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「ひとりごと日記」番外編 夏休みスペシャル――私の愛したゾンビ
Part 1 Living Dead 三部作 (私の日記から)

NIGHT OF THE LIVING DEAD (1990) Directed by Tom Savini

(邦題『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』) (私の日記からの採録)

 さっき、Suart Gordonのことを「B級ホラーの王様」なんて書いたが、これはあくまで私の見解で、一般的にはこの形容詞は、このGeorge A Romeroあたりをさすんだろうな。というわけで、これはゾンビ映画の帝王Romeroが、‘Master of Gore’Tom Saviniと組んで完成した、1968年の自身の出世作のリメイクである。ただし、ここではRomeroは製作にまわり、監督はSaviniにまかせている。

 とかなんとか、わかったようなことを書いてしまったが、実をいうと私はRomero=Saviniコンビの作品は、これまで1本も見ていない。べつに避けてたわけではなく、たまたまご縁がなかっただけなのだが、“Return of the Living Dead”とか“Evil Dead”みたいなアホな映画まで劇場で見ているホラー・マニアとしては、遅きに失した感がある。(ちなみに、“Evil Dead”の邦題『死霊のはらわた』や、Gordonの“Re-Animator”の邦題『死霊のしたたり』は、ぜんぶRomeroの“Day of the Dead”『死霊のえじき』の二番煎じである)
 しかし、Dan O'Bannonによる、この映画のパロディ続編“Return of the Living Dead”(『バタリアン』)を見て、いたく気に入ってしまった私は、オリジナルの方も見てみたいものだと前から思っていた。そこへこの夏、季節特番としてテレビの深夜映画でやっているのを見た。
 見て驚いた。B級なんてとんでもない。この人は世にもめずらしいA級ホラー作家だったのだ。いや、もちろんCronenbergほどの卓越した才能はない。しかし、B級というにはまじめすぎるし、シリアスすぎる。そもそも、シリアスなゾンビ映画なんてあるとは思わなかったので、よけい驚いた。私がこれまで知っていたゾンビ映画というのは、まったく箸にも棒にもかからない低予算のクソ映画か、“Return of the Living Dead”(『バタリアン』)や“Re-Animator”(『死霊のしたたり』)のようなオチャラケ・パロディ(これが好きだったんだが)かのどっちかで、「しょせんゾンビなんてお笑いにしかならないのよ」と、あくまで下に見ていたのだ。
 ところが、いずこの世界も草分けの巨匠と言われる人は、そう言われるだけのことはあるんだな。そのRomeroが名作の誉れ高い自身のデビュー作を、12年後の今になって自らリメイクするんだから、それなりの覚悟と意気込みが期待されるが、まさにその期待に恥じない作品であった。(それにしても、自分の映画を自分でリメイクする人もめずらしい。それだけこだわりのある作品ってことなんだろうけど)

 

不敵な面構えのBarbara

だいたいヒロインの面構えだけ見ても、これが他のB級ホラーとは違うのは一目瞭然だ。Gordon論の中で書いたが、B級ホラーのヒロインというのは、純情可憐だが無意味に色っぽく、ひたすらキャーキャー泣き叫んで怖がる役まわりである。ところが、ここのBarbara(Patricia Tallman)は“Alian”のRipleyや“Terminator 2”のSarahも真っ青の「戦う女」なのである。
 それも、マザコン志向のCameronの「強い女」がいいかげん鼻についてきたのにくらべ、Barbaraの強さは、完全な絶望と孤立感の中から生まれてきた強さ、すべての希望が燃えつきたあとに残った強さ、言うなれば、まったく勝ち目のない戦いに挑む強さであるところが、なんともいえない悲愴感と、いじらしさを感じさせて良い。
 オリジナル版の主役はヒーローの黒人青年Ben(Tony Todd)だったそうだが

、それが女性に移ったのは、やはり時代の推移か。でも、彼女を主人公にした後述するラストは、こっちの方が格段に良くなった。
 ついでだから役者評も。Barbaraを演じたPatricia Tallmanは、それほど美人じゃないというところはSigourney Weaverといっしょだが、おばちゃんたち(SigourneyとLinda Hamiltonのこと)にはない、野生動物のような若さとしなやかさのある肉体が魅力だし、ショートカットもりりしい、中性的な少年っぽさが妙にそそるし、何より口をきりっと結んで、きっと相手をにらみすえる表情がいい。出てきたときは見るからに保守的な女教師風スタイルだった彼女が、途中で「戦闘服」に着替えるあたりもうっとり。

 お話は、そのBarbaraが、あまり人がいいとはいえない兄のJohnnyといっしょに、母の墓参りにやってきたところから始まる。するとそこへ早くもいきなりゾンビが登場。《オリジナルを見ている人(見てなかった私も)は、不気味なオヤジが足を引きずりながら近づいてくるのを見て、当然ゾンビが出たと思うのだが、実はこれはただの変なおっさん(どうやらゾンビに襲われて気が狂ってしまったらしい)。その直後、本物のゾンビが横から現れてJohnnyに襲いかかるというフェイントがうまい》 Johnnyはゾンビと格闘するうち、頭を打って死んでしまう。
 このオープニング・シーンがちょっとすごいと思った。なにせこういう化け物は夜の闇に乗じて現われるのが定石なのに、この墓場のシーンは煌々と太陽が照りつける真昼の場面、しかも美しい草木が茂る開けた場所なのだ。そこへ現われるゾンビは、ちょっとシュールなおもむきがある。
 逃げたBarbaraは一軒の無人の民家に逃げ込む。そこへやってきたのがBen。彼は町がゾンビに占拠されていると話し、放心状態のBarbaraを励まし、彼女にあきらめず戦うことを教える。
 そこへさらに、この家の主の甥Tom(William Butler)とガールフレンドのJudy(Katie Finneran)、そして知人のCooper(Tom Towles)とその妻と娘がころがりこんできて、すでに周囲を包囲したゾンビ軍団相手の籠城戦が始まる。この辺のストーリー展開は、O'Bannonが“Return of the Living Dead”がそっくり頂いていた。

 しかし、違いもある。“Return of the Living Dead”のゾンビは文字通り不死身のundeadだったが、ここでは脳を破壊すれば死ぬ(?)ことになっている。それに、私がゾンビを好きになれなかったもうひとつの理由は、モンスターとしてはあまりに弱っちいと思ったからだが、このゾンビもちっとも強くない。なにしろギクシャクしたゾンビ歩きしかできないから、走って逃げれば追いつけないし、生きた人間より力も弱く、すぐに体がボロボロ崩れる。
 ただし、飽くことを知らず、死を恐れないから、集団でかかってくると危険、というのは妙にリアルな説得力がある。もうひとつ、Romeroの新案はゾンビが吸血鬼のように増殖する、つまり、ゾンビに襲われて死んだ犠牲者は自分もゾンビになってしまうという設定をこしらえたことである(これもO'Bannonほか、多くのゾンビ映画が頂いている)。
 よって、Romeroのゾンビの恐ろしさは直接肉体的攻撃を受けるよりも、自分の愛する者が見るもおぞましい化け物に変わってしまう、しかも自ら手を下してその愛する者を殺さなくてはならないというところにある。なーんだ。私が“Return of the Living Dead”を見て「すごい!」と思ったところは、みんなRomeroからの頂きだったんだな。(もっとも、これ自体も吸血鬼ものからの頂きなんだが)

