世間は桜だなんだと浮かれてますが、私は絶不調です。だいたい桜の季節はいちばん調子が悪いので、いつものことだけど。理由は花粉症で鼻がズルズル流れっぱなしというのもあるけど(汚くてすみません)、だいたいにおいて、もうすぐ新学期だからである。
私は異常に長い学生生活を送って、その後も一度も大学と縁が切れないのだが、その間、学校というものに楽しい思い出は何ひとつなく、あー、また学校が始まると思うだけで気が滅入る。そんな人間が、たまたま勉強ができたというだけで、一生学校に縛り付けられているというのも因果な話だ。店さえ成功すれば足を洗えると思っていたのに、それも無理な話みたいだし。
というわけで、とりとめもない話を垂れ流す。
『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』を見るまで、パンク時代なんて遠い過去の出来事と思って忘れていたが、頭は忘れても体は覚えてるんですねえ。今日も中古レコード屋で、CDをあさっていたところ、たまたまかかっていたライブDVDで、「なんとかかんとかfrom
London, The Clash!」という口上を耳にしたとたん、ぜんぜん見ても聞いてもいなかったのに、The
Clashというところで、体が「びくん!」となって、ちょうど不意を突かれて驚いた猫がするように、ピョンと跳び上がって空中で180度回転し、テレビの方を向いてパッと着地したのは我ながら照れくさかった。(Clashがいちばん好きだったのである)
これがMansunとかMary Chainが流れてきても、「お?」とは思うが、飛び上がりはしないよな。ほんとに純然たる反射運動。
もっと恥ずかしかったのは、これをしっかり見られていたこと。誰かに見られてたらいけないので、わざとそれからテレビの方は見ないようにしていたんだけど、レジに行ったら店長がニコニコしながら、「クラッシュのDVDもいかがですか?」とか訊くじゃん! 「いや、これはLDで持ってるんで‥‥」とか、しどもど言い訳して逃げてきたけど。
恥ずかしいのはべつにClashが好きなことではなくて、白髪のおばさんがClashファンだとバレたことだが、べつに驚いた顔もしてなかったところを見ると、買っていくのは私の世代が主なんだろう。はい、我々、パンク第一世代です。でも理屈じゃわかってるのに、(自分以外の)白髪のおばさんや腹の出たおっさんがパンク・ファンと知ると驚いちゃうんだよね。初めに書いたことと矛盾するようだが、私にとってはついきのうのことなので。
で、いろいろたいしたことないものを買ってきたが、(最近じゃ、まずレア・アイテムなんて見つからないんですよ)、自分用に買ってきたのは、パンクとはおよそ縁遠いREM。
はい、もはや私が唯一聴くアメリカン・バンドになってしまったREMですが、大好きなんです。それにREMの限定アルバムは集めている。ほんとにレアなやつは持ってないけどね。In
Timeのボックスなんか、今見たら100ポンドもしてるし。
毎回趣向を凝らした限定盤で楽しませてくれるREMだが、今回はDVD付き。それはいいけど、箱が普通のDVDケースなのがつまんないな。それでもカバーが透明フィルムにイラストを印刷したもので、やっぱり凝ってるけど。
すてきなアートワークの豪華ブックレットが付くのもいつも通り。しかし、このブックレット、綴じ糸がボロボロはみ出してて、今にもバラバラになりそうだぞ。しかし、表紙に‘This
book will fall apart’と書いてあるから、これが仕様なのかも(笑)。
しかし、CDをかけてびっくりしたのは、「パンクじゃん!」。4年ぶりの新作なのだが、前作“Around
The Sun”までの渋地味路線から一転して、やけに元気で威勢がいい! 教訓――腹が出てようがハゲだろうが、おっさんをバカにしてはいけない。これはこれでかっこいいが、個人的にはやっぱりREMはしみじみ路線のほうがいいと思うけど。
