2006年1月の日記

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2006年1月3日 火曜日

 皆さま、明けましておめでとうございます。私は今年も退屈で怠惰な正月を過ごしました。というわけで、ここ数日の行状。

 大晦日は恒例通り、実家に帰って退屈な一夜を過ごし、元旦は弟と映画“King Kong”を見に行き、2日はなんと生まれて初めて自発的に(小さいころ親に連れられて行ったりしたのを除く)、初詣でなどしてしまった。
 なんでかというと、年末からパソコンの電源の調子がおかしくなり、秋葉原のドスパラが開くのを待って買いに行ったのだが、ユニオンでお客様に頼まれたサプライ品を買って、秋葉へ歩いていく途中、ふと、神田明神のすぐ近くに来ていることに気付いたのだ。この神社は私の生家のすぐ近くで(湯島の天神さんはもっと近いが)、言ってみれば私の守護神みたいなもの。正月にこんな近くまで来ていながらお参りしないのは申し訳ないみたいな気になったのだ。
 と言っても、お賽銭ひとつ上げるでなく、何ひとつ買うでもなく、いい加減に手を合わせたあとは、ぐるっと境内を歩いて、喫煙所でタバコ吸ってさっさと引き上げたけど。縁起物とかって嫌いだし、およそ宗教心ない人間なのですんません。
 思ったのは、子供のころはものすごく広いと感じたのに、実は狭いんだなーということ。ところでここ、「怨霊」平将門を奉ってるんですよね。平将門展もやっていて、見ようかと思ったが、金取るのでやめた(笑)。
 電源は買って帰ったが、つなぎ方がわからず、夜、弟に来てもらうはめに。でもおかげで、ポンコツ車みたいなすごい音がしていたのが、ついてるのがわからないぐらい静かになってうれしい。
 というところで、“King Kong”評。

映画評

King Kong  directed by Peter Jackson (2005)

 実を言うと、この映画はあまり見たくなかったんだけどねえ。でもPeter Jacksonじゃ、見ないわけにも行かないし。見たくない理由は、猿だから(笑)。私はご存じのように、動物ならなんでも好きなのだが、唯一だめなのは足が6本以上あるやつと、猿、それも特に霊長類。虫は単に恐怖症なだけだが、猿が嫌いなのは単なる同族嫌悪。
 リメイクというのもひっかかった。Jacksonはオリジナルにめちゃくちゃ思い入れがあるらしいが、私は大昔にテレビかなんかで見ただけで、べつにそれほどおもしろかったという記憶もないし。(理由はやっぱり猿が嫌いだからだと思う) ただ、捕まって見世物にされるコングがかわいそう、というところだけが記憶にある。
 だいたい、「美女と野獣」テーマ自体が笑っちゃうほどアナクロで、今さらって感じだし、オリジナルに忠実なリメイクだそうだから、べつに新しい見所もないし、と愛するJacksonの映画にしては、きわめて醒めた気分で見た。

 で、結論としては、予想以下でも以上でもなかった。もっとも弟はけっこう楽しんだようだから、やはり単に私が猿の映画では楽しめないせいかもしれない。というわけで、以下のイチャモンはかなりバイアスかかってるのでご勘弁を。

 その1。恐竜がヘン。前に書いたように、猿は嫌いでも恐竜大好きの私は「それでも恐竜が見られるからいいや」と思っていたのだが、画面に出てきた「恐竜」を見て、口あんぐり。なんだ、この不格好なインチキ恐竜は? デイノニクスもどきは顔がアロサウルスだし、ティラノサウルスもどきは乱杭歯だし。こういう歯をした恐竜は魚食恐竜だけ! もっとも、これは意図的なものである、というのがわかるのは、「トカゲ恐竜」が出てきたところ。昔の(アメリカの)怪獣映画では、予算がなくて、本物のトカゲを大きく見せて恐竜に仕立てたりしてたんですよ。でもトカゲは恐竜って言わないんですけど! 直立歩行するのが恐竜であって、トカゲは立たないじゃん!
 いや、わかってますよ。あえて「本物らしくない」恐竜を出したのは、レトロっぽさをねらった、オリジナルや昔の怪獣映画に対するオマージュだってことは。でもそれなら、ティラノサウルスもどきはゴジラみたいに直立してしっぽを引きずって歩く方がレトロなのに。アパトサウルスもどきは、水の中から首だけ出してるほうがそれっぽいのに。(この辺、恐竜おたくじゃないとわからないイヤミ)
 ていうか、CGなんか使わず、Phil Tippetにコマ撮りアニメ作らせれば、よけい雰囲気出たのにね(笑)。

 その2。役者に魅力がない。ヒロインは不滅のFay Wrayをモロ意識して、似た感じの人を選んだのはわかるんだが、Naomi Wattsはどっちかというと庶民的なお姉ちゃんで、昔のハリウッド女優のあの色気はない。特に“King Kong”と言えば、ボロボロになった薄ものをまとったヒロインのお色気が売りで、実際そういうシーンはたくさんあるのだが、ぜんぜん色っぽくない。
 これはNaomi Wattsのせいというよりは、Peter Jacksonのせいだろう。この人には色っぽいものは撮れないというのがよくわかった。
 男優陣も魅力がない。“Lord Of The Rings”(以下、LOTRと省略)の配役は、私としてはいろいろ異論もあるのだが、それでも好きな役者もいっぱい出ていたし、結果として納得させる配役だった。なのに、この映画では、ウザいデブのJack Blackも、下がり眉が情けないAdrien Brodyも、見ててうっとおしいだけ。

 その3。キャラクターも納得行かない。これはおそらくオリジナルに忠実なんで、Jacksonのせいばかりでもないだろうが、Carlというのは普通、極悪非道の悪人の役柄だよね。映画を撮るために、スタッフも見殺しにして、ぜんぜん反省の色もないし、かわいそうなコングを誘拐して、見世物にして金儲けるんだから。ところが、この人物が好意的に描かれて、ラストまで生き残り、なんの制裁も受けないのは納得が行かない。
 あと、前半で出てくるJimmyという若い船員は、いかにも重要なキャラクターのように描かれてるのに、単なるその他大勢で、ストーリーにはなんにも関係なし。

 その4。長すぎる。3時間の長尺なのだが、それほど時間かけるほどの中味ないでしょ。“LOTR”なら、あの3倍でもいいけどね。

 その5。特撮がチャチ。“LOTR”の成功で、言ってみれば初めて無尽蔵に使える予算を手にしたはずだが、それにしちゃチャチ――合成が一目でわかったり、模型が模型とはっきりわかったり――なのも、レトロのつもりなのか? “LOTR”の特撮はCGにしろ合成にしろ、本当にすごいと思ったのに。

 その6。原住民の扱いがひどい。“LOTR”にも「南方人」として土人が出てきて、Jacksonは「特定の民族や人種差別を連想させないように」と気を使ったらしいが、あれはファンタジーだからいいんだよ。でもこっちは場所も特定しちゃってるしね。それで、今回も同じことを心配したらしいが、結果、モロ土人じゃんか(笑)。Jacksonはその土人(マオリのこと)の国の人なんだから、もうちょっと気配りあるかと思ったんだけど。だいたい、この人たち、あの砦の規模からすると、小さい部落なんてものじゃなくちょっとした国家を作っているようなのに、その後一度も出てこないところを見ると、乗組員に皆殺しにされたらしい。ひどい!