 ここでかんじんのゾンビについても。なにしろ特殊メイクの専門家が監督なのだから、さすがにゾンビの出来はいい。下手くそなSFXマンはついやりすぎて、なるべく不気味なグチャグチャ・ゾンビを作ろうとして、かえって作りものくさく、バカバカしく見えるものになってしまうが、Saviniのゾンビはナマっぽい、つまりメイクは最小限におさえて、人間らしさを残しているところがかえって恐ろしく、本物っぽくていい。
 Master of Goreと言われるわりには、血もあまり流れない。首が飛んだり、はらわたがはみ出したりといった、ありがちなスプラッタ・シーンもなし。これはあくまでスプラッタではなく、心理ホラーとして撮られているのだ。このあたりもなかなか単なるB級ではない。《DVDについていたSaviniの解説を聞くと、元はもっと多くの凄惨なスプラッタ・シーンがあったのだが、それは映倫に遠慮したのと、「あえて見せない方がこわい」という理由でカットされたり、衝撃度の薄いシーンに置き換えられていたのだ。これは結果として正しい》

 とにかくそんなわけでゾンビが弱いので、主人公たちは簡単に逃げのびるかと思いきや、足を引っぱるのは他ならぬ人間仲間である。特にCooperという男は、ここまでやるかと思うくらいの独善的で腰抜けで利己的な男で、最初からBenやBarbaraと対立し、仲間が殺されそうになっているのを見ても助けようともしないし、彼らの足を引っぱって、逃亡計画の邪魔をする。
 このキャラクター造形がなんともいい。妻と病気の幼い娘(娘はゾンビに噛まれて昏睡状態に陥っている)を連れた分別盛りの中年男と言えば、本来なら主人公としていちばん勇敢に化け物と戦わなくてはいけないキャラクターである。それに対して、どこの馬の骨ともわからない流れ者の黒人男なんてのは、普通のホラーなら真っ先に食われる役回りである。この映画はそれを完全に逆転させているのだ。
 一方、Tomは見るからに純朴な田舎の好青年なのだが、彼はあわてふためいて、唯一の乗り物であるトラックとガールフレンドもろとも自爆してしまうようなおばかさん。Cooperの妻はゾンビとして蘇った娘に食い殺される。

BenとBarbara

 こうして生き残ったのはBen、Barbara、Cooperの3人だけになる。BenとCooperはとうとう撃ち合いになり、二人とも負傷するが、命からがら家から逃げ出したBarbaraは、走って助けを求めに行き、自警団に助けられるが、ようやく人間の世界に戻ったBarbaraが見たものは、つかまえたゾンビを残忍なリンチにかけ、見世物にして楽しむ自警団の姿だった。それを見ながら‘They are us. We are them.’とBarbaraはつぶやく。ここにおいて、なんと、この映画における真のモンスターはゾンビではなく、人間の方だった、あるいは少なくとも、人間もゾンビ並みのモンスターなのだと観客は気づかされるわけである。
 そして家に戻ったBarbaraが見たものは、ゾンビと化したBenだった。彼はBarbaraの目の前で自警団員に射殺される。そのとき呆然とするBarbaraの前に難を逃れたCooperが現れる。表情ひとつ変えずに彼を射殺し、「ここにも1匹いたわ」と告げるBarbara。映画は外へ出て、ゾンビの死体を燃やす自警団をじっと見据えるBarbaraのアップで終わる。
 オリジナル版では、ただひとり生き残ったBenが、ゾンビと間違われて射殺されるという、これまた皮肉で悲劇的な結末になっていたが、この苦々しさと虚しさはオリジナル版以上だ。
 まあ、臭いといえば臭いし、ニュー・シネマみたいに古くさいという気もするが、オリジナル版もニュー・シネマ的な味があったそうだから、これがRomeroの持ち味なんだろう。もちろんClive Barkerのような深遠な哲学はないが(もっとも、Barkerの映画は、その哲学がちっとも活かされていないのが困りものなんだが)、「人間よりモンスターが好き」という点では共通しているかもしれない。そしてかくいう私もそうなので、‘They are us.’というBarbaraのセリフには、つい引き込まれて「うんうん」とうなずいてしまうのである。

《後記》

 この後、オリジナルのモノクロ版も「25周年記念コレクターズ・エディション」のLDを買った。これを見てわかったのだが、このSavini版はオリジナルのほぼ完全なリメイク。違いは、
1) カラーである。
2) ゾンビメイクがはるかに進歩している。オリジナルは低予算ということもあり、ほとんどノーメイクに近かった。
3) ヒロインのBarbaraのキャラクターがぜんぜん違う。オリジナルのBarbaraはなんの役にも立たず泣き叫ぶだけの典型的ホラー・ヒロインで、途中であっさりゾンビに殺される。
4) ラストが違う。オリジナルはBenの殺害で終わる。

 あえて言わせてもらえば、このヒロインの違いとラストだけでも、私はリメイクのほうが好きですね。もちろんオリジナルはあまりにも偉大だが、あくまでホラー映画の規範を出ていなかったのに対して、リメイクでは「本当にRomeroが言いたかったこと」が明確に出ていると思われる。
 役者も(Barbaraを除いては)わざとオリジナル・キャストに近いイメージのキャスティングを狙ったらしいが、BenはオリジナルのDuane Jonesのほうがハンサムで知的に見えるので好き。Tony Toddはちょっとホラー顔でこわすぎ(笑)。これに対して、Cooperは何しろ“Henry”のTom Towlesだから、見るからに極悪人ぽくて合っている。
 なお、リメイクではCooperはタキシード姿で家族全員が正装している(パーティー帰りかなんかという設定らしい)が、ここにもメッセージが現れている。つまりCooperは金持ちの白人だが、Benは貧乏黒人なのだ。金持ち=悪人という設定がすがすがしい。

MASTER OF THE LIVING DEAD――GEORGE A ROMEROに捧げるオマージュ

DAWN OF THE DEAD (1979)  directed by George A Romero

(邦題『ゾンビ』)(私の日記からの採録)

▲ さて、続いてはクラシックだ。68年の“Night Of The Living Dead”、85年の“Day Of The Dead”と並ぶ、George A Romeroの「ゾンビ三部作」の2作目。
★ Romero、Romeroと騒ぐわりにはほとんど見てないのはなぜ? 見たのは90年の“Night”のリメイク版だけだよね。
▲ 見たいとは思ってたんだけど、なにしろ古い映画だし、ゾンビもの自体が手垢がつきすぎたジャンルだし‥‥
● でもRomeroったら、その原点じゃない。
▲ だから今さら借りるのがよけい恥ずかしくてさ。ホラーマニアとしては。
● だから、なんで劇場公開時に見てないのよ? 70年代といえば、まだレンタルビデオはなかったけれど、名画座めぐりして、それこそくだらないホラーも山ほど見てるのに。
★ 確かにスプラッタの時代に入ってからは、ほとんど1本も欠かさず見てますものね。Romeroはその祖なのに。
▲ たまたまアンテナに引っかからなくて、見過ごしちゃうこともあるんだよ。それにRomeroの映画ってのは、ほとんど日本じゃ劇場公開されてないんだよね。古い映画だし、ビデオ屋にもないだろうと半分あきらめていて。
◆ なんでだろ? ホラーブームもあったし、Romeroといえば古典なのに。
● Cronenbergの初期作品だってそうだよ。
◆ 日本じゃホラーってのは軽視されてたんだな。
▲ 今だってそうだよ。劇場公開されるホラーなんてごくごく稀なんだから。劇場公開されなくて、ビデオだけ売れるってことは、これってれっきとしたマニアのジャンルなんだな。つまりそれだけ奥の深い世界だってことで。
◆ 能書きはいいから。
▲ それで最初に言ったように、これは“Night Of The Living Dead”の続編的作品。シリーズになってるからって、これを『13金』みたいなシリーズものの走りだなんて言ってほしくないな。Romeroのゾンビはひとつひとつが芸術作品なんだから。あと、参考までに“Night Of The Living Dead”については、第416章『真夏の夜のホラー映画特集』を参照してくださいね。

