2008年1月の日記

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2008年1月2日 水曜日

 皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどぞよろしく。<(_ _)>

 正月は実家へ帰って猫と遊ぶ。
 もっとも正確には、遊んでやるというのが正しい。というのも、うちの猫はすべて元野良猫なので、飼い猫ほどサービスがよくない。よって、こちらがいくら遊んでやっても、ちっとも私とは遊んではくれないのだ。
 何をさせられるかというと、棒の先に付けた紐を振り回し、猫がそれをドタバタ追い回すというのをえんえん3時間。うちにはもっとかわいらしい、ネズミの形をした猫用おもちゃなどもたくさんあるのに、この紐が現在のお気に入りらしい。
 それでこれだけ遊んでやったんだから、少しはこっちの遊び(猫をいじりまわすこと)につき合ってくれてもいいと思うのだが、それは断固拒否。「紐遊びがいい」と言い張るのだ。猫をいじるのは癒されることだが、こんな遊びじゃちっとも(少なくとも人間は)癒されないよー。
 しかし、猫というのは瞬発力がすごいかわりにスタミナはないと思っていたが、3時間駆けずり回っても疲れない、このスタミナはなんなんだ! しまいにはこっちの腕が疲れてしまい、そうでなくても単調なので飽きてしまう。最初のうちこそ、愛らしいしぐさで楽しめるのだが、あまりにも同じことの繰り返しなんで(笑)。ところが、猫はちっとも飽きずに、途中でやめると恨みがましくつきまとって、じーっと見つめるので困る。
 まあ、これものどかな正月か。

2008年1月3日 木曜日

いやな夢の話

 あんまり正月らしくない話題ですが、正月にかこつけて惰眠をむさぼっていたら、いやな夢を3本立てで見てしまったので。例によって、「人の夢ほどつまらないものはない」のは百も承知ですが、ごかんべんを。

 大人になってからはいわゆる悪夢――お化けとか怪物の出てくるこわい夢というのは見なくなった。その代わりに見るようになったのが、不愉快だったり、いやーな気分になる夢である。私はこれを悪夢と区別する意味で不快夢と呼んでいる。
 不快夢が興味深いのは、それを見ると自分にとっていちばんイヤなことは何か、というのがよくわかることである。その意味で、虫の夢や病気の夢、電話の夢が多いのはうなづける。(ご存じかどうか、私は電話恐怖症である。携帯電話を持たない最大の理由もそれ。電話の不快夢はなかなか興味深いのだが、今日はその話はなし)
 どれも1時間ばかり昼寝をしたときに見た夢。ただし夢ではよくあることだが、3つの話がきちんと時間順に出てくるわけではなく、まざりあってしまっているので、わかりにくいがかんべんしてね。

 私のマンションの部屋の中で知らない子供3人が駆け回って遊んでいるのを見つける。すぐに叱って追い出したが、どうやらベランダの窓から侵入したらしい。そこでベランダを見てみると、人がぞろぞろ歩き回っている。現実にある部屋ごとの仕切り壁はなくなっていて、ベランダを自由に通行できるようになっているのだ。特に私の家の前のベランダには、(現実にはない)ベンチが置いてあって、そこに人が座っておしゃべりをしている。
 私は、「ベランダは共有部分ではあるが、私の専用空間でもあるので入らないでほしい」(これはホント)と言って、追い出しにかかるのだが、ひとりが行ってしまうと、また別の人がぶらぶらやってくるのできりがない。