あー、しかし不調だなあ。書きたいことはいろいろあるんですけどね。特に書評! 読むだけは大量に読んでるし、その中には忘れがたい本もあるので、ぜひ書きたいと思うんだけど。読んでる最中はいっぱい考えるんだけど、読み終わるとぜんぶ忘れてるし(笑)。それに書評となるとまた読み返したりノート取ったりしなきゃならなくて、めんどくさくてなかなか手がつかない。
でもそんな論文みたいなの、読者も読みたくないだろうし、一言で書けるといいんですがね。そういう一口書評、できたら近いうちに挑戦してみようと思う。
そう言えば、昨日はエイプリルフールなのを忘れていた。どっちみち私は嘘が下手なのでだめだろうけど(笑)。
でも海外メディアのエイプリルフールはすごくよくできているので、毎年楽しみにしている。中でもベストはこれですね。まあ、何も言わずとご覧下さい。
◆ナレーション◆
「最近発見されたこのペンギンたちは他のどのペンギンとも違っています。彼らは冬の寒さに耐えるため、お互いに体を寄せ合う必要はありません。なぜなら、このおちびさんたちは他のどんなペンギンにもできないことができるからです」
(ペンギン飛び立つ)「驚くべきことです!」
「このたぐいまれな能力を使って、彼らは南極の冬の寒さを逃れ、熱帯の日差しの下で日光浴をするため、はるか何千マイルも離れた南米のジャングルまで飛んでいくのです」
さすが、BBCはいちばん得意の動物もので来たね。個人的にはナレーターが元モンティ・パイソンのテリー・ジョーンズってあたりもポイント高い。
飛んでいるところはさすがにCGとわかるけど(でも多くのシーンは海中を「飛翔する」ペンギンの合成だと思う)、近距離でとらえた映像は「いったいどうやって撮ったんだろう?」と思わせる。思えば、前に紹介した『動物オリンピック』はすべてこの手法で作られていた。
とにかく私はペンギンきちがいなのでうれしかったが、嘘だとわかっていてもなんか感動してしまう。ペンギンが熱帯のジャングルにたどり着いた場面ではついうるうるしてしまったりして。
しかし鳥が空を飛ぶのは当たりまえのことのように思ってたけど、やっぱりすごいことなんだなあとあたらめて思った。
おまけ
ネットじゃこれを本物と信じた日本人がたくさんいたらしいのも笑える。少しでもペンギンを知っている人なら嘘だってことはすぐにわかるのにね。つまり、たとえ空飛ぶペンギンが実在したとしても、ジャングルに飛んでいくってところですぐに嘘がばれるのだ。
ペンギンが南極で繁栄しているのは、
1.陸上性の肉食動物がいないので、陸上ではよたよたしたペンギンも食われる心配がない。
2.冷たい海はプランクトンが多く、エサの魚が豊富。
だからであって、弱肉強食のジャングルでペンギンが生きのびる方法はないし、食べ物がなくて、あっというまに全滅してしまうから。
メーリングリストに登録してくれた、「ごく少数の」愛読者の皆さん、こんにちは。そうでない人もこんにちは。
日記の間があいたのは、当然ながら大学が始まって腐ってるからです。そこで今日も腐った話題です。楽しい話もあるんだけど、今はあまり書く気になれないので、また今度ね。
携帯嫌いって人は私の仲間にはけっこういて、持っててもほとんど使わないって人もいるけど、私みたいな理由の人はあんまりいないみたい。これまでも電話恐怖症ということは書いてきたけど、くわしく説明したことなかったと思うので、ほんの一興に。
と言っても、恐怖症ほど、そうでない人には理解困難なものはない。説明されたって、もともとが理不尽なものだから、ますますわけがわからない。それを承知で書いてみる。
私の電話恐怖症は子供時代からで、よく小さい子供なんかが、電話がかかってくると喜んで取りたがる、あの心理がわからない。
