2007年8月の日記

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2007年8月3日 金曜日 

腐った通常の日記

 あれっ? もう8月か? ヤバいよ、これ! 何がヤバいって、この7年間、1か月に4日しか日記書かなかったことなんて初めてじゃん! スランプだとは思っていたが、これほど根が深かったとは‥‥。はい、私にとって書くのは呼吸するようなものなんで、書かなくなるというのは相当深刻な事態なんです。
 まいったなあ。ぜんぜん更新がないんで、読者みんな離れちゃったんじゃないか? なんて心配してる場合じゃないが。
 とはいえ、大学は夏休みに入ったし(でもまだダラダラ採点やってるんだけど)、ここらで一息ってところのはずなのに、あいかわらずなんやかやで追いまくられている。

 店が忙しいって言うと、みんな「良かったじゃない」と言ってくれるんだが、うちの場合、忙しい=儲かるとはほど遠いのが困ったもんなんですよね。実を言うと、店のほうはもう開店休業に近い状態。それで何で食っているかというと、最近はもっぱらオークションの入札代行でかろうじて食べている。でもってこれがめんどくさーい!
 いや、日本人のお客さんのために海外オークションで買うのはなんでもないんですよ。何しろほとんどボタン押すだけで、英語なんてほとんどいらないしね。ところが海外のお客さんのために、ヤフオクでブツを入手するとなると、その手間は10倍に!

 とにかくまず英語メールいっぱい読んだり書いたりしなきゃならない。しかも2人の人の間に立って、双方に(二か国語で)メールを書く必要があるので、単純にメール量も倍に。入札代行頼んでくるような人はみんなコアなコレクターだから、広告見ただけで即入札なんてことはしないんですよ。とにかく細かいことを根掘り葉掘り訊いてきて、そのつど出品者に質問しなきゃならないんだけど、ヤフオクの出品者って、そういうめんどくさいことを嫌う人が多くて、ひどいのになると、「うるさいことを言う人はお断り」だからね。こっちも気を遣うわけ。そういう微妙な事情を英語で外国人に説明するのも骨が折れるし。
 落札後の送金だって、eBayならPayPalでポンポンとボタン押すだけなのに、日本じゃ銀行送金とかすごい面倒。いや、もちろんネットバンキングですよ。でも日本のネット銀行ってすごい面倒じゃない。暗証番号だの、暗号表だの、ここまでしなきゃセキュリティ守れないの? それよりはるかに規模のでかいPayPalは、パスワードだけでなんの問題もないみたいなのに。
 特に、ジャパンネットバンクは、なんか小さな時計みたいなの送ってきて、そこに表示される刻々と変化するコードを打ち込まなくてはならないんだけど、この字が小さくて見にくくて、目の悪い私には非常に苦痛。みずほ銀行は暗号表だが、送金場面に行き着くまでに二度も別々のパスワードを打ち込まなくちゃならないし。ヤフーかんたん決済だって、ぜんぜん簡単なんかじゃない!
 でまあ、こんなで千円か二千円の手数料じゃ割が合わないといつも思ってるんだが、数千円の商品に、高額な手数料なんて取れないしね。しかも相手は長年の友達だったりお得意さんだったりするので、断るにも断れないのがつらい。
 もちろんいちばん依頼が多いのはベルギーのピクチャー盤コレクター、アンドレ。なにしろ海外旅行中でも、毎日のようにメールが来る。でも彼は払いがいいから好き。「PayPalの手数料が高いだろうから」と言って、日本円のキャッシュで払ってくれるし。おかげで私は自分じゃ銀行って使わないっす。とにかくすごい金額になるから、毎日の買い物も「アンドレ貯金」から出して行く(笑)。(もちろんそのほとんどはクレジットの形で銀行口座から引き落とされているんだが)

 でも、これだけオークションに時間使うなら、いっそ店なんか閉めちゃって、日本人のために入札代行やったほうがはるかに儲かるのになあと、ちょっと思ってしまう。

 でもオークション代行をやるのは、よほど信頼している人のためだけだからまだいい。やっぱり問題なのは店のお客。と言っても、ごく一部の人、というより、2名ばかりなのだが。前に(4月26日)香港人の客のせいで迷惑しているっていう話を書いたでしょ? あの顛末、書いてなかったから、書いておくね。

 というわけで、50枚以上のCDを注文して、そのすべてについて、詳細な報告を書き送ると、そのうち20枚ぐらいをキャンセルして、他に20枚ぐらいの新しいCDを注文してきて、それについて以下同文、というのを5回ぐらいやらされたんですよ! メール書きもそうだが、その記録を取るだけでもたいへん。
 それでもとうとう注文が確定して、支払いの相談になったわけ。値切りに値切られたのは言うまでもないが、向こうは日本の銀行振り込みにしたいと言うので、それは大歓迎と言ってやった。だって、PayPalの場合は手数料を払うのはこっちだが、銀行振り込みなら向こう持ちだからね。だからそのぶんも値引きしてあげた。
 代金はすぐに送ってもらえたが、銀行の口座をチェックすると、6000円ばかり足りない! すぐに文句を言うと、ちゃんと請求通り払ったと言って、振り込み書を見せる。日本の銀行から送金するときは、送金時にこっちが手数料を払うのだが、香港の銀行はそうじゃなくて、振り込みの際に自動的に送金額から手数料が引かれるらしい。そんなのあるか!
 そこで、手数料ぶんは値引きしたんだから返してほしいと頼んだが、向こうは言われた通りに送金したのであって、手数料の仕組みも知らないとはプロ失格だと抜かす。日本人が香港の銀行のシステムなんか知ってるわけがないじゃん! だいたい、ここまでかかった時間と手間を考えると、6000円ぐらいは多めに請求してもいいぐらいなのに、ここで6000円損したんじゃ、儲けはパー、とまではいかないが、半滅してしまう。
 もちろん、この時点では、商品はまだ私の手元にある。そこで「残金の支払いがすむまでは送れない」と言ってがんばることもできたのだが、ここまでで私は疲労困憊してしまい、これ以上面倒な客とのやりとりを続ける気力を失ってしまった。むしろ6000円で困った客をやっかい払いできるなら安いものだという気になってきて、「そうまで言うなら商品は送るけど、次の注文のときには6000円返してもらう」と書いて送った。
 でも本当に困った客っていうのはこれぐらいじゃすまないんだよね。案の定、取るに足らないことで文句を付けて、2枚の返品交換を求めてきた。もうこのあたりでは私は何でも言うなりにして、そのかわり二度とこの人とは取り引きしないと決めていた。

 で、一難去って‥‥と思ったら、1か月ばかりして、また香港から注文があった。前の人で懲りたから、もうとうぶん香港人とは取り引きしたくない気分だったが、ひとりの印象で全体を決めつけてはいけないし、だいたい客を選べるほどの立場にないから。しかし応対していたら、なんかキナ臭いんである。
 やたら細かい説明を求めるところが前の人にそっくりだし、好みのバンドの傾向も似ている。しかし、名前もメールアドレスも、送付先住所も前の人とは別なので、杞憂だろうと思った。中国人が商売上手でお金に細かいのは知ってるし、国民性なのかなあなんて思って。
 とにかくあれほどひどいことはもうないだろう。今度はPayPal決済で、取りっぱぐれの心配もないし。ところがところが! またも返品! 理由はと言うと、CDの真ん中の透明なところに円形の筋が入ってますよね。もちろん音声は入ってない部分だよ。その円が少し白くなっているという理由!
 私は自分自身がCDの状態に関して神経質だし、難ありの品物に関しては取り引き前に十分にお客さんに説明しているし、そもそもうちでは原則として新品同様の商品しか扱わないから、商品に苦情を言われるってことはまずないんです。長年商売やってきて、これまで返品があったのは3回ぐらい。なのに2回連続ってのはなんなの?
 それでも、「もう二度と香港人お断り!」と思いながら、代品を送った。ところが返品されてきた小包をよくよく見たら、差出人の住所が前の人と同じではないか! これって詐欺? 6000円請求されると思ったから、偽名と別アドレス使って別人に見せかけようとしたの?!

 ここで私は頭にカッと血が上って、キレそうになったのだが、そこはやっぱり商売人なので、さりげなくそのことを指摘し、「○○さんのご兄弟ですか?」と訊ねたら、「いや、○○はオヤジ」だと言うではないか。親子揃ってクレーマーかい! いや、親子ってのも信じられない。親子で音楽の趣味がまったく同じなんてありえる?
 その「自称息子」が、またも注文、というか質問状を送り付けてくるのだが、私としてはもう二度とこの人とは取り引きしたくない。「6000円返せ」と言ったって、「それはオヤジに言ってくれ」と言われるのがわかってるし。よって、メールは無視しているのだが、メールボックスを開くたびにヒヤヒヤする。なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだー!


お口直しにファンタジーの話

 あー、書いているだけで気が滅入る。そこでここらで楽しい話でも。この数か月、何が楽しいと言って、やっぱりジョージ・R・R・マーティンの小説、『氷と炎の歌』だよなあ。はい、あいかわらずハマりっぱなしです。何度読み返してもぜんぜん飽きない。

 ただ、さすがにこればっかり読んでもいられないので、少しでもそれに関連したものということで、他のファンタジーをあさったり、中世ファンタジー映画を見たり、しまいにはファンタジーRPGにもハマった、のだが、結果はむしろ失望のほうが多いのは、すでに皆さんご存じの通り。
 もともと映画にはあまり期待はしてなかったが、しかし、ファンタジーはこれだけ大量に出版されてるんだからね。中には当然傑作もあるはず。と信じて、かなりの数の欧米のファンタジーを読んだのだが、結論から言うと、全部ハズレ。いかにこのジャンルがゴミの山であるかが、よーくわかりました。

 中でも『氷と炎の歌』と同じ早川書房から出ていて、かなりのロングセラーであるデイヴィッド・エディングスの大河ファンタジー『ベルガリアード物語』。これだけ売れてるからにはきっとおもしろいはずと思ったんだよ。嘘だとは思うが、『指輪物語』の直系とも言われてるし。ちょうど新装版が出たことでもあるし、ブックオフで全巻揃いを見つけたので買ってみたら‥‥
 つまんねーわ。ベストセラーがおもしろいとは限らないのは『ハリー・ポッター』だけ見てもわかってたはずなのにね。でも『ハリー・ポッター』は子供向けだからと、自分に言い訳していたが、これも子供だましとしか思えない。『氷と炎の歌』が絶対に子供にはわからない大人向けだったから、よけいその落差にがくぜんとする。
 まず、『ベルガリアード物語』に限らないのだが、類型的でなーんも考えていないデクノボーの登場人物。この手のお話ってのは、主人公やその他の人物に感情移入できなきゃ、ドキドキもしないし、感動もしないし、死のうが生きようがどうでもいいということになってしまい、そもそもアホらしくて読む気が起きない。それにくらべて、あれだけすばらしい造形の人物を、片っ端から情け容赦もなく殺してしまうマーティンのなんてぜいたくなこと(笑)。
 それに、伏線もなく、起承転結もなく、謎もなく、サブプロットもなく、ただ一本道にダラダラと進んで、お決まりのハッピーエンディングにたどり着くだけの、アホンダラなストーリー。なんか読んでて昔のファミコンのRPGみたいだと思いましたね。吹けば飛ぶように薄っぺらな主人公もそうだし、まずここであれをして、次の町でこれをしてという一本道なところも。
 頭に来て、これはヤフオクで売っ払った。もちろんブックオフよりは安くしたけど。
 結局、ファンタジーなんて、しょせんは頭の弱いガキのもので、『氷と炎』や『指輪』が例外なだけなのかも。実は隠れた傑作もたくさんあるんですけどね。そういうのは絶対ベストセラーにはならないのよね。まして日本で翻訳されたら奇跡に近いっていうか。

 映画も似たりよったりで、こっちはとっくにあきらめている。ていうか、最近映画を見る気がしない。本当にすぐれた小説を読んじゃうと、映画なんてそれこそオリジナリティとかプロットなんかあってなきようなもので、子供っぽくてバカバカしくて見る気にならないから。もちろん、映画にはストーリーだけじゃなくビジュアルがあるので、そちらで見せればいいのだが、映像の魔術師と呼ばれるような映像作家には、もうほとんどお目にかかれなくなったし。もちろん私が知らないだけで、中にはそういう人もいるんだろうけど、そういう人がファンタジーを撮ってくれる可能性は皆無だし。
 でも性懲りもなくまた見てしまった。ていうか、うちのほうではレンタルビデオ100円セールが月に一度しかなくて、私は夜遅く行くものだから、見たいようなものはみんな貸し出されて残ってないという事情もある。