 そんな中で私はパソコンを立ち上げるのだが、一目見て、なんか変だということに気づく。デスクトップがぜんぜん変わってしまっている! すわ、ウイルスか!とあわてるが、それにしても様子が変だ。しばらく見ていて、どういうわけか、誰か他人のデスクトップを見ていることに気が付いた。これがいわゆる個人情報の漏洩ってやつか? ファイル交換ソフトなんて入れてないのに? なんか違うような気もするが。
 何が起こったのかわからないが、どうやらパソコンの中身がそっくり他人のものと入れ替わってしまったらしい。ということは私のデータは誰か他の人のパソコンに? それもいやだが、これも見ているだけでいやだ。
 パソコンのデスクトップというのは、見ただけで持ち主の生活や性格がわかるものである。私が見ているやつは、明らかにどっかのおたくのもの。ゲーム関係やアニメ関係のショートカットがやけにたくさんあるし。それにしても下品な壁紙に、頭の悪さ丸だしのフォルダ名を見ているだけで、胸がむかむかしてくる。ちょっと中身をのぞいてみたい気もしたが、見たらますます気分が悪くなるのは確実なのでやめた。
 それにしても、なんとかして直さなくては。でもどうしたらいいんだろう? 弟は2日間は旅行で帰らないと言ってたし、こんなケースは初めてなので、どうしたらいいのかわからない。

 とにかく、家にじっとしていられなくなったので町に出る。正月のせいか、町の様子もどこか違う。何より、奇妙な扮装をした人々が大勢歩いている。どこか(日本以外)のカーニバルのようで、奇怪な仮面を付けたり、変な衣装を身に付けている。ひとつひとつは覚えていないのだが、白い布で全身を覆った、ハンプティ・ダンプティみたいな人の大群(みんながいっせいに同じ動きをする)が特に変だった。

 歩いているうちにおもしろいことに気づく。なんだかやけに体が軽いのだ。重力が2分の1Gぐらいに減っている感じ。私がいるのはやけに坂が多く、階段やエスカレーターがいたるところにある町なのだが、階段を下りるとき、軽く手すりで体を支えただけで、まったく足を使わずにすーっと降りられた。これは快感。それならいっそ手放しではどうかと思って、エスカレーターの真ん中に飛び降りてみたら、これまたすべるように宙を飛んで降りられた。(エスカレーターというのはもともと足を使わずに降りるための道具だが、体は完全に宙に浮いている)

 なんだか気分がよくなって、町をふらふらとさまよい歩いていたら、前の方を若いカップルが歩いているのに気づいた。この2人は私とはどういう関係があるのかわからないが、前にいやな思いをさせられたことがあるらしい。そこで「やだなあ」と思ったが、向こうも私のことに気が付いたらしく、男(かなり背が高い)のほうが女の子をせかして、逃げるように走り始めた。
 「なにも逃げなくてもいいじゃない」と、私はちょっとむっとして、わざと歩調をゆるめずに彼らについて行った。私が早足で歩くと、そこらの女の子が小走りで走るぐらい速いので、距離は縮まらない。すると、男はいきなり女の子を抱き上げて、小脇に抱えて走り出した。おいおい、そこまで人を避けるか?
 でもさすがに走って追いかけるほどの関心もないので見ていたら、何かにつまづいたらしく、男は大きく飛んで転んだ。(こないだ自分が転んだことが影響しているのか?)
 その拍子に女の子も放り出されて地面にたたき付けられたが、たいした怪我はないらしく、怒った顔で起き上がると、何かを私に向かって投げつけた。見ると携帯電話だ。いやがらせか?(笑) でも男の方は倒れたまま起き上がらない。女の子が駆け寄ってヒステリーを起こして泣きわめいている。
 それを見ながら、私は、「私のせいじゃないもーん」と思いながらも、なんか罪悪感を感じていやな気分になった。

 これと同時進行で、奇妙な町の話も続いている。これはまるでシュールレアリスムの絵に入り込んだようで、とてもおもしろかったのだが、さすがに見ているうちに、「これはいくらなんでも現実じゃない」ということに気づいたのか、いつのまにか自宅の居間で映画を見ていることになっている。
 でも、はっと気が付くと、部屋には知らない人(どうやら同じマンションの住民らしい)が大勢いて、みんな勝手にくつろいで、いっしょに映画を見ている。おいおい、やめてくれよー!
 でも、それより心配なのはパソコンのほう。もしかして留守している間に直ったかもと思って、もう一度立ち上げてみたが、まだ同じ状態だ。嘘だろー! こんなの夢であってくれよー!と思ったら、本当に夢だった(笑)。