▲ 私はモノクロ版の“Night Of The Living Dead”は見てないんだけど、リメイクを見たし、話は知ってる。それでこの映画は、だいたいあれのラストの時点から話が始まるわけ。登場人物は一切共通していないんだけど、すでに世界はゾンビに蹂躙され、生き残った人間よりゾンビの方が多いし、政府はほとんど壊滅状態のアメリカが舞台。
★ しかし、この導入部は型破りだよね。いきなりパニック状態のテレビ局の場面から始まって。私たちは“Night”を見ているからわかるけど、初めて見る人には何がなんだかわからないでしょう。
● 見てたって驚くよ、これは。私なんか、古い映画なもんだからテープが切れてて途中から始まったのかと思ったもん。タイトル・クレジットがかぶさってたから、そうじゃないんだとわかったけど。
◆ とにかくほんとに混乱の中だから、何言ってるんだかわからないし、誰が主人公なんだか、何がどうなってるのかもわからないのよね。
★ いちおう番組の解説者が、どさくさまぎれに「ゾンビは生きた人間を食う」「ゾンビに食われた人はゾンビになる」「ゾンビは脳を破壊しないと死なない」といった「お約束」を説明するんだけどね。
● ところがかんじんのゾンビはどこにもいないし。
▲ 普通のホラーなら、そうやって番組作っているところに、ゾンビがのしのし入ってきて、それでパニックになる、という作りをすると思うのよ。それをしないところがRomeroのRomeroたるゆえんで、この臨場感とリアリティはすばらしいと思ったな。まさにいきなり観客をパニックの中に引きずり込むというか。
◆ だいたい、なんでゾンビがいるのかもわからない。
★ “Night”じゃ放射能がどうこうという能書きがあったそうなんだけど。
▲ それより、おばあさんがブードゥーの司祭だったというPeterが語る「地獄がいっぱいになると、死者が地上を歩き始める」っていう話の方が趣があるな。
● それで「なんだ、なんだ?」と言ってる間に、突然画面は変わって、州兵が1軒のアパートメント・ビルディングを取り囲んで突撃しようとしている。これも意外な展開で、頭がクラクラした。
★ これは見てもなんだかわからなかった人が多いみたい。「シネアスト」にゾンビ論を書いている室井尚なんて「おそらく近未来に設定されたこの世界では、黒人と白人の間の戦争があり、市街戦が行われている」なんて書いてる!
▲ バカこきなさい! ここは黒人が住むアパートで、死者を敬う気持ちの強い彼らはゾンビ化した家族を地下室に押し込めて隠していて、それを発見した軍隊がゾンビを根絶やしにするために踏み込んできたんでないの。
● それだって、しばらく考えてやっとわかったんじゃないの。ホラーというのはそもそも娯楽映画だからして、「バカでもわかる」のがミソなのに、考えないとわからないホラーってのは前代未聞だ。
◆ しかも室井尚って、文章や注の付け方から察するにプロの学者だよ。それにもわからないってのは難解すぎるんでないの?
★ やっぱバカなんじゃない?
▲ とにかく、この間、なんの状況説明もないんだよね。隊員の中には、狂って無差別虐殺を始める奴がいるかと思えば、いきなり銃を自分の頭に向けて自殺する奴もいるし、あやしげな黒人神父が出てきてお説教したり、とにかく頭がワヤクチャ。

FranとStephen

★ ようやく話が見えてくるのは、テレビ局に勤めるStephen (David Emge)とFran (Gaylen Ross)、州兵のRoger (Scott H Reiniger)とPeter (Ken Foree, 彼だけ黒人)の4人がヘリコプターに乗り込むところ。どうやらこの4人が主人公なんだなとわかる。
◆ それにしても彼らが何者で、どういうバックグラウンドがあって、どういう関係なのか、ろくに説明がない。StephenとFranは恋人同士で、どうやらStephenとRogerが友達らしくて、彼らはテレビ局のパイロットをしているStephenのヘリに乗り込んで逃げようという算段らしい、ということは漠然とわかるんだけど。
▲ つまりね、日常がすべて崩壊してしまった世界なのよね。そこではバックグラウンドなんてものは一切ご破算になってしまっている。だから彼らには名字も家族もない。ただ生きのびようという意志によって結び合わされた4人組というだけで。

◆ それにしてもこの人々は寡黙でねえ。アメリカ映画のこういうキャラクターって、とにかくあることないことしゃべりまくるのが普通じゃない。なのに、主人公たちが何も言わないので、何をしようとしているのかもよくわからない。
▲ この沈黙にこそ彼らの追い詰められた状況と不安が反映されているんじゃないか。見ている者も不安にさせるという意味でも、この沈黙のサスペンスはすごい。
★ そういや、この人たち悲鳴もあげないのに気がついた?
● そう、ホラー映画といえばスクリーミング・ガールズってくらいで、ヒロインの黄色い悲鳴はホラーの代名詞みたいなものなのに。
▲ 最近じゃ男もきゃーきゃーいうぜ。
★ なのに、この女の子はゾンビにつかみかかられても、せいぜいすすり泣きをもらすぐらいで。
● でもその方がリアルだよねえ。グチャドロの化け物が目の前に迫ってるのに、悲鳴あげる余裕なんかあるか? そんな大声出す余力があるなら逃げればいいのに、っていつも思うもん。
★ それで前後関係から類推するに、StephenとFranはカナダへ逃げるつもりだったらしいのね。ところが燃料が見つからず、カナダへは行けそうもない。
◆ カナダは安全なのか?
★ そりゃ人口少ないところの方が多少は安全でしょう。ゾンビの素は人間なんだから、人口密度が少なければゾンビ密度も少なくなるという道理。だから「都市は危険だ」って言ってるわけ。
◆ なるほど、しかしパニックものの狂騒が終わると、今度はがぜんサバイバル風になってくる。つまり着の身着のままで逃げ出したから、食料や物資も必要になってくる。そこで見つけたのが、全滅した郊外の無人のショッピング・モール。屋上に着陸したはいいけど、中にはゾンビがうようよってわけで、そこでどうやって生きのびるかが、今度は話の焦点になってくる。
● (興奮して)これだ、これだ、これなんだよー!
◆ 何がこれなんだよ?
● これって昔からの私の白昼夢なんだよ!! 今回のこだわりはこれに尽きるね。
▲ 説明すると、こういう状況設定って、べつに目新しいものじゃないわけ。昔から、特に冷戦の時代の60年代の終末テーマSFなんかじゃおなじみの話で、文明が崩壊し、人類もほとんど死滅した世界で、どうやって生きてくかという話。
★ ただ、サバイバルとしちゃ、水と電気は供給されてるってのがちと甘いな。それがいちばんのネックなのに。
▲ とにかく私は昔からそういう話が好きで、よく自分をその中に置いて空想を巡らせてたんだけど。
● 中でも私の理想の生活ってのは、無人の町にある巨大なデパートをまるまるひとりで占領して、売場の品物を好き勝手に使って、おもしろおかしく暮らそうってことだったのだ。そういう夢はいっぱい見たし。私の夢がスクリーンに甦ったようだ。
◆ しかし、その中にゾンビはいないわけでしょ? この人たち、おもしろおかしいどころじゃないみたいだけど?
● それができるならゾンビくらい我慢するわよ。数が多いといっても広い場所なんだし、ゲリラ的に隠れながら、1匹ずつぶち殺していけばいいわけでしょ。外から入ってこれないように扉しめて。

戦いにおもむく4人
(負傷したRogerは手押し車に乗ってる)


▲ と思いながら見ていたんだけど、実際にキャラクターたちはその通りにする。なかなか賢い人々だ。
★ 隠し部屋みたいな倉庫に籠城しながら、運送用のトラックを出口の前に並べてバリケードを作り、すべての扉に鍵をかけてから、中のゾンビを1匹ずつ殺していくんだよね。
▲ 殺したゾンビを集めて始末するあたりも芸が細かいと思った。普通のゾンビ映画じゃ、殺すだけ殺して、後始末なんかしないでしょ。でも、考えてみたら腐ったゾンビの死体がそこいらにゴロゴロしてるのなんかいやだよねえ。そういう生活実感みたいなのも、ものすごくリアリティある。
● これで私の理想の生活が!

