきている。そういうやつを見ると私は内心、「この田舎者が」と罵っているのだが。

【お断り】 もちろん私は田舎の人をバカにするつもりはまったくないです。むしろ東京にはないものがあるからこそ、あこがれを持っている。ただ、私自身は東京もん以外のものにはなれないというだけのことです。
以下に述べることも方言をバカにしたりする意図はまったくないです。そもそも東京弁自体が東京方言だし、そもそも語学屋なので方言には特別興味を持っているし、私がイギリスを好きなのも方言などの地方文化が豊かだからだし。

 という語調でおわかりの通り、私の故郷と言えるものはもうほとんど残っていないのである。そもそも東京人がほとんどいないもんね。東京に住んでれば東京人かと言えば、もちろんそんなことはない。これは先祖代々受け継がれてきた文化とか気質とかの問題なのだが、いちばんかんたんに見分けがつくのはアクセント【注】の違いである。(【注】いわゆる強勢(ストレス)ではない。口調・話し方のこと)
 ちなみに、私は母方は代々続いた江戸っ子だが、父が北海道出身なので、血筋的にはハーフだし、私のしゃべる言葉も厳密には東京弁とは言えない。東京弁をベースに、あと適当にまざっちゃってる感じ。
 だけど、母の代までは完全な東京弁をしゃべってたし、英語でも「mother tongue」(お母さんの言葉)というぐらいで、今でも東京弁を耳にすると、死んだ母を思い出してものすごくなつかしい感じがする。

 これは他のところで書くつもりだったんだけど、サッカー解説者の松木安太郎さん、独特の語り口で人気があるけど、あの人の解説聞くと、私はなんだかうれしくなるので好きだった。それで、前回のアジアカップの解説を聞いていて気づいたんだけど、この人のしゃべり方がまさに、私が小さいときから聞いていた東京弁なのだ。(松木さんを知っている人は、以下の文章はあのアクセントで脳内再生してください。知らない人はこれ、YouTubeにあった松木節リミックス
 それで気になって経歴を調べたら、この人、日本橋にある老舗のうなぎ屋の息子なんだって。やっぱり! うちの母も日本橋生まれなんだよね。アクセントもそうだけど、そういや、あの天真爛漫で開けっぴろげな人の良さも、屈託のない明るさも、ズケズケ物を言うけど、それが決してイヤミにならないところも、いかにも古き良き江戸っ子そのものだ。
 陰気でイヤミで性格悪い江戸っ子がいないとは言えませんけどね。でも、ほんと、顔つきといい、声といい、アクセントといい、いかにも子供のころの私の家の近所にいたようなおじさん(笑)。いいなー、ああいう人に私はなりたい。
 で、あらためて思ったのは、東京弁をしゃべる人がいかに少なくなったかということ。日本橋・銀座あたりならまだそういう人も残っているのかもしれないが、私の周囲を見回しても、東京弁を聞くことは本当に少なくなった。間違いなく聞けるのは古い映画や落語や時代劇の中ぐらいかね。もちろんNHKのアナウンサーのしゃべりは「標準語」であって、ぜんぜん東京弁じゃない。だからたまに聞くとハッとするわけ。
 そういや、うちのマンションの管理人さんがそうだわ。前の管理人さんは訛りの残る東北出身者で、まさに東北人そのもののまじめな働き者でいい人だったから、異動になったときは泣いたんだけど、今の人は出身は聞いたことないけど、間違いなく江戸っ子。それでうるさいぐらいにおしゃべり好きで、おせっかいなのもそれっぽい。

 東京(の端っこ)でもそうだから、これが日本中から人の集まる大学になると、たとえ東京の大学でも、もう地方人の天下。江戸っ子は肩身が狭い。
 あのね、授業してると学生が時々、なんの冗談も言ってないし笑うところでもないのに笑うんですよ。それで何がおかしいのか聞くと、私のしゃべり方がおかしいっていうのね。それでハッと気づいたんだけど、サッカーファンは松木さんのあのしゃべり方がおかしいって笑うんだよね。つまり田舎の人には逆に東京弁がおかしく聞こえるらしい。おまえら、みんな地方訛り丸出しのくせして、東京人を笑うなよな。
 いや、学生は(関西人を除き)みんな無理して標準語しゃべってますけどね。いちおう語学のプロである私の耳には違いは明瞭なのだ。それで純然たる方言は、すごく美しいし、興味深いと思うんだけど、学生が使うインチキ訛りはものすごく耳障りでいや。

 その典型が、「このカレー、辛くない?」という時に、「か・ら・く・?」と、尻上がりになるアクセント。これは栃木などの北関東のアクセントであって、まったく東京弁ではない。
 これが東京弁(および標準語)では、、「か・・く・・い?」というふうに、「ら」と「な」が高く、最後の「い」は一度下がった後、疑問文なのでいちばん最後にきゅっと上がる。
 今書いてて思ったが(特殊文字が使えないとすごい書きづらい)、これって発音としてはかなり難しいので、おそらく地方の人には発音できず、やむなく尻上がりになったものと思われる。それで東京の大学出てきてみたら、みんなが尻上がりアクセントでしゃべっている(テレビタレントとかもそうね)のを聞いて、てっきりこれが東京言葉と勘違いして意識的に使っているやつ多数と見た。
 べつに栃木の訛りはそれでいいんですよ。あの尻上がり弁はちょっとスコットランド訛りにも似ていて、いかにも田舎っぽいところがほのぼのするし。だけど、北関東出身者でもない連中が、みんなあのアクセントでしゃべっているのを聞くとイライラするわけ。それもすべてが尻上がりならまだしも、こういう特定のフレーズだけがそうなるのがよけい変。

 また話がそれてしまったが、何が言いたいかというと、田舎の人はふるさとがあっていいなーという話。だって、田舎に帰れば、確実に自分と同じ言葉をしゃべる人たちがいるんでしょ? それで同じ言葉をしゃべるという以上に、ふるさととの絆をはっきり表すものがあるだろうか?

 私にはそういうふるさとはもうない。

 今回の地震では、文字通り地図上からかき消されてしまった町や村もあり、同じ故郷喪失者として、そこの住民の苦しみと喪失感がどれほどのものか、少しはわかるような気がする。でもね、人さえいれば町はまた再建できる。だけど東京人そのものが滅び行く人種である以上、私の東京はもう二度と戻ってこないし、子供のころ暮らしたあの町には永遠に帰れない。この悲しみがわかってもらえるだろうか?
 それと同時に、避難地域に指定されても、「住み慣れた土地を離れたくない」と言って残る年寄りとかいるじゃない。あの人たちの気持ちがすごーくわかるようになってしまった。これまで「ふるさと」なんてものについて、あんまり考えたこともなかったのに、やっぱり年ですかね。

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