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2006年5月の日記

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2006年5月1日 月曜日

近況です

 ああ、忙しい忙しい。ゴールデン・ウィーク? へっ! 私が休めるのは2日だけだし。〈それはもともと働いてる日が少ないからでは?〉 それは外で働く日の話。店は年中無休だし、原稿の締め切りもあるし、GWはどのレコード屋もバーゲンをやるから、それにも駆けまわらなくちゃならないし、ぜんぜん休めない。
 と言っても、店はあいかわらず危機的状況が続いている。最近はほとんどあきらめムードに入ってきて、べつに商売で利益が出なくてもいいかなんて(苦笑)。まあ、元々が営利目的じゃなくてボランティアみたいな店だし、それが元に戻っただけなんだからと。
 そんなわけで、最近は資金がないので仕入れもままならない。そのくせ自分のものはけっこう買ってる。こういう経済的苦境のときこそ、レコード・コレクションなんかあきらめて、商売に専念すべきなのはわかってるんだけど。
 なのにそれをしないのは、無理して高価なアイテムを仕入れて、それが売れなかったときは精神的ダメージがでかいのに、自分のものならあきらめもつくからという変な理屈。いや、実際、店のためにわざわざ仕入れたものが売れないのに、自分がほしくて買ったものはよく売れるという逆転現象が起きてしまっているのだ。やっぱり私が欲しがるということは、他にも欲しい人がいるということなのかな?
 はい、最近はさすがにお金がなくて、自分のコレクションも切り売りしてます。「売り物ではありません」と明記してあるにもかかわらず、それでも欲しいから売ってくれという人もいるので。そういうのは「金に糸目は付けない」という人に限られるので、店と違って思いきりふっかけさせてもらってます(笑)。
 そこで唐突に最近買ったCDのディスク・リビュー。

ディスク・リビュー

South - Adventures in the Underground Journey to the Stars (Young American, 2006)

 現役バンドの中で何がいちばん好きかと言われたら、それはこのSouthかもしれない。(ただし、もはやすべてにおいて別格扱いのUNKLEと、別の意味で別格のManicsと、例によってまだあるんだかないんだかよくわからないPuressenceを除く、って気が多いね、やっぱり)
 まだ2枚のアルバムしか出してないし、その2枚の音楽的方向性はだいぶ違うんだけど、どっちも私にとっては、こたえられないアルバムだったしね。もちろんこのバンドもUNKLE人脈で、それはUNKLEがどれほど偉大かという証明なのだが、個人的に「ロック」と「バンド」という点にこだわりたい私としては、それだけでもSouthには肩入れしたい。
 これはそのSouthのサード・アルバム。またアメリカ盤が先に出た。eBayで買った方が安いのは知ってるけど、どうしてもすぐ聴きたいという誘惑に負けて、HMVで買った。

 でもって、こういう大事なアルバムの場合はまず手にとってじっくり鑑賞する。
 タイトルは“Adventures in the Underground Journey to the Stars”。『星々への地底旅行』? わけわからん! が、このひねったところがいかにもSouth。
 しかしこの人たちもあいかわらずのジプシー暮らしっていうか、レーベルが毎回変わってるな。どうしてこれほどのバンドがこうなるのか?というグチはもう聞き飽きたと思うのでやめておくけど。それでも今回はアメリカのインディーではまあメジャーなほうのYoung American Recordingsに変わった。
 CDはスリップケースに入っているのだが、一目見ただけじゃ誰のCDかわからなかった。またロゴが変わってるし、スリーブデザインも「えっ?」という感じだし。
 レーベル・ジプシーが悲しいのはこういうところなんだよね。デザインを統一してくれれば、集める方も楽しいのに。もっとも、Mowax時代のあれはちょっと勘弁だけど。今回はグラフィティっぽいデザインだけど、なんか安っぽい。いつもながらスリーブが中味と合わないバンドだなあ。どうしてもっとサウンドに合ったデザインにしない? これですごく損してると思うけど。
 それでスリップケースからCDを出そうとしたら、きつすぎて出ない! それでも必死で押し出したけど、これを何度もやってたら、絶対ケースが破けるぞ。早く英国盤が出ないかな。
 ふーん? CDのスリーブはケースとはまた違うデザインなのね。それはうれしいけど、やっぱりパッとしない。それで、CDを取り出そうとしたら、新品未開封なのに爪が折れてる! 幸い、CDに傷はついてなかったけど、やっぱりアメリカのインディーはボロいなあ。おまけによく見ると、ジュエル・ケースは標準のものより薄くてペナペナのやつ! これじゃ割れても当然だ。どうしてここまで安いの! あまりにかわいそうなので、このケースは取り替えましたよ。
 まあ、アメリカのインディーでは、やっぱり新品未開封なのに、中味が違ったという経験もあるので驚きませんけどね。と書いてから思い出したのだが、あれもやっぱりYoung Americanだったぞ!(確かJesus And Mary Chainのシングル) スリップケースが取れないのもサイズがおかしいからだし、品質管理のいい加減さは中国盤並みだな(笑)。ほんとに中国で作ってるんじゃないの?

 気を取り直してCDをかける。中味は本当にSouthだったので一安心(苦笑)。雑踏のノイズから、カッカッカと階段を駆け上がる音から始まって、映画のオープニングみたいでドキドキする。
 しかし、サウンドはまた変わったぞ! 1曲目は“Shallow”なのだが、なんと形容したらいいのか、これまでのSouthと違う。ちなみにこれもいい加減な形容だが、ファーストはやっぱりMowaxということで、ダンス色が強く、セカンドはいかにもという感じの「インディー・ギター・バンド」だったのだが、これは‥‥
 あえて言うなら、これまでになくポップな印象で、しかも80年代の英国インディーを思わせる、ちょっとレトロな感じ。“Low Life”の頃の(打ち込みなしの)New Orderみたいだ。フォークやトラッドの影響を思わせる曲もあるし、(比較的)ハードなギター・ナンバーもあって、曲はバラエティに富んでいるのだが、この印象はほぼアルバム全体に共通している。
 とにかく芸達者な人たちで、なんでもできるのは知ってたが、この人たちの「箱」からはまだまだなんでも出てきそうな気がする。

 New Orderを思わせる理由はすぐわかる。やっぱりボーカルの声やメロディが似てるのだ。だいたい私が狂うタイプのバンドは似てて当然なんだけど。それにJames Lavelleの影響はもうほとんど消えたとは言え、やっぱりルーツがそれだし、New Orderはダンスとポップを結びつけたバンドだからそこも似ていて当然。ギターもけっこう似てる。(こっちのほうがずっとうまいが)
 そう思って、オフィシャル・サイトのバイオを読んだら、「New Order(ただし全盛期の)を彷彿とさせる」なんて書いてあって、やっぱり! 特にシングルになった“A Place in Displacement”は、まるで昔のNew Orderが甦ったような気にさせて、私は思わずうっとり。
 もっとも、露骨にNew Orderを思わせるのはこの曲ぐらいで、あとは誰にも似てない、不思議なSouth節の世界が展開される。思えばこのバンドぐらい、いろんなバンドに例えられてきたバンドはいない。今ざっとリビューを眺めただけでも、Stone Roses, Coldplay, Travis, Elbow, Radiohead, Oasis, the VerveからQueenまで! ほとんどブリット・ポップ・オールスターズという感じだが、でもNew Orderを除けば誰にも似てないんだよね。つまり、私の愛した音楽を煮詰めてその精髄を取り出したという感じで、だからこれだけ入れ込んだのだが。

 でもやっぱり、私にとって最大の魅力はボーカルのJoelの声。甘く切なくかわいらしくて、ボーカリストとしては今いちばん好き! 彼の歌メロがまた、私には絶対抵抗できないタイプのメロディで、これだけでも十分なのに、おまけに曲も書けてプロデュースもできるなんて! というのは、前にPaul Draperについて同じことを書いたような気がするけど、本当にMansunと同じぐらい好き。ちなみにJoelはルックスも好き。知的で優しそうで。ヘアカットの趣味は悪いと思うけど(笑)。
 そうそう、プロデュースもほめてあげよう。この人たちはプロデューサー・チームでもあるので、もちろんすべてセルフ・プロデュース。
 おっと、“A Place in Displacement”だけはDave Eringaのプロデュースだったが、この名前を聞いて私はまた舞い上がる。彼のプロデュースしたアルバムには名作が多いんだけど、中でもManicsのファーストのプロデューサーとして、私には永遠に忘れられない名前ですからね。それで、この曲のサウンドがまたすばらしくて、さすが!と言いたいところだが、これはあくまでプロの名人がプロデュースした音って感じで、その意味では何も驚きはない。
 むしろおもしろいのはその他の曲。どの曲も必ず、ハッとさせるような大胆で実験的なアレンジが施されていて、何が出てくるかわからないおもちゃ箱みたいで楽しい。(そしてもちろん言うまでもなく、胸が痛くなるほど美しい)
 ある意味、このバンドはJames Lavelleプロデュースのファーストで、洗練の極致はきわめてしまったのだが、そのあとでまだまだ隠し球があるあたり、ほんとにどこまで才能がある人たちなんだ!

