2007年1月の日記

このページのいちばん下(最新記事)へ

2007年1月8日 月曜日

 皆さま、明けましておめでとうございます。今年もどぞよろしく。<(_ _)>
 というところで、皆さん、とっくに仕事始めでしょうが、私はやっと正月から回復し始めたところです(笑)。
 と言うと、なんだか飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしていたみたいだけど、もちろんそんなんじゃないです。ひとりで家でじっとしていて、なんにもしないの。何もしないことがこんなに楽しいなんて、なんか人間として欠陥があるんじゃないかとさえ思う。これなら私は刑務所入っても、けっこう楽しく暮らせそうだな。いや、刑務所は働かされるのか。じゃ、やだ(笑)。
 まあ、それでもメール書きと商品の発送やなんかはやってましたけどね。外人は盆も正月も関係ないから。結局働いてたんじゃないか!

 しかし、店の注文はほとんどないので(涙)、残りの時間はもっぱら読書&ビデオ三昧。しかし食うものがないのには参った。もう何年も前からおせちなんか作らないが、今年は「どうせスーパーは元日から開いてるし」と思って、買いだめもしなかった。ところが、ダイエーは元日から開いてたが、新しいスーパーはなんと5日まで休みなのを知らなかった。もちろんちょっと歩けば開いてるスーパーもあるがめんどくさいし(無精)、出前は高いのでお金がもったいないし(貧乏)、コンビニ飯なんてまずくて食えないし(贅沢)、結局、家にあったインスタント・ラーメンなんかをすすっていた。お正月はご馳走を食べる時のはずなのに、なんて貧しい食生活! でも心は豊か!

また『氷と炎の歌』のこと

 それほどまでに寝食を忘れて没頭していた本は何かというと、12月29日に書いたジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』。すげえ! すげえ! 1巻の半分だけ読んだときもすごいと思ったけど、読めば読むほどのめり込んで、もう完全にハマった。間違いなく、これまで読んだファンタジーのone of the bestだ。と、2巻目まで読んで思う。(原書は4巻まで出ていて5巻目は執筆中)

 いや、今回はネタバレは書きませんよ。私は映画なんかは平気でスポイラーを書いちゃうけど、これだけすばらしい小説はもったいなくてとても書けない。話を知りたい人は自分で買って読んでください。
 で、ストーリーは書けないので、どうでもいいような断片だけ。

 前にも書いたが、これは本当にリアルだ。魔法や竜が出てくるファンタジーであるにもかかわらず、まるで実人生のようだ。
 ファンタジーに限らず、娯楽小説や娯楽映画というものはみんなご都合主義のかたまりである。なぜか勇敢なヒーローや、美しい王女様は、どんな試練にあっても生きのびるし、子供が出てきたら、そいつは絶対死なないと思っていい。(さすがにSF作家はシビアで、「なぜ主人公は最後まで死なないか?」をテーマに小説を書いた人もいる)
 ところが、この小説はそうじゃないのである。普通なら当然主人公のはずの、あの人やこの人も途中で殺されちゃうし、女子供や赤ん坊だって容赦しない。それも善人は善良さゆえに死に、勇者は勇敢さゆえに死ぬ。かと思うと、普通ならすぐに殺されてしまうような(「戦争なのに誰も死なないのは変だから、こいつこの辺で殺しておこうか」という感じで)、取るに足らない小者が、いつまでもしぶとく生き残ったりする。でも人生ってそういうものじゃない?
 私は日本の戦国時代の話なんかもけっこう好きなのだが、そういう歴史物語のおもしろさは、作者のご都合主義に左右されない、現実の登場人物の過酷な運命にあると言ってもいい。もちろん、これは小説だから、その意味ではちゃんと作者の筋書きに沿っているのだが、それを感じさせないせいで、よけい戦記物を読んでいるような気がしてくる。

 決まった主人公のいない群像劇だが、その中でいちばん賢くて、(そうは見えないが)人間性があって、要するにいちばんいい役を割り当てられたのが、グロテスクでみんなに嫌われる「奇形児」と「去勢された間諜」だという、ひねくれた根性も好きだ。
 もちろんファンタジーには欠かせない美形キャラ(しかも性悪)(←そういうのが好き)もいっぱい出てきて楽しみだけど。
 とにかくこれだけ大勢の登場人物が出てくるにもかかわらず(主要登場人物だけで30人ぐらいいる)、ひとりひとりがキャラが立っていて、本当の人間みたいに生き生きと描かれているのはすごい。
 もちろん悪役がいいのも優れた小説の条件。前に書いたようにこの小説には悪役と言える人間はいないのだが、それでも「やな奴」の憎たらしさはすばらしい。現実世界でなら殺してやりたい奴はたくさんいるが(笑)、たかが小説のキャラクターで、本気で殺したいと思うほど憎らしい人間に会ったのは初めてだ。それでそういう奴に限ってなかなか死なない(笑)。

 人の死に方もリアルだ。映画や普通の小説では、人間はきれいにあっけなく瞬時に死ぬ。でも現実はそうじゃないよね。この小説で最も肉体的に強壮な剛勇の戦士はどちらも怪我が化膿して壊疽になり、苦しんで死ぬのだが、確かにまともな医療もなかった時代はそうだっただろう。でも思い出す限り、ファンタジー映画や小説で壊疽で死んだ人間なんか見たことない。

 この小説はミステリとしても読める。というか、ほとんどの登場人物が秘密や謎を抱えているし、視点人物が限られているので、何が起こったのか推理するしかない場面も多い。おかげで何度でも繰り返し読んで飽きない。私なんか4冊を2日で読んでしまったのだが、最後(と言ってもまだ2巻の終わりなのだが)まで読むと、また最初から読み始めるというのを何度もやっている。そのたびごとに、前には見落としていた手がかりや、意外な事実が発見できるので。

 しかし、ファンタジーだけはイギリス人にしか書けないと思っていたが、アメリカ人にこれを書かれてしまっては立つ瀬がないね。いや、リアルな歴史小説はリサーチすれば誰でも書けるはずだが、こういうのはそれだけじゃ足りない、血の中に流れているものだと思っていたが。イギリスやフランスやドイツの作家は、アメリカ人に先を越されたことを恥じるべきだ。