まず何がこわいかというと電話をかけるのがこわい。取るのもこわいが、かける方が自分から行動を起こさなくてはならないぶん、よりこわい。
ダイヤル式の時代、まず、ダイヤルを回すスピード、指をダイヤルの穴から抜くタイミングがどうしてもわからず、かけ間違うのではないかと不安になるあまり、必ずかけ間違う。ただでさえこわい電話なのに、間違い電話で知らない人が出て、不愉快な様子だったりすると、さらに恐怖が増大し、その恐怖からまたかけ間違う。
間違わないように、番号メモとダイヤルを穴のあくほどにらんで慎重にまわすのだが、緊張でガチガチに硬直し、指が震えるから、また失敗する。
プッシュフォンになったとき、この恐怖からやっと開放されると思ってほっとしたのだが、あいかわらずボタンを押し間違う。やっぱり私は呪われているとしか(笑)。例によって慎重に見ながら押してるのに、絶対に1回で正しく押せることがなく、数回から十数回失敗してから、やっとつながるんだよね。
ちなみに、テンキーなら何百桁の数字でも、まったくキーを見ないで高速で打てる私がである。もしかして見るから間違うのかも。パソコン電話というものが出てきたとき、これならキーボードで打てるからと思って、本気で導入を検討した私である。
さて、運良く正しい番号が打てて相手につながっても、また新しい恐怖が始まる。
話したい相手がすぐに出てくれればいいのだが、他の人、特に面識のない家族とかが出るとパニックになり、夢中でわけのわからない変なことを口走って、またトラウマがたまる。一度でもこれをやってしまうと、確実に変な人だと思われているはずなので、次にかけるときの恐怖も倍増する。
子供のころは親などの大人の人が出るとこわかったが、実は子供が出るのもこわい。子供は日本語がうまく通じないので、向こうはわけのわからないことを言うし、こっちもわけのわからない返答を返し、よけい話が混乱するからである(笑)。
断っておくが、私はしゃべりが商売なので、(その気になれば)ペラペラと口がまわる人間だし、べつに対人恐怖症とかでもない。面と向かってなら、どんな人とでも平気で話せるのだが、電話の相手だけは別なのだ。
そうやって四苦八苦のすえ、やっと相手が出てもまだ恐怖は終わらない。つまり、「この人は私の友達(or
仕事相手 or 家族)だと名乗り、話しぶりも声もそんな感じだけど、本当に本人なんだろうか?」という疑心暗鬼に駆られるのである。何時間しゃべってもまだ疑っている。こういう人は絶対に「振り込め詐欺」には引っかからない(笑)。
なにしろ相手の顔が見えないのに、声だけするというのはこわい。表情が読めないから、相手が怒っているのか喜んでいるのかもわからない。そんなの口調でわかると思うかもしれないが、口ぶりは「あらー、ひさしぶり! 元気ー?」と楽しそうで友好的でも、内心は「こんのクソ野郎! 生意気に電話なんかしてきやがって、さっさと切れ!」と思っているかもしれないではないか。別に私の友達(or
仕事相手 or 家族)がそこまで人が悪いという意味ではない。勝手な妄想だけが暴走しているのである。
これにくらべると、かかってきた電話を取る方は、まだしも相手が私を私と知って、用があってかけてきているから楽である。ところがここにも落とし穴があって、間違い電話というやつである。
知らない人と電話でしゃべるだけでも苦痛なのに、てっきり知り合いだと思って親しげに挨拶したあとで間違いとわかったときの気まずさは、相手に非があるにもかかわらずひどいもので、どっと屈辱と罪悪感に見舞われる。
セールス電話も同じ。何が頭に来ると言って、セールスの電話ほどひどい拷問はない。まったくなんの権利があって、見ず知らずの他人を苦しめるのか。一度でもセールス電話をかけてきた業者からは絶対に一生何も買わない。
しかも輪をかけて頭に来るのは、最近かかってくるセールスは電話業者のものが圧倒多数ということ。だ、だ、だ、誰が電話なんかのために金出すか!!!