Eragon (2006) Directed by Stefen Fangmeier 『エラゴン』

 予告編見ただけでいやな予感はしてたんだけどね、それでもドラゴン見たさに借りてきてしまった。

 私はドラゴンに目がない。いつも書いているように私は幼少時から恐竜マニアなのだが、恐竜とドラゴンの違いがわからない子供のころから好きだったし、違いがわかる大人になってもやっぱり好きである。根っからの爬虫類好きというせいもあるし、だいたい、『氷と炎の歌』ってドラゴンが主役だもん。4巻まで来てもドラゴンはまだ幼竜なのでほとんど出番がないが、この世界ではドラゴンが最終兵器のようなもので、ドラゴンを制する者が世界を制する。なのに絶滅したと思われていたドラゴンが卵から孵った! というのが話のキモになっているあたり、『エラゴン』とやけに似ている。
 今やってるDragon Warcryというゲームも、その名の通り、ドラゴンが主人公、ではないのだが、最終職業としては当然竜騎士になるつもり。

 ただ、生物学マニアでもある私としては、「解剖学的におかしいドラゴン」はやっぱり願い下げだなあ。いや、私だって、英語じゃ4本足がドラゴンで、2本足がワイバーンと呼ばれることぐらい知ってますよ。だけど、ドラゴン伝説なんて世界中にあるんだし、みんなそれぞれ似ても似つかない姿をしてるんだから、何も4本足にこだわる必要ないじゃないか。
 というのも、空を飛ぶ脊椎動物は、鳥であれ、翼竜であれ、コウモリであれ、みんな前肢が翼になっている。それが4本足ってことは、足が6本あるわけで、私には4本足のドラゴンは虫に見えてしまう。(もちろん虫の羽は足ではないが) 同じ意味で、私は天使ってやつもグロテスクだと思うんですけどね。
 そこで参考までに、“The Art of Song of Ice and Fire”という、『氷と炎の歌』の画集(これについても時間があったら後述)をひもといてみると、ほらほら! ちゃんとドラゴンはすべて2本足に書かれてるじゃない。やっぱりこうでなきゃ。
 さらに個人的にはやはりドラゴンの翼は骨の間に膜の張った翼であってほしい。まあ、羽毛恐竜なんてのもいたぐらいで、ドラゴンに鳥のような翼があったとしてもそれほどおかしくはないが。もちろん『氷と炎の歌』は前者で、『エラゴン』は後者である。
 でも、足と翼は許すとしても、許せないのが顔! 『エラゴン』のドラゴンは、顔だけ哺乳類顔で、したがって、爬虫類らしくなく、かっこわるーい! 『ネバー・エンディング・ストーリー』のドラゴンが犬顔だったのに対して、こっちはどっちかというと猿顔でよけいかっこわるい。やっぱり顔だけ哺乳類っぽくするのは、見る人に親近感を持たせようという魂胆なんだろうが、私はどっちかというと爬虫類のほうに親近感おぼえるもんで。
 「どうせ実在しない動物なんだから、哺乳類でも爬虫類でもいいじゃん」と思われるかもしれないが、私がドラゴンを好きなのは爬虫類だと思ってるからなんだもん。特に、恐竜が進化して鳥になったことを思うと、ドラゴンは私的には「空飛ぶ恐竜」のイメージなんだよね。(翼竜は近い親戚だが、恐竜ではありません) その意味でも2本足のほうがリアルだしかっこいい。
 というわけで、あの顔見ただけでも萎えるのだが、とどめにドラゴンにしゃべらせるな! 『ナルニア』はしかたないにしても、私はしゃべる動物なんかきらい。動物がいいのはしゃべらないところなんだから。

 というわけで、ドラゴンがだめならあとは人間を見るしかないのだが、なにこれ? この坊やが主人公なの? イギリス人ってところだけはいいが、何もこんなに情けない、うらなり坊やにしなくても。どうしてファンタジーの主人公っていうと、よりによっていちばんそれらしくないタイプが選ばれるんだろう? その意味、『指輪』はホビットらしいというだけでも立派だった。
 で、主人公がだめなら脇役というわけで、この映画はジェレミー・アイアンズ、ロバート・カーライル、ジョン・マルコビッチという、私の大好きなオヤジ3人組が重要な役で出ているところが魅力、なのだが、逆に言うとこの3人が猿芝居につき合わされたらいやだなーという悪い予感も。
 結論から言っちゃうと、さすがに猿芝居にこそならなかったし、出てくるだけで映画に(なけなしの)重みを与えてはいたが、でもやっぱり無意味としか。ちなみに、アイアンズはガンダルフ+アラゴルンの役、マルコビッチはサウロンの役、カーライルがサルマンの役。カーライルの使う下っ端はサウロンのウルクハイそのまんま。と、身も蓋もなく『指輪』を(情けない形で)パクってますな。
 しかし、見るからに人が良さそうで気が弱そうな顔つきのロバート・カーライルを悪役にするのは無理があるような。もちろん彼は悪役もよくやってるが、似合わないとしか言いようがない。よってちっとも強そうにも悪そうにも見えず、サルマンというよりは、その手下の「蛇の舌」だな。(分厚いメイクもよく似てるし) するとマルコビッチはサウロンじゃなくてサルマンか。ただの人間だからそっちのほうがふさわしいかも。

 前から思ってたが、マルコビッチは声がいい。どっかで書いたが、時代劇の役者は朗々たる響きのある声をしてなくちゃだめ。その点、この人は合格。
 しかし、アイアンズとカーライルはこれで死んじゃったし、注目を集める必要のある第1部は有名俳優を集めても、(と言っても、イギリス人俳優のギャラって安いんだけどね)、第2部以降は安い役者でごまかして、ますますヘボくなるというのが見えてしまったね。もっとも、IMDbでもボロクソだし、明らかにコケた映画なので、第2部が作られるのかどうかもあやしいけど。
 役者で拾いものは紅一点のヒロイン、アリアを演じたシエンナ・ギロリー。この人もイギリス人だが、気品があって美しい。(ちなみにこの人は映画版『指輪』のアルウェン)
 そうそう、主人公の道連れになる「悪いやつの息子だけどいい人」を演じたギャレット・ヘドランドはなかなか好みで、こっちを主役にすれば良かったのに!

 え? お話? あー、もうどうでもいいっす。クサい「少年の成長物語」なんかもうたくさん。私はジジイを主人公にしたファンタジーが見たい! その意味でも、中年男を主人公にした『指輪』は立派だったんだけど、映画ではちゃっかり「少年」に差し替えられてましたけどね。 

2007年8月11日 土曜日

(おっと、『硫黄島からの手紙』のリビューが消えてるのは、他にもいろいろ書き足したいことがあったのに、直す暇がないのでいったん引っ込めました。どうせなら『父たちの星条旗』といっしょにやりたいし。その他、ネタは山ほどたまってるし、書きたいことがいっぱいあるんだけど、現在多忙につき、ちょっと待ってね)

明日はサマソニ

 ♪ルーララ〜、明日はサマソニ〜♪ なんて歌ってはみたが、実を言うと、気が重い。というのもこの暑さ! 夏のそれもこの時期に野外フェスなんかやるのは気でも違ってるかマゾ以外の何者でもない。私なんか冷房の効いた部屋から一歩出るだけでも(トイレに行くとか)、息を詰めてダッシュするぐらい、日中外を歩くなんてとんでもない!という人間なのに、耐えられるかしら?
 とかなんとか言いつつも、楽しいことさえあれば、他のことはなんでもよくなっちゃうのはわかってるんですけどね。それに私にとって今のところライブぐらい楽しいものはないし。もっとも、ライブ前って緊張するのか、いつも気が重いんですよ。結果はノリノリで楽しんじゃうことが多いけど。
 でもモッシュの中なんか入らないっすよー。冗談じゃない。ただでさえ暑苦しいのに、何十人という若者が集まってるだけでものすごい熱気だってことは大学で知ってるし、それが万単位で来られたら、それだけで死む! どうせ最前列だって遠いだろうし、今じゃクラブ・ギグならかぶりつきで見ることなんて簡単なんだから、(熱射病による)死の危険を冒してまで前に行きたいなんて思わないっす。
 とにかく熱射病対策だけは万全にしてと。ミネラル・ウォーターと、サングラスと、帽子と、おしぼりと、日焼け止めと、虫除けと。なんかジャングル探検でも行くような騒ぎだが、実を言うと幕張なんてうちの近所と言っていい近さなんですけどね(笑)。でも、京葉線に乗るには、うちからだと自転車で葛西臨海公園まで行かなきゃならないんだよ。ほんの25分ほどの距離とは言え、自転車には屋根がないんだよ! 車がほしいと思うのはこういうときだけだな。おっと、サマソニは駐車場ないんだっけ?

 とにかく、サマソニ日記をお楽しみに。あと、たまりにたまってるディスク・リビューもそのうち一気に書くよ。こういうのって気が乗らないと書き始められないんだよね。でも一度聴くと癖になるから。
 私はなんでもハマり症だが、音楽にしろ、映画にしろ、ちょっと遠ざかってると、なくてもいられるようになってしまった。その代わり、1本映画見たり、1枚CD聴くと、もっともっとというふうに、歯止めが利かなくなるのだ。とにかくもうすぐ夏休み(まだ宿題やってない)なので、そうなったら見まくり、聴きまくり、書きまくりますんで。

ネトゲはこわいよ

 で、それまでのつなぎに(というか、仕事からの逃避に)、またゲームなんかやってる。ほら、前から書いてる「ドラゴン・ウォークライ」というRPG。だけど、ネットサーフィンしていたら、恐ろしいものを見てしまった。
 よく、「ネットゲーム中毒」という言葉は耳にするし、韓国あたりじゃ社会問題化して死者も出ているなんて話は聞いてたが、日本でもこんなに蔓延しているとは!
 とにかく、その手のフォーラムをのぞいてみたら、「ネトゲで離婚しました」とか、「会社つぶしました」とか、「自殺未遂しました」とか、「親を殺しそうになりました」とか、恐ろしい話がいっぱい! ひえ〜! とにかく、これで見ると、ネトゲ中毒というのは、麻薬中毒とか、アル中とか、ギャンブル中毒の症状とまったく同じ。医者の助けが必要というレベル。

 なんて人ごとみたいに言ってるが、私もあぶない。ご存じのように、なんにでもハマりやすい私は生まれついての中毒体質で、幸い酒はまったく飲めないし、お金なんてあったためしがないので、ギャンブルで身を持ち崩すこともなかったが、(ただし競馬狂だったのはご存じの通り)、ずーっと昔からパソコン中毒だし(パソコンを修理に出すと、いてもたってもいられなくなる)、ネット始めてからはインターネット中毒だし、これまでほとんどあらゆるゲームにハマってきた。

 しかし、中でもネットゲームというのは危険らしいのだ。理由は私にも思い当たる。普通のRPGはいちおうコンプリートというものがあるし、いつかは飽きてやらなくなるが、つねに新しい要素が導入され、世界が流動するネトゲには終わりがなく、やろうと思えば永遠に続けられる。また続けてもらわなくては運営会社は利益が出ないので、あの手この手でユーザーを引き留めようとする。
 人との交流が可能というのも罠だ。交流してゲーム内に友達ができれば友達と疎遠になるまいとしてログインするし、パーティー制のRPGなんかだと、仲間に迷惑かけないためにも勝手に抜けられない。
 それにライバルや友達がいると、相乗効果でよけいのめり込むというのもわかるんだ。コレクターがそうだもん。そういう友達がいなかったら、私もコレクターになんかならなかった。ほとんど同じCD何十枚も集めて何が楽しいかというと、仲間に自慢したり、ほめてもらったりするのがやっぱりいちばんうれしいし、人が集めてるのを見ると自分もほしくなる。(ほとんど子供)
 それに、私は知らなかったが、この手のゲームではゲーム内恋愛とかがわりと普通にあるらしい。チャットやなんかであるのは知ってたが、RPGってモンスターぶち殺すだけのゲームじゃなかったんですか? それでゲームで知り合った人とつきあい始めたり、結婚したりしても、当然ながら、ゲーム内では誰もがキャラクターを演じているだけなので、現実とのあまりの落差に絶望して(笑)破局に至る。特に女の子がネトゲをやめるのはこういう理由が多いみたい。
 おまけにゲーム内結婚ってなんすか、それ! 気持ちわりー! 「中の人」が何者かもわからないのに、ゲームの中だけとはいえ、結婚だなんて! しかも、そういうのやってる人に人妻が多いことに気づいて考えさせられる。私が夫だったら、そんなキモチ悪いこと妻がやってると思うだけで耐えられないな。
 そういや、Sims Online(シムピープルのオンライン版)に手を出さなかったのも、その手の気持ち悪さに耐えられなかったからなのだが。Second Lifeとかにも同じ気持ち悪さを感じてしまうのですが、どうなんでしょ?