 私は今年、イギリスの歴史なんかを大学で教えているのだが、この本を読むと、歴史が身近に肌で感じられる。いや、もちろん架空の世界のお話なんだけど、基本になっているのはどう見ても中世のイギリスなんで。たとえば、英語のking's ransom(王の身代金。大金のこと)という言葉の意味がつくづく実感できるみたいな。人質取って、資金を稼ぐなんていうテロリストみたいなことがあたりまえに行われていたのだ。
 昔の人が14才や15才という若さで結婚して子供産んだりしてた理由もよくわかる。20代や30代の男性の死亡率が異常に高い(戦争に行くから)社会では、早いとこ結婚して子供作っておかないとならないんだね。跡継ぎの男児が生まれるかどうかが国の行く末に関わる大問題だということも、逆に、跡継ぎ候補が何人もいても戦争になる。さしずめ、今の日本の皇室なんか、昔なら複数の王位継承者を支持する勢力が乱立して、絶対内戦になっていた。

 前に、「私の感動したファンタジー」について書いたとき、あの本のことを書くのを忘れていた。それはジーン・ウルフの『新しい太陽の書』(The Urth of the New Sun)(ちなみにこれもハヤカワから出ていたが、最終巻だけが翻訳されなかったので英語で読んだ)。あえて含めなかったのはこれは実はSFだからだが、でもファンタジーとしても最高! あくまでもリアルな歴史小説仕立ての『氷と炎の歌』に対して、こちらは夢とも現実ともつかない不思議な話で、タイプはぜんぜん違うんだけど、確固たる異世界の構築がすばらしかった。
 そういやあれの主人公も、みんなに嫌われ恐れられる「拷問者」(兼死刑執行人)で、なんかそういうのが好きだな(笑)。ちなみに『新しい太陽の書』の主人公セヴェリアンは、ファンタジーのヒーローとしては最高にセクシーでかっこいい。
 あと、タニス・リーの一連のファンタジーも。「残酷なファンタジー」と言えば、かつては彼女の独壇場だったのだが、どうも最近ちょっと息切れ気味なので忘れてた。最高傑作はFlat Earthシリーズ。彼女の本は未訳書がたくさんあるので、どっか出してくれないかな。

 人気シリーズだけあって、インターネットにはたくさんのファンサイトができているが、こういう海外サイトやフォーラムの異常なまでの充実ぶりに対して、日本のサイトはいつもながらしょぼい。

 この本を読んでると疑問がたくさんわいてくるのだが、そのせいかFAQなんかも作られている。でも私の最大の疑問は、どうやらこの世界はすごく長い歴史があって、舞台となっている王国だけでも何千年もの歴史があるらしいのだが、なんでその間、中世からまったく進歩してないのかということ。これが現実世界なら、とっくに宇宙船が飛んでるぜ(笑)。そのことと、季節の異常(夏が何年も続いたりする)は何か関係があるのだろうか? とにかく最後まで読まないとわからないけど。とにかくこのシリーズからはまだまだ目が離せない。

BBC Planet Earth (DVD)

 はい、ビデオというのはこれです。NHKでもやってる『プラネット・アース』。「日本版は7枚組なのに、なんで英国版は5枚組?」と悩んでいたが、届いてわかったのは、日本版は1枚に1エピソードしか入ってない、つまり7話で27930円もするのに、英国版は全11話におまけのディスクが1枚付いて5000円だということ。この値段差はなんなんだ! 本当に日本版DVD買うのはバカらしいっすよ。CDや本はこれほどの価格差はないのになんで?
 というわけで、この正月はまだ日本で放映されていない分も含めて、全部を一気に見た。
 このシリーズは、いつもの野生動物ドキュメントなのだが、テーマが「地球」というわけで、砂漠とかジャングルとか高山とか、生息環境別に動物を紹介している。しかしこれは昔の“The Living Planet”とまったく同じコンセプトではないか。BBCもネタが尽きたのかな?
 見てわかったのは、ほとんど『リビング・プラネット』のリメイクと言っていい内容だということ。「過去のシリーズや他局の動物ドキュメントで取り上げたネタは使わない」という方針に反して、出てくる動物やエピソードもかなりダブってるし。まあ、『リビング・プラネット』は1984年の放映だから、もうリメイクを作ってもいい時期ですけどね。
 新しいだけあって、絶対的に有利なのは映像の美しさ。もちろん、『リビング・プラネット』も信じられないほど美しかったのだが、なにしろデジタル以前の作品なんで、マスターテープの劣化のせいか、映像がザラザラに荒れてしまっている。さらに撮影機材も撮影技術も20年間で飛躍的に進歩しているので、その面での改良も著しい。

 ただ、内容的には、『リビング・プラネット』のほうがはるかに濃かったと思うんだよね。『リビング・プラネット』は、主役は地球というだけあって、動物の生態だけじゃなく、山や砂漠がどのようにして作られたかという地学的な解説が付いていたが、『プラネット・アース』は解説抜きで「きれいな景色を見せる」シーンが多い。BBCも大衆に迎合したかという感じ。
 映像の内容も『リビング・プラネット』のほうが上。たとえばザトウクジラの「バブル漁法」のエピソード。餌になる魚群を追い詰めるために、クジラが円の形に旋回しながら泡を吹いて魚を閉じ込めるという漁法なのだが、確かに『プラネット・アース』のほうが映像はきれいで、クジラも泡もくっきりはっきり見える。だけど魚がどこにもいないじゃん! 浮上するクジラも口を閉じたままだし、つまりスカの映像なのだ。
 これに対して、『リビング・プラネット』では、泡に囲まれた海面に魚の群れが沸きかえり、その下から巨大な口を開けたクジラがぬっと出てきてすべてをガバッと飲み込むところが鮮明に捉えられていた。泡の壁が魚を閉じ込めている水中映像も付いていた。
 水中映像と言えば、ピラニアが獲物を襲うシーンは確かに迫力があるし、それを間近で撮影するカメラマンは命がけというのがよくわかる。だけど、『プラネット・アース』でピラニアが食うのは魚なのに、『リビング・プラネット』で犠牲になるのはカピバラ(大型犬ほどもある世界最大の齧歯類)。どっちが迫力があるかは言うまでもない。
 そういう、めったなことでは見られない、決定的瞬間をものにするのがBBCのドキュメントのすごさだったのに、やっぱりイギリスでもテクノロジーの進歩に頼って、そういう職人芸は失われつつあるのだろうか、と思った。やっぱりおもしろいけどね。