 というわけで、私が電話や虫と同じぐらい嫌っているのは、
 パソコンの故障
 キモおたく
 プライバシーの侵害
 それに、私には理解不可能な不愉快な人間たち
であるということが、よくわかりますね。だいたい当たってるような気がする(笑)。パソコンの故障は現実にも悪夢そのものだし。
 でも特にいやな感じだったのはあのカップルで、考えてみたら恐れられているのは私の方なのだが(笑)、それってすごーく不愉快だった。おまけに、結果として加害者みたいになっちゃったことも。

2008年1月20日 日曜日

日本人がバカになったわけ

 どもー。疲れ気味のじゅんこです。
 なんで疲れているかというと、大学が試験シーズンなのがひとつ。
 UNKLEの日本・オーストラリア限定盤“More Stories”がリリースされたので、それを求めて毎日東京中を駆け回り、矢のようなメール攻勢をさばき、料金を請求したり、受け取ったり、発送したり、お礼を言ったり、あやまったり、言い訳したりで忙しいのがひとつ。
 はっきり言って、新譜日本盤CDを売ってもほとんど儲けにならないんだす。ましてこれみたいに、仕入れ元が取り扱ってないマイナー・インディーの限定盤を、足で捜してショップから買って売っても、足代で足が出る始末。だから、「お願いだからAmazonとかHMVで買ってください」と頼んでるのだが、なぜか欧米のUNKLEファンはStrangelove Recordsに絶大な信頼を寄せてくださるもんで、断わるに断われない。
 さらに、夜中にアンドレが国際電話をかけてきて、ヤフオクで1時間、粘りに粘って競り合ったあげくに競り負ける(よって、私の収入にはならない)なんてのも疲れる原因のひとつかなあ。
 しかし、(木馬座の)ケロヨンのレコードに11万3千円ってなんなのよ!(参考までに、開始価格は500円) もう私には理解不能な世界に行っちゃってる。いや、アンドレのほうはまだ理解ができるんだが、それに対抗して競り合ってくる日本人がいるってことが。何かケロヨンによほどの思い出がある人なんでしょうか?

 でもレコード屋商売はまだ楽しいと言えなくもない。感謝もされるし、それなりに収入にもなるしね。いちばん疲れるのは大学の仕事。特に試験は大嫌い!
 学生も試験はいやだろうが、試験するほうがもっといや! 何がいやって、(学生に英語を教え込もうとする)半年間の血のにじむような努力が、まったくの水の泡であったことがわかるからだ。それは私の教え方が悪いんだろうって? いや、そんなレベルじゃないだってば!

 そういや、世間では国際学習到達度(PISA)テストで、かつてはトップクラスだった日本の学力がガクガクに下がる一方だと騒がれてましたが、私はぜんぜん驚かない、っていうか、これまたなんかの偽装で、実は成績のいい子だけに受けさせてるんじゃないかと疑ってしまったぐらい。だって、これは15才が対象の試験だけど、大学生を見ているかぎり、平均的な生徒がこんなに順位が高いはずがない!と思ってしまうので。

 で、大学生がいかにバカかは、以前、「英語野郎」という雑誌にさんざん書いたので、なんかもう書く気も失せてしまったが、(これ、雑誌はつぶれてしまったので、ここにアップしようと思ったら、こないだのクラッシュでファイルが消えてしまっていた。雑誌は切り抜いて取っておいたはずなので、見つかったら打ち直します。バカ文であっても、それなりに苦労して書いたものなので)、それがわかるようなエピソードをひとつ。

 試験期間中、教員室でほかの英語の先生たちがしゃべっているのが耳に入ったのだ。

「私なんか、アルファベット全部書ければ通してやりますよ」
「私は曜日の名前が全部書ければ」

 冗談だと思うでしょ? 少なくとも昔の日本の大学を知っている人なら。
 だけど、今の日本の大学を知っている私は、これが冗談じゃなく現実なことを知っている。ちなみに、この会話を耳にしたのは、全国的な有名大学でだが、もちろんこの先生たちの話しているのがこの大学の話だとは限らない。彼らの専任校での話だと思う。というか、そう思いたい。
 まあ、いくらなんでも、私はそこまではしませんけどね。でも「自分の名前書けたら5点」ぐらいはやるなあ。だってそうでもしないと、本当に点がなくなっちゃうんだもん!
 前にここに書いたのを覚えている方がいらっしゃるかどうか、「This is a cat.」の大学用英語教科書ね。さすがにまだあれを使う気にはなれないが、あれでちょうどいいと思えるクラスもある。そういう子たちも「This is a cat.」の意味ぐらいは、漠然とだがわかるのだが、なんでそれが「これは猫です」の意味になるのかは、ぜんぜんわかってないから、やっぱりここから教えるしかないのだ。