 でも愛だの恋だのは別とすれば、ネトゲにハマる人の気持ちもわかるのだ。しかし、ネットゲームのやりすぎで死んだ韓国の人の話なんて、『致死性ソフトウェア』(原題 Virus グレアム・ワトキンス著 新潮文庫)というSFホラー小説にそっくりで、まさにSFが現実になったみたいだ。
 これ、文字通り、死ぬまでやり続けてしまうゲームの話なんだけど、おもしろいです。というか、私は身につまされてすごーくこわかった。特に導入部の大学生の話――ゲーム中にマシンがクラッシュして、でも修理から戻るのが待ちきれず、新しいマシンを買おうとしてもお金がなくて、せっぱ詰まって拳銃強盗までやってしまう――なんて、ありうるような気がして。いや、私はそこまではしませんけどね(笑)。でも実際、ネトゲの課金が払えずに強盗するなんて、よくあるらしいね。
 そういや、この大学生、トイレに行く時間も惜しくて、小便は部屋のすみでやるようになるのだが、うわさではネトゲ中毒者もパソコンから離れられなくてペットボトルにおしっこしているとか。これは都市伝説かもしれないが、ほんとにホラー小説まがいだ。

 でも私は大丈夫。だって、前にも書いたように、「ドラゴン・ウォークライ」は1日に遊べる時間が決まってて、それ以上はできないようになってるから。ゲームを選ぶときからそれを決め手にするあたり、自分でもちゃんとわかってたんだな。課金も一切なしなので、ゲーム破産する恐れもないし。ていうか、ゲームに月何十万円も注ぎ込むなんてやっぱりキチガイとしか。と、お金がからんだとたんに、現実に引き戻される私であった。

 しかし、ムラ社会ってところは「ドラゴン・ウォークライ」(以下DWCと略)もいっしょだな。むしろ小規模でプレイヤーも少なく、すぐ顔見知りになってしまうようなゲームだからよけいそうかも。何かというと、すぐに叩きだの祭りだのになるところ。ネトゲに愛想を尽かす人も、「ドロドロした人間関係がいやになった」という人が多いみたい。そんなの現実世界でいやってほどあるんだから、ゲームでまでやる必要ない。というか、リアルだろうとゲームだろうと、人が集まれば当然そういうことが起こるんだよね。でもDWCは完全にソロ・プレイもできるので、その意味でも私の狙いは当たったな。
 しかしなんでネットだと、こう簡単にもめるのかと考えたんだけど、要するに、匿名性と顔が見えないところがいけない。これが実名で顔の見えるつき合いの実社会なら少しはみんな遠慮もするけど、匿名をいいことに何を言ってもいいと思っているバカがいるのだ。そして言葉よりも文章のほうがはるかに誤解を招きやすいし、角が立ちやすいということもある。
 だいたい、今の若い子は文章の書き方なーんも知らんからね。私なんかヤフオクの取り引きメールの文面にも毎日カッカしてるぐらいで、それでもヤフオクは子供は使えないから、みんな大人のはずなのにこれだから、ガキもいるゲームなんかむっちゃくちゃ。
 それでもDWCは管理人の目が厳しいから、いちおうみんな口調はていねいなんだけど、敬語の使い方を知らない人たちだから、かえって慇懃無礼な、ものすごくムカつく文章になってしまう。(ヤフオクも同じ) これなら2ちゃんねるの「逝ってよし」のほうがまだましだと思うぐらい。
 そうそう、DWCが気に入ってるのは、管理がしっかりしていること。なんでもネトゲは管理がいい加減で荒れることが多いそうな。でも前にも書いているように、このゲームの製作者で管理者は個人の一般市民であることを思うと、その苦労には頭が下がる。なにしろフォーラムやら掲示板やらオークションやらで無数のやりとりが行われてるのに、それにすべて目を通して、ちょっとでも不適当な発言や行動があるとすぐに注意が入るから。
 逆に言うと、これは管理社会であるということでもあって、実はネットゲームは自由度は低い。自分で買ったゲームならどんなむちゃくちゃな遊び方も可だが、それが許されない世界なのよね。やっぱり私みたいな反社会的人間はひとりでやってるほうがいいかも。

 前期の中毒者の手記を読んでると、やめた人たち(当然中毒が治ってない人はこんなの書いてるはずがない。そんな暇あったらゲームやってるし)のみんながみんな、決まって口を揃えて言うのは、「人生の一部をむだにしたことを後悔している。あれだけの時間と労力とお金を注ぎ込んだのに、やめても何ひとつ残らない」ということ。
 まあ、道理ですなあ。ゲーム内で億万長者になろうと、そのお金を現実世界に持ってこられるわけじゃないし、(セカンドライフは違うらしいが)、ゲーム内で得た栄誉なんか、そのゲームやってる人以外にはなんの価値もないし。データはすべてサーバの中にあるので、それを持ち出すことすらできないし、ゲームが終了したら、すべてきれいさっぱり消えてしまう。むしろその代わりに勉強や仕事に打ち込んでいれば、ちゃんと自分のためになるし、将来にも見返りがあったのにね。
 ただね、「だからネトゲに手を出してはならない」っていうのが、この人たちの共通した結論みたいだけど、でもその間、たっぷり楽しませてはもらったんでしょう? 快楽には代償があるってだけじゃないかと思うけどな。やっぱり麻薬とかとはいっしょにできないと思う。
 私もむだな時間をずいぶんゲームに費やしてはきたけど、でも楽しかったから、そんなに悔いはないけどなあ。特にいちばん長時間プレイした(っていうか、まだしている)シムピープルなんか、自分で建てた家や、集めた家具なんか今でも宝物で、眺めているだけで飽きないけど。それに、シムピープルを通じてすてきなお友達もできたし。(Akikoさん、読んでる?)
 え? 「中の人が何者かもわからないのに」なんて書いたのと矛盾している? 確かに私のゲーム友達やコレクター友達のほとんどは外国人で、会ったこともない人がほとんどだけど、でもそこはメールの文面だけでもわかるんだってば! 実際、チャンスがあって会った人はみんないい人たちだったし。秋にはまたアンドレが遊びに来るし、前にうちに遊びに来たスペインのセルジオからも、いまだに「元気?」というメールが来る。

 だから私はあまり後悔してないけど、というわけで、オンラインゲームを遊んでみたいと思う人は気を付けたほうがいいみたいよ。

2007年8月13日 月曜日

じゅんこのSummer Sonic 2007日記

 はい、行ってきました。疲れた〜、けど、けっこうおもしろかった。(多少ハイになってますので、いつもと文体違います)

 今日(もう昨日か)は早起きして、このためにわざわざ買った(前のは盗まれた)新車で葛西臨海公園へ。あ、これまではバーゲン品のいちばん安い自転車しか買わなかったけど、今度は高いの買いましたよ。6段変速!(ギア付きなんて乗ったことがない。うちのほうは平地なので、ほんとはギアなんかいらないんだけど) やっぱり乗り心地がぜんぜん違うし(ブレーキがちゃんと利く! サスペンションが良くて、段差でもガタつかない!)、こうしょっちゅう盗まれるのは、「どうせ安物だから誰も盗るまい」と楽観して、鍵もかけずにそこらに放置しておいたのがいけないような気がして。だから今回は鍵もしっかり二重にかけている。放置せずに、ちゃんとお金払って駐輪場に入れる。
 暑い暑いと思っていたが、臨海公園までのサイクリングは気持ちいい。まだ早朝(私にとっては。実は9時過ぎ)だからそんなに暑くないし、風がさわやかだし、日曜日の午前は人も車も少なくて快適! 今度はまた早起きして水族館見に行こう。
 それで京葉線に乗って、海浜幕張に到着。

 ところで私はひとつ勘違いをしていた。本会場のマリン・スタジアムは当然として、他のステージもみんな野外にあるものとばかり思っていたのだ。海辺の空き地にテントでも張ってやるのかと(笑)。
 ところが、幕張メッセの展示場使ってるんじゃない。(案内にもちゃんとメッセと書いてあるのに‥‥) 冷房の入った建物の中でやる夏フェスなんかあるか! と文句を言いつつも、これは楽! 暑さ対策や日焼け対策なんてぜんぜんいらなかった。(まあ、冷房しててると言っても、開けっ放しだし広いので、外よりはましという程度ですけどね)
 ただ、建物全体がイカ臭いのがなあ(笑)。(イカ嫌い) 入るとすぐに、縁日風に屋台がずらっと並んでるんですわ。それもエスニック・フードが多いから、臭いが強烈。食べればおいしいのはわかってるが、(日本を含めた)アジア料理って悪臭源以外の何者でもないと思いません?
 特に、その隅っこにあるステージを、最初ダンス・ステージと勘違いしたもんだから、「こんなイカ臭いところでUNKLE見るのか!?」と一瞬青くなった。(実際は中でつながってるが別室だった)

 お目当てのアーティストはみんな午後だし、それまで何を見ようか迷った。午前はほとんどがJポップで、私はこれは絶対見たくないし。とりあえず、最初は同行したゆうこさんがBlueman Groupというのを見てみたいと言うので、それにつき合う。ほら、顔を真っ青に塗った男3人組で、よくCMでやってるやつ。私はパーカッション・グループかと思っていたのだが、これはなんというのか、コミックバンドみたいね(笑)。
 ただ、意地悪を言えば、コミックバンドというのは、実はものすごくうまくなくちゃできないのである。「ロックスター」をおちょくるようなことをいろいろやってたが、そもそもロックバンドでもないし、あまりうまくもないというところで、私はけっこう引いた。なんかまともなロックバンドが見たいよー。
 それに続けて見たのは、Polyphonic Spree。ほら、あの新興宗教みたいな変な服着た人たち。好意的に見ればGorky's Zygotic Mynciみたいと言えなくもないが、ウェールズと言うだけでGorky'sには愛着持っていた私も、テキサス野郎じゃねえ。あまりに私の好みからはかけ離れているので、何を言ったらいいのかもわからない。そんなわけで、午前中はダラけてその辺に座り込んで見ていた。

 しかし午後のスケジュールは忙しい。フェスって、いろんなバンドがたくさん出演しているようでいて、実際はいくつものステージに分散しているので、実際に見られるバンドは限られる。本命のUNKLEは外せないとして、あとはどうしよう? 結局、毎度のワンパターンだが、Brett Anderson、Manic Street Preachers、それからUNKLEということになる。
 しかし、今書いてて気づいたのだが、私の御三家(長らく、Suede、Manics、Mansunだったのだが、Mansunが解散したため、UNKLEに取って代わられた。Suedeももうないが、まあBrettはBrettだし)を、1日にすべて見られちゃうなんて(しかも、ラッキーなことに時間が重ならない)、なんというぜいたく! これなら15000円払った価値もあるかなあという気がしてくる。
 しかし、私が神と崇めた御三家がどれもトリではないというあたり、時代の推移と、時代に取り残されたような一抹の悲哀も感じる。特にソロになったことで格下げのBrettはともかくとして、メインステージのトリがArctic Monkeysというのも時の勢いだからしょうがないとしても、ManicsがKasabianの前というのはちょっと屈辱的。

 でも私はSuedeもManicsも、もうさんざん見ているので、「重なったらパスしてもいいや」ぐらいの気持ちでいた。特にBrettのソロにはあまり感心しなかったし、Manicsの前のBloc Partyは見たことがないので、Brettは途中でやめてそっちに移動してもいいやなんて思っていた。
 が、しかし! やはり惚れた弱みと言いましょうか、「恋人」を前にしちゃうと、そんな浮気心はどこかへ吹き飛んでしまうのでありました。いや、マジで! 昔も今も「寝てみたい男ナンバーワン」。え? Paul Draper? もちろんPaulにも惚れてはおりますが(現在形だね)、彼はまあかわいい弟みたいなもんで、どうにかしたいとかされたいという気はないです。

Brettさん。でもこの人の持つ独特の色気と「華」は写真見てもわからないな

 しかも兄さん、いきなりジャケット姿で登場!(兄さん‥‥?) これがどれだけ非常識なことかは、(冷房が入っているにもかかわらず)うだるような暑さの会場を想像してもらうとわかります。実はこの人はすごく暑がりで汗っかきなのだが、それでもジャケットを着て涼しい顔をしているあたり、おのれの美学のためならいかなる労苦も問わない潔癖さと強がりが見えて、美しい人というのはやっぱりこうでないといけないと、しみじみ納得。
 いやー、いつ見ても惚れ惚れするほど美しいなあ。というか、若いころはけっこう変な顔だと思っていたのだが、年を重ねるにつれ、ますます美しくなってきた(ついでに痩せてきた)のはすばらしいとしか。
 それでこのジャケットの脱ぎ方がまたすばらしい。(なんのこっちゃ) 途中でジャケットを脱ぐのだが、歌いながら、まず片肌脱いでポーズを決め、もう片方も脱いでポーズを決めて客をじらし、最後にはらりと脱ぎ捨てたジャケットをピッと放り投げるところまで決まりすぎ! ある意味ストリップの振り付けだが(笑)。どうせならこれに続けてシャツも脱いでくれるともっとうれしいんだが。昔はよく脱いだのにね。最近出し惜しみなのよね。
 でもお尻はちゃんと振ってくれましたよ。キャー! セクシー! っていうか、こういうふうに自分の美しさとかっこよさと色気を十二分に承知していて、それを見せびらかしてくれるロック・ミュージシャンなんて、今どきいねーよ。その意味でもPaulはBrettの後継者として期待していたのに、今ごろどこで何をしているやら。もっともPaulは天然の部分もあって、お尻振ってもセクシーというよりかわいく見えちゃったけどね。
 おっと、顔と尻しか見てないわけじゃないよ。もうひとつ忘れてたのは、この人がライブでどんなに優れたパフォーマーかということ。そもそも、最初“Drowners”のビデオを見たときは「気味の悪いオカマ」としか思ってなかったBrettを大いに見直して惚れ込んだのは、ライブで実力を見せつけられたからだ。Suede末期にはその歌声にもやや翳りが見えていたのだが、今日のBrettは声も艶やかによくのびて、やっぱりうまいなあ、美しい声だなあと、健在ぶりを見せつけてくれた。観客のつかみや煽りかたもいつもながらうまいなあ。とにかく私はもう耳も目も釘付け。一瞬たりとも目が離せない。
 そしてこのあと、汗で濡れそぼった髪が乱れ、シャツがべったり胸に張り付くあたりからがBrettの本領発揮なのだが、そうなる前に終わってしまった! 短い! そういや、フェスティバルでは「前座」はフルセットやらせてもらえないのを忘れていた。あーん! やっぱり単独公演で見たかったよー!
 意外なことにソロ作は少なく、ほとんどがSuedeの定番ヒッツだった。だったら解散なんかするなよ! でもSuedeが解散したとき、何より絶望したのは、もうBrettのこれが見れないと思ったからだが、それは杞憂だったようだ。しかし、ベースはやっぱりMattだったな。もうBernardは無理としても、RichardとNeil呼び戻してよー!