 でもうれしい発見もあった。NHKで見ていたときは、どうもあの女のナレーションに違和感かんじて、いやでしょうがなかったのだが、オリジナルでナレーションを担当しているのはデイヴィッド・アッテンボロー(BBCの動物ドキュメントのすべてで企画とプレゼンターをつとめていた、いわばこのシリーズの生みの親)ではないか! いやー、『ウォーキング・ウィズ・ダイナソー』シリーズでは、初めてアッテンボローが出なかったので、もう年を取りすぎたので引退したと言われてたのよ。
 さすがにもう世界各地を飛び回って、海に潜ったり、ジャングルの林冠に登ったりはできないようだが、ナレーションだけでもうれしい。べつに彼のナレーションがうまいというわけじゃないんですけどね。なんかあの声が聞けないと、このシリーズを見ているという実感がわかないんだよね(笑)。

 DVDで楽しみにしていたのはメイキング。ドキュメンタリーは舞台裏を見るのも楽しいから。特に『リビング・プラネット』のメイキングは忘れられない傑作だった。ちゃんとまじめなメイキング・ビデオなのだが、ナレーターがそれにふざけたコメントを付けていて(しかもあのまじめくさったBBCイングリッシュで)、死ぬほど笑った。
 ところがこのシリーズでは、各回の終わりに『プラネット・アース日記』という短いメイキングが付いている。さらにDVDにはボーナス・ディスクとして、“Planet Earth The Future”というディスクが付いていたので、これには期待してしまった。
 ところが内容は環境保護についてのドキュメント。それはいいんだけど、出てくるのが偉そうな学者や保護団体の指導者ばっかりなのにはがっかり。というのも、私は熱烈な動物愛護主義者だけど、アンチ・エコロジストなので。
 少なくとも、こんな見るからに金持ちそうで偉そうな奴が、エアコンの効いたオフィスで説教するのなんか見たくない。動物と共存しているアマゾンの裸族(そういうのが『リビング・プラネット』に出てきたのだ)に説教されるのならいいけど(笑)。少なくとも、絶滅の危機に瀕した動物の保護に携わっている現場の人の努力とかを見せてほしかった。
 それで思い出したが、ソマリア(だったか?)ではカバが危機に瀕しているそうだ。飢えた難民が食料にするため、カバを密漁しているからである。カバを守るために銃を持ったレンジャーが巡回している。こういうのを見ると、考えてしまうね。確かにカバはかわいそうだが、難民はカバを食わなきゃ飢え死にしてしまうのである。もしレンジャーが密猟者を見つけたらあの銃で撃つのだろうか? カバを守るために人間を殺すの? 悩ましい話である。

 で、個人的にヒーローはやっぱりコウテイペンギンのヒナ。またかと言われそうだが、何度見てもかわいいものはかわいいんだもん! ところで、映画『皇帝ペンギン』のリビュー(2006年7月31日)で、氷のクレバスに落ちたヒナを見て、「いくらなんでも、撮影したあと助けてやったんだろうな」なんて書いていたが、このシリーズではメイキングのほうでちゃんと救出場面が映ってます。よかった。
 本当は動物ドキュメントの作者は絶対に野生動物に干渉してはいけないんだけど、これを放っておいたら人間じゃねーよ。とか言いつつ、同じシリーズでは動物の赤ちゃんやヒナが食われたり殺されたりするシーンはいやってほど出てくるんだけど(笑)。やっぱりあれだけかわいいものは放っておけないよね。
 そういや、どんな動物でも赤ちゃんはかわいいのは、親の母性本能を刺激し、仲間の攻撃本能を和らげるためだという説を聞いたことがある。人間が見てかわいいと思うものを、動物もそう思うかどうかは大いに疑問だが、コウテイペンギンの親は、子育てのために他のどんな動物よりも過酷な犠牲を払うことを思うと、そのヒナが何よりもかわいいのはわかるような気がする。
 『ハッピー・フィート』早く来ないかなあ。いつまでたっても広告を見ないので、日本には入らないのかと思ってたが、どうやら春休み公開らしい。遅いんだよ! もちろんDVDが出しだい輸入盤買うからいいけど。
 でもアニメのペンギンより、本物のほうがずっとかわいい。(イライジャ・ウッドのペンギンはかわいくないし) コウテイペンギンのヒナだけ、3時間ぐらい映したビデオないかなあ? というか、現物がほしい! でも現物は絶対手に入らないので、ロボットでもいいや。犬や猫のリアルなロボットあるじゃない。なんでコウテイペンギンを作らない? 構造はずっと簡単だし、動きのパターンも少ないし、ムクムクふわふわだし、犬猫よりずっとかわいいじゃん! というか犬猫は本物が飼えるんだから、こういう飼えない動物のロボットを作ってほしいなあ。恐竜の赤ちゃんでもいいよ。

2007年1月22日 月曜日

大学生の頭のほど

 ども、長らくのご無沙汰です。店のほうもぜんぜん更新してないし。というのも、今は大学が試験シーズンで、この季節になると、私は頭がぐちゃぐちゃになって、人事不省におちいってしまうので。理由知りたい? 教えてあげる。

 たとえば、いま採点しているのは、英語じゃなくて、『歴史と文化』(イギリスの歴史と文化を教えている)という科目の試験。その中で、「産業革命とは何か? それが社会にもたらした変化はどういうものか?」という設問がある。むずかしい? でも産業革命だけでも1時間かけてしゃべったんだし、私としては、「自動機械の発明」、「蒸気機関の発明」とか、「富の集中」、「都市への人口の集中」ぐらい答えてもらえばそれで十分なの。ところが、学生の答はというと‥‥

「より社会主義的な国家への変化をもたらした」

逆だろう? どうやら資本主義と社会主義を逆に覚えているらしい、という勘違い系の答はまだましなほう。

「ていこう年のもので久久にゆうふくなくらしとなった」

「ていこう年」って何だ?? 「久々に」って誰が? だいたい主語もなく、ひらがなだらけの白痴がにじみ出ててるような文章‥‥。でももっとすごいのもある。

「産業革命は昔から続いているのを変え、産業を中心した社会です。その時のよりよい社会に変えました」

ちなみにこれを書いているのは日本人である。日本語になってないばかりか、何が言いたいのかぜんぜん意味がわからない。
 いくら世界史やってないからって、産業革命ぐらい、常識で答えられると思っていたのだが。ましてこの人たちは「工学部」の学生なんである! 産業革命がなかったら工学もないじゃないか。ていうか、せめて日本語ぐらいちゃんと書けてほしい。

 でも、世界史やってなくても、産業革命を知らなくても、これは誰でも常識で答えられるだろうと思ったのは、「イギリス王室と日本の皇室の主な違いを述べよ」という問題。(答は下に) これならワイドショーしか見たことないやつでも答えられるはず。ところが、