 荘厳なアンセムも悲しく優しいバラードもあるけど、これまでのアルバムとくらべると、全体にずいぶんかわいらしくポップでカラフルな印象。私としては、おいしいお菓子がいっぱい詰まった豪華なキャンディ・ボックスみたいで、ひとつひとつ味は違うけど、どれを食べてもおいしい。なくなるのが(聴き終えるのが)もったいなくて、どうかいつまでも終わらないで!と祈りたくなるようなアルバム。
 Southサイコー! やっぱり私の目に狂いはなかった!というわけで、私のナンバーワン・バンドとしての地位固めをしたアルバムだったが、Young Americanじゃちゃんとしたプロモは作ってないんだろうな、そもそもアメリカのインディーのプロモはほとんど市場に出ないし‥‥と、コレクター泣かせのバンドでもあるんだが。

Porcupine Tree - Deadwing (WHD Entertainment, 2006)

 私の「無名バンド・コレクション」のひとつにNo-Manというバンドがありまして、すごく簡単に言っちゃうと、Japanのフォロワー。つまり知性・耽美・憂鬱というアレですね。実際、元Japanの(Davidを除く)メンバーとの交流も深い。
 Japanは「あまりにも早すぎたバンド」で、80年代を待たずに解散したが、そのJapanがもし現代に生き残っていたらこんなふうに聞こえたかもしれないという、いわば「Japanの発展形」として私は非常に愛聴していたのだが、最近(こんなマイナー・バンドがまだ続いているというだけでも驚きなのだが)、ますます実験的でミニマルな音になってきて、私はちょっと興味を失っていた。
 (No-Manのオーディオ・クリップはこちらから。すてきだからぜひ聴いて)
 そうそう、上に書いた話とのからみで言えば、No-Manの唯一の日本盤シングルなんかも、売って欲しいという人が絶えない珍品ですね。これは絶対売らないけど。私は1枚中古で見つけて店で売ったのだが、また入手するのを期待して、カタログには「売り切れ」と書いて残しておいたところ、ぜんぜん再入荷しないのに業を煮やしたファンから、「売る気がないんなら消してしまえ!」と怒られたので、やむなく消したというぐらい。ある意味、こういう無名バンドのコレクターのほうがファナティックなんだよね。

 それでPorcupine Treeだが、これもお店のお客さんに教えられて知った。と言っても、この限定2枚組の日本盤、どうやらジャパン・オンリーだったらしく、注文が2件ほど来たのだ。わずか2件と言っても、うちあたりの店に常連さんではない飛び込みの客から注文が入るというのは、よほど他では手に入らないか、よほど熱狂的なファンのいるバンドなので、そういうのはいちおうチェックすることにしている。
 そこでさっそくオフィシャル・サイトに行って、ビデオ・クリップ(このページの下から2番目の写真をクリック)を見たのだが、これはヘビメタではないか。あー、ちょっと思ったのと違ったな。もちろん私はかつてヘビメタ・ファンであったこともあるし、何も悪い印象は持ってないが、この手の音楽は70年代に飽きちゃったんだよね(笑)。
 ところが、お客さんに送るために買った日本盤の帯を見ると、プログレに分類されている。あーん? まあ、イギリスじゃDeep PurpleもLed Zeppelinもプログレと呼ばれてるからそれほど驚かないけど。(実際、彼らはクラシックやトラッドなどプログレの要素もあったし) それに「King CrimsonのRobert Frippも絶賛」というのも、あのおっさんは変なものでも気に入ってほめる人なのでそれほど驚かない。(パンクに心酔してたこともあったし)
 ただ、ちょっと気になったので、もう一度オフィシャル・サイトへ戻ってバイオを読んでみたところ、ななななな〜!!!! このバンドはNo-ManのSteven Wilsonのバンドだというのだ。上のリンクにあるNo-ManとPorcupine Treeのクリップを聞き比べてもらえば、私の驚きがどれほどのものだったかおわかり頂けるでしょう。およそヘビメタとはまるっきり正反対、対極にあるバンドではないか。しかもStevenはNo-Manのデビュー時からPorcupine Treeとしての活動もやっていたと言うんだから。もっともメタル・ギターを取り入れたのは最近らしいが、それにしてもびっくらこいた。
 しかし、なんで今の今まで気付かなかったのか?と不明を恥じる次第。私にとってNo-Manと言えば、ボーカルのTim Bownessと、バイオリニストのBen Colemanの印象だけが強く、それ以外の楽器すべてを担当していたSteven Wilsonのことは気にもしてなかったからかな?
 さらにそれ以上にびっくりしたのは、Porcupine TreeのキーボーディストはRichard Barbieri! そう、言わずと知れたJapanの人である。彼は以前からNo-Manのアルバムに参加したり、Tim Bownessとのプロジェクトをやったりしてたのは知ってたが、なんで彼がここに?!

 というわけで、これはもうたまらない。何がなんでも聴かないわけにはいかなくなって、自分用にも1枚買ってきた。それで聴いて納得。
 ドラマティックでメロディアスで、1曲の中にいろんな「変奏」がある曲構成は確かにプログレ。その中に突然ラウドなヘビメタ・ギターが飛び込んでくる。にも関わらず、全体は確かにNo-Manのおもかげを残している。なんだ、こりゃー!
 納得はしたが、最初は頭がグチャグチャになっただけだった。それで、何と書いたらいいのかさんざん迷った。最初はプログレとしてもヘビメタとしても中途半端で単なる寄せ集め音楽という印象が強かった。なにしろ私はそのどっちも「本物」の「最盛期」を知り抜いてますからね。
 確かにこの手のギターは意味もなく(笑)気分を高揚させるという楽しさはある。私も決して嫌いじゃないし、ダンスとヘビメタはすごく相性がよくて、そういうミクスチャーなら大歓迎なのだが、いくらなんでもヘビメタとJapanは両立しないんじゃないか(苦笑)。
 だから最初はかなり辛辣なこき下ろしリビューを書いたのだが、困ったことに聴いてるうちにだんだんよくなってきてしまった(笑)。何はともあれ、これだけの曲を書き、これだけのギターを弾き、これだけの歌をうたうSteven Wilsonの才能はあなどれない。単なるごたまぜ音楽かという最初の印象は、聴いてるうちにだいぶ薄れ、それなりに端正な、一本筋が通ったところはいかにも元No-Manだという気がしてきた。
 ボーナス・ディスクの内容はたぶんB面曲中心だと思うが、アルバムより実験的な曲が大半で、これなら元No-Manと言われてもうなづけるし、こっちが本来のPorcupine Treeの音ではないかと思われる。
 とにかくけっこうキャリアが長いバンドなのに、私は初めて聴いたのでまだなんとも言えない。でもとりあえず、これは昔のアルバムも聴いてみなくちゃ。

 あとはPorcupine Treeとは関係ない雑感なのだが、これを聴きながら、これをプログレと言うならSouthだってプログレじゃないか(笑)と思った。上に書いた、びっくり箱みたいな斬新さの部分とか、ジャンルを超越したところだけど。そういや、以前にここでほめたPineapple Thiefだってプログレと呼ばれているし、なんか最近プログレづいてる私である。そういや、Mansunもプログレと言われてバカにされたんだっけ。
 もちろんプログレは私の重要なルーツのひとつで、それこそ70年代の初めまでは、プログレほどすばらしい音楽はないと思っていたが、ハードロックに対する愛着は消えずに残ったのに、一時はもうプログレと聞いただけで身の毛がよだつほどダサくて古いと思っていた。
 私の定義じゃ、上記のバンドはプログレとはほど遠いのだが、それでもこの種のバンドに今惹かれるのは、定型化した最近の英国バンド(アメリカその他の国の音楽は聴かないので知らない)にうんざりしてるせいかもしれない。
 はっきり言ってFranz Ferdinandなんてイギリスじゃ定番中の定番ですよ。ガレージ・パンクとかなんとか呼ばれてる最近の新人バンド(もう名前が覚えきれない)もみんなそう。やっぱりそういうのに飽きが来てる人が多いから、こういうバンドが浮上してくるのかも。まあ、浮上と言っても、なにしろStrangelove Recordsのレベルでなので(苦笑)、あくまでマニア受けにとどまることは間違いないけど。なにしろレコファンでもPorcupine Treeは(日本盤ですら)仕入れてなかったし、そもそも日本盤が出るのはこれが初めてなんだから。
 でも、Mansun解散後(ほとんど聴きたい音楽がないので)ますます音楽シーンから離れていた私にとって、このバンドを「見つけた」のはラッキー!という感じ。

2006年5月4日 木曜日

言いたかないけど、つい言いたくなってしまうこと

愛国心を強制するぐらいなら、まず日本語を浄化しろの話

 最近の日本(特に東京都)の右傾化・反動化はもう目を覆うばかりだが、それに危惧を示すのは50代以上のみ。むしろ若者はそれを支持してるみたいだし、どうせ我々はそう先が長くないんだから、これからの日本に生きる連中がそれでいいんなら、もうわしゃ知らん!と言いたいところだが、つい一言いってしまう。

 そんなに昔の日本が好きなら、まず日本語を浄化して、本当の日本語に戻せよ。まずは旧かな遣いを復活する。蝶々は「てふてふ」だ。でもそれならすでにやってる人もいる。ここで私が推したいのは、日本語から外国語――つまり外国から来た漢字・漢語・外来語をすべて廃し、大和言葉だけを使うことだ。天皇は「すめらみこと」だ。政治は「まつりごと」だ。国民は「くにたみ」だ。携帯は「もちあるける」だ。あー、意味ねー!(笑) でもこれを徹底すれば、あのいやらしいちょん切り語のたぐいはすべて意味がなくなって、使えなくなるから一石二鳥。
 もちろん漢語の良さはいくらでも造語が可能なことで、それが使えなくなると近世以降の産物や抽象語を言い表す言葉がなくなってしまうが、それは国語学者に知恵をしぼってもらう。(私は頼まれてもやだ。どんなに大変かわかってるから)
 だいたい、音読みの漢語って、「テンノー」とか「ケンポー」とか、そもそも音が美しくないし、安っぽくて薄っぺらでバカみたいだから、なくしたほうがいい。
 これは過激な極論ではない。実際にフランスなんかは現実に国策としてそれをやってるし、日本でできないはずはない。
 ただ、すべてが大和言葉になると、おそらく今の3倍ぐらい読みにくく、しゃべるのもまだるっこしく遅くなって、何をするにも3倍の時間がかかるに違いないが、それはそれで優雅でおっとりした感じでいいし、今の世の中、国を挙げてスロー・ライフに転じるのも流行の最先端な感じでいいのではないか?(笑)

(これは半分風刺、半分冗談だが、実は少し本音も入っている。私は漢語もカタカナ語も大嫌い。自分で書いててけっこう気持ち悪くなり、使わないですめば使いたくない。それにくらべて英語は美しいと思うから英語のほうが好きなわけ。英語にも外来語は多いが、たいていは言い換えができるしね)

プリペイド・カードってなんのためにあるの?