しかし、「かかってきた電話」の最大の恐怖は呼び出し音である。ダイヤル電話のあの「ジリリリリン!」という音は、それだけでも飛び上がるほどこわかった。
プッシュ式になって、呼び出し音もソフトになり、音を変えられるようになっても、実質は変わらない。私は独り者なので、家の中はたいてい(ステレオの轟音を除けば)静かである。そのシーンとしたところにいきなり鳴り出す呼び出し音は、まさに地獄からの呼び声にしか聞こえない。なぜか同じような音でも玄関チャイムとかはなんともない(笑)。
そうやって取った電話がセールスマンでも間違いでもなく、確かに知り合いだとわかったあとも、恐怖は終わらない。またあの、「本当に本人かしら?」と猜疑心が頭をもたげるからである。
最近は店にかかってくる電話も困る。私は原則として注文や問い合わせはメールでしか受け付けないのだが(間違いがないし、記録も残るので合理的だし)、それでもかけてくる人がいるんですよね。通信販売法で、電話番号の記載は義務づけられているので、載せないわけにいかないし。
それでつい、しどろもどろの応対をしてしまい、おかげでお客を失っているのではないかと心配。だいたい、私は自宅で商売をしているので、お客さんとしては店にかけたつもりなのに、いきなり「はい、鈴木です」と言われたら、かなり引くはずだ。だからといって、「Strangelove
Recordsです」と言うのも、大学関係の電話だったら、まずいってことはないが、相手はびっくりしちゃうし。もちろんのこと、店用にもう1本電話引く気はさらさらないし。
それでも日本人ならまだいい! 最大の恐怖は国際電話! それを避けるために、わざと英語ページには電話番号を載せていないのに、なぜかかけてくる外人がいるんだ。
母国語ですらしどろもどろの応対が、英語だともうボロボロ。私、いちおうこれが商売ですし、べつに外人恐怖症も英語恐怖症もないけど、不意打ちの国際電話は別! おかげで、電話の客には「英語ぜんぜんできないやつ」という印象を与えているに違いない。あーん! 「いや、私の話が変なのは、べつに英語ができないためではなく、電話恐怖症のせいなんです」なんて弁解をするわけにもいかず、ひたすら自己嫌悪にかられ、あせるばかりでますます舌がもつれる。
それに経験ある人はわかると思うけど、電話の英語ってすごい聞き取りにくいんだよね。これも口が見えないせいだと思うけど。それで何度も何度も聞き返すはめになり、ますます悪い印象を与えてしまい、相手は「もういいわ」という感じで切ってしまう。うう‥‥
そんなわけで、私は用がなければ電話をかけないし、用があっても忘れたふりをしてかけないことが多い。線を抜いておくというのも何度もやったが、何時間かたつと、すさまじい警告音が鳴るのでだめだった。
せめてもの抵抗として、電話は埋めてしまって、外から見えないようにしている。(意識的にやらなくても、物があふれかえっている我が家では、使わないものは自然と埋まってしまう) 子機は充電もしてない。(だから私に電話をかけると、出るまでかなり時間がかかります。電話に出る勇気を奮い起こすのに1分ほど。そのあと、電話を捜すのに数分)
ほんとは電話を持たないのがいちばんだが、さすがに社会人としてそれは無理だし。昔は本気で電話外して電報だけにしようかと思ったこともあったんだけど。いや、ほんと。電話のない友達で、いつも電報って人がいたんですよ(笑)。だけど、考えてみたら、電報打つには電報局に電話しないとならないんだった(笑)。
恋人からの電話なんてのも、心待ちにしている人が多いだろうが、私はまったく逆で、デートのときは、電話の必要がないよう、次のデートの段取りを事細かに打ち合わせしていたぐらいだ。
しかし、これが仕事となるとそうも言ってられず、大学専任時代は本当に悪夢だった。教員というのはやたらと雑用が多く、中でも人に電話をかけまくるのも仕事のひとつだからだ。しかも私用電話とは違い、かけても喜ばれることのない、むしろ迷惑がられるのが確実の電話ばっかり。(主として、高校へのセールスと学生への呼び出し)
あまりにいやなので、受話器を取る勇気が出るまで、電話の前で何時間も呻吟したぐらいだ。しかもそれを自宅から私費でかけなきゃならないいやさと言ったら! 私が専任を辞めた理由のひとつはこれである。それを思うと、セールス電話をかけることを職業にしている人なんて、どうして正気が保てるのか不思議だ。向こうはこれが仕事なんだし、気の毒だから邪険にするのはやめようと思うのだが、セールスの電話を取ると、つい逆上して、あらぬことを口走ってしまう(笑)。
だから、eメールは私には天の福音でした。電話がかけられないために、いったいどれだけの友達や恋人や仕事を失ってきたことか! でもこれさえあれば、なんでもできる!(涙) 神様ありがとう!