 Brettが終わると、あわててマリン・スタジアムへ移動。スタジアムは通りを隔ててメッセのすぐ向かいにあるのだが、横断歩道がなく、えらく回り道をさせられて、ゾロゾロ歩かされるため、ここでようやく今日の暑さを体感。これではスタジアムじゃどうなるかと思ったが、影になる部分(観客席)に陣取ったおかげで、思ったより過ごしやすい。それに暗い建物から出て、青空の下でバンドを見るのもなかなかすがすがしくて気持ちがいい。涼しい海風も吹き付けるし、これを秋にやってもらえたら最高なのに。

 幸い、Bloc Partyもほとんど全部見ることができた。このバンド、デビューしたときから個性に光るものがあったので、私はけっこう期待して、CD集め始めたぐらいなのだが、やっぱりどうも好きになれないな。何が悪いと言って、歌にメロディーがないのが致命的。私は基本的に「うた」が好きなので。演奏はうまいしかっこいいんだけどねえ。

Jamesと「セクシーな」Nickyさん。やっぱりアップで見るとかなりこわい。

 そしてManicsだが、Nickyは今日はテニスのスコートみたいな超ミニの白いスカートで登場。とても涼しそうですね(笑)。でも、いくらパンチラ(というかパンモロ)見せびらかしたところで、色気とかそういうのとは別次元というか、こわすぎるような気もするが(笑)。Manicsというと、ついそれにまず目が行ってしまうが、いくつになっても、伝統を守って笑わせてくれるのはえらい。
 でも毎回微妙に変わっていて、今回はサイド・ギタリストが加わっている。これにキーボーディストも加わって、音はさらにいっそう厚みと迫力を増したが、確か以前、Richeyの思い出のために、絶対にサイド・ギタリストは使わないと言ってたような気がするんだが。まあ、どうせこの人たちは大嘘つきなのでしょうがない。
 ただ、このギタリストがRicheyと背格好が似ていて、その人がRicheyの場所に立ってるのを見たときは、一瞬ぎょっとしましたよ。おまけに髪型(七三分けで、長い前髪をパラリと垂らした髪型。そういや昔のBrettとも同じだ)が、Richeyの失踪直前(坊主前)とそっくりだし。おまえ、その髪型はちょっとやりすぎだろー! 顔はぜんぜん似てないんだけどね。
 でも、おかげでいやでもRicheyのことを思い出させられた私は、どうしてもしんみりモードに入ってしまう。しんみりするのは、Richeyの不在のせいばかりではなく、前のBloc Partyより客が入ってなくて、しかも客があれほど乗ってないせいもある。乗っているのは、ステージ前の一団だけで、あとは本命を待ちながら前座が終わるのを待っている風情で、地面に腰を下ろしていたりする。おまけに次のKasabianの出番が近づくにつれて、どんどん新しい客が入ってくるのもくやしい。あんなの(Kasabianも好きなんだが)とは格が違うでしょうが!
 演奏はいつもながらパーフェクトだ。というか、見るたびスケールアップしてうまくなっているのにあきれる。あいにくBrettと違って、容姿は崩れる一方だが、歌と演奏は年を取るにつれて、ほとんどイヤミなぐらいうまくなった。これだけのキャッチーな曲、これだけの歌と演奏聴かされて、乗らずにいられるなんて信じられない! それに、これまでManicsはクラブでばっかり見ていたが、この人たちこそ、こういう大きな会場でやるのがふさわしいスタジアム・バンドなのに。
 はー(ため息) これが時の移り変わりってものなのかな。そういや、ここに集まった連中のほぼ全員が、年からいってManicsの全盛期なんて知らない。フェスは年季の入ったファンも多いと聞いていたが、今回のサマソニはあまりロートルがでなかったせいか、どう見ても私が最高齢っぽい。いや、ヘビメタ・ステージにはいたのかもしれないが(Motorheadとか出てるし)、私はそこには行かなかったので。
 昔のManicsがどんなにかっこよかったか、彼らがどんなに数多くの山と谷を乗り越えてきたかなんて誰も知らないに違いない。どうせ、Manicsのことなんかロートルのデブぐらいにしか思ってないんだろう。あと、ライブの楽しみには、慣れ親しんだヒット曲が次々飛び出すというのがあるが、曲だって知らないんだろうな。でなきゃ、“Motown Junk”で飛び上がらないはずがない。
 あと、Manicsが受けてないという以前に、洋楽そのものが日本じゃ落ち目ということも言えるかもしれない。だいたい、Bloc Party、Manics、Kasabian、Arctic Monkeysと、これだけの豪華メンバー(今日のメイン・ステージはブリティッシュ・デイらしい)揃えて、グラウンドが満員にならないなんて、昔なら考えられないことだ。逆にこの手のフェスでJポップに人が入るということのほうが私には考えられないのだが。
 それでも、本物の音楽には、初めて聴く人の心も捉える力があると思うのだが、ゆうこさんがふともらした、「もう感性が違うのかね」という一言が、心に重くのしかかった。
 Jamesの、「この中に1992年のクラブチッタにいた人はいるかい?」という問いかけにもシーン‥‥。無惨だ。(当然いるはずなので、英語がわからないだけかも)
 でもこういうことがあると、かえって、何が何でも私たちがManicsをサポートしてあげなくてはという使命感に駆られる。本当を言うと、私の中には「3人のManicsなんか認めない」という気持ちもないではないのだが、それでもManicsはManicsだし、これまた一生、追いかけ続けることになるんだと思う。

 しかし、これはライブを見るといつも感じることなのだが、どうしてみんなヒット・シングル尽くしで、それ以外の曲をやってくれないんだろう? Manicsぐらい曲がすばらしければ(Everything Must Goと、This Is My Truthの2枚のアルバムを除く)、何度聴いてもいいけれど、それでも、一生に一度でいいから、“Condemned To Rock 'N' Roll”(ファーストのラストソング)をライブで聴いてみたいと、私は大昔から願っているのに。
 もちろんヒット曲をやるのはファン・サービスなのはわかってるが、Manicsみたいなカルト・バンドのファンは全公演をすべて追っかけて見ている人だっているのだ。毎日曲目変えろとは言わないが、せめて、1セットに1曲ぐらいB面曲を入れて、それを日替わりでやってくれたらいいのに。

 次のKasabianもどうしても見たかったバンドなのだが、あいにくUNKLEとかぶってしまった。それでもなんとか3曲目のイントロまでは粘ったのだが。
 このバンドは最初シングルを聴いて熱狂し、ファースト・アルバム買って失望し、でもそれからライブ・ブートレッグを聴いて感動したので、やっぱりライブを見なくてはと思っていたのに、これまで(チケットが売り切れて買い損ねたりして)チャンスがなかったのだ。
 ただ、2曲ばかりじゃやっぱりなんとも言えないなあ。この人たちはダンス音楽的なインスト部分がかっこいいのだが、残念ながらそれを聴くまでいることができなかった。これだけ聴くと、Primal Screamの亜流という感じも。この手の音楽はじわじわ効いてくるタイプだと思うので、長くいたら違ってたかも。

 ここで早めに帰らなくてはならないゆうこさんと別れ、私はひとりでメッセへ戻り、UNKLEに備える。うわー、ドキドキ!
 この人たちもこれまでご縁がなくて、見るのは初めてなのだが、そのはるか以前に惚れに惚れ込んだだけに、期待と興奮でワクワクする。ついでに言うと、私が今までかろうじて生活保護のお世話にもならず、どうにか食っていけるのは、ひとえにこの人、James Lavelle(UNKLEのメインマン)のおかげと言ってもいいぐらいなので、その意味でも私は彼に頭が上がらない。ほんとなら、1万5千円と言わず、20万か30万ぐらい寄付してもいいぐらい(笑)。
 ただその前に最近のダンス音楽全般についても。私はダンス音楽は嫌いだが、ダンスは好きという変人で、CD買う気はしなくても、ライブで踊るのは大好き。だからダンス・ステージにはけっこう期待してたのだ。ラインナップを見ると、UNKLEとトリのDJ Shadow以外は聞いたこともないバンドばっかりだが、とりあえず踊れればいいやと思って。
 が、やっぱりダメ! 最近のダンス音楽はまったく区別が付かなくて全部同じに聞こえるし、だいたい踊れない。なんというか、私の好きなダンス・ミュージックって、いやでも勝手に足が踊り出すようなグルーヴがあるもんだが、私がダンスに熱中したのはProdigyまでだったな。
 ああ、UNKLEのことはまったくダンス・ミュージックとは思ってませんから。あれは私的にはあくまでインディー・ロックだと思ってる。

James Lavelleさん。こうやって見ると背もすらっと高そうに見えるんだが(笑)。Brett(じゃなくてMatt)、Nickyと190cm越えの人たち見たあとだから、よけいそう感じたのかも。

 しかし、DJ Shadowのときもとまどったが、この手の音楽のライブってどんなんだろう? 特に歌なしのDJ Shadowと違って、UNKLEは歌がけっこう重要だし。たぶん、Richard File(Jamesの片腕)が歌うんだろうと思って、彼の声も好きなので、CDとはまた違った歌を聴けることに期待していた。ところが、Ian BrownやIan Astburyのような有名どころの持ち歌は、なんとテープなんですね。あー、ダンス音楽だとこういうのもありなのを忘れてた(笑)。
 とは言え、演奏のほとんどは生演奏で、しかもライブではCDよりいっそうアグレッシヴになるバンドなので、演奏そのものは今回ダンス・ステージに出たどんなバンドよりロックだった。ていうか、ヘビメタ・ステージに出たバンドを除けば(見てないので推定)、今日私が見たどのバンドよりハードでヘヴィ。さすが!
 ギタリスト、ベーシスト、ドラマーは死ぬほどうまいし。もっとも私はJamesとRichard以外は顔も名前も知らないので、この人たちがアルバムに参加しているメンバーと同一人なのかどうかもわからないが。Bloc Partyなんかは、わりと手法が似ているのでつい較べてしまって申し訳ないが、まるで格が違うとしか。

 ちなみに、ライブでJamesが何をしているのかは、ずっと謎だったのだが(彼はあくまでソングライター=プロデューサーなので)、これ見て、やっぱり何もしていないのがわかった(笑)。いいんだよ、彼は。指揮官風にコンソールの後ろに立ってるだけでかっこいいから。そういや、この人もすごいハンサムなのだが、生で見たら実はチビ、ってことがバレてしまった。いいんだよ、ハンサムならば。

 しかし、UNKLEの何が魅力と言って、トリップ・ホップなんて言葉もあるくらいだからして、以前、お仲間のMassive Attackのときに味わったあのトリップ感、体ごとぐわーんと異次元空間に持って行かれて、何がなんだかわからなくなっちゃう感じ、あれでイクのを何より楽しみにしていた。あいにく、BrettもManicsもイクほど十分見れなかったからね。これでイカなきゃ何でイクってぐらいで。
 で、最初は冷静に見ていたのだが――James大明神のご尊顔を間近でじっくり拝見したあとは、少しでも音響効果のいい場所を捜して会場全体をうろうろ歩きまわったりして――さすがに名曲“Eye for Eye”が始まると、うわー、来た来た! よし行くぞ!
 ってところで終わってしまった。ガーン! 何度も言うが短い! いくらなんでもUNKLEはセカンド・ビルだから、もうちょっと長くやると思ってたのに。1曲が長いせいもあるが、5曲ぐらいしか聴けなかった! ダメだ、こりゃ。やっぱりオールナイトかなんかで聴くべきバンドで、こんな顔見せぐらいじゃ満足できない。