 私が携帯を持たないのは貧乏だし必要がないからだが、東京に住んで、定期も使えないくせに、スイカもパスネットも持ってない人はめずらしいかもしれない。こちらの理由は、私は地下鉄とJRを併用していて、これらのカードでは乗り継ぎ時の精算ができないせいと、1円の割引きもない(スイカに至っては余分な料金を取られる)せいである。(近いうちに相互利用ができるようになるそうだが)
 そうでなくても、プリペイド・カードは不合理そのものだと思う。今やあらゆるサービスにプリペイド・カードが存在し、電子マネーだの、おサイフケータイだの、次々新種が登場して、便利だ便利だと騒いでいるが、いったいどこが便利なのか教えてほしい。なにしろそのサービスを利用しようと思ったら、財布は何十枚ものカードでいっぱいになってしまって、必要なカードを捜すだけでもえらい手間だし、一文の得もないばかりか、落としたりしたら丸損だ。(スイカは落としても再発行してくれるというが、しっかり手数料を取られる)
 それだけでもどう考えても不合理だが、それ以前に、どんなサービスでも共通で、使用期限もないし、手数料もかからないし、全国どこの店でも使える便利なものがあるのを忘れてないか? そう、「お金」である(笑)。そもそも通貨が発明されたのは、ものを買うのにいちいち物々交換のための品物を持っていくのがめんどくさかったからだと思うが、そのお金をプリペイド・カードに換えるのは、物々交換の時代に退行しているみたいな気がする。
 まあ、これは極論としても、だったらクレジット・カードというものがあるじゃない。これこそまさにキャッシュレスの代名詞なのに、なぜかプリペイド・カード大好きの日本人はクレジットはめったに使わないんだよね。こういう時代こそ、カード会社は加盟店をもっと増やして、(英米みたいに)どこでも使えるようにすれば、他のプリペイド・カードはすべて不要になるのに。
 かく言う私は、ふだんお金を使う機会といったら、日用品と食料品のほかはCDやDVDぐらい。それでスーパーマーケットやレコード屋ではすべてカード払いなので、最近ではほとんどキャッシュは使わない。だから駅で切符を買うときカードが使えないのにイライラするわけ。
 スーパーでネギ1本買うのにもカードで払うというとスノッブみたいだが、実際問題として何十何円なんていう小銭を捜して財布をのぞき込むより、サインいらずで機械にさっと通すだけのカードの方がずっと早い。おまけにポイントも付くし、ジャラジャラ小銭が入ってないのでお財布も軽くなる。こういう便利なものをなんでみんな使わないのか不思議。
 とか言いつつ、なぜかレコード屋のポイント・カードだけは無限に増えていくので、私の財布は(物理的には)重くて(比喩的には)軽い(笑)。

今さらだけど民主党の偽メール事件について

 こんなのは自明の理だと思って、最初からバカにして見ていたのだが、なぜか誰も言ってないようなので。つまり、電子メールというのは単なるデジタル・データであって、形のあるものではない。そしてデジタル・データの特徴は、いくらでも加工・複製が可能だということである。早い話が本物と偽物の区別なんてできない、本物だという証明なんかできないのだ。電子署名とかが付いてれば違うのかもしれないが、メールにそんなのないし。
 だから証拠を出せと言われたとき、せめてプロバイダのログとか持ち出してくるのかと思ったら、出てきたのはプリントアウト、のそのまたコピー。だからー、そんなの証拠にもなんにもならないって! たとえ「現物」が入った堀江のパソコンを提出したとしても、そんなのいくらだって偽造できるので本物の証拠にはならない。もしかして、この人たち、メールが何か知らない(手書きの手紙みたいなものと思っている)んじゃないか? こんなチャチな詐欺にだまされるほうも、それを見て、「現物」を提出しろと怒るほうも、やっぱり国会議員ってみんなバカだな。

インチキ民間療法について

 これも普段から頭に来てるのだが、たまたま今朝の朝刊の一面になっていたので。どういう記事かというと、アガリクスだのプロポリスだの、癌に効くとされている健康食品はなんの実効性も証明されていないということ。
 いやー、アガリクスに関しては苦い思い出があるんですよ。私が世話になった恩師が癌で倒れたとき、友達といっしょに何かお見舞いの品物をあげようということになって、彼女がアガリクスにしようと言うのに、私は絶対反対だったのだ。もちろん当時はアガリクスが効かないという情報は知らなかったが、十中八九、紅茶キノコ(って覚えてる人いるかな?)のたぐいのインチキだろうと思っていたし、そうじゃなくても私はこの手の民間療法全般に懐疑的だったから。
 ただ、その友達自身がビリーバー(苦笑)だったのと、恩師自身がアガリクスを常用しているのを知っていたので、本気で反対できなくて、つい押し切られてしまったのだ。その時はまあ、プラシーボ効果というものもあるし、「私はあなたの病気のためには何もしてあげられないけど、あなたのことを想っていますよ」という単なる意思表示でもいいと、自分に言い聞かせたのだが、それでも「こんなものに何万円も」と思うと、やりきれない気持ちがしたのを覚えている。
 その恩師はその後すぐ癌が悪化して亡くなったが、少なくとも気持ちだけは喜んでくれたようだ。確かに、子供の頃病弱で病院通いが絶えなかった私も、おばあちゃんが神社でもらってきた「おまじない」の丸薬を、子供心にも「こんなの効くわけない」と思いながらも、孫を思う祖母の気持ちはわかったから、ありがたく飲んでたけど。しかし、かわいげのないガキだ(笑)。
 それはともかく、アガリクスなんて効かないというのは、以前から新聞では何度も取り上げられていて、厚生省が販売業者を詐欺で告発したりしてるのに、いまだに一流デパートでも売ってるのはなんでだろ?
 同様に、うちの近所に最近やたら増えたのが、カイロプラクティック(これも西洋に昔からあるインチキ療法)まがいの整体師。ある日、新聞に「背骨が曲がっていても、それで病気になることはありえない」という医師の談話が載っていたので、ああいう業者はどうするんだろう?と思ったが、もちろんそれ以降もその手の治療師は店を閉めるどころか大いに繁盛している。
 そういや、「ビタミンCを大量摂取すれば、癌にかからない」と主張したアメリカの医者が癌で若死にした(ついでに奥さんまで!)というのは有名な話だが、それでもサプリメントとかなんとか言って大流行だしね。少なくともビタミンCはいくら飲んでも害にはならないことが証明されているが、ああいうサプリのたぐいはなんの保証もない。
 まったくタバコの害とかこれだけうるさく言われてるのに、得体の知れない薬を飲んだり、医者でもない素人に体をいじらせるのは平気な健康信者ってどうかしている。女性週刊誌に載ってる、「幸運を呼ぶネックレス」みたいなのは絶対信じない人も、疑似科学の衣をかぶってるとまんまと信じちゃうんだから。

 そう、これこそまさに日本人にとっての宗教だと思うんだよね。科学的に証明できないものを盲信するというところがまさにそうだし、理性的な反論にまったく耳を貸さないところ、すぐに人を勧誘しようとするところも似てる。特に私の年になると、体もあっちこっちガタがくるわけで、そのせいか私のまわりには「信者」が多くて困る。おもしろいのは、ある療法の信者はほかの療法をめっちゃくちゃ胡散臭い目で見ていること。それも宗教と似ている(笑)。
 私が宗教やこの手の健康法を嫌いなのは、どっちも人の弱みに付け込み、人を脅すこと(「死後裁きを受ける」だの、「背骨がゆがんでいるとこれこれの病気になる」だの)で儲けようとしたり、苦しんでいる人、困っている人を食い物にすることだ。そういうやつこそ地獄に堕ちたり、癌になると思うのだが(笑)、信者は本気で信じてる場合が多いから始末に負えない。

2006年5月13日 土曜日

コレクター話

UNKLE - Never Never Land picture LP box set (Amazon Exclusive)

 ああ〜、久々に超高価なものを買ってしまった。モノはUNKLEのAmazon限定ボックスセット。UNKLEものは高かろうがなんだろうが、手に入るものは全部買うと決めてあるとは言え、これはさすがに逡巡した。というのも、LP3枚組のボックスセットが送料込みで63.15ポンド(13165円)。
 これだけなら目をつぶって買っただろう。でも同じピクチャー・ディスクの通常盤(っていうか、ピクチャー盤自体が限定盤なんだけど)を、私は日本で3000円ちょっとで買ってるのだ。中味は同じということは、箱だけのために1万円! 汚ねーよ! Amazon!
 だいたい、付いてる写真がボロくて、どこが普通のと違うのかよくわからないし、商品説明を読んでもやっぱりよくわからないし、ためらっていたところ、お客さんたち(で、UNKLEコレクター仲間)から続々「買った?」というメールが届き始めた。
 これがいけないんだ、これが(笑)。コレクションというのは、ひとりでやってるぶんにはそう熱くならないのだが、仲間がいると相乗効果でオーバーヒートする。それで私が迷っていると話すと、「絶対買わなきゃダメ!」とか、「やっぱりいいよー!」とか口々に私にも買わせようとするばかりか、中には自分で撮った写真を大量に送り付けてくださる人までいる(笑)。
 だって、箱だけだよ。ただの紙箱に1万円。皆さんみたいにお金持ちじゃないんだから、私は‥‥とかブツブツ言いつつ、当然ながら買ってしまった。まあ、UNKLEは最重点コレクションの対象だし、コレクションしてていちばんうれしいのもUNKLEだし、私はそれで商売しているというメンツもあるし、何より、UNKLEアイテムはどんなに法外に高いと思えるものでも、売るときは確実に買値よりも高く売れるという実績もあるし、お店の売り上げの何か月か分を当てればいいやと思って。
 それが今日届いたのだが、なるほど、確かに箱は豪華だ。(もちろん開封なんかしない) ずっしり重くて分厚くて、見ているとやっぱりニヤニヤしてきてしまうのがコレクターの情けなさ。いちばん心配だったのは、輸送中に箱が破損するんじゃないかということだったが、いい加減な梱包でひやりとさせられたものの、シールが何か所か破れているほかは、ボックスは無事だった。