「イギリス王室――主に洋食。日本の皇室――主に和食」

と来ては、もう目が点。

「材質。洋風と和風」

というのも、おそらく同種の解答。しかし材質って‥‥

「日本とは違い自分である」
「大規模な建造物。庭があるかないか」

なんていう、完全にイっちゃってる解答もある。
 さらに、この問いの答を見ていると、なぜか建築に関する誤答が多いので、なんでだろ?と頭をひねっていたが、わかった! 「王室」や「皇室」を文字通り、「王様の部屋」、「天皇の部屋」のことだと思っているのだ! マジで日本語知らない! じゃあ、「王家」や「宮家」という設問だったら、家のことだと思ったんだろうか? あああ〜‥‥

 こういう脳細胞を粉々に粉砕する爆発的な破壊力を持った答案の数々を読まされていれば、どうなるかわかるでしょ? (もちろん、まじめに勉強してちゃんとした答案を書く学生もいるけど) というわけで、人格崩壊の危機にさらされているので、まともな仕事がなかなかできないのです。回復したらまた書きます。

問2の解答例
 日本の皇室は名目上万世一系(実は嘘)だけど、イギリスの王家は何度も交替している。
 日本は女性の即位を認めていないが、イギリスは女王もいる。
 日本の皇室は外国から皇后を迎えることは考えられないが、英国王室はしばしば外国人と結婚している。(今の王家もドイツ系だし)
 日本の皇室は私有財産を持てないが、英国王室は英国一のお金持ちである、などなど。

2007年1月26日 金曜日

映画評

 あいかわらず、『氷と炎の歌』にハマっている。もう何度読み返したかわからない。すでに出ている7冊を、しまいまで読み終えるとまた最初から読むのの繰り返し。それで、映画もどうしても中世英国を舞台にしたものが見たくなってしまった。なんでもいいけど、王様や騎士が出てくるやつ。
 剣と魔法のファンタジーは好きだが、そういう映画は嫌いだったんですけどね。西洋の甲冑ってなんかかっこわるくてバカみたいと思ってたし、剣にいたっては、日本刀のほうがはるかに洗練されて美しく、西洋の剣っていかにも野蛮人の武器って感じだと思ってたし。
 でもレンタル・ビデオ屋の棚を見ると、さすがに「時代劇」は少ないんだわ。とりあえず、なんでもいいから、好きな役者や有名俳優の出ているのを選んだ。時代劇ばかりは役者に重みがなくてはだめだから。というわけでまずは前座から。

Kingdom of Heaven (2005) Directed by Ridley Scott 『キングダム・オブ・ヘブン』

 とか言いながら、まるで重みのないペナペナのオーランド・ブルーム主演の映画なんか借りてきてしまった。まあ、キャストにジェレミー・アイアンズとエドワード・ノートンの名前があったから、この2人だけ見られればいいやと思って。他にもデイヴィッド・シューリスやリアム・ニーソンの名前もあるし、主役以外はなかなかオールスターじゃないの。でもよく見もせずに借りてきたので、これは間違えた。イギリスじゃなくてフランス人の話だったし、嫌いな十字軍の話だった。

 これは12世紀、キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く共存していたエルサレム王国の話、って、れっきとした侵略者に言われたかねーよ! というだけで私は引いてしまう。要するに、これを一種の理想郷として、なのに現在は‥‥と、今の中東問題をからませたいらしいが、いずれにせよ、平和に(まあ、彼らなりに)暮らしていたイスラム教徒の土地に侵入して、戦争の種まいたのはおまえらじゃないか!

 よって、話にはまったく共感できない。そこで狙いの役者の話。ところがこれがねえ‥‥。オヤジだけどあんなにセクシーだったジェレミー・アイアンズは本当にただの爺さんで、なんの見せ場もない役だし、エドワード・ノートンは王様なんだが、レプラ(らい病と書こうとしたら変換しない。まったく頭に来る言葉狩りだ)で顔がボロボロに崩れて、いつも仮面をかぶっているし。これじゃ見るものないじゃん!
 というのも私はオーランド・ブルームが嫌いなのだ。『ロード・オブ・ザ・リングス』でも唯一の汚点と思ったぐらいで。というのも、なんの見所もない貧相な青二才のド素人だから。馬にも乗れないくせに騎士を気取るな! (『ロード・オブ・ザ・リングス』で特訓受けたから乗れるようにはなったようだが) なんでこんなやつが主役をできるのかわからない。
 だいたい、みんな偽フランス人で英語しゃべってるし(笑)。これは逆でなくてはおかしい。当時はイギリス人だって、貴族階級はフランス語しゃべってたんだから。と言うと、細かいことにこだわるようだが、私はauthenticというか、「本物らしいこと」にこだわるのだ。もしかしてこれは、昔のハリウッド映画で、中国人が日本人を演じていたのを屈辱と感じたからかもしれない。もっとも、昔のアメリカに日本人(か日系人)の役者が少なかったのも事実だろうが、英語しゃべれるフランス人俳優なんて大勢いるだろうが!
 唯一ルックス的にも見栄えがし、役柄的にもかっこいいところを見せたのは、イスラム側のリーダー、サラディンを演じたハッサン・マスードだけ。この人はダマスカス生まれだから本物(笑)。
 とにかくリドリー・スコットなんかに期待したのが間違いだった。

King Arthur (2004) Directed by Antoine Fuqua 『キング・アーサー』

 ならば、アーサー王伝説ならイギリスに間違いないし、王様と騎士の話に間違いあるまい。主演のクライヴ・オーウェンはいまいち好きになれないのだが、少なくともイギリス人だし‥‥と思って借りてきたのがこれ。ところがこれがまた完全な間違いであった。例によってタイトルとキャストだけ見て、てっきりアーサー王伝説の映画だと思って借りたのだが‥‥
 アーサーがローマ人! 円卓の騎士は東方の騎馬民族の傭兵! おまけに全員、山賊集団にしか見えない! ひえ〜!
 アーサー王は完全な架空の人物ではなく、モデルとなった人が数人いたらしいが、そのひとりがローマ人の武将と言われる。この映画はそのモデルを主人公にした新解釈アーサー王なのだ。よってお話は完全な創作。少なくとも歴史劇ではなかった。