 もうナンバー振るの飽きたので、あとは適当に思いついたことを書くと、ヒロインとコングを結びつけるものは何かってことよね。私はオリジナルを思い出せないんだが、一般論としては「セックス」である。
 つまり、女は男の中の獣的な部分に惹かれるということになっていて、一方、昔のB級映画や小説では、ゴリラだろうが、半魚人だろうが、宇宙人だろうが、「化物はみんな色っぽい姉ちゃんが好き」ということになっていた。(実際は、そういう映画や小説の観客や読者が好きなだけだが)
 しかし、Jackson映画にセックスは存在しない。ならばその代わりになるものは何か? 見ての印象では、コングは子供のように描かれ、ヒロインに劣情を抱くって言うよりは、おもしろいおもちゃとしか見てないような気がする。一方のヒロインはそんなコングに対して母性愛を抱いているような。コングが子供なのはおそらく監督の自己投影だろうが、なんかなー。
 人によってはかわいいと思うかもしれないが、私には猿はかわいく見えないのと、チビでデブの男をかわいいと思う趣味もないので(笑)。

 ついでながら、このヒロイン(Annという名前)、かなり頭があったかいとしか思えない。だって、怪物にさらわれて、断崖絶壁の上で二人きりになると、ひょうきんに踊ったり、トンボ切ったりして、頭が狂ったとしか思えないんだもん(笑)。すげえ余裕じゃん。
 ついでにこの人はターミネーター並みに不死身である。コングに握られて、あれだけ振りまわされれば、普通それだけで死ぬと思うのに、めまいひとつ起こさないし(笑)。さらにエンパイア・ステート・ビルのてっぺんの、手すりもない狭いところでもぜんぜん平気なところを見ると、高所恐怖症もないらしい。そこも猿並み?(笑) だからコングと気が合ったのか!

 というわけで、あまり感心できる映画ではなかったが、次作はどんなもんでしょう? なんでも殺された14才の少女が天国から事件を振り返る話だそうだが、これよりはおもしろそうだな。

2006年1月7日 土曜日

 戦後最大の寒波と大雪で、北国にお住まいの皆さん、特に雪国の人は大変だろうなあと、あったかい部屋の中で考えていると罪悪感をおぼえます。まあ、その代わりにこちらの夏は地獄ですから。この寒さが地面にしみこんで、少しでも夏まで残らないかと思ってしまうぐらい。
 しかし、やっぱり寒いです。うちでこの季節に暖房付けてるというだけでも。もっとも、お風呂に入ったりご飯食べたりすると暑くなりすぎて消す程度だけど。やっぱりここは異様にあったかいなー。千葉の実家に帰ると、普通の冬でもガタガタ震えが止まらないほど寒いし、前に住んでた中野はそれより寒かった。ていうか、どっちも隙間だらけのあばらやだからか(笑)。あー、コンクリのおうちはありがたいよー。
 だいたい私が出かけるのは大学を除けば繁華街ばかりで、そういうところは冬でも暖かいし、移動はすべて地下鉄だし(この正月、中央線沿線に用事があって、久々に冬のホームの寒さを思い出した)、本当に寒さを感じないので、持ってるコートはすべて処分しようと思っていたところ、今年は久々にコートの出番となった。

 で、今日は最近の買い物とそのリビューみたいなもの。かなり前に買ったものも含まれてるけど。

The Prodigy / Their Law (limited editoin CD/DVD) (Sony, 2005)

 Prodigyを1994年に西麻布Yellowで見たというのはけっこう威張れるんじゃないかな。当時から人気バンドだったから、ビデオだけはBeat UKで毎週腐るほど見せられていたけど、それまでたいして興味なかったのに、“No Good (Start The Dance)”で完全にノックアウトされてしまい、「これは何がなんでも見なくては」と駆けつけた次第。単発のクラブギグ、しかもあんな小さいところで入りもいいとは言えなかったから、見た人は少ないはず。
 もちろんこのライブは最高だったのだが、Prodigyはこのころが私にとってはピークで、それっきり興味を失っていた。その後、彼らはますますビッグになっていったことはご存じの通り。でもこのベストの日本限定盤はDVDも付いてお得だし、うちの店でもけっこう売れたし、10年の空白を埋めるつもりで1枚は手元に残した。

 私は「ダンス好きのダンス・ミュージック嫌い」を自称してきたが、よくよく考えたらダンス・ミュージックは嫌いじゃないのだ。私がそう思ったのは、たいていのダンスバンドは嫌いだからだが、考えてみたらロックでもそうだった(笑)。
 でも黒人音楽嫌いってのは言えるかも。よって、ソウルとかR&Bとかラップとかブルースとかジャズとか、あのたぐいは全部だめ。もっとも、ロックそのものが元々は黒人音楽なんだから、例によって言うことが矛盾しているのだが、とりあえず、ダンスでも白人のやってるやつ、ついでに電子音楽に限る。
 いつもなら、これに「イギリス人」という条件が付くのだが、「ダンスに国境はない」(ロックにはある)と信じている私は、ダンス系はアメリカでも日本でもかまわない。DJ Krushとか、音はいまいち好みではないのだが、かっこいいなあとは思うし。
 でも厳密に言うと、私が好きなダンス・バンドの条件は、「フロントマンがすらっと痩せて知的でハンサムでかっこよくておしゃれなイギリス白人であること」。ルックスがなんの関係があるのかって? なんでか私も知らないが、たまたま私が狂うほど好きなバンドってみんなそうなんだもん。UNKLEのJames Lavelleしかり、Massive Attackの3Dしかり。そしてこのProdigyのLiam Howlettもその例にもれない。髪型は昔のほうがよかったと思うけど。長い前髪を真ん中わけにして、後ろを刈り上げてたころは死ぬほどかわいかった。

 私が考えるに、真の一流バンドは「キャラが立ってる」ことも条件。その点、Prodigyはほんとにキャラが立ってた。例によって人の顔と名前が覚えられない私は、Prodigyのメンバーは「ハンサムでかっこいいすてきなお兄さん(Liam)」、「狂犬病にかかったパンダ(Keith)」、「生きたモアイ(Leeroy)」、「ワニ目男(Maxim)」と覚えていたが、なかなか当たってると思いません?(笑)