 でもがっかりなんかしていられない。UNKLEが終わるとまたシャトルバスに飛び乗って、スタジアムへ戻る。メインのトリのArctic Monkeysはやはりなんとしても見ておかなくてはならないバンドだから。その理由というのも、「なんでこのバンドのレア盤は、こんなにキチガイみたいに高いのか?」を確認するためなのだが(笑)。
 はい、自分の趣味も大事だが、音楽で商売している私としては、新人はできるだけチェックしておく必要があるのです。なのに最近それをすっかり怠っているせいで、世の中にだいぶ遅れを取ってるから、フェスはその遅れを取り戻す絶好のチャンスと思ったのよ。結局は趣味に走ってしまったせいで、ほとんど見れなかったけど。
 スタジアムへ戻ると、日はとっぷり暮れて真っ暗で、なかなかいい雰囲気。暗くて見えないが、グラウンドもほぼ人で埋まったようだ。これだけの数の人々に支持されるからには、何かすごいものを持ってるバンドに違いない。
 と思って見始めたのだが、うーん‥‥。いや、私も同傾向の同世代バンドの中では、ここが頭ひとつ抜けてるとは思う。ただ、この世代自体が、私にはぜんぜんピンと来ないので。
 これが「感性の違い」ってやつなのかなあ? あまりにもオーソドックスなロックで、私には単なるパブ・ロックにしか聞こえないんですが。イメージ的にはなんとなくLibertinesみたいなのかなと思っていて、Libertinesは私も大好きだったので、けっこう期待してたんだが、あんなふうに一聴しただけで、「これだ!これだ!」と思わせるような、個性とかカリスマ性とかは残念ながら私は感じられない。
 うーん、うーん‥‥

 何を悩んでいるかというと、私も60年代からこの年まで、ずーっとロック一筋で来たわけだけど、自慢にしているのはその間、つねに最新の音楽にどっぷりのめり込んできたってことなのよね。私の年でもロック・ファンという人は大勢いるけど、そういう人たちはたいてい60年代かせいぜい70年代初めで時間が止まっている。それが悪いとは言わないけどね。でも私のこれはべつに意識してやっていることではなく、ただ体質的に新しい音楽しか聴けないんだと思ってたの。
 ところが、21世紀に入ったとたん、どうも歯車が狂い始めたような気がしている。だいたい、いちばん最近、私がのめり込んだバンドというのはThe MusicとStarsailorなのだが、あの人たちどこ行っちゃったの? もしかして知らない間に解散してるんでは? と急に不安になったので、あわててオフィシャルサイトを見てみたら、解散はしてないようだが、ほとんど活動停止状態。うへー、(The Musicの)Robがあの長髪をばっさり切って、スキンヘッドになってるよ! なんかいやな予感。あたま剃り上げるのって、バンド末期にみんなやることだから。
 それはともかく、Libertinesは解散しちゃうし、Cooper Temple Clauseは解散しちゃうし、このところ、私が「いい!」と騒いだバンドは、みんなどこかへ行ってしまうという悪循環が続いているのも不安要素。
 もちろんほかにも好きなバンドはたくさんあるが、「あー、昔は良かった」とか言いながら生きていくのはいやなんだよ、私は! と言いながらも、イギリス・ロックの底力にはまだ期待してますけどね。ただ、最近のバンドを試聴すると、どれもぜんぜん嫌いではないんだけど、だからといって「すげえ!」と思うのもなくて‥‥

 とにかく、Arctic Monkeysを見ていたら、「やっぱり残ってDJ Shadow見れば良かった」という気がしてきて、またバスに飛び乗って、メッセに戻る。それでもうここまで来たからには、3つのステージのトリ全部見てやる(さすがにOffspringは見る気がしない)と思って、Pet Shop Boysまで見てしまいました。
 DJ ShadowはUNKLEよりずっと客入ってるな。まあ、日本での知名度から言って当然か。なにしろ、UNKLEというのはポイントマン(ずっとMowaxのデザインを担当していた、アメリカのグラフィティ・アーティストFuturaのトレードマーク)を描いた人と思ってる日本人が大多数だから。私がMassive Attackの前座で見たときはソロだったが、今日はCut Chemistとの共演。そのため、ヒップホップ色が濃厚になっていて、私にはあまりなじめない。
 Pet Shop Boysはあのキャバレー風というかラスベガス風のステージをここでもやっている。これはこれで見ればけっこうおもしろいんだけどね。見れたのはラストの“Go West”だけ。昔のディスコ・キッズみたいな人たちが盛り上がっていた。最後の花火も見て、なんだかんだ言いながら、駆けずりまわってしっかり入場料の元は取った感じ(笑)。

 帰りはゆうこさんとレストランで夕食を取るつもりだったが、ひとりになっちゃって、おまけに汗と汚れでドロドロ、髪ぼうぼうのスタイルでは、レストランへ入るのは気が引けたので、屋台を物色する。昼間は大勢人が並んでいたんだけど、さすがにこの時間になると人もまばら。
 どれもおいしそうだが、いちばん行列が長かったケバブを買ってみる。こんなのうちの近所じゃ、夜になるといつもイラン人が売ってるんだけど、500円と高いので買ったことがなかった。ロンドンでは(レストランに入る金がないので)よく食べたんだけどね。でも食べてみたらうまかった。ついでに半額になっていた親子丼も、明日の夕食用に買って帰ったがそれもうまかった。
 こんなところの飯はまずいものと決めてかかっていたが、けっこういけるじゃん。こういうのうちの近所で毎晩やってくれると助かるのだが(笑)。

 おみやげはこの親子丼だけ。まさかと思うが、UNKLEグッズでも売ってたら大量に買い込むつもりで、(うちの店ではUNKLEと名が付けばなんでも売れるので)、大金を用意していったのにむだでしたな。マーチャンダイズのたぐいはほとんど何も売ってない。商売下手だなー。こういう場所こそ、みんなハイになって理性失ってるからゴミでも買うのに(笑)。
 代わりに置いてきたものはメガネ(苦笑)。なにしろ汗をかくのでしょっちゅう外して顔を拭いていたら、いつのまになくなっていた。いつものことだし、もう古くて買い換える必要があったから、あまり痛手ではなかったけど。サングラスは持っていたので、それで代用したが、真っ暗なコンサート会場でサングラスというのは不便なようでいて、意外と使えることを発見。ステージのライトがまぶしくて目がチカチカすることよくあるじゃない。サングラスかけてるとそれがないので、かえってはっきり見えるぐらい。
 困ったのは帰りの夜道で、真っ暗な公園や森の中をサングラスして自転車で走るのはけっこうスリルだった。かといって、外したらなんにも見えないし。

 えー、結論。「暑い最中に、炎天下で人にもまれて、たいして見たくもないバンドに大金払うのなんかバカくさい」という理由で敬遠していた夏フェスだったが、サマソニは何しろ近くて楽だし、意外と快適で楽しめた。
 クラブ・ギグと違っていいなと思ったのは、コンサート中に飲んだり食べたり歩きまわったり、寝てたっていいこと。昔、ロンドンで見たギグがまさにそういう感じで、それで、「そうか、この人たちはその気になれば毎日だってギグが見られるから、ガツガツする必要ないんだな」と、私はうらやましく思っていたのだ。
 これが日本のクラブ・ギグだと、一度場所取りしたら、疲れても座れないし、喉が渇いてもおなかが減っても身動きできないもん。もっとも、そんな立錐の余地もないほど混むギグって、最近はないですけどね。(私がそういうのに行ってないだけか?)
 でもやっぱりチケット高いので、どうせなら前で見たいし、気持ちの余裕がなくなってしまう。その点、サマソニは人がけっこう入れ替わるので、(スタジアムのいちばん前はともかく)行こうと思えばいくらでも前へ行けるし、次から次へとやってるので、あせらなくてものんびり見られていい。(それでもあせって走り回る貧乏性の私)

 とにかく日曜日の過ごし方としては、かなり充実したものが得られるんではないか? 問題はやっぱりチケットの高さだけ。これがせめて8000円なら、私は毎年行くのになー。でも15000円だと、やっぱり今年ぐらい充実したラインナップのときでないと見に行けない。
 そんな安くしたら元が取れないって? えー、でも学生さんとか、お金がなくて行きたいけど行けない人は多いと思うよ。だいたい海外バンドなんか、日本に行けるってだけで喜んで、夏の休暇気分でくるんだから、そんなに高いギャラ払う必要なし!(笑)

 ただ、やっぱり音楽じっくり聴きたい人には向いてないな。セットが短いし、集中力なくなるし、音も良くないし。じっくり聴くにはクラブ・ギグと、そのへんうまく使い分けるといいみたい。

2007年8月18日 土曜日

 各地で史上最高温度を記録する猛暑! 確かにこの夏はきつい、と思いながら昼寝(実際は夕寝。なにしろ不規則な生活してるもんで)をしていたら、暑くて汗びっしょりになって目が覚めた。「エアコンこわれた!」と思って窓を開けたら、外は涼しい風が吹き渡っている。(うちのエアコンはみんな調子が悪く、外気温が下がると勝手に止まってしまうのだ) どうなってるの??
 確かに冬暖かく夏涼しいところが、西葛西のいちばん気に入ってるところなんだが、もう秋ですかねえ、とか思いながら夕刊を広げたら、連日の猛暑の記事が目に入る。人が暑さでバタバタ死んでるっていうのに、なんでうちこんなに涼しいの?

 大学の採点がやってもやっても終わらず、ややあせり気味です。あー、もう早く休みにしたいし、遊びに行きたい! 聴いてないCDや、見てないDVDも山積みになってるし。ていうか、いい加減、家の片づけもしたい!
 でも、来週にはまた若い男性 (*^_^*) がうちに遊びに来てくれることになってるし、アンドレが9月にやってくると思っていたら、フランスのジャン=リュックから、「いま日本に来ているので会いたい」というメールが。

 つーか、ジャン=リュックって誰?(笑) いや、とにかくお客さんやサイトの訪問者も含めて、あまりに多くの人からメールをもらうから、誰が誰だかわからなくなっちゃうんですよ。でも確かに聞き覚えがあると思って、自分の古い日記を検索してやっと思い出した。
 お店のお客さんじゃなくて、このサイトを見てきてくれた人で、写真を送ってくれたんだけど、すげーいい男なんで感動して日記に書いたんだった。細かいことは忘れたけど、なんかかっこいい職業に就いてて、世界中の秘境っぽいところを旅してまわっていて、お金持ちという、夢みたいな人で、「私があと20才若かったら!」なんて書いてた(笑)。うわー、どうしよう! これは家の掃除ぐらいじゃすまなくて、マンション建て替えなきゃ(笑)。なんて見栄を張ってもどうしようもないんだけどね。

 しかし、家が汚いのは自分がだらしないからしょうがないとして、やっぱり貧乏はつらいよ。これも自分で選んだ貧乏人だから文句は言えないんだけど。
 実は私はお客さんが大好き。特に自分の家にお客さんを招くのが。私はどっちかというと内向的なので、外へ行くのがきらいだから。でも人をもてなすのは好きで、以前はサイトで知り合った人とか、学生とか、大勢家に呼んでたものだが、店を始めてからというもの、年々、家は人の住むところという感じじゃなくなり、そもそも足の踏み場もなくなって、人を呼ぶのもあきらめてしまった。
 これが広くて新しいマンションか、庭付きの一戸建てだったらねえ。それこそこれ読んでくれてる人、みんな招待してパーティーやりたいのに。外人のお客さんなんてみんな泊めてあげたいのに。まあ、たぶん、どんなところに住んでも、私はきっと汚すし、物でいっぱいにしちゃうから同じだろうけど(笑)。

2007年8月22日 水曜日

フランスからのお客さんの話

 今日は、フランスから来たメール友達ジャン=リュックに会って、ディナーを共にした。上に書いたように、以前送ってくれた写真がすごくかっこよく写っていたので、けっこうドキドキ‥‥(笑)。
 いや、そうじゃなくても、私はこう見えてもけっこうシャイで臆病なので、初対面の人に会うときはドキドキするんですよ。まして相手が外国人だとね。実は英米人は実生活でもしょっちゅう接してるから、ほとんど外国人と思えないのだが、フランス人は私には外人なので(笑)。