 とにかく、「王様と騎士の話」を期待して見始めた私はそんなわけでまったく乗れず、ふて腐れて眺めていた。男たちの汚らしさと下品さが我慢できないというのは別として、映画としてもアラだらけで、映画の作りもいかにも粗雑で荒っぽい。
 と言っても、IMDbに突っ込み批評を書いてる歴史マニアみたいに、

とまで、言うつもりはありませんけどね(笑)。いるんだよなあ、こういう人(笑)。でもこの映画の監督がそんな歴史的事実なんて歯牙にもかけていないのは確実。
 私が最初に「え?」と思ったのは、かんじんのラウンド・テーブル。これが実にモダンなデザインで、室内の内装も含め、古代というより現代のしゃれた会議室みたいだ。歴史考証無視は映画では当然だけど、これは目立つだけに気になって、嘘くささが鼻につく。
 それを思うと、異邦人のはずの騎馬民族がみんな貴族風の英国名を名乗っている(親がその名で呼びかけていたから本名らしい)のもすごーく変で、「どうせ、娯楽の嘘っこだからさあ」という姿勢がいたるところに感じられるのだ。

 その理由は、あとから監督がミュージック・ビデオ出身のアメリカ黒人ということを知って、納得した。アーサー王となんの関係もないじゃん! いや、アメリカ人や黒人がイギリスの話を撮っていけないという法はないのだが、この人が撮りたかったのは、単にマッチョなむさ苦しい男が肉弾相打つアクション映画だということは一目瞭然。それが証拠に戦闘シーンばかりが長く、気合いを込めて作られている。アーサー王なんてどうでもいいし、ローマもブリテンもどうでもいい。別に主人公がニューヨークのギャングだとしても何も変わりはないのだ。
 それをなんでまたここまでミスマッチの舞台に置いたのか? まあ、確かに音楽ビデオならおもしろい手法だが、フィーチャー・フィルムでそれやるか?  というわけで、どうやら犯人は製作のジェリー・ブラッカイマーらしいということは見えてきたが、知らずに見た私がバカでした。アクション映画ファンには楽しめるかもしれないけど、それ以外はなんにもない映画。

(疲れたのでトリは明日)

2007年1月29日 月曜日

The Lion in Winter (2003) (TV) Directed by Andrei Konchalovsky 『冬のライオン』

 で、今回借りた王様の話では唯一納得したのがこれ。ところがこれはBBCのテレビ・ドラマなんだよね。でもはっきり言って、ヘボいハリウッド映画よりはイギリスのドラマのほうがはるかにまし。それを知っているので、最近、ビデオ屋でもそういうのを必死で捜している。うちのほうではあんまり置いてないけどね。
 それでも昔とくらべたら夢みたいですよ。これを家で見られるなんて。映画は日本でも公開されるが、イギリスのテレビを日本で見るチャンスはまったくなくて、昔は指をくわえて見ていたんだから。イギリスからビデオを買おうとしても、目の玉が飛び出るほど高かったし。(向こうで2、3千円のものが日本じゃ数万円した) それが1月8日に書いたように、今は完全に逆転してしまったのは私にはうれしい。

 『冬のライオン』と言えば、ピーター・オトゥール主演の映画が有名だが、これはその舞台版のテレビ版。『キングダム・オブ・ヘブン』のおしまいにも意味ありげに出てきた「獅子心王」リチャード1世のお父ちゃん、ヘンリー2世の一家の話。うん、これなら少なくとも英国王室の話だ。と言っても、この時代、英仏は同じ国のようなもので、ヘンリー2世のお父さんはフランス貴族だし、ヘンリーは英国全土のみならず、フランスの半分も支配していたし、リチャードなんかほとんどフランスから一歩も出たことがなく、英語もしゃべれないぐらいだったけど。
 こういう動乱の時代の動乱の王家を描くんだから、波瀾万丈の歴史ドラマになりそうだが、これはそうではなく合戦シーンは一度もない。その代わり、あるクリスマスに一堂に会した一家の「家族の肖像」を描く。

 しかし、並みの家族ではないだけに、家族関係も並みではない。まず、ヘンリーの妻エレノアは元フランス王妃で、フランス王ルイ7世から奪ってきた人。でもエレノアは息子たちを扇動して謀反を起こした罪で今は幽閉されている。ヘンリーには3人の息子がいるが(長子ヘンリーはすでに死亡)、次男のリチャードは直情型の戦士タイプだけどホモ、三男ジェフリーは陰険な策士タイプ、四男ジョンは腰抜けのデブ。このうちの誰に王冠を譲るかが問題。お母ちゃんはリチャードを王様にしたいし、お父ちゃんはジョンを溺愛している。
 さらに話をややこしくするのは、エレノアの義理の息子であるフランス国王フィリップ2世。彼は三兄弟とは兄弟同様の間柄であるとともに、国盗り合戦のライバルでもある。彼の姉のアレースは、ヘンリーの愛人だが、ヘンリーは領土目当てに彼女を息子たちの誰かと結婚させようとしている。

 まさに『氷と炎の歌』同様(っていうか、あの小説がこういう史実を下敷きにしているのだが)、親子・兄弟・夫婦・親類一同が憎み合い、策略をめぐらし、殺し合う修羅の世界なのだが、このドラマがユニークなのは、彼らの憎しみだけでなく、弱さも愛情もきっちり描いたことである。殺したいほど憎みながらも愛しているなんて矛盾しているようだが、そこがなんとも魅力的で、人間的で、同時にその愛憎の激しさに驚く。
 さすがにこれだけの大物ばかりだと、愛憎のスケールも凡人と違うんだなあ。というか、時代そのものの荒々しさの違いだろうか。中世人のことを何度も「野蛮人」と呼んでいるが、それはつまり現代人が社会的制約や体裁のもとに覆い隠してしまった、人間の根源的な部分を思い出させてくれるような気がするからで、悪口ではない。『氷と炎の歌』が魅力的なのもまさに同じ理由。
 と言うと、最近日本でやたらに多い親族殺人を思い出す人もいるかもしれないが、それとはぜんぜん違うの! ああいう殺人はとにかくつまらない、どうでもいいような理由でなんとなく殺すじゃない。この人たちには殺すだけの立派な理由があるの。
 それは殺さなきゃ自分がやられるという自己防衛のためだったり、王座のためだったりする。こう言うと、たかが王冠のために血を分けた肉親を殺すなんてと思われるかもしれないが、王座や領土にはそれだけの重みがある、ということは『氷と炎の歌』を読んでよくわかった。だから、ラストでヘンリーには息子たちを殺すだけの正当な理由があるのに、あえてそれを思いとどまった彼の情愛の深さが胸を打つのだ。