 で、このアルバムの感想だが、変わってませんなー、10年前と。確かにかっこいいし、ライブで見たらもっとかっこいいのは知ってるが、このたぐいの音楽はCDで聴いてるとかなり飽きる。どっちかというとDVDだけ売って欲しかった気も。
 10年ブランクがあるんだから、私の知らない新曲がいっぱい聴けると思っていたが、なんかBeat UKで耳タコに聴かされた曲ばっかりのような気がするし。(もしかして、全部同じに聞こえるだけか?)
 とりあえず、ビデオ評でもやるか。Prodigyのビデオでいちばん印象に残ってるのは“Smack My Bitch Up”。身も蓋もないタイトルだけでも物議をかもしたが、このビデオも相当タチが悪い。ビデオは無軌道な若者(一人称ビデオで顔は見えない)が、夜の町に繰り出し、酒を浴びるように飲んで、出会う女はかたっぱしからセクハラしまくり、出会う男にはケンカを売りまくり、乱暴狼藉の末に娼婦を拾って家に帰るのだが、最後のシーンで主人公が映ると、それがもろにビッチの金髪女だったりする。なんと、この主人公はレズだったのだ。
 フェミニストの逆鱗に触れるようなタイトル付けておいて、ビデオのラストではあらためてジェンダーに関する固定観念をひっくり返してくれるあたり、胸のすくようなビデオだった。(レズの人は怒るかもしれないけど) ついでに、おっぱいのでかい半裸の女性が出てくるのはミュージック・ビデオの定石だが、これだけ臆面もなくビッチ面で体の女ばかり集めたビデオ(ついでに撮り方もえげつない)はないという点でも記念碑的作品。
 あとはまあ、タイトルも忘れちゃったがオールCGで、寺院(みたいなところ)で土人(みたいなもの)が踊るビデオ。今見ると笑っちゃうような素朴な出来なのだが、当時は「すげー!」とか言って見てたあたりに郷愁を感じてしまう。
 でもProdigyのビデオはせっかくこれだけのキャラが揃っているわりにはおもしろくないと思うんだが。やっぱりライブのほうが楽しいかも。

Eyeless In Gaza / Saw You in Reminding Pictures (DVD) (Cherry Red, 2005)

 これは大昔、ビデオで出ていた彼らの82年のライブ“Street Lamps & Snow”に新しいライブやプロモ・ビデオのおまけを加え、今年リリースされたもの。当然ながら日本発売なんかされなかったので、PALビデオは見られずに、ずっとくやしい思いをしていたものだから、DVDが出たと知ってさっそく買った。と言っても、やっぱり日本じゃ手に入らなくて、イギリスに注文した。リージョン・フリーなのに。やっぱり知名度ないんかなー。

 で、Eyeless In Gazaと言えば私にとっては神のごとき人々なので、そのライブが見られるなんて夢のよう‥‥と言いたいところだが、ちょっといやな予感も。Cherry Redはコンピレーション“Pillows & Prayers”が日本でもLDで出たので(Eyeless In Gazaだけが見たくて)買ったのだが、どれもこれも、ホームビデオ(デジタル以前の)並みの画質&演出でがっかりしたことがあるのだ。なんか貧乏を絵に描いたようなレーベル、っていうか、その素朴な手作りっぽさが売りでもあるのだが。
 それで見てみたら、やっぱり思った通り! 画質・音質ともに、ブートレッグ・ビデオ並みの低品質! ぼやぼやに白くすっ飛んだ絵に、お風呂の中で歌ってるみたいな音質で、これにくらべると、ひどいと思ったプロモもすごい高品質に見えてくるぐらい。これならプロモのほうがまだましだと思ったが、悲しいことにプロモ・ビデオと言っても初期の2曲しかないんだよね。(たぶんそれしか作ってない)
 ああ〜。それでもファンだからうれしいですけどね。見ながら本当のライブはどんなんだろう?と、かなり想像をたくましくしなきゃわからない。あきれたことに2004年のライブも画質・音質は同程度。

 これだから貧乏インディーは‥‥と思うが、インディーでも豪華なアートワークやビデオをジャンジャン作ってるところはたくさんあるので、本当に貧乏なんだな(笑)。つまり売れてないってことだが、こんないいものがなんで売れない? って、地味、なおかつ前衛音楽だから、売れるはずもないんだけど(笑)。
 ちなみに、宣伝でおまけに入っていたCabaret VoltaireやMomusを見て、あまりのなつかしさにうっとりしてしまった。私のダンス音楽の好みのルーツは案外この辺にあるのかも。

Eyeless In Gaza / Fabulous Library (Orchid, 1993)

 期待のDVDがあまりにアレだったので、名誉回復のためにこっちのリビューも。これはもう10年以上前のアルバムだが、これだけが未入手で、ずーっと捜していたのにどこにも売ってなかったものだ。発売間もないころからそうで、困ってオフィシャル・サイト(当時はファン・サイトだったのだが、なにしろ世界中ひとつしかないファン・サイトなのでオフィシャルに昇格した)のJerryに相談したら、「まだあると思うから(シンガーの)Martynに直接頼んだら?」と言われてしまった。さすがに当時はそこまでする意欲なかったのでしなかったけど。
 Cherry Redを貧乏インディーと呼んだが、これはほとんど自主製作盤。それをeBayで今ごろになって入手したもの。

 なんでこのアルバムにこだわってたかと言うと、Jerryが「コマーシャルすぎてぼくはあまり好きじゃない」と言ってたから。日本ではCherry Redからデビューしたのでネオアコと勘違いされているが、Eyeless In Gazaと言えば「前衛フォーク」と言われるぐらいで――この言い方もあんまりだと思うが、まあ確かにトラッドの影響は濃厚だし、まったく商業的ではないという点では前衛かも――その彼らの唯一の「ポップ・アルバム」“Back From the Rains”が私は大好きなのだ。(Jerryはとにかくポップなものが嫌いらしく、このアルバムのことも「Eyeless In Gazaの最低のアルバム」と言っている) ついでに言うと、シンガーのMartyn Batesが結成した「ロック・バンド」、Hungry I(シングル2枚でポシャる)も最高だった。てことはこれも最高ってことじゃない。
 というわけで、大いに期待して買ったのだが、一聴して思ったのは、「これのどこがコマーシャルなんだよ!」。あらためてJerryのこのアルバムに関するコメントを読むと、昔と言うことが違ってずいぶんほめてる。あ-、やっぱり(笑)。

 というわけで、私が予想していたポップ・アルバムとはだいぶ違い、かといって、Gazaの他の「前衛的」アルバムとも違って、これまで聴いたことのないサウンドに仕上がっている。いちばんの特徴は奥さん(やはりシンガー)のElizabeth Sが大々的にフィーチャーされていて、すべての曲がMartynと奥さんのデュエットで歌われる。Elizabethは他のアルバムでもバッキングボーカルで参加していたことはあるが、こういうのは初めてだ。というか、ほとんど彼女が主役で、Martynのほうがバッキングボーカルみたい。
 Gazaの何が好きと言って、Martyn Batesの「うた」に心底惚れ込んでいる私としては、これはちょっと残念。もちろんElizabethの歌も美しいし、夫婦だから憎らしいほど息はぴったりで、まさに天使の歌声という感じなのだが。
 サウンドもいつもとだいぶ違う。軽い打ち込み(Jerryがコマーシャルと感じたのはこのダンス・リズムのせいだろう)に乗って、この二人のボーカルが切れ切れにからみあい、雲のようにたゆたう。うーん、これはまるでEverything But The Girl‥‥。というか、あれほどポップではないので、4ADか、Massive Attack系統のブリストル・サウンドのようだが、あれほど暗くはなくてもっとほのぼのしている。それを全部混ぜ合わせて、環境音楽にしましたという感じ。
 というふうに考えてくると、最初こそ「えー?」と思ったが、結局、わりと私好みなのであった。まさに天上の音楽。あえて難を言えば、天上すぎて、迫力とテンションとエッジに欠けるような気がするが、これはこれでいい。この後、これに似たアルバムは1枚も出していないところを見ると、これもまたMartynなりの「実験」だったんだろうが、美しい、本当に夢のようにはかなく美しいアルバム。