◆ ところがその攻防戦のさなかに、Rogerがゾンビに足をかじられてしまう。
★ 殺されなければ大丈夫なのかと思ったら、噛まれただけでも致命的なのね。
▲ そこでRogerは死ねばゾンビになるのは必定、ともに戦った仲間を自らの手で殺さなければならないという、Romeroのゾンビにはお約束の状況が出現するわけだ。
● しかし、これには拍子抜けした。もっと愁嘆場になるかと思ったら、Peterは死んだRogerの頭に銃でねらいをつけ、起き上がったとたんに射殺しちゃうんだもの。StephenとFranも、銃声を聞いてはっと顔を上げるだけで何も言わないし。
▲ ここで泣いたりわめいたりして騒ぐよりも、この押し殺した感情表現にどれだけの哀しみがこめられているかがわからんのか?! このストイシズムこそRomeroの真骨頂なのに。
★ この諦観っていうか、情緒を廃した描写はBallardやDickの終末SFを思わせるね。
▲ うむ。こういう映画作家は皆無だったよ。ただ違いをいえば、BallardやBarkerの主人公は、好んで破滅へ身をまかせるのに対して、この人たちはまだ生きようという意志を持ってることだね。
● それにしても、このクールさはすごい。特にPeterなんか、ほんとに人間なのかしら?ってくらいで、ゾンビよりこの人の方が何考えてんだかわからなくて気味悪いくらいだ。
▲ だからね、生き残るためには人間的な感情を捨てなくちゃならないときもあることを、この人は誰よりも知ってるんだよ。このあと、ひとりでRogerを埋葬するPeterの姿に、彼の万感の思いが示されているではないか。

★ 少数の人間が籠城するってのは、“Night”のパターンの繰り返しで、だけどこういうときの籠城場所は人里離れた粗末な小屋が普通なのに(“Night”もそうだった)、それが煌々と明るい、超近代的で広くて豪華なショッピング・モールってところも意表をついたね。
◆ おまけになんでもつけてやれってんで、BGMやコマーシャルや噴水もつけちゃってさ。そういうところをゾンビが徘徊するってのが、まるでシュールレアリズムの絵のようだった。
▲ なんでゾンビがショッピング・モールに集まるのかという説明も、「生きていた頃の習慣に従っているだけ」というのが泣かせるじゃない。
◆ それじゃ、やっとここでゾンビがたくさん出てきたので、本来の主役であるこの方々についても。
▲ もちろんメイクはTom Savini。ただし、リメイク版“Night”とくらべると、時代も違うし、予算もないのは明白で、あの芸術的職人芸を期待するとちょっと失望しますがね。
● 役者がただ顔を白く塗ってるだけのが多かったね。腐って崩れたようなのはいなくて、新鮮な(?)ゾンビばっかりだった。
▲ ところが、それでもうまい!とうならされたのは、「きれいなゾンビ」ってことは、生きてた頃の姿がはっきり見えるんだよね。グチャグチャになってりゃただのモンスターにしか見えないけど、人間的に見えるぶん、かえって痛ましくて哀れなんだよ。
★ そういや、ハレ・クリシュナのゾンビとか、尼さんのゾンビとか、サラリーマンのゾンビとかがめずらしくて、すごくおかしかった。
▲ おかしい?! かわいそうじゃないか。たぶん生きてた時はいい人だったろうに、こんな化け物になっちゃって。
● ゾンビがかわいそうに見える、ってのもRomeroのゾンビならではね。確かに、人食うほかは、よたよたゾンビ歩きしているだけなのに、頭吹っ飛ばされたり、ボカスカ殴られたりしてかわいそう。
◆ というわけで、「ゾンビより邪悪で恐ろしいのは人間だ」という“Night”のメインテーマもちゃんと出てきますね。
▲ そう、狩猟感覚でビールをあおりながらゾンビ狩りに興じる自警団の姿とか。あとで出てくる暴走族とか。
◆ そっちの話を先にしちゃうか。

◆ で、ストーリーの先を追うと、Rogerは死んだけれど、残った3人は束の間の平和を味わう。
● ここがいかにもなのよー。なにしろスケートリンクまである巨大なモールを独り占め。高価な服を着たり、レストランで豪華な食事をしたり、テレビゲームに興じたりして、いいなー。
★ 外はゾンビでいっぱいなのに?
◆ 阿鼻叫喚のホラーで、こういう日常的な平和な風景が途中にはさまるのも皆無だな。これもやっぱりシュールだ。
★ 彼らが住みかにしている倉庫も、最初は段ボール箱を積んで机にしてたんだけど、いつのまにか下のデパートから家具やなんかを持ち込んで、壁も塗り替えて、すてきなインテリアになってるのが芸が細かい。
◆ しかし平和は長くは続かない。ってわけで、ゾンビよりこわい人間の登場だ。暴走族の略奪団が、このショッピング・モールに目を付けて、襲ってくるんだよね。
★ この人たちだって略奪者なんじゃない?
● でも許せない!って気持ちはわかる。
▲ この種の食うか食われるかの世界で、生き残る人間ってのは、まずろくなやつはいないんだよね(笑)。この暴走族は徒党を組んでるのと、残虐な闘争心だけを武器にゾンビに打ち勝って生きのびてきた奴らで、確かにこれはゾンビ以上の強敵だ。
★ だいたい生きてるし、いちおう知恵あるから、バリケードなんか突破して入って来ちゃうし。
● でもバカなのはバリケードをこわしたせいで、ゾンビもいっしょに入ってきちゃうこと。
◆ Peterの考えでは、自分たちはこっそり隠れてて、ゾンビと暴走族を相討ちにさせてやろうってことだったみたいなのね。
▲ そりゃそうだよ。敵は暴力のプロで100人以上いたもん。それに3人で太刀打ちできるはずがない。
★ ところが暴走族が店の品物を手当たり次第に略奪し、モールを徹底的に破壊しているのを見て、Stephenが切れてしまう。
● わかるわかる。
▲ それで三者入り乱れてのめちゃくちゃな戦いになるんだけど、殺しても殺しても減らないゾンビに音をあげて、暴走族は引き上げてしまう。ところが、その最中にStephenがゾンビにつかまって食われてしまい、じっと彼を待っていたPeterはゾンビになって戻ってきたStephenを見るなり射殺。だけど、Stephenが大勢のゾンビを連れてきてしまったので、もうここにはいられない。ありゃ、もうエンディングまで来てしまった。
◆ しょうがないな。そのまま続けて。

