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2011年3月11日 金曜日

時事

東日本大震災

燃える千葉の石油精製所

 まだ余震は続いてるし、今後どこまで被害が広がるかもわからないが、とりあえず、これほどの大地震の経験は半世紀の人生でも初めてなので、体験を書き残しておくことにする。

 私はニュージーランドの地震のこともかなり気にしていたのだが、(ニュージーランド好きだし、被害にあったのが語学学校の学生ということで、他人事とは思えなかったので)、怖いからニュージーランド旅行やめるとか留学やめるとかいうのを聞いては、「どう考えたって地震に関しては日本にいる方が危険度高いだろー! 私ならむしろニュージーランドに逃げるが」と言っていたのが、現実になってしまった。

 ちなみに、私は日頃から、関東大震災級の地震が東京を襲ったら、真っ先に死ぬと宣言している。理由はうちに一度でも来たことのある人なら言わなくてもわかるのだが、積み上がった本とCDの多さと乱雑さ。特に近年はもうほとんど整理できる限界を超えて、ただひたすらそこらじゅうに天井まで積み上がっている。押し入れとか書棚とはすでに満杯なので、そこらの床に置いてるから不安定そのもので、しかもそれをどんどん上へ上へと積み上げている。そういう「塔」が至るところにできてる他にも、既存の家具や棚の上にはやはり天井近くまで物や箱が積み上げられている。軽く触れただけでも塔全体がグラグラ揺れるし、地震になればこいつらがいっせいに雪崩を打って崩れてくるだろうから、天井が落ちる前に本とCDに埋もれて死ぬと思って。
 と口では言いながらも、まさかそれを実際に体験する日が来るとは思いませんでした。 

 地震発生は午後2時46分。私は家でパソコンに向かい、日記を書いていた。最初のグラリは、かなり大きかったけど、「ああ、またか」という感じ。うちはマンションの最上階で、ただでさえここらは地盤のゆるいゼロメートル地帯なのでよく揺れるのだ。だけど、ヤバいと思えるほどの揺れでも、「塔」が崩れたことはなかったので、わりと楽観してた。
 普通はこのあと、だんだん揺れが小さくなっていって収まるのだ。ところが二番目のグラリは前より大きい。三番目はそれよりさらに大きい。すでに細かいものが落ち始めてるし、もしかしてついに来た?
 そこで、あわててパソコンの電源を落として立ち上がり、塔が倒れないように押さえに行った。ところが隣り合って並んでいる塔がみるみるドミノ倒しのように重なり合って崩れて来るではないか。必死で押さえたけど、こうなるともう私の力程度ではどうにもならない。そこで、文字通りドドドと倒れてくる本とCDの雪崩に巻き込まれて、気づいたときには腰まで埋まっていた。

 私がこの雪崩を生き延びた理由。これだけの重量物が一気に頭の上から降ってきたらきっと死ぬ。だけど実際は、ドミノ倒し式に端からグダグダと崩れてきたので、衝撃はほとんどない。むしろ洪水に巻き込まれたような感じ。
 これが段ボール箱だったらもっと痛い思いをしたはず。でもあるとき、大きな段ボール箱にまとめるより、バラのままにしておいたほうが被害が少ないことに気づいて、(何度も塔が倒れた結果、学習した)、本や雑誌や書類はバラのまま、CDはしっかり蓋の閉まる小さいプラスティック箱に入れた状態で積んであったのだ。
 それでもCDの箱はかなり重いので、まともに床に落ちればダメージもでかいのだが、元もと床と言えるものがほとんどない(人がかろうじて通れる通路を残して、床はほとんど物で埋め尽くされている)うえに、ばらばらと崩れ落ちたせいで、互いが緩衝材になり、壊れた箱もCDもほとんどなかった。
 だけど腰まで埋まっちゃったので、まずこの本とCDと書類の山をどけないと、ほとんど身動きもできない。マンションで大地震に遭ったときは、玄関ドアが変形して開かなくなることがあるから、まず玄関のドアを開けろと習ったけど、玄関への廊下は崩れた箱や本で埋まってるから(廊下を物置に使ってるから悪いんだが)、絶対行き着けるはずがない。幸い火は使ってなかったから火事は大丈夫として、しかし、大きな家具が倒れてきたり、天井が崩れてきたら、私死ぬじゃん。とにかく埋まったまま身動きもできない状態だったので。
 そうしてる間も地震はやむ様子もなく大きく揺れてる。壁の額は落っこちるし、ベッドルームのペンダント式の電灯なんか狂ったようにブンブン回ってるほど。あー、もしかしてこんな間抜けな状態で突っ立ったまま死ぬのか、と一瞬だけど思いました。