 いつも言うが、音楽は聴く環境をシビアに選ぶ。少なくともイギリス音楽は選ぶ。それが証拠にイギリスで聴くと、聞き慣れたはずの音楽が劇的に違って聞こえる(もちろんそっちのほうがいいのである)。ゴミゴミした汚い東京で、たいていの東京人よりもっとガチャガチャした生活を送っている私みたいな粗雑な人間に、彼らみたいに、夢のように美しい英国の田園地帯に住んで、なにひとつ明日を思い煩うことなく、ただひたすら好きな音楽だけを奏でている仙人みたいな人たち(本当にカスミを食って生きてるとしか思えない)の作る音楽を本当に理解することは無理なのかも知れない。Prodigyみたいなのなら、東京で聴いてもなんら違和感ないんだけど。
 手の届かないものに対するあこがれ、なのかも。

(とりあえず、こういういいものはひとりでも多くの人に聴いてもらいたいと思って、もう1枚ゲットしました。近くお店に出すけど、その前に欲しいという方はご連絡を)

Marc Carroll / World On A Wire (Evangeline, 2005)

 もうひとつ無名な人を加えてしまおう。しかし、私の音楽の趣味って、最近みごとに時流とずれてるな。Marc Carrollは元Hormonesのシンガーで、Hormonesというのは、Excellent Recordsが力を入れていたバンド、と言えば、わかる人にはそれだけでわかる、要するに日本でギター・ポップと言ってるやつ。それでやっぱり、かわいらしくポップな曲をやっていたのだが、私は嫌いでもないが、それほど印象には残らなかった。
 私がHormonesの名前を覚えたのは、一にも二にも、Marc Carrollが絵に描いたような紅顔白皙の「美少年」だったから(笑)。あー、お稚児さんタイプというか、少女マンガ(ゲイもの)で、木の陰からそっと主人公を見つめているタイプの(笑)。気になる人はオフィシャル・サイトで見てみましょう。
 もうけっこうな年になるはずで、確かにアップの写真だと目元とかにしわが目立つんだけど、それでもこれだけのルックスを保っているのはさすが。

 実はこのアルバムはそれほど買う気はなかったんだけど、出たばかりの新譜が300円という値段で投げ売りされているのを見て、「美少年なのにかわいそうに!」と言って「救出」してきたもの。
 そんなわけであまり期待せずに買ったアルバムだが、けっこういいわ、これ。実は彼のソロって聴いたことなかったんだけど、ポップ性は薄れ、すごく地味な代わり、まるでゴスペルみたいなスピリチュアルでおごそかな雰囲気がする。クリスマス時期に聴くのにぴったり。ジャケットもそういう雰囲気だし、聴いてるととてもホーリーな気分になれます。
 ところで聴くまで忘れてたけど、彼って顔と声がぜんぜんマッチしないんだよね。この顔だと、ウィーン少年合唱団みたいなボーイ・ソプラノを想像するが、実際は低いガラガラ声で。これはシンガーとしては決して欠点ではないのだが、これで声もかわいいといいのに、とちょっと思ってしまう。

Editors / The Back Room (Kitchenware, 2005)

 最近、持続力がなくなってきて、もう疲れたから今日は終わりにしようと思ったが、これで終わるのもなんだから、ひとつぐらいは新しいバンドも。でもほんとに私、遅れてるんですよ。友達やお客さんから「これはいいよ!」と教えてもらって、私もインターネットで聴いて気に入って「これは買おう」と思っても、すぐに名前忘れちゃって(笑)。あ、これも絶対忘れるから、ここに書いておこう。「Kubbは買うこと」
 Editorsはかろうじて覚えていたのは、Ian Curtisばりのドスのきいた低音のボーカルが今どきめずらしいと思ったから。シングルまで集める気のないバンドは、(出てれば)限定盤だけ集めることにしている。これも2枚組の限定盤。どうせなら、B面集よりDVD付けてほしかったんだけどな。でもモノクロのジャケットデザインはとてもきれい。

 で、聴いての感想だが、ドラマチックで美しいサウンドは確かに悪くない。ただ、流行りの80年代っぽさがやっぱり気になるし、なんかもう一押しほしい感じもするな。
 聴いてて、なんかThis Pictureにそっくりだと思った。This Pictureはこの日記でも絶賛したが、未だに私の愛聴盤の1枚。でもって、ボーカルの色っぽさとか、メロディの巧みさとか、サウンド・スケープの広がりとかスケールとか、This Pictureのほうがこれよりは7.5倍ぐらいいいので、やっぱりこれ聴くよりThis Pictureを聴くな、私は。This Pictureもお店にあるので、Editorsが好きな人には絶対のおすすめ。
 と書いてから念のため確認したら、カタログにないやんけー! 忘れてた。これだけ宣伝したのに売れないと思ってがっかりしてたのに、ないんじゃ売れるはずがない(笑)。これも次の更新時に出します。
 しかし、このバンドもなかなかいいものをたくさん持ってるので、将来が楽しみです。

2006年1月11日 水曜日

書評
Edward Carey / Observatory Mansions
(エドワード・ケアリー 『望楼館追想』 文藝春秋 2002年)

 最近ほんとに本を読まなくなった。と、一般の人が言うときは1年に1冊とかなんだろうが、私の場合、週に4冊ぐらいに減ってしまったということである(笑)。それも、もうほとんど通勤電車の中でしか読まない。でも私は読むのが早いので、往復(1時間ほど)で1冊は読めるというわけ。
 原因は目の衰え。これも老化現象なんだろうが、近眼が進んだうえに老眼も入ってるし、メガネはどれもこれも合わなくなってきていて、細かい字を読むのがつらい。なんか上に書いてることと矛盾しているようだが、でも事実は事実だ。
 パソコンも、昔は12時間ぐらい連続して向かっていても、なんともなかったのだが、この正月、(ゲームをするので)徹夜でパソコンを見つめていたら、右目の筋肉がピクピク痙攣して止まらなくなった。ほんと、年だなあ。

 で、読むのも最近はSFとかミステリのような肩の凝らないものが多い。(というのは単なる慣用句で、実際は、SFはめちゃくちゃ難解なものが多いからすごく肩が凝るのだが) 本業が英文学なのに、これは情けないと思いつつも、純文学を読まなくなったのは、職業的プライドと目のせいである。
 つまり、大衆小説ならブックオフで100円で買った翻訳で十分なのだが、英文学(音楽同様、小説もほとんど英国ものしか読まない)はやっぱり原書で読みたいのね。ところが洋書ペーパーバックというやつは、字が小さいのはもちろん、紙質が悪くて紙はデコボコで真っ黒だし、印刷も悪くて、その中から文字を拾い上げるのがむずかしい。昔はペーパーバックも1日で読み切れると自慢していたが、こないだ読み始めたら、目が痛くて途中で読めなくなってしまった。
 そんなわけですっかりまともな小説から遠ざかっていたが、これは久々に手にした現代のイギリス小説。