ニヒルなPeter


▲ そこでPeterはFranにヘリで逃げろと言い、自分はここに残ると言う。
● なんで? あれなんで? 理解できない。ゾンビが隠れ家に入ってきてるとは言っても、屋上への逃げ道は残ってるし、十分逃げ切れる状況なのに。
▲ わからないかなあ。つまり彼は戦いに疲れたんだよ。今は逃げ切れても、いずれは自分もRogerやStephenのように死ななくてはならない。あるいはFranも殺さなくてはならなくなるかもしれない。これ以上この苦しみを味わうくらいなら、いっそここで片を付けようと思ったんじゃないか。
◆ そこでFranを屋上に逃がしたあと、彼は鍵をかけた部屋に閉じこもり銃を頭に当てる。ドアを破ってどっと部屋になだれ込むゾンビ軍団、ヘリの中で気をもむFran、この緊迫した状況で、彼は‥‥
▲ 自分の頭に向けた銃口をさっと離して、最初に部屋に入ってきたゾンビを射殺するんだよね。
● なんで? あれもなんで?? 自殺するつもりじゃなかったの? なんでいきなり気が変わったの?
▲ うるさいな。気が変わったっていいじゃないか。しかしその頃には部屋はもうゾンビでいっぱい。ゾンビがヘリまで迫ってきたのでFranは離陸しようとしている。そこからがPeterの孤軍奮闘、獅子奮迅の大活劇。群がるゾンビをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、ようやく間に合って、飛び立とうとするヘリに転がり込む。これを見てたらもう涙が止まらなくて‥‥
◆ 良かったー。それまでがあまりにも救いのない暗い話だっただけに、これがハッピーエンドじゃなかったらどうしようと思ってたんだよね。特に“Night”はオリジナルもリメイクも救いのない結末だったし。
★ Peterが屋上に出ても、まだFranが彼を置いて飛び立ってしまうんじゃないかと思ってヒヤヒヤした。Romeroならそれくらい平気でやりそうだから。
▲ ハッピーエンド? これってハッピーエンドなんかじゃないよ。燃料はあとわずかしかないから遠くまでは逃げ切れないし、このショッピング・モールみたいなうまい隠れ場所が見つかるとも思えない。そこでさえも安全ではなかったんだから、この2人はたぶんどこへ逃げても死ぬんだよ。それがわかってるからPeterは自殺を図ったんでしょ。でも、それでもいいんだ。とにかく生きてる限りはあきらめずに戦い続けるんだって。これが人間の尊厳とか崇高さを感じさせて、私はもう涙が止まらなくて‥‥
● あきらめちゃう人も好きなくせに。Ballardとか。
◆ というわけで、ヘリに乗り込んだPeterはFranに「燃料はあとどれくらい残ってる?」と聞くんだけど、Franが「あまりないわ」と答えると、にやっと笑って「まあ、いいさ」と答え、ヘリは朝焼けの空に飛び立っていく、というところでthe end。
★ でも、あまりにも救いのない“Night”のエンディングにくらべると、なんかさわやかな幕切れだね。
◆ そこが「夜」と「夜明け」の違いかね。
▲ これはホラーとしてはかなりの邪道で、それこそ下手くそがやったら目も当てられないクサい話になるところだけど、Romeroの良さは完全なペシミズムに裏打ちされているところなんだ。この人たちにはもうなんの希望もない、だけど生きる!ってところが泣かせるじゃない。

● なんかもう結論が出ちゃいましたね。
◆ なんの話の途中だったっけ?
★ 「ゾンビより邪悪で恐ろしいのは人間だ」ってとこ。
▲ そのテーマは“Night”で描いちゃったから、ここではそれほど強調はしてなかったけどな。むしろこのエンディングが示すように、ここでは人間の力と可能性と「生きる意志」の尊さの方に重点が置かれてて。
● でも、ゾンビが暴走族に襲いかかるところはすっとしたよね。やれやれ! がんばれ!って感じで。
★ そういや、グロ・メイクはここではそれほどでもないと言ったけど、あの内臓つかみ出しはけっこうすごかったよ。
▲ そうそう。倒れた暴走族の腹割いて、はらわたつかみ出してむさぼり食うの。どうせブタの内臓かなんかなのはわかってるけど、本物の質感はすごいね。私も映画の内臓はずいぶん見てきたけど、これは中でも1、2を争うぐらいグロかった。ちなみに私の内臓ベスト3は、“Videodrome”のテレビから飛び散るはらわたと、“Catch 22”のSnowdonの腹からこぼれ落ちるはらわただ。
◆ ちょっとお‥‥
● ‘They are us.’ってのはこのことだな。ゾンビとどっちが血に飢えてるんだか。
◆ はらわたのことは忘れて。あと言い残したことってあったっけ?
★ いっぱいあるよ。キャラクターの話もろくにしてないし。
● だって、ほんとにこの人たちって何考えてるんだかわからないんだもの。
◆ “Night”は「戦う女」の話なんで、それにも感動したんだけど、このヒロインのFranは弱かったね。
▲ だって妊娠してるんだもの! 戦えるわけないでしょ。
● えー、でも彼女も相当気丈だと思いましたよ。恋人が目の前で殺されても泣き叫びもしないし、Peterに逃げろと言われても、文句も言わずに素直に従う。普通ならこんな世界で妊婦がひとりで生きてなんかいけないと思うじゃない。ましてPeterは戦闘とサバイバルのプロなんだし。普通なら「お願い、いっしょに来て!」とすがってでも言う場面でしょ。 
▲ ある意味で彼女も達観してるんだよね。そこが哀れでもあり、頼もしくもある。
★ 初めの方で「あなたに何かあったら、私がヘリを操縦しなければならないから、操縦法を教えて」ってStephenに言うでしょ。この時点で、きっと生き残るのは彼女とPeterだけだなと思いましたね。
◆ 私はてっきりPeterは最後で死ぬと思ったよ。“Night”はどっちも主人公の黒人男性が最後で死ぬ話だったから。
● しかし、Romeroという人は、なんでいつも黒人男性と女を主人公にするんだろ?
▲ そういや不思議だけど、この黒人がなんとも苦み走った重みと風格があっていいんだな。
● 重すぎてこわいんだって。
★ Rogerは(比較的)軽いやつ。そういうやつが最初に死ぬのも哀れ。
▲ ちょっとした油断が命取りになる緊迫した状況ってのがよくわかるじゃないか。
● Stephenはわがままな甘ちゃんに見えたので、私はてっきりこいつが仲間の足を引っぱる役だと思ってたの。
◆ 実際そうだったじゃない。暴走族が攻めてきたとき、彼が勝手なふるまいしなければ、なんとかなったかもしれないのに。
▲ けなげにがんばってたんだけど、やっぱり最後でボロを出したな。
◆ 役者は? 全員無名の役者だけど。
● みんな顔がこわい。Peterはモアイ面だし、Stephenは狼男面だし、Franは目が飛び出てるし。ゾンビメイクなしでもこわかった。
▲ 特に演技がどうこうってのは感じなかったな。私はなにしろ感情移入しきって、なりきって見ているもんで。