 それで、渋谷のHMVのカフェでドキドキしながら待ってたのだが、現れたジャン=リュックを見て、「こいつ、古い写真送ってよこしやがったな!」(笑)
 というのも、写真の彼は、柔らかそうな巻き毛を額にたらし、メガネをかけて、痩身で、いかにもインテリっぽくて繊細そうな感じが気に入ったのだが、それからだいぶ脂肪をため込んだと見えて、腹はぽっこり出てるし、ほっぺたもすっかりふくよかになって、ただの赤ら顔のおっさんになってるではないか。とか言って、私も人のことは言えないが、少なくとも私はまだ(外からはっきり見えるほどは)腹出てない!
 でもこのぐらいの年の白人って急速に老けるから、あの写真も嘘ではなかったのかも。だいたい写真を交換したのももう4年前だし。その写真では30ぐらいに見えたのだが、実は現在46才で、私とそんなに変わらなかったのもショック! まあ、年から言ってこれぐらい太るのは普通だし、「かつてのハンサム」の面影はうかがえますけどね。ちなみに10才の息子の写真を見せてもらったら、この子が西洋人にはよくいるが、まさにお砂糖でできた天使像みたいに甘く愛らしい美少年で、おそらくジャン=リュックの少年時代もこんなだったんだろう。やっぱり西洋人って年とると変わりすぎ! 日本のおじさんなんか、子供時代の写真見せてもらうと、ただ単に今のを小さくしただけだったりすること、よくあるのに。(それはそれで問題だと思うが)

 ごめんごめん。うそうそ。なにも友達は顔やウエスト・サイズで選んでるわけじゃないです。もちろん、メールで話して、いい人だと思ったから仲良くなったわけで。
 ただ、彼も音楽好きなのだが、音楽の趣味はだいぶ私と違って、彼は60〜70年代のサイケ一筋。先日行ったドイツのフェスティバルがWoodstockそのものだったと言って、熱く語ってくれた。髪に花を飾った年取ったヒッピーたちが、カラフルなペイントをしたバスで乗り付けて、ラブ&ピースって、私には悪夢にしか思えないのだが(笑)。もちろん当時は私もWoodstockに熱狂しましたよ。でも当時の私がほんの子供だったことを思うと、彼がリアルタイムに経験してるはずはないのだが。
 むしろ私の香港の友達ジェフリーとのほうが話が合うかもしれない。ジェフリーは自分のことをold hippieなんて言ってるから、それこそ太った元ヒッピーを想像していたら、実は若かったので(ついでに長身でなかなかのハンサム)びっくりした。音楽の好みは本当に人それぞれですね。

 音楽以外に彼が熱中しているのはカメラと旅行。特に中国語が話せるほどの東洋通で、日本へ来るのはこれが初めてだが、日本映画や小説には私よりくわしいぐらい。
 そこで、こないだ『硫黄島からの手紙』を見て感動した私は、「あの映画見た?」と聞いたら、2部作ともDVDで買ったそうだ。そういや、以前、『ビルマの竪琴』の話で盛り上がったことがある。それに、『火垂るの墓』は原作も買って読んだほど好きらしいが、「映画はつらすぎて、もう一度見る気になれない」と言う。ほら、涙が出るほどいい人でしょう? (日本人で上記のどれも見たことない人、映画だけでも見なさい! これは日本人の義務です)

 私は長崎へ行ったとき、原爆資料館へ行ってものすごいショックを受けたので、広島の話が出たとき、「平和記念資料館へは行った?」と訊ねたら、もちろん行ったし、「世界中でいちばん悲しい博物館だ」と言う。10才の息子も強い感銘を受けていたそうだ。そうだよなあ。日本にはもっともっと、原爆の事実について世界中に発信する義務があるのに、「しょうがない」なんて言うアホバカマヌケが大臣やってるんだから‥‥(ため息)
 しかし、あの戦争で、日本が唯一純粋な被害者と言えるのは原爆だけなのに、それを擁護するとは、これって究極の自虐史観ってものじゃないの?(冷笑)

 いちばん好きな町は神戸だと言うから、「でもあの町は震災でひどい被害を被って‥‥」と言おうとしたら、ニュースで見てすぐに募金を送ったのだそうだ。いい人だなあ、ほんとに。

 日本のいちばん好きなところは何かと訊ねたら、人々が礼儀正しくて、町が安全なところだと言う。さんざん聞かされたセリフだが、最近はそうでもないんじゃないの?と思えるんだけど。でも、彼が住んでいるフランスのナンシーという町は、写真で見る限りでは夢のように美しいところなんだが、夜はひとりで歩けないと言う。中年男性が?! やっぱり私たちはまだまだ日本のありがたみがわかってないのかもね。
 ヨーロッパ人はみんなそうだが、アメリカ嫌いで、アメリカ人と間違われたと言ってプンプン怒っているのに笑った。

 これだけ日本びいきの人が日本で失望したら悲しいと思っていたが、彼の印象は上々だったようで、また来るし、今度は日本語勉強してくると言う。そこで再会を約束して別れた。

おまけ

 フランス人は私には外人だと書いたが、つくづくそれを感じさせるのは、あいさつ文化の違い。具体的に言うと、ハグなんだよ!
 外人慣れしてない日本人は握手でもドギマギする人が多いが、私はさすがにそれは慣れたものの、初対面でのハグはやっぱり苦手です。べつにいやなわけじゃないけど、照れくさいんだよね。
 ジャン=リュックと会ったときも、手を差し出すから握手のつもりで右手を出したら、向こうは両手出してるじゃん! それで両者、不自然な体勢のまま、
    私 「あ?」
    ジャン=リュック 「あ?」
という感じで固まってしまった(笑)。それでもあわてて気がついてハグしたが、自分でもなんか不格好で不自然なポーズで恥ずかしかった。
 ハグでこれだから、「抱き合ってほっぺにチュッチュッ」にいたっては、ぜんぜん自信ないです。見ているぶんにはかっこいいので、あんなふうに自然にできたらなーとは思うんだけど。誰か練習台になってください(笑)。
 ちなみに、白人の中でいちばん体の接触が控え目なのは、私の印象ではイギリス人で、やっぱりイギリス人が私はいちばん気が楽だ。(というか、私の知ってるイギリス人が日本在住の人ばかりだから、向こうが遠慮しているのか?)
 もひとつおまけに握手のコツ。握手するときは体をまっすぐ起こして相手の目を見ること。握手しながらペコペコ頭下げちゃダメだよ。

2007年8月25日 土曜日

 夏休みはふだんできない社交に忙しいというわけで、今週は、Hさんがうちに遊びに来てくれた。彼は店を通じて親しくなった人なのだが、まだ大学生! 私なんて彼のお母さんと言ってもいいぐらいの年なのに、それでも会いたいと言ってくれるなんて感激です。ていうか、自分の半分の年の人と話がはずんでしまう私が変ですか?
 でも、年を気にしすぎるのが日本人の悪い癖ってよく言われるもんね。それに、年上でも年下でも、同性でも異性でも、話して楽しい人は楽しいし、つまんない人はつまらないという、いたってあたりまえの理屈なのに、なんか日本人って性別とか年齢とか異常に気にするよね。そっちのほうが変だよね。べつに結婚しようってわけじゃないんだからさ(笑)。
 とか書いてたら、今度はこの日記の読者のSさんからメールを頂いた。なんでか知らないが、私にプライベートなメールくれる人って、若くていい男ばっかり! モテモテじゃん、じゅんこ!(笑) と言っても、残念ながら、色気なんかとっくに枯れ果ててる私にはあまり意味ないんだけど、どーして私の若いころにはインターネットがなかったの?と、天を恨みたくなる。
 あ、もちろん、おじさんでもおばさんでも、おじいさんでもおばあさんでも(たぶんそれはいないと思うけど)、読者からのメールは大歓迎ですよ。ゲストブックや掲示板はウザいので取っちゃったけど、その気のある人はどんどんメールくださいね。

 これからは、映画評、音楽評、書評、ビデオ評に取りかかるつもりなんだけど、そういうのはそれなりに集中しなきゃならなくて疲れるので、今日は雑談だけ。

 Hさんは音楽の趣味もいいが、サッカー・ファンなのがうれしい。最近、サッカーの話できる人がまわりにいなくて。いや、男子学生はほぼ全員サッカー・ファンだし、教員仲間にも好きな人はいるが、無知なミーハーだと思われるのが恥ずかしくて(実際そうなんだけど)、あんまり大学じゃサッカーの話しないんですよ。おみやげにヨーロッパの主要リーグの選手名鑑をもらったので、これ読んで勉強します。と言っても、うちは地上波しか見られないので、かんじんの試合がほとんど見られないのが悲しいんだけど。あー、ワールドカップ2年に1度やってくれないかなー。
 日本代表の試合は地上波でやってくれるので見てるけど、なんかあまり書きたくないっていうか、書くと悪口になっちゃうから。でもこれが今の日本の実力だからしょうがないよね。それを思うと、中村俊輔とか、高原とか、ヨーロッパでレギュラー、しかも主力選手としてやってる人は本当にえらいなあと思う。

2007年8月30日 木曜日

 ここから夏休み映画劇場の始まりでーす! とか言って、夏休みもうほとんど終わりじゃん(苦笑)。実はこれは8月のアタマから書き始めたのだが、どうも気分が乗らず、今まで放り出してあったものばかり。どうも年をとると年々、何をするにもトロくなってくるのが悲しい。というか、書きたいことは頭の中にたくさんあるし、私はタイピングも超絶早いのだが、なまじ夏休みでダラけちゃうと、デスクに向かって腰を下ろして、さあ仕事(じゃないんだけど)というのがなかなかできないのだ。
 だけど、他にもDVDいろいろ借りてるのに、早く書かないと次のが見れないんだよ。というのも、私は例によって記憶力なし人間なので、新しい映画を見ると、たちまち前のを忘れちゃうから。それにレンタルビデオは期限内に返さないとならないし。というセコい事情であわてて書いたものが多いので、またあとで加筆訂正するかも。

『硫黄島からの手紙』 (2006) 監督クリント・イーストウッド
(Letters from Iwo Jima directed by Clint Eastwood)

 夏といえば戦争である。なんてことを書いてもピンと来ない若者が多いだろうけど。実は私は戦争映画ファンである。理由は2006年12月24日の『ジャーヘッド』のリビュー参照。ついでに言うと、子供のころからクリント・イーストウッドのファンでもある。というわけで、いやがおうにも期待していた硫黄島二部作について。
 で、当然目玉はこっちでしょう。なにしろアメリカ人が監督した初めての「日本映画」。しかも敵の立場に立っての戦争映画なんだから。日本人が中国人の視点から南京大虐殺の映画を撮るなんて考えられる? というわけで、たとえ失敗しようと成功しようと、これは革命と言っていい勇気ある画期的な試みだ、ということは初めに言っておこう。それに戦争映画は悲劇のほうがおもしろいに決まっているので、『父たちの星条旗』よりはこっちのほうがおもしろいことは確実。
 そこで大いに泣かせてもらうことを期待していた。見る前の考えでは、泣けたらイーストウッドの勝ち、泣けなかったら負け。なんのこっちゃ(笑)。

 洋画はいつも原題を先に書くのだが、今回は逆ですね。だって、これほんとに日本語映画なんだもん。タイトル画面からして日本語とは私も予想していなかったので、イーストウッドの覚悟みたいなものを感じてちょっと感動。

 もうひとつ、私が忘れていたことがある。「バロン・ニシ」、こと、西竹一中佐は硫黄島で戦死したんだってことをすっかり忘れていた。と言っても、映画見てない人には、なんの話かピンと来ないでしょうね。
 馬術競技そのものが日本ではマイナー・スポーツだから、西中佐(戦死後、大佐に昇級)の名前を知っている人は少ないだろうけど、むかし馬術をかじったことのある私は、もちろん彼の業績は知っていた。この人は日本が産んだスポーツマンの中では最大の、国際的ヒーローなんだよ! 松井がどうとか、中村がどうとかなんて目じゃない大物なんだよー!
 1932年、ロサンジェルス・オリンピックの大障害でウラヌス号に騎乗し金メダル。と言っても、まだそのすごさがわからないだろうな。数あるオリンピックの競技の中でも、閉会式直前に閉会式会場で行われる大障害は、まさにオリンピックの花、大トリであり、その優勝者は世界中で最も尊敬される、かどうかは別として、最も栄誉あるアスリートと言ってもいいのだ。特にこの時代に日本人が、馬術みたいなヨーロッパの王侯貴族のものと考えられていた競技で金メダルを取ったってことは大事件だった。(もっとも西さんも貴族だが。ちなみに日本が取った馬術競技のメダルは、あとにも先にもこれ1つ)
 なのに、日本じゃ、この4年後のベルリン・オリンピックの前畑(女子200メートル平泳ぎのゴールド・メダリスト)は有名なのに、西中佐の名前なんて知ってるのは、ほんの一握りじゃないか? 言っちゃ悪いが競技の格も、メダルの重みもぜんぜん違うのに。