よってインターネット以後は、毎日おびただしい数のメールを書く一方、電話は一切しないという生活になった。だいたい私は1日に150通ぐらいのメールを読み、50通ぐらいのメールを書くが、1か月の電話料金なんて(基本料を除くと)30円ぐらいである。
この幸福な日々に終止符を打ったのが携帯電話である。もちろん自分では持たないからかける必要はないが、それでも外にいれば、電話がかかってくる恐怖からは逃れられたのに、それを台無しにしてくれたのが携帯というわけ。
自分にかかってきたわけでなくても、のんきな着メロであろうとも、携帯の着信音が鳴ると、どこにいてもギョッとして飛び上がる。本当に心臓に悪いので、携帯に着信があったら、まず最初に、「これからけったいな着信音が鳴りますので、電話の嫌いな方、心臓の悪い方は覚悟を決めてください」というアナウンスが流れるようにしてほしい。
いや、音がしなくても見ただけでこわい。まして携帯でしゃべっている人なんて、みんな不気味な狂人かなんかにしか見えない。だって、誰もいないのに空中に向かってしゃべったり、笑ったりしてるなんてキチガイみたいじゃない。最近では減ってきたが、電車で携帯使ってる人がいると私は車両を移ったし、レストランやカフェで隣の人が携帯使い始めたら店を出た。
私は決して暴力的な人間ではないが、携帯でしゃべってる人間を見ると、つい、顔面にパンチをたたき込んで、携帯を顔にのめり込ませてやりたくなる。
それに自分が持ってなくても、無理矢理かけさせられることも多い。仕事の打ち合わせなんかしていて、相手が携帯で別の人と連絡をとり、「直接話しますか?」なんて言って、気軽に携帯を手渡されるのだが、それが私にとってどんなにひどい拷問か、想像もつくまい。
でも断るに断れないので、震える手で携帯を受け取り、おそるおそる顔に近づけるのだが、それだけでも、なんかものすごい悪性の病原体に感染するんじゃないかとか、変なところがパカッと開いて、ガバッと牙をむいて食いつかれるんじゃないかとこわい。
だいたい固定電話と違って、受話器も送話器も見えないし、どこを見ながらどこに向かって話せばいいのかわからない。ままよと思って、適当にかけてるようなふりをしながら話し始めるのだが、内心ではこんなんで私の声が相手に伝わるはずがないと思っている。伝わらなければ電話する恐怖から逃れられるし。ところがなぜか伝わっちゃうのだ! いやー!
というような私は最近携帯持ってます(笑)。でもだいじょぶ。契約してないから電話がかかってくる心配も、かける恐怖もないから(笑)。
実は、CDハンティングに出かけるとき、自分の持っていないCDや、店に在庫のないCDや、お客様に頼まれたCDを捜すのがだんだん大変になってきたんだよね。これだけ数が増えると、もう記憶力には頼っていられないし、以前はリストをプリントアウトして持ち歩いてたんだけど、それもあまりに増えて重くて持っていられなくなってしまった。
そこで、「持ち歩けるパームトップみたいなのないかな?」と弟に相談したところ、これを貸してくれたわけ。
さすがに最近の携帯の進化はすごいものがあって、こいつがなかなかすごいやつなんですよ。(電話でさえなければ電気製品好き)
いわゆるスマートフォンというやつで、これひとつで、通常のウェブも見られるし、音楽も聴けるし、ビデオも見れるし、フルキーボードが付いていて、手書き入力も可。簡易版だが、ウィンドウズもワードもエクセルも入っている。さすがにキーボードは小さすぎて指では押せないのでタッチペンを使う。でも、タッチペンというやつはマウスやトラックボールより使いやすいんじゃないかとか思ったりもして。
でもいちばん感心したのはデジカメ機能。うちのデジカメは店の商品の写真を撮るため、当時(2000年ごろ)としては、それなりに高いいいやつを買ったのだが、手ぶれはするし、室内ではどんなに明るくてもフラッシュたかないと写らないし、あっというまに電池なくなるし、まるで役に立たないしろもの。
携帯のカメラなんてバカにしていたが、これがなんと、室内でフラッシュなしでもうちのデジカメより鮮明に写るではないか。手ぶれなんてぜんぜんしないし。
とか言いつつ、持ってるだけでぜんぜん使ってない(笑)。すばらしい多機能も、実はほとんどが電話契約しないと使えないことがわかったのと、うちのパソコンのDVDドライブがぶっ壊れてて、連動ソフトのインストールができないんで。つくづく携帯とは相性が悪いんですね。