 ブックオフで(貧乏なので、本なんてもうブックオフでしか買えない)これを手に取ったのは、帯に「ジョン・ファウルズ、パトリック・マグラア絶賛」と書いてあったからである。どっちも私が一目置いてる英国の小説家。マグラアというのは、前にちょっと書いたことのある『グロテスク』の作者である。この人たちがほめてるってことは、いわゆる「不思議な話」だろう。私はこの手の小説に目がない。
 帯にはでっかい活字で、「もしあなたが小説好きで、@ひとりでいるのが好き。A体育会系は苦手。B新しい才能を本気で探している。どれかに当てはまるのならば、保証します。この本を読まない手はありません」と書いてある。なんかやけに饒舌なキャッチで、普通、この手の本は警戒して買わないんだけど、確かに当てはまるし(笑)。体育会系は苦手なんじゃなくて、バカにしているだけだけど。
 ついでに帯の裏には、「この本を作った人間はみな、この小説に取り憑かれてしまいました」として、翻訳者、装丁者、編集者の言葉まで載っている。なんかやけにテンション高い人たちだこと(笑)。

 でも、「こんな小説を読んだのははじめてです」という装丁者は、あまり小説を読んだことがない人だね。私なら、これに似た小説は山ほど思い当たる。
 とりあえず、謎めいた巨大な館に住む異常な人間ばかりの住人たちの話というところで、以前、この日記で私の座右の書として紹介した『ゴーメンガースト三部作』を思い出すし、主人公の両親(没落貴族)のキャラクターは、こないだ書いたマルケスの『愛、その他の悪霊』に驚くほどそっくりだし、もちろん上のファウルズ、マグラアとも似たところはあるのだが、それ以前に似ているのは村上春樹である。
 (あとから思い出したが、 ジーン・ウルフの『ケルベロス第五の首』の導入部ともそっくりだ)

 とりあえず、主人公はタイトルにもある望楼館(英題は「天文館」)に住む青年フランシス。これは本物の「mansion」、すなわち、部屋数が50も60もある貴族の豪邸で、彼はその跡取り息子なのだが、金に困った両親がその館を日本流の「マンション」に改造し、今はその一室に両親と住んでいる。職業は大道芸人。ただし、彫像のふりをしてじっと動かないでいるだけの。
 フランシスはいつも白い手袋をはめていて、素手では何もできないばかりか、自分の手を見ることも耐えられないというパラノイア。彼は他人にはがらくたにしか見えないが、元の持ち主にとってはかけがえのない宝物だった品物を盗んでは、それをコレクションしている。そこには単に「物」と呼ばれる、フランシスが決して正体を明かそうとしない謎の品物も含まれる。
 父は脳卒中の後遺症か、彫像のように椅子にすわったきり、まったく動けないししゃべれない。母はこれまた寝たきりで誰とも交わらない。(べつに病気ではない)
 他の住人も異常な人物ばかりで、犬女と呼ばれる女性は、自分が野良犬だと信じ込んでいて、完全に犬としてふるまっている。フランシスの老家庭教師は絶えず汗と涙が流れっぱなしで止まらない。クレアという老女は一日中テレビを見ていて、テレビドラマが現実の世界で、自分もその一員だと信じ込んでいる。門番(日本流に言うと管理人)は、これまた誰とも口をきかず、ひたすら床を磨いている。

 なんか変な人たちばかりだが、他人と関わりを持たないという一点で気が合っている住人たちの中へ、(比較的まともな)若い女性が引っ越してきたところから騒動が始まる。そしてその過程で、だんだんと彼らの過去と、こうなってしまった理由が少しずつ明かされていく過程は非常におもしろく、わくわくしながら読んだ。
 特に家庭教師の話が最高。これ、ネタばらししちゃってもいいかな? いや、要約してもすばらしさは伝わらないからやめておこう。とりあえず、彼は学校で教えていた時代、ひとりの生徒の死に関してトラウマを負っているのだが、教師と少年というと、当然ホモ関係を連想するが、実はそれは匂わされているものの、そんなに単純な話ではない。ここと、それに続く教師の死の場面は本当に泣かせる。

 これがだいたい本の真ん中へんで、これを頂点に、あとはなだらかにテンションが下がっていく。このおもしろさが最後まで持続したら「大傑作」の判を押してあげたのだが、結局は「まあまあ」止まりだったな。フランシスが手袋を離せない理由は、種明かしをされれば「なーんだ」って感じだし、何よりラスト、彼が真人間になってしまうハッピーエンドが許せない。
 前半のゴシック風の雰囲気からすると、何か陰惨な過去が明らかになったり、ぞっとするような事件が起きたりするのを期待していたが、(死ぬ人はいるが)誰も殺されないし、悲惨な話も何かお伽話のようにほのぼのしている。たぶんこれがこの作家の持ち味なんだろう。
 結果として、最高とは思わないが、悪くはないという作品。

 さっきの教師の話を除くと、むしろ強く印象に残ったのは、この家そのもの。私が家(特にこういうイギリスのマナー・ハウス)が好きで、関心を持っているというせいもあるが、先祖伝来の館が人手に渡るつらさは、確かに気が狂う原因になっても当然だと、しみじみ思った。
 だってそう思いません? 美しい広大な庭園が切り売りされて、木が切り倒され、花壇がつぶされ、野生の動物たちがすみかを追われ、そこに道路が敷かれて、安っぽい建て売り住宅が建つのを見ていなくちゃならない気持ち、美しい調度品が売り払われ、自分が生まれ育った部屋に他人が住み着く気持ちは、たとえ自分の物じゃなくても、想像しただけで心が痛む。実際、そういうケースはしょっちゅうあるしね。
 私が前にロンドンで泊まった安ホテルも、そういうところだった。天井まで届く、巨大な白い大理石の暖炉があるんですよね。(もちろん暖炉はふさがれて、使えなくなっている) その前にシングルベッドが2つ置かれて、あとは小さいワードローブが1つ、それ以外はかろうじて人が1人通れるだけの通路しかない狭い部屋。
 でも暖炉の様子や、天井に残っている手の込んだ彫刻などを見ると、おそらくもとは、ここは豪華な広間だったに違いない。それをペラペラの壁で区切って、(2つ3つなんてもんじゃなく)10部屋ぐらいの客室にしたのだろう。目をつぶってこの部屋の昔の様子を思い浮かべると――壁には一面に立派な額縁に入った絵がかけられていただろうし、床には優雅なアンティークのソファやじゅうたんが、天井には豪華なシャンデリアが下がっていたはず――なのに、暖炉以外はすべて安物に替えられ、過去の遺物とも言うべき暖炉を見ただけで、私は(家が気の毒で)涙がこみ上げてきてしまった。
 だからラスト、望楼館が解体されるところではやっぱり泣いてしまった。フランシスなんかどうなってもいいから、家は助けてやれよって感じで。
 私が泊まったのは安ホテルだったが、郊外に行くと、マナー・ハウスそのものをホテルにした高級ホテルもある。でも私は絶対にそんなところに泊まるのはいや。だって、由緒ある建物が観光客なんかに占領されているのを見ても怒りがこみ上げてくるだろうから。
(私のこういう家と部屋に関する愛着は「シムじまん」を見てもらうとよくわかります)