 特に場所がアメリカだったこともあって、西中佐は当時のアメリカでは有名人だったし、人柄も魅力的で、華族の生まれだけに社交術にも長けていたらしく、国際社交界の名士でもあった。だから、硫黄島でも、アメリカ軍が「きみを失うことは世界にとっての損失だ」と言って、名指しで投降を呼びかけたという逸話が残っているぐらいである。
 というわけで、この人を主役にしても映画1本撮れちゃうぐらいなんだが、それが脇役だなんてなんというぜいたく! とにかく、西中佐が出てきた時点で、私の好感度メーターはピーンと跳ね上がったので、以下、多少身びいきが入るかもしれない。
 ただ、彼の登場画面で、あんなに小さい障害なのに引っかけるあたりがちょっとね(笑)。だいたい戦場(しかも絶海の孤島)に馬なんか連れてきてたのか! この辺、いかにも貴族のお坊ちゃんらしくていいんだけど。

 で、まだもったいぶって、例によって映画を見たあとはIMDbとオールシネマの読者評を見るのだが、大絶賛!が多数派なものの、日米両国とも酷評もけっこうある。それもよくないという理由が日米でまったく違うところに、国民性の違いが見えておもしろかった。
 アメリカ側(もちろんIMDbの読者はアメリカ人だけではないが、やっぱりアメリカ人が圧倒多数のようだし)が不満を抱くのは、やはり「アメリカ人が悪者になる映画」というものを見慣れていないので、ある種のショックを受けたせいらしい。
 べつに米軍を悪く描いているわけではないし、悪者と言えるのは、上官に捕虜の見張りを命じられたのに、「こんなことしてたら敵の目標になる」と言って、捕虜を射殺してしまう兵士ひとりだけなんだけどね。それでもアメリカ人には十分ショックだったらしくて、「反米映画だ!」なんて息巻いている「愛国者」もいる。
 一方の日本の愛国者にとっては、主要登場人物が全員、皇軍兵士にはあるまじき(笑)腰抜けで甘っちょろいヒューマニストなのが気に入らないらしい。おまけに主役2人はアメリカかぶれで、英語なんか話しやがるし(笑)。
 確かにどっちの気持ちもわかる。しかし、どっちかというと反米で反日の、どっちから見ても非国民の鈴木順子の感想はいかに?

 見る前はちょっと気が重かったのも事実。ひとつには、20933名の日本軍のうち20129名が戦死という、ほぼ全員玉砕の話なんだから、まったく救いがなく、気の滅入るような話に違いないということ。そうじゃなくても、ちっぽけな島に孤立し、完全に見捨てられて応援もなく、食料も水も弾薬も尽きた状態で、圧倒的な数の艦隊に包囲された情況は、ただひたすら悲惨なだけで、見て楽しいとかそういうもんじゃないだろうと思って。

 もうひとつちょっといやだったのは、私がそもそも「日本映画」が嫌いだってこと。日本特有のウェットで陰気くさい体質が嫌いなのだが、そこはやっぱりイーストウッドだから大丈夫だろうとしても、少なくともキャストは全員日本人俳優でしょう? 日本人は役者も嫌い。私の目にはみんな下手くそに見えるから。
 というのは単なる偏見だが、外国映画を見慣れてしまうと、顔ものっぺりして平坦だし、表情も乏しいし、ジェスチャーもしない日本人の演技は、あまりにも地味で薄っぺらく見えてしまうのだ。これは言い過ぎとしても、声に関してはどうしようもないでしょう。いつも言ってるように、私は深い朗々とした声の俳優が好きなのだが、日本人ってみんな喉声で、声が細くて、甲高くて、それだけで萎える。(日本のバンドがきらいなのもそのせい) セリフまわしも日本語特有の抑揚のない話し方のせいで、みんな棒読みに聞こえちゃうし。
 唯一、渡辺謙は背も高いし、ガタイもいいし、ハンサムだから好きなのだが、あとはどうだろう? ちなみに、彼の前に私が好きだった、唯一の日本人俳優は三船敏郎(笑)。なんか外人受けする役者ばかりだが、私はガイジンなんですみません。
 まあ、戦争映画って、たいていはほとんどキャラクターの見分けもつかないから関係ないか。ほら、誰もが同じ髪型で同じ服装をして、たいてい顔も真っ黒に汚れてるもんだから、私はすぐに誰が誰かわからなくなっちゃうのよ。特に日本人の顔ってみんな同じに見えるし(笑)。だから私はガイジンだって言ってるでしょ!

 ところが見始めて驚いたことに、私の予想は逐一裏切られた。まず第一に、キャラクターの見分けがつくし、おまけにキャラクターに感情移入ができる!っていうだけでも驚き。そうそう、私は戦争映画は好きだけど、そもそも兵隊なんか嫌いなので、兵隊さんを好きになること自体がまずないのよ。
 ところが、この人たちが「嘘だろー」っていうぐらい、いい人ばっかりなんだわ。西中佐が負傷したアメリカ兵を助けるところなんかは、さすがにアメリカの観客に配慮した創作だろうと思っていたが、実際にそういうことがあったみたいだし。
 とにかく司令官の栗林中将と西中佐は、どっちも堂々と貫禄があって、勇気と人間らしい思いやりと暖かさがあって、考えられないぐらいいい人に描かれているのにびっくり。いや、外国映画で日本兵が「いい人」に描かれるだけでも奇跡に近いんだってば。
 主人公は当然としても、それが2人もという大サービス。どこまで事実かは知らないが、2人ともかっこよすぎ! これには日本人として(こういうときだけ愛国者)気を良くせざるをえない。実際、西中佐の話や、栗林中将の手紙を見ると、2人とも立派な人だったには違いないんだが。もっともこの2人が無二の親友というのは創作らしい。実際は性格の違いから、けっこう衝突もあったみたいで。

 でもいいの。真実かどうかはこのさい関係ない。この映画の日本軍がリアルでないと苦情を言う人たちに言いたいんだけど、イーストウッドはリアルな戦争映画なんて目指していないし、私もそんなもの見たくない。リアルって言うなら、それこそ私が恐れていたような陰々滅々とした暗ーい映画を撮るしかないし。
 むしろイーストウッド映画の真骨頂は美学である。彼のウエスタンにそれがいちばんはっきり現れているが、戦争映画を撮ってもそれは同じだ。様式美の世界なんだから、リアリズムうんぬんは関係ない。そして「男のかっこよさ」を描く(演じる)ことに関しては、この人は世界のトップクラス。よって、栗林、西がかっこよすぎるのも当然のこととうなづける。
 そういや、私が最高と考える戦争映画は『地獄の黙示録』なんだが、あれなんか完全にファンタジーだしなあ。戦争をリアルに撮ってなんのいいことがあるの? だって現実を見れば戦争なんてバカバカしくてくだらないだけじゃん。

 イーストウッドだけじゃなくて役者もほめておこう。渡辺謙はいつも通りかっこいいが、西中佐を演じた伊原剛志もなかなか。私は初めて見る(なにしろ日本映画を見ないので)役者だが、イメージぴったりなのに感心した。似たようなタイプだが、誠実でまじめ一方な感じの栗林に対して、西はお坊ちゃまらしい自由奔放さがあるのもいい。
 でもって、この映画の足を引っ張るとしたら、西郷役の二宮和也に間違いない、と最初から決めてかかっていた。ジャニーズ系と聞いただけで、汚点はこいつだなと。どうせ今どきのチャラチャラしたヘタレ男に決まってるし、ぜんぜん兵隊にも見えないだろうし、演技なんてとんでもない話だと思って。
 これはかなり困ったことである。というのも、職業軍人の栗林や西と違って、西郷というのは観客がいちばん感情移入ができるはずの、いわば庶民代表の重要な役柄だから。そこでコケたら映画全体が台無しになってしまう。
 ところが見てびっくり。ちゃんとあの当時の、赤紙で引っ張られた善良な一市民に見えるではないか。アイドルにしちゃ不細工なのも、今どきの子にしちゃいかにものっぺりした日本人顔なのも、かえって功を奏した。おまけにちゃんと演技してるじゃない! というかむしろ演技的にはこの子がいちばん印象的だった。
 その他脇役も、心優しい憲兵の清水(加瀬亮)にしろ、栗林の副官の伊藤中尉(中村獅童)にしろ、みんな本当に涙が出るほどいい人ばっか。唯一悪役っぽい、戦車に特攻かけようとして果たせなかった将校(名前を忘れた)だって、それなりに人間的な葛藤を抱えた人物で、とにかく主役以外は十把一絡げの群像劇になりがちな戦争映画で、ひとりひとりに個性があって、見分けがつくというだけでもたいしたものだ。

 とにかく、日本人をこれだけ好意的に、かっこよく描いてくれただけでも、イーストウッドには頭が下がる。
 というのも、私はどこの国の映画でも、戦争映画を見るたび、敵のことは完全無視なのに憤慨していたのだ。特にアメリカ映画では、敵兵なんて虫けら並み。それは『地獄の黙示録』でもそうだった。敵兵に名前があることなんてまずないし、ましてや敵を美化するなんてありえない。

 それでも、そこはやはりハリウッド映画だからして、当然、アメリカ側の「勇敢でかっこいい指揮官」とか「心優しい、いい兵隊さん」も出てくるんだろうなと思っていた。ところがこの映画のアメリカ兵で名前があるのは、西中佐に助けられたサムのみ! それも何もしないまま死亡。つまり本当に視点が逆転しているのだ。これはクラクラするほどの衝撃だった。
 その気になれば、いくらでも、アメリカの観客に受けるようなエピソードを盛り込むことはできたと思うんだよ。先の西中佐に投降を呼びかけたエピソードなんかを使えば、アメリカ側にも人情があったことを強調できるし、それを提唱した将校が、西中佐の戦死を知って涙する場面とか出せば、お涙頂戴にもできるし。だけど、あえてそれをしなかったイーストウッドの潔さに脱帽。

 この映画を、「日米が逆転しているだけで、基本は典型的なハリウッド映画」と言う人もいる。リアルじゃないという意味ではそうだろう。日本兵の置かれた立場は、実際はもっともっと悲惨で壮絶なものだったに違いないが、そういう「戦争の現実」はイーストウッドが描こうとしたものではない。だから、派手な戦闘シーンとかを期待した人も裏切られるだろう。個人的には私はこういう追い詰められた籠城戦って好きですけどね。
 これが典型的なハリウッド映画なら、ヒーローの栗林や西の戦死シーンは、もっともっと盛り上げて、華々しい見せ場にしたはずだ。だけど、この映画ではそういう場面も控え目で静かなもので、そういうところも妙に日本っぽいのに感心した。

 ただ、玉砕シーンなんかは不謹慎だけど笑っちゃいましたね。だって笑うしかないじゃん、あんなアホなこと。これこそまさに集団狂気というもので、その狂気を突き詰めていくと『地獄の黙示録』になっちゃうのだが、イーストウッドはあえて戦争の狂気や悲惨を描くよりも、その中での人間の崇高さと優しさを描いた。そのため、恐れていたような陰湿な話ではなく、みんな死んじゃうにもかかわらず、すがすがしい後味のある作品になった。

 え? 泣けたかって? 私は馬が死ぬところで涙ぐんでしまいましたよ(笑)。それにくらべると、あとのほうでは泣けなかったな。結局、戦死なんて敵も味方もぜんぶ犬死にだからね。そもそも戦争なんてもの自体になんの崇高さも名誉もないんだから。
 それにくらべて最後までかっこいいところを見せたのが西郷。それまで兵隊としては完全失格のダメ男だったのが、敵兵が栗林の銃を持っているのを見て、シャベル1本で向かっていくところもいいし、最後、自分がまだ生きているのに気づいて、ニコッと笑う笑顔がすばらしくいい。

 結論。これは本当にいい映画だ。どうせならこれは日本人に撮ってもらいたかったとは思うが、イーストウッドが撮ったからこそ世界中の人に見てもらえるし、オスカーにノミネートもされるし、やっぱりこれで良かったのだ。そしてこういう映画を撮れるイーストウッドは本当にかっこいいと私は思う。

Flags of Our Fathers directed by Clint Eastwood 『父親たちの星条旗』

 というわけで、『硫黄島からの手紙』に感動したので、こっちにもいやが上にも期待してしまった。が、いろんな面で裏切られた感じの強い作品。

 第一に、タイトルだけ見て私は、てっきりこれはあの写真をめぐる物語なんだと思っていた。これは劇中でも言ってたが、1枚の写真が戦争を決定づけることがある。アメリカにとっての第2次世界大戦はあの写真に凝縮されているし(つまり勝利と栄光)、一方、ベトナム戦争を象徴する写真というのは、たぶん、捕虜を射殺する瞬間を捉えたあの写真(敗北と恥辱)のことだろう。
 それぐらい、私が見てもインパクトのある写真だったから、主人公はあの写真なんじゃないかと。