 それで、いかにも舞台劇の映画化らしく、それをすべてセリフと演技だけで表現するのだが、その演技がまたすごい。手練れの舞台役者を揃えたキャストは、これぞ「芝居」だって感じの、火花の散るような演技合戦で、これはどんなチャンバラより迫力があり、息詰まるような緊迫感がある。日ごろヘボいハリウッド映画ばかり見ていたので、芝居の醍醐味を忘れていた。

 というところで役者評。まずはヘンリー役のパトリック・スチュワート。私は初めて見る‥‥と思ったら、『X-Men』にも出てたんですか。あまりにヘボい映画だから早送りで見たので気づかなかったわ(笑)。とにかく彼がすばらしく、彼の演技を見るだけでもこれを見る価値がある。
 先に述べたように、「本物らしさ」にこだわる私は、「王様らしさ」にもこだわりがある。王様がどれだけ王様らしく見えるか、王子や王女がどれだけそれらしく見えるかは、私が時代劇を見るときの重要なポイント。この場合の「王様らしさ」は本物の王様とはあまり関係がない。実際問題として、歴代の英国王が(次代のチャールズも含めて)それほどかっこよかったとは思えないし(笑)。でも、せめて芝居の中では王様らしい王様を見たい。
 で、パトリック・スチュワートは私の「王様チェック」に100点満点で合格! 何がいいって、王者らしい威風堂々とした風格と貫禄はもちろんのこと、余裕の証拠であるユーモアや茶目っ気があり、なおかつ、この時代の王様にふさわしい猛々しさがあること。別にハンサムではなく、ブタみたいなちっこい目の、ただのおじいさんなんですけどね。それでも死ぬほどすてきでおまけにセクシー! まさにライオンの名にふさわしい。
 おまけに声がいい。というか、朗々と響き渡る深みのある声は舞台役者の命だが、なかなかこれだけの声を持った人はいない。この声だけでも惚れた。この人はやっぱり一度は舞台で見てみたい。

 王妃エレノアにはグレン・クローズ。彼女はアメリカ人だが、イギリスの舞台によく出ているし、アフリカとスイスで育ったコスモポリタンだから許す。それで彼女ももちろんうまい。ただ、あの顔のアップはけっこうキツいけど(笑)。自他共に許すおばさん好みの私だが、この人はどうもねえ。

 わりとがっかりだったのは3人の王子。他の2人はともかく、獅子心王リチャード・ザ・ライオンハート(アンドルー・ハワード)は、英国史上でも有数のヒーローなんだから、もう少しなんとかならなかったのか? なんか神経質そうな線の細い、額の寂しい人なんだよね。ゲイと言われれば確かにそう思うが、戦場で勇名をとどろかせた戦士にはとても見えないのが難点。

 でもいいもんね。というわけで、私の目当ては、フランス王フィリップを演じたジョナサン・リース・マイヤーズその人! ていうか、彼の名前だけ見て借りてきたDVDなんだけど(笑)。
 アイルランド人がフランス王を演じるのに文句言わないのかって? 言わない。これほどまでに美しい人ならば、文句なんか何も言わない(笑)。
 というのは冗談としても、「フランス王国最初の偉大な王と評価され、初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Auguste)と称される」フィリップに、これほどふさわしい役者が他にいるか? しかも当時、芳紀17才の青年王。王様の衣装も似合うし。英国サイドはみんなわりと地味で質実剛健な格好をしているのに、この人は華麗で優雅な装いで、いかにもフランス人って感じ。彼だけ意味もなく入浴シーンまであるし。ため息が出るほど色っぽく美しい‥‥
 のは置いといて、やっぱり日本でもそうだけど、西洋でも「時代劇顔」ってあるよね。今どきのそこらのガキが時代劇に出ても貫禄負けする。これぐらいアクの強い、濃い顔の人でないと。とか言いつつ、ジョナサンはまさにその「今どきのそこらのガキ」なのも事実で、しかも孤児院育ちのチンピラだっていうんだから世の中はわからない。
 やっぱりこういうのは持って生まれたものなのかねえ。彼が生まれつき持っている(と見える。どの映画でもそうだから、これは演技じゃないと思う)、気品、優雅さ、傲慢さ、残酷さ、気まぐれさ、自己中心性というのは、私の目にはまさに貴族のしるしに見えるのだが。まあ、現代だから役者をやるしかなかったが、世が世なら彼だって王様になれたかもしれないよね。
 ハリウッド的な意味でのハンサムじゃないし、かなり変な顔だが、私はこの手の男にめっちゃくちゃ弱いのだ。あえて難点を言えば、あまり背が高くなく(中背)、声がよくないことぐらいだが、痩せて筋肉質の身体はパーフェクトだし、やっぱりいいわあ。
 そうそう、リチャードがゲイだったらしいというのは知られているが、フィリップとできてたというのは本当なの? だとしたらこれも出来過ぎの超大物カップル! もっとも、このドラマの中では、リチャードは隠れゲイ、フィリップは完全なノンケであるにもかかわらず、リチャードとその父を愚弄し、笑い者にするためにリチャードを愛しているふりをしていたという、実に性格の良い人に描かれている。こういうのも好きっ! 真相を明かして親子を嘲笑するときの悪魔的誘惑者の顔がたまらない。

 とまあ、べたぼめのようだが、ほめたのは役者とその演技。あと、もちろん脚本もすばらしく、セリフはどれも超一級だ。ただ、映画としておもしろいかと言われると‥‥ある程度歴史の知識があって、英国史に思い入れを持っている人でないと、楽しめないかも。なにしろその歴史のほんの一コマを見せるだけで、この長丁場、ただえんえんとしゃべってるだけですからね(笑)。
 私が映画にくらべて演劇をつまらないと思うのもそのせい。役者はいいし、セリフはいいんだけど、ただ退屈(笑)。まあ、この作品はあまりに演技がすごいのでつい引き込まれて、飽きもせず見たけどね。その点、『氷と炎の歌』は無条件に楽しめるので、やっぱりこれはお芸術とエンターテインメントの違いか。