2006年1月19日 木曜日

朝帰りの話

 いやー、まいったまいった。終電逃して午前様なんてもう10年以上なかったことで。サラリーマンの皆さまには日常茶飯事なんでしょうが、私は酒が飲めない上に、専任辞めてから(主として経済的な理由で)飲み会なんてめったに出ないから。
 友達の友達がフランス料理店兼ガラス工芸のアトリエを開いたので、そのお祝いに出かけていったんですよね。それでつい話に夢中になって、気が付いたら12時過ぎ。「地下鉄は12時過ぎたら帰れない」というのはわかってたのに、なんとなく大丈夫なような気がして。
 銀座線の終電には間に合ったので、赤坂から日本橋まで行って、そこで東西線に乗り換えるつもりだったのだが、降りてみたら東西線はもう終電が出たあと。JRならまだ動いてるだろうと思って、東日本橋の駅まで歩いたのだが、JRももう止まってる! さー、困った。
 あとはもうタクシーしかないが、お財布の中身は3000円。これじゃうちまでたどり着けないし、そもそも私の経済状態ではタクシーに3000円以上なんて出せない。これが新宿とか渋谷なら、インターネット喫茶で朝まで過ごすという手があるのだが、ここは完全なビジネス街で、こんな時間に開いてる店なんて1軒もない。雨まじりの寒風の吹く、人っ子ひとりいない真っ暗な町でひとりぼっちというぐらい心細いものはないです。ホームレスの皆さんにならって、ビルの軒下で丸まって一夜を明かさなくちゃならないのかと観念したぐらい。
 結局、田端までタクシーに乗って、友達の家に転がり込んだけど、彼女は早朝の仕事で5時に家を出るので、それにつき合って、2時間ばかり仮眠しただけで、早稲田の試験に。
 昔は仕事でこういう生活よくしてたけど、そういうときは授業中も眠くて眠くて、頭はガンガン痛むし、めまいはするし、吐き気はするしで、まるで二日酔いみたいだけど、飲めない私は寝不足で二日酔いみたいな症状になるのだ。でも不思議とこの日はなんともなかった。やっぱり、楽しいことで徹夜したせいだろうか。

 この体験で思ったこと、その1。24時間眠らない大都市で、なんで電車は早々と12時になくなっちゃうのか。もちろん、遊んでる人間がこういうこと言うのは鉄道会社の人には気の毒だが、でもいやしくも公共交通機関は24時間動かしてほしい。特に私は、自分が日ごろ12時からが主たる活動時間帯なので、その時間に店が閉まってるとか、電車が止まっているというのが、どうも理解できない。
 西葛西みたいな住宅地は終夜営業の店が多いのに、都心ではみんな閉まってるというのも納得できない。

 その2。私にとっては「家に帰れない」というのが、ものすごい恐怖だということを実感した。前にもこの日記で、鍵を忘れて家から閉め出されたときの話を書いたが、あのときと同様、心底心細くて悲しくて情けなくて途方に暮れた。
 なんでかねー? この日記の読者ならすでにご存じのように、うちはこれ以上狭くて古くて汚いところはないというぐらいボロなのだが、それでも私にとっては唯一の心のよりどころなんだというのがしみじみわかる。
 私が「家」というものに異常な執着心を抱いているせいもあるが(これも『シムじまん』を見るとわかります)、それ以上に、定職も持たない、家族も持たない私にとっては、自分の家というのが、まさに「心のよりどころ」、人生すべての中心なんだな。
 最近、地震だの津波だの大雪だの災害で家を失った人たちの話をよく聞くが、その心痛は他人事とは思えない。東京を大地震が襲ったら、私はほんと死んだほうがましです。全財産を注ぎ込んだこのマンションが倒壊するぐらいだったら。(というか、そうなったら当然死んでると思うが)

 その3。これは午前様とは関係ないが、久々に他業種(大学関係でないという意味)の人と話をすると、つくづく自己嫌悪に駆られる。
 この日集まった3人の女性たち、ひとりはこの店の共同経営者で江戸切り子をやってるガラス工芸家、ひとりは画業のかたわら、医療用の補助具(乳癌で乳房を失った人のために人工の乳房を作るとか)の仕事をしているアーティスト、ひとりは靴職人目指して修行中だが、やっぱり身体障害者のための靴を作りたいらしい、と、みんな私よりずっと若いのに、はっきりした目的意識を持ち、なおかつ、社会に貢献するという考えを持ち、そのためにものすごい努力をしている。
 それにひきかえ、私はなによ。50にもなって、ダラダラ生きてきたおかげで、好きでもない仕事を惰性でやりながら、好きな仕事(お店)は沈没寸前なのに、それでもたいして危機感もなくダラダラしている。なんかこのまま、何ひとつまともなことはできないまま死んでいくのかと思うと、泣けてきますね。
 まあそれでも、社会の役にも立たない代わり、自分の食い扶持だけは自分で稼いでるし、誰にも迷惑かけてるわけじゃないから、と自分を慰めているのだが。

2006年1月27日 金曜日

 はあ‥‥。と、無気力なのは単にお金がないからである。大学が休みに入った今こそ、商売のほうで稼がなくてはならないのに、そっちがさっぱり。こんなことはこの5年間に一度もなかったことなので、もういよいよ本当に危なくなってきた。ここできっぱりあきらめて教師稼業に戻るか(今やっているのはほんのアルバイト程度なので)、それとも捨て身で勝負をかけるかの瀬戸際なのだが、そういうむずかしいことを考えるのはしんどいので、毎日(大学の採点と雑誌の原稿書きをやってるほかは)、ビデオを見たりゲームをしたりして遊び暮らしている(笑)。
 今日はこの無気力さにふさわしい、気の抜けるようなイギリスのゾンビ映画(好きだねえ、ほんとに)二題。“28 Days Later”はかなり前に見たものなんで記憶があいまいだけど。

映画評

28 Days Later (2002) Directed by Danny Boyle

(邦題 『28日後』)

 “Trainspotting”のDanny Boyleの映画、って私は“Trainspotting”はたいして感心しなかったんだけど、Danny Boyleの映画はけっこう見てるな。それで今度は研究所から洩れたウイルスが原因で英国が滅亡する話と聞いたから、てっきり“Outbreak”みたいなのかと思ってたら違った。
 なんでウイルスに期待したかというと、私は想像上のどんなモンスターよりウイルスのほうがこわいと思ってるからだ。何しろ目に見えないんだから、逃げようも戦いようもない。しかも人の体内に潜んで伝染するなんて、こわいじゃない! というのは「ウイルス論」というのをすでに書いちゃったので、今回はなしにして映画のお話。

 で、このウイルスは接触感染しかしないのだが、これに感染した患者はいきなり(潜伏期間もなしっすか? 科学的じゃないな)凶暴化して人を襲うようになる。というわけで、これはゾンビものじゃないか! となれば、大のRomero信者である私は「こんなのゾンビ映画じゃない!」とか言ってさんざんにけなすと思うでしょうが、今回は別のところから攻めようと思う。