★ あとね、ゾンビ映画ってお笑いのパロディになりやすいじゃない。でも、そういうユーモアの要素ってRomeroにもちゃんとあるのね。
● だってゾンビそのものがお笑いだし。あのゾンビ歩きにゾンビ顔!
★ 動き出したエスカレーターに乗って、おたおたするのがおかしい。
◆ さっきも言ったようにショッピング・モールに来るゾンビ自体がおかしいよ。ゾンビがあのふざけた間抜けなBGMに乗ってヨタヨタと行進するところとか。
● あの音楽は変だ! まぬけだ。
★ でもあれ、オリジナル・スコアなのよ。Goblinがやってる。
● Goblinってなんだっけ? 聞いた覚えがあるが。
◆ イタリアのヘボいプログレ・バンドじゃなかった? でも画面や内容と合わない、妙に脳天気な音楽なところがかえって不気味。
▲ 暴走族のひとりが、ふざけて血圧計に腕をつっこんでる最中に食われちゃうの。それで腕だけ残るんだけど、そこで機械がピッと鳴って、血圧ゼロですとか。
◆ 不気味さとユーモアが表裏一体なんだよな。これもなかなかできるワザではない。
▲ しかし、Romeroのゾンビを一言でいえば、このやるせない無常観、「もののあはれ」だな。ゾンビみたいなバカバカしい、荒唐無稽なクリーチャーを主役にして、そういうしみじみとした情感を醸し出すってのは並大抵のワザじゃないよ。
★ あと、サスペンスもすごい。とにかく私はホラーやスリラーを腐るほどたくさん見ているから、普通の人がこわがるような場面でも、ご飯食べながらせせら笑って見られるという特技の持ち主なんだけど、これは2時間を超える長尺ものなのに、片時も目が離せない。胃がひきつるようなサスペンスがその間ずっと持続して。

◆ これは絶対夢見ると思ったけど、やっぱり見たね。
▲ うん。この映画を見た夜は、寝てから起きるまで夢の中をゾンビが徘徊していた。
● でも、こわいって感じはまったくないのよね。
★ だって▲はゲロゲロのスプラッタ夢もニタニタ楽しんで見ているようなやつだもん。
▲ だから私にとっての夢は映画のようなもの、っていうか、映画が夢のようなものなんだな。これなんて夢の材料としては最適。まだまだ楽しめそう。
◆ これは“Day Of The Dead”も探して見なくちゃね。
▲ うん。それよりRomeroって新作つくってないんだろうか? “Night”のリメイクのあと聞かないよね。
★ これまたホラー監督にはめずらしく、おそろしく寡作な人ですね。この三部作の完成までだって、17年もかかってる。ホラーといえば粗製濫造が当たり前なのに。
▲ これだけの密度の濃い映画撮ってればねえ。これだって2時間以上ある大作で、これもホラーとしては異色。
★ これは完全版って書いてあるから、よくあるディレクターズ・カットなんじゃない?
● 本編終了後に、これまでのすべてのRomero映画のオリジナル予告篇が入っているのも、マニア泣かせだ。こういうのってレンタル・ビデオにはめったにない。
▲ それでは最後に、Romeroには敬意を込めて「キング・オブ・ホラー」の称号を捧げよう。
★ それってCronenbergに捧げた称号じゃなかったっけ?
● 今でこそえらい人になっちゃったみたいだけど、Cronenbergの初期のホラーなんてハチャメチャもいいところだったわよ。そこがおもしろいと思って好きになったんだけど。なのにRomeroは60年代という早い時期にあれだけすぐれたホラーを撮ってるからね。
◆ Cronenbergには「世界一すてきな変態監督」の称号を捧げよう。
▲ それだけの人みたいに言わないでほしいんだけど。

DAY OF THE DEAD (1985)  directed by George A Romero (邦題『死霊のえじき』)

(私の日記からの採録)

▲ というわけで、さっそく“Day Of The Dead”も借りてきました。
★ いったい何本映画見てるの?!
▲ 1日3本くらいだよ。
◆ それでよくこんなリビュー書いてる時間あるわね。
▲ 寝てないもん。しかしRomeroは人気あるという証拠に、am/pmなんてほんとにわずかな本数しか置いてないのに、Romeroの三部作は全部そろってた。ダビングしたくてビデオデッキも買ってきちゃった。
● お、おまえ〜!
▲ だって古いダビング用のVHSはトラッキングにガタがきていて、前に借りた“Dawn Of The Dead”はダビングできなかったんだもん。テープが古くて傷んでると、そういうことよくあるんだよね。何度か巻き込んだこともあるし、レンタル・ビデオには危なくて使えない。
● それにしたっておまえ、それだったらパッケージ・ビデオ買った方が安いよ。
▲ いいのよ、どうせ買い換え時だったから。それに金出して買うんならテープなんかほしくないしさ。LDだってこの手のカルトはその種の店に行けば必ずあるんだけど、3万円とかのべらぼうな値がついてるしさ。だったら3万出してデッキ買った方がいいやと。
★ むちゃくちゃな理屈。
◆ まあ、いいから見よう。

(見終わって)
▲ あー! やっぱり良かった(泣く)。Romeroは天才だ! 泣けるホラーなんてまずないのに!
◆ えーと、どこから行きましょうかね。まず、“Night”と“Dawn”は基本的筋立てはいっしょ(少数の孤立した人々がゾンビと戦う)だったんだけど、この“Day”では大胆な変化を導入してるわね。
★ それより先に、これはちゃんと“Dawn”の続きになってるってことを言わなくちゃ。
◆ そう。“Dawn”同様、登場人物は別なんだけど、時間的にはあの後の話なのね。ゾンビ軍団の大増殖の前には、生きた人間はなすすべもなく、もはや世界に生き残った人間はゾンビの40万分の1になっているという世界。
● そういうのはもう種としては絶滅したっていうんだよ。
▲ 人類滅亡後の世界‥‥そうか、RomeroはSFだったんだ!
★ 科学的ではまったくないですけどね。
▲ でもスピリットはSFだ。
◆ そういう世界で生き残る人間はろくなやつがいないと、さっき▲も言ってたが、ここに生き残っているのは、どうやら政府のために働いていたらしい、軍人と科学者たち。
★ これも最初いやだなあと思ったの。これまでは市井の一個人が力を尽くして戦う話だったのに、そういう組織みたいなのがからんでくるといやだなと思って。
● それにヒロインはともかく、男たちはきったないひげ面の、南米の傭兵みたいなやつばっかりだし、これじゃ感情移入のしようがないと思って。
▲ でも、とっくに政府なんか瓦解しているし、もう組織とすら言えない数になってるじゃない。それでもやっぱり軍人は威張ってるけど。
◆ 彼らは地下シェルターに立てこもって、他に生き残りはいないかと探しているのだが、ヘリが1台とポンコツの無線が1台しかなくて、どうやらその探せる範囲での生き残りは彼らだけらしい。
● しかもその人数も日一日と減っていく。
▲ というわけで、もはやゾンビと戦おうにも手も足も出ない状態なんで、なんとここでは人間の敵は同じ人間になるのだ。ここでまた最初のテーマに戻ってくるわけ。というのも、この軍部の司令官のRhodesって男が、ゾンビの方がまだましと思えるくらいの、血も涙もない残虐で冷血で鬼畜なやつで。
◆ お決まりの軍人と科学者の対立ってやつね。