 とりあえず、私はジョナサンがもっと見たい! ジュード・ロウみたいに顔がきれいなだけの男はもう飽きたし、キリアン・マーフィはちょっとかわいらしすぎる。やっぱり私はジョナサンがいちばん好き! だけど、ここではあくまで脇役だったので。
 というので、さっそくフィルモグラフィを調べたのだが、なんか見たいと思うようなたいした映画に出てないなあ。やっぱり舞台やテレビのほうが主なんだろうか? (英国・アイルランドの役者はたいていそうだが)
 『ベルベット・ゴールドマイン』は適役ではあったが、映画自体はあまり出来がいいとは言えなかったし、今のところは『ゴーメンガースト』が代表作ってことか? まあいいけど。あれは大好きだったし。最近の主演作はウッディ・アレン? これはどういう組み合わせなんだかわからない。私はアレンが嫌いなんだが、これは見ないわけにはいかないな。でも、できたら彼の主演する時代劇がもっと見たいです。

 もひとつ、『氷と炎の歌』が映画化されたら‥‥というのが私の夢なのだが、いや、十分可能性はあると思う。あれだけのベストセラーなんだし、『指輪物語』があれだけ当たったんだから。そのときは絶対ジョナサンに出てほしい。誰の役がいいかな? 金髪に染めてジェイム・ラニスターの役がキャラクター的にはいちばんぴったりなんだが、彼の金髪はあまり見たくないような気もするし、悩むところ。

2007年1月30日 火曜日

今日はホラー

Silent Hill (2006) Directed by Christophe Gans 『サイレントヒル』

 コナミのゲームの映画化作品。弟が、「かなりちゃんとしている」と言っていたので見てみた。(ちなみに弟は私よりもっと意地悪な批評家なので、これはかなりほめているほうである) 普通ならゲーム原作なんて「ケッ!」と言って無視するところだし、例によって、「ハリウッドはよっぽどネタがないんだな」とかイヤミを言うかと思うでしょ?
 残念でした。私は日本のホラーはけっこう高く評価しているのだ。だけど読まない。このゲームもやってない。理由は単純で、こわいといやだから(笑)。

 ホラー・ファンを自認しているのに、こわいのはいやだなんて矛盾してる? いや、その理由も単純で、だって小説や映画なんて作りごとに決まってるんだから、ちっともこわくないじゃん。たとえば私はマジでジェットコースターがこわいが、だから絶対乗らない。金払ってまでこわい思いなんかしたくないよ。
 しかしゲームはこわいのである。見るだけの小説や映画と違って、インタラクティブなせいだろうか、それともパソコンという機械そのものにある種の魔が潜んでいるせいだろうか? とにかくゲームをするときは、私はズッポリその世界に入り込んでしまい、完全に現実のような気がしてくる。頭では現実じゃないとわかっていても、目の前にお化けがいたらこわいという意味では、悪夢にも似ているな。
 私はパソコン黎明期からの筋金入りのパソコン・ゲーマーである。メディアがテープの(フロッピーディスクさえなかった)時代からゲームをやっている。初期のRPGの代表格『ウィザードリィ』なんて画面は真っ黒なワイヤフレームである。モンスターが出ても、ちっぽけな粗い絵が1枚表示されるだけ。それでも本当に暗闇のダンジョンでモンスターと対面しているような気がして、死ぬほどこわかった。アドベンチャー・ゲームなんてもっとひどくてテキストだけである。それでも主人公になりきって艱難辛苦を乗り越えてきた。
 それで、テキストだけのモンスターだってあれだけこわかったのに、それにリアルなグラフィックやサウンドが付いていたら、どれほど真に迫ってこわいだろうと思うわけ。( もっとも、今にして思うと、初期のゲームが異様に現実味があったのは、むしろグラフィックやサウンドが何もないせいで、かえって想像力が刺激されたせいかもしれないとは思うが。でも、今やっているシムピープルだって、私にはゲーム中の人たちが完全に生きた人間のように見えている)
 だから私はホラー・ゲームには絶対手を出さない。よって、このゲームもやってないので、もし誤解があったらファンの人ごめんなさい。
 (ちなみに日本のホラー・ノベルを読まないのも、西洋ものよりこわいからである。なんというか、日本特有の陰湿なネチネチドロドロしたところがこわくてきらい)

 自分でもわりと意外だったのは、見始めてすぐ、主人公が「もうひとつのサイレントヒル」に迷い込むところを見て、「ああ、やっぱりこれは日本の作品だ」と思ったこと。原作もアメリカが舞台だし、あんまり日本っぽい感じしないだろうと思っていた。でも雪のような灰が降りしきる白い無人の町なんて、アメリカ映画ではまずありそうにない光景で、なんだかちょっと押井守っぽい。
 それでこの町が無条件に好き。私は東京なんかに生まれ育ったので、人がいないというだけで無条件に感動できるのだが(笑)、特に無人の町というのはいいよね。『28日後』でも冒頭の無人のロンドンは死ぬほど美しかったし。だから、後半、住人がゾロゾロ出てきたときはかなり幻滅した。どうせなら最後までヒロインがひとりで町をさまようほうがよかったのに。
 その無人の町で、不気味なサイレンが鳴ると魔物がうじゃうじゃ出てくるのも、わけわかんなくてちょっとこわい。このわけのわからなさがずーっと持続すれば良かったのだが、これまた後半、魔女狩りうんぬんという因縁話が出てきたとたん、いきなり普通のホラーになる。

 と、ここまで書いて、参考までに資料を当たってみたところ、どうやら後半は映画だけのオリジナル部分らしい。なーるほど。するとゲームはもっとおもしろかったんだな。まあ、その辺がハリウッド映画の限界で、しょうがない。それでもゲームのファンはみんな「雰囲気が良く出ている」とか「ゲームに忠実」とか書いているので、弟が言っていたようにかなりちゃんとした映画らしい。

 惜しいな。私が監督ならば、取って付けたような因縁話はほのめかすだけにしておいて、このシュールレアリスムの悪夢のような感じをもっともっと前面に押し出すのに。あと、元がゲームであるからには、アイテムとか罠とか謎解きなどの要素もたくさんあったはずなので、それを映画にも盛り込めばよかったのに。(“Saw”はこのゲーム感覚が楽しかった)

 とりあえず、やっぱり映画はちっともこわくはないが、この手のホラーで私がいちばん楽しみにしているのはクリーチャー。CGのクリーチャーは見飽きてるのだが、これは技術的には見るものはないけど、造形や動きはかなりユニークで、やはりアメリカ映画にはないものを感じた。どうせならもっとたくさんの種類を見せてほしかったよ!
 やっぱりいちばん好きなのはピラミッド・ヘッドかな。処刑人みたいでかっこいい。あと、「エビぞりに縛られたまま這い回る死体」も好き(笑)。