 ところでこれ、上にも書いたように、Amazon UKのショップ限定アイテム。UNKLEの限定盤の種類の多さにはいつもあきれているが、いくらなんでももう出ないだろうと思ってたのに、こういう手があったか。しかし、250セット限定と書いてあるが、まだあるな。やっぱりみんなこの値段にためらってるのか、それとも、UNKLEコレクターって私の知り合い(とうちの店のお客さん)だけしかいないのか?(笑)

Massive Attack - Collected, limited edition CD/DVD, 3LP, promo CD

 一方、こちらはやはりUNKLEがらみでMassive Attackの新しいベスト盤。ベストならすでに全シングルのボックスセットがあるのに、また出たのか。もちろんその後に出た新曲は古いベストには入ってないけど。
 Massive AttackもUNKLEとまったく同じ意味でコレクター心をそそるバンドだが、私は出遅れたせいもあり、こっちはコレクションと言えるほどのものは持ってない。UNKLE同様、レア盤は天文学的な高値で、私には手が出ないし。それでも新譜で買えるうちはできるだけ揃えておこうと思って。
 それで買ってきたのは、限定盤CD、LP、プロモの3種。通常盤CDや日本盤みたいにあとからいくらでも買えるものは後まわし。CDは本の形の特殊ジャケに入って、レア・トラックのCDと全ビデオのDVDのデュアル・ディスクがボーナス・ディスクとして付いている。これはお買い得!(2200円ぐらい) 通常盤なんか買うよりぜんぜんいいじゃん。プロモは通常盤の全曲が入った紙ジャケ入り。
 LPだけは日本で買う。いつも言うが、LPは重くて、送料を入れると国内で買っても同じになってしまう上、輸送中にジャケットが傷む可能性が大だから。(とにかく向こうは品質管理がいい加減なので、出荷時に傷んでいることも多い) それでも、いちばん安いレコファンで、3000円ちょっと。最初に買ったのはジャケットの角がつぶれていたので返品したのだが、その店では在庫がなかったので、ほかの店で買い直したというおまけ付き。

売り物の話

 これだけでもう、うちの財政は火の車なのだが、今日は1万円のUNKLEのスウェット・シャツが売れてほっと一息。もっとも、これ、定価1万5千円の品物で、(私はもちろんそれより安く買ってるが)ボックスセットの元を取るどころか、焼け石に水ですけどね。このスウェットはサイズがSなので、たぶん売れないと思って、この冬、よっぽど自分で着てしまおうかと思ったんだけど、着ないで取っておいてよかった。
 大きめにできているので私にはぴったりなんだけど(私は普通のメンズのSでは小さすぎて着れない)、白人男性にはいくらなんでも小さすぎると思い、そのことを何度も念を押したのだが、イギリス人のお客さんはすっかり頭に血が上っていて、一度にメールを5通ぐらい送り付けてきたうえで(興奮しいてるので、同じことを何度も言ったり、書き忘れたことに気付いて送ってきたり)即金で払ってくれた。その気持ち、よーくわかります(笑)。
 それで、さっそく梱包にかかったのだが、これに2時間もかかってしまった! レコードと違ってこわれ物ではないので気が楽と思っていたのだが、これ、専用のボックスに入ってるんだよね。このボックスがバカでかくて、箱なしなら安く送れると力説したのだが、箱もほしいと言う。まあ、コレクターならそれは当然なので、文句も言えない。
 でも、そうなると、箱が破損しないように梱包するのは至難の業だということに気付いた。こんな大きな箱が入る箱はないし、だいたい、送料は本体ぶんしか請求していない。そこで、ボックス内部を段ボールで二重三重に補強して、隙間なく詰め物をしたうえ、ビニール袋で密封し、さらにそれをパッキン封筒に入れる。こんな大きいのはないので、最大のサイズのやつを何枚かばらしてくるんだのだ。おかげで送料は予算オーバーしてしまったが、同じコレクターとして箱も無傷でほしいという気持ちは痛いほどわかるので。
 それにくらべて、他のショップやオークション・セラーのいい加減なこと! 貴重なボックスセットをエアキャップでくるんだだけで送ってくるからな。送料を節約する気持ちはわかるが、国内ならオーバーしたって数百円でしょうが。こっちは千円単位だからね! 考えてみたら、この人件費と梱包材の費用と送料(とドル安。送料はまだドルが高かったときに決めてしまったので)で、私の儲けはほとんどゼロ! これだから儲からないのか(苦笑)。でも、UNKLEファンは他人とは思えないので、これだけ欲しがってる人の役に立ったと思うと、あまり苦にならない。
 でも、個人的には、LPボックスが1万円するのはあまり気にならないけど、たかがスウェットが1万5千円というのは、やっぱり法外だと思う。

2006年5月15日 月曜日

書評

『深海生物ファイル』 北村雄一著 (ネコ・パブリッシング 2006)

 人は誰でもときどきは(特に夜、寝る前とか)無性に深海魚が見たくなるものである。え? もしかして私だけですか?

 それはともかく、ご存じのように私は動物ならなんでも気が狂うほど好き(6本以上足のあるやつを除く)。中でも、特にこだわりのある動物というのがあって、いつも書いてる恐竜を筆頭に、馬、猫科の動物、鳥なんかがそうだが、実は深海魚もそのひとつである。
 深海魚についてのいちばん古い記憶は、昔テレビで放映されていたディズニーランドのシリーズである。(たぶんそうだと思うのだが、例によって記憶力ゼロ人間なので、記憶はかなりあいまいで、もしかして思い違いがあるかもしれない)
 今でこそディズニーを何かにつけて敵視している私だが、子供の頃はこのシリーズを毎週心待ちにしていたものだ。「マンガの国」とか「冒険の国」とか、週替わりでテーマの違うプログラムが組まれているのだが、もちろん普通の子供のお目当てはマンガ。だけど、ご幼少時から変わり者だった私は、ミッキーマウスなんかどうでもよくて、ただひたすら「科学の国」を待ち焦がれていた。現在の科学好きもこの頃に培われたものに違いない。
 理由は単純。どんなマンガより小説より映画より、科学のほうがよっぽど夢があって、ファンタスティックで、奇妙で、想像力を刺激するからだ。この考えは今もまったく変わっていない。
 科学と言っても、やはり子供に一番人気なのは恐竜だからか、恐竜が出てくるアニメが多かったように思うが、ときどきとんでもないものをやるんだよね。「宇宙生物」とか。出てきたのはさすがにグレイやタコ火星人じゃなくて、完全なオリジナル。ロボット昆虫みたいな機械生物とか。さすがにこれは、子供心にも、「どうしてこういうのがいるとわかるんだよ?」と突っ込みながら見ていたが、今にして思うとSFだったな、あれは。
 で、確かこのシリーズの中で深海の生物も出てきたような気がするのだ。(だんだん自信がなくなってくる) おぼろげに覚えているのは、真っ暗な画面に妖しい燐光を放ちながら、ぬーっと出てくる異様な生物にすごく興奮したこと。

 もっと確かな記憶は、やはりこの頃持っていた本の中にシーラカンスの写真があったこと。昔の子供の本だから、写真なんかも画質の悪いモノクロなのだが、この写真にもむやみに興奮しまくったのを覚えている。とにかくこの異様な姿! やっぱり恐竜に通じる不気味かっこよさがある。恐竜の唯一の難点は絶滅してしまったことだが、こいつはまだ海中で生きているという驚き。(恐竜好きなので、これが生きている化石だというぐらいの知識はあった) 「今まで生きていてくれてありがとう!」と涙ながらに感謝したいぐらい好きだった。 

 そんなわけで、今でもときどきインターネットで深海魚の写真を見て楽しんだりしているのだが、書店でこの本を見つけたときも購入しないわけにはいかなかった。やっぱり印刷された写真はネットのより格段に高品質だし、これならいつでも見たいときに見れるからね。タイトル通り、深海生物(魚だけじゃないので)の図鑑なのだが、3分の1以上がグラビアで1700円という値段もリーズナブル。
 で、やっぱりおもしろかった。なんと言っても、海洋研究開発機構提供の写真がすばらしい。著者はサイエンスライターの人だが、解説も読みやすくわかりやすい。ただ、難を言わせてもらえば、日本語の本って、みーんな中味が薄いなあ。一般向けの安い本だからしょうがないけど、どうせならもっと濃い情報が読みたかった。科学書は原則、英語のもの(か翻訳)しか読まないのも、中味の濃さが段違いだからだ。
 とはいえ、いろいろ新しいことも学んだ。いちばん胸がワクワクするのは、深海生物の研究が、そのまま宇宙生物へつながることだ。光も酸素もない深海でも、硝酸や硫酸を呼吸して生きている生物なんかがいるんですね。ということは、生物がいるはずがないと思われていたような過酷な環境の星にも、生物がいる可能性がある、というか、いない方がおかしいという気がしてくる。まさに遠い昔ディズニーランドで見たような世界が、現実のものになるわけ。
 個人的には何が好きかな? 見るからに深海魚!という感じの化け物じみた魚もいいが、やっぱり異様さと優雅さでリュウグウノツカイかな。そういや、日本じゃ最もポピュラーな(はずの)サッコファリンクスがいないな。〔私の子供のころはこの名前のほうが一般的だったのだが、実はサッコファリンクスというのは学名で、和名はフウセンウナギというらしい。もちろんこの本にも載ってました〕 ちなみに6本以上足のあるやつは苦手と言っても、イカタコエビカニは平気。食べてるし(笑)。
 そうそう、ここに載ってる深海魚(とその仲間)のほとんどを日本人は喜んで食べてるのにも驚かされる。メロやタラ、甘エビやウナギといったポピュラーな魚はもちろん、アンコウは食うは、クラゲは食うは、ホヤは食うは、ナマコは食うは、中国人には負けるが、日本人も食獣だなー。ホヤとナマコは私は願い下げだし、アンコウも生きてる姿を見ちゃったらちょっと食べられないけど。
 驚いたのは、有人深海探査挺を持ってる国は日本を含めて4か国しかないのだそうだ。よって、深海の生物の生態はほとんどが謎のまま。生態についての記述もほとんどが「〜だと思われる」という憶測でしかない。確かに費用を考えたら、そんなにしょっちゅうは潜れないし、長時間潜って観察することもできないし、研究室で飼って観察することもできないとあっては無理もないが。私は税金払うたびにむかつくのだが、科学のために使われるなら文句は言わない。米軍の基地移転に3兆円出すぐらいなら、その3兆円を海洋研究開発機構にくれてやれよ!