 でも見ての印象はずいぶん違った。こちらはあの写真に写っていた兵士たちのその後を追った物語。だけど、そこには栄誉も何もなく、彼らはたまたまそこにいたから写っていただけで、そのため国債を売る宣伝マンとして無理やりヒーローに祭り上げられ、その後もどっちかというと失意の人生を送るという話。

 なるほど、単なる「アメリカ万歳」映画になるはずないとは思っていたが、そう来ましたか。ただ、結局なにが言いたかったのかが、釈然としない。
 「戦争にヒーローはいない」ってこと? まあ、当然だけど。戦争のヒーローってのは、「人よりたくさん人殺したやつ」だからね。
 それとも、ラストに示唆されていた、「戦争はいやだけど、戦友はかけがえがない」ってこと? それって、『ジャーヘッド』とまるで同じじゃない。同じセリフだが、あれだけの体験してそれしかないの?
 これもタイトルに示唆されている、父子の関係もテーマのひとつなんだろうけど、この息子って何考えてるんだかさっぱりわからない。
 ついでに言うなら、主要人物もみんな何考えてるんだかわからないし、まったく感情移入もできない。唯一、ネイティブ・アメリカンの人の悩みだけは理解できたが、なんかあまりにも月並みな話だし。
 ついでに、「何も起こらない戦争映画」ってところも、『ジャーヘッド』と同じだ。今さら、戦場のヒーローものを撮るわけにもいかないし、かといって、今さら反戦映画撮るわけにもいかない現代では、戦争映画というのはこういう中途半端なスタンスに落ち着いちゃうんでしょうかね。そういや、確かに最近の戦争映画はどれもつまらない。

 結論。技術的にはさすがにイーストウッドだけあって、きっちりと作られた映画だが、いかんせん、おもしろくもないし、感動もできない。これを見ると、『硫黄島からの手紙』がいかによくできていたか、あらためて思い知らされる。
 これは私がベトナム戦争映画を語るときにいつも使うセリフなんだが、勝利からは何も生まれないんだよね。

2007年8月31日 金曜日

World Trade Center (2006) directed by Oliver Stone
『ワールド・トレード・センター』

 続いても大物の問題作。監督のオリヴァー・ストーンは、毀誉褒貶ある人だけど、私は昔からすごく好きだったし、尊敬している。いや、『プラトーン』じゃないです。あれは技法には目を見張るものがあって、ただ者じゃないとは思ったが、ベトナム戦争映画としてはあまり評価してない。むしろ、その後の『サルバドル』や『トーク・レディオ』を見て、えらいなあと。そして、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』でとどめを刺されてしまった。

 で、9.11については、当然ながらそのうち映画になるだろうと思っていた。でもどうせくだらないお涙頂戴ものか、さもなきゃキワモノ映画に違いないから、私はどっちにしろ見たくもないし、見るつもりもなかった。ところが、オリヴァー・ストーンが撮ると聞いて、かなりビビりました。いったいあれをストーンがどう映像化するのか、本当はあまり見たくなかったけど、義理とこわいもの見たさで見ないわけにはいかなかった。

 なぜ、9.11は見たくないかって? うーん。当時の日記を読んでもらうとわかるはずだけど、私としては非常にジレンマなんですよ。もちろん、多数の罪もない人命が失われたのは、あまりにも痛ましい出来事だとは思うけど、そこまでしなきゃならないほど人を追い詰めたアメリカに対する憤りは私も感じていたので、すなおに気の毒だと思えないのよ。まして、あれに対する過剰な報復行為を見てしまうと。卑劣な方法で一般市民を無差別に虐殺したという点では、アルカイダもアメリカも、私的には同罪なので。
 そもそも、私はあれをテロとはみなせない。戦争だと思ってるし、戦争で市民が巻き添えになるのは日常茶飯事なのに、それを理解してなくて、被害者面をしているアメリカ人を見るとイライラするので。
 もうひとつ、これは純粋に自己嫌悪のもとなのだが、あの映像をテレビで見たとき、あまりにも現実離れのしたシュールな映像に、つい興奮してしまったのよね。私が『地獄の黙示録』を好きなのは、戦場のシュールな美しさを存分に見せてくれたせいもあるが、ある意味それに通じるものがある。でも、9.11は映画じゃなくて、現実にあの中にはたくさんの人がいたことを思うと、それをかっこいいと感じた自分に対して気分が悪くなるわけ。
 しかし、アメリカ映画はこれまで、ありとあらゆる突拍子もない破壊シーンをスクリーンに描いてきたが、あれを上回る破壊スペクタクルは映画ですら一度もなかった。というか、旅客機をビルにぶつけるなんていう破天荒な発想は、どんな監督やプロデューサーの頭にも浮かばなかった。この皮肉もおもしろいと同時に苦い。

 そこで、これまで「アメリカの罪」を情け容赦なく暴いてきたストーンがこれをどう料理するのか、ものすごーく気になる。と、同時に、「ストーンならやれるかも」という期待も持てる。
 たとえば、私は『JFK』にも大感激したのだ。ちなみにジョン・F・ケネディはアメリカでこそヒーローだが、私にとっては「ベトナム戦争を始めた男」でしかなく、まったく共感の余地も同情の余地もない。それだけならまだしも、キューバ危機のときは、あやうく「人類滅亡」の引き金を引くところだったんだからね。(私を含めた当時の人々は、第3次世界大戦、つまり全面核戦争が勃発したら世界は滅びると信じていたのだ) だから、ケネディが暗殺されたときは喝采を叫んで、暗殺者をほめたたえたい気分になったぐらいで。
 だからJFKの映画になんか、なんの興味も持てないと思っていたのだが、見たら不覚にも涙してしまった。特に、ケヴィン・コスナーが、「私はこの国で生まれたが、こんな国で死にたくない」と涙ながらに訴えるシーンで。映画自体はやっぱりケネディを殉教者として美化する話だったけど、でもストーンがこの映画に込めた気持ちはわかりすぎるほどわかるのだ。
 だから、もしかして9.11もいけるかも‥‥と思いながら見始めたのだが。

 あの事件が映画化されるとしたらこうなるだろうというイメージは、やけに鮮明に頭の中にあった。たぶんWTCで働くビジネスマンの朝の風景から始まって、奥さんや子供にキスして家を出て会社に向かい、同僚とあいさつを交わしたり、冗談言ったりしてる日常的な風景が描写される。もちろん、ビジネスマンだけじゃなく、清掃の人とか警備の人とか、このビルで働くさまざまな階層の人々の日常も出てくるだろう。
 その一方で、カメラはそびえ立つツイン・タワーをなめるようにとらえ、そうやって、まるで巨大で複雑な機械のようなビルの歯車が、いつも通り回り始めるところが映し出される。ところが、どこからか聞こえた叫び声に、主人公がふとデスクから顔を上げると、窓の外にみるみる巨大な機影が迫り、ドッカーン!
 というのが、私が勝手に思い描いていた冒頭の筋書き。ところが、実際の映画はぜんぜんそうはならなかった(笑)。

 まず、ニコラス・ケイジ演じる主人公はWTCの住人ではなく、警察官。あちゃー、するとヒーローものかよ。なんかいやだなー。
 もちろん、多くの警官や消防士が犠牲になったのは知ってるが、ある意味、あの人たちはそれが仕事。私はそれより一般市民を主人公にしてほしかったし、こういう話でヒーローを作ってほしくなかった。
 でも、どうも様子がおかしい。この人、ぜんぜんヒーローじゃないのだ。現場には駆け付けたが、誰ひとり救う暇もなく、瓦礫に生き埋めになってしまうし、最後、救出されるまでそのまんま。実はこの映画は、生き埋めになって生還した2人の警官を描いた話だったんですね。
 となると、ヒーローものではなくサバイバルものか。いわゆるパニック映画ですね。しかし、パニック映画では、絶体絶命の情況で、いかに人々が勇気を奮い起こし、知恵を絞って生きのびるかが見所になるのだが、この2人はただ苦しんで、励まし合うだけで、なにしろ身動きもできないので、自分では何もできない。
 まったく動けず何もしない主人公というのも、けっこう斬新かもしれない。それならば、ある種の心理映画として、この2人の心中だけに焦点を当てるという手もあったのだが、そこはわりと定石に、自宅に残された家族の心痛とか、救出活動に当たる人々の様子とかも描く。それで最後救出されてめでたしめでたし。

 ちょーっと待て! おまえはこの映画で何が言いたかったんだ?? そもそもこれ、9.11である必要なにもないじゃない! これなら、べつに地震の被害者でもいいし、雪崩でも土砂崩れでも同じじゃん! そんな災害なら、世界中でしょっちゅう起こってるし、言っちゃ悪いがめずらしくもなんともない。9.11は自然災害じゃないんだよ。人間が乗った飛行機が激突したんだよ。
 それにストーンならば避けて通るはずがない政治は?! いったい全体、あれだけの事件をネタに、どうしてこんな凡庸な映画が撮れるんだ?

 ほかにもこの映画はないない尽くしだ。本来なら、言葉は悪いが、最大のクライマックスになるはずの衝突シーンは見せない。それで大勢の人が死ぬシーンも見せない。かろうじて、当時のニュース・フィルムを少し見せるだけだ。
 もちろん、あそこで何があったか知らない人はいないし、遺族の感情に配慮してズバリは見せないという選択もありかもしれないが、災害の大きさをぜんぜん見せないのは、事件の矮小化としか思えない。
 ストーンお得意のスピーディでトリッキーなカメラワークも編集もない。というか、ぜんぜん動きのない死んだような映像ばかりで眠くなる。私なんか、生き埋めの2人のシーンはあまりに陳腐で退屈なので早送りして見たぐらいだ。
 この人は、たとえどんなに深刻でシリアスな物語でも、ドキドキハラハラさせながら見せる、エンターテイナーとしての才能もあるのだが、それもまったくなし。
 なんにもない映画というのが私の印象。

 オリヴァー・ストーンに何があった? どうなっちゃったの、この人?

 ひとつだけ弁護してあげよう。やっぱりこの題材で撮るのは、誰にとってもむずかしいことだったに違いない。
 国民感情を考えると、ここで悲惨な事故現場や残虐シーンを見せるわけにはいかなかっただろうし、単なるぶっこわしスペクタクルにもできないし、政治を引っ張り出すといろいろとややこしいし、ましてやここでアメリカの罪をあげつらうなんて無理だっただろう。そうやって、腫れ物にさわるように恐る恐る作ったら、こんなんなってしまいましたということか?
 でもストーンが好きだったのは、そんなタブーや非難をものともしないところだったのに!

 こうなってみると、つまらないところばかり気になる。たとえば、留守宅の家族の様子。もちろん心配で気が狂いそうになるのはわかるのだが、なのに家でじっとして電話を待ってるのが信じられない。日本人だったら、たとえ中には入れなくても、真っ先に現場に駆け付けると思うが、なんでなんだろう?
 家族が重い腰をあげるのは、主人公が救出されて病院に収容されてから。私だったら、たとえ死んでることが確実でも、早く見つけてやりたいと思うけどなあ。
 主人公たちを発見するのは、仲間の警官隊じゃなくて、退役した海兵隊員だというのも変。暗くなったからと言って、捜索は打ち切られてしまい、個人ボランティアで駆け付けた海兵隊員が懐中電灯1本で見つけるんだよね。信じられない! 生き埋め被害者の救出は、1分1秒が勝負なのに。
 これまた日本だったら、夜を徹して捜索が続くはずだが、暗いというだけで帰っちゃうあたり、さすが9時5時しか働かない国民(笑)。災害救助犬はいないのか? 犬なら目が見えなくたって鼻で捜せるのに。
 というようなところにイライラするのは、私が災害慣れした日本人だからかもね。こんなものに慣れるってのも考え物だが。

 はあ(ため息)。やっぱりヤキがまわったんでしょうな。どんなクリエイターもそうだが、人が本当にクリエイティヴでいられる期間はごく短い。この人もそろそろ限界が見えていたから、私も最近の作品は見てなかったのだが、やっぱりもうだめかも。でも、できればこの人には、こんな映画は撮ってほしくなかった。
 とにかくこんなんで、「生きることのすばらしさを描きました」なんて言ってほしくないよ。(べつにストーンはそんなこと言ってないが、そういうふうに捉えた人が多いみたいだから) 本当にそれが知りたかったら、前にも書いた『生きてこそ』(Alive)を見なさい。本当は原作(『生存者』 新潮文庫)のほうがずっといいが、映画も傑作だから。

 というところでオリヴァー・ストーン・ニュース。次作はまたもベトナム! 彼は自身がベトナム体験者だからこだわるのはわかるんだが、ある意味、原点回帰か? しかも題材は「ソンミ村事件」! やたっ!!! あまりにもストーンらしい題材、それもこれまで誰ひとりとして手をつけられなかった禁断のネタだけに、どんな映画になるのか、ドキドキ‥‥。
 とか期待させといて、またダメだったら、今度こそは絶対に容赦しないからね!

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