 というわけで、「まあまあだな」と思いながら見ていたのだが、けっこう感動したのはラスト。ヒロインは娘を救出し、夫の待つ家へ帰ってくるのだが、同じ家の同じ部屋の中なのに、夫のいるほうは普通に色がついていて、ヒロインのいるほうは白く色が飛んでいる。ここはまだ「異界」の続きなのだ。そして彼女は二度と夫に会うことはない。
 入ったら二度と出られない世界なんですね。アンハッピー・エンディングというだけではなく、この静かなしんとした終わり方は、アメリカのホラーなら絶対ないはずの品位を感じさせる。
 というか、ヒロインと娘と女性警官がどちらも事故にあってサイレントヒルに入り込んだところで、私は「3人とも死んだんだな」と思っていたのだが、違うんだろうか?
 とりあえず、久々に日本人であることに誇りを持たせてくれた映画だった。

The Hole (2001) Directed by Nick Hamm 『穴』

 ついでにもう1本。これはどういう映画かぜんぜん知らないまま、「パブリックスクールの生徒が‥‥」という宣伝文句だけ見て借りた。これだけでイギリス映画ってことはわかるからね。もっとも、上に書いてるようにイギリスのテレビは最高だが、イギリス映画はかなりスカもあるっていうか、アメリカにくらべると全体に劣るのは知ってるんだけど。

 で、最初は、ティーンエイジャー・ホラーでも、いかにもオツムが軽そうなガキどもがギャーギャー騒いで殺されていくアメリカ映画とは一線を画した映画にしようという意図がはっきり見えて、それなりによくできてると思っていた。つまり「藪の中」ならぬ「穴の中」なんだよね。
 ところが、穴の中の真相が意外と早く明らかにされてしまったあとは、なしくずしにつまらなくなってしまう。脚本を書いたのはオックスフォードの学生だそうだが、いかにも学生が書いた脚本という感じ。アイディアだけはあるが、書く力はないということ。アラを指摘したらキリがないし、つまんないからやめた。

 でまあ、話はどうでもいいが、とりあえず学校生活の様子や役者を見るのを楽しみにしていた。ところが、ヒロインとヒーローはアメリカ人じゃん! 『アメリカン・ビューティー』の娘役ゾーラ・バーチが主役なのだが、ほとんどあれと同じキャラ。まあ、あのご面相ではブスッ娘以外の役がまわってくるとも思えないが、それにしても『アメリカン・ビューティー』ではいじらしいところも見せていたのに、ここでの役柄はブスなだけじゃなく性悪でアバズレで、これじゃいいとこないじゃん(笑)。もう顔も性格も最凶というなら、それはそれで一種のホラーだからまだわかるが(笑)、それほどでもないし、だったらなんでこんなブスをえんえん見せられるのかと思うと腹が立ってくる。(べつにブスを差別するわけじゃないが、好きになれないタイプのブスなんだよね)
 彼女が恋する「ロックスターの息子」(笑)にデズモンド・ハリントン。この子もアメリカ人。どこがパブリックスクールやねん! (いちおう純イギリス映画なんだが) まあ、中年のロックスターが見栄で子供をパブリックスクールに入れるというのはよくあることですけどね。彼はときどきトム・クルーズに似ているように見えるのが気に入らないが、確かにハンサム。
 ブスの親友が美人というのも『アメリカン・ビューティー』と同じで気になるんだが、それがキーラ・ナイトリー。彼女は『キング・アーサー』にも出ていたが、総崩れのキャストの中ではけっこうかっこいい役だった。確かに美少女だが、それだけだな。

 というわけで、映画には関心を失ってしまったので、関係ないことを書く。これなんかホラーと言うよりはほとんど「青春学園もの」映画で、このジャンルは私がラブストーリーと並んで絶対避けているジャンルである。でも昔はイギリスの青春映画が大好きだった。
 話がどうこういうより、イギリスの若者のライフスタイルを見ているだけであこがれたんだよね。アメリカの青春映画に同じようなあこがれを抱く人は多いと思うが、私はそっちにはぜんぜん関心が持てなかった。「ガキのくせに車なんか乗り回して、でっかい家に住んでむかつく!」と思うだけで(笑)。
 それに対して、イギリスのどこがいいかというと、まず共同生活というやつにあこがれた。寄宿舎とか、そうでない人はたいていフラットをシェアして友達と暮らしていて、親といっしょに住んでる若者なんて出てこないから。そしてティーンエイジャーの常として(最近の日本の若者はそうじゃないんですか?)、私も親から逃れたいとしか思ってなかったから。
 なぜそうなるかと言いますと、(いきなり講義口調。なにしろこれを1年間教えてきたので)、全寮制の学校が多い、大学進学者が少ないので、16で学校を出るとすぐに働きに出る人が多い、ということもあるけど、全体として、イギリス人の「家を出て親から独立する年齢」は世界的にもきわめて早いのだ。でも、若者は貧乏でひとりじゃ家賃を払えないから、友達と共同でフラットを借りて住むわけ。
 貧乏だけどいろいろ工夫して、服なんかも古着をうまく着こなし、家なんか自分で改装して、趣味や個性を全面的に生活に取り入れた暮らしぶりを見ると、なんだかすごーくおしゃれで、粋で、大人っぽくて、いいなあと思っていた。仲間との暮らしも楽しそうだし。
 実は私も念願かなって、一時そういう暮らしをしてました。バンドをやってたボーイフレンドと暮らしていた家に、バンド仲間やその友達やらがいつも居候していたんだよね。私は口では、「居候がタダ飯ばっかり食いやがって!」とか文句を言っていたけど、でも、毎日がキャンプかパーティーみたいですごく楽しかった。タダ飯食らいどももそれなりに気を使って、料理や買い物なんか手伝ってくれたし。
 とまあ、そういうことを思い出させてくれるから、イギリス映画を見るのは楽しい。はずが、この映画じゃぜんぜんそういうのはなかったけど。
 むしろ最近のイギリス映画でそれを感じさせたのは、ゾンビ・ホラーの『ショーン・オブ・ザ・デッド』。男3人で住んでいる主人公の家がまさにそう。特に主人公のショーンの親友はどうしようもないバカで役立たずで下品なデブなのに、すごく仲良し(ゾンビになっても)なのが微笑ましかった。必ずこういうやつがいるんだよね。みんなに「なんであんなのとつき合うんだ?」と言われながらも、なぜか大切にされてるやつって。Happy Mondaysのベズとか。あ、こんな比喩もう通じないか。

このページのいちばん上に戻る

inserted by FC2 system