 で、やっぱりおもしろかったのだが、これを読んじゃうと、どうしてもこいつらの生きて動いてる姿が見たくなる。それで、深海魚が見られるDVDがないかなーと思って捜したのだが、あるじゃないか! それも動物ドキュメンタリーでは世界一のBBCのシリーズで、“Blue Planet”というのが! ほしい! 絶対ほしい! 日本語版は2万円もするのだが、輸入盤はたったの15ポンド。こういうのはパソコンじゃなくて、やっぱり大きな画面で見たいんだが、でもこの差額があれば、PAL互換のプレイヤーが買えちゃうぞ。というのでさっそく購入。
 あー、楽しみで眠れない! David AttenboroughがナレーターをつとめるBBCの動物ドキュメントは、本当にどれを見てもすばらしいんだよね。何より映像の美しさは類を見ないし、どうやって撮ったのか想像もつかないような「決定的瞬間」だけを集めたところも驚異的。科学的価値は言わずもがな。
 そこで、参考までに他のシリーズはいくらしてるかな?と見たところ、“The Life Collection”というDVD24枚組のボックスセットが102ポンド! 安い! これはもう買っちゃうしかない!と判断していっしょに注文。これでどれだけ楽しめるか考えたら、2万円ぐらいタダみたいなものよ。

 しかし、日本のDVDってなんでこんなに高いんだ? “The Life Collection”は日本語版は出ていないのだが、出ればきっと20万円ぐらいするぞ。まあ、この手のドキュメンタリーは売れないので映画なんかより割高だし、日本はCDも高いから驚かないけど、誰が日本語字幕のためにそんな金出すか。

 そういえば、このドキュメントの最新作は“Planet Earth”という題で、この連休にNHKでやっていた。もちろん私は楽しみにして見ていたのだが、やっぱりおもしろいけど、期待してたほどじゃない。だいたい、ナレーターがDavid Attenboroughじゃないし(彼はもう引退したらしい)、NHKとの共同製作だし、なぜかなんの必然性もなく緒方拳が出てくるし。英語のほうで検索かけても、これはBBCの番組となっていて、NHKのNの字も出てこない。
 あー、わかった。これは要するに、日本で勝手に編集してNHKの看板付けただけじゃないか? 〔そうでした〕 それで中味も薄まっちゃったわけ。それが証拠に、ときどきはさまる撮影シーンでも日本人クルーなんかひとりも見えないし。共同製作というのは、要するに出資したというだけだろう。NHKって、こういう姑息なことをやるから嫌いだ。自分の番組でもないくせに、これだけいい番組作ってるんだから聴取料払えってか?
 宣伝じゃ「NHKの開発したカメラがどうのこうの」とか言ってるが、BBCの自然番組がすばらしいのは、長年の経験に裏打ちされたスタッフの技術と、(何しろ「やらせ」じゃない動物の決定的瞬間を撮るには)ひたすら忍耐に忍耐を重ねたスタッフの苦労のおかげで、NHKのカメラのせいじゃないことは一目瞭然じゃないか。

2006年5月20日 土曜日

 昨日は一日かけて中央線沿線遠征にレコード・ハンティングに出かけたのだが、なんと収穫ゼロ! つくづく、もう日本でレコ・ハンをやっていくのは不可能という結論に達した。なにしろ、中古ショップ自体がほとんどなくなってしまったうえ、置いているのはどの店も判で押したように同じ新譜アルバムのみ。日本盤ですらシングルはおろか、数年前のアルバムもない。ましてや私がほしいプロモやレア盤のたぐいは1枚もなし。オークションはまだ多少ましだが、それでもまずめったにほしいものはないうえ、レア盤には不当な値段が付いている。
 ほんの5年ぐらい前は、1軒の店で数十枚買って、重くて持って帰れないなんてこともざらだったのに、そんなのはもう夢の夢だ。東京ですら、(少なくとも私のジャンルでは)コレクター・ショップ(ブートレッグ屋のことではない)がほとんどすべて姿を消すか、ブート屋に衣替えしてしまったのも痛い。ああいう店は高いと文句を言っていたが、高くても自分の目で見て選べる良さがあるし、売れなければバーゲンに出るし、そういうのを買ってうちの店で売ると、海外や地方のお客さんにけっこう売れたのだ。
 しばらく閑古鳥が鳴いてた店も、またぼちぼちお客さんが戻ってきたのに、売りたくても売る物がない! ほんの2年前に出た日本盤を買えない事情をお客さんに説明するのもむずかしい。
 ただ、そのせいか、最近うちの店には日本人のお客さんが増えてきた。やっぱり他ではどこにも売ってないからだろうなあ。ならば、もういっそ国内客に的を絞って、海外仕入れに力を入れるという手も考えられるのだが、それをやっていたコレクター・ショップが軒並みつぶれたという現実を見るまでもなく、採算合わないんですよ、これが。やっぱりうちみたいなのが曲がりなりにも生き残ってきたのは、海外に販路を持ってるせいだもんなあ。でも販路だけあっても商品がないんじゃ‥‥と頭が痛いです。

 でもねえ、日本じゃ買えなくても海外にはすばらしいバンドやすばらしいCDがまだまだあるんですよ! というわけで、いきなりディスク・リビュー。

Porcupine Tree - Lightbulb Sun (Special Edition) (2001 K-Scope)

 というわけで(5月1日参照)、「他のアルバムも聴いてみなくちゃ」というので買ったのがこれ。なにしろデビュー・アルバムが1991年というキャリアの長いバンドで、正規のアルバムだけでもう13枚も出てるので、どれを買ったらいいのかわからなかったが、eBayのリストを眺めていて、「なんかレアそう」というので入札してみた。
 ディスコグラフィをざっと眺めただけでも、やたら限定盤が多いコレクター泣かせ(喜ばせ?)のバンドだというのはわかるが、ほとんどのアルバムにリイシューが出てるのは人気の証明だろう。(UNKLEがまさにそうだ) その中でもオリジナルの限定盤はけっこう貴重と思ったわけ。
 そしたら、競り負けたのだが、あとからセカンド・チャンス・オファー(セラーが2枚以上同じ商品を持ってるとき、2番手以下の入札者にも売ってくれる制度)が来てラッキー! と思ったのだが‥‥実はあれを書いてすぐに買ったのだが、待てど暮らせど来ないので、どうなってるのか質問しようと思ってeBayを見たら、このセラーはすでに登録を抹消している! やべー!
 というわけで、ほとんどあきらめていたところ、いきなり届いた。新品なのに価格もリーズナブル(18ドル)だし、送料も書留なのに安かったし、結果としては上出来だったのだが。

 とにかく喜んでさっそくCDをかける。うおー! すげーいい! “Deadwing”よりぜんぜんいいじゃん! すごすぎ!と騒ぎながら、繰り返し5回ぐらい聴いていたのだが、なんかやけに短いなあ。でもいいアルバムほど短く感じられるものだし、最初はあまり疑問に思わなかったのだが、やっぱり短すぎるような気がして、CDプレイヤーの表示を見ると‥‥これはボーナス・ディスクのほうやんけ!(笑)
 ボーナス・ディスクは4曲(クレジットにあるのは3曲)しか入ってないのである。でも「プログレ」の通例として、1曲が長くて「変奏」がたくさん入っているので、少なくとも7、8曲はあるような気がしていた。
 それはともかく、考えてみてほしい。ボーナス・ディスクなんてものはコレクター的にはともかく、普通は単なるおまけの寄せ集めである。実際、持っててもボーナス・ディスクはあまり聴かないことが多い。なのに、4曲しか入っていないボーナス・ディスクをてっきりアルバムだと思い込んで、5回も聴いてしまうあたり、このバンドの底力と中身の濃さが表れている。

 そこで気を取り直して、あらためてアルバム本体のほうをかける。うん、やっぱりいいよ、これは!
 内容はやっぱりヘビメタあり、プログレあり、アクースティックあり、クラシックあり、トラッド・フォーク風あり、アンビエント風あり、インド音楽みたいなのも飛び出して、一見気の狂ったようなごたまぜと思わせて、やはり基本は英国インディー(の実験的なの)だと思う。歌が典型的インディー・ボーカルなのでそう思うのかもしれないけど。まあ、それを言ったら私はUNKLEも「英国インディー」だと思ってるけど。
 “Deadwing”を初めて聴いたときは、とにかくこのカラフルで千変万化する曲調が「消化しきれてない」と感じたのだが、それはたぶんPorcupine Treeの音自体に慣れていなかったせいで、2枚聴いたらもう慣れて当たりまえに感じるようになってしまった。
 そう思って聴くと、そのどれもが一級品で、とにかくかっこよくて美しいのに感動させられる。個人的に私の「インディー美学」に照らせば、やっぱり「やり過ぎ」の感じは免れないけど。特にギターね。ギターと一口に言っても、びっくりするほど多彩なスタイルを弾き分けているのだが、あのヘビメタ・ギターと、キュイーンとサステナーのかかったプログレ・ギターは(笑)。この手の音楽やる人で、こういうギターが好きっていう人はめずらしいな。ManicsのJamesぐらいか(笑)。(Jamesもあれをやったのはセカンドまでだったが)
 でも実を言うと、この手のギターをかつてはこよなく愛したことのある私としては、今さら昔のレコード引っ張り出して聴く気はないけど(もちろん今でも持ってます)、Porcupine Treeで聴くのはちっとも苦にならない、ばかりか楽しい。(実を言うとJamesのヘビメタももっと聴きたい)
 実を言うと、やっぱりプログレに対する未練も捨てきれなかった私は、たぶん90年代初頭だと思うけど、「ネオ・プログレ」とかなんとか言ってた新しいバンドをいくつか聴いたんですよ。しかしそのどれもが、「大仰で時代がかってダサいだけ」とか、「芸術ぶった雰囲気だけの自己満足」とかいった、プログレの悪いところだけを取り出したようなバンドで、すっかりあきらめていたのだ。あのときPorcupine Treeの存在に気付いていれば!