見るからにキ○ガイ博士


★ しかし軍人がいらだつのもわかるっていう気がするのは、科学者チームのリーダーの博士ってのが、完全なマッド・サイエンティストで(笑)。
● なにしろ、ゾンビを飼い慣らして手なずけようっていうんだから。
▲ いやー、科学者が出てきたときは、もしかしてこいつらがゾンビを根絶やしにする秘密兵器でも開発するのかなと思って、いやーな気分になったんだけど。
★ それならまだわかるよ。しかしゾンビを人間らしくさせて、仲良く共存しようってのは‥‥狂ってる(笑)。
● 仲間が毎日バリバリ食われてるのに、お友達になりましょうって言ったって、そりゃ怒るわな。
★ 「ミミズだってオケラだって、生きているんだ友達なんだ」って言うけれど、ゾンビは生きてすらいないし(笑)。
◆ さすがRomero。マッド・サイエンティストを出すなら出すで、狂い方がハンパじゃない。
★ この人の研究室がまたすごいよね。
▲ うむ。マッド・サイエンティストではHerbert Westくんにかなう者はいるまいと思ってたが、この人もけっこうタメを張る。彼は兵隊に生け捕りにさせたゾンビを使って人体(死体?)実験をやっているのだが、脳髄と手足だけになってるやつはいるわ、頭だけで生きているやつはいるわ、腹を割かれてはらわたさらけ出してるやつはいるわ、それが起き上がろうとすると、はらわたが全部こぼれ落ちるわで。
★ というわけで、“Dawn”でも見られたが、ここもスプラッタ満開。もちろんSFXはTom Savini。でも、そのSaviniが監督した“Night”のリメイクでは、スプラッタ描写はほとんどなかったよね。なんでだろ?
● だってこればっかりじゃ、ほんとにHerbert Westになっちゃう、つまりお笑いになっちゃうっていうんで、自粛したんじゃない?
▲ それは後続の作品がやりすぎたせいよ。でもRomeroのスプラッタはお笑いなんかじゃないよ。私がすごいと言って感心した“Re-Animator”や“Return Of The Living Dead”や“Braindead”のスプラッタ・メイク――首だけ人間とか、胴体がふたつにちぎれたり、内臓がすぽっと抜け落ちたり、口のところで切断された上半分の頭が生きてキョロキョロしてたり――っての、すべてここで出てきてるんじゃない。あとのはみんなまねっこ。無知でした、すみません。
● だから、この博士も悪い奴なんだろうと思ったの。ところがいい人なんだよね。
◆ いいっていうよか‥‥狂ってるだけで悪意はないというだけでしょ。
▲ しかし、ここでFrankensteinテーマが出てくるとは思わなかったな。
★ あ、先にネタばらししちゃっていいの?
▲ だってこれが今回のキモだもん。
◆ この博士、本名は聞き取れなかったんだけど、軍人たちはDr Frankensteinと呼んでるんだよね。

天才ゾンビBubくん


▲ というわけで、彼はゾンビを教育しようとしているのだが、いちばんの優等生はBubと名付けられたゾンビ。博士の熱意に応えて、彼は人間だったころのことを少しずつ思い出し始めているらしい。
★ ひげ剃りを与えると、顔に当ててみるし、電話を持たせて「ハローって言ってごらん」と言われると、ゾンビ声で「は・ろ・ー」と言うところなんかかわいいの。
● Romeroのゾンビは変に人間くさくてかわいい、ってのは前から思ってたけど、このBubくんは、そういうかわいいゾンビの極致ですな。
◆ それにちゃんとFrankenstein's Monsterと呼応するものもある。つまり、恐ろしげな外見にも関わらず、優しい心を持っているという。
▲ (むつかしい顔をして考えている)‥‥ゾンビの動きってのは身障者から思いついたものだろうね。
◆ やめやめ! また、なんか危ないこと言おうとしているな。
▲ だってあの足を引きずって体が傾いだギクシャクした歩き方とか、絶えずゆがんでひきつってる顔とか、身障者そのものじゃない。ゾンビの恐ろしさとか哀れさって、私たちが身障者を見て感じるものと同じなんだな。
◆ 言ってるそばからー!
▲ 私はFrankensteinっていうより、むしろHelen KellerとSullivan先生を思い浮かべてしまったよ。「ウォーターって言ってごらん」「ウ、ウォ・ー・タ・ー」なんちゃって。
● またそういう罰当たりなことを‥‥
▲ いや、だからゾンビのいじらしさって、身障者のいじらしさに似ていると思って。この感動は歩けない人が歩いたとか、そういうのに近いんだよ。ゾンビといえば、知性や感情はまったくない、動物以下の存在というのがお約束だったからね。Bubくんはゾンビ界のHelen Kellerなのだ。
★ 自分で作った決まり事を自分で破るってのはかなり危険なんですがね。特にこういうシリーズものの場合。
● いや、いつかはこれが出ると思ってたよ。やっぱりRomeroはゾンビを愛しすぎてるもん。
◆ この博士も愛してるもんね。ゾンビに向かって自分のこと「ママ」って言うんだよ(爆笑)。
▲ ゾンビは彼の子供なんだな。
★ そのくせ、その脇では平気で他のゾンビを切り刻んだり、言うことをきかないと言って殺しちゃったりする。
◆ ほんと。このままだとBubが博士を殺して、ほんとに“Frankenstein”になっちゃうのかと思ったぞ。
★ ところが、Bubの方も博士を愛してる。かどうかは知らないけど、「ランチだと思わない」だけでもえらいじゃない。つまり博士が近寄ったりさわったりしても、かじろうとしないの。
▲ いや、ほんとに愛してるんだよ。それがわかるのは、Rhodesに殺された博士の死体を見つけたとき、咆哮して悲しむの。これがまた泣かせるんだ。「ゾンビの目にも涙」
★ 死んだ軍人の死体をBubに与えて「餌付け」をしてたのがバレて殺されちゃうんですがね。これはRhodesばかりを責められない。言ってみりゃ自業自得なんですが。
● でもRhodesのことは最初会ったときから嫌いだったみたいね。
▲ このBubくんは元兵隊だったらしいのだが、ラスト近く、Rhodesを射殺してちゃんと博士の復讐は果たすのだ。
◆ そして敬礼して見せるのがおかしい。皮肉まで知ってる!

▲ 話を戻すけど、ここで科学者を出したのはちょっとやぶ蛇だったな。そうなると当然、ゾンビについての「科学的」理由付けを出さなきゃならないし、そうするとアラがボロボロ出ちゃうでしょ。
◆ 私がいちばん不思議だったのは、なんでゾンビは人間を食うのかってこと。ここでも言ってるけど、「胃もないし、消化もできない」のに、なんで食う必要があるのかってことよね。別に食わなくたって死なないんだし。
★ ここでも結論は出してないね。
● だから“Return Of The Living Dead”では「痛みをやわらげるため」っていう理屈を考え出さなくちゃならなかったんだな。
▲ あれはけっこう賢かった。「死んでいるのは痛い」ってのはちょっとすごい発想だと思ったよ。あと、脳を破壊しないと死なないってことは、脳さえあれば生きていけるってことでしょ。ここでは「脳の中枢は最後まで腐らない」と言ってるけど、それ嘘だよ。○○(当時の私のボーイフレンド。医学生)から聞いたんだけど、死後数時間で脳なんかドロドロに溶けちゃうんだって。
◆ 確かにあれはほとんど水分だからねえ。腐るのも早いでしょうね。
● そもそもゾンビが死ぬのって変じゃない? もう死んでるんだから。ここでは「ゾンビの寿命」とかいう話も出てきて、頭がクラクラした。
★ 確かゾンビは屍肉は食わないって設定だったのに、Bubくんは死体の肉食ってたぞ。
▲ 確かに、屍肉でいいんなら共食いした方が手っ取り早いことになってしまう。
● 彼は「文明化した」ゾンビだからじゃないか?
◆ しょうがないよ。ゾンビなんてもともと荒唐無稽なものなんだから、科学的に解説しようというのは無理だ。
▲ 逆にこれは正しいと思ったのは、ゾンビが人のはらわたを引きずり出して食べるところね。野生動物もまず獲物のはらわたから食うから。これをスプラッタというけれど、たまたま食われてるのが人間だからそう見えるだけで、自然界じゃあたりまえのことでしょ。ライオンがシマウマ食ってるところを見てスプラッタっていうか? ゾンビが勝利した後の饗宴のようすなんて、恐ろしげに描かれているけど、狩りの後のライオンの群と変わらないじゃない。
★ あと、Miguel(後述)が腕を噛まれたとき、ヒロインはその腕をナイフでぶった切って、焼いて消毒するでしょ。これで感染は防げるって。そうやって細菌みたいに感染するものだったの?
● そういう手があるならRogerは死なないでもすんだのに。
▲ これについては彼らも「助かるかどうかわからない」と言ってるし、その結果はわからずじまい。