 ここまで行くと、もう到達度どころか、一種の学習障害、いや精神遅滞で、治療が必要なレベルじゃないかという気がするが、そういう人がクラスの大多数ってことは、もちろんそうじゃないのだ。
 まあ、考えてもみてよ。大学生ってことは、少なくとも6年間は、毎週2時間とか3時間とかは英語の授業を受けているのだ。それだけやってきて、アルファベットも書けないってどういうこと? それだけの年月はなんだったの?(何も見てもいない、聞いてもいなかったんですね) どうして高校出られたの?(フリーパスなんですね) どうして大学入れたの?(これもフリーパスなんですね)

 もちろん英語だけの話ではない。国語や算数(数学なんてレベルじゃないので)も同じ。かなり以前、「分数がわからない大学生」というのが話題になったが、今ではそれが「足し算引き算ができない」というレベルになりつつあるようだ。
 これもちょっと前に騒がれた高校の補習クラスだが、これはどこの有名大学でもあって当然になりつつある。というか、それももうすぐなくなるだろう。通常のクラスでやっていることが、まんま中学・高校の補習だから。

 それでも普段使う機会もない外国語ができないのは、百歩譲ってまあ理解できないこともないが、これが日本語になると悲惨である。かろうじて日常会話だけはできるが、それ以外はお手上げ。
 日本語で講義して、日本語で答案書く科目なら、いくらなんでもこれほどひどくないだろうと思ったら、英語よりさらに意味不明の、宇宙人が書いたみたいな異様な答案がゾロゾロ出てきて絶句した話(2007年1月22日)はすでに書いたとおり。
 しかしこれ、いま自分で読み返してまた腹が立ってきちゃったよ(苦笑)。イギリスのことを話すのは楽しかったが、もう二度とやりたくない。あれだけ準備に時間かけて、ビデオやハンドアウトもたくさん使って、あれだけ楽しくおもしろい授業にしたのに、結局大多数の学生は何も聞いてないし、理解もしていないとわかっただけだから。これなら英語の答案見てるほうがまだましだ。

 ていうか、学習だけの問題じゃないんじゃないかと心配だ。だってそうじゃない。「アルファベットぐらい覚えておかないと、将来高校や大学で困るだろう」というぐらいの知恵は、中学生でも働くでしょ? (覚える能力がないのではない。覚えないだけなのである) その程度の知恵が働かないってことは、学校に限らず、生活していく上でもいろいろと障害にぶつかるんではないか。

 で、なんでこうなっちゃったのかと考えずにはいられないのだが、そのひとつのヒントがこれ。すばらしいね! 勉強時間は45か国中最低、テレビを見る時間は最高。これで勉強できるわけがない、っていうか、これでまだあの程度の順位を確保しているということは、日本人って実は天才かも(苦笑)。
 これは2003年のもので、かなり古い統計だが、これが今ではさらに悪化しているのは確実。だいたい、これって、「インターネットをする時間・ゲームをする時間」が入ってないんでしょ? その統計も取ったら、これまた日本が首位なのはほぼ確実と思える。
 だいたい、教員仲間の一致した意見では、「テレビやビデオやマンガを見る学生はまだまし」なのだ。少なくとも何かに関心もってる、いや、惰性で見ているとしても、見てれば何かしら学ぶこともあるから。いちばん恐ろしいのは、何にも関心がなく、本当に何もしないゾンビみたいな学生。その率も年々上がっている。

 で、どうすればいいのか? なんて私に訊かないでよ。私なんか一介のアルバイト教師にすぎないんだから。そういうむずかしい問題は本職の偉い人たちに考えてもらうとして、一般人としての素朴な感想。
 えーと、この人たち、親に「勉強しろ」と言われたことないのかしら? たぶん一度もない。少なくとも強制されたことはないんだね。