 とにかく、曲はどれもツボを押さえた作りだし、メロディは美しいし、演奏はうまいし、思わせぶりな詞も大好きなタイプだし(なんとなくStrangeloveを思い出した)、暗いし、何も文句の付け所がない。あえて言うなら、Stevenは決していい声とは言えない。私が狂うバンドの第一条件は声が好きなことなので、ここがちょっと苦しいが、唱法や歌メロは文句なく私のタイプなのであまり気にならない。確かに歌だけはTim Bownessのほうが上で、StevenがNo-Manで歌わせてもらえない理由はわかるが、それ以外ではこっちのほうがいいじゃん!
 だいたいその歌にしても、“How Is Your Life Today”のファルセット・コーラスを聴いたときはドキッとした。こんなコーラス聴いたのはQueen以来だ!(笑) いや、Queenというのは嘘だけど、聴いてるうちにやっぱりStrangeloveに似てるような気がしてきた。あのバンドもかなり実験的な部分があって、いろんなことやってたし、ちょっとゴスっぽいところも似てるし。
 それでまた思い出したが、以前好きだと書いたFatima Mansions。支離滅裂な音楽的好みという点では、むしろあっちにくらべるべきかも。なにしろネオアコから始めてヘビメタに行ってしまった人ですから、なんか経歴が似てる。ただ、StrangeloveとFatima Mansionsはシンガーが不世出の天才で個性派だったので、歌だけくらべるといかにも見劣るけど、この圧倒的なサウンドのスケールはこっちの勝ち。
 などと、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたが、言いたいのはとにかくPorcupine Treeはいい! Steven Wilsonは(一種の)天才だ!ということなのだ。

 ついでにボーナス・ディスクに戻ると、1曲は次のアルバムのサンプラー、1曲は前のアルバムの収録曲だ。なんだ。でもそのどっちも死ぬほどいいってことは、どのアルバムも全部いいってことじゃないか。
 それはともかく、気になるのは3曲目の“Tinto Brass”。Tinto Brassが好きなのか? 私は当時惚れ込んでいたMalcolm McDowellが出るというのですごく期待して見たが、けっこうボロクソ書いた覚えがあるぞ。まあ、日本じゃほとんど全編モザイクがかかったままだったから、見たとも言えないんだけど。
 それはともかく、これがまた異常な曲。最初はドラムン・ベース風の軽快なインストで始まるのだが、途中からギターがヘビメタになってきて、しかもこれがライブだという。すげー、うまいじゃん! かと思うと、クレジットのない4曲目に入っているのは本格的な弦楽四重奏。なんだ、これは? これもPorcupine Treeがやってるの?? なんかもうわけわからん!

 こうなると、もっと聴きたいという欲求がムラムラとわき起こってくる。いや、どうせならすべて集めたい。最初に書いたように、コレクター的にも抵抗しがたい魅力のあるバンドなのだ。でも、15年のキャリアのあるバンドを今からコレクション開始するなんて、資金が無尽蔵にあるならともかく、私には無理。だいたい、DVDに大金はたいたばっかりだしなあ。
 いや、一部ではすごい人気があるとは言え、やっぱりマイナー・バンドには違いないから、そんな天文学的な値段というわけではないのだが、それでも私には苦しい。実際、eBayではPorcupine Treeと名前が付くだけでほとんどの商品に入札者がいて、レア盤にはけっこうな値段がついている。プロモやシングルはほとんど望み薄だし、私にはビニール盤ですら無理だ。
 だいたい、Porcupine Tree人気にあやかったのか、それとも昔からそうだったのか知らないが、No-Manにまでけっこうな値段が付いている。No-Manと言えば、日本じゃつねに300円均一コーナーの常連で、だから私でもけっこう集められたのだが‥‥
 とか言いながら、リイシュー(単なる再発ではなく、レコーディングし直してあり、ボーナス・ディスクが付いているのも魅力)中心にHMVで5枚ばかり注文してしまった。いや、「見たら買え」がコレクターの原則なんですってば。今ならHMVで簡単に買えるものが、1年後にはどこにもなくて、「あのとき買っておけば!」と涙を呑んだ経験は数限りなくありますからね。
 しかし、No-Manもそうだが、この人たちもいっぱいレコード出すなあ。“Deadwing”が出たばかりなのに、もう次のアルバムの限定盤の予約受け付けてるし。しかし、このレベルのアルバムをこれだけ量産できるってあたり、Steven Wilson恐るべし! しかもこれ、あくまで「サイド・プロジェクト」なんですよ! StevenはNo-Manを辞めたわけじゃなく、今でもすべての楽器を担当してるんだから!(現在はTimとのデュオになってるらしい) これだけのコテコテに濃いアルバムを、余技で大量生産しているSteven Wilsonって何者?

 しかしこうなると、返す返すもくやしいのは、No-Manみたいな無名バンドにあれだけ早くから注目していたのに、なんで今の今までPorcupine Treeは見過ごしてたんだろう?ということ。いや、もちろん名前ぐらいは知ってましたよ。No-Manのオフィシャル・サイト読んでたからね。でも、上に書いたように他の2人の印象が強すぎたのと、ギタリストのサイド・プロジェクトなんて良かったためしがないということもあって‥‥
 それに音楽情報では、私が何より信頼していて、今ではほとんどそれに頼り切ってるのは仲間(店のお客さんのこともあれば、これを読んだ人がメールをくれることも)の口コミ情報なのに、それもなかった。いや待て‥‥そういや誰かPorcupine Treeがどうのこうのって言ってたような‥‥。えーん! すみません! なのに、なんでかすり抜けちゃってたんだなー。
 しかし少なくとも、No-Manに注目した私の耳は間違ってはいなかったってことか? なんかまだキツネにつままれたみたいな気分だが、おかげでNo-Manに対する情熱もよみがえって、当分のこの2バンドからは目が離せそうにない。(ついでにお財布の中身もだいぶ減りそうな予感)

2006年5月23日 火曜日

Windowsの再インストールのこと

 はあ〜(深いため息)。ここんとこ、ずーっと調子が良かったのに、久々にWindowsが昇天。おかげで再インストールするはめになった。
 犯人はiTunes。Porcupine TreeのCDに入っていたQuickTimeビデオを見ようとしたところ、ちゃんと見れなかったので、バージョンが古いせいだと思い、QuickTimeの新しいのをインストールしたのだ。そしたらビデオはちゃんと見られるようになったものの、いらないiTunesまで付いてきたので、それをアンインストールしたわけ。それで再起動しろっていうから、したら二度とWindowsが立ち上がらなくなった次第。アンインストール前はすべてちゃんと動いていて、正規のアンインストーラー使ったのになんで!? Windowsの再インストールだけはなんとしても避けたかったので、あらゆる救済策を試したけど、ぜんぶだめ。

 再インストールの恐怖は何度も書いてるし、みなさんもよーくご存じだと思うので、繰り返すつもりはないけど、ついグチってしまう。おびただしいアプリやドライバの再インストールと再設定のために、インストール−再起動を1万回ぐらい(体感)繰り返さなきゃならない。
 それ以前に、まずインターネットに接続できるようにしなきゃならないのに、LANボードのドライバが最後まで見つからず、これだけで2日。こういうときのために、ドライバ類はちゃんとまとめて保存しておけばいいものを、復旧のときは忙しさで目が回りそうだし、疲れ果ててるから、そこまで気が回らないのよね。
 おまけにアプリのインストールにまた何度も何度も何度も失敗する。なんでかというと、プログラム自体はまだ残ってるのに、レジストリだけが消えてるから、アンインストーラーが使えない。手動で消したつもりでも、どこかに何かが残ってると、不具合を起こすプログラムが多いのだ。あーん! なんで単純に上書きインストールができないのよ!
 いちばん大変なのはNortonで、これはセキュリティに関わるから、いちばん最初に復旧しなきゃならないのに、アンインストールだけのために、プログラムを4つもダウンロードして実行しないとならなかった。それでもNortonみたいにちゃんと対応策が公開されてるところはまだまし。FAQやフォーラムを駆けずりまわって探しても、見つからないのが多い。

 それと並行してメールやアドレス帳が消えてしまうのも悩みの種。私はずっとNetscapeを使っているのだが、再インストールのたびにこれに悩まされている。これの解決策もいろいろ書いてあるが、なぜかうちはどれを試してもだめか、一部しか読めないのだ。もう頭にきて、Netscapeとは縁を切ることに決め、FirefoxとThunderbirdをインストールした。これなら同じMozillaだから、インポートもスムースに行くだろうと思って。
 すると確かにインポート機能はあるのだが、かんじんのNetscapeが消えているため、できない。ならばといって、Netscapeを再インストールしようとすると、どうしてもできない。メールのファイル自体はちゃんと残っているので、もうテキストファイルでもいいから読もうと思って、Wordで読み込むと、ファイルが大きすぎてWindows自体がフリーズする。ああ〜! 「メールを何千通もためちゃダメ」というのは弟にも言われていたのだが、そうは言ってもうちは商売やってるんだし、すぐにそれぐらいたまっちゃうのよね。
 そんなわけでメールの復旧はもうあきらめました。上に書いてあるように、お手数ですがメールください。

 しかし、これをやっていると、つくづくMS-DOS時代がなつかしいです。今でも、レジストリをいじらない単純なフリーウェアとかを見ると(そういうのは何もしなくても元通り動く)、いじらしくて抱きしめたくなるぐらい。
 結局、教訓は「よけいなアプリケーションをインストールするな」ということで、これは弟に口を酸っぱくして言われてるんだけど、私は音楽を聴いたり、ビデオを見たり、ホームページ作ったりするのは仕事で、そういう画像とかサウンド関係のアプリは入れないわけにはいかない。でもって、そいつらがみんなばかでかくて複雑で、マシンを不安定にするんだよね。
 そういや、DVDにも困ってる。WinDVDも再インストールしようとしたら、バージョンアップしていて、それを入れたら、なぜかシネスコ・サイズのDVDがテレビサイズでしか見れなくなってしまった。疑似ワイド・スクリーンなんていう余計な機能はついてるくせに、どうしてかこれを直す方法が見つからない。前のバージョンをダウンロードしたくて探しても、もうどこにもない。これはやっぱりPALが見られるプレイヤーを買うしかないか。