 ところで私は神経が抜けてるので、あまり恐怖感を覚えないたちで、仕事中に地震にあっても、学生がピーキャー騒いでるのを尻目に平気な顔しているのだが、本当に怖いときは恐怖感を忘れてしまうんだということを初めて知った。
 このときも揺れてる間は怖いとかそういう感じはまったくしなかったの。むしろ、「あー、こんなになっちゃって、これじゃ片付けに何日もかかるな」とか、「CD傷ついてないといいな」とか、そんなことばかり考えていた。
 だけど揺れが収まってから気づいたのは、手のひらにじっとり汗かいて、心臓がバクバクいってること。それで初めて、「それほど怖かったのか」と気づいたのだ。特に心臓はすごくて、これじゃ年寄りがショック死するのも無理ないなーとか、人ごとみたいに思ってた。
 そればかりか完全に酔った。そう船酔い。あまりに揺さぶられて、しかもその後もえんえんと余震が続いたので、酔っちゃって気持ち悪い。止まってもまだグラグラ揺れてるような気がするし。

 そのうちだんだん揺れが静まってきたので、まわりの瓦礫(としか思えない状態)を少しずつ取りのけて脱出したけど、ひとつを取りのけると別のがドドド!と崩れてくるから苦労した。自由の身になってからいちおう点検して回ると、あっちこっちですべての塔が崩れていたうえ、本棚やタンスの上に載せてあったものがすべて落ちていた。
 それでも食器棚の食器が1枚も割れてないのにびっくり。食器も乱雑に積み上げてあるから、これも地震が来たら終わりだと思っていたのに。この食器棚は作りつけだからかな? それともぎっしり詰め込んであったのがかえってよかったのか。
 あと、丈夫なので感心したのは寝室にある書棚。天井まである巨大な書棚をベッド脇に3台並べてあって、寝ているときにこれが倒れてきたらそれこそおだぶつという重量物なんだが、こいつらはびくともしてないし、中の本も1冊も落ちてない。他の棚の中味はけっこう飛び出してるのに。
 この書棚はここに越してきたとき、いの一番に買ったもので、近所にあった家具問屋のセールで買った。もちろん設置も店の人が来てやってくれたのだが、そのとき来てくれた人がいかにも家具職人という感じで、仕事のていねいさに感心したのをよく覚えている。
 普通、本棚を買ったって、ただ置いてくだけじゃない。最近は組み立てすら自分でやるDIYのところが多いし。だけどこの職人さんは、床の微妙な傾きやゆがみを測って、それにぴったり合うように全部のネジをしめなおして、3台を金具で連結して、さらにくさびをかませて絶対グラグラしないようにしてくれたのだ。
 私は本をぎゅうぎゅうに詰め込むので、どんな頑丈な棚もみんな変形してしまうのだが、この3台の本棚は15年後の今でもびくともしない。問屋の半額セールだからめちゃくちゃ安かったのに! こういう職人の技も、今ではどんどん失われて行くものだなあ。

 で、大ざっぱに落ちてる物を片付け、掃除機をかけ(棚のてっぺんとかにたまっていた埃が全部舞い上がったから、それこそまさに震災後というありさまになってたのよ)、実家に安否を聞く電話を入れたあとは、(その間も何度も大きな余震があって怖かった)、さっそく町へ様子を見に行く。なんのためって、もちろん野次馬よ(笑)。不謹慎なようだけど、災害があったら真っ先に見物に飛び出さなきゃ江戸っ子とは言わないの。
 と言っても、周囲では火災も崩れたビルもなかったのだが、やっぱり天変地異のあとの不穏な空気は感じられてゾクゾクした。(重ね重ね不謹慎な言い方ですみません) 多くの住民や従業員が広場やなんかに出てきて立っている。地震の瞬間に避難に出てきたあと、顔見知り同士でおしゃべりに夢中という感じだ。
 店の多くが昼間っから「臨時休業」の札を出して店を閉めてしまったのもけっこうショック。東京で地震で電車が止まるのはいつものことだが、店が閉まるってのは見たことなかったから。やっぱり棚の商品が崩れたりしたのかな。それとも従業員の安全のためだろうか。
 電車はもちろん止まってるし、エレベーターも点検のため止まってるが、停電はしてない。最初はガスが止まってると思ったのだが、それは安全停止装置が働いただけで、解除ボタンを押したらガスも出た。
 しかし、駅には思ったより人多くないなー。止まってるのがわかってるからみんな来ないだけか。その代わり、いつもはガラガラの都バスは満員で、いつも長蛇の列を作っているタクシーも出払っているのが、いかにもな感じ。

 そういえば、東京で地震にあっていちばんいやなのは、潰れて死ぬのを別とすれば、帰宅難民になること。これはもう何度も経験あるからそのつらさはよく知ってる。東京じゃ交通機関が数時間ストップするだけでも大変なことになるのに、今日はあらゆる電車がもう終日動かないっていうんだから。
 社員の面倒をちゃんと見てくれるような大企業の社員ならいいが、私みたいに帰属先のないフリーターはつらいよね。ホテルやインターネットカフェは瞬時に満員になるし、他にどこで夜を明かせばいいのか。
 とりあえず、もし大学で被害に遭ったら、私は電車がちゃんと動くまで絶対大学にとどまるな。少なくとも大学なら毛布とおにぎりぐらい用意してくれそうだし。ていうか、普通なら大学こそ近隣住民の避難所になるか。いずれにせよ研究室を持ってる専任教員は無敵だけどね。

 うわー、今9時過ぎだけどまだ揺れてるよ。とりあえず、これ以上の被害が広がらないことと、被災者の一刻も早い救出を祈ります。

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