 見始めてとりあえずガーンと頭を殴られるようなショック。何でかというと、イギリスが舞台になってる! 登場人物がひとり残らずイギリス人の顔をして、イギリス英語をしゃべってる! って、イギリス映画なんだからあたりまえ(笑)。なのになんで驚いてるかというと、イギリス映画を見るのは本当に久しぶりだからだ。
 イギリス人が撮った映画やイギリス人役者が出てくる映画はいっぱい見てるけどね。でも結局はみんなアメリカ映画なんだよね。それが久々のイギリス映画! じーん‥‥
 ここで弁解をしておくと、私はイギリス音楽を崇めたてまつり、アメリカ音楽をさんざんバカにしているが、これは映画では逆転する。やっぱり映画に関してはアメリカが世界一ってことに意義を唱えるつもりは毛頭ないです。アメリカ映画を見ていていやなのは、風景と空気と天気とアクセントと音楽と、あとアメリカ人のライフスタイルにほとんど関心がないことだけだな。
 なんでイギリス映画が好きかというと、役者の顔やアクセントや景色が好きっていうほかには、「変」だからである。何も変な映画作ろうと思って撮ってるわけじゃないと思うが、アメリカ映画を見慣れた目には、似ているようでぜんぜん違うところが変に見える。カナダやオーストラリアやニュージーランド映画も同じ意味で変。なぜかフランス映画やイタリア映画だと少しも変に見えない。同じ英語話していて、人種も同じなのに、ある意味、フランスやイタリアよりも遠い国なんだよね。あと、そういう国の映画はたいてい低予算なので、それで変に見えるってこともある。そういや、“Trainspotting”も変な映画だったことは事実(笑)。

 でもイギリス映画はいいっすよ。なんか故郷に帰ってきたみたいでほっとする。〈だからあんたはなに人だって!〉
 だから最初は大いになごみつつ見ていた。お話は過激派が疫学研究所を襲うところから始まり、ウイルスが外にもれたことがわかる。そして場面は変わって、主人公のJim(Cillian Murphy)がロンドンの病院のベッドで昏睡から目覚めるのだが‥‥。あ、好みだわー。っていうか、この手の痩せたイギリス人の男の子なら誰でも好きっていう気がするが。と書いてから調べたら、この人はアイルランド人でした(笑)。いいんだってば! 「だいたい同じ」なんだから! しかし、BoyleはEwan McGregorを発見した人でもあるわけで、いい男を見る目があるな。人が良さそうなEwanとくらべて、眼光鋭くワイルドな感じがよい。
 で、病院の中も外も完全に無人。Jimは人っ子ひとりいないロンドンの町をさまよい歩くのだが‥‥おおおおー!!!
 これだこれだこれなんだよー! 人間の消えた町というのは、私のオブセッションのひとつで、ほんっとうに好きっ! 東京でもいいけど、ロンドンだともっと好き! それでこのロンドンが(人がいても美しいけど)鳥肌が立つほど美しい。もうこれだけで100円の元は取った(笑)。
 そういや、ゾンビものってのは一種の終末ものなんだよなー。そして終末テーマったら英国が本家じゃない。これは予想外の収穫とワクワクしながら見ていると‥‥

 Jimは生き残りの人間たちと出会い、黒人女性のSelena(Naomie Harris)、中年男Frank(Brendan Gleeson)とその娘のHannah(Megan Burns)の4人でタクシーに乗って、マンチェスター近郊にいるらしい軍隊を捜しに旅立つ。それでロンドンからマンチェスターに至るモーターウェイから見た景色がまた本当にきれい! ああー‥‥
 絵ハガキみたいな景色って言うけれど、日本の観光地は本当に絵ハガキじゃないとあんなにきれいに見えない(っていうか、行ってみると、どこでどう撮ればあんなふうに見えるんだ?って感じのところが多い)が、あのあたりの風景は本当にどっちを向いても、ああいう景色がどこまでもどこまでも広がってるんですよ! 灰色の空と真っ黒な森と目にしみるような緑の芝生が。
 芝生と言っても植えたものじゃなく、どこにでも自然に生えている。また、寒いせいか、雑草というものが1本もないので、なだらかな芝生の中にぽつんぽつんと木だけが立っている。しかもヨーロッパの芝は真冬でも枯れないで青々としている。冬はそれ以外が真っ暗けなので、よけいその緑のまぶしさが目にしみるのだ。
 あー(ため息)。確かにイギリスは物価は高いし家賃は高いし気候は悪いし、住むに適したところとは言えないかもしれないけど、あの風景だけのためにも住む価値はあるな。それと、あの音楽もあの風土を抜きにしては生まれてこなかったってことを忘れちゃいかんな。イギリスなんてもう10年も行ってないからすっかり忘れてた。
 それと、イギリス映画の楽しみはあの幻想的な色彩の美しさね。この色って他の国で撮っても絶対に出ない。カメラがどうとかレンズがどうとか言うんじゃなくて、やっぱり空気が違うからだと思う。とにかく映像はどこを撮っても夢見るように美しい。
 悪いけど、“The Straight Story”みたいな風景は、アメリカ人にとってはこの上もなく美しいものに映るんだろうけど、私にはぜんぜんそうは見えないの。私はやっぱりここに属しているので。
 そしてその映像美は‘Manchester's burning’のところで頂点に達する‥‥はずだったのだが、やっぱり特撮にあんまりお金かけられなかったのか、ここの映像は思ったほどじゃなかったですね(笑)。

 というふうに、ストーリーとはぜんぜん関係ない景色の話しかしてないのでおわかりの通り、物語はあんまり盛り上がらない(笑)。いいんだよ。もういっそ一種のロード・ムービーにしちゃって、この人たちが無人の英国をさまようだけの映画でいい。
 でもさすがにそうもいかなくて、途中で死んでしまったFrankを除く3人はとうとう軍隊に遭遇する。と言ってもほんのわずかな生き残りが、マナー・ハウスを拠点に立てこもっているだけなのだが。しかし、指揮官の大佐(Christopher Eccleston)をはじめとしてなんか気のいい連中で、普通ならここで「助かった!」と言ってハッピーエンディングになるはずなのだが、まだだいぶ時間があるぞ。

 と思っていたら、あっけにとられるような展開に。なんとこの大佐、Jimに向かってSelenaとHannahを「慰安婦」として差し出せと迫り、それを拒んだJimと彼をかばった兵隊を森の中へ連れて行き射殺させようとするのだ!
 ちょーっと待て。Romeroのゾンビ映画の悪人がゾンビ以上に悪いと言ったが、ここまで極悪非道じゃないぞ。しかもあの紳士的で繊細そうなChristopher Ecclestonにここまで言わせるか? なんかあまりにもめちゃくちゃな展開なので頭がクラクラする。
 そしてあとは女たちを助け出そうとするJimと軍隊の戦いになるのだが、ゾンビはほとんど忘れ去られ、背景人物という感じでうろうろしているだけ。なんかなー。いちおう、「ゾンビよりこわいのは人間」というRomero哲学は踏襲しているのだが。
 Boyleはこれをゾンビ映画と言われるのをいやがっているそうだが、それならちゃんとしたサバイバルものにすればいいのに。途中までは水や食糧の確保と言った、普通のゾンビ映画では無視される要素も出てきて、いい線行ってると思ったのに。
 ぜんぜんこわくもないし、やっぱり印象に残ったのは無人のロンドンと田園地帯の美しさだけだった。あー、あそこに帰りたい。