DVD Review

BBC Life Collection, The Blue Planet

 というわけで(5月15日の日記参照)、このDVDボックスセットも、とっくに届いていたのに、まだろくに見られないまま。まあ、28枚のDVDは一朝一夕には見れないですけどね(笑)。

 これはデビッド・アッテンボロー(David Attenborough)が企画監修し、ナレーターをつとめる英国BBCの自然誌ドキュメンタリーの集大成。ほとんどは日本でもNHKで放映されており、私はもちろんいつも楽しみにして見ていたのだが、なにしろテレビだと見損ねたり、録画し損ねたり、最近みたいにテレビ離れしていると(ほとんどフットボールしか見てないなー)、放映していることも知らないままだったりして、見てないシリーズやエピソードがたくさんある。
 そのすべてが! テレビ録画なんかくらべものにならない鮮明なDVDで! いつでも好きなときに見れて! おまけにたったの23000円! という、私にとっては長年の夢がかなったようなもので、あー、生きてて良かった!という感じ。
 収録されているシリーズは、地球上の生命すべてを網羅したものに始まって、哺乳類・鳥・昆虫・植物・南極の動物はそれぞれ別のシリーズがある。海洋生物は“Life Collection”に含まれていなくて、独立した“The Blue Planet”という独立したシリーズになっている。(映画“Deep Blue”はこれが元になっているらしい) あと、ダーウィンの進化論に基づいて、進化という面から生物を紹介するシリーズと、地球そのものを主役にして、地理的・地質学的な分類で動植物を紹介したものと、他にもまだあったような気がするが、全部見てないのでわからない。

 その魅力とすばらしさはもう口では言えない、見てもらうしかないので省略、と言いたいところだが、なんでこのシリーズがすばらしいかは一口で言える。人間が作ったどんな芸術作品も、偉大な建造物も、最先端の科学技術も、自然が作ったものには及びもつかないからだ。
 直接自分の目で見られればいちばんいいのだが、私には南極点に立つことも、深海3000メートルに潜ることもできないし、微生物を見るミクロの目もないし、だいたいが、ジャングルでさえ行けない(大嫌いな虫がいるので)。それを自分の家にいながらにして見られるほどの奇跡があるだろうか?
 だから、この手の番組は何でも好きなのだが、その中でいちばん出来が良く、長大なシリーズということで、これにまさる見ものはないのだ。

 で、さっそく感想と行きたいが、それこそ口では言い表せないので、どうでもいいことを書く(笑)。

これはamazon.ukで注文したのだが、なんと5日で届いた。こういうボックスセットを海外から取り寄せるとき、いちばん気にかかるのは、梱包ちゃんとしてくれるだろうか?ということ。CDと違って、DVDはべつにコレクションしてるわけじゃないから、それほど気にはならないが、やっぱり高価なボックスがボロボロになって届いたらいやだし。
 そしたら届いたのはミカン箱よりまだ大きい巨大な段ボール箱。あー、なんかいやーな予感。開けてみると案の定、中身はスカスカで、申しわけばかりの詰め物がしてあるだけ。DVDはその中でさんざん踊っていたわけだが、幸い、ボックスや中身に傷はなかった。
 でもやっぱりAmazonだめ。梱包はHMVのほうがいい。HMVもやはり不必要にバカでかい箱に入れて送ってくるが、商品は動かないように糊で箱にくっつけてくれるから。
 こういうでかい高価な買い物は関税を取られるのを恐れていたが、それもなくてラッキー。

 もちろん英国盤だから、字幕も音声も英語のみ。私はべつに平気だと思っていたが、思わぬ落とし穴が。
 当然ながら、無数の獣や鳥や虫や魚や植物の名前が出てくるのだが、それがことごとく和名とはまったく違うので、なんという生き物なのかわからない。これが恐竜なら、日本でもラテン語の学名をそのまま使ってるから想像が付くのにねえ。(想像するしかないのは、英語ではラテン語を英語読みしているから) 生物学や動物学の用語も連発されるが、これはけっこう知ってると思っていたのに、実はぜんぜん知らないことがわかった。
 おかげで、最初は辞書を脇に置いて見るはめに。これはあまりに疲れるのであきらめて、もう頭じゃなく目と心で理解することにしたけれど、やっぱり映画見るのとは違うわ。

 これの中国盤と称するやつがeBayに出ていた。もちろんバカ安い。でも、こんな海賊版と一目でわかるようなのは買わない。これが仕事でやむなく必要だとか言うなら、海賊版でも買うかもしれないけど、自分が本当にほしいものは正規版でしか見たくない。CDを見れば、中国の海賊版の質が高いのはわかってるが(というか、デジタルものはコピーでも同じだから)、あの安っぽいジャケットだけでもいやだね。MansunやUNKLEの海賊盤は持ってるが、これはシャレとして持ってるだけだ。

 最初に見たのはもちろん“The Blue Planet”の深海魚。『深海生物ファイル』で「予習」してたから、何も説明がなくてもどれがどれだかわかるし、その生きてる姿が見られたのは感動。しかも、ここまで鮮明な映像で見られるとは思わなかった。私はジャック・クストーの番組もよく見ていたが、あの当時は深海というと暗いぼやけた画面にそれらしきものがうごめいているという程度だったのに、これは形も色もくっきり。すごい!

 そうそう。数ある動物ドキュメンタリーの中でもBBCが最高というのはそういうこともある。やはり子供時代に毎週楽しみにして見ていた番組に、『野生の王国』というアメリカの番組があって、ナレーションも作りもこれにそっくりだったのだが、野生動物を望遠レンズでとらえた映像が多かったと思うんだよね。なのにこのシリーズはどれも至近距離からの接写、それもつねに「動物の視点」で撮られている。水中撮影はもちろん、スローモーションや低速度撮影など、その当時の最新の撮影技術をまじえて、巣穴の中や地面の下の映像も見せてくれる。
 もうひとつ、この番組の偉大さを実感したのは、“The Blue Planet”に「ボーナス・トラック」として入っていた、やはり深海をテーマにした番組を見たとき。これは英米の共同制作らしいのだが、深海探査艇に乗り込んだレポーターの女がギャーギャー騒ぐんだよ(苦笑)。「すごい数です!」とか、「美しいです!」とか、サメが近づくと悲鳴をあげたりして。そういうのは視聴者が言うべきことであって、ナレーターに言ってほしくない。
 考えてみれば、今のテレビ番組ってすべてそれで、だから私はテレビを見たくないのかも。レポーターだけならまだしも、スタジオの芸能人にどうでもいいようなコメント付けさせたりしてね。その点、アッテンボローはときどき感きわまって口調が感情的にはなるけど、あくまで冷静な解説者に徹底していて、決して個人的感想は言わないのがいい。
 ちなみに前に書いた“Walking with Dinosaur”はこのシリーズの「パロディ」として、そっくりに作られている。

 私は(虫を除き)動物ならなんでも好きなのだが、こうやっていろいろと見ていると、やっぱり好みとそうじゃないのがあることに気づく。好き嫌いは別として、見ていて無条件におもしろいのは、やっぱり海洋生物と、意外な気がするが昆虫。早い話が、人間とは異質な動物ほど、見ていておもしろい。その点、昆虫はまったく異質なうえ、とんでもない変てこなやつばっかりだから。もっとも、食事中に見る気はしませんね、さすがに(笑)。食事中に見てもいいのは鳥と爬虫類だけ。美しいし、清潔だから。哺乳類はけっこうグロな部分あるし。
 しかし、虫だけなんでこんなにダメなんだろう?と考えた。理由として考えられるのは、子供時代のトラウマだ。つまり、私の子供時代は、まだ東京にもかなり自然が残っていた時代で、私も世間並みに虫取りをしたり、虫をおもちゃにして遊んだりしていたのだが、そのためいろいろトラウマがあるんですよ。恐ろしすぎてとてもここには書けないけど、トンボの頭がもげたとか、背中に毛虫を入れられたとか(笑)。
 でも虫以外に動物をこわいと思ったことはない。噛まれたら即死するような毒や牙を持ったやつは、できれば近くには寄ってきてほしくないとは思うが、そうでなければ噛まれるのも平気。犬だの猫だの馬だのに、さんざん噛まれながら育ってるし(笑)。

 いかにも私らしくあまのじゃくだと思うのだが、世間で好かれる動物が嫌いで、嫌われる動物が好きなのも不思議。

 たとえば、猫科の動物で唯一好きじゃないのはライオンなのだが、普通はライオンが一番人気だよね。なんでだろ? ライオンが嫌いなのは、猫はみんな鋭い燃えるような目をしているのに、ライオンって目が優しすぎてまぬけそうだし、頭でっかちで尻つぼみな体型もかっこわるいし、トレードマークのたてがみもボサボサして汚らしいし、全体になんとなく犬っぽいから。
 ゾウも好きじゃなくて、理由は単に醜くくて不格好だから。あの鼻なんて相当にグロじゃない?
 クマもホッキョクグマを除き、あまりかわいいとは思えない。目が小さくてブタみたいな顔つきじゃない? 体型も動きも不器用だし。パンダも同じ理由であまりかわいいと思えない。
 やはり人気のあるクジラもだめ。やっぱり不格好だから。食べるとまずいし(笑)。イルカは体型はともかく、いかにも「かわいいでしょ? おりこうでしょ?」という感じが小憎らしい、と、だんだん何言ってるかわかんなくなってきたけど(笑)。
 サルが嫌いなのは人間に似すぎてるから。