なんて話を書く気になったのは、実はスティーヴン・キングの小説『セル』を読んだから。セルというのはセルフォン(携帯電話)のセルで、携帯を使った人が全員ゾンビになってしまう話(笑)。
そう聞いたとき、「よっしゃー!」と思って飛びついたのだが、期待してたようなもんじゃなかったな。ほんとはこっちを主にするはずだったのだが、あまりにつまらないのでやめて、こういう話になったわけ。
まあ、キングじゃしょうがないけど。ああ、すでにご存じとは思いますが、私はスティーヴン・キングが大嫌い。というか、嫌うほどの価値もないと思ってる。ただのへたくそなホラー作家のひとりというだけ。
なら、なんで読むかというと、安い古本がたくさん出るのでひまつぶしになるということと、アラをさがして「バッカでー!」とバカにする楽しみがあるから。
なら、なんでこんなに売れてるのか?という疑問に対しては、ベストセラーのトップになるような本は(CDもだけど)、絶対にものすごくおもしろかったり、ものすごくよく書けてたりしてはいないという「法則」を思い出してほしい。
この小説も、いつものキングらしく、ひまつぶしにはちょうどいいけど、べつにたいしておもしろくもないし、ましてや感動とかそういうものとは無縁の話。
それでも私はゾンビに弱いので(笑)、ゾンビものなら何かしら感じるものがあったはずだが、本当のゾンビじゃないのよね。死んでもいないし、行動がゾンビ的というだけ。それもゾンビ歩きをして人食ったりしてるのは最初のうちだけで、そのうち、なぜか超能力を身に付け、団結して人類総携帯ゾンビ化計画に従事するようになる。それが実現したとして、いったい誰のどういう利益になるのかは、まったく説明されていない。
どうやって?というのは、携帯を通じて何者かが(だから、誰が?)、何かの洗脳プログラムを流したということになっているが、その非科学性を追求したりするのは時間のむだだからやめておく。ところがそのプログラムにワームがまぎれこんでいて(なんでわかるのよ?)、当初の目的(って何なのよ?)からはずれてきてしまったのだそうだ。ちなみにこれはすべて何も知らない一般人である主人公たちが勝手に憶測しているだけで、なんの根拠もない。
キングの小説はだいたいにおいて、発想と導入部はちょっとおもしろい。ところがそれがすぐに中だるみしてダラダラと続き、ラストはヘナヘナの腰砕けになって、最後まで読み終えると本を地面に叩き付けたくなるというもので、だから、キングの本はラストのクライマックスがないほうがおもしろいというのが私の持論だった。実際、中編の『霧』(と言ったと思うんだけど、調べる気力もない。なんかの短編集に入ってた)は、いわゆる「宙ぶらりん型エンディング」ですごくおもしろかったし。
ところが、これもまったく同じタイプの終わり方(謎は何も明かされないし、主人公たちの運命もどうなるかわからないまま)なのに、やっぱりつまんないね。本当になんの説明もないところが不気味だった『霧』とくらべて、変に説明付けようとして、自分でもわけがわからなくなって放棄したという感じで。
それでも少なくとも携帯人種が浅ましいゾンビになるのを読んで溜飲が下がるかと思ったが、それもぜんぜん期待したほどじゃなかった。もちろん生き残った人間はすべて携帯を持っていなかった人たちなんだが、キングの登場人物はモンスター以下の魅力しかなく、「とっとと食われてしまえ」と思いたくなるようなやつばっかりなんで(笑)。
とにかく私は携帯そのものがこわいので、こんな小説ぜんぜんこわくない。現実以下のホラーなんて誰が読みたがるか。
なんか落ちがつかないので、最後に豆知識。同じ携帯と言っても、日本とアメリカでは大きな文化的差がある。それは何か? はい、即答できた人は10点あげる(笑)。
答えは「アメリカ人は携帯を電話として使うが、日本人はメール送信に使う」。
私は前述のようにメールは(好きってわけじゃないが)多用し、電話を忌み嫌う人間だが、その私でも、電車の座席に並んで腰かけた老若男女が、全員携帯を持ってメールを読んだり打ったりしている光景は異様だと思う。私が見ても異様だから、アメリカ人が見たらもっと異様だろう。
アメリカ人に携帯メールなんか打ったら、「電話持ってるなら、メールなんか書いてる暇に電話しろ!」と言われるだろうし、あんなチマチマしたものをポチポチ打つのもすごい苦手なはず。実際、アメリカ人に確かめてもそうだと言われた。同じ機具なのに、使い方にここまで国民性の違いが出るのもめずらしいんじゃないか。
よって、日本人が携帯ホラーを書いたら、これよりずっとこわいと思う。私は絶対読まないけどね(笑)。