Sean Of The Dead (2004) Directed by Edgar Wright

 タイトルから見てもすぐにわかるRomeroのパロディ映画。この腰の抜けそうなタイトル(Shaunは主人公の名前)といい、見るからにしょうもない映画という感じで、日本未公開だし、私も見たことがなかったのだが、Romeroの“Land Of The Dead”のDVDのメイキングを見ていたら、Romeroはこの映画を大いに気に入って、作り手2人(監督のEdgar Wrightと主演兼共同脚本のSimon Pegg)をわざわざカナダにまで呼んで、ゾンビ役でカメオ出演させたというエピソードが出てきたので興味を持った。
 もっとも、Romeroは“The Night Of The Living Bread”みたいなのでも気に入るような人だからあまりあてにはならないが(笑)。私は“The Night Of The Living Dead”の限定盤LD(当時は日本未発売だったので輸入盤を買った)で見たが、あの映画のストーリーそのまま、ゾンビをパンに置き換えただけの自主製作映画である。ゾンビが襲ってくる場面では、画面外にいる人が俳優にトーストをぶつけるの(笑)。けっこう笑えたけど。
 それでこのDVDがHMVで690円で売られているのを見たから、「これは買いでしょ」と言って買ってきた。しかし、見る前に国内の評を読んだら、けっこう好評だなあ。笑えるうえに、ゾンビ映画としてもちゃんとできてて、泣かせもあるとかで。ふーん、すると“28 Days Later”よりましってことか?(笑)
 まあ、イギリスの低予算映画だからして、おそらくぬるいオフビートの楽屋落ちギャグ満載だろうと思っていたが、ほぼその通りでしたね(笑)。監督自身、“The most laidback horror film ever made”と言っているし。

 当然ながらRomeroおたくが作ったんだと思ったので、全編“Dawn Of The Dead”のパロディなのかと思ったが、いちおうストーリーはオリジナル。すぐにわかったRomeroへのオマージュは、あのまぬけなモール・ミュージックと、テレビキャスターのセリフと、それにShaunの母親の名前がBarbaraだと聞いて、絶対出るだろうなと思った“They're coming to get you, Barbara”のセリフぐらいだったな。
 むしろ笑えるのは、典型的ダメ男Shaunの日常生活。でもここはよっぽどイギリスに詳しくないと笑えないかも。ついでにイギリス英語に堪能でないと。これもアメリカでは字幕が付くクチだと思う。私もわからないギャグがたくさんあったし。
 私が文句なしに笑えたのは、ゾンビにLPレコードを投げつけて撃退するところ。Shaunは元DJだったらしいのだが、庭にレコード・ボックスを持ち出して、ルームメイトと「これは投げてもいい」、「これはダメ」と押し問答するのがおかしい。New Orderの“Blue Monday”(オリジナル盤だから)や、Stone Roses(「だって“Second Coming”だぜ」 「俺は好きなんだ。(私も!)」というやりとりが二重に笑わせる)はだめで、Dire Straitsならいいというのは私も大いに納得(笑)。もっとも私は“Purple Rain”なんか最初に投げるべきだと思うが。
 彼ら(ShaunとルームメイトのEd、ガールフレンドのLizとそのルームメイトのDavidとDianne、それとShaunのママ)が逃げ込んで籠城するのがパブというのも、イギリス人なら当然っていう感じ。とりあえず、どんな異常な状況に投げ込まれても、何も起こっていないふりをして日常に執着するイギリス人気質がよく出ている。
 そうそう、これがアメリカならShaunは銃をバンバンぶっ放すところ、手にした武器はクリケットのバットというところもいいねえ。いちおうパブに(飾りとして)ライフルがあるのだが、少し撃ってみて、「どうせ当たらないし」と言って投げ捨ててしまう。とにかく、一般家庭にまで銃があって、家庭の主婦でも撃ち方を知っているなんて(実際のところは知らないが、少なくとも映画じゃそうなってる)、それ自体が黙示録的世界だってこと、うっかりすると忘れそうになるからね。

 一方、ホラーとしては確かに意外とまとも。もちろん低予算なので、エキストラ・ゾンビはメイクも最小限だが、生意気にもCGまで使っている。お約束の「生きたまま内臓つかみ出し」シーンもあるし。
 ただ、こわくはないなー、やっぱり。それでも定石の「愛する人がゾンビ化する」悲劇も描かれてるし、ラストの落ちも決まって、小品ながらちゃんと作られた映画。ゾンビ・ファン、ついでに英国コメディ・ファンならけっこう楽しめる。

 ところでゾンビとコメディはもともと相性がいいのだ。というか、ゾンビそのものがそもそもお笑いだし、御大Romeroも(“Dawn”以降は)ちゃんとギャグを入れている。とはいえ、“Dawn”のボックスセット(日本じゃ出ないみたいなんでアメリカで捜していた)を検索していたら、「コメディ」に分類されていたのにはちょっと腹が立ったけど。あの救いのない映画がなんでコメディなんだよ!
 だから、ゾンビ・コメディは傑作が多い。その筆頭はもちろん、Peter Jacksonの“Braindead”。これ1本で、私は「この監督は天才だ!」と叫びましたからね(笑)。すべてにおいて「やりすぎ」が魅力のスラップスティック・スプラッタ映画だった。
 それから、Dan O'Bannonの“Return Of The Living Dead”(邦題『バタリアン』)があった。これこそ、タイトル通り、完全なRomeroへのオマージュ。別にコメディのつもりで作ったんじゃないと思うけど、私は大いに笑えた。
 こういった映画とくらべると、いかにも小粒で薄味だが、「わっはっは!」ではなく、「くすっ」と笑わせる映画。ここらもいかにもイギリス的。
 主演のSimon Peggは見るからにぱっとしない普通の男というところがいい。このまま年をとったら、イギリスのKevin Spaceyになれるかも。David役のDylan MoranはHarry Potterが老けたみたいな顔で、それもなんかおかしかった。

P.S. さすがイギリスというか、音楽の使い方もうまいね。でもなんでQueenとAshが何度もかかるのか不明。もちろん、歌詞とストーリーを合わせているのだが。ColdplayのChrisがゾンビ役でカメオ出演しているそうだが、私は気が付かなかった。あとで見直してみよう。
P.P.S. イギリス・コメディの魅力としてもうひとつ、「知的」というのも付け加えておこう。もちろん、おバカなギャグもたくさんあるのだが、ちょっと考えて、ワンテンポ遅れて笑えるたぐいの、ひねりのきいたジョークもいろいろある。
 ゾンビが出てくるまでの前半が長すぎると言う人もいるが、あのシーンやセリフはすべて、後に起こることの伏線になっているのだ。ここはかなり頭脳的でおもしろい。

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