 逆に、世間では嫌われ者の動物がけっこう好き。その典型が爬虫類で、特にヘビなんかは絶対ダメっていう人が多いよね。なんでかな? あんなにきれいで清潔で気品があるのに。鎌首を持ち上げた姿なんて、小さなヘビでもいかにも堂々として威厳があるじゃない。目はつぶらでかわいいし、ハンターとしても有能だし。
 現生の爬虫類でいちばん好きなのはワニ。ワニの親ってすごく子煩悩なの知ってた? オスも協力して子育てするし。絶滅したやつではもちろん恐竜。理由は単に強くてかっこいいから。
 あと、虫は嫌いと言いながら、クモはけっこう好きだったりする。これもヘビと並んで嫌われ者代表で、クモと聞いただけでぞっとする人が多いと思うが、接写で見ると、8つのつぶらな目がけっこうかわいかったりしない? 体もふわふわした毛におおわれていてかわいいし、巣を作る技術と勤勉さは感心するし。まあ、これは抱いてかわいがりたいとは思いませんけどね(笑)。
 鳥ですらこわいっていう人いるよね。羽根がバサバサしたところがいやだとか、ウロコのある足がいやだとか、目つきがうつろだとか(笑)。元が爬虫類だから顔に筋肉がなくて表情がないのはしょうがないが、鳥や爬虫類の目ってすごく賢そうだと思うけどな。

 好きなのは基本的に肉食獣。それも大きくて美しくて敏捷なやつ。陸上動物ならやっぱり猫科の猛獣でしょう。トラとヒョウと、どっちがいちばん好きか決められないくらいどっちも好き。もちろん小さいやつも好き。
 馬は私のトーテム動物なので、好きも嫌いもなく崇拝しているのだが、やっぱり威風堂々とした体格と美しさと賢さと運動能力。このシリーズは野生動物だけなので馬は出てこないけど、家畜の中ではもっとも野生を感じさせる動物でもある。
 鳥が好きなのはやはり飛翔能力のある動物としてはもっとも優れ、賢く、なおかつ優美だから。最近はこれに、恐竜の直系の子孫としてのえこひいきが加わった。鳥でもやっぱりワシ・タカ類の猛禽が好き。でも鳥は大きければいいってもんじゃなく――この種類の最大のものはハゲタカだが、あれはあんまり美しくないし――ハヤブサに弱い。

 あと、ペンギン。ペンギンは誰が見てもかわいいが、彼らが地球上の動物の中でも最も過酷な環境に耐えて生きているということを知ってる人は少ない。その最たるものが唯一陸上で越冬するエンペラー・ペンギンで、零下40度だかそこらの南極で、ヒナを足のうえに載せ(地面に触れるとたちまち凍死してしまうのだ)、3か月のあいだ飲まず食わずで、猛烈な雪嵐の中、じっと氷の上に立ちつくす姿を見ると畏敬の念を覚えずにはいられない。
 そういや、最近『皇帝ペンギン』という映画がヒットしたようだが、このシリーズでもその様子は詳しく見られる。他にも、激しい波に何度も岩に叩きつけられながら、ほとんど垂直に近い岩場をあのヨチヨチした足で登るペンギンとか、(やはりあのヨチヨチ歩きで)毎日100キロも歩いて巣と海を往復するペンギンとか、打って変わって水中では魚雷のように突進するペンギンとか、見ているとひたすら「えらいなー」と感心してしまう。
 そうそう、ペンギンといえばうちの近くの小さな区営の動物園(江戸川自然動物園)にはフンボルト・ペンギンがいて、私はよく会いに行っているのだが、ペンギンの人工飼育はけっこうむずかしいらしく、故郷のチリだかどっかから、はるばる日本へ研修に来た飼育係が修行しているのがこの動物園だといういうニュースを見て驚いた。
 野生のペンギンも見た。オーストラリアのフィリップ島というところで、野生のフェアリー・ペンギン(小型のペンギン)が夜、海から巣へ戻るため山を登るところを、「ペンギン・パレード」と言って観光客に見せているのだが、観光客向けのたわいもないものを予想していた私は、ほんとに野生そのもの(あたりまえだが)だったので感動した。

 海棲哺乳類でいちばん好きなのはシャチ。クジラもイルカも嫌いと言いながら、シャチだけは気が狂うほど好き。だって、クジラには負けるが、イルカなんかよりはるかに巨大で、色もぱっとしない黒や灰色が多いクジラ類の中では、鮮やかな白黒のツートンカラーがおしゃれだし、流線型の体型もかっこいいし、何より無敵の殺し屋ってところがすごい。
 このシリーズで最も有名なシーンに、シャチが海岸に上がってきてアザラシの群れに襲いかかる場面がある。これは大いに楽しみにしていたのだが、何度見てもすごいわ。
 ご存じのようにイルカやクジラは岸に乗り上げたら海に戻れなくて死んでしまう。なのにこいつらは器用に巨体をくねらせて、ちゃんと海に戻っていくんですね。そうじゃなくても打ち寄せる大波からガバッと飛び出すところはすごい迫力。
 ただ、気になったのはそのあと。ちょうど猫がネズミをもてあそぶように、この連中も獲った獲物をすぐに殺さず、それで遊ぶのだ。まだ生きてるアザラシを、口にくわえてポーンと空中に放り投げて、仲間同士でキャッチボールをしたり、中にはしっぽを器用に使ってドリブルするやつもいる。遊ぶってことはそれだけで知能の高さの証明だが、あの見るからに愛くるしいアザラシの赤ちゃんをボールにして遊ぶ‥‥なんかかわいいような、残酷なような‥‥おかげでますますシャチが好きになってしまった(笑)。
 しかし見ていたら、ヒョウアザラシもやっぱり他のアザラシの赤ちゃんを捕ってそれで遊んでいる。ううーむ。

 あと魚はみんな好き。魚だけじゃなく、水中の生物はほとんどなんでも好きなのだが、もう疲れたので今日はこの辺でやめておく。

2006年5月28日 日曜日 1:04:00

映画評

Saw (2004) Directed by James Wan

 若い中国系オーストラリア人監督の作品。不条理な死の罠に捕らわれた男たちの話、というから、“Cube”みたいなのかと思ったら、実際は“Seven”だった。
 “Seven”に似てるのは、犯人が直接、被害者を殺すんじゃなく、自殺する、あるいは他の被害者を殺さなくてはならないような、「究極の選択」ゲームをしかけるところ。犯人が狂った倫理観に駆られたサイコ野郎なところ。犯人が主人公の妻子を人質に取るところ。結果的に犯人が「勝つ」ところ。後味の悪いところ。それに、いまいち納得のいかないラストの大どんでん返しまで、やたら似ている。
 ただ、“Seven”が連続殺人を終始、刑事側から見ていた(観客はあくまでその結果しか見れない)のに対し、こっちは被害者の立場から話を進めたところが違う。もちろん、こっちの方が恐怖とサスペンスという点では上だが、“Seven”のユニークさはまさにそこにあり、凄惨な殺人事件が淡々とゲームのように進むところが、かえって儀式殺人の不気味さをよく表していたのに対し、これだと単なるギャーギャーわめくショッカーになってしまう恐れがある。
 というわけで、あんまり目新しさはないサイコ・キラーものなのだが、期待していたよりはおもしろかったとほめておこう。
 いろいろ突っこみどころはあるけどね。どうやら、巷では「なんであんなに長時間じっとしていられたのか?」というところを突っこむ人が多いようだが、そりゃサイコなんだからなんだってできるさ(笑)。それよりは、毒を与えられて、解毒剤がほしければ、ある人を殺せと命じられた男のエピソードを突っこむべき。自由に動き回れる時間がたっぷりあるのに、なんで病院に駆け込もうという気を起こさないのかとか。まあ、それを言ったら“Seven”もかなりアラはあるから、そういうのは目をつぶろう。
 ただ、子供を出したのは減点。子供は助かるのがわかってるとスリルを殺ぐし、逆に子供を殺してしまうと、単に後味の悪いだけの映画になってしまうから、この手の映画に子供は禁じ手だ。
 “Seven”にはない、この映画のオリジナル・アイディアと言えるのは、タイトルにもなってるノコギリ。ゲーム性は“Seven”より高くて、この罠自体が、アイテムをどう使うかというアドベンチャー・ゲームになっている。途中で主人公は、このノコギリは鎖を切るためのものじゃなくて、自分の足を切って逃れるためのものだと気づくのだが、この時点で、この男は自分の足を切るだろうと予測できるので(外科医という設定だし)、それがいつ来るかと思うとドキドキハラハラする。
 それ以外にも、いっしょに監禁された男との疑心暗鬼の関係とか、相棒を犯人に殺されて気が狂ってしまった刑事とか、やたら盛りだくさん。いかにも若い監督にありがちな、あるったけのアイディアを盛り込んだ映画だが、そのぶん、焦点が分散してしまって、サスペンスは薄れたような気がする。そこが、イヤな話であるにもかかわらず、ある種の美学と洗練を感じさせた“Seven”との違い。 

Corpse Bride (2005) Directed by Tim Burton & Mike Johnson

 またTim Burtonを借りてきてしまった。これは“The Nightmare Before Christmas”に続く、コマ撮りアニメ。やっぱり「手作り」のほうが好きな私としては、CGがありふれたものになってしまった現在こそ、コマ撮りアニメの価値はあると思うし、“Nightmare”もおもしろかったから。しかし、「クリスマスがハロウィーン」に続いて、「花嫁は死体」とは、この男、脳天気なくせして、ダークなものに惹かれる人なんだな。ミュージカル仕立てなのもBurtonならでは。
 それでおもしろさはやっぱり“Nightmare”以上でも以下でもない。見ているときは本当に楽しいんだけど、後に残るようなものがないんだな。やっぱりファミリー向けのコマ撮りアニメを撮ってるJim Hensonとの違いはそれだと思うんだが。そういや、Hensonの“Dark Crystal”買いました。LDは持ってるんだけど、メイキングが見たくて。この映画、「キャラクターがかわいくない」とか言われて、日本じゃぜんぜん受けなかったけど、私は好きだ。『指輪物語』のファミリー向けバージョンみたいで。でもBurtonの人形なんてもっとかわいくないばかりか、けっこうグロなのに、なんでこっちは受けるんだろう?
 ただ、この世界でも技術の進歩はめざましい。風に舞う花嫁のベールなんて、とてもコマ撮りとは思えないほど動きがスムースだ。

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