 道理で、私がいくら勉強しろと言っても、キツネにつままれたような顔してるわけだ。授業中も寝てるか、友達としゃべってるか、ポカーンとしてるだけ。当てられても、何も言わずに黙って座ってるか、口からでまかせを思いつきで答えるだけ。限りなく答に近いヒントをいくつも出して、誘導しようとしても、そもそも頭を働かせるという行為をいっさい拒否なので、どうにもならない。こういう集団を相手に何をどう教えろと言うのだ!
 それでも教えることは私の義務だから、毎年あの手この手で注意を引きつけることを考えている。率直に言って、この人たちに少しでも英語に興味を持たせるには、歌ったり踊ったりゲームをしたりしながら教えることだと思うが、さすがにそれはこちらのプライドが邪魔してまだできない。だって、それじゃ幼稚園の英語教室じゃん! でもそうせざるをえない日が近々来ると思う。
 それで思い出したが、小学校の英語教育、もちろん私は反対。だって、中学からやっててこれだけできないんだから、小学校から始めたらどうなっちゃうか!
 というのは笑い話だが、マジで英語は大学からにしてほしい。こちらとしても、始めて英語を学ぶ学生相手なら、アルファベットから教えることになんの抵抗もないが、もう6年やってきた連中だと思うと切れそうになるから。

 だいたい、高校もなんでこういうやつを卒業させるんだよ。大学の試験がアルファベットなら、やっぱり高校は自分の名前(もちろん日本語で。というのもローマ字を知らない学生大多数なんで)だけ書ければ合格なんだろうな。
 奇妙なのは、それだけ学習意欲がない学生もちゃんと授業には出席することである。むしろ来ないでくれれば私は楽だし、心おきなく落とせるのだが。それで、落とせば「出席していたのになんで落とす?」とすごまれる。なるほどー。つまり高校までは学校に来てさえいれば単位もらえたんだな。だけど、大学じゃ椅子を暖めただけでは単位はやれないということを、いくら言っても理解しないのだ。

 それでも15才ぐらいなら、親もうるさく言うだろうし、まだ素直なので勉強する子もいるんだろう。PISAの順位が予想外に高いのはそのせいかも。でもその後はどんどんバカになるばかり。この子たちが親になれば、その子はもっとバカになるばかり。それで、勉強すらできないのに、仕事なんかまともにできるわけないから、格差社会がますます進行して、文盲とかもどんどん増えて、この国どうなっちゃうんだろ?と思うが、そのころにはたぶん私はこの世にいないから、どうだっていいか。

2008年1月31日 木曜日

 あいかわらず試験の採点が続いているため、日記が書けません。すいません。なにしろ1日1時間もやるとキレてしまうので、さっぱり進まない。
 英語を6年間やってABCもわからないのは許す! だけど、20年間日本人やってきて、日本語が書けないのが許せなくて。(この大学にはアジア各国からの留学生もけっこういて、彼らの書く日本語は確かに文法間違いなどはあるが、それより日本語へたな日本人多数! ちなみに以下の例はすべて日本人である)

 なにしろ、「私は次の夏私の親類のヨーロッパに試れています」なんていう文を何百と読まされるんだから、頭が爆発! 「ためれています〜」??? (もちろん「訪れて」の誤字) でも、これみたいに、「てにをは」でたらめ、時制でたらめ、いい加減な誤字ですら許す!
 どうしても許せないと思ったのは、「自生のまちがい」という解答に出くわしたとき。

 まともな人なら、「時制のまちがい」の間違いかと思うでしょ。ところがそんな高度な用語は知ってるはずがないのよ。じゃ、これならわかる? 「自生最大のあやまち」 そう、「人生」のつもりなのだ!
 ちょっとこれは同音異義語というのでもないし、形が似てるというのでもないし、まして人ぐらい小学1年生でも書けるし、この人、まじで20年間の間、こう書き続けてきたのかと思うと、これからの自生が思いやられる。

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