まったく不釣り合いな恋人たち
SarahとMiguel


◆ つい話がゾンビに偏ったが、ここらでキャラクターについても。
▲ ヒロインのSarahは科学者チームのひとり。彼女は博士のようなマッド・サイエンティストじゃなくて、ゾンビの正体についてまじめな理論研究をしている。
★ 結局実らないけどね。
◆ 荒くれ男の中に若い女がひとり、ということで、これはかなり危険な立場と思ったんだけど、案の定、軍人たちにはさんざんセクハラされてますね。Rhodesには憎まれてるし。
● だけど彼女はセクハラにも銃の脅しにもめげず、堂々と正論を主張し、男たちが死ぬほど恐れるゾンビにも果敢に立ち向かっていく、というRomeroのヒロインにふさわしい女丈夫。
◆ 男たちの中で最初に出てくるのは、兵隊のひとりでMiguelっていうヒスパニックなんだけど、あれが彼女の恋人ってほんと?
★ よくわからない。単なる冷やかしかと思ったけど、彼女は彼を必死でかばうところを見ると、やっぱりそうなのかとも思うし。
● なんであんなチンケないくじなしの男!
▲ というわけで、Miguelは死の恐怖からすっかり精神に破綻を来たし、仲間の足を引っ張ることになる。
◆ これもラストに関わるんだけど、自分の失策からゾンビに噛まれたMiguelは、こっそりシェルターを抜け出して、我が身をゾンビに与え、ついでに柵をこわしてゾンビをシェルターに入れちゃうよね。あれなんで? 自殺するのは勝手だけど、仲間を道連れにすることないじゃない。
▲ だから恐怖のあまり気が狂ってしまったんだってば。そういう奴だって当然いるでしょうが。精神的に弱いやつには。
★ 狂人の論理と思えばわかるけどな。みんなゾンビになってしまえば、もうこわいこともなくなるし。

まったくヒーローらしくないヒーロー
JohnとBilly


◆ Rhodesと博士の話はしたよね。他の兵隊たちは食われ役。科学者たちはかなり理性的なんだけど、怒り狂ったRhodesに皆殺しにされる。
▲ ただしここには兵隊でも科学者でもない、ってことは民間人らしい男が2人いて、それがヘリの操縦士のJohnと、無線技師のBilly。この2人は他の連中とは離れたところに住んでいて、命令には抵抗しないけど、深入りもしないという自立を保っている。ちょっと謎めいた人物なんだけど、実はSarah以外では唯二の正気な人間なんだよね。
★ 非常にシニカルだけどね。これもRomeroのヒーローらしい。
● 軍人が住んでいるのは兵舎だし、科学者が住んでいるのはいかにもそれっぽい白い冷たい感じの研究所だけど、彼らの「家」っていうのは中に入ると暖かい家庭的な雰囲気で、別天地みたいなんだよね。
▲ どうやら彼らがこういう贅沢を許されているのは、ヘリと無線という、他の人間にはない技術を持っているかららしい。
◆ しかし、なんで必ず主人公は女と黒人なの? Johnは黒人。それもあのひどい訛りからすると、ジャマイカかどっかの。Billyはヒスパニックだし。
★ 政治的配慮ってやつ?
▲ それはないと思うな。ゾンビ映画で政治に配慮したってしょうがないし。しかし、Romeroの映画を見ていると、白人のアメリカ人男性は絶対信用しちゃいけないってのがよくわかるでしょうが(笑)。アメリカで理性があるのは女と黒人だけなんだよ。
● これもむちゃくちゃな発言だが、この人の映画を見ていると、なんか道理のような気がしてくるから不思議。
▲ それでSarahは彼らと仲良くなるんだけど、それも束の間、Miguelを助けようとしたために、3人は捕まって窮地に陥る。
◆ Rhodesはとうとうこのシェルターに見切りをつけ、部下だけを連れてヘリで逃げようという魂胆らしい。そこで彼はSarahとBillyをゾンビの群の中に放り出し、残りの科学者を皆殺しにして、Johnにヘリを動かせと命ずる。
★ そのどさくさまぎれに、Miguelがゾンビを中に入れちゃうのよね。
▲ もちろんBillyは断固拒否し、隙を見てRhodesを殴り倒して銃を奪う。ここで気を失っているRhodesを殺そうとして逡巡するでしょう。ここがいいのよね。こんな男とっくに殺されていて当然なんだけど、Rhodesが殺した死体を見て思いとどまるの。こいつと同じことをしたら、自分も同類になってしまうというわけで。
◆ だってそれはBubにRhodesを殺させるためには、ストーリー上やむをえないでしょ。
▲ それはわかってるけどさ、それでもここが人間としての尊厳の分かれ目なんじゃないさ。
● それでゾンビが軍隊を虐殺している間、3人は抜け道を通って地上へ逃げ、ヘリに飛び込む。
★ ところがSarahが乗り込んだとたん、中からうわっとゾンビが! まさか!と思ったね。こんなひどいエンディングはないと思って。
◆ ところがこれはSarahの見ている悪夢でした。
▲ 夢ってのはずるいと思うかもしれないけど、最初もSarahの悪夢から始まって、ちゃんと伏線は敷いてあるのだ。
● それで現実はどうなっているかというと、彼ら3人はどこかうららかな南の海の無人島にたどり着いて、そこで平和な暮らしをしているんだよね。そして彼らが新しい人類の種になることを示唆して映画は終わる。これはほんとのハッピーエンディングでしょ?
▲ うん。
★ これもまさか!って感じ。
◆ 「夜」「夜明け」「昼」と、だんだん明るくなってくるからおもしろいね。
● でもこれはないんじゃない? あまりにご都合主義っていうか。
★ 確かにこれまでの話があまりにも救いがなく暗い話だったから。こんなうまい話があっていいのか、これこそ夢じゃないのか?!って感じで。
▲ 夢かもしれない。夢だっていいじゃない。とにかくこのシリーズをこういう結末で終わらせた。それだけで私はもう涙が止まらなくなっちゃって。
★ ちょっと思ったのは、この島にPeterとFranも来ていたらいいなって‥‥
▲ 彼らは同じ人間なんだよ。それを言ったら、“Night”のBarbaraとBenもそうだ。
◆ Benは死んだのに。
▲ でもJohnは彼の分身なんだって。この繰り返しは意図的なもので、彼らの苦しみも最後まで来てやっと報われたんだよ。
◆ 私はBillyは絶対どこかで死ぬと思ってたんだけどな。これまでがそうだったから。
★ でも最後は大盤振る舞いで、3人とも生かしてしまった。
● しかし、本土のゾンビさんたちの方はどうなってるんだろ?
▲ 初の知性あるゾンビBubに率いられて、ゾンビ文明を興すってのはどう?
◆ まさか!
★ でもありえないことではないでしょ。彼は言葉もしゃべれるし、道具も使えるし、そうなれば人間と変わりないんだから。死んで腐ってるってことを除けば(笑)。
▲ そう想像したくなるほどオプティミスティックな気分にさせてくれるエンディングだったってことだ。
◆ ▲にはめずらしい結論だったが、人を幸せな気分にさせてくれるゾンビ映画ってのも